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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.85
メッセージ数:1700件

<1700> ぺあ ■2007年07月03日 火曜日 22時45分23秒
うらやましいのかな。この感情。嫉妬。自分の持っている感情が他の人の持っている綺麗な感情と同じだと思えないの。自分の持っているこの「汚らしい感情」が他者と同じ感情で私も「安心していい」ってあんまり思えないの。いつもなぜいじめられるのかの理由を考えて生きてきた。子供の頭で考えたのは、自分は子供らしくなくて子供(←しかもこの子たちが「真正の子供、世の中で言う無邪気で自分のことしか考えない綺麗な子供、合っている子供だと思っていた)の癪に触るから。「いやだ」とか「きらいだ」とか思ってしまうこんな感情を持つ自分が悪いから。道徳の授業を心から信じる子でした。また、教師の言う言葉を幼稚園の卒業式から紙に書いて、「向上心」を持って世の中で「成功しよう」と思っていました。私は「偉い子」だと思っていました。普通と違う私だからいじめられるとも思った。男の人を子供ながらに惹きつけられるからとも思った(←恋愛ドラマの見すぎもありますね)
<1699> アーネスト ■2007年07月03日 火曜日 02時08分38秒
昔、人間関係上の失敗・学業上の失敗が立て続けに起こっていたとき、よく恐い夢を見た。内容はここには書かないけど、僕の恐れを象徴しているような夢の数々だっと思う。あの頃はもういろいろなもの ―人や勉強すること、学校、進級、就職― いろいろなものが恐かった。恐がれば恐がるほど恐れは増殖して僕の心身を蝕んだ。気持ちはネガティブになり、全てを悪い方向に考えるようになった。そんなとき床に就くのは、本当に不快だった。ふとんに入ってもじっとしていられず、頭を悪い考えが占めていった。僕の死んだ母親が呼吸器をつけているシーン、かつての部活仲間が僕を取り囲んで除け者にしているシーン・・・その頃に起こったことだったからリアルすぎてすごく恐かった。

今、思うと・・・そうだなすごくオーバーな、恐れだったと思う。現実を受け入れられない・・・僕の身に起こったことが、僕の許容量をはるかにオーバーしていた。過剰な恐れも、現実を許容したくない必死な抵抗だったのかもしれないと今は思う。客観性を欠いていた。今、思えばしょうがねえかということの連続だったのだが、そのときに感じた恐れはすごかった。もともと恐がりの僕だから。なんか今思い出すと笑ってしまう。とにかく先のことが心配だった。病気になってしまったことで、いろいろな先々の予定が狂ってしまった。怒りもあったが、自分がどんどんと堕ちていくことに強い恐れを感じた。現実を許容するかわりに、「現実にできそうもないこと」をできない自分を責め続けた。ウツになった。恐れと焦燥感と自責感が毎日毎日続いた。1日だけならまだしも、それが何日も、何年も・・・。
<1698> アーネスト ■2007年07月03日 火曜日 01時55分23秒
怒りについて知人と話して以来、自分の怒りと少し仲良くなれた気がする。怒っていても、そのことで引きずられたり、極度な不快感を感じることがなくなってきてすごく楽だ。僕は怒ることができなくて、怒りを恐れに摩り替えていたと思う。怒ったら相手を滅ぼしてしまうという子ども特有の考えなのかわからないけど。今は、怒っている自分も結構、かわいいじゃんと思う。某映画に出てくる、あの怒りまくる主人公を見ているとなんとなく、親しみがわいてくる。

もうひとつ仲良くなれない感情は悲しみだと思う。涙が出そうになると、反射的に止めてしまう。地表まで沸きあがった水が、後一歩で停滞しているかんじ。人前で泣くことはできない。いや、泣いたことはあるんだけど・・・それは例えば受験に失敗したとかで「ああ、ここで泣くのは合理的だ。理にかなっている」と思えれば泣けるが、個人的な感情で泣くことはできない。でも考えてみればわかってほしいって思うから、泣けないのかもしれない。別に泣く理由なんかどうでもいいことなのかもしれない。涙に理由なんかなくていいのかもしれない。

そして恐れ。ある人が自分の恐れについて考える時、現実的になれ、といっていた。たぶん、実在するもの、ことについてのみの恐れを取り扱えということだと思う。オバケとか想像上、架空のものに対する恐れではない、ということなのだろう。そもそもオバケや怪奇現象というものは、恐れの「対象」ではなくて、恐れという観念を具体化したものなだと思う。つまり失敗が恐いとか、拒絶されるのが恐いとか、じゃなくて恐れを抱いたときに感じる孤独感や、体の振るえ、鳥肌、怯え、心拍数の増加・・・そういったものを演出する道具がオバケなのかもしれない。そう考えていくと僕は、恐れの「対象」について考えたことはあまりないと思う。オバケや心霊現象を恐れの対象にする前に、もっと他の現実的な対象についての恐れの棚卸しをしてみたい。
<1697> トラミ ■2007年07月01日 日曜日 21時02分29秒
「私は私のままでいいんだ、だらしなくって、完璧じゃなくって、誰かに羨ましがられなくてもいいんだ。」
って思えるようになったら、他人の弱い部分があまり気にならなくなった。
彼氏は自己評価が低い人で、以前はそれに苛立って、なんとか強い人間になってほしい、そうじゃないと私が困る、幸せになれない、そう思っていた。

でも、今は、それでも別に良いかなと思っている。彼の問題であって、私には関係ないことだし、どうするかは彼次第だ。
<1696> ぺあ ■2007年07月01日 日曜日 20時48分19秒
他者が私に救いを求めている。よくそう思った。みんな不幸そう。私しか分かってあげられない。私が答えを知っている。私が導いてあげる。みんな不幸に見えた。そうじゃない。みんなではなく、私の家族のOOだったんだ。子供の頃から見ていた。クラスでの人間関係がよく分かる。浮いている子すぐに分かる。悲しそうな子すぐ分かる。こんな分かる自分は本当に周囲の子供の中の子供とは異なる存在だと思っていた。大人からはちょっと変な目で見られていた気がする。子供の中でも浮いていたし、男子からもちょっと気味悪がられていたかも←これは被害妄想だろうけど。恋にものすごく憧れていたのもあるかも。本当の友人をものすごく求めていたし、友人さえできれば私の人生は変わると思い込んでいたけど、そういえば人を救おうとか考えていない時、私友達いたっけなあ。救世主願望も攻撃的な人を「私が必要なのね、わかってあげないと、彼は一人ぼっちだ」とすべて受容する心って、他者にとっては大きなお世話であり、男性にとっては「いい鴨」な存在なのだとつくづく思う。そういう人を助けようを、まず自分から始めてみよう。人を助けようは、その人に恩を売り、私が困った時は助けてよという重荷を与え、もし自分がその時不幸な感情を持っていたら、相手の幸せを「裏切り行為」だと思うし、失敗を実は結構喜んでいるから。自分でも怖いと思う。こんなんじゃ、友人できないよなあ。まず、自分から幸せになっていいですか?人助けの前に。罪悪感さん。
<1695> ぺあ ■2007年06月29日 金曜日 11時04分59秒
前に仕事先の上司が私を「笑いもの」にしていた。その時私は「おとなしい」「くそまじめ」「話していてもつまらない人」「世間足らず」な人間「認められたことなんて一度もない」人間から脱却したくて、その人に合わせるようにした。おとなしいって言われるたびに自分は「汚い」んだって思って泣いた。その人に合わせるように生きると他の自分、まじめにものを考えていてもその人の世界観から外れている(=まあその人の前で演技しているわけだからそもそも外れているのかな)から私は「汚い、ずるい」存在だと思い、そういう部分をそぎ落とそうとした。私には周囲を凌駕してしまうといううぬぼれ的慄きと他者の世界観から外れた自己像を持つことへの罪悪感がある。それはいじめられていてそれでも「学校楽しい!」と親を安心させていた過去につながるのだろうな。いつも泣く場所は誰もいない学校のトイレの中。留守を見計らって溜めていた涙を親や兄弟の帰って来る時間を頭の中で計算しながら吐き出すこと。いつもトイレの流す部分の金属のとこで顔を「元通りの泣いていない顔」に戻ったかを確かめて、親が「まだ出てこない、変」って思わないか焦りながら、顔を水で洗って早く「戻れ」と思った小学生の日々だ。
<1694> ぺあ(FB注意) ■2007年06月28日 木曜日 23時47分25秒
人のあばら骨をのこぎりでぎこぎこ削りたくなる。自分に不快な思いを自分でさせる。怒っている。本当は私は怒っている。私は変わらない。現実はこんなにも変化したのに私は何も変わっていない。
<1693> トラミ ■2007年06月28日 木曜日 18時24分47秒
昨日気付いたけど、私は学校でもどこに行っても、家族との関係を繰り返しているんだ。
だから、いつも一人でいたがるし、人と交わろうとしない。
このことを明日のカウンセリングで話してみようかな。
最近は、カウンセリングで何を話したらいいのかよく分からない。
カウンセラーの先生に、違う方向に話を持っていかれると感じることもある。
<1692> ぺあ ■2007年06月27日 水曜日 22時26分34秒
人を恨んでいた。恨んだ。いじめた子を高校生の時に小学校時代の過去が忘れられずに(未だに少しおさまった程度)包丁で刺してやろうと思った事もあった。恨みながら、その時あった幸せや人の好意には「どうして一番助けて欲しいときに助けてくれなかったの?」とすべて振り払った。「今更遅い」とね。ずっと「弱い」私はそういう時にしか「強く」なれないのです。いつもは自分を下に思っているから、大丈夫になると「上」のようになって意地を張り続けるのです。人の好意に甘えて。自分を「かっこいい」と思ったりして。そしてずっとため続けてきた恨みのエネルギーをそういう意地を張るエネルギーに転化させるんです。不思議だね。ずっと二重の世界に生きてきた私が、あんなことがあってから「武器」を持たないで世界と「なま」で接している。もう自傷をして自分を外の世界から守っていない時がほとんどなのです。OOOさん、不思議だよ。人生って不思議だね。私は楽になったよ、でも悲しい。不思議だね。時々なんとも言えなくなります。あなたの言いそうなことを想像して実行するだけしかできません。
<1691> ぺあ(FB注意) ■2007年06月27日 水曜日 14時17分52秒
人を救いたくてどうしようもなくなる時と社会正義に目覚める時が元気な私。どんな人にもそうとうつってあると思う。でも救世主になるのはしばらくやめようね。それから友達の私の為を思って言ってくれる助言を聞くのもやめようね、それが私の心を嫌な感じにしたり、自分の心の力を萎えさせるものであったり、押し付けだと感じたり、私の心にずかずか入っていると感じたら。男の人にもこの人が絶望感じないように世のためと思って、助言したら私に依存しそうになってきた。好きだと思っているらしい。募金したり。ねえ自分の為に生きていいかな。それで人を助けられるようにならないかな。人の為に奔走しないでしばらくは世の中の悲しいニュースや周囲の不幸そうな人を私の世界から締め出して、自分を大切に生活してもいいですか。
<1690> ぺあ ■2007年06月27日 水曜日 14時00分41秒
家族を他者と比較する。どっちが「不幸」?と品定め。他者と見ながらあなたは家族が揃って「幸せ」じゃないかっと怒る自分がいる。この前まではそういう風に言われていた事に憤っていたのにね。親揃っていない人私より「不幸」そうな人を見ると、私は「幸せ」な方だと元気付けられる。正直な想いだ。外見じゃあ分からない。外見と心のギャップに苦しんできた私にはよく分かるはずなのにね。不幸な人。失った家族より若い人が亡くなるとどこかで喜んでいる。うちの方が「まだ幸せだ」ってね。私をいじめた人の家族の話。可哀想。同情した。でもあのいじめた子にざまあみろって思ったよ。そしてうちの家族の事に対しても思った。あなたは私に「ずるい、恵まれている、お前ばっかり幸せでずるい、いいな、お前には私の気持ち分かる分けない」と言いました。でもこれで分かった?私の家族だってどれだけ大変だったか、分かったか、ばかやろうって思うの。これで証明できたって、うちの家族が亡くなったというのにそんな事しか考えられない自分は醜いと思う。
<1689> アーネスト ■2007年06月25日 月曜日 02時21分36秒
他人と自分を比較することから来る優越感、劣等感。
他人ではなく自分の棚卸しをしないと。
<1688> なずな ■2007年06月24日 日曜日 01時16分16秒
 いつも失敗をおそれてビクビクしている。時にはその態度が相手の怒りを逆なでする。

 出来るっていう雰囲気を作って、そういう気分で取り組めば出来ると思うよ。

 あまり周りの目を気にしすぎない。
<1687> ろびん ■2007年06月23日 土曜日 11時27分20秒
楽しむことができたらどんなにいいだろう。
自分に自信を持って、自分を好きになり、
どんな自分も受け入れて、“楽”になりたい。
あれこれ気にするあまり、何もできなくなる。
頭ではわかっているのに
心のブレーキは無意識に働き、私を苦しめる。
<1686> ペア ■2007年06月21日 木曜日 15時58分53秒
人が怖い。人の助言が支配に聞こえる。わたしはこんだけあんたを心配しているんだ、あんたのためにやっているんだだから、お前は私の思うとおりの現実の中にいろって言われているみたい。人が怖い。人はみなどこか不満があって、崩れそうなアイデンティティなきがする。私の助けを待っているんじゃないか、その人死んでしまうんじゃないか、間違った人生コースの一歩を踏み出しているんじゃないかって思う。人はずるい。皆自分の思うことをやる、周囲に気兼ねせず。男の人で3人きもい存在がいる。私のHPにきたりする。きもちわるい。何か助けにきたいって押し付けられているきがする。すがりつく男はもうたくさん。お願いだから私の人生をじゃましないで、勝手にその人の人生をはじめていただきたい。どうしてかここに何かいても人友人、先生に支配されている感覚が取れない。書いてもかいても。期待に応えてとすがりつく人がまとわりついて私のやりたいことをやろうとすると、その人たちを思うと心がへなへな〜ってしてしまうんだ。
<1685> ペア ■2007年06月20日 水曜日 12時02分52秒
続き 二重の世界にいる。もういいやってほんとに心から思った。でも重大な事件が起きた。そしてやっとなんで私がそうだったのかが分かった。分かった。そして今やっとこさ生きてきた私を思った。分かってほしいそれだけを想い生きてきた。でももうやめた。どんなにいい人でも(周りのいい人との評判だけで私は友人を決めた。)いい人と周りが100l言う人、そういう人がいるとそういう人と合わないと私が社会的の落第者な気がした。逆に100l皆におかしいって言われる人と仲良いと社会的にこの人と同じように私も差別受けるだろうなって不安になった。もう分かってもらうことをやめた。分かってほしいと思われる人に頑張るのも。でもそれでもぶり返して思い出す光景が悲しい。子供時代の不安感と大学時代の頑張りすぎて誰かを貶めたかもしれない私が悲しい。頑張らなくていいよ、もう十分頑張ってきたじゃない。ほうほうのていで来た。ずっと頑張った。もし出来たら話しが分かれる人に名前なしで会ってみよう。でも女の嫉妬とか男の人のすがりつきとか、女の人のすがりつきとか、私の救世主願望、パワーゲームの構造を分かっているのにその人を援護してしまうこと、その人の世界観を肯定してあげるために自分の感情をコントロールしたり自分をそぎ落とすようなこと、罪悪感を持つことが人間関係で出てきそうで、不安もある。
<1684> ペア ■2007年06月20日 水曜日 11時51分23秒
心が時々がくがくします。でも、最近やっとミーティングに行って同じような人に会ってみたいなって思うようになった。やっと分かったんだ。分からない人にはわからないんだってことが。いや、大半は誰も私の思いをわかる人はいない。でも、私はずっと分かってくれると思って、必死で頑張った。いじめた子の友達(私の友達でもある)に言った。親にも言った。そして大学時代には多くの人に言った。恥さらしても勇気のない自分だったからいままでこうだったんだって自分にかつを入れながら。教育活動をした。心に傷があると思われる子供の施設にも行った。私は自分の過去に負った心の傷をただ癒して、前に進みたかった。これが癒えればきっと私にも何かすごいことできると思って。ほんとに笑ってしまう。だって、私皆の前で泣いたりしたんだもの。泣けば心の鬱憤が浄化されて癒えるはず。テレビに出ていた人と同じようなことをしたりした。ほんとはまた「ふり」だった。ほとんど演技。当たり前だけど、みんなひいてた。みんなこの人頭おかしい、不安定な女と思われたみたいだ。子供はもっと露骨。きちがいって目で全員見るのね。すごいね、あの威力。ほんとに自分は周りの期待に応えて「精神障害」の人になりそうだった。そうなったら喜ぶかな。その人の世界観を肯定するために存在する私は、そうなりそうな感じだった。同じことを勇気を出して親にやったら親も「おかしくなった」って。もういいやって思ったのね。もうこんなにどんなに頑張っても私は二重の世界にいる。
<1683> ペア ■2007年06月19日 火曜日 13時18分18秒
 それからもう男の人(大体年上で生きづらそうにしているおとこ)にOOちゃ〜ん(わたし)助けて、あなたがいないと心細いよ〜なんてすがってくる男と距離が置けますように。彼氏でもないのに、ほんとに私はそういう男がすごいよってくるの。ほんとにきもい。お前の人生なんてしらねえよ。別にあんたが生きてても死んでいてもどっちでもいい。私の大切な人ときちんと生きていけたらいい。そういう変な人が寄ってきませんように。よってきても、どうかその人がその人の人生(つらくても、多分よっているだけの年よりもいるが)へ戻れますように。私は関わりませんように。
<1682> ペア ■2007年06月19日 火曜日 13時14分31秒
怒っていいよって言ってください。精神障害者っていう目で人が見て、そのことで人の持つ力なえさせて、自分で自分の人生を生きる力を奪う世間は恐ろしいと思う。私は人の話を聞いてあげられる人になりたい。そのまま素直に聞いてあげられる人に。まじめでいいよっていってください。おとなしいってずっと言われ続けた私に、おとなしくていいよって思わせてください。いつも母親に「OOちゃん(近所の子)みたいな明るい子のほうがいい」って言われて、「あんたは気が弱い、弱虫」って笑われていたから。気が強くなること、兄弟のようになること、強気で生きることを目標に大学時代を生きてきた。そして、多くの人に傷つけられた。もういいって言って。おとなしくて、気が弱くて、それでも私なりの人生を生きてもいいって言って。私以外の人間にならなくてもそれでもいいって思わせて。高校時代から、小学校時代からずっと泣いてきた。ずっとずっと書いて書いて、泣いてきた。もう泣かないで、これでいいって思える人生歩みたい。
<1681> ペア ■2007年06月19日 火曜日 13時08分36秒
 カウンセラーにかかった。彼女の期待を読んだ。何度もカウンセリング続けた。そして終わりの頃に、人を殺したいって思う気持ちがあるって言ったら、彼女は心底がっかりした顔になった。私は冷静で大丈夫なふり、カウンセリング成功例のふりをまた上滑りでやるのだ。でもね、ものすごく重大な事件が起きて、やっと私のこの実感と現実のずれの意味が分かったの。私の実感って間違ってなかったんだって心から思った。そして、必死で家族経営してきた私の気持ちが分かったの。ある意味親のうそ(でもかっこ悪くて子供には見せられない、とかそういう親の見栄から始まっただけのうそで、結構小さいことで拍子抜けしたけど)を見抜いていたんだ。そして、すべての人は不幸な人でその人の言葉に忠実に、生きてあげないと。その人の世界観を肯定してあげないとって子供時代から周囲に必死だったのは、親が弱かったからなのね。ねえ、大事な人なのに、殺してやりたいって思ったことがたくさんあった。包丁で刺している図とか思い浮かべた。怒り。なのに、同じような怒りをもつ人や救って〜ってすがる人にわかって飲み込まれてしまう。自分と他者の境界が分からない。私から離れた人は皆不幸になる気がする。

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This script written by Shintaro Wakayama.