大学時代、友人を階段を下りている友人を突き落としたいって思ったことがありました。それから、彼氏(未満だけど)をやっぱり階段を下りているときに突き落としたいって心から思って、そんな自分を怖いと思いました。屋上から突き落としたらって考えたこともあった。その彼は私を守ろうとして、手を貸してくれたときに、彼が滑ったのね。それを私は嗤った。そのときに、ああ、そういえば私っていっつもこうやって真剣ででも無様にこけたときに、母にも兄弟にも同級生にも嗤われていたなってもう一人の冷静な自分が思った。そして、おんなじこと、傷をえぐられたようなことをおんなじことを大切にしたい、人にやっているんだなって思った。 生きている感覚がしなくて、ずっとふりで生きてきた私には、実際の感情のないまま、学年をやり過ごすように生きてきた。周囲には誰もいないの。一人は寂しい人と思われるから、そう思われない程度に人といる。先生に問題児扱いされないために、先生の安心する程度の友人を置く。でも私には誰もいなかった。人は暴力スイッチを持っていて、私のおどおどした態度や自分を大切にできないところはすぐに子供には見破られて、そのスイッチを押してしまうから。だから、もう誰も信じなかった。誰かを信じて悲しい思いするくらいなら、自傷行為で現実をとばして、それで周囲も親も喜ぶだろうから、それで、でも現実の「子供」のふり「中学生」のふりだけはかかさずしてきた。大切にしたいと思える人ができてもその人がうらやましくて、その人の弱みにつけこみたくて。犯罪者には悲しい過去を持つ人が多いと思うよ。ほんとに。犯罪者自体なんだろうって思う。人をいじめざるを得ない子供。私は我慢した。でも今度は私が人を痛みつけたくなった。自分で自分を殺すか、人を殺すかしか選べなくなるの。それくらい追い詰められるの。人は、病気で早死にする子に比べて恵まれているって騒ぐけど。
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