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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.79
メッセージ数:1577件

<1577> はな ■2007年01月04日 木曜日 16時20分46秒
出来事に意味を持たせているのは私。
勘ぐるのはもうやめたい。
その人がどう思っているのかなんて、私が完全に理解することは無理な話だから。
でも、自然にネガティブな気持ちで一杯になってしまう。
習慣とは恐ろしい…。
<1576> みゅー ■2007年01月04日 木曜日 02時07分49秒
今日あるTVを観た。「世界の〜不思議」というもの。滅びてしまった帝国。地上に刻まれた数々の絵。私の好きな「ガチャピン」もどきもいた。考古学とかやってる人間は「謎解き」に一生懸命になる。
歴史上の人物や、過去の偉大な音楽家達とか。そういう仕事をやってる人達だから「謎解き」に専念したり夢中になるのは、分かる気もする。でも、ああいった「物が無い時代に創り出されたもの」の「謎」って「謎」のままじゃだめなの?
物とか情報とか、今の「ついていけないぐらいの文明」の中で生きてる私達より、何も無い時代に生きてた人間の「想像力」の大きさって、なんだか今の私よりも想像できないくらい、すごいもんだと思う。

だけど今、あたしは別の意味で「この家族」の「謎解き」や「どうして私が、こんな歪んだ性格で生き方をしてるのか」。そういう「謎解き」に徹してしまってるんだ。すごい矛盾。けど「兄」のことや、あたしがバイトのエントリーをしてからの「母親」の毎日の「不定愁訴」・・・。
ある程度の、めどがついたら後は「兄」のことは専門医師と絶対に!「両親」の2人に任せるしかない。
ただ問題は「母親」だ。「母親」は、たぶん私の主治医が言ってた「あなたの様に何かしら幼児期や子供の頃にあった人っていうのは、いつか必ず体やこころに出ますよ。たとえ60歳を過ぎても、おばあさんになっても」。「母親」の「不定愁訴」は、これから短時間でも私が「母親」の元を離れる「不安」の表れだと感じる。あたしは、これ以上の「家族の「謎解き」」は出来ません。「ある程度」以上は。
「もう歳だから」なんでしょ?まるくなって下さい。「診療内科」とか行って下さい。もう「あなたとあなたのお母さんの立場が逆転してるね」状態は、イヤなの。
<1575> トラミ ■2007年01月02日 火曜日 06時48分01秒
実家に帰って気づいたこと。
うちの家族はみんな、大きい声で話す。
・・というか、怒鳴っているみたい。
喧嘩寸前というか、正直、「この空間にいたくない!」って感じ。
話し方も、ほかの家族への注意、というかけなしているし、「○○しろ!」という命令だったり・・。
私はまたロストワンになって、何もしゃべらない、存在しない(自分が泊まっている部屋にひきこもる)ようになってます。
普段付き合っている人たち(友達、彼氏)とあまりにも違うので、辟易・・。
彼らにとって、子供というのは、家畜?みたいなものらしい・・。

最近大学の教授が、寝ている生徒がたくさんいることに対して、
「私は君たちを怒鳴ったりはしたくないんです。
 それは、君たちを、動物として扱うことだからね」
という様なことを仰っていて、その言葉を聞いたとき、私は涙がでそうになりました。

怒鳴られたり、暴力を振るわれるのは、人間として扱われていないということなんですね。
改めて他の人に言われると、目から鱗でした。
私の親と、私が好きな人たちの違いはそこにあるんだろうな。
私は、他人を利用しようとする人や、近づいたら大事にしてくれなそうな人には、本能的に近づけません。
<1574> seacat ■2007年01月02日 火曜日 02時43分37秒
怒りが湧かない
スポンジのように心に消えていく。
どうして・・
怒りは、悲しみとすりかわる。
心が、空っぽな気がする
生きてる分、生きてる振り?
よくわからない
普通の人を演じながら、本当の私は、どこにいるんだろう
探しても、探しても、考えてもわからない。
悲しくて、むなしくて、又時間だけが過ぎていく。
こんなの嫌だよ
ずっと ずっと こんなの続くの嫌なんだって
声に出したら、涙が止まらなくなった
<1573> kikko ■2006年12月29日 金曜日 22時34分07秒
年末なんて、嫌いだ。
<1572> ayako ■2006年12月25日 月曜日 21時59分55秒
カンニングの中島が亡くなった。最初竹山のキレ振りにビックリしたりしたが、そんな竹山をなだめる中島が居てバランスが取れてたコンビだったのだ。私はすっかりカンニングが好きになりいつか舞台を見に行きたいと思ってた。中島が復帰するの楽しみにして居たのに…お葬式行きたかったけど場所が解らないから行けなかった… 竹山の弔辞がテレビで流れて泣きそうになった。竹山の精一杯の中島への言葉だった、その気持が伝わり悲しさが増した。竹山は中島を芸人として送り出した、それは竹山の出来る最後の精一杯の事だったのだろうと思う。もし、私が死んだら竹山みたいに送り出してくれる人が居るのだろうか?今の所は居ないけど将来そんな人と親友になりたい。中島は苦しかったけど、最後幸せに天国に旅出ったと思う。お疲れ様中島。ゆっくり休んで下さい…向こうで竹山と漫才してください、私もいつか見に行きたいです。私もずっと竹山応援しますよ(;_;)
<1571> アーネスト ■2006年12月23日 土曜日 23時19分27秒
結局、まわりの出来事に反応してるだけなんだ
僕の生き方は 周りで起こることは変えられない 変えられるのはその受け取り方だけだ 僕が機能不全の家に生まれたのも変えられないことだった 僕には帰られない 僕には責任がない
<1570> アーネスト ■2006年12月23日 土曜日 23時17分26秒
僕ね、人が自分のことをどれだけ心配するかってことが理解できない
親にも心配されなかった それを受け取れない ずっと手のかからない心配させない子でいようって思ってたから でも現実社会、人に迷惑をかけることもある 何かのことで心配をさせることもある

小さいころ、事故にあったとき、恥ずかしいって思った また親に迷惑をかける って 子どもの面倒をみる立場になって、やっぱり子どもっていろんなケアが必要なものなんだねって思う 事故にあって怖かったでしょ、大変だったでしょ言って貰いたかった いやそんなケアを施されることも自覚しなかった そのころから自己評価が低かった 悲しいな やるせないよ 

<1569> ayako ■2006年12月21日 木曜日 12時11分26秒
カウンセリングで解った事。それは私が寝たら好きになるという事。もう駄目よとカウンセラーに言われた。私はちゃんとお付き合いしない相手と寝たら痛い目を見るという事。考えれば不倫相手ともそうだったな・・ああ私ってばオバカ。まあ勉強になったからいいか。もう会わない方がいいと言われた。
私もそう思う。SEXが中の下だったと話してスッキリした。イマイチだったし。今回もだめんずでした。SEXしたかったから、Kさんに相手にされなかったから自分に自信無くしてた。少し自信取り戻した。痛い方法だけど。
乗り損だったなあ・・満足すると思ったのに。Kさんは私の何が気に入らないわけ?ムカつくなとカウンセラーに言うと「好みが違うのよ」と言われた。
まあね・・私は体メインの関係は嫌だもんね。心が晴れた。明日から良く眠れそう
<1568> もえぎ ■2006年12月20日 水曜日 23時43分45秒
寂しいな。
メールの返事も、書き込みの返事も無い。
みんなそれぞれの生活が忙しいのだろうけど
そうやって悪いほうに考えるのを堰き止めようと試みてるけど
辛いよ。皆に嫌がられてる気分になってきた。
わたしの傲慢さ、子供っぽさを嫌う人はいるだろう。
だけどね、仕方ないの。
わたしは子供であることを許されずに年だけは大人になってしまったのだから
もう大人のふりはできないの。
たまには思ったまま、感じるままにふるまっても罰は当たらないでしょう。
だってこれまでどれほどいろんなひとに我慢してきたかしれないんだもの。
だけど後悔してる自分もいる。
開き直ることも出来ない揺れ動く私。
そんなあやふやな自分を認め愛してあげたい。
<1567> アル ■2006年12月20日 水曜日 17時42分29秒
私は人に対して感謝の気持ちがない。
子供の頃から親には「世捨て人」と言われていた。
恨みと怒りしか感じられない。
いつも自分で出来ることを懇切丁寧に教えられ、出来ないこと、本当に困っていたことは求めても助けてもらえたためしがなかった。
だったら、私は一人でやるよと誰にも相談もせず、自分の考えと判断で生きてきた。
人は自分をおびやかすとしか考えられない。この考えに囚われている。
<1566> 真名 ■2006年12月19日 火曜日 14時35分05秒
私はHくんをフったことで自分を責めているのだろう…
Hくんが傷ついたと思うから…

でも、私は彼の感情に対しての責任はない。
私の感情は私のもので、彼の感情は彼のものだ。
私と彼の区別。
バウンダリー(境界線)をはっきりさせよう。
自分の‘‘うつ(状態)’’を治そう。
<1565> まる ■2006年12月18日 月曜日 23時34分32秒
どこに書いていいかわからない。
子育てがこわいと強く思う。
例えば今ならどんな国のどんな習慣にでも馴染むんだろう。
私とは何か違う素直なACが家族という小さい単位の悪癖や慣しを洗い流すために奮闘しなければならないように、染み付くんだろう。
一つひとつの言動が、小さく未熟で真っ更な脳を方向付けているのが、こわい。

できるだけしかできないけれどそれでも、何を引いて、何を足していくのか悩み続けるんだと思う。

それに、私の中の小さいひとは小さいままでいいのかもしれない。
この二ヶ月間という短期間にも、私の子に対する接し方心持の是非を、笑顔や膨れっ面で教えてくれている。
<1564> 真名 ■2006年12月17日 日曜日 14時27分56秒
元彼に対する気持ちは、親密で、崇高な気持ちだと思う。
この先もずっと友達でいたいと思う。
恋愛や結婚に発展させたいという気持ちはないけど、彼のことを大切に思う。
こんな気持ちは初めてだ。
<1563> 真名 ■2006年12月17日 日曜日 13時49分52秒
私に新しい彼氏ができたこと、元彼に言えない。
二人とも同じデイケアの人だし、気まずくなったら嫌だ。
(デイケア内でつきあうことは禁止されている)。
今の彼氏には、元彼は前のデイケアの人だと言ってあるし、元彼には言いづらくて言ってない。
元彼とは、つきあっていた時も別れてからも、二人がつきあっていたことは秘密と約束していたからそれでいい。
(お互いの親友は知っているけれど)。
元彼との約束は守りたいし、今の彼氏に元彼が誰かを言っても、彼にメリットはないだろう。
私は今つらいのは我慢するしかない。
自分の言動には責任を持ちたい。
<1562> マフマルバフ改めモハメッド ■2006年12月15日 金曜日 23時32分21秒
心のもち方・感情 

ここに書き込むのは随分久しぶりだ。

社会との接点がPCだけではよくない。できるだけ接点は多いほうがいい。

すべて納得できます。


まあ 私ごとなのだが定年退職した人を少なからず観察してきた。

辞めた途端に昼真っからアルコールで顔を真っ赤にしている人が数名いた。外に出れなくなっていた。

楽しみや悲しみを柔軟的に感じられない人たちばかりであった。
特に事務職系の人の一部にひどい強迫性と共依存(人の事に干渉してくる)を身につけてしまっている。私は男おばちゃんと認識しているのだが・・・意外と多い。

生まれつきの強迫性の持ち主は当然いるわけだが、学校・職場とストレートに敷かれたレールの上を走ってきて、さらに強迫性を増しているのかも知れない。
特に対人関係において強迫性がひどくなると・・・傍で観察する限り、思い病気に見える。ひたすら本人の自覚次第だ。注意しても分からないからである。

人生のほとんどを箱の中ですごしてきたわけだから、当然の結果でもある。ただこれだけならいいのだが、自分のそうした人生の問題を相対的に観察できないケースが家族内でヒビが生まれ不幸の種になっていくようだ。

これは二〜三例だけなのだが定年までに既に家を二〜三軒購入している人も居る。
バブル景気の前に家を購入して 高値で売り飛ばして身内の土地を相続したり購入していた。

これは恵まれているように俺には思えたことだが、その後を知るにつけわかったことなのだが 数度の転居が人生の流転になっているように思われる。

近くに自分の人生の一部を共有した者が一人としていないことが 地域になじめなくしているケースだった。
・・・つまり 友人の一部はすでに死んだり疎遠になっていた。
子どもや孫に囲まれても一種の疎外感がつきまとうようだ。
これまで一生懸命に生きてきて孤独感や寂しさを克服できていないか、そういうこととまともに向き合ってこなかった結果によるのかも知れない。

これはひとえに近代の必然としての病のように私には思える。

結果的にウツになっていくのだが・・・・・・。

逆に常に自分を相対化して見ることの出来る人は全体的なバランスが非常によい。 いくつになろうが人間的魅力がつきまとっている。
会社を辞めさしてもらえない。会社が在籍を求めてくるようだ。極めて稀なケースであった。こういう人は人間的に誰もが一目を置くから強迫性などとは縁がない。他人を言動で納得させることのできる力量があるからだ。 しかし、というかこういう人でもやはり70歳で定年して人間関係が希薄になるとウツ的傾向はでてくるようだ。その後は残念だが分からない。 わずかな時間ではあったけれど、そういう人を間近かに見ることができて私は大切なことを学ばせてもらったように思う。
<1561> みゅー ■2006年12月13日 水曜日 14時17分38秒
もしかしたら私は、普通に生きて、普通の人なりの「苦労や苦しみ」に加えて「しないに越した事ない経験や苦労や、(今の私には必要だけど)くすりを飲んだり「いわゆる普通の人達」よりしてるかもしれない。今の高校生の方が、よっぽど「家族や友達同士だけの旅行」を私より経験してるかも知れない。
だけど今、「ひとりでも私には、こころから楽しむ事ができるものがある」「まだ2年半ぐらい?だけど、私は今まで、できなかった「青春」(くさいけど・・・)ってものを取り戻してるんだ」。その「機会」や「きっかけ」を教えてくれたのは主治医の先生だ。でも「何をするか」「何処へ行くか」を決めてきたのは私自身だ。
それに「産婦人科」行って毎日欠かさず「基礎体温」計っているのも、私自身が決めてやってることだ。「どうして毎朝続けているのか?」「やっぱり、それは私に「生きる」「生きたい!」って気持ちを表してるんじゃないのか?」そういう答えが「私自身」に返ってくる。

この「家」には私の「手洗い強迫」を理解できない人間が2人いる。それは私が「行動療法」を「できることから少しずつ、じゅんぐり、じゅんぐり・・・」をストップさせてしまう「大きな材料」だ。できれば「この家」を出たい。けど現実問題として、私には「経済力」「これから新たな、お金を生産するだけの体力が無い」。これを考えると「がっくり・・・」くる。

だけど私には、もう1人(2人かな)味方が増えたんだ。「産婦人科」の先生と助産婦さん。人間じゃなくても私には、大好きな、おともだち動物が近所にいる。好きな音楽だって、雑誌だって、「外でのおひとりさまランチ」だって、今まで「ペンと紙」を味方にして自分の中で「もぐもぐ、ガリガリ」噛み
砕いて消化してきたじゃないか。

だから、ここでの「自分自身を不自由にして、身動きが取れなくなるような、自分自身を縛るような、「自由」とは無縁になるような書き込みは全て撤回するんだ。」そう決めたんだ。そういった「お天気屋さん的な事を書きたくなったら、紙とペンをまた味方にするんだ。」
今の自分から「1、2歩下がって」自分自身を見つめて思いました。
書き込みは、しばらく、お休みしてみます。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.