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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.66
メッセージ数:1320件

<1320> 瀬名 ■2006年04月07日 金曜日 13時56分35秒
棚上げしていく。思ったことが全部出来ていたらとっくにやっている・・。
一個出来るのをやる。そしたら、あとは全部シカト。

不安だ・・・。
<1319> pio ■2006年04月05日 水曜日 18時17分30秒
あんたらと違ってな、おなじことやっても、その先に、寝てるときの状態、とう、2つもあるから、しかも、おちょくってて、絶対に、領域が違うのに散々だまされてたこと。だから、やめる。あとは、fの道具としてこの世での役割果たすのに使われる。ま、ここまでやられたのは「こいつ人間じゃねえからかんけえねえよ」って事。最悪それなら、人間という領域にいない人間としか話せない。お前らの道具。ココロ?消した。
<1318> yu-ko ■2006年04月04日 火曜日 22時46分26秒
我慢出来なくなって、泣きじゃくり吐き出した。
あたしが本音を吐けける唯一の人は「泣くな」と宥めてくれた。
でも止め処なく涙は溢れてくる。
如何にも成らない想いが、更に如何にも成らなくて、只々涙が止まらない。
あたしが泣かないで過ごせる日はやっぱり来ない。

あたしの言葉はとても無力で、キミに届かない。
<1317> 泣っく泣っく ■2006年04月04日 火曜日 07時19分08秒
今週私は夜勤なので、金曜の昼過ぎに次回カウンセリングの予約が入っている。前回の診察は「私は祖母に虐待された?」の疑いが強くなって(ストレスから私は瞼が痙攣するチック症が出るようになった)から2回目で、「虐待が事実なら祖母への怒りがかなり出るんじゃないか?」と私は期待と不安の混じった受診だったのだが、予想に反し「私の祖母への怒り」は(「親への怒り」と比べたら)全く出なかった。当然それに対して祖母に懐くことのなかった私の中で疑問が湧く「それっておかしいだろ? どう考えたっておかしいだろ? じゃ何でチック症出んのよ? こりゃよっぽど怒りが強いと診たね。あまりにも強烈だから厳重に鍵掛けて無意識に閉まってあるんだ。じゃなくちゃ少しは出るはずだ」 そしてインナーチャイルドの答えも「やだ、ほっといて。僕(の傷)に触らないで」だった。

辛いよな。辛過ぎるよ。
だからこそ痛みをわかってあげなくちゃ、怒りを出せるようになるまで待ってあげなくちゃ。

まず私がなぜ祖母に懐かなかったのかだが、私が小さい頃は盆や正月の度、祖母は従兄弟のT伯母と一緒になって私の母親をいじめ、祖母に逆らえぬ「怒りを出すことは罪悪感と無意識に刷り込まれている」親父は見て見ぬふり、味方もなく前近代的農家の奴隷として口答えも許されなかった母は独り台所の隅で泣いていた。そのことは今でも私は鮮明に覚えている。小さい私は漠然と「この人たち(祖母・T伯母)敵。お母さん泣いてるのに何でお父さん助けてあげないの? 何で? ねぇ何でなの?」 そう思いつつも既に感情鈍磨だった私は母親に近寄って声を掛けることもしなかった・できなかった。これが1回だけならまだしも私が小学1,2年ぐらいまで毎盆毎正月、T伯母が来れば必ずだ。だから私は家族が集まる盆・正月が大嫌いなのだ。カウンセラーに掛かるまではおぼろげだったその痛みも今ははっきりと感じることができる。それに母親の話だと(うちは専業農家なのだが)祖母は母親が子守りしているのも気に入らず「そんな事してねえで畑仕事しろ」と怒鳴り散らすほど歪な人だったとの事。私は十分納得するよあの婆さんだもん。それ以外にも色々あったのだろうが今の私には思い出せない。それはないから思い出せないのか、思い出したくないから出せないのかはこれからはっきりするだろう、し、はっきりさせなくてはいけないインナーチャイルドのためにも未来の自分のためにも。
因みに祖父は私が生まれた頃にはもう寝たきりだったらしくて、私の記憶にあるのは幼稚園前?の葬式だけで、私は祖父の顔も全く覚えていない。だから小さい私が祖父に虐待された可能性は0に近い。
問題は機能不全家族の大元だった祖母だ。祖父は体が弱く早死にしたため、農家の7人兄弟の長男である親父は家計を支えるのと同時に「父親に認められたかったのに認められなかった寂しさを埋めるため」至極当然ワーカホリックとなり、母親も「前近代的農家の嫁」の型に嵌められ、そうしたことが余計に祖母を歪にさせたのは容易に想像がつく。こうして我が家はなるべくしてなった機能不全家族で、これが祖母が早死にしてればかなり変わっていただろうし、ここまで酷くはならなかっただろう、今更だが。
そして最近では「私が祖母に虐待されていたなら、同様に祖母に懐かなかった弟も虐待されていてもおかしくはない」と思うようになった。現在弟は高校卒業時のバイク事故による進路変更及び挫折が主因で引きこもって10年以上になるが、その前に副因の一つとして祖母からの虐待があったんじゃないか?と思う。
「主因の前に副因」 それが積み重なって悲劇となる、し、より深く掘り下げねば根っこは見えてこない。
どのみち辛い作業やね・・・・・
<1316> なきむしっこ(FB注意) ■2006年04月01日 土曜日 22時57分18秒
ここで感情を悔しかった子どもの頃の思いを認めてもらった。じゃあどうして現実世界にはこういう居場所が私にはなかったのでしょう?そして一番求めていた頃の子どもの頃あの頃あの時にはどうしてなかったのでしょうか?
勿論ないものねだりでははじまらない、しょうがない事なのだ。でも少し残念だと思っている。
 人に目には目をで同じ思いをさせてやろうかしら。もし強者になったらって思う。多分しないだろうけどもこの自分の中の満たされなかった思いをそうしていけばいいんだろうか?何だか誰をも恨めずに悲しいです。私はいじめたあの子たちは勿論恨んでもいいんだけどね。家族がうつだったとかいいわけならうちの同じように父親がうつでした、あの頃。恨もうよ。正当な人にはいじめたあいつら私の父親母親姉。
<1315> sky ■2006年03月30日 木曜日 17時52分23秒
私には「感情」がない。「表情」もない。
私が「感情」や「表情」を出すことによって親が喧嘩するのが嫌だから。
もう血をみたくない。母の涙も見たく無い。父の暴力も見たく無い。
この歳になっても私の心はあの頃のまま止まってる。
「お願い、いい子にしてるから、お願い、喧嘩しないで」ずっと泣いてる。
そんな親が年老いて未だ酒飲んで包丁持ち出して「殺してやる」と喧嘩して
私に「今まで育ててやったお礼をしろ」と言う。
いつでも自分たちのことばかりなんだね。
私の幸せなんてどうでもいいんだね。
私は一体、誰なんだろう? どういう人間なのか自分で自分がわからない。
気が狂いそうです。

<1314> りん ■2006年03月30日 木曜日 08時40分09秒
自分の心に語りかけたかった。心の中の「私」と会話がしたかった。
むずかしいことを話しても声が聞こえないから、
これ食べようか?今日なにして遊ぼうか。おーい♪と簡単なことを語りかける。
知らない人が見ると、ただの独り言。
今まで「私」を大切にしてなかったわたしには心の声が聞こえない。
独り言は、わたしの大切な儀式。
安心できる時、ひとりでいる時に話しかける。
そのうち「私」の声が聞こえたりする。
体がいたい、いたいと言うから湿布をしてあげる。
そしたら、体がとても楽になる。そんな発見をした。
<1313> アル ■2006年03月29日 水曜日 21時50分08秒
人のことなんかどうでもいい、自分のこともどうでもいい、そう思ってしまう。人との付き合いが大事に思えない以上、私に明日はないだろう。
<1312> なきむしっこ(FB注意) ■2006年03月28日 火曜日 00時15分37秒
 人との距離感が保てない。
いつも人が不幸に思えたり不器用に思えたりして、私が何でもわかっていて死さえ恐くない賢い私が守ってあげる、全部飲み込んであげるという気持ちになってしまうのだ。
自分を痛めてまで人と付き合う必要はないのに。私は女性に対しては男っぽくふるまって、その子の女性性を出してあげようという気分になる。私はいいからってね。男っぽくなってその子を上にしてあげようって思うの。私にとって女っぽいことは上だから、評価が、だから彼氏がいたりセクシーな格好をすることは上の人のやることなのだ。私がやるとどんな女性にも勝ってしまったようで、どんな男性でも振り向かせられるようで、ずるい、私はずるいって思ってしまうのだ。これこそまさしく白黒思考なんだろう。彼氏ができて毎日かわいいって言われていれば私はこの世のすべての男性からかわいいと思われているような気さえしてくるのだ。だから、彼氏ができると他のもっとかっこういい男性や今まで絶対に手の届かないと思っていた人にも手が届く気がしてしまう。逆に彼氏にふられると、この世のすべての男性からお前はおばさんなんだよ、全く汚い存在で恋の相手にもならないと思われるようなきがするのだ。
いじめや人から嫌われないように必死なのも、嫌いな人でさえ昔はしがみついてたのはこの白黒思考のせいなんだろうな。。。。。
<1311> なきむしっこ ■2006年03月28日 火曜日 00時07分14秒
私の心の動き。
私はなぜあの頃いじめるひとさえ求めていたのかが分かったのだ。ある人がいた。その人の印象はなぜか悪かった。その人は私を気に入ったみたいだった、男の人に慣れないと恋愛できない気がして、ダメな気がして、その人を気にするようになった。
その人は案の定私を知るうちに私の本性が分かったのか私のだめさが見えたのかいやになったのか・・・・他のかわいい女のこに目がいって私のかわいくなさに気がついたのか、私を避けるようになった。私が気にしたからかもしれないけども。そうしたら私はその人の失礼な態度もなぜか許さないといけない気分になった。その人のわがままさを受け入れてあげるというか。そしてその人から見てどう思われるのかをずっと気にするようになった。その人に幻滅させてないか、私の汚い部分を見られていないか?と考え続けておなかが痛くなった。
その人は明らかに性格が悪いのだ。なのに私はその人が哀れに思えて、私が彼をわかってあげないとという思いになるの。おかしいよね、いつもだ。哀れそうな人を見ると心が喜ぶのだ。私の出番だと思うのだ。
彼と一緒にいた教室で私は彼の意識の奴隷になりそうな危機感を感じていた。それって、中学校時代実はずっとそうだったんだよね。ある何人かの男子に対して。その人の期待にすべて応えようとする奴隷になるんだ。
今回よく分かったの、私の心の動きが。私は「この女どうでもいいや」とか@どうでもいい」存在になるのがものすごく恐いんだ。そのいてもいなくても意識に入らないような人になるよりは憎まれるくらいに気にしてほしいんだと思う。私は海外にいながら過去の自分寂しかったんだなってつくづく思った。私は寂しかったんだな。どうでもいい存在になりたくなくて、あるときはいじめっ子にあるときは思春期迎えてちょうど女子を気にするようになった男子に対してずっとしがみつくようなそんな思考をしていたんだなって思った。
私が何でも許してあげるという態度や私なら彼を理解してあげるという思いや自分はどうでもいい存在になるくらいならば憎い、暴力の的でもいいから特別な存在になりたかった事も思った。
大学入ってからずっとDVの被害者になったりいじめの被害者になりそうで恐かった、だからそういう被害者女性の勉強をしたよ。そしてそんな恐怖感じないでそのまま生きて落とし穴(暴力の被害者になる事)にはまってしまう無防備な女性もいるのに私は意識的にそういう風にならないように怯えながらも避けているのがすごくずるくて汚くて自分だけ罠から逃れているような気がしてものすごい罪悪感やいつか暴力の的になるような雰囲気になったときにそういうのに飲まれた方がいいんじゃないか?だって私はただでさえ暴力の被害者にならないようにしていてずるいからって思っていた。
友達は意識して作るものではなく無意識でいれば親友ができるという言葉から派生してこういう思考になったところもある。意識している自分はずるいって思っている、何でも分かっているから。私は他の女性が無防備で何にも知らなくて男の罠にかかったり暴力の罠にかかっているのに、私は絶対に安全な場所にいるようでするいのだ。そう思っている。
<1310> なきむしっこ(FB注意) ■2006年03月26日 日曜日 20時06分27秒
右耳が痛い。
小学5年の頃Nさんに「OOOO(私の名前)〜」とか言われた右の顔にありをつけられた。ありが右耳に入ってしまった。私はその頃すでにその子4月のクラス替えの後からつまり新学期の後から「OOOやOOO(同級生の名前)と同じクラスになれなかったのはお前のせいだ」って言われた後からずっとその子に頭たたかれたり、チビ、バカ、アホって言われ続けていた。私のあの頃は顔にひきつった笑顔がこびりついたような笑いしているの。毎日連絡帳に今日の日付と持ち物を書いた後の下の欄に今日は何をされたかを自分だけが分かるような印や絵で書いていた。今日は叩かれた。今日はちびばかって言われた。今日はつねられた。ってね。
そしてそんなことが続きながらも笑っていた私には心の力がなくなっていたんだろうな。右耳に蟻を入れられても最初はショックで思考が止まった気がした。あの頃よく私は大人の目線で今現在を見ているという視点を持っていた。そうしていつかこの事も笑い話になるって思ったり、勇気を出したりしていた。
あの時もそうだった。
右耳に蟻が入った後に私は何かの間違いなの?って思ったり、こんな事くらいで大騒ぎするなんてと思ったり、普通の子どもや他の子どもならどんな反応するだろうか?って思ったり、私の右耳に蟻が入ってしまったから耳の鼓膜が破れてしまうのではないかと心がギクギクした。恐かった。
最大のあの頃の最大の勇気を振り絞ってN.Aに「さっき耳に蟻が入ったよね?」って言ったのだ。あの頃私は何があっても人の視点を頼っていてもう自分で現実を見ることさえできなかったのに。人が「ふざけているだけ、こんなことで傷つくなんて世間でやっていけない」と言われればどれだけ心にダメージ受けても私はその言葉を呑んでこんなことは「いじめではない」と思ったし、「普通の人ならば傷つかない、傷つく私は神経質すぎる、おかしい」と思っていた。そんな私が自分で自分の目で見たことを言ったの。でもNさんは「OOOOの耳聞こえなくなるかも〜、鼓膜破れるかもね」ってものすごい笑顔で言ったのだ。顔が今でもあれから15年近くたっても思い出せる。保健室行かなきゃ、自分の身体は大切という思いががらがら崩れた瞬間だった。私のそんな事を喜ぶ人がいるなんて。あれから家に帰って何度も蟻を出そうとしたのよね。毎日右耳を下において寝ていたし。いつか後遺症がくると思ったし。右耳が聞こえなくなるとも思った。こんな事くらいで時が止まるくらい傷つくなんて変なんだろうか?変に思うだろうか?でも実際にあれから私はうつ病に近い症状にも過呼吸にもなった。自分の目で現実を見てもよいと思えずに「自分で自分の心を守れなかった」自分で自分の思う現実を創っていいと思えなかった。親にはいつもひきつった顔で笑い続けた。平均的な10歳像を11歳像を12才像を13歳像を14歳像を続け続けた。親から見てどう思うのか先生から見てどう思うのか「今は少し心配だけども将来は安定した大人になれる」と思わせるにはどうしたらういいのか考えていたと思う。ずっと反抗期でさえ、16歳で自分で意識的に起こした。異常になりたくなかったからいつも私は少し遅れているけど平均でありたかった。
教育実習の時に校長の話に「うんうん」言っていたら(実はこのときも恐くて世界と自分との間にまくをはっていた。だから人の話をきちんと聞けているか不安で恐くて「はい」なんて形式上の丁寧さまとえなかった。しかもはいって言うのがずるい気がしていたし。聞いている事の解釈で自分を評価されるのがいやで、「普通の人ならばこう解釈するから私はこういう性格だと思われるために正常だと思われるためにこう解釈しよう」という頭いっぱいの思考があったから余裕もなかった。そしたら「あなた20歳もう過ぎているんでしょ」と
言われたのよね。「うんじゃなくてはい!でしょうが・・・」ってね。何でもつなげてはいけないけどもね、あの頃必死で子どもなのに大人役やって大人の思惑汲んで、家庭で不満抱えている子どものカウンセラー兼ストレスの的人形でそれでもいつかこれ我慢したら立派な大人になれるって思って我慢して大人やってた私が大人の年齢になれば「あなた20歳過ぎているんでしょ」か。
学校も勝手だなと思った。いつもいつも平均で見て。表面しか見てないじゃないの。ずっと表面をつくろい続けた私。子どもなのに大人だった私。今は大人の年齢なのにいつまでも子どものままだ。解消できない心のある意味病みを抱えている。学校に魂殺されたと思っている。だましだまし生きていくしかないんだけども。子どもをもう一度この年齢でやるしかないの?確かに生きてきた大人だと私は思うけどもそれでも私の思惑を外れて子どもだった私の記憶を携えながら生きるしかないんだろうね。
<1309> なきむしっこ(FB注意) ■2006年03月26日 日曜日 19時37分05秒
人の弱いところ見つけるとまっさかさまから突き落としてやりたくなる。小さな子どもを見るとどこをどうすればこいつをめっためったにしてやるか傷つけてやれるかって思うときがあった。
弱い弱いって自分を卑下し続けた子どもの頃を思い出す。
中学高校浪人時代は生きてないも同然だった。高校時代いつも暗い顔してため息しかつけなかった私を同級生が「?」っていう顔して見ていた。こういう性格なんだろうと思ったんだろう。
私にとって自分の性格は汚い評価の低いものだった。性格。姉のようなわがままな性格になれるように努力した。友達のように個性が強くて他人に影響を与えられるようになれるような性格になるように頑張ろうとした。
今の私はあの頃の今にも狂いそうな私とどう違うのだろうか?それとも私はまだ危うい線にいるのだろうか?大学2年の頃、今までの穴埋めをするかのように毎日泣けるときは感情を吐くようにして泣き続けた。人前でも泣いたよ。心を開けば親友ができるかと思って。
今も相変わらず右耳も痛い。弱い人を突き落としたくなる。前から来る人をめったざしにしてやりたくなる(もちろん正気は保っている)
でも怒りはとまらないの。どんなに優しくされても。むしろ優しくされたほうが怒りは増幅するかもしれない。どうして?どうしてあの頃本当に助けてほしかった絶望時代にきてくれなかったの?いまさらもう遅い、もう私の心も目も影は消えないっておそらく心では絶叫してしまうから。正解の私は、普通だったらどんな人も子ども時代何かあって諦めて生きているんだよって思うんだろけども。
いつになったらもう少し素直になれますか?もう少し誰かにゆだねられますか?正解も今の自分も何もかも他者の視点さえも読み取って私の世界に閉じこもっている場所から少し違う視点を持てるようになりますか?
いつになったらどこまで吐き続けたら怒りは消えてくれるのだろう?
<1308> なきむしっこ(FB注意) ■2006年03月26日 日曜日 19時25分29秒
中学校の頃に、あまりにも世界や学校や人が恐くてでも変な人になりたくなくて学校も休めないし、不登校児になりたくなかったし、粋がってレールから外れたくなくて私は自分で痛みを作り出す事にした。自分の心に自分で傷つけるのだ。痛みを自分で感じるようにするのだ。がんになりたいって子どもの頃私をずっと見ていると思いこんでいた神様(神様が最近になって消えて気がする)に向かって神様私はがんになりたいですって唱えるの。そうするとそんな事絶対になりたくない私は焦るから、傷つくから。そんな私をもう一人の私は笑っていた。せせら笑っていた。自分がある意味二重いたのかもしれない。
右耳が今も今書いている途中も痛いや。
そして今は大切な人が首をつっているシーンを頭に描いたりしてしまう。そうすると心がものすごく悲しくなるのだ。人を愛したいのに今も自信がない。自分は多重人格者ではないけども、私は自分を守りたくて不意にくる痛みがあまりにも恐ろしくて、世界を信じられなくて、こんな心の持ち方を自分で14歳のときに選んでというか編み出してしまったんだ。
今は正解からいっても本心からいっても自分を本当に大切にしたいの。そこからじゃないと自分以外の人と一緒にいられない。いつも道のどこかに喫茶店の中に街の中に公園の中に公衆トイレの中にしか自分の居場所ない気がする。泣けたりする場所がなかったのは今も同じなのかもしれない。
<1307> yu-ko ■2006年03月25日 土曜日 22時42分22秒
ここ数日、とても不安定で近未来を考えると涙が溢れてくる。
あの人の事、この人の事、あれしなきゃ、これしなきゃ・・・。

奇麗事並べてるTさんの話を聞いてて、言い返したい事がたくさんたくさん有ったけど、ずっと笑顔で聞いてた。
「違うよ」「そうじゃないでしょ」
Tさんはあたしを煙たいと思っているのに、嘘だってついてるのに、どうして善い人ぶってるの?変なプライドの所為なの?
あたし達はアナタに善い顔作ってるんだよ。
アナタがそーしてるから。
でも、疲れた。我慢も疲れた。
<1306> ayako ■2006年03月25日 土曜日 13時03分11秒
今の職場に居るおばさんHさんは寡婦だ。旦那が死んで三年になるそうだ。子供が二人で女。Hさんはよく旦那の話をする。さも生きてるかの様に。こどもの話も。
聞きたくないんだけど本人がするから仕方ない。Hさんは旦那が生きてた頃女将さんをしてた。人に物教えるのが上手いし仕事も出来る。ちょっと煩いけど我慢出来てた。けど・・Hさんの正体はACだった。自分が一番仕事が出来るから他人は自分より下だと思ってる。いつも他のおばさんをけなす。旦那が生きてる人を羨んでるから旦那が居る人にキツク当たる。「ご主人が居る人は収入があっていいわね」と言ってくる。Hさんは自分で稼ぐのが嫌。嫌なのは結構。なら結婚すればいい。
結婚相談所に行けばいい。配偶者を無くした人が沢山集まってるからチャンスもある。Hさんはエゴ丸出しで矛盾ばかりが目立つ。自分に自信が無く自分は人より劣ってるから人を貶す。けなして低い自尊心を高く上げようとするのだ。子供の話も聞いてると子どもに品がない事が良くわかる。Hさんの子どもだからそうなる。
最近聞いてて「本当にこの人頭痛い人だわ」とつくづく思う。持ち上げて、適当に話聞いておけば良いけど、話に入って来る。入り方が強引。皆唖然となる位。
あまり話ししたくない。Hさんが旦那の話をしてる時に見せる表情は病的だ。
怖いと思う。死んだのに旦那が乗ってた自転車をまだ捨ててない。もう三年なのに。Hさんは壊れたレコードの針の様に同じ事を毎日繰り返してる。旦那が死んだ事を理解出来てないから。一生理解できないでしょうけど。人に対しての対応も悪いしあの人は晩年は孤独でしょう。死ぬまで今の都営から離れないでしょうし。
本で読んだ依存する女の最後をリアルに見てる状態。昔の私もあんなんだったんだと思うとゾッとする。気の毒な人で可哀想になる。友達だと思ってる人たちは皆嫌がってるから、実は避けられてるとも知らずに居る。
<1305> 青空 ■2006年03月24日 金曜日 19時53分08秒
自分の感情がうまく表せない。悲しいのに涙がでなくて私は冷たい
人間なのかな。と思っていた。でも突然感情があふれてきて涙もあふれて
きて、自分でびっくりしたりする。でも誰かに大丈夫ですかと言われた瞬間
せっかく出てきた私の感情は抑えられ、涙も止まる。まだ泣きたい気持ち
なのにもう感情は出てこない。悲しいときはいつもそうだ。
そういえば、子どものとき、悲しい涙はこらえられるのに、悔しい涙はどう
してもこらえられなかったな。悔し泣きばっかりしてたな。

<1304> ゆり ■2006年03月22日 水曜日 09時53分04秒
1年前 鬱に陥った。いろんな事が絡み合っていた.
商売屋の1人っ子として生まれた私は あなたは跡取だからとそれ以外の選択肢はないかのごとく 洗脳されてきた.母の良い子の箱の中に押し込められ 次第に母の言うとおりにすることで自分を守ってきた.自分の意志を言えば 批判され 勇気を振り絞って おもちゃをねだれば 私には拒否するのに 一緒にいる友達の子供には 買ってやる。私はダメなんだと意識の下で思えるなら まだ良かった。無意識の潜在意識の中まで 入り込んでしまっっていた。でも しつけに厳しい 外見にとらわれている母のもとでは こういう状況では こうしなくてはいけないという 知識はついた。人に優しくしてあげることは こういう状況下では こういう優しい言葉をかけるという知識であって 心から でてくる感情で優しいわけでは なかった。だから 新しい状況では どうしたらいいか わからなく どう言葉を選べばよいのか 知識で探してしまう。ここらから湧き出る 心が思ったことでいいのに 自分の思ったことに自身がなく あの人はこんな時どういうだろうと 知識でさがしてしまう そして 疲れる。
結果 人と付き合うのが 億劫で つかれる。楽しくない。最初はいい。でも 深く付き合えない 表面的な 儀礼的な付き合いしか できない。いつも後ろ頭が重く でも仕事もあり 子供もいて いい年なのに いつまでもこんなこと 言っている自分が 子供だとおもう。母のせいとはおもっていない。育ててくれたことへの感謝もある。だけど 最近表面をとりつくろう自分と 頭の中が だんだんかけはなれてきて 偽善的な自分に向かっていることが 怖い。以前 自己啓発セミナーで 幼い頃へ意識を戻す講義があった。みんなは 父母を思い出し これ以上の嗚咽はないというほど泣いていた。私の中では どこまでの続く 引き潮のように また 何一つ乱れない水面のように 冷ややかな状況だった。そのとき 自分の意志では動かせない自分がいることに気が付いた。引き戻そうとしてももどらない。なんとか 家族の楽しいことを思い出そうとしても 一つも状況がかわらない。セミナーは ひとつ一つ 現在の自分に戻るのだが 私はもどるのに 数時間を要した。そんな自分が子育てをし 同じ思いをさせたくないこと そして いままで生きてきて 何一つ 自分の心の財産がないこと 外見は普通にみえても かくして隠して生きていて 後の何十年を生きていけるのだろうか.頭がわけわからなくなる。母がのぞきにきた 私がパソコンに向き合っていると ケンのある話し方をする。
<1303> 彦丸 ■2006年03月17日 金曜日 14時51分04秒
本当に嫌な人間や、拭い去れない記憶を与えた人間が、かつて居た。
家庭という密室性、幼いから或いは家族だから離れないという誤った意識に胡坐をかき、歪みを押し被せてきた彼等。

その記憶を呼び覚ますような容姿、仕草、物言いや価値観を持った人や、同じような状態にある人と出会うと
未整理の感情によって、必要以上に嫌ってしまうことがある。
自分の中にある記憶への嫌悪感と、
目の前に居る人の、今していることに対する感情を
区別できかねるほどの混乱に陥る。

終わった記憶ではなく、自分がまだ抱えている問題点によって
適合する問題を持った人間と関わってしまうことはあるけれども
それでも、幼い頃のように非力ではないし
少し似たことがあっただけで、違う人だし
何より、自分自身が”その時”と、同じではない

物事を歪めて受け取ってしまうような傷を抱きしめながら
根気よく癒していくんだろうな、これからも。
少なくとも痛みを覚えた時点で、古傷みっけ、って気付く事ができる程度になれば、随分過ごしやすいだろう。
<1302> ちゃな ■2006年03月16日 木曜日 17時16分27秒
働き始めてからもうすぐ2年になる。
何度か仕事中にフラバって仲間に心配かけた。
仲の良い人に、心に傷があること、仕事に集中してれば大丈夫なこと、話した。
「苦労知らずの人だと思ってた。」私がそう思われることを望んだから。
「えらいね。頑張ってるね。」素直にありがとう。
「でも、あなたは幸せだよ。」
ん?それはどういう意味で言っているの?
私は幸せなの?って考えてみた。
手放しで幸せってわけじゃないけど。
寂しさや苦しさや悲しさ、あるけど、
それを自分が感じられて、共有する人がいる。
それって今までに無く幸せなんじゃないの?かな?って思った。
だから「うん。」って答えた。
<1301> アル ■2006年03月14日 火曜日 21時32分16秒
疲れた、もうとにかく疲れた。疲れた…。

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