今週私は夜勤なので、金曜の昼過ぎに次回カウンセリングの予約が入っている。前回の診察は「私は祖母に虐待された?」の疑いが強くなって(ストレスから私は瞼が痙攣するチック症が出るようになった)から2回目で、「虐待が事実なら祖母への怒りがかなり出るんじゃないか?」と私は期待と不安の混じった受診だったのだが、予想に反し「私の祖母への怒り」は(「親への怒り」と比べたら)全く出なかった。当然それに対して祖母に懐くことのなかった私の中で疑問が湧く「それっておかしいだろ? どう考えたっておかしいだろ? じゃ何でチック症出んのよ? こりゃよっぽど怒りが強いと診たね。あまりにも強烈だから厳重に鍵掛けて無意識に閉まってあるんだ。じゃなくちゃ少しは出るはずだ」 そしてインナーチャイルドの答えも「やだ、ほっといて。僕(の傷)に触らないで」だった。
辛いよな。辛過ぎるよ。 だからこそ痛みをわかってあげなくちゃ、怒りを出せるようになるまで待ってあげなくちゃ。
まず私がなぜ祖母に懐かなかったのかだが、私が小さい頃は盆や正月の度、祖母は従兄弟のT伯母と一緒になって私の母親をいじめ、祖母に逆らえぬ「怒りを出すことは罪悪感と無意識に刷り込まれている」親父は見て見ぬふり、味方もなく前近代的農家の奴隷として口答えも許されなかった母は独り台所の隅で泣いていた。そのことは今でも私は鮮明に覚えている。小さい私は漠然と「この人たち(祖母・T伯母)敵。お母さん泣いてるのに何でお父さん助けてあげないの? 何で? ねぇ何でなの?」 そう思いつつも既に感情鈍磨だった私は母親に近寄って声を掛けることもしなかった・できなかった。これが1回だけならまだしも私が小学1,2年ぐらいまで毎盆毎正月、T伯母が来れば必ずだ。だから私は家族が集まる盆・正月が大嫌いなのだ。カウンセラーに掛かるまではおぼろげだったその痛みも今ははっきりと感じることができる。それに母親の話だと(うちは専業農家なのだが)祖母は母親が子守りしているのも気に入らず「そんな事してねえで畑仕事しろ」と怒鳴り散らすほど歪な人だったとの事。私は十分納得するよあの婆さんだもん。それ以外にも色々あったのだろうが今の私には思い出せない。それはないから思い出せないのか、思い出したくないから出せないのかはこれからはっきりするだろう、し、はっきりさせなくてはいけないインナーチャイルドのためにも未来の自分のためにも。 因みに祖父は私が生まれた頃にはもう寝たきりだったらしくて、私の記憶にあるのは幼稚園前?の葬式だけで、私は祖父の顔も全く覚えていない。だから小さい私が祖父に虐待された可能性は0に近い。 問題は機能不全家族の大元だった祖母だ。祖父は体が弱く早死にしたため、農家の7人兄弟の長男である親父は家計を支えるのと同時に「父親に認められたかったのに認められなかった寂しさを埋めるため」至極当然ワーカホリックとなり、母親も「前近代的農家の嫁」の型に嵌められ、そうしたことが余計に祖母を歪にさせたのは容易に想像がつく。こうして我が家はなるべくしてなった機能不全家族で、これが祖母が早死にしてればかなり変わっていただろうし、ここまで酷くはならなかっただろう、今更だが。 そして最近では「私が祖母に虐待されていたなら、同様に祖母に懐かなかった弟も虐待されていてもおかしくはない」と思うようになった。現在弟は高校卒業時のバイク事故による進路変更及び挫折が主因で引きこもって10年以上になるが、その前に副因の一つとして祖母からの虐待があったんじゃないか?と思う。 「主因の前に副因」 それが積み重なって悲劇となる、し、より深く掘り下げねば根っこは見えてこない。 どのみち辛い作業やね・・・・・
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