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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.61
メッセージ数:1220件

<1220> アーネスト ■2005年11月23日 水曜日 20時08分00秒
セミナー、ワークショップ、講演会の類い、前はあまり気乗りしなかったけど、時間とお金の許す限り、出てみたいなと少し思った。やっぱり自分が興味のある内容っていうのは、自然と自分と同じような体験をした人や、考えを持った人に会える確率が高いので。そうするとそこには、音楽でいうところのグルーブのような、1つの波長みたいなものが生まれる気がする。それは絶対自分ではできないことだから。ハイヤーパワーと言ってもいいのかもしれないけど。自分が義務教育期間も含め、学校で習ってきた、どんなことよりも、今の自分には仲間や、ファシリテーターのような人の話しの方が、癒されるから。来年の頭に、あるんだけど、出てみようかな。
<1219> アーネスト ■2005年11月23日 水曜日 19時36分08秒
もう19、20くらいの頃から疲れが溜まっていて抜けない感じがしていた。確かにムリな生活もあったのだが、その生活が始まるもっと前くらいから、母親が死ぬもっと前から疲れやすい体になっていたと思う。今にして思えば、毎日の部活後、帰宅して母親のいる前で夕食を取るのも苦痛だったと思う。母親の望む、「優しくて、物腰が柔らかくて、爽やかでいい子(成人してからはいい人)の体裁を繕っていた。受験の時は、それに必死で(今思うと、不安定な自分があれだけ集中力を維持できたのは驚異とも言える)あまり疲れなど考えなかった。

大学二年の春から秋ぐらいだろうか?寝ても寝ても疲れが取れず、辛かった。
なぜこんなに疲れの話しを書くのかというと、今日とあるミーティングに顔を出したのだが、最近始めたバイトで朝など、やや疲れが溜まっていたはずなのに、帰ってきたら朝よりもスッキリとしているのだ。それで「あぁ、これは体ではなくて心の疲れだったのだ」と直感的に悟った。何時間の睡眠よりも、どんなに高品質なサプリメントよりも、安全な場所での分かち合いがこれほど、しかも無償で、癒しを与えてくれるのか、と嬉しくなった。

もう体力だけで乗り切っていく人生に限界があるのかもしれない。
<1218> スケッチぶっく ■2005年11月22日 火曜日 17時00分43秒
「つかれたなぁ〜・・・しんどいなぁ〜。」・・・と、ほぼ毎日 感じながら、暮らしているので、どうしても、わたし、縮こまってしまいます。
でも、しんどい時は、「それなりに・・・、対応できるように なれたかな?」・・・と、思えるときが、少しずつ 増えてきたみたいです。
 
何しろ、道化や 太鼓もちを、長年 やり続けてきたので、『自動的にスイッチ』が、ONになってしまいます。
<1217> スケッチぶっく ■2005年11月22日 火曜日 06時12分07秒
前向きに、ポジティブに!・・・自分をもっていこうとする傾向が、
無意識のうちに働いている・・・のかもしれませんが、
 当の本人が意識して、故意にやっている訳ではないので、
そのまま放置すればいいのではないかしら・・・。
<1216> ぬりこ ■2005年11月21日 月曜日 23時26分52秒
 いじめられていました。
学校で。

寂しかった。だって、私に待っているのは、家族の表面的な笑いだけ。何の信念もない親のしつけ。くるくる変わるお母さんの意見。
そして、一番傷ついたのは、家族が私を「笑いもの」にしたこと。家族が「OOちゃんは、お姉ちゃんよりも弱い」って見下すように笑っていたこと。
家族団らんしているつもりだったのかもしれない。
でも私は現実に学校で心をめっためったにされていた。
 なのにどうしてどこに行っても誰も私を大切にしてくれないの?????・・・・??
 初めて大学に入って、聴覚障害の人に手を握られた。あったかかった。
それまでは、言葉を話しても、いつも「こういう人なんだ」って評価されているようで、自分の感情を言葉になんてできなかった。いつも攻撃のすきを与えているようで。
でも障害を持つ人と手話で話すときだけ、自分の存在を肯定してくれている感じがした。
ただのあいさつだけでも、通じ合っている感じもしたし、はじめてコミュニケーションを人ととって、受け入れてくれている気がした。

家族のなあなあな境界線のなさ、私の内面を土足で踏みにじること、からかって、遊ばれていたこと。
全部をいつか私は「家族はお金もらっているし、いつか後悔するから大切にするべき」思考ではなく、本心から許せる日がくるのですか?

家族は優しいと思う。でも、本当の優しさって何?
もう家族に求めるのはやめよう。。。。
そして、もう過去のいじめを研究するのも、多重人格について現実からの乖離について研究するのはやめようか?????

 今でも、何かやると、ばかにされそうで怖い。24なのに何も職業も何も選べない。
 なのに、友人のことばかり考えている。友人が失敗すれば安心する。
友人の幸せを私が支配してやりたい。
いつも悩んで苦しかったから、それが普通になってしまった。
幸せ状態がわからない。
これが私の普通だったから。
もう許しておやり。
自分の事も、つっぱていた私も。
教育実習で、頑張って言いたいことをテレビ放送で言って白い目で見られたことももう許してやろう。
<1215> いつか ■2005年11月21日 月曜日 14時31分05秒
できもしない完全主義に振り回されて育った私は、世の中も完全でないと駄目なんだと思い込んでいた。
そして人が完璧でないことを知ると嫌いになった。
攻撃をはじめた。
たとえば人種差別をしてはいけない、自分を犠牲にして人を助ける、風邪をひいているのに休みを交代してあげて働く。
ある偉い作家が愛人などを抱えているとか聞くと嫌いになったり。
私の理想は、ヒーローなんだろう。
子供と同じで、ウルトラマンやアトムを今もどこかでずっとまっているんだろう。
<1214> ひこうき ■2005年11月20日 日曜日 21時33分00秒
たぶん、私のあるべき姿、理想像のようなモノが間違っていたんだ・・・というか、不可能なことだったのだ。

幸福であるべき私、幸福な人生。

そういうものが当然あって、そうならねばならない自分。
なのに。そうなれてはいない自分を責め続けてきた。
「努力」すれば手に入るはずのものだと思っていた。

間違っていたのは現状の自分ではなく、私の理想像。

私は中学3年の学年集会に出るはめになって受験生にはっぱをかけている先生達の話しに違和感を感じた。
「今頑張れば、思い通りの未来が手に入り、そうすればもっと頑張りたくなって・・・充実した人生がおくれます。」
先生。そんな未来はいらないです。
それに、そうやって手に入ったものは幸福だと感じられるものではありませんでした。
でもだからといって、私は何が幸福なのか?よくわかりません。

ただ私が感じていることは、「幸福」という言葉は、便利だけどうさん臭い。「愛情」とか「家族」とか「神様」とかのある種の宗教・ismみたいなもので、くらっといってしまった先に思考停止の末の不幸が待っているような、まやかしの気持ちの悪さを感じます。
<1213> こくーん ■2005年11月20日 日曜日 16時56分04秒
私の間違った信念。
『人生の真実は不幸や悲しみ、苦しみの中にある』
そう考えていると思う。それは、私の人生の長い間がそれらのなかのあって、それを受け入れなければ人生たり得ない・・・・
ということがあったからだと思う。
しかし、幸せだけの人生がないように、不幸だけの人生も、また、ない。
不幸が人生の本質だなんて、間違っている。そう思う。
私はもう、幸せを謳歌してもいい時期に来ていると思う。
そう、宣言したいのだ。
<1212> ぬりこ(FB注意) ■2005年11月20日 日曜日 13時40分07秒
私ってばかだね。占いで「この生年月日の人は同性愛者傾向にある」って言われた瞬間に「ああ、この落とし穴(人生において周囲とは異なる、無意識でいたら失敗すること)があった、これで、また現実逃避しよう」って思った。
 この占いは私の当時の何もかもうまくいかない感情にぴったりだったから・・・私はそうなんだろうなあって思ったの。自分を気持ち悪く感じるのにぴったりだった。人と違うって言うことにも。(同性愛者の人を差別しているんじゃなくて)
 でも、もういいかげん疲れた。
<1211> ぬりこ(FB注意) ■2005年11月19日 土曜日 20時47分32秒
 私は誰ですか?感情が見えないの。
私は今日、ある施設に行ってきた。そこで、私は本当に自分は共依存者だって思った。私こそまさしく共依存だわ。
 どんな場所に行ってもそこで「うまくやっていない人」を私は見つける。「おとなしそうで覇気のなさそうな子」を。で、そのこの心配を私はするの。でも、そのこが私よりも「上」の行動にでると気が気じゃない。たとえば、そのこに彼氏がいたりしたら、「何?先越された」みたいにね。
ほんとほんとそうやって生きてきた私は。
クラスでもいつも「下」を見付けて、その人よりも上でいられればいいやって思っている。ほかの人は「上」過ぎるから。
 どこか遠慮しているからむかつくのだと思う。
 どこかで「女らしい」私は「上」に行くから「下」の人に悪いから「抑えている」だから、ほんとは嫉妬嫉妬。でも、嫉妬する前に私も自分に自信がないから、「超下」の人よりは「上」でいたいって思っている。
<1210> アーネスト ■2005年11月19日 土曜日 19時46分03秒
あぁ自分は赤ちゃんなんだ、乳幼児なんだ、と思った。おしめが濡れて、取り替えを要求したりやお腹が空いていてお母さんのおっぱいを求めるような・・。「不快」と極端に嫌い、人に聞いてもらいたがる。兄が自分の席につくのも、先輩が試合の日に駅のホームで寝ていたのも、全て「不快」だった。小さい頃に「不快」を取り除いてもらえなかったから、以上に「不快」に過敏になるのかもしれない。あるいは不快の対象が他の人より多く残っているのかもしれない。それを大人の視点で見ると過敏という一言で終わってしまうのだが・・・・過敏と見られたくないがために不快な感情を表現しないということはよくあったのだ。私には。こんなことも不快かな、と思うのは変だなとか、神経質と見られるのがイヤだとか、酷い時には自分のことをノイローゼとか神経症気味とか罵ってしまう。でもいいんだ。オレは赤ちゃんで。赤ちゃんの自分をまずは受け入れていけばいいのだと思う。
<1209> yu-ko ■2005年11月19日 土曜日 01時13分20秒
あたしは内緒で飼われてるネコと一緒。
見つかっちゃったら怒られちゃう。
捨ててきなさいって云われちゃう。
だからいつも箱の中でおとなしくしてるの。

ネコ嫌いなあなた・・・
あたしはいつも一緒にいるんだよ。
早く気がついて欲しいよ。
<1208> アーネスト ■2005年11月16日 水曜日 13時23分08秒
感情的酩酊。
今日これから行く実習校の挨拶もそうだが、先延ばししてきたことは、抑圧されながらも、確実に心や身体器官(胃、肩こり)を蝕んでいく。酒や薬物と同じで体内に残っているうちは、作用が出つづける。今日済ませばまたラクになるのだろうか?目の前の視界がパッと開ける感覚が欲しい。
<1207> ぬりこ(FB注意) ■2005年11月16日 水曜日 00時01分34秒
 多分、私は恐れてきた。
 自分の感情に。
 確かにある感情。でも、この感情があるから、大切な人の「奴隷」になれない。自己がいてしまう。家族の「ペット」になれない。家族に憎しみを抱いてしまう。男に尽くせない。ずっとそう思っていた。人の「奴隷」になりたかった。
 人の成功をやっかむ女の子に幸せになってほしかった。自分の事をその子と同じような視点に立って「自分はずるい」って思っていた。
 私はどうやって生きてきたんだ。
 今私は、自分を大切にして、そして人に介護するような仕事したい。でも、それは自分の幸せを当たり前のようにむしろ、もっと幸せに感じられるように、感謝できるように前提つきで。
 私の人生を感情を大切に生きなければ、私は「奴隷」のように生きるか、ぼうふらのように生きるか、人を殺すか、大切な友人の足をひそかに引っ張るか、大切な友人の幸せをどこかでぶっつぶそうとするか、そんな人生しか送れないだろう。
 
<1206> ぬりこ ■2005年11月15日 火曜日 23時55分39秒
 ぬりこの心を認めない、現実に出せない理由。占いで「この生年月日に生まれた人は同性愛者傾向にある」って出たから。ほんとの私は「やっぱり汚くて、自分は世間から落っこちてしまう存在、ほ〜らやっぱりお前はお前の夢なんて絶対に叶わないんだよ、今が幸せでもいつか人に『裏切ったな〜』とか、『ぬりこはもっと素敵な人かと思ってた、うそつき、汚い』って言われる」気がしていた。
 私を出したらいつの日かレズビアンになってしまうんではないかって今でも思っているのだ。
 でも、私はこんなに情報を鵜呑みにしやすくて、人に合わせてきた私だからこそ、「レズでもいいじゃん、もしも本当の私として生きられるのならばそれがどんな私が飛び出してきても受け止めよう」って今思っている。
 本当に必要なのは、隠さないで生きること。占いなんて信じて今のこのときを無駄にしないこと。自分のありのままの感情をもう認めること。そこからしか私の本当の人生は始まれないのだ。レズになってもいい。今までは男の人が好きだった。だから、この占いが「笑ってしまうくらい」おかしい、信じるに値しないものだって分かっている。
 でも、私の中で自分をせき止めるものがあって、その理由に「レズにいつかなる自分の姿ばれなくって良かった〜、警告聞いていて、自分の感覚すべてこれから殺して生きていかないと恥ずかしい目にあうから、今この情報聞いていて良かった、自分を出してはいけない」っていうなまりのように重い「自分を出せない」私がいる。
 この私こそ「世間知らず」で「自分でいることは笑われること」って家族から思わされた自分なんだ。
 「世間を知っている姉」に教わって、「はあ、良かった〜、恥かかずに済んでいた、自分を抑えてよかった〜〜〜、私のままでなくて失敗しなくて良かった」ってよく思っていた私の姿なんではないかな?
 私はもういいと思う。レズになろうが、失敗しようが、、、世間にばかにされようが、普通の24じゃない女であろうが、子ども過ぎる私であろうが、、、、
 ただ、人を殺さない、自分をできるだけ傷つけなければ。
 もう汚い自分を含めて、自分を現実にひっぺがえすように出そう。
 いいじゃないか?自分の中のどんな自己と向き合うことになろうとも、たとえ世間にばかにされようとも、失敗しようとも、ぬりこは「今を生きたい」
<1205> ぬりこ(FB注意) ■2005年11月15日 火曜日 23時42分33秒
感情は、頭の中で「ガンガン」と音を立てて本を読む。 
しらふでは、やっぱり生きるのが怖いのだ。
 私の感情はずっと眠っていた。
 感情を殺して、表面だけ整えて生きてきた。そうして、24歳になった。ずっと休み時間を探していたのだ。
 高校終わって、「休みたくて浪人した」
 大学終わって「休みたくて一年猶予をもらった」
 ずっと休みたかったみたい。
 休んで私を見たかった。
 私は精神病になったりするかしら?中学校時代の写真や高校時代の写真が怖い。現実から遠ざかった顔をしているから。
 感情はどこにあるんだろう?私はもう認めないといけない時期にいるんだ。
 私の感情は今でも認めたくなくて、家族に悪くて、自分を責めたくて、殺そうとする感情と生きようとする感情でせめぎあっている。。。。
 私の中の感情さん生きてもいいよ。生きて、あなたの言う「人よりも上」状態にいってもいいさ、「ナル」になってもいいさ、誰のことも傷つけてないじゃないか。人に特に下だと思っている人に遠慮なんてするな。
 生きていいんだよ。とにかく私の性欲だって、空腹だって、私の一部分。誰にも犯されない領域。私の大切なばかになんて絶対にされない人生の一部じゃないの。
<1204> アーネスト ■2005年11月15日 火曜日 13時22分27秒
自分には恐怖に打ち勝つためのタイムリミットがあると思う。大体、3、40分だろうか。それを過ぎてしまうと決断できなくなってしまう。恐れの強い時は祈ってもだめで、結局「勢い」に任せてしまうことがある。

逆に、恐れが出ていなくても、明らかに理不尽な考えだが「もっと恐れを持て」と自分に命令してしまうことがある。体外、苦しい時は恐れが6割、希望が4割くらいでひしめき合っていて、どちらの感情も否定する必要はないのだが、どうもムリに感情を否定してしまう。恐れの困るところは行動、決断にブレーキがかかってしまうところだ。怒りながらでも、悲しみながらでも、決断はできないことないが、恐れにはよく負けてしまう。日頃から、感じるもの全てを認めていきたい。
<1203> NAC NAC ■2005年11月14日 月曜日 23時22分43秒
今日はここから。

いや〜参ったね。あたしゃ生きてる間に車両窃盗疑惑で事情聴取されるとは思わなかったですよ、はい。
まぁこうしてパソコン打ってるっちゅうことは無罪放免だったっちゅうことなんだけどね。危うく誤認逮捕されるところでしたよ「お縄頂戴」ってね。
それはそれでいい経験?なのかもしれないが・・・性犯罪じゃなくてよかったよ。

では顛末を。
先々週の金曜午前10時頃、私は夜勤明けで練習をしに車を現地へ走らせていると、対向車線にパトカーがいて「おっスピードか! 減速減速と」私は右から左車線に移り減速。
そこでふっとバックミラーを見るとパトカーがUターンしてくるじゃあ〜りませんか! それもぴったり後付で、サイドミラーでも確認し辛い好位置に!
「なかなかやるのぉ、テクニシャンやのぉ。でもあたしゃ(減速しているので)捕まりませんよ」と思いながら信号待ち。
すると後ろから警官が降りてきて「警察だけどちょっといい? これお宅の車? これから何処行くの? 被害届け出てるんだよね。いつ買ったの? ちょっと免許証見せてもらえる?」
私は矢継ぎ早の質問にポカンとし「被害届け? 何で?」と訳のわからぬまま免許を探すが、好都合なことに私は金土日と3連チャンで練習する予定だったので、車内は布団や毛布などのお泊りセットで散らかっていて、何処に免許証があるのか?わからないし、覚えてもいない。しょうがなく私は車検証だけ見せたのだが、当然先方は納得せず「ちょっとパトカー乗ってもらえる?」と私は同乗するはめに!(因みに前回は東名静岡でスピード違反した時) 「おいおい冗談じゃねぇぞ、これから練習って時によぉ」車内で愚痴をこぼす?私。
そして気がついたらどこから出てきたのか?あっという間に覆面数台と周りに私服警官たちが10人前後いて、私の車の外装をデジカメで撮っている。
ただならぬ雰囲気。そして信号待ちなので通りすがりの人たちからも訝しげな視線の雨あられ。
当の本人はまったく事情を飲み込めず不安で、おまけに(最終戦に向けて気合入れるため)クールな坊主頭だし「あ〜あ、やんなっちゃうよ全く。身に覚えがないのにこの先どうなんの? まるで大捕り物だよ。あたしゃ(顔を隠したくなる)犯人の気持ちがよ〜くわかったよ」と思いつつ、「被害届けって何の被害なんです? 誰が出したの?」と警官に聞くと、私がこの車を買ったところの自動車屋らしい。
「何で? 俺何かした? ちんぷんかんぷん、何にもなかったぞ。それとも乖離して覚えてない?」ACだから余計に自分を疑う私。
警察も捜査上具体的なことは何も言わず「11月1日は何してたの?」 私「何してたのって言われても・・・夜勤だったんで昼間はうちで寝てましたよ」 「つくばの方に行かなかった?」 「つくば? 嫌、うちにいましたよ」「何か証明するものある? 例えばレシートとか、友達とか?」 「ん〜そう言われても(財布に証明するものなし)会社に確認してもらうしかないですよねぇ」 「会社はどこ? 電話番号は?」 教える私 「売主との間にトラブルなかった?」 「なかったですね」 「これは現金で買ったの?」 「えぇ」 「支払いは?」 「一括で。ローンは組まない主義ですから」 「領収書ある?」 「たぶん家に帰ればあると思いますけど・・・」 「Iさんとの付き合いは?」 「売買時だけですよねぇ」 「何かトラブルになりそうなのなかったかい?」 「いや〜全く思い当たる節がないんですけど・・・」 「逆恨みってのは?」 「いや〜それもないと思いますよ」 「おかしいなぁ。今Iさんに連絡取っているとこなんだけどぉ、ちょっとここじゃ何なんでぇ(語尾を上げる茨城弁)署まできてもらえるぅ?」
そして一路警察に。
パトカーの後部座席で脱力状態のまま「後は天任せ」で見る外の景色はなかなか乙なものだった。なにせ私が普段乗ってるハイエースは車高が高いから・・・
そして署についたのは11:00前で、最初にしたのは「荷物降ろしてもらえる?」と(警察が)言う。先述のとおり私の車内には3日分の荷物で一杯で、降ろすのも一苦労なので私が「えぇぇ」って顔をしていると、「車体番号確認したいんで」と言うので、私は「面倒くせなぁ」と思いつつ助手席部分だけ降ろす。
そして確認してもらった結果は● 被害届けと一致してるらしい。
疑惑は深まる「何で?」
次に「ここじゃ寒いから中入ろうか?」と私が連れて行かれたのは取調室。私はその入り口にあるプレートを見て「マジかよ」と思いつつ中を見て「おぉ!」
龍ヶ崎警察は建物が古いので中は刑事ドラマのまんま。4畳半ぐらいの狭いスペースに年季の入った灰色の安っぽい(いかにもって感じの)机と椅子。
「奥座って」と刑事に言われた時、天邪鬼な私は「手前の椅子に座ったろか?」思ったが、心象を悪くするので止めといた。因みに奥の窓は鉄格子で、「ん〜いい雰囲気出てるねぇ」と私は10秒くらい室内をキョロキョロしていた。それでもやはり緊張していたのか?机の上にお約束の卓上スタンドがないことは気がつかなかった。昼間だから?
そして再び繰り返される同じ質問。呆れて私は「あの、これもし無罪だったらカツ丼食えるんです?」と後学のため刑事に聞いたら、「カツ丼食えるかどうかはわかりませんけど、人権のためお昼はとらせますよ」との事で、「何食えるのかな? 自腹? んなわきゃねぇよな?」とちょっと楽しみな私。
そんな私を察してか?年配の刑事が「コーヒー飲むか?」と聞くので、私は遠慮なく缶コーヒーを1本ご馳走になり、事情がよく飲み込めないまま時間だけが経過する。
そして13:00近くになってやっとIさんと連絡が取れたらしく「いやぁKさん(私)今やっと連絡取れて確認したらぁ向こうの間違いだったんだ、悪かったねぇ」
その言葉を聞いて一気に怒りが湧き上がってきた私。ちょっとプチっときて、プロレスファンの私がその怒りをリングで表現するなら「ロープブレイクでも離さねぇぞオラ」って感じだ。

はたしてどうなることやら。続きは後日。
<1202> ぬりこ ■2005年11月13日 日曜日 20時44分53秒
 私の感情を持って生きたい。生きたい。生きさせて。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。生きたい。
 なのにまた私は刃物を自分に向ける。向けている。
 刃物は現実と私の感情を切り離すのに役立った。役立った。
 家族はまったくきずかないでやんの。
 でも本当に恐ろしかったのは、生きることだったのかもしれない。病気、ガン、白血病、同性愛者になること私にはどれも恐ろしかった。
 自分の夢がかなえられることはないのかもしれないことが恐ろしかった。
 
<1201> ぬりこ ■2005年11月13日 日曜日 20時30分10秒
 痛い。。。ただ心が痛む。それを私は許さない。私がいじめられてどんなに心の中は嵐のように地獄をさまよっていた。なのに、ぬりこは自分で「お前は病気になれ」なんて自分の痛みの原因を認めない。
 私はずっと生きられなかった。ずっと自分の存在を隠して生きてきた。本当の私はずっと怖いよって縮んでしゃがんでみているの。彼女がいたから私はこんなにも怒りの感情を持ちながら生きながらえてきた。
 怒りの感情を吐き出すときは男になって書いている。最も自分のしたくないことを書き出して、そこで性的な快感をえている。今書きながらも「お前本当はしたいんだろう?」ってどこかで頭の隅で私に言っていた。
 私は精神分裂病なんだろうか?
 私はそれさえも統合している気がするが。。。
 私の中にあるあの小学校時代の地獄絵図と家族の楽しい笑いの中で私だけが目は笑っていないで笑っている。
 本当のぬりこはどこにいけば生きられる?彼氏に自分の感情を聞いてもらえる?彼氏がほしい。なのに、自分を抑圧する感情が今一番見たくない光景を頭んひ思い浮かべる。私は彼氏の中で眠っていたい。私の男の部分も受け入れて。怒り、絶望。
 あのころ見ていた私の生活は何だったの?
 家族は笑ってる。ぬりこはお母さんの心も心配だった。またあのいやな女の顔が出てきた。
 私は自分を出そうとする。自分は本来の女の幸せな部分。それをもう一方の私は男になって、自分を傷つけにくる。

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This script written by Shintaro Wakayama.