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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.57
メッセージ数:1140件

<1140> Ai ■2005年09月28日 水曜日 19時01分35秒
あーー、自助行ってまで父を投影するタイプのメンバーに合っちゃうのはほんとにいや!このメンバー、私が話した直後に私へのお説教、アドバイス、回復競争を仄めかす内容の話をしたんだ。ルール違反じゃない。頭に来たから私もこいつへのあてこすりみたいな内容を次に話した。そしたらそいつ、執念深くて(ここが父とそっくり)ミーティング終了後も私に嫌味言いやがった。
「僕はこんなに回復しました」と偉く自信満々だけど、いい年して病気もあり仕事もしてなくて・・自助いきまくって大将して酔いしれてるタイプじゃん、結局。
そいつ、ルックス的にも・・・ほんと女から相手にされない嫌われるタイプで・・・世間で評価を得られないから、狭い世界で大将してる、ってすぐわかったから、もうこんな奴に上目線に立たれたのが、腹が立ってしょうがなかった。
だけど・・・あー、もうこんな人相手にしたくないよ〜って気持もあるけど、怒りまくってこだわってる私もいて・・・
結局、父と似たタイプに反応しちゃったのかもしれない。
ある本を読んだら、「心の傷って、最終的には恨んでる相手を許さないと癒されない」みたいなことが書いてて・・・でも、「無理して許せない時は相手とちゃんと距離置きましょう」ってあったから・・・やっぱりあの自助、やめとこ。女性クローズドの方が安全かもね。
ほんと、やだ〜〜、ルール守らないのにあちこちのグループで幅利かせてるメンバーって・・・だけどこういうの多いんだよな〜〜・・やだ・・
<1139> Ai ■2005年09月28日 水曜日 18時41分12秒
(悪文ご注意です。)
久しぶりに自助に行ってきたら・・・
あ〜〜あ・・・何年か前別の自助で散々トラブッた元友人(女)が・・・
よりによって・・・「一年ぶりの参加です」って・・・
トラブッタといっても・・彼女の症状や暴言でいやな思いさせられたので、「あーー、また逢っちゃったよ」って感じ。やだった。
老けて貧相になってた彼女を見てちょっと「ザマー見ろ」って内心思った。
彼女は自分が私に何したか、どんなに傷つけたかなんて多分忘れてるだろう。
でも私は憶えてる。簡単には許すつもりはない。
でも、彼女は随分あちこちの自助に顔出してるみたいなので・・・またどこかで会っちゃうかも。いやだな〜〜。これだから自助内でのトラブルって尾を引いて大変なんだ・・・。
他に・・私が最も嫌うタイプのメンバーもいた。
狭い世界で大将して、「自分はこんなに回復しました」とあてこすりやほのめかすタイプ。あーー、父を彷彿させる。こんなタィプ大嫌い。だけど、彼も自助出まくってる様子だったから・・・気をつけなきゃ。
こんなんでも家にいるよりはマシか?多分マシ。だけど、もっと安全な自助に行こう。あーー、だけど、あのメンバー気持悪い!
最もキライなタイプの男への嫌悪感、憎しみを手放し癒すこと、
これが今日のテーマか。
<1138> NAC NAC ■2005年09月27日 火曜日 00時16分58秒
こんばんは、乖離・離人症だったNAC NACです。
今日は、先日都内でコーチング説明会の後、半蔵門で高校時代の同級生(残念ながら男)と待ち合わせをして飲み屋へ行き、そこで自分がACと初カミングアウトし、何とか友人に受け入れてもらった(みたい)についてお話します。
何事も最初ってのは緊張しますねぇ、いくらあたしでもね。まして自分の核心に触れる部分だからね。もう(揺れない)つくばエクスプレスに乗車している時から私は「どうやって話を持っていこうか?」とか「泣かずにはいられないだろうな」とか大分心が揺れていました。
駅近辺をぶらついて、友人と2人で「笑笑」へ。安いのはいいのですが、隣と席近くて「こりゃ難しい位置だな。隣の声もよく聞こえるし、ACだの何なの喋ってたら『何だこいつら怪しいんじゃねぇのか?』って思われるだろうな?」とか不安が先に立ちましたが、ビールでも飲まないとやってられないので「とりあえず生中2つ!」
お互い近況を話しながら時間は経過し「さてそろそろか? どうやって切り出そうかな? 俺の家族関係は以前話したから、そこからACを説明するか?」と酔っ払いながら私が考えているところに、な、な、なんと相手から先に悩みを打ち明けられてしまい、「おいおい、ちょっと待ってよ、今日は俺がお悩み相談する立場なのよ」と思いつつも遮るわけにもいかず、友人が話し終わるまで私はずっと聴いていました(なんていい奴なんだ俺って)。
相談は親(嫁さんの)の介護でした。感情を殺されてきたACで親に対して並々ならぬものがある私としては何も言えませんでしたし、言えるはずもありません。
幸い私の親は60前後で農業しながら健在ですが、もしそういう状況になったら自分はどういう選択を採るのか? 
人間的良心とAC的恨みと・・・・・   

わかりません。
はっきりしてるのはそれがACとして先送りしたい問題ということと、生きていればACでなくともいつかは誰もが必ず直面する問題でもあるということです。
そんなことを考えさせられつつ、友人の話が一区切りしたので「今しかない!」私は切り出しました。自分でもそんな躊躇しなかったのが以外でした。話さざるをえない時に来たのかもしれません。もうこれ以上自分の胸だけには閉まっておけないような・・・・・
友人には以前自分の家族関係を話してあるので、私はそれをお浚い程度にさらっと持ち出して「K君、ACって言葉知ってる?」
幸か不幸か、彼は知りませんでした。
私は機能不全家族も含めて簡単に説明し、また自分が乖離性の感情障害を持ったACであることを、わかりやすいように具体例をあげて説明・告白しました。
辛かったです。何度も感情が押し寄せ泣きそうになりました。周りにお客さんがいなければ私は絶対泣いていたでしょう。K君も訝しげなのとびっくりしたのとごちゃ混ぜの表情でした。それもACを知らない人としては当然の反応かもしれません。否定されなかったのが私としては何よりの救いでした。これで否定されたらやっとの思いで放出した感情の持ってき場がなくなってしまいますからね。
話したいことは一杯あったのですが、止め処がないので私も切りのいいところで話を終えました。(自分の辛い感情を)黙って聴いてもらえてよかったです。
既に時刻は23:30をまわっていたので、急いで勘定済ませて(今回は私から誘ったので私が持つことに。次回は倍返し?)地下鉄へ。
友人と別れ際「今日はどうもありがとう。まっそういうことなんで、今後ともACの自分と仲良くしてやってください」と頼んだら、友人は「あたりめぇだろ、そんなの」と言ってくれました。私は嬉しくて涙が出そうでした。
もちろん(地下鉄)車内では一人涙ポロポロでした。嬉しかったのと辛かったのと、これまたごちゃ混ぜのような涙でした。
そしてこのままつくばエクスプレス最終便に間に合えば話はハッピーエンドで終わるのですが、そこは波乱万丈のAC、間に合わなかったんですねぇ、無常にも。
場所は深夜の北千住。選択肢は2つ。駅前のカプセルホテルか? ぶらついて始発を待つか?(残念ながら北千住にはネットカフェなし。あるのは川を越えた南千住)
当然その日夜勤でセコイ私は後者を選択し、北千住を徘徊。一人じゃボウリングしてもしゃーないし、やっとこ公園を見つけベンチで仮眠することに。でもうとうとしてたら雨がぽつりぽつり!
「マジですか? まさか30過ぎてあたしゃこないな目に逢うとは思わんかったですよ。天気予報で言ってたかぁ? これも人生かねぇ?」
濡れる道中、ファミマ店頭に捨ててあった傘(マジです。パクッたのではありません)を私は有効活用して、結局北千住の駅構内で始発待ち。
待つこと2時間。どんよりした曇り空の下の始発列車は何とも言えないものがありましたねぇ「俺(の人生)はどっちに向かってんだろ?」と。
そして今回の教訓「貧乏人は酔っ払う前に最終時刻は確認しておきましょう」

ほんと話せる友達がいてよかったよ。感謝感謝。中国語でシェイシェイ?
<1137> メイ ■2005年09月26日 月曜日 20時52分33秒
たった一言で、どん底まで落ちていく。

些細な一言。
どうでもいい一言。
何でこんなにしんどいんだろう、「バカじゃないの?」「だってお前のこと、興味ないもん」、…冗談のはずなのに、笑い飛ばせる会話のはずなのに、何でこんなにしんどいんだろう、何でこんなに、あたし、傷ついてるんだろう?
自信がないから強がって見せる。
自信がないから、キツイ言葉を口にする。
自分で作った「壁」「鎧」のはずなのに、こんなに脆い。

誉められたいだけなんです、建前と本音を使い分けられる大人になりたいんです、しんどいんです。

いつになったら終わんのかな…。
<1136> こくーん ■2005年09月25日 日曜日 21時28分54秒
テレビに出てくる企業家とかキャリアの人とか、大きな目標掲げて、バリバリ働いている人と、自分は何が違うんだろう。頭の良さ?・・・自尊心?
あの途方もない原動力はどこから湧いてくるんだろう。
どうしてあんなにタフでいられるんだろう。
毎日、ただ毎日を生活しているだけで息切れしているのに。
生まれつきもったもの?与えられた容量が違ったの?
<1135> スナフキン ■2005年09月24日 土曜日 02時23分16秒
夜の10時半過ぎに突然隣の家に住んでいるおばちゃんがやってきた。
それも怒って怒鳴り込んで来たって感じ。
「人の家の前にゴミを置いて、それも散らかしっぱなしでどういうことだ」と。
「隠しカメラを取ってあるから、誰が捨てたのかすぐに分かるんだ」と言って来た。
私の言葉は無視、、、
私は確かにゴミは家の前に捨てたが、隣の家までゴミが勝手に歩いていくわけはないし、ましてやそのゴミを散らかして何の得になるんだろうか?
考えても誰かが故意的にゴミを持って行って散らかしたのだろう。
おばちゃんは私にどうのこうのと文句を言う。
結局は「私のゴミじゃないからあんたがかたずけろ」って事。
かたずけるのは別にどうとも思わない。
もし私の家の前でそのままゴミが荒らされていたら、私がかたずけるのだから、、、
けど言い方って言うものがある。例えば「お宅のゴミが私の家の前で散かされているんですが、、、」とか、「ゴミをちょっと見てもらえませんか?」とか、いい歳のおばちゃんなんだから、言い方を少し考えたらどうなのか?と思ってしまう。
怒って、怒鳴って、それだけの器しかないんだろう。
そのおばちゃんはどこかの社長の奥さんなんだよね。
朝いつも運転手がおじさんを迎えに来る。黒い高そ〜な車で、、
そこの奥様だからいつも綺麗にしているんだが、見た目と中身は全然違うんだ、話したこともなかったから‘ふ〜〜〜ん’って感じ。
腹くそが悪いので、ゴミをかたずけた後隣に行った。
「ビデオを撮ってるって言ってましたけど、誰がこんなことをしたのか知りたいので見せてもらえませんか?」と。
そしたら「こっちで見てその人が通りかかったら注意します」との返事。
一日家の前で座ってるわけでもないのに、どうやって注意できるのだろうか?
隣の家同士で道端でもほとんど見かけないのに。ああいう人にはなりたくはない。
“人の振り見て我が振り直せ”ということわざがあったな〜、気をつけよう、気をつけよう。
私は経済的には裕福ではないが、心を裕福にして暮らしたいと思う。
<1134> ここあ ■2005年09月23日 金曜日 05時08分10秒
職場で精神的にきつかった。ACであることを思い知らされ、また自己肯定感がぐーんと下がってしまった。
こういう時は連鎖に気をつけなければならないのに、子どもがつまらない我がままを言ったりすると、吐き出したい悲しみや怒りがつい子どもに向かってしまう。
子どもならありがちな些細な自己主張なのに、多少我がままでも他に対処の仕様があるはずなのに。
そんな時、私の心の奥底に潜んでいる母への怒りがじりじりと顔を出してくる。
本当は母に怒っているんだ、その事に気づいたのは2,3年前頃。
「どうしてあなたは好き勝手にし、家庭の生活機能を維持するために私があなたのやるべきことを全てしなきゃならなかったの?」
「どうしてあなたは感情を思うが侭に吐き出し、撒き散らし、家庭の平和を取り戻そうと私は感情を押し殺し、無理な感情を装って振舞わなきゃならなかったの?」
「なぜあなたのすることは当たり前で、私の感じることはおかしいの?」
「なぜあなたは(自分勝手、好き勝手にしてもいい人)で、私は(フォローしなきゃいけない人)(我慢しなきゃいけない人)でなければならないの?」
我がまま、つまり、相手の立場を全く考えず、相手の気持ちをちっとも考えずに自己主張し、自分が正しいと言い張る、そういう事にムラムラと怒りがこみ上げる。(そう、それでいて、いまだに、やっぱり私が悪いの?私がこの人のことをわかってあげていないの?私が優しくないの?という思いに捕らわれているんだ。)
私が自信を持てないのも、母にコントロールされたことだけでなく、そんなふうになりたくない、なってはいけない、という自己抑制と、自己主張と我がままの境界線、心に素直であることと勝手気ままであることの境界線がわからないからだと思う。
とにかく、子どもの、子どもらしい感情を変な形で抑制してはいけない。
ここはやっぱり、自分の感情を抑えなければ。
<1133> 東野あさと(偽名) ■2005年09月20日 火曜日 11時09分38秒
昨日自分がACなのではないかと思い始めた。医者にも心の発達が遅れていると言われていた。今浪人生だが、こんな状態のまま受けた大学になんて入りたくない。
暴走する心とそれについていけない体。心自身も己の暴走に疲弊しているのがわかる。いつも胸の辺りが不快。
<1132> こっこっこ ■2005年09月17日 土曜日 23時47分17秒
 大学時代にね、ふられました。もともとは二股を許した上での付き合いだった。しかし、そんな事をしているうちに相手の彼女さんに悪くて、私が今この人とったらきっとおんなじことを誰かにされるんだろうなあなんて、また自分を責めた考え方して結局その関係をやめた。
 そしたらその男は私の後輩と付き合いやがった。元の彼女とは別れたっぽい。
 私はもう付き合うつもりもないし、そいつのことは忘れたが、今の彼女さんに対する嫌な思いは消えないによね。
 どうせ私よりもかわいいでしょう。私は元彼女さんに対して罪悪感しかなく、悪い悪いと自分を責めながら付き合ったのに、そのこは何にも知らないで、自分の魅力を発揮させてそいつと付き合ってるんだろうと思うと怒りがこみ上げてくる。
 心も持ち方として、私はもうあの男に魅力は感じていない。なのになぜなのか?
 これは私が共依存であり、自分が上に立ってはいけない、素敵な女性になってはいけないと自分を穴に陥れている心からくるものなの。
 
<1131> NAC NAC ■2005年09月17日 土曜日 22時09分04秒
こんばんは、親に感情を殺されていた乖離性健忘のNAC NACです。
ここしばらくご無沙汰していたのですが、今日は久しぶりに自分の心の鍵穴に合った特殊なキーの持ち主との出会いについてお話します。
先日私は所要でみちのくに行ったついでに「せっかくだから」と連泊(キャンピングカーで車中泊)して某自助グループにお邪魔しました。
最近の私は少しづつ子供のときの感情に覆われるような感じで鬱気味とはいえ、自分のことを話したい欲求は依然強いですし、何かしか人と繋がっていたいので、初対面の人とでも臆しませんし、何といっても参加する一番の目的は「自分で気付かない無意識の痛みを意識の上に上げる」ということです。
そして今回はわたしとある部分(大部分?)共通の情緒障害で苦しんでおられる方もいらっしゃいました。
私も自助グループに出るようになって2年以上、東北から近畿までいろいろなACたちの生の苦悩を聴いてきましたが、なかなか自分が鋭く共振するようなACはいませんでした。唯一いたのは強烈な怒りが滲み出ている嗜癖の女王様Yさんぐらいで、彼女のお陰で?というか、彼女のインナーチャイルドのお陰で私のチャイルドの怒りが覚醒されたと自分では思っていて、今回は更なる自分の寂しさが呼び起こされた感じです。
(そのYさん、3ヶ月くらい前に某TVの薬物特集でちらっと拝見し「おぉこれってYさんじゃねぇか! 自助グループ出てこないで何してるのかと思ったら相変わらず『私が居なくちゃ』のワーカホリックじゃねぇか。だめだよ仕事減らしてインナーチャイルドと会話しないと。それに髪の毛伸びたが顔も相変わらずCUTE【この場合は「生意気」の意味】だねぇ。まっ生きててよかったよ)

話は戻って今回、私は上記の方の話を聴きながら妙にざわざわして「この人はどれほど辛かったんだろう?」と思ったら泣けてしまいました。
自分で泣きながら「何で泣くのかな?」とか「この人本当よく逃げずに自分と向き合っているよ。自分だったら自暴自棄になるか狂ってしまうかもしれないな」とも思い、また「共振するってことは自分の中にも同じ痛みがあるってことか?」と思ったら余計に泣けてきました。
たぶんあるのでしょう、同じような悲しみがいっぱい・・・・・
ただ私の場合はその人と違って乖離性健忘で思い出せない、ただ想像して痛みを感じるのみなのですが、それにまだ私の中に痛みに対しての否認システムが強く働いてて(もちろんそれを取っ払ってしまったら間違いなく私は発狂するでしょう。ある意味「感情・記憶の防御弁」です)、本当は物凄い痛みだろうに自分の意識の上ではそれほど苦痛に感じていない。だからこそ私はパニック障害にもならずに薬なしでそれなりに日常生活が送れているのでしょう。
人の痛みを話すことはルール違反かもしれませんが、その人も普通に会話する分には大して問題ないのですが、内面のことを話されるとどもりがちになり辛さが滲み出る。
私も時々なり自分で恥ずかしくなりますが、なぜなるかといえば、やはりその時点で一番辛いことに触れようとすると意識と無意識で「話したい、でも話したくない、でも話さねば」と葛藤が起き、それがどもりに繋がるのではないかと私は勝手に思っています。
私も自分がACと気付かなければどもりに対して「何だこいつ? ヤバイんじゃねぇの」ぐらいにしか思わなかったでしょう。でも気付いた今は「この人外見なんか気にしてねぇや。俺なんかより全然強いし、一生懸命向き合っているよ。俺じゃここまでできねぇや。俺は今まで何してきたんだろ? 全然自分の痛みを過少評価してんじゃねぇか。何でもっと素直に痛みを出せないんだろう?」と、その人を羨ましく思えるようになりました。それもカウンセラーや幾多の自助グループの仲間、そしてコーチングのお陰です。
お陰でその時は(ちょっと辛かったですが)また一つ荷物を降ろせて、大変有意義な時間と貴重な経験をさせてもらいました。機会があれば私はまたUさんの話を聴きたいです。そこには必ず自分の中の隠れたものを引っ張り出せる何かがあるでしょう。
それで翌日、自助グループの効果か?私は朝から言いようのない寂しさ全開で、その苦痛から回避するため昼はみちのく大衆食堂「半田屋」で腹いっぱい食べました(安い上に美味かった。学食より上?)。
無意識に閉まってあるものと向き合う以上、記憶を揺さぶられるのは仕方のない痛みかもしれませんねぇ。お陰でここのところ止まっていた涙が出やすくなりました。
乖離性健忘の私にとって涙を流すことは苦痛ではありません。むしろ痛みを誤魔化して涙を我慢するのが苦痛なのです。
できることなら子供の頃に戻りたい、そんな毎日です。
<1130> 豆だいふく ■2005年09月16日 金曜日 00時10分13秒
カウンセラーさんは優しくて厳しい人。愛情から出る厳しさをなかなか理解できなくて中断したこともあった。でもまた温かく迎えてくれあるがままの私を肯定的に受け止め支えてくれた。有難すぎて泣いた。だからその恩を返したいと思った。言葉だけのお礼や寄りかかりではなく「回復」することで感謝の気持ちを表したいと思った。そして与えてくれたものを私なりの方法で還元したいと思った。相変わらず理想論ばかりの自分に呆れる。
<1129> 豆だいふく ■2005年09月14日 水曜日 01時17分44秒
自分の弱さを認め受け入れることがとっても怖かった。認めてしまったらもっと自分がかわいそうになってしまうと思っていたから。でも違った。弱さを認めることで「今以上でも以下でもない自分」を発見できた。そしてそれさえできれば怖いものはないということを知った。そこからまた一歩づつ進んで行こう。まだまだ若葉マークだけど負けずに(?)弱さを受け入れて行こう。正直怖いけど…。
<1128> ここあ ■2005年09月13日 火曜日 06時23分10秒
下の文を書いて、しばらくして気づいた。
私は自分の感情を否定し、抑圧しているんだな、と。
特に対人的なことに関しての大なり、小なり「不快な感情」に対して。
 「私は[いい人]、[優しい人]、[心の広い人]、[立派な人]であらなければならない」
そんな呪縛に囚われていた。
でも、到底そうはなれず、その中で本当はそのことに気づいていたのだと思う。
他人にそうであることを求めようとは思わないし、思ったらいけないし、怖いことだということも認識しているつもりだから。
でも、
無意識に人にもそういうものを求めるようなこともあったのかもしれない。
ただ、
すなおに自分の感情を許容し、表現できている人たちを見ると、やっぱり不思議さとうらやましさを感じてしまう。
<1127> ここあ ■2005年09月13日 火曜日 05時30分59秒
昔、知り合いの人にあることに対しての私の中の怒りの感情について打ち明け、そういう気持ちであることがいいのか、聞いてみたことがある。
すると、「怒って当たり前よ!私ならもっと腹が立つわ。」という答えだった。
その時私は何か新しいものを発見したような驚きを感じた。
「そうか!他の人も私と同じように感じるんだ。私が感じていることは[普通]なんだ。誰でも感じることなんだ。私が今怒りを感じていることは[自然]で[普通]なんだ!そうなのか!」
なぜ、そう感じたのか。

「私はもっと人のことを考えてあげなければならない。」
「人の気持ちや立場を考えて、[我儘]であってはならない。」
「人が何か私が不愉快になることや悲しくなることを言ったり、したりしても、それは私にどこか悪いところがあったから。」
「たとえ相手にも多少の非があったとしても、
それを寛大に許容することができないのは私がだめだから、悪いから。」
「そもそもそんな小さなことを気にするのは私がだめだから。」
そんな感情、考えが心も頭も満たしていた。

あの時から、そういう思考の中にどっぷりと漬かっていた事を今こうして思い出せるのも、たまたまその時、なりゆきでその人に話したからだろう。
そうでなければその頃からそういう状態であったこと、今もそういう傾向に流されてしまうことを認識することすら難しかったかもしれない。

少しずつ思い出して、心に向かい合って、整理していきたい。
<1126> yu-ko ■2005年09月12日 月曜日 20時43分55秒
無知の知。
知らなくて横暴な人をみて、冷静に眺めたり。
真実を言いたくなったり。
知りすぎて凹んで寂しくなったり妬いたり。
全てを曝け出したくなったり。

知りすぎたあたしに優しくしてくれる人がいる。
だから我慢できる。
その人の為に、できる事をしたい。
あたしを大切にしてくれるから、頑張りたい。

今日はココロが落ち着いてるからそー思える。。。
<1125> アーネスト ■2005年09月12日 月曜日 03時29分34秒
一つの場所への依頼心・依存心が強い。恨みの棚卸しをしていると,現実には見合わないほど怒り、恨みの感情が強かったり、自分の側の行動を変える事で,軽減できるものが目立つ。まずはIメッセージ。
<1124> 豆だいふく ■2005年09月10日 土曜日 16時26分28秒
カウンセラーさんより贈られた言葉。「常に戦闘態勢ね」(素晴らしく的を得たお言葉)。そうなのです、私は常に何をするにも「戦いモード」に入ってしまい『周りが見えなくなる』のです。だから無意識に周りを巻き込んでしまう。本当に悪気は無いのだけど…。これも私の課題の中の一つでありまして、何とかならないかなーと思っております(なるべく早めに何とかする予定)。生粋サバイバーはねぇ…。ため息…。
<1123> こくーん ■2005年09月10日 土曜日 03時02分33秒
相手が自分の期待したのは違う反応を返したからといって、
それはただ、無数の反応の中から自分の想定したのとは違う反応を相手が選んだだけであって。ただ、それだけのことで。
取り立てて、おかしなことでは、ないよね。
・・・なのに私は、その時生じる違和感を『拒絶』『批判』と解釈してしまう。それで動揺してしまうんだ。
相手と自分の差異を恐れず受け入れて、手放すべきことは上手く手放す。
相手が自分の思う通りに動かなくても、むしろそれが普通。怖がらない。
・・・そうありたい。
<1122> アラタ ■2005年09月09日 金曜日 13時33分45秒
今年の春、友人Aからのカミングアウトは聞こうと思えなかった。
「ごめん、私は今はそういう話をされても、受け入れられない。
 だからまだ私には言わないで」

Aは、別の友人にカムアウトして、「なんで私にそれを話すの?」と言われ
ショックを受けていたみたいだった。
Aはただ、誰かに話を聞いて欲しいだけだったのに、と言っていた。
(内容:Aの両親か姉夫婦かが不仲)

一方、友達Bのカミングアウトは、ショックも受けずあっさりと
「そうなのかー」と思いつつ聞いていた。
…受け入れた、という言葉の定義(あるとしたら)とは、違うのかもしれないが。
(内容:Bの父親が白血病)

なんでだろう。
数年前は、電話で(薬の副作用か何かでアグレッシブになってしまう)伯母から
離婚の相談を受けたときは、話しながらぼろぼろ泣いて、訳もわからず大ショックを受けてた。薬の副作用でちょっとハイになってるらしい事も知ってたし、伯母さんが話す夫がどんなに酷い人かという根拠も嘘(妄想?)としか思えなかったけど、他人事(自分に関わること意外は他人事だった)とはいえ、それだけ影響受けた。

私が変わったのか?
(慣れた?)

状況が違うのか?
(人間関係の話は×、病気だと平気?すがられる気がすると逃げる?)

感覚が鈍磨になってしまっただけ?
(大事な人の葬儀で泣けなかった。テスト勉強してた)

とまあ、思いつく可能性は考える、位しか納得する方法を見いだせない。
これを、根拠もなく「きっとすべて○○のせいだー」にしちゃったら
成長無いと見られるけれど。
<1121> 豆だいふく ■2005年09月09日 金曜日 11時26分10秒
何とか「デビュー」は果たせたのだけどずっと調子がよろしくない。とっても安全で温かい方々のお陰で素直な自分を出せたのだけど…。何でだろう?何かが怖い。でもとても大切な「何か」を見つけられたような気もする。焦らず続けてみよう。

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This script written by Shintaro Wakayama.