私は、自分のうそをつき続けていた。自分へのうそ。 恐ろしかったことがあった。大学に入ってのあるサークル、バイト先の人間関係。私はそれまでの「おとなしいね」「まじめ、おもしろくない」「気が弱い」「神経質」というレッテルを覆したくて、「明るく、おおらかでおおざっぱな子」「神経質では絶対無い子」、そして何よりも「気の強い子」目指していた。 変なこともたくさんやった。自分の一つ一つの言葉に「これで気が強く見えるだろう・・・」と思いながら言った。人の言葉も感情で聴き取れなかった。 「このような言葉を聴いた時は・・・こう切り返すのが強者や世間一般っぽい、「わがままで気の強い、おおざっぱな女の子」っぽい」そんな事ばかり考えていた。後は、人の話を聞きながら自分の頭の中で自分を傷つける言葉を吐いていたり・・・小さな頃から信じていた神様に「自分を惨めで汚く思えるような思いを持っているように見せたり・・・」そんなことばかりしていた。 そのうち、サークルでは、「OOちゃん面白いね〜」って言われながら・・・「こいつつっこめる〜」とか言われてバカにされていた。 バイト先でも・・・わざと失敗して「できの悪い子にみせて最初から期待されないようにふるまったり」「演技していることがばれないように、この人さっき私のこと「ばかっぽく」思った」と思えば、それ以外の知的な自分がでないように制御した。 私はサークルでもバイトでも自分の言葉が出てこなかった。そして、人と表面的に関わりながら・・・自分を自分で痛めつけていた。 そんな私を人は利用しようとした。私は又小学校の頃の再現しそうで怖かった。「本当は何もかも分かって許してやってんだ」的態度を取りながら・・・結局他人の心の傷やうっぷんのはけ口になっている私。そして、それに気づかないふりをしながら・・・じつは一番傷ついている。 「お前はうそつきだ」「お前は汚い、私より惨めになるべきだ」「お前はもともとずるいから幸せになってはいけない」 「OOちゃ〜ん、助けて」っていう母親の目や父親のすがるような顔、そして、一生懸命な私をばかにするように笑う母親、姉。何よりも姉には、いきなり思っても見ないところからびっくりするような言葉「きもいからやめて」とか、「ばかじゃん」とかがくるから、私はいつも自分の感情を人形のように扱った。 私も「たいしたことのないように」ずっと振舞っていた。 だって、私の感情も素直な思いも親にはさげすむ対象やからかいの対象やもしくは「お前は神経質だから、部活で治さなければ」「そんなんで世間でやっていけるのかお父さん心配だよ」という客観的な支配的な批判にさらされるしかなかったから。 私は、自分の素直なままの思いを人間として独りの弱い人間としてお父さんに受け取ってほしかっただけなのに。
|