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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.49
メッセージ数:980件

<980> ふうせん ■2005年05月20日 金曜日 06時41分41秒
淋しいという感情が、私には無かった気がする。
小さい頃から一人でいるのは気楽で、どれだけでも平気だった。
気がつけば、本が友達だった。
読書していると、時間はあっという間に経ってくれる。
<979> キーコ ■2005年05月18日 水曜日 09時59分02秒
まだ、どうしても 過去の結婚生活における 
「自分の葛藤」について表せない。
何か、大きな抵抗・・・多分 いつものように、
世間や他者に どう思われるか、
どのように評価されるのか・・・という不安と恐怖、
恥・・という諸々の問題が、自分の内にがあって、
自分のやりたい事を 押し止めているような感じだ。
<978> ベビル ■2005年05月17日 火曜日 19時09分07秒
孤独だ 孤独だ
語らいも談笑も爆笑もむなしい。いつもつきまとう空虚感。
愛して欲しい。ほんとは愛されているの知ってる。
自分はなにを求めているんだろ。
母のおなかへもどりたい。全面的に保護されたい。
怠け者で生意気で自分本位の
このままのわたしが好きだっていってください。
だれでもいい。

いつ大人になるんだろう。大人などいやだよ。
こんなマシマロみたいな精神力で生きていかれない。
かといって鍛える力も残ってない。
とおくへ行きたい。
<977> アーネスト ■2005年05月17日 火曜日 19時05分17秒
私は弱い人間だ,というだけでは弱さを受け入れたことにはならない。
自分のしたこと,一つ一つ仔細にチェックして,傷つけた人の顔思い出して
みないと。
<976> いつか ■2005年05月17日 火曜日 18時33分51秒
すみません間違いました。書き直しさせてください。
何か嫌な事が起きても、家でおかしいと言うと、おまえがおかしいって母は言った。このおかげで私は自分が正しいのか間違っているのか解らない。
もう少し詳しく言うと、正当な意見なのに、黙っていると犯人はおまえだってなってしまうよ、あぶないよってなっても身動きも出来ない時が山ほどあった。
そして湧き出る感情をひたすらアルコールなどで抑えてたつもりだったんだ。
悔しくって、死にたくなって、嵐のような感情が去っていくと信じて。
でも、それではいけない。
自分に正直に、生きていこう。
自分を見捨てていたから。
もう見捨てられない。
<975> いつか ■2005年05月17日 火曜日 18時21分21秒
何か嫌な事が起きても、家でおかしいと言うと、
<974> アーネスト ■2005年05月16日 月曜日 22時36分06秒
時々、船の舵取りをしないんだよな。ハンドルから手を離しているというか...。時間という船に浮かばせてもらっている。これでいいのかな?
<973> アーネスト ■2005年05月16日 月曜日 16時54分09秒

(言葉汚いです)


世間体なんて初めからどこにも無かった。世間体なんかくたばれ!!!と叫びたい。自分の周りのごく少数の人間によって作られた虚像だった。でもそれを作ったのは自分でもあるのだ。それを背負わせた人間には正直,腹が立つが,その責を,その重荷を持ち主に返すのは,まだ後のこと。準備が足りないだろう。
<972> アーネスト ■2005年05月16日 月曜日 16時43分56秒
とうとう認めることを始めたのか,という無力感を底抜けの寂しさを感じている。底抜けすぎて心が全部を感じきれていない。当然なのかもしれないが....なんだか,今までの自分に汽車からバイバイしている気分。どんどん遠ざかっていく。昔の自分。でもこれからは自分の「子育て」をやっていいよ,自分に認めればいいわけだし,それでいいんだろうな。
<971> キーコ ■2005年05月16日 月曜日 05時51分27秒
ぶつぶつぶつ・・・と、言っているのだけれど、
いったい「何」に対して、ブツブツ言っているのだろう?

まず、どうして こんなに不満を感じているのに、
その場所に 惹かれ続けているのですか。
「1」「2」「3」「4」・・・
だから、それなりに執着する訳があるのだ。

では「なぜ」、こんなに大きな抵抗を感じているのですか。
・・・という段になると、口がもごもごして動かなくなる。
思考が同じ所を旋回して、たじろいでいる。
思い切って、言ってみようよ。
<970> アーネスト ■2005年05月15日 日曜日 17時34分13秒
完璧さに代わるものを見つけたいな。
このままじゃ一生、苦しいだけだ。失敗しても拒絶されてもやはり私は私で言い,と思えますように......。社会引いては親の期待とはなんだったのか?自分を取り巻いていた靄や霧のようなものを取り去って「なんだ,そんなことだったのか。じゃあ従がわなくてもいいや。自分のやり方が一番,自分にとっていいんだ。正しいんだ』と思えるようになりたい。
<969> こくーん ■2005年05月15日 日曜日 16時10分15秒
昨日も頭が痛くて、鎮痛剤を飲んだ。小学生のころから頭痛持ち。熱が出ることもあるし、吐き気もする。
母は、自分も頭痛持ちだったから、と理解してくれていたと思う。
でも、頻繁に起こしていた頃、私にこう言った。
『頭の中に腫瘍でもできているんじゃないの?』
しばらく、本気で悩んだ。

私の母は、多分優しい。優しいけれど、自分に余裕をなくすと、急に驚くようなことを言う。いきなり、爆弾を落とす。
私は、『ああ、これが彼女の本音なんだな』と思う。
それを何度も繰り返した。何度も。何度も。
私は彼女の普段の優しさが信用できない。
優しさの裏で、私を攻撃するための火薬を集めているような恐怖感を感じるから。だから、彼女の優しさが怖いのだ。
だから、人の優しさすら、どこか疑ってしまうのだ。
<968> るあん ■2005年05月15日 日曜日 09時40分34秒
***フラッシュバック注意***



怒りじゃない、憎しみだ!
と、腹の底から声が聞こえた。
何だ、そこで煮えたぎっていたのは憎しみだったのか。
母に対して抱いてきたこの気持ち。
封印されて行き場を失い、自分に向かって空回りをしてきたたこの気持ち。
それは、怒りというよりは、憎しみだったのだ。

怒りだと思っていた。
怒りだと思えば、その正当性の根拠を長々と説明できる。
理屈という仮面をかぶって、安心して感情を表出できる。
自分に対して言い訳ができる。
だから、私は憎しみに怒りのフィルターをかぶせた。
醜悪さをむき出しにした裸の感情と、直面することがあまりに恐ろしかったがために。

しかし、そのフィルターを通過することのできない何かが私の中に残った。
その何かは、認めろ認めろと、私に揺さぶりをかけてくる。
それ程までに肥大化していたその気持ち。
論理的根拠などない。言い訳など許されない。
ただ認めることができるだけ。
そういうことだったのか。母に対する憎しみは殺意となっていた。

母に対する殺意を表明をするには、母の殺意を受ける覚悟を持たなければならない。
それが、怖かった。
逆に、もし今の私が母と1対1の殺し合いをするならば、私が勝つであろう。
それも、怖かった。
憎しみという感情が私に突きつけていた、殺人という構図。
私は、その構図から必死になって目をそむけていたのだ。
<967> こくーん ■2005年05月14日 土曜日 03時23分04秒
時々、ふっと新しい空気が肺に入って来て、『息ができた』って感じることがある。その瞬間、何かが掴めそうな気がするのだが、なかなか掴めない。するっと手をすり抜ける。
<966> ほーる ■2005年05月14日 土曜日 01時39分01秒
涙という生理的なものへの対処について(半信半疑)(ややフラバの可能性)


人前で泣く、ということはいつか自分にマイナスの力としてはね返ってくる。
無意識にそう思っていたのかもしれない。昨日私の家で起こった私の現実がそれを証明する。

父が自分のコンプレックスを兄に刺激され、手前正義の理屈でもって一方的に兄を叱り飛ばす。(ときにはまったく見当違いな理屈)

決まってはじめから悪者にされることに憤りを覚えているくせに、長年の父の評価が内面化されて即座に言い返せない兄。

父がその場からいなくなると、鬱屈した怒りをテーブルなりソファなりを叩き壊すほどの力で殴って発散。

以前は私に向けられていた力を目の当たりにして頭が真っ白になる私。
時間が経つにつれて恐ろしくなり、泣きそうになる。

ここで、いつも(ACを認めて後)なら
・ウワーッと感情があふれて泣き出す
のだが、今回はどういうわけか
・トイレに駆け込んで、人前で泣かない
ことを選んだ。

私は物心ついた頃から殴られてもあまり泣いたりしなかった。
泣いたところで相手が変わるわけじゃない、泣いてばかりじゃ恥ずかしいから、という思いもあったが、どうも、自分の涙による影響……というか作用について無意識的な学習があったようだ。
私が泣くことで父は自分の感情の正当性を強調するだろうし、それによって兄は自分の無実の感情を追いやり、さらに罪悪感を強める材料にするだろう。
父は権力者だからそこで済むとしても、兄には葛藤が残る。腹に溜まった怒りは「おまえが悪い」「おまえがアホなことをするから」そういう理屈(父と同じく一方的で筋が通っていない)で手近な弱者である私に向けることで父へのコンプレックスを一時的に回避してきた。つまり自分という人間は、父と兄の関係の膿をさらに濃縮されてきたものの行き着く場所にされているようだ、と気付いた。
それを子供の私は単純に、自分が泣くことが長い目で見るとどうも火に油を注いでいるんじゃないか?というふうに感じたのかもしれない。
それと、兄が殴ったからといって泣いてばかりいると、父はもうそれには飽いた、といった感じで庇ってもくれなくなってきた。家の中は殴られたくらいで簡単に泣く方が悪い、という雰囲気になり、兄の暴力はそれまでの「一応の罪悪感がある反射的な行為」、という印象が薄くなって、「気分次第の、最初からいやがらせのつもりの行為」、という悪質なものに変わっていった。
こうなってくるともう泣こうが何を訴えようが無意味である。泣くことは家庭を荒ませるばかりか、その度に自分自身に無力感を植えつけ苦しめる原因になる。それ以来泣く、ということは極力しないようにしてきたし、必要も感じなかった。
だから今まで人前でもひとりでも泣くことがなかった、というより泣けなかったのではないか。

意識的にしたわけではないが結論から言えばそんな努力は無駄だった。だがいまの私が考えるべきは自分のことで、二人のことではない。
最初トイレで泣きながらも「これは本当の感情を隠したことにならないだろうか?」と心配した。私はいま「隠す」「隠される」というキーワードに敏感になっているのでそれは当然の思いだった。
そこで思い出さなければならないのは兄が殴ったのは家具であって自分ではない、という点がひとつと、その場で起こったことは兄と父の問題であって、自分がその場で泣くということで自分が当事者(のような気分)になってしまっては自分にもいいことは何ひとつない、ということの二点だ。
しかし、私の苦しい過去と結びつく光景なのでそこから湧き出た感情自体にも罪はない。特に泣く、ということは生理的なものでどうしようもないのだから、それは出してやるべきだ。
だから、今回その場から離れたことはたぶん正解だったのだ。もし離れられなかった場合は説明が要るだろう。私に向けられたものなら……結果は仕方ないだろう。(もちろん冷静に、言葉での対応が前提だ)表現の余地がある「怒り」と違って、生理的なものはどう扱うのがよいのかわからないが、泣きっぱなしはいずれにせよ良くない。

初めで述べたことは自罰的で呪いじみている。親によってそんな風に思わされていた、という発想がないとあのような思いのままで死んだのかもしれない。私を泣かせた人間たちは結局、変わろうとは思わないのだろうか。もし、私がこの膿を誰かに渡せる立場にあったとしたら、変わろうと思っただろうか。
<965> キーコ ■2005年05月11日 水曜日 16時57分47秒
大ゆれに、ゆれたけれど、それでも「大丈夫!」です。
SOS!を 聞いてくれる電話もありますし、
それに、知人にも話が出来ました。

毎日、ひぃひぃ言って、ミリ単位で進んでいるけれど、
それでも 自分の言いたいこと、やりたい事が認識できて、
実行できたのは、すごいです。

久しぶりに、心から感謝します!・・・と言えました。
<964> こくーん ■2005年05月10日 火曜日 23時30分15秒
そこそこに順調に毎日が進んで。そこそこに笑顔でいられて。そこそこに収入もあり。そこそこに好きなものもあって。そこそこに友人もいる。
悪くない、今日このごろ。
なのに、なのに。
どうして、『生きる』ということを喜べないんだろう。
うれしいことがあっても、認められても、前より自分を愛せても、
心の中で『生きることの充実感』とは切り離されている気がする。
悪くはないのに、平穏なのに、終わりたいという気持ちからは開放されない。
<963> にょろ ■2005年05月10日 火曜日 22時53分30秒
自分の中にある恐怖を認めた
以前はそれを認めることすら怖かった
でも、ある日「私は怖いし、怖かった」と気づき
怖くて泣いた
怖くて怖くて泣いた
いまだに私のなかにある恐怖は消えない
でも、それを認識しているだけで
こんなに楽だなんて、知らなかった
<962> キーコ ■2005年05月10日 火曜日 08時35分51秒
一大決心して、出かけることにしました。
心臓が、ドキドキしていますが、
自分で決めたことだから、やってみます。
<961> アーネスト ■2005年05月07日 土曜日 23時57分43秒
笑うことの大切さを感じる。心深く,傷付いてきたように腹の底から笑うことはとても大事。最近、少し笑えるようになってきた。

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This script written by Shintaro Wakayama.