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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.44
メッセージ数:880件

<880> 豆だいふく ■2005年04月09日 土曜日 06時00分33秒
あと2日でこの「の〜んびり生活」も終わる。思う存分のんびりしよう。
昔は常に前倒し前倒しで準備したりしてキリキリしてた。本当に苦しかった。これからは「やる時はやる、やらない時はやらない」ってことをモットーにしよう。これって心配性の私にはとても勇気がいる。でもこれから先長いからねー。メリハリ着けないとまた爆発しちゃう。少しづつ自分のクセを変えていかなきゃだわ。
<879> アーネスト ■2005年04月09日 土曜日 02時10分30秒
自分は2、3年前に比べたら随分楽観的になってきたなーと思う。とても良い事。休養とそしてアファメーションのおかげだ。これからも(いい意味で)図太く、図々しく生きていきたい。
<878> 高齢処女 ■2005年04月08日 金曜日 23時53分55秒
人生は短い、死なないうちにやりたいことをやっておこう。自分がどちらの方向に行くのか、分からないが後悔しないように。
<877> 高齢処女 ■2005年04月08日 金曜日 22時13分59秒
上司に「社会人失格」と言われて一週間経つ。あんまり腹が立ったので、その後、数人にこの件を話した。私を上司、両方を知っているSさんにも話した。Sさんは、上司を嫌っている人がいること、私が気にしすぎであることを伝えてくれた。ほっとする。相変わらず対人恐怖には悩まされるが、それでもひところよりは大分ましになった。私は私に優しくない。他人に向ける半分も優しくない。我が身かわいさのつもりが逆効果になっているというこのギャップ。
<876> アーネスト ■2005年04月08日 金曜日 21時16分57秒
(フラバ注意)




辛い時こそ自分を労わる言葉を掛けることの重要性を感じる。昔は真逆だった。苦境に立たされると「お前はそんなこともできないのか?ほれ,もっと頑張ってみろよ」これが自分を励ましたり鼓舞したりする常套句だった。今は違う。辛い時こそ,自分の存在を丸ごと受け止めるような受容的な言葉を掛けたほうが楽になれることがわかってきた。それは決して甘やかしではない。昔は自分をいたぶる言葉だったから,根性焼きをしたり,卒論提出直前にリスカもしてしまったし,一時期は本気でマリファナに手を出しそうになった。こうやって振り返ってみれば自分に対して否定的な言葉を掛けることがどれだけ自分を損なうかがよくわかる。もう同じ過ちは繰り返したくない。

<875> アーネスト ■2005年04月08日 金曜日 21時08分03秒
傷付きやすいということは悪いことじゃないと思う。少なくとも今の僕にとっては。だって今まで痛いって感じることができなかったのが,できるようになったんだから,これはとても喜ばしいこと。一概に強い弱いで測れるものではないのではないだろうか。自分についた傷を認めることができて初めて,強くなれると思う。
<874> kitten ■2005年04月08日 金曜日 18時37分42秒
ある実験で、箱に入れられたマウスが、からだに電流を流されて、レバーみたいなものを押せば電流が止まる、というのがある。

 一匹のマウスはレバーを押して電流をとめる事を学習した。
 しかしもう一匹のマウスにはレバーを押しても電流がとめない、不定期に電流が流れる。すると次第にマウスはレバーを押すこともなくなり、ハコの隅っこで電流に耐えるだけになる。すこし曖昧な記憶だが、だいたいこんな感じだったと思う。

 私はいま後者のマウスになっている。その実験でマウスが電流を止めるようになる実験もして欲しい。いったいどんな過程が必要なのか、ものすごく知りたい と ふと思った。
<873> こくーん ■2005年04月08日 金曜日 13時22分36秒
自分の内面に浮き沈みがあって、コントロールが利かない、ということに気づいたのは小学校高学年の頃だったように思う。初めは運の良い日と悪い日がある、という認識だった。
<872> 高齢処女 ■2005年04月07日 木曜日 23時13分42秒
 どこかに書いたことだが、私は苛められても怒るということをしない女だった。嫌われないように「反省」しなくてはならない、そう思ってた。怒りや憎悪を見ないふりをしてた。私はいい人なんかではなく、周囲もいい人ではなかった。「ある」ものが「ない」ふりをしてたのだ。嫌なのに平気なふり。「ない」ものが「ある」ふりもしてた。ただの苛めなのに、注意してもらっていると思いこもうとしてた。
 今思うと自分が誰ともつきあえなかった理由が分かる。自分の嫌なめんについて向き合うのが怖かった。相手にそれを知られるのが怖かった。相手に嫌われるのが怖かった。他人が自分の思い通りにならないことで打撃をうけるであろうことが怖かった。
 
<871> 高齢処女 ■2005年04月07日 木曜日 23時02分01秒
 思い出を切り捨てることはできない。怒りや憎しみや不安をなくすことはできない。自分の心は自分の思い通りにはならない。他人の考えを自分の思い通りに変えることはできないし、全ての人がいついかなるときでも自分の味方であることはけしてない。だから多分愛は貴重なのだろう。
 私は自分の人生に愛着を持っている、と最近気づいた。家族も友達もなくお金もなく、大して楽しくもないのになぜだか、誰か他の人のと取り替えようとは思わないのだ。だからといって、現状に満足しているかというとそうじゃない。ずっと一人の癖に孤独は相変わらず嫌いだ。私は社会的に成功してはいないし、それだけの実力もないが、努力をしなくてもいいとは全然思っていない。ただ、私は私でしかないのだ。

 
 


<870> アーネスト ■2005年04月07日 木曜日 20時46分37秒
親の承認を得るために,身につけた完璧主義は今の私にとって身を滅ぼす考えでしかない。僕以外の人だって誰も僕に完璧を求めちゃいない。もっと楽にいきたい。
<869> キーコ ■2005年04月07日 木曜日 17時34分51秒
その時には、最善の方法だと思って取った行動でも、後から思いかえせば「ああすれば良かった、もっと配慮して行動すれば良かった。」と思うけれど、当時のことを考えれば、やはり、ああするしか仕方がなかったし、自分の取った行動は、あの状況の中では、最善ものだった。…という結論に、いつも達する。

最善で最良だと思うのならば、なぜ、どうして、未だに、心がこんなに疼くのだろう?・・・・
過去を悔いるというのでもない・・・、慙愧の念に耐えない…というのでもない。
 
いつも、心が体の芯が痛くて、ひどく痛んでいて悲鳴をあげているみたいで、ひどく苛ついて、少しも安らげない。
体中が痛くて、痛くて、どうしようもなくて…、身の置き所がなくて・・・・・。

…………………ず―――っと、こんな風に苦しんで、苦しんで生きてきた。
<868> アーネスト ■2005年04月07日 木曜日 13時46分11秒
今やっていることが何年後かの自分に影響するっていう言葉を最近、よく考える。前はそんなことも考えなかった。もっと刹那的で,今ここでしれければって思ってた。浅はかで傲慢だった。それは生活にしてもそう。無理なスケジューリング,夜更かし。「充実した生活」や「目標達成」のためなら健康を害してでも,頑張るのが正しい姿だと思っていた。格好いいことだと思っていた。でも,健康を失って初めて分かった。健康がなければ何もできないんだって。自分を大切にしたい。自分の世話ってできているようで,私にはちっともできていない。
<867> ふうせん ■2005年04月06日 水曜日 14時17分21秒
「〜しなくちゃ。」と考えれば考えるほど体はどんどん重たくなり、頭はぼんやりしてきて、何も出来なくなる。しなければいけないことは、山ほどあるのに、「しなければいけないこと」に押しつぶされて、身動きが取れなくなった。

私の話を聞いてくれた人が、「xx(わたし)さんに必要なのは、目標だね。」と言った。‘目標?’

中学に入学して、初めてのテスト(中間テストだったか)、結果は中の上。
母に似て頭の鈍い私にしては、思ったより悪くはないと言う顔で順位表から目を上げた父は私に言い渡した。「次は、・番以内だ。」「xx高校に合格しなければ中卒で働け。」
毎回言い渡される目標順位、達することが出来ないと思った何度目かの試験の時、父の罰を恐れた私は、ついに カンニングをした。

自分は人間の屑だと思った。
ずーっとそう思ってきた。
 でも、もし父に脅し続けられ殴られないですんだなら、
私は、カンニングなど決してしなかったのではないだろうか。
十二歳の私に、「カンニングしたのはあなたが人間の屑だからじゃないよ、そこまで追い詰めた父親が悪いんだよ。」と言ってあげた。その子は、大泣きした。


最近読んだ本に、‘しなければならない’のかわりに、‘私は〜することを選ぶ’と考えよう、というような事が書いてあった。

私は、自分のしたいことをあまり考えずに(考えてもすぐに自分で否定して)、なんとなく生きてきたらしい。
大学に入学するまで、何もかも親に決められたとおりの道しか選べなかった。
私の意見はことごとく否定され続けてきた。

親に常に馬鹿にされ続けてきたからだろうか。親から離れた今も、自分の中に生まれた夢・望みを目標と定める前に‘どうせ私には無理、出来っこない’と、片端から捨ててきていた気がする。
『目標』は、いつも父から言い渡される、恐ろしい物であり、決して(父を満足させるようには)到達することの出来ない物だと、恐れて来た。私にとって、目標とは、そういうものだった。大学に入って親元を離れてからは、決して目標を立てなかった。達することが出来なかったら、と思うと恐ろしくて、どんなに小さな目標も、決して立てなかった。

自分で決めた目標ならば、困難にぶつかっても自分の内側から力が湧くのだろうか。

‘家の中を片付けねばならない’ではなく、私は部屋がきれいに整っていることを望むので、部屋を片付けることを選ぶ。’、‘学校に行かねばならない’ではなく、‘私には、私が自分で選んだ叶えたい望みがあるので、そのために、学校で勉強することを、私は選ぶ。’

私の体をぐるぐる巻きに縛り付けていた何かが、少し緩んだ気がする。
<866> りん ■2005年04月06日 水曜日 13時02分46秒
寂しい寂しいさみしいさみしいさみしいさみしい
どうしようもなく
不安で
誰かと話していたい
誰かにすがりつきたい
もう駄目
たすけて
つらいの
くるしいの
たすけて
理由?
わからない
<865> 豆だいふく ■2005年04月06日 水曜日 10時17分22秒
はあ〜〜、やっと気持ちが落ち着いた。撃沈してから早2日(?)。泣いて、泣いて、泣きまくった。

忘れてしまいたいことや〜♪どうしようもない寂しさに〜♪包まれたときに女は涙流すのでしょう〜♪

うん、やっぱこの方法がいいね。自分も他人も傷つけないですむ。今日は朝一でポン・デ・ライオンのおもちゃをGETしたし。
正直まだまだまだまだまだまだ悲しいけどね。そしたらまた泣こう。
<864> こくーん ■2005年04月06日 水曜日 04時30分19秒
自分の内面を人に曝すのが苦手、というかコワい。見せるというより曝す。招き入れるというより、踏み込まれる、というイメージがある。
私の母は、家族のプライヴェートに干渉するとき、まずは丹念に証拠集めをする。そして、完全包囲網を作り上げたところに、ノックもなしに踏み込む。
逃げられない。親なんだから当然の権利だ、と高らかに宣言をする。
1人暮らしを始めた時、全然さみしくなかった。むしろ安心した。
ここでなら、自分は自分でいられる、と思った。
<863> 花梨 ■2005年04月05日 火曜日 23時52分17秒
あたしの信条。昔は努力なんて言葉が大好きだった。可愛いな〜。
今のあたし?人に問われたらこういいます。
はっぴぃらっきぃGO!
と。ハッピーなとこにラッキーは来るのだ。
だからGOと進むの。
何があっても、負けちゃだめ。転んだらすみやかに立ち上がる。
たまにのぺ〜っと寝たりするけど、できるだけすみやかに立ち上がる。
勝たなくてもいい。負けなければ。自分にね。
<862> アーネスト ■2005年04月05日 火曜日 20時37分29秒
捨てる、諦めるという寂しさと,欠落感とこれからの不安と期待が入り混じっている。
<861> キーコ ■2005年04月05日 火曜日 19時17分59秒
どうしても、ある分野の問題になると、自分の気持ちが表せなくなる。
他の人の評価が気になって仕方がない。

よく家の中のことは、絶対に外で話してはならない!・・・と、あの時 お母さんにこっぴどく叱られたもの・・・。
ほんとうに怖かった〜。夕食時にテレビをみていたら、急に「昼間の行動」を指摘されて、それからぎゅうぎゅう絞り上げられて。

こちらにすれば、「青天の霹靂」だ。
物凄い剣幕になるし、謝っても まったく受け入れてくれなくて、ますますエスカレーとして、とどめは『お父さんが帰ってきたら、話します!』だもの。
 
とにかく、お父さんは怖い!・・・だから、「そんな事をされたら大変だ!」っと思って、土下座して、必死で泣いて謝ったけれど、ダメだった。

父が帰ってきたら、早速報告して、アッという間に父の形相が変わった。
「・・・!」て呼ばれたので、震え上がってお母さんの後ろに隠れたら、父の前に突き出された。

結局、自分たちが「近所の噂話や、批判」を、小さい子どもの前でやっていて、それを、まだ分別のつかない・幼いわたしが、ただしゃべっただけなのに・・・。
しゃべったのは良くない事だったの?・・・かなぁ。今振り返って、思い返してみてもそうは思えない。
「それ」が分かる年齢ではないのだから、別のやり方で、子どもに「家の規則」を教えるべきではないか。
それに、子どもに聞かせられない話は、すべきではない。・・・と思う。
それも、子どもの目の前で、自分たちのとった行動は、まったく省みず、こんな風に怒るなんて、なっちゃいないと思う。

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This script written by Shintaro Wakayama.