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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.4
メッセージ数:80件

<80> 花太郎 ■2003年11月05日 水曜日 19時00分29秒
今日は、何も感情が出なかった。飯が食いたい程度。今日もやりたいと思うものがなかった。買いたいものもなかった。明日もそうだろう。
<79> j ■2003年11月04日 火曜日 19時09分24秒
僕には能力はないと思う。やりたい仕事はないし、みんなからバカにされてきたから、やっぱり偏差値の高い人間は人生の勝ち組、僕は負け組
<78> カメレオン ■2003年11月04日 火曜日 17時31分20秒
何も感情がない。面接試験を受けても表情がないと云われた。ずっといい子を演じてきたから。親のいったまま、教師のいったまま、友達のいったままをそのとおり演じてきた。自分でそのまま生きていくのは無理だから、誰かシナリオを作ってください。私の人生は感情なくてもいいから、台本くれ
<77> WINNIE ■2003年10月30日 木曜日 19時06分10秒
母親から言われたことで、今日怒りが触発されてしまった。
私は怒りを、すっきり解放するような表現ができない。

また、怒りがアディクションにもなっているようだ。
内なる子供が出てくるための、数少ない出口。
だから、際限がない。

インナーチャイルドを、はっきりとらえることはできないけれど、
なんとなく想像がつく。

片や背中に手をまわし、ぽんぽん、とたたき、優しくなだめる。
そうすると、怒りはなぜか引っ込んでしまうのだ・・・
きっと怒っていることは、目の前にあることではなく、
だだをこねているようなものなのかも。
<76> にょろ ■2003年10月29日 水曜日 11時17分42秒
時々怒りがおさえきれない。
それは、理由もないのにふつふつと湧き上がってきて、全身が「恕」になり
顔は青筋立ってます状態。
いや、本当はきっと理由があると、心のどこかで気づいているのだけど、それすら
考えるのが億劫で・・・・・・・・・・・
嘘。本当は、私が感じてるのは、怒りじゃなくて悲しみでそれを認めるのが癪で
だから、鼻から息だして怒り狂ってんだ。そうだった。
<75> まんまる ■2003年10月27日 月曜日 12時53分46秒
自分の感情が、ある場面では無の透明になってしまう事に気づいた。
今まではこんな時にはこう感じるんだろうなと言う憶測で
いたのかとも思う。
先月から始まって、先週は何回か続いた。
何だか気持ち悪い。

初めの頃は、無意識に心を守ってシャットアウトしてくれているのかな
なんて思っていたけれど、
こう「無」っていうのをはっきり感じると不快感が強い。

喪失の「悲」と好意に対する「喜」。
これが感じられなかった。

自分の状態を考えれば仕方ないんだけれど、
感じすぎるのも恐いんだけれど。

いつかは、戻ってくるんだろう。
今はこの状態を認めるのがいやだな。
のど元に透明無味なゴムがつかえている感じがする。


<74> まぁ ■2003年10月25日 土曜日 21時33分38秒
「いつから大人になる いつまで子供でいいの
どこから走ってきて ねえどこまで走るの

居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待出来るのか分からずに

人を信じる事って いつか裏切られ
はねつけられる事と同じと思っていたよ
あの頃そんな力どこにもなかった
きっと 色んなこと知り過ぎてた

いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな風に周りが言えば言う程に
笑うことさえ苦痛になってた」

今日テレビでたまたま、この歌聞いた。

今までただの歌だと思ってたのに、ACだと自覚した今は、なんだかすごく意味がある歌に感じた。
この歌手がACだったのかどうかは知らないけど、
あったのだったとしたら、
こういう歌を発信してくれたことをうれしいと思った。

この人は信じていい?信じないほうがいい?
いつもそう思いながら人と付き合ってるなんて、誰も想像してないんだろうなと思いつつ、もしかしたら誰かに気づかれているんじゃないかとビクビクしている自分。

だからいつも、「みんなに好かれようと思ったって無理だよ」と言われても無理する。
妹にも「お姉ちゃんの性格は分からない」といわれる。
自分でも分からないと思う。
すごく冷たいと思うけど、すごく優しいと言われる。
その代わり、こいつとだけは絶対に仲良くならなくたって後悔しない、という相手には過剰な批判をしてしまう。
だからみんな、私のこと良く分からなくて、友達になるとウザそう、とか、喧嘩したらああやって批判されるんだろうな〜とか、思って遠巻きに眺めてるんだろうなと思ってしまう。
そうでないかもしれないのに、と思うけど、そうであったときのために、そうでないかもしれないと思わないようにしている自分。

結局私って、人間不信だったんだ、と、ここに来て気づいた。
それが分かっただけでも、少し前進したかもしれない。
<73> 埴輪 ■2003年10月24日 金曜日 12時26分42秒
感情の波が激しすぎる。
「やればできる」と言って自分を奮い立たせることもできないことはない。
でも、もう疲れてしまった。
つまずいて、どんぞこの気分になって、「きっと今度は上手くいく」とがんばってみて・・・
そんなこと繰返してきたらしい。
このサイクルの延長線上に「成功」とか「幸せ」があるんだと思ってた。
<72> sora ■2003年10月24日 金曜日 11時37分43秒
結局人間の悩みって人間関係に尽きる。ACの私は当然ながら壁にぶち当たる。
「一般的な人との接し方」を知らなかったのでわからない事が多い。
私にとって、人とコミュニケーションをとる時、一番の基準は「相手に好かれる事」だった。だって、私にはずっとそれが母との間では当たり前の事だったから。
でも、それってすごく疲れる。いくら私が「私の事好きになって。それが無理でもお願い嫌わないで!」と心で必死で願っても、相手に強要できない。相手の自由だものね。それを頭で理解しててもなかなかクセは抜けない。
でも、最近思った。せめて「良心的」な接し方ぐらいは心掛けようと。
自分の心はまだまだつらい。だけどイヤでも人間関係は目の前にある。
エゴのかたまりになりやすい私は自分を防衛するのに必死になって、人に不快な思いを与えてしまう事が多い。
せっかく人が優しさを与えてくれたなら、せめてその人には良心的な態度で返したい。
とりあえず、心を見つめなおす事と同時にやってみようと思った。
<71> かぼす ■2003年10月23日 木曜日 19時52分01秒
私は、ACだ。自覚したのは、高校生のときだった。ACについての本を買ってきて、何度も繰り返して呼んだ。親の目に触れないよう、机の下に隠して。
あれから数年。まだ、一人で抱え込んでる。
問題も起こさず、グレもせず、よく生きてきた、と思う。えらいね。誰も言ってくれないけれど。人畜無害な顔をして、周囲に気を使って。それでもたまに、孤独感と自己嫌悪でつぶれそうになる。
今私に必要なのは、ありのままの自分を認めること。巷にあふれる、「自分を愛する」という言葉。何度も何度も、自分を好きになろうとしたけれど、、、。勉強を頑張ったり、部活を頑張ったり、人に優しくなろうと努力したり、そうすることで自分を好きになろうとしていた。実際、好きになったと思ってた。でも、心の底では本当の自分は醜いという考え方を拭えていなかった。人と自分を比べることを、やめられなかった。パワー・ゲームから降りられなかった。自分を大事にせず、人の役に立つことで人から認められようとしていた。誰かが、気づいてくれること、救ってくれることを願っていた。
今はとてもとても、疲れている。優等生を演じることにも、「いい人」=「都合のいい人」でいることにも。ゆっくり休みたいけれど、休んだら起き上がれないような気がして、怖い。
怒り、悲しみ、悔しさ。吐き出さなければ、自分が疲れきってしまう。わかってはいても、こんな自分なのだから我慢するしかないと、諦めてしまう。

とにかく、明日一日だけ、苦しまず生きてみよう。明日だけは、自分の価値を信じよう。
<70> およよ ■2003年10月23日 木曜日 15時42分12秒
「とても、寂しいです。誰か私を力いっぱいに、抱きしめてください。」
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ。こんな言葉を言ったのも、生まれて初めてだ。氷のように硬く、冷たく、閉ざされていた私の気持ちが、少しづつ動き出した。少しづつ、溶けてきたような気がする。今とても恥ずかしい、こんな事を求めて良いのだろうか。と思うから。きっと、親から、抱きしめられなかった子供時代をすごしたのだろう。そんな事を求める事さえ、想像さえ出来なかった。なんて、哀しい私の生い立ちだろう。よく生きてきた。えらい。やっと、人間らしさが、出てきた。
<69> 霧の森 ■2003年10月23日 木曜日 02時03分12秒
寂しいなぁ、寂しいなぁ。
自分は飢えているなぁ。
渇望がとまらないなぁ。
でもそんなに感情は出ない。出したことないから出すのは怖い。だから必死の抑圧。抑圧することには慣れてるし、上手だし、それにはあまり限界というものがない。だからいくらでも抑圧。表面上は普通にぼんやりとしているだけだ。いまさら人に擦り寄っていくことも子供返りみたいに誰かに擦り寄ったりもしない。でも薄皮一枚のところで音を立てて渇望が渦巻いているんだ。
でも、感情はやっぱり表面化しない。
文章にすると、やっぱり味気ない「寂しいなぁ〜〜〜・・・・」って感じなんだ。私はやっぱり抑圧が上手なんだろうな。感情を潰すのすら上手になってしまった。寂しいとつらいからね。つらくない、つらくない。
悲しくない、悲しくない。
誰かに寄って行ってはあっというまに飛び立つ日々。色んな人が流れていく。わたしはつむじ風のようだ。でも寂しいなぁ・・・・
ほんとに寂しいな・・・誰か私を殺して食べてよ。そしたら、もう逃げないし、逃げたいとか思わなくて済むし、心変わりする誰かを見ることもない。ああ、今日はヤバイモードに違いない。こんなこと言い始めてる。
でも言ってるだけ。だれかが私を殺して食べてくれるなんて、当然、幻想なんだし。でも、言うだけはタダ。思うだけもタダ。たまには・・・たまには、ね。
今日は寂しいんだ。いつもより、ちょっとだけ多く。
<68> L ■2003年10月23日 木曜日 00時23分36秒
どういう訳か、今朝がたはそんなに気分が悪くなかったのに、夕方出かける段になって、どうしようもなく気が滅入ってきた。
もしかしたら、自分の自堕落な生活が耐えられなかったのか・・・。

夕方は「お勉強」に行ったのだけれど、体もだるくて座っているのが苦痛だった。
「どうしよう。どうしよう。どうしたら少しでも楽になる?」
休憩の時、何度もため息をついてみたり、机に俯してみたけれど、駄目だった。
陰々滅々としていた。
ときどきこういうことがある。
口の中に砂の味がする。
周りのものが殺伐として見える。世界が死んだ感じ。
底なしの穴の中に自分が落ちていく感じ。
声を出す力も残ってない。

体を動かしたら何とかなるかと思って、夜道を歩いて家まで帰ってきた。
家に帰っても夕食を作れそうになかったので、途中でカレー屋に入ったのだけど、
刺激物を食べたら元気が出るかと思ったのが、浅はかだった。
食べた後、食べたこと自体が気持ち悪くて吐きそうになった。
「駄目駄目、これで吐いたら、また癖になる。スイッチが入る」
だから、無理に飲み込んだ。
まるで現実を、自分を、持て余しているみたい。受け入れ兼ねてるみたい。
吐こうか飲み込もうか、葛藤してるの?
どうしていいのかわからないの?

ここ数年なかった位、ちょっとDEEPな気分。
諦めて、落ち込むだけ落ち込むことにした。
明日はまた、今とは違うだろう。
感情は過ぎ去る。そう思うしかないな。
「でも慢性鬱だったりして・・・」
もしそうだったとして、今どうしようもないじゃない?
「今日の」鬱を生きるしかないよ。
<67> 埴輪 ■2003年10月20日 月曜日 12時44分01秒
ACを自覚したのは3年前。
ゼミの課題にちょうどいい社会問題を探していた。
本来の専攻より、よっぽど詳しくなってしまった。
本に、自分のことが書いてあるから。
でも、レポートは発表しなきゃいけないから
みんなの前で冷静にACについて読み上げる自信がなかったから
全然関係ないやつに変えた。
一通りAC関連の本、サイトを読みあさって
「私は自力で立ち直ったんだ」と、思ってた。
それが最近・・・。
やっぱり上手くいっていないことに気が付いた。
上手くいった気がしたのは、脳内だけだったんだ。
結局、立ち直ったと思っていた3年間の間に必死でやっていたのは
パワーゲームってやつだったらしい。
何とかして、自分の優れた部分を探そうと必死だった。
でも上手くいかないから、ああ自分も負け組みかよ、って追い込んで
でも自分を追い込むことができるのも長所だと思って
こないだ面接で言ってみたら鼻で笑われた。
社会にでるまでに、今度こそ方向転換したい。
私は楽しく暮らしたい。願いはそれだけなのに。
開き直る自分を許してやれ、って自分に言ってるんだけど。
<66> 2匹のチワワ ■2003年10月19日 日曜日 10時02分47秒
自分がいやで、ずっと劣等感を持ってきた。
自分で何もできない、誰かに何か言われないと、何をすればよいのかわからない。
失敗が恐い。怒られるのが恐い。笑われるのが恐い。

スタイルも顔も悪い。
性格もばらばら。

子供にちゃんとした母親像を見せていない。
今は、仕事をやめて、無収入。
主人とのセックスが嫌で、いつも逃げている。
優しい主人に、優しく返せない。

自分が全く価値のない人間だと思えることが多い。
存在していること自体が、周りに迷惑をかけていると思う。
親にも、なんの孝行もしていない。
親のことは全部、弟にまかせっきり。

自分がいやで、家族にも申し訳ないと思う。

でも、こないだ、カウンセラーが、誉めてくれた!
私のような病気の人が、それだけのことをするなんて、凄いことなんですよ、って。
嬉しいな。
いつも、自分に自信がなくて、不安だから、そうやって誉めてもらうと、
とっても、ほっとする。
ありがとう、私のカウンセリングの先生。

<65> ひとみ ■2003年10月19日 日曜日 00時04分00秒
少しずつ自分に興味が湧いてきた 自分の心の声に耳を傾けてみよう なぜ?と思う事 1つ1つ丁寧に考えてみよう 違和感やズレを感じたらスッキリするまでゆっくり考えてみよう 幸せになりたい もっと快適に生活したい
幸せって何?快適な生活ってどんな事? 物欲を満たす・人と比べて安心するなどの方法は散々繰り返してきた お金や物 薄っぺらな人間関係などでは自分の気持を満たす事はできない ではどうすれば?それを考える事が生きる事なのかもしれない もう白黒つけるやり方で自分を安心させなくていい あれこれ考え 悩み それによって導き出した答えに意味がある 努力の過程が自分の生きてきた過程が大切 自分が幸せだと感じる為に 努力し続ける 例え又自分を見失っても 苦しくなっても 又そこからやり直せばいい 人生は長いいくらでもやり直せる
<64> SUN ■2003年10月16日 木曜日 14時16分43秒
プラスのイメージの言葉、それ自体にエネルギーがあると思う。プラスの言葉を自分自身に語りかけていきたい。そう思い始めてマイナスの感情を持つのはいけないことなのかと少し悩んだ。マイナスの感情でも本当の自分の感情であることには変わりはない。マイナスの感情に蓋をしてしまうのは絶対よくない。ただ、マイナスの感情に溺れてしまうのもよくない。マイナスの感情を持っている自分を客観的に見れるようになりたい。そしてそのマイナスな感情から自分を引き上げてプラスの方向へと自分を導いていきたい。
<63> シャローナ ■2003年10月15日 水曜日 21時09分23秒
私はとにかく「情動」というものが恐くてたまりません。ビクビクしてます。
だから人が何か言うと、圧倒され身動き取れない状態になってしまうのです。これは相手からはわからないと思います。反応がニブいとかその程度で。
そのせいか、私は感情をあまり出さない人と付き合うことが多いように思います。そのほうが楽なんだけど、関わりも薄くて物足りず、本当に親しいのかいつも疑問です。
<62> 霧の森 ■2003年10月13日 月曜日 01時46分03秒
私はアダルトチルドレンという言葉を避けて生きてきた。なぜかというと、とても自分が不幸のヒロインになりきってしまうのではないかと思ったからだ。そして、自分の「不幸」に溺れてただの軟弱な甘ったれた生き物になってしまうのが恐ろしかった。とても不安が大きかった。
この年になってそろそろこの言葉に近づいてもいいのではないか(怪我をしないのではないか)という気がしてきた。自分が何かである(AC)である、というときにおこる弊害や、利点などそんなものも受け入れられる(だろう)。何が怖いかって、やっぱり自分が今よりさらに意味のない、くだらない、取るに足らない無駄な生き物になるのが怖かった。今でも実際まだまだ怖いのだ。だからACという言葉を避けてきた。自分はACではないかと思いながらも、自分がACであるということにしたら(認めたら)必死に普通の人間にまぎれて確立してきた自分が崩れていく予感がしていたんだ。
でも、やっと、ここに出入りして、他の方々の書き込みを見ても素直に読み、感じれるようになった。自分の「本当に」考えていることも表に出せるようになってきた。今なら自分がACだと言える・・・かもしれない。本当は、大きな声でACだと言いたい。でも不安が押し寄せる。だから、まだアウトプットするときはまだ・・・「かもしれない」と付けてしまう。
まだ、私は私の心に嘘をつかせようとしているのだろうか?
<61> WINNIE ■2003年10月13日 月曜日 01時19分31秒
私のさびしさは、どういうさびしさだろう。

コミュニケーションの下手さからくるもの。
自分の人との違いが、大きく見えてしまうこと。
気持ちを人と、なかなか交わせないこと。
何をするにも、頭の浅い所を通り抜けていくようで、むなしくなること。

他にも何かあるような気がするけれど、思いつかない。

よくわからないけれど、夜になって頭が冴えてくると、同時に寂しくもなってくる。眠くてだるい昼間の方が、ましだろうか。

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This script written by Shintaro Wakayama.