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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.34
メッセージ数:680件

<680> こくーん ■2005年02月21日 月曜日 13時18分44秒
会話をしているうちに、
相槌を打っているのか、
相手の欲しい言葉を捜して与えているのか、
できるだけ少ない言葉で相手をコントロールしているのか、
ふと、わからなくなることがある。
<679> 豆だいふく ■2005年02月21日 月曜日 10時46分13秒
なんつーか・・・
自分が思っていた通りに事が進まなくても
進まなかったから良かった。進まなかったからこそ今や次がある
って考えられたら楽だよね。
思い通りに進まないことが逆に良いことだってあるわけだしさ。
頭切り替えなくちゃね。
<678> こくーん ■2005年02月21日 月曜日 03時22分55秒
昔は、[正しい人]になりたかった。
正しければ、何があっても大丈夫だと思っていた。
だって、私は正しいんだからって。
正しければ、負けないはずだって。

いつからか、それは変わって、
私は[バランスの良い人]になりたいと思うようになった。
そして、いつも自分のバランスの悪さにイライラしていた。
なんて偏った、不安定な自分!

最近ふと思った。
自責の念に駆られたとき、自分が最低最悪に思えたとき、
心の中に天秤を想定してみる。
偏った上皿が見えたら、どっしり下がった反対側に分銅を乗せてみようと。
大丈夫。私の中にはもう一方の分銅が存在するはず。
信じて、見つけて、乗せよう。
自分の負の部分は簡単には消せないから、せめて、正の分銅でバランスを
とろう。これは新しい試みだ。
<677> ロヴィン ■2005年02月20日 日曜日 16時26分21秒
最善、最良を尽くす。善処する。健闘する。
いい言葉だと思う。今の自分の気持ちを表わしてる。
自己評価の低さから来る頑張りすぎじゃなくて,
基本的に根本的に「あるがままの自分」を肯定した
上での取り組み。

去年は鬱が襲ってくると,自責の念に駆られたけど
もうそれは止めよう。鬱になってる時点で頑張りすぎなんだよ。
そういう時こそ自分に優しい(決して甘やかしや放縦じゃなく)
言葉をかけてあげたい
<676> そら ■2005年02月19日 土曜日 19時20分41秒
なんていうか・・
意見されると頭にくる。
いつも私は一人でやってきた。
助けて欲しいときに、いつも誰もいなかった。
そのせいか、意見されると頭にくる。
これじゃいけないんだけどね。
「どうして頭にくるのか」よく考えてみようと思う。
<675> ロヴィン ■2005年02月19日 土曜日 17時56分29秒
今まで千回くらい思った。

『体の疲れだけで,なんでここまで鬱になるんだろう?』って。
勉強中とかもそう,ちょっと突っ伏して眠るだけで,全然
気持ちが変わったりする。それが腹立たしい時さえある。
<674> kiwi ■2005年02月19日 土曜日 15時08分09秒
上手く言葉にできるかな。自分の感覚について。

私は今まで、自分の感覚だけは、信じて、頼りにして、
それに基づいて、いろいろな決断を下してきた。
自分の感覚からは、栄養を得ることが出来た。
常に自分の味方だった。
私はACだけど、自分の感覚は100%信じていた。
それが私の核のようなものだったのではないか???
過去形で書いてるけど、今でも変らない。
私は自分の中にある形の無いものを、無条件に信じてる。

それが、あの時突然、揺らいだ。
自分の感覚に自信が持てなくなった。
今までに無いことだった。
「こう感じるのは、正しいのか?間違っているのか?」

今だから言えるけれど、
当たり前のことだけど、
前から分かっていたはずだけど、
どう感じるかは私の自由だ。

そんなに怖がらなくても良かったのにね。
もっと自信をもとう!
<673> 豆だいふく ■2005年02月19日 土曜日 14時54分05秒
今日は早朝から今までガラにもなくケーキ作りに燃えていた。
4回目のケーキでやっと成功した。
途中でキレて粉ぶちまけてネコがビビってた。
でも何とか諦めずにやり遂げました。(よくやったね、豆っち)
こういう経験の一つ一つが大切なのかもね。
結果なんてすぐにはでないさ。
さーて、これ一人で食べんの寂しいなーー
<672> 高齢処女 ■2005年02月19日 土曜日 00時00分28秒
疲れた。自殺って最後の切り札って気がする。
とてもさびしい。愛されないのは辛いこと。愛すべき対象がないのはもっと辛い。愛されたことのない人間は、愛されていることに気づかない。気づいてもどう対処すべきか分からない。だって自分の経験にないから。
私はもう、「いつか誰かが私を愛してくれ、私は変わる」なんて思ってない。
自分の不幸をこれ以上親のせいにしてそこに逃げることもできない。
夢見る頃を過ぎたのはいつのことだろう?
私は平気なふりをして生きているのがつらくてたまらない。いつかこの状況が変わると信じているけど、それでもつらくてたまらない。私は愛を知らない。
それなのにというより、だから愛に飢えているのかも知れない。
<671> ロヴィン ■2005年02月18日 金曜日 21時46分51秒
私は基本的に,今現在とらわれている感情のみに着目し,予期不安や悔恨は全て受け入れる,というかあるがままの状態にしている。起きてもいない事に対する不安を掘り起こせばキリがないし,後悔の念があるのにそれを無理に抑圧することもしたくない。
<670> そら ■2005年02月18日 金曜日 19時11分14秒
否定して生きてきた。
すべてを。
見たものも、聞いたことも、感じたことも。

なかったことにした。
知らないふりをした。
自分の捉え方が間違っていると決め付けた。


今になってそのツケがまわってきた。
正直にならなきゃいけないんだね。

見たものを見たって認め、聞いたことを聞いたって認め、感じたことを感じたって認めてあげるの。
自分自身に。

そうか。
私はこれをせずに生きてきたのか。
生きにくいはずだね。

これからは変わって行くよ。うん。きっと。
きっと、そうしよう。
<669> キーコ ■2005年02月18日 金曜日 17時39分11秒
胃が、キリキリして痛いよう・・・。
それに、冷や汗が出てくる。
過度の緊張状態の中に居るのだけれど、こういう状態が一番苦手。
<668> けろ ■2005年02月18日 金曜日 13時17分52秒
親へ慈しみを感じることができない。「もうすぐ入院するかもしれない」という母に私はやさしい言葉をかけることが出来ないし、あまり関わりたくないと思っている。両親あっての私なのに、頭ではわかっているのに、私の中から消してしまいたい存在たち。ごめんなさい。
<667> ロヴィン ■2005年02月18日 金曜日 10時11分52秒
打たれ強く...なったんだろうな。打たれ強くなった,と言うより自分の弱い部分を受け入れる許容量が増えてきたから,前ほどへこむことがなくなったんだと思う。
<666> 奈々海 ■2005年02月18日 金曜日 00時43分18秒
常に不安。落ち着かない。頭はボーっとしている。
目の前にするべきことがあっても、他の事が気になって仕方がなく、手につかない。いつも後回し。かといって、何が気になっているのかも良くわからない。

自分がどうしたいのかが、本当にわからない。とっても辛い。

こんな事、周りの知人には言えないんだ。

今まで言ったこともあるけど、『奈々海なら大丈夫じゃん。そんなに悩んでるように思えない。』『鬱って怠けてるだけだよね』って言われたこともあるから、怖くて口に出せないし、出す気にもならない。

被害者妄想に浸っているのでは、決して、ない。只、辛い。本当に、辛い。

泣くしかない。泣いたら、少しはすっきりした感じになるけど、何も変わってない。
<665> こくーん ■2005年02月17日 木曜日 23時20分18秒
私にとって誕生日は、いつの間にか1年で一番怖い日になっていた。
その日は私にとって審判の日。
私の中身は裁判官兼検察官と被告人に二分される。
裁判官が声高に私の1年の罪状を読み上げる。
被告人の私はうなだれながらそれを聞くのだ。
有罪判決が下されるまで。

そんな裁判、辞めてしまえばいいのに、多分今年も開かれる。
だが、今年はいつもと違う心持ちだ。
裁判は行われる、でも情状酌量くらいは勝ち取れる気がする。
そんな気がする。

そしていつかは、感謝して誕生日を迎えたいと思う。
<664> ミルキー ■2005年02月17日 木曜日 07時39分54秒
私が我慢すれば 全て丸く収まる事なのかな〜?って思ったりする。
<663> キーコ ■2005年02月16日 水曜日 20時54分38秒
何と言って、いいの分からないけれど、
自分のこと、いつもすごく真面目な事を言う人間だなぁ〜…と、思う。
結構抜けていて、おもしろい所もあるのだけれど・・・。
でも、とにかくすごく生真面目で、無防備な子どもみたいです。
人が信じられない…と、よく言うけれど、逆説みたいだけれど、こんなに、人を信じ切る人もいないのでは・・・と思うほど、人を信頼します。
だから、『エッ!?』と、直感的な違和感を感じたときには、なかなかそれを信じて、適切な行動が取れずに、二次被害を受け続けてきました。
言葉と行動が、一致しているように務めても、それが出来ないノが人のありよう。
人から離れてゆくのは、とても寂しいけれど、「縁」と与えられた「時」の、メッセージを読み取ってゆくのは、大切だと思う。
聴こえない声に耳を傾け、見えないものを大切にする心を、大事に育ててゆこう。
<662> とら ■2005年02月16日 水曜日 18時25分55秒
自分の感情を改めて吟味する必要を感じています。心の持ち方は、自分の感覚を信じて素直に肯定することで楽になるように思います。それでも不全感は残りますが。。。不全感もあるものはあるのだと割り切るしかありません。辛さはやがては快感に変えていける場合もあると経験から学びました。
<661> NAC NAC ■2005年02月14日 月曜日 14時22分58秒
〈659)で書き忘れた。

どんなスポーツでも(と言い切ってしまっていいのかわからないが)練習で9割以上で成功しないものは、いざ本番となっても使うのが怖い。
今回の6連も私の練習時の成功率は7割前後だ。これがフロントサスペンションが格段に良くなった05モデルだから私は今のところ前転を免れているが、前の02モデルだったら確実に10回以上は吹っ飛ばされただろう。そのぐらい危ない6連だ。
そしてお馬鹿な私は危なければ危ないほど挑戦したがるクレイジーな奴だ。
スタートして1周目その6連に差し掛かった時、私は飛ぶか飛ばないか?迷ったが、スタート出遅れても優勝諦めない私が前へ出るには一か撥かで飛ぶしかない。非常に危険な選択だが、幸い私の脳裏には前転してもがいている自分は映らず「一番イン側のラインが空いている。前走者にぶつけたってかまわねぇ(人でなし)。もう行ってまえ」とアクセル開けて飛んだ。そして中でとっちらかってバイクが竿立ちになったが、「もう一開けだ」と飛び切って一気に3,4台ごぼう抜きし、私は心臓がバクバクしながらも心の中で「うっひょー」と叫んでいて、自然と観客の視線が自分に集まるのがわかった(勘違い?)。
いつもならこれ見よがしに私はアクションするところだが、今回はマジ優勝狙っているだけにそんな余裕はないし、また新設されたジャンプの作り自体がへぼで、距離も短く、高さも出ない。できるのは猿にもできるノーフッター(危険度1)ぐらいだ。
てなわけで、屈辱の5位でチェッカー受けたあと私はノーフッターをやってやった。我ながら恥ずかしいアクションだ。
そんな私はレース後、コース近くの温泉で私のファン?なる年配の男性と一緒になって「次回の福島は厳しいですけど、埼玉大会では得意のナックナック(危険度3)やりますよ。そして夏にはスーパーマンシートグラブ&インディアンエアー(危険度6)極めますよ。観てて下さい」と公約しておいた。
ますます危険なものに挑戦する私である。

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This script written by Shintaro Wakayama.