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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.33
メッセージ数:660件

<660> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 14時14分50秒
「実るほど頭を垂れる」稲穂より、麦の穂の方が好きだった。
多分、稲穂には、実らなくてはと思えば思うほど頭と心が重くなる自分が投影されていたんだろう。
麦の穂は、毅然とした様子に、孤高の美しさのようなものを感じていたように思う。

でも、田園は、麦畑は、そんな勝手な擬人化を吹き飛ばす美しさに満ちている。青々と、そして黄金色に、輝くそれらをここのところ見ていなかったことに気づく。時期が悪かったが。今年は愛でよう。空を、草花をもっともっと目に焼き付けたい。
<659> NAC NAC ■2005年02月14日 月曜日 13時43分29秒
昨日モトクロスの第1戦があって125は5位、250は15位。どちらも転倒なく無事に終わった。
上記の結果だけを端からみれば「まあまあ」なのかもしれないが、両方ともスタート失敗するわ、250では追い上げた所でエンストしてごぼう抜きされるわ、6連飛べない奴が俺のライン塞いで飛べないわで、私はレース中フラストレーションが溜まる「しょっぱい」レースだった。
因みに決勝に残った30台中恐怖の6連を飛べたのは私を含め2名だけで、飛ぶ飛ばないで3秒以上違うのに何で私は優勝できなかったんだろう。それも表彰台すら逃してしまった。知り合いには「今回は(優勝)狙っているんですよ」と吹聴していたのにこの様だ。
全ては自分のスタートミスで、2速で引っ張り過ぎなのとリヤタイヤの空転が原因。追い上げるのに力を使ってしまって最後は腕上がり。ほんと情けない。
でも裏を返せば「今回のコースで1コーナーに10位以内で入れば自分は優勝できるだけの速さを持っている」ということが証明?されたわけで、今年は今回のコースがあと3戦あるので「残り3つ(優勝)は俺がもらう」。
それと自分より上級者のレースを観て課題がたくさん出て来た。来年の国際B級昇格と次回の福島に向けてまた練習である。

それにしても恐ろしくて飛べない人が大半の恐怖の6連を、観客の視線を感じながら「これでもか」と飛ぶのはチョー気持ちいい。
試してみる?
失敗するとチョー痛いよ。冗談抜きで。
<658> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 13時35分14秒
『人という漢字はヒトとヒトが支えあってできている』とか
『「人間」は人の間と書く。つまり人と人がいて、そこの間ができるのだから、人間というのは本来社会的なものなのだ』とか。

こういう言葉に形容しがたい不安を感じてきた。
<657> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 06時37分22秒
(頭の中で思考が高速回転して、どんどん言葉が出てきてしまう。
ごめんなさい。書かせてください)

矛盾していることなのだけど、
[私には何もない]と思っている自分の向こうに、
[私の方が…]って思っている自分がいる。
これが、『パワーゲーム』を続けている自分なのだろう。
この私はヒドいヤツで、婉曲的な表現を使っては、
誰かを傷つける。
そして、自分が支配できそうな人間を引き寄せ、
自分が負けそうな人間には、
[何もない]と思っている自分の後ろに隠れて、
逃げを決め込むんだ。

それでは、私と誰かの間には、
私>相手、の支配する関係か、
私<相手、の奴隷になる関係か、
どちらかしか存在しないことになる。

気づいてなかったわけではないけれど、何か明確に姿が見えてきた。
自分の姿が。これが、向き合わなくてはいけない私か。
ああ、苦しいな。見てしまった。
でも、これもきっと大切なことだ。
<656> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 05時00分07秒
いつの間にか、『目標』を決めて何かをすることを恐れるようになった。
「なんとなく続けているうちに達成した」みたいなのを好むようになった。
挫折するのが怖いんだろう。
なんとなく続けているうちに…は達成を先延ばしにできるからね。
挫折すると、自分のことをもっと嫌いになってしまうからね。
でも、こんなことばかりしてる自分の評価もどんどん下がる一方だ。
『自己評価の低さ』
ACの特徴の1つ。だから、自分で自分を認めてあげればいいのにね。

小さい頃、テストでいい成績をとっても、喜ぶより、
「でもまだ完璧じゃないから」
って言ったほうが、褒められた。
「まだ100点じゃないから」
「まだ上に●人いるから」
私なんて、まだダメ。口先だけじゃなくて、いつの間にか本当にそう思ってた。あの頃の自分に言いたいな。
「よく頑張ったじゃん」「すごいじゃん」って。
そして、今の自分にも、
「あなた、なかなかのものよ」って。
<655> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 03時19分02秒
知り合いの中学3年生。
両親は2人とも私大の名門、K大学出身だという。
彼は、何気なく言う。
「親が、『せめてK大学くらいは行ってもらわないと』って言うんですよね」
彼は、まだ気づいていないようだが、
なんと残酷な言葉だろうか、と。

その彼になんと言葉をかけたらいいのか。
親の期待に応えられなくたって、あなたはあなた。とてもいい子だよ。
この週末、望み薄と言われているその大学の付属高校を彼は受験している。

親の期待に応えれば応えるほど、もっともっととハードルを上げて追い立てられている子どもたち。
それは、私がおくった子ども時代とは全く違う。
いろいろ与えられている彼らを、うらやましいと思うことすらある。
しかし、何か同じ問題を抱えているようにも思えてならないのだ。
<654> 高齢処女 ■2005年02月13日 日曜日 21時04分51秒
 さっきまでとある集まりに参加してました。難しいのは顔見知りだけど遠い関係の人。無視するののもどうかと思うけど、なれなれしくするわけにはいかない。そういう人に限って相手もどうも敬遠してくるようです。そこでイベントの準備の手伝いをしたんだけど、初めてのことだしもたくたしてて、年下だけどベテランの女性に「だめ」てな感じでびしっと人前でやられて、「すみません」っていったのだけどその後すっきりしない。何か非難されるたびに(些細なことでも)びくびくする。何か言われると自分って気が利かないって過剰に思う癖が抜けない。このびくびくは昔からよく経験してて、苛められてたときのと基本的には同質の「嫌われたらどうしよう」だと思う。びくびくして気を遣ったところで全然好かれはしないけど。
 まあ些細なできごとで、次回から学習して状況見て動けばいいことなんだけど。私って、自分が気が利かないとか自分は悪くないとかのいいわけ、そう考えちゃう癖があるけどこのおなじみのパターンはそろそろ飽きて別の行動パターンで対処したい物だと思いました。


<653> pk ファイア ■2005年02月13日 日曜日 14時21分23秒
心の声って大事だよね?
たとえ自分の気分が舞い上がっていようと
冷静な声で私を気がつかせてくれる。
その声を聞かないままだとその声が埋もれてしまいそう・・・。
だからいつもみみをかたむけてあげなきゃ・・・。
そして、今本当に今時分がもとめているものをしらなくちゃ。
そうでなきゃ生きててもなんかおもしろくないね。
内なる自分こそ本当の自分なんだから
<652> まどろみ ■2005年02月12日 土曜日 22時08分00秒
不安、期待、脅え、いろんな気持ちがもつれている。
次第、次第にワガママになっている自分が怖い。
<651> ロヴィン ■2005年02月12日 土曜日 21時16分52秒
ACを自覚する前は「あるがまま」とか「ありのまま」っていう言葉が嫌いだった。偽善的に聴こえたし何か弱々しさや現状に満足しているっていう意味で捉えていた。でも,今はこの言葉が自分にとってキーワードだし,結構これに救われてる。
<650> ロヴィン ■2005年02月11日 金曜日 10時22分48秒
最近、怒りを意識的に発散している。前はできなかった。怒るの恥ずかしかったし,みっともないと思っていた。でも今は何に対して怒ればいいのか少しわかってきた。自分のために怒ることの大切がわかってきた。笑うのと同じくらい怒ることが大事だなと思う。その2つは全く別の次元のものというよりは同じ幹を持つ別々の枝という感じがする。

昔の怒りはどちらかというと,人を変えるためのそれだったと思う。「こうしてほしい」,「ああしてほしい」という気持ちの裏返しとしての怒り。でも人を変える、という徒労の虚しさがわかってきたから,そういうのじゃないと思う。上手くいえないが「罪を憎んで人を憎まず」ができるといい。親は別だが...。
<649> 高齢処女 ■2005年02月10日 木曜日 23時45分50秒
 長年粗末にしてきた自分の内面は予想以上に壊れてて、残りの人生かかっても取り戻せるかどうかは分からない。本当にサーカスの象みたいなもので長いこと作り上げてきた行動パターンって強力なものです。
 私に子供が居たら、お父さんやお母さんみたいな接し方はしない。私はああいう生き方はしてない。私は彼らに傷つけられたし、逆に彼らを傷つけた。昔の傷を忘れることは多分ないでしょう。愛されなかった、というか正確には愛されている安心感というか実感のなかった子供の自分はいつまでも残るでしょう。おそらく私は本当はそれを残しておきたいんでしょうね。ただ、落ち込むたびに親のせいにしたくなるっていうのは最近はなくなりました。矛盾するようだけど、私にとって彼らへの愛と感謝は確かにあるのです。
 今の私の生活はバラ色ではなく苦しみが多いけれど、自分にできることはしっかり苦しむことだろうと思ってる。自分の人生から逃げたくないから。
<648> 夕立 ■2005年02月10日 木曜日 23時34分30秒
夕立というハンドルネームは、夕立みたいに、ザーッと泣いて、
サーっと晴れて、すっきりした気持ちになりたい、と思っていたのでつけました。
ザーッと、サーっと、生きて、泣いて、叫んで、死んでいきたい。

なんだか、けっこう、しんどいみたいです。
失礼しました。
<647> 夕立 ■2005年02月10日 木曜日 23時32分05秒
わたしはさようならがいいたい。
自分自身に。あなたに。家族に。ありがとうさようならと。
言って死んでいきたい。
今、すぐ。
<646> こくーん ■2005年02月09日 水曜日 22時56分12秒
気がつくと、「自分には何も無いんだ」って思っている。
誰かといても、「この人たちは『普通』の世界の人で私とは違う」
見えない壁に隔てられている気がする。
いつから?
『普通』ということにこだわるようになった?
1つ覚えているのは、
「あなたは私の自慢の娘よ?」
って言ってくれていた母が、
「もっと『普通の子』で良かったのに」
って言ったこと。
自慢の娘=親にとって都合のいい娘、であることに
バカな私は気づいてなかったんだよね。

私は『普通』に憧れている。
憧れれば憧れるほど、『普通』は逃げてしまうみたい。

『普通』とか『平均』とかいう概念に振り回されない強さが欲しいな。
自分がちゃんと持っているものを持っているって認識できるといいな。
そう思う。

<645> NAC NAC ■2005年02月09日 水曜日 16時08分59秒
A「挑戦と自信」

最近の私は(国際B級でさえ飛べない人が大半の)恐怖の6連を2・2・2の3回飛び(国際A級だと3・3の2回飛び。それは国内A級の私には絶対無理だ)でクリアしてかなり鼻高々、意気高揚だ。
このようにモトクロスというのはロードレースと違って障害の連続で、速くなるには目の前の障害を避けて通ることはできない。要はどうやって巧くクリアーするか?が課題なわけだが、向上するにはすべからく恐怖(失敗したら骨折するかも?)が伴い、私も4年の間にわかっているだけで3回折っている。ある意味「骨折しないと上にはいけない」危ないスポーツで、人生を賢く生きる人にはお薦めできない。私みたいなちょっと?イカれた人間じゃないとやってられないのは周りを観ても明らかだ。
でもその危なさゆえにクリアーした時の自信は大きい。それも危なければ危ないほど自信も大きくつく。
今回の6連も見事にクリアーして自分の内面が一回り大きく、というか膨らんだ、どっしりした感じだ。
そして調子に乗って私は3・3の2回飛びに挑戦しようと試みたが、浮かぶのは「吹っ飛んで2,3本折っている自分」だったので止めといた。恐怖は自分を萎縮させる。
今週末には第1戦が始まり、私はマジ優勝を狙っている。悪くても表彰台だ。
そして年間(少なくとも)3勝してチャンピオンも狙う。
1にぶちかまし、2にぶちかまし、3,4がなくて5にぶちかまし。
<644> NAC NAC ■2005年02月09日 水曜日 15時40分13秒
もう15:00だ。今日はこれが最後。

@「カウンセリング」
私がカウンセリングに通い始めて約2年(ほぼ月3)になるが、最近カウンセリングでは私の思い出せない過去(乖離していた感情)に焦点を当てるため、私の同意の元「FTF療法」(正式名称が間違ってたらごめんなさい)を始めたのだが、やり始めたばかりでもあるし、また私の無意識のところでの「心理的逆転」が強いため、今のところ思ったような効果は出ていない(実際は出ているのかもしれないが私の意識では気づけていない)。そしてこの「心理的逆転」てのが自分を診る上で厄介だ。
私の意識では「過去を掘り返して自ら言語化して再度インプット」しようとするのだが、乖離してきただけに私の無意識のところの抵抗は想像以上に凄まじいものがあるみたいで、自分で思い返そうとしている時も、私のインナーチャイルドが扉を開けさせまいとしながら「(意識の)お前なんかに見せるものか。何で覗くんだよ」と訴えてきた。それを感じた時私はカウンセラーの前で泣いてしまった。一度は堪えたのだが、2回目の波の時は堪えきれなかった。
こうして私は今まで50回以上カウンセリングに懸かって来たわけだが、どうやら今まではほんの序章で、ここからが本当の痛みになるらしい。
そう感じているから最近の私はカウンセリングの予約に及び腰だ。先方の空き時間とこちらの都合が合わないと逆に私はほっとするくらいだ。モトクロスで恐怖の6連ジャンプには馬鹿の一つ覚えで突っ込んでいく私なのに、自分の心の核心部分に突っ込んでいくのはマジ勇気がいる。「そこで失敗したらどうなるか?」今の自分には全く想像がつかないし、「乖離していたものを引っ張り出したらマジ狂ってしまうんじゃないか?」という恐怖がある。以前は「早くカウンセリングの日来ないかなぁ」と思っていたのに。
心の課題は厄介だ。だからこそクリアーにしなくちゃいけないのかもしれない。辛い作業だ。
<643> tomoe ■2005年02月09日 水曜日 10時16分19秒
自分の産みの親は、まだ情の熱い女でよかった。
いいとこだけ見習いたいものです。
私に出来るだろうか。
<642> tomoe ■2005年02月09日 水曜日 10時09分16秒
アメとムチ。
支配=私の育ての親。
今頃どこで何してるのだろう。


<641> 大門 ■2005年02月08日 火曜日 23時04分05秒
とにかく、どう表現していいか分からないなんて考えなくてもよいのだ。
言葉がないなら、作ってしまえ。
見ている人が分かるように。表情で。形で。しゃれで。ものまねで。
それが生きた言葉。生きた表現だぜ。

最後の授業で、そう言い切った。
師匠が聞いたら怒るだろうか。不真面目だっていうかなぁ。

だったらごめんな、師匠。

師匠がどんな気持ちで自分のこと見てたか、よくはわからねー。
でも、師匠はお笑いが好きだった。あれをうまく伝えることができたら、師匠の耳が聞こえたくらいに伝えられたら、どんなに大ウケするかっていつも思ってた。言い換えるだけじゃだめなんだ。
言葉の向こうにあるものを見る目。柔軟性。
自由な発想。表情。
結局、子供が人前でそれを抑えようとするのを抑えなくていいって言った。
自分も昔「あんたはすぐ顔に出る」って言われたけど、それを褒め言葉にしたのは師匠だけだったから。

きちんとしたことは大人になってからでも身につけられるけど
体全体で表現するなんて、あんなおもしろいこと子供しかできねーよ。
言葉が体からはじけるような、ノリのよさっての?ありだと思うんだ。

だってさ。

おめーら。最後にとっておきの技を伝授する。
言葉の意味のまんま取るなよ。よく見て思い出せ。
では最後にこの言葉を贈る。

終わる(幕が下りるように)
始まる(いないいないばあ!のばあ みたいなのを胸の前で)

じゃあ、みんなで。せーの。

「おしマイケル!」って全員言ってやってたもん。ははは。

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This script written by Shintaro Wakayama.