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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.22
メッセージ数:440件

<440> ミー ■2004年06月27日 日曜日 09時40分31秒
又、つきはなしてしまった。恋愛関係の優位に立った瞬間別れ話をつきつけてしまう。相手を馬鹿にしてしまう。子供の頃に私がされてきた辛い仕打ちの敵討ちでもしているみたい。愛してるなんて信じられない。大切ならどこまで私を受け入れられるの?そんなことの繰り返し。呆れてすぐに居なくなる人も居る。誠実な性格ゆえに私を放って置けない人もいる。恋愛に酔いしれて私の言葉に耳をかたむけない人もいる。ストーカー行為で仕返しをする人もいる。でも、最後にはみんな呆れて去っていく。女の友達はいない。人と気持ちが通じ合うことなんてできない。私の心には棘がはえている。いつまでたっても思春期みたい。デリケートで自意識過剰・・・・。私は自分が大嫌い。こんな人間誰も友達になんてなりたくない。私は嫌われ者。でも、本当は早く救われたい。こんな気持ちから脱出したい。健やかな精神で人生を生き抜きたい。温かい気持ちで人と関わっていきたい。
<439> キーコ ■2004年06月26日 土曜日 22時48分40秒
すごい、怖がり。
人の目、人の評価が怖くて仕方がない。
シッカリと身体に、しみついている。
<438> こまくま ■2004年06月26日 土曜日 08時32分37秒
誰もいないと思ってしまう。あの人も違う。この人も違うと、思ってしまう。自分にあう、友だちがほしいのだと、思う。あっこの人がいい、と、友だちを見つけたつもりでいても、やはり、しばらくして、その人の内面がわかると、違ったのだとがっかりしてしまい、しっかりしなくては、思う。本当に、ほしいのは、自分なのだから。しかし、自分自身をたくさん嫌っている。だって楽だから。切捨ててしまえば、向き合わずにすむから。頭がいたい。自分を手に入れたい、なぜ、他の人は、堂々としているのだろうか。なぜ、自分は、こんなに、縮こまっているのだろうか。
<437> キーコ ■2004年06月25日 金曜日 23時59分52秒
この頃、同じ所をグルグルまわって、何か 堂々巡りをしているような感じがして仕方がない。
いわゆる、回復の「螺旋階段」ではなくて、無意味に同じことをくり返しているような感じ…。
所詮、人が一人で、自分の全体像を 客観的に見つめることなんて、不可能なことなんだ。
もっと、違う観点、高い所から見てくれる、他の人の存在は 不可欠ということを再確認した。
自己中心的な傾きは、自分だけの力だけでは、とても 脱却できるものではない。
かえって 賞賛の言葉は、本当の姿を見えなくしてしまうもののようだ。
勇気を持って、誠実に自分自身を見つめていくこと。 そして、離脱と謙そんは とても大切なもの。
目的に到達するためにこそ、手段は存在する・・・。
<436> キーコ ■2004年06月24日 木曜日 16時10分02秒
すごく、疲れてきっています。
本当に、どうしようもないくらい、疲れきっています。
ただ、ただ、疲れました。
安心した場所で、ゆっくりと過ごしたい。
ホ〜と気を抜いて、楽にゆったりと息が吸いたい。
自分の親が、怖い!・・・という思いの中で 生きてきたので、
世界を読み解く仕組みが、かなり歪んでいるみたい。
過剰適応を起こして、いつも警報装置が 鳴り響いているんだと思う。
・・・・・・とにかく、シンドクて 疲れた、ツカレタ・・・・・。
<435> 真実 ■2004年06月24日 木曜日 09時43分30秒
 怒りを多分に含んだ文なので、嫌な人は見ないでください。(フラバ注意です。)


 能力の評価について

 腹が立った。親に対する感情。思い出した。子供の頃からのこと。

 私の親は、・・父親は、無口で、完璧主義で、自分が正しい人と思っていたみたい。「お父さんが、嘘ついたことあるか?」って、事あるごとに言われてたけど、約束を守れないことだってあった。そんなら、自分の「正しさ」を主張することはなかったんじゃないか?・・完璧にはいかないんだから。私だって、裏切られた感覚を持たなくてもよかったはず。こんな事は、初めて口に出した。言葉にしたことがなかった。
 話がずれた。・・父親は、自分の望むように、私の人生を動かそうとしたようなところがある。「自分の」思い通り。それで、私は、その要求に従わなければならなかった。自分の気持ちを殺してまでも。その要求(期待)に添えて時は、気持ちが悪くなるくらい、褒められた。というか、かなり喜ばれた。あたしは、?!って感じだった。訳がわからなかった。ま、小学生だったというのもある。親に服従して生きてきた、っていうのがある。期待に応えなければいけなかった。また、時には、期待以上に、先に気を利かせて、何かをしなければいけないこともあった。ま、それがすべて親の期待なんだろうけど、私は、それを読み取っていた。敏感に感じていた。だから、自分の気持ちなんて、優先したことが、ほとんどない。私の、考えや、感情は、無視された、とまではいかないけれど、軽んじられた。正当に認めてもらえなかった。親のそれのほうが大事だった。親から見れば。たぶん。あたしは、もっと、正当に認めてもらいたかった。大事なものとして、扱われたかった。
 父親から認めてもらえた、褒めてもらえた、と感じた記憶は、本当に少ない。期待が高かった。言葉足らずだった。もっと、口にしてほしかった。
(涙)にっこり、パチパチ(ピアノ)、「気が利く」(まぁ、疲れたよ)、あと、中学の入試に受かった時。手放しで喜んでいた。私は、地元の公立に行きたかったんだけど・・受験させられた。小6の12月に決定されて。そういうのって、親が決めるものか?違うな。子供が決めるものだ。いくら、親がお金払うからってねぇ。他人の人生をの乗っ取っていい権利はない。絶対に。
お父さん、「絶対はない」って言ってたけどさぁ。たまにはそういう事あるんだよ。・・。今なら、そういうこと言わないだろうけどさぁ、あなたは、絶対間違ったよ。ねぇ?
 母親は、干渉的なタイプで、やっぱり、完璧主義だったと思う。「育児ノイローゼ」だったんだってさぁ。可哀想に。そんなのにならなかったら、私たち(私+お兄ちゃん)のこと叩かなくてすんだのにねぇ。どうしてだろうね?
 勝手に私の部屋を掃除して、(小学校・中学校の時)片づけてくれるのは嬉しかったけど、大事なものを勝手に自分で判断して捨てて欲しくなかった。この事は、話したし、消化できてるけどね。 自分のことが大事にされてないみたいな気がしたんだ。激しく怒ったのを憶えてる。泣いたと思う。まぁ、その時にあなたが怒らなかったのが救いでした。注意しても、なかなか、片づけ・ポイポイ病は、治らなかったけどさぁ。(苦労)。
 褒めてくれたことは、習字かな。うまく書けた自信はなかったけど、それでも、褒めてくれた。嬉しかった。(泣)お兄ちゃんと比べたら、ぜんぜんうまくなかったけどさぁ。嬉しかった。私には、私だけに書ける字がある、って言ってくれて、ありがとう。(涙)
 こんなことで泣くほど、私に、褒められた経験は、あまりない。
 お母さんは、思った通りじゃないと、怒るタイプだったな。いまだに、どんな理由で叩かれたのか、何一つ浮かばない。そんなまま叩かれたから、パニック発作起こしたのかな。発病の歳がわからない。ひょっとしたら、小学生の時、(虐待当時)だったのかもしれない・・。

 私らしさを。 認めてほしかった。

 習い事を、いろいろとさせてもらえた事は、嬉しかった。ありがとう。
<434> ayako ■2004年06月23日 水曜日 15時32分31秒
鏡に写る自分が嫌いだった。でも人一倍鏡を見る時間は多い。見とれてるのではない自分チェックが入るのだ。目が小さいだとかいろいろ文句をつけていた。自分には満足できない。でも満足する顔にはなれない。あの人が綺麗だとかブサイクだとかそんな風にしか人が見れ無かったあの頃。人の美点は見つけるのは出来るのに自分のは出来なかった。自分に自信が持てなかった。特に容姿に。私はデブは美としてのカテゴリーに入らなかった。たとえ性格が良くて顔が綺麗でも。
今は自分に自信が持てるから別に自分がブサイクでもデブでもいいと思う。
完璧な美人は居ない物。人から見て完璧でも本人は不満がある。だからこそ頑張る。それがこうじて自分よか美人に対しての嫉妬になったりするから怖い。今の仕事場のSVがそのタイプ。私はブサイクだから性的な嫉妬はないが嫉妬されてる美人は居る。見てて怖い・・やっぱ女って怖いなと実感する。私はもしかしたら中身は男なのかもしれない。まだジェンダーは混乱してるけど。今は女らしい部分が多いと思う。いい意味でも悪い意味でも
<433> 埴輪 ■2004年06月22日 火曜日 21時45分26秒
最近なぜか楽観的な人間によく出会う。
これは、「メッセージ」だ。

「あなたの心は、すでにポジティブになる準備が出来ている」

少しずつやってみよう…。
<432> NAC NAC ■2004年06月22日 火曜日 01時37分00秒
難しい。
またもや難しい。
当人の意識では「助かりたい、何とかしたい」と思っているのかもしれないが、恐らくその人の内面奥深くでは「心の葛藤処理」ができなくて、結果として破壊行動なり、破滅への道を選択してしまう。
そんな「愛していますよ」と言って刃物を刺し出す人を、私は「はい、そうですか」とは受け入れられない。
私の趣味仲間にも「昔若い時NAで暴力沙汰を起こし刑務所までいった(と噂される)」Wさんがいるが、今Wさんは真面目に働いて人付き合いも(特別誰と揉めることなく)普通だし、昔の面影(仮にそれが事実だとしたら)は殆どない。
当然私と趣味上の付き合いでも薬物の話は一切出ないし、私もそういう目でWさんとは接していない(と自分では思っている)。
というか、そういう目で私がWさんを観る必要がないほどWさんはモトクロスに対して真面目で私なんかよりもずっと観察眼に優れ、「『上級者が何をしているのか?』観るべき所を観ていない、気付いていない事が多過ぎる」私は、「しっかりポイントを観ている」Wさんから教わらなければいけない所がたくさんある。
そういったところで「昔でなく、今目の前のWさん」を自分が認めているから、Wさんも気持ちよく自分に接してくれるのだろう。
ほんと「いつまで経っても鈍くさい」私は「テキパキしている」Wさんに毎回毎回お世話になりっ放しだが。
大事なのは「(過去から自分で学んで)今どうしている、これからどうするか」だ。
Wさんが(噂される)昔に戻らない限り、真面目にモトクロスに取り組んでいる限り、引き続き私はWさんと(趣味だけの付き合いであるが)気持ちよく付き合っていく。
そういった気持ちは自然と態度にも、言葉の端はしにも出るものだから。
私は自分で変えられるものは変えていき、どうしても変えられない・変わらない、それでいて自分に害を及ぼす可能性が高いものについてはこちらから距離を取って遠ざけるしかない。
そうして機能不全家族で得られなかったものを今の自分が学び治して行くしかないんだろうな。
先は長いや。
<431> NAC NAC ■2004年06月21日 月曜日 23時59分32秒
難しい。
人が何を信じようと(他人に迷惑を掛けない限り)基本的に自由だと私は思うが、先ほど私は地元のNAに参加してきて、先週Dさんと口論した「伝統とステップ」について改めて考えさせられた。
そこに参加していたNAの人の半数以上は「ステップをやったからといって・・・」とステップの効果に懐疑的だ。
それは当人がまだ回復の段階まできていないからかもしれないし、特別ステップを踏むことなく回復の段階にきているからなのかもしれない。
それに対して私の意見はというと、前にも書いたが、「伝統やステップは大事だ(まだ自分はよく理解していないけれども)が、それに固執するのもどうか?」と私は思う。
もちろん「伝統やステップ」を大事にする人は大事にすればいいし、そうじゃない人は自分に合った回復方法(気持ちの持ちよう)を探すなり、試行錯誤でも実践すればいいんじゃないか?と私は思う。
仮に「あるメーカーの風邪薬がよく効く」からといって、それが万人に効くわけではない。
そういったところで?頭ごなしに「あなたは伝統やステップをきちんと学んでいないから」と言われても、それに対して私はある種「押し付け」を感じ、「はい、私は学んでいませんよ。それに、だからといってそれに拘ろうとも思いませんよ」って応えるのみだ。
私は「伝統とステップを力説する」Dさんに「じゃそういう『学んだ』Dさんは情緒が安定しているんですか? 自分と向き合っているんですか? 『学んだ』のに何故夫と子どもへの暴力・虐待が止められないのですか? 『学んだ』のならもっと穏やかに話せるし、人の意見も黙って聴けるんじゃないですか? それに私はBさんを批判しているのにDさんは『自分が批判された』と感じ、昔の記憶とリンクして増幅し私に殺意を抱くのは勝手ですけど、そうなるのは相手と距離が取れない、境界線が引けないからじゃないですか? それでもDさんは『学んだ』と完了形で言い切れるんですか?」とよっぽど突っ込んでやろうか、とも思ったが、火に油を注ぐだけなので私は止めておいた。
私にとって大事なのは(相手の怒りを認める事も含め)心の自由さであり、気付きだ。迂闊に相手の怒りに乗っかることではない。
反面、自分で言うのもなんだが、ある程度「相手の怒りをまともに受けずに流す」自由さ?が自分の中にある(それは乖離して「子どもの感情のまま怒りを出す」Aさんに鍛えられたってのも大きい)から、そうした情緒不安なACに噛み付かれても「あぁあぁ嗜癖が出ちゃってるよ、Aさんと比べれば大したことないけど、困ったもんだねぇ」と内面では冷静に相手の目を観ている。
以上私がそう言うのも、自分の体験上、私は特別伝統やステップを勉強することなく、ミーティングの時に(意識の上では)棒読みするくらいで、今この段階(そこそこ順調)にきている(まっこの先どうなるかはわからないし、今回のように行き過ぎて注意されることもあるが)。
そうした自分の心の安定なり落ち着きにはカウンセラーの「私の感情の容認」と、自分のインナーチャイルドとの会話が大きく寄与しているのは明らかで、そうして自分の内面と向き合い、信頼して開放できる話し相手が身近にいるから、私は「伝統やステップ」に特別重きを置かないのだろう(やるに越したことはないのだろうが)。
そういや今回参加したNAの人たちも「ハイヤーパワーはよくわからない」と言っていた人が多かった。
私も「ハイヤーパワーとはいかなるものか?」未だよくわからないが、だからといって今のところ私は内面的に特別困っていない。
精々「ハイヤーパワーとは自分の場合インナーチャイルド?」って思うだけで、例えハイヤーパワーが何であろうと、そんなことよりも「自分の代わりに傷付いて来たインナーチャイルドの痛みをわかってあげるほうが今の私にはよっぽど大事で、「親なのに自分の子どもの孤独・不安・寂しさ・怒り、そうした揺れる感情を置き去りにしておいて抱きしめてあげようともせず、自分の頭だけで考えているんじゃ本末顛倒なんじゃないの?」と今の私はそう思っていて、現に自分のインナーチャイルドと会話しているときは「こうあってほしかった」会話をして私は微笑むことが多い(端から誰かにそんな自分を見られたら「ちょっと危ない?男」かもしれないが)。
こうして、ある意味私は自分のインナーチャイルドだけは信じきっていて、逆にDさんからすれば「伝統やステップも踏まずに何がインナーチャイルドよ」ってなるかもしれない。
まっ何を信じようと個人の自由だし、私のインナーチャイルドも本物?かどうかはわからないが、明らかに私は「機能不全家族で心が歪んだまま体だけ大人になってしまった」ACだし、「家族といて楽しかった、自分の心がほわっとした」そうした基本的なところで「暖かさを感じる」経験が自分はできなかったのは事実だ。
そうして傷付いた昔の感情を封じ込めて、無意識の深いところで自分が苦しんでいるから、それすら気付かないから自分の傷を「傷」として認めてあげられないし、故にいつまでたっても自分の内面が暴れる、または「否認したまま」凍結するのだ。
情緒が不安定な人の側にいても(自分の経験上)碌なことがない。
それだったら「比較的安定している」人を探して、そういった人たちから「こころの落ち着き」を体感として学べばいい。
なにせ自分の親は「子どもに情緒を教えようにも『そもそも自分たちが情緒を親から教えてもらっていない』ことすら未だに気付いていないのだから。
明日・明後日と、私は「(自分の親と違い)穏やかに受け入れてくれる」人たちとミーティングするが、そうした関係を意識して構築していったほうが今の「乖離を認めた」私にはよっぽど健全的だ。
「それが結果として薬になるのか? 毒になるのか?」は自分で判断して選択しなければいけない。
そして最悪「毒になる」なら成ったで、「何でそうなったのか? 自分の中にもそれを誘発するものがあるんじゃないか?」と自分を疑おう。
なにせ私は怒りを溜め込みすぎた歪んだACだからな。

最後に、これも、というか「これは不適切」なら削除していただいて構いません。
<430> キーコ ■2004年06月21日 月曜日 10時33分00秒
「ありがとう」て、言葉が好き。
この言葉を 思い浮かべるだけで、とても ホンワカした気持ちになるから。
<429> 衿 ■2004年06月20日 日曜日 21時03分16秒
間違ってるとか、間違ってないとかじゃない。
自分はこう思う、それでいいのに・・・・。
人から「それは違う」といわれると「そうか。自分は間違っているのか」と思ってしまう。自信がないから。
受け入れているんじゃない。ただ聞き流して「負けるが勝ち」と白旗あげてるだけ。
<428> 真実 ■2004年06月20日 日曜日 10時32分55秒
 親の生き方なんか無視して、押し付けられたものは返して、生きていきたい。あたしの人生は、あたしのものなんだから。
 確かに、リスペクトしている部分はあるけど。それはまた、別の問題。
 あたしは、自分に必要なものを、選び取る権利がある。他のひとにもあるように。
<427> katja ■2004年06月20日 日曜日 02時02分53秒
野次、というか怒号に思わず泣いてしまった。
当事者でもない私が。

問題意識が共有できないって怒鳴られても、そんなわけの分からないことを要求する人間と、自分の一番デリケートな部分を共有することなんて無茶だと思った。

でもそんな論理以前に、魂が凍りついた。
無駄に怒鳴る人間と一緒にいると、全てが破壊されてしまうような気がする。
この世にいたくなくなる。
それでいて、そんな自分が異常の部類に入ることに、涙が止まらなくなる。

情けない。
仮にも指導者の端くれとして、もっと堂々とすべきだったと思う。
同時に、やはり自分はこの業界に向いていないのかなとも思う。
真実だの誠実だのといった言葉を戦略のために用いるのはもう嫌だ。
凡百の雄弁家になるよりも、強くない言葉に耳を傾け、強くない言葉に形を与えていく人間でありたい。
<426> ねここ ■2004年06月20日 日曜日 01時43分54秒
自由になりたかった。どこにも何にも所属したくないという気持ちが溢れた。
周りの何かのせいではなく、自分で枠に押し込める。
私は○○。そう断言してくれるものをずっと探していた事に気付いた。
私はからっぽだ、と言う事を薄々感じていたんだろう。決して認めずに。
それを見ない為に今まで生きてきた。
逃げる事に全力を尽くしていた。
だからACの概念も、私はその道具にしてしまっていた。
私は○○。それがあると安心する。だから○○であり続けなくてはならない。
そうして、新たに枠を作りそこに自分を当てはめる。
それだけが自分の存在価値を認められるたった一つの方法だった。私にとって。
今までそうして張りぼてを重ねて、それが私なんだ!としがみついていた。
もう私はいらん。自分で作ってきた自分を壊したい。
それをする事は、どこまでも落ちていくような気持ちになったけど、
そりゃそうだ。私は心の奥底で、自分は良い人間と思っていたんだから。こっそり。
自分のしてきたことは価値のある事、と信じなければ生きていられなかったんだから。
意味づけしなければ生きてこられなかったんだから。
けれど、価値があろうがなかろうが、意味があろうがなかろうが、
私は私としてしか生きられない。この体と脳みそで。
私はずっと歩いてきたつもりだったけど、本当は
まだスタートラインにさえ立っていなかった。

今自分を表すのに一番しっくりくる言葉は、「この生き物」。
腹の底から笑いたい。こんなことを書いてる自分もおもろいと。
そして、投稿するのどうしようか、やっぱり消そうか、と思ってる自分も。
自己卑下じゃなく。
<425> 衿 ■2004年06月19日 土曜日 20時30分35秒
友達に自分の考えの狭さを指摘された。
「それは相手を下に見てるんじゃない?」と。
そういうつもりはなかったけどそういうことだったのかもしれない。
なんて私は了見が狭いのだろうかと思った。なんでもそうだ。いつも自分の狭い視野にとらわれて自分で自分を閉じ込めてしまう。
<424> キーコ ■2004年06月19日 土曜日 10時38分33秒
わたしって、何だろう?・・・自分って、何だろう?
毎日、変化していくのに、すごく流動的なものなのに・・・。
自分で「わたし像」を作り上げては いませんか。それに、捕らわれては いませんか。
きっと まずい点は、自分で すぐに相対評価の対象にしちゃう所だろうなぁ、多分。

「意見」を発表する。それに対して、様々な意見が出てくる。
ひとりひとりは、唯一の存在だから「当然のこと」なんだけど。
なぜ、ここで『恐怖』を感じるのかなぁ・・・、いつもでは、ないのだけれど。
自分の意見が認められなくても、反対意見が出てきても、それが「恐怖」を引き起こす訳ではないんだ。
どうしてなんだろう。
<423> ベビル ■2004年06月18日 金曜日 17時13分15秒
なんでも全部他人が悪い事にして、自分は悪くないと思いたいところってある。
非を認めるにしても、「ああ、ごめんなさいよ。悪かったよ。はいあやまったよ。許してよね。何で許さないの?!あやまってるというのに。やっぱりあんたは悪い!」ってなるんだよね。みんないろんなことが上手に出来なくて集っているのに
上手に出来ない事をお互いに責め合っても仕方がない。ただ、思いやりのあるアドバイスには耳を傾けて、互いに高めあいたい。
<422> つばき ■2004年06月18日 金曜日 12時38分53秒
早いもので、血液検査をしてから1週間経った。
採血後に、先生が軽くわたしの腕をもんでくれて、
うれし泣きがずっと止まらなくて困っていたら
うろたえずに、ベッドでどのぐらい時間がかかってもいいから
落ち着くまで休むようにすすめてくれた。
先生は内科が専門なんだけど、昔通っていた精神科の先生以上に
わたしのことをわかって、そっと受け止めてくれたような気がする。

はてしなく ありがとう

昨日YAHOOで検索かけたら、先生の病院のサイトがあって、
プロフィールのページに、先生のほんわりとした笑顔があって…
また思い出して、うれし泣き。

かなしくて泣くのは、もういやだ。

<421> ひかり ■2004年06月17日 木曜日 13時16分31秒
子供を流産してから感情のコントロールが出来なくなった
毎日泣いている、もうそれが5年以上続いている
そしてACと気が付いた、それは1年前
まだ泣きたい。。。泣いて泣いて泣いて
何かを涙で洗い流したいのかも知れない
                    ひかり

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This script written by Shintaro Wakayama.