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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.21
メッセージ数:420件

<420> うらら ■2004年06月17日 木曜日 02時32分24秒
自分の傷を癒せるのは、自分だけです。
自分で、自分を抱きしめてあげましょう。
と、偉い先生たちの本には、書いてある。
これは、真実だ。

でも、あきらめの悪い私は 時々思ってしまう。
安心しきった子供の心を 誰か 下さい。
生身の大人の男性の胸で、おもっきり泣いてみたい。
その胸の中で、おもいっきり甘えてみたい。

誰か、私にその広い胸をかしてください。
<419> うらら ■2004年06月17日 木曜日 02時03分22秒
自分を認めるという事が、できなかった。
あれも出来ない、これも出来ない・・・・・

犬を連れて、公園とか川原を散歩していると、自然の美しさに圧倒される
私がいる。
言葉で言い尽くせない、安らぎと偉大さを感じる。
木一本一本に、草・花ひとつちとつに、風に、光に、土・木・草の香り・・・
全身に自然のすばらしさ やさしさ 怖さのシャワーあびている。
これって、私の感受性のすごさじゃないの?
今日、私は遅ればせながら 自分のよさを発見しました。



<418> キーコ ■2004年06月15日 火曜日 17時28分37秒
理屈では、実に理不尽な「苦悩」を日々 味わって生きている。
でも、無意味じゃない!
こうして、シッカリと味わえるってことは、キット凄いことだろう・・。
私は、自分自身の「苦しみ」に対して、敬意をはらっている。
とても、尊いものだと 今は心から思えるようになった。
年を重ねて、色んなものに触れる機会があったから。
・・・・・随分、苦しめるようになれたけど、まだまだ だろうなぁ。
でも、もう 先のことは、あまりシンパイしていない。
<417> NAC NAC ■2004年06月15日 火曜日 06時47分10秒
そして迎えたミーティング。場所は3階の和室Aだ(因みに襖を隔てた和室Bはダルク)。
一応私は司会・進行役なので早めに和室に入って「いい天気なのに閉めっぱなしじゃなぁ」と障子と窓を開け網戸にし、入り口の襖も開けて「どうぞご自由に」と「入りやすい」雰囲気だけは作っておく。まっ気持ち程度だが。
基本的に「せかせかして落ち着かない」私は和室でじっと待っていられなくて、「ほんとに人(AC)来んのかよ?」と一抹の不安を抱きながら廊下をうろちょろしているとそれらしき人が2人寄ってきて、早速私は声を掛けて招き入れる。
隣のダルクも人が集まり始めているみたいだ。
とりあえず時間14:20になったので、私も含め3人で始めることとする。
私のすることは閉鎖した自助グループで元チェアマンのAさんがやっていたことをまねるだけで、特別難しいことは何もない。
私がAさんのやり方に付け加えたのは、参加者に「何か疑問や不安があったらその都度言ってくださいね。用語の難しい説明・解釈とかは私には無理ですけど、私の能力なり容量の応えられる範囲内でお応えしますので」と参加者が後から増える(最終的に途中退出した人も含め10人前後)度にそう説明したくらいだ。
一通り最初のお約束事をやって各自の「言いっぱなし・聞きっぱなし」になったのだが、「誰か一番最初に話してくれる方いませんか? 話す内容はなんでも構いませんので」とふっても、やはりお互い初対面で緊張してか誰も手を挙げない。
まぁ予測していたことではあるので、「じゃ私が一番最初に話させてもらっていいですか?」と皆に聞いたら頷いた人が多かったので、「じゃお言葉に甘えて私が一番バッターでいかせていただきます。それとこのミーティングは15:50までですので、大体一人10分前後で『時間の分かち合い』にご協力ください。それじゃ始めさせて頂きます」とお喋りな私はなんとか10分くらいで、自己紹介と家族関係、生育暦、ACを知った切っ掛け、今現在の心境をてんこ盛りで強引にまとめた。
そして2番目に話してくれる人を募ったら、どこぞのミーティングに参加したことがある年配の女性が話してくれた。
司会として私は嬉しかった。だから私もその人の感情を一生懸命聴いた。
そして3番目を募ったら誰も挙手されなかったので、仕方なく?私が本日2回目のトークを3分から5分くらいで手短にまとめて話した。
そんな感じで(途中何度か質問も受けながらも)なんとか私は司会進行役として無事ミーティングを終えることができた。
自分の体内時計では1時間て感じで(実際は90分だが)あっという間に過ぎた。
終わったあと一部参加者数名に「Kさんの話を聞いて自分の中にあるもやもやっとした怒りが何であるか? なんとなくわかったような気がしました。ありがとうございました」と笑顔で言われ、自分で自分の仕事に点数をつけるなら70点から80点といったところで、初めての司会進行役にしては上出来といったところか?
もちろん参加者の中には話さなかった人、または話したくても切り出せなかった人もいるわけで、100点満点など1回こっきりの集まりでは求めようがなく、当然私の司会進行役としての信頼度も全然足りないわけで、そうしたところを鑑みても「まぁまぁ」といったところだ。
よかった無事終わって。これで「T氏からACミーティングの司会進行役を任された私の責任」は無事及第点を持って果たせたわけだ。
それにはBさんのような無意識で他人に噛み付く妄想型がいなかったことも大きい。
まぁBさんのような人が現場に紛れ込んでいたら、いくら優秀なチェアマンでも「感情が乱れた」現場を鎮めるのは難しいと思うが。
幸い今回の参加者は普通のAC?だったみたいだ。
これ以上私は彼らに何もできないが、これが参加した人の「何かを気付く」切っ掛けになればいいと思う。
今の私にできるのはこの程度のことで、結局自分を変えられるのは自分しかいない。
今回の件で私も貴重な経験をさせてもらった。
それも丁度自分で新しく自助グループを立ち上げようとしている時にだ。
当初私は今週末に合わせて立ち上げる予定だったのだが、とある諸事情で期待していた所(そこは平日にNAやAAが開かれていて、そういった嗜癖に理解がある)が「日曜の夜はどうしても難しい」ということで、また場所探しが振り出しに戻ってしまって、昨日私は元チェアマンのAさんに「自分なりに手を尽くしているが難しく『元の場所をもう一度借りられないか?』教会の人に頼んでみてほしい」とお願いしてきた。
だから我が県の自助グループが再開するのは早くても7月頭となる。
時間はあるのだから焦らずぼちぼちやっていくしかない。
幸い(かわいい)Kさんも応援してくれたことだし、単純明快な私は「やるっきゃないか」という感じだ。

最後に、今回のフォーラムに参加してくれた人達の前途に明るい光が差し込みますように。
今私はそう願うのみだ。
<416> NAC NAC ■2004年06月15日 火曜日 05時29分55秒
汝求めれば道は開けん?

先週私は3つも自助グループに参加した。
内訳は火曜はU市、水曜はO市、そして金曜はT市(こちらは初めて)だ。
そして今回の「アディクションフォーラム」に繋がったのはU市でのミーティングだ。
偶々そこに今回のフォーラムの委員長であるT氏が来ていて、ミーティング終了後フォーラムの話になり、私が「私も行く予定なんですよ」と話に混ざると、
T氏が私に「もしよかったらACのミーティングの案内と司会をやっていただけませんか? 私は役員としていろいろ仕事をこなさなくちゃいけないので、誰かサポートしてくれる人がいればACのミーティング開けるんですよ」と言うので、
「話したくて話したくて」うずうずしている私にはまさしく「渡りに船」 2つ返事で「いいですよ。で、何をすればいいんです?」
T氏「詳しいことは当日のお昼休み、午後の部が始まる15分前に皆で集まって決めますので、0:45になったら受け付け付近に来てください。たぶん私もそこにいると思いますので。まぁ特別難しいことは何もないので大丈夫ですよ」
安請け合いした私は「はぁ」と若干不安ながらも頷く。
そしてお互いの連絡先を交換して別れ、大会前日に「明日は大丈夫か?」確認して
迎えた当日。
受付は9:40からで、「あれぇ? Tさん俺に『受け付けやってくれ』とは言わなかったよなぁ? 頼まれといてすっぽかしたんじゃ恥ずかしくて2度とU市の自助グループに参加できなくなっちまうからなぁ。それだけは避けんとなぁ。Tさんは自分を信頼してお願いしてくれたんだからこちらもそれに応えんとなぁ。とりあえず自分の勘違いで墓穴掘っちゃなんだから8:00になったら確認の電話入れるか」
そして時間通り私はT氏に確認の電話を入れ「自分は受付には出なくてもいい」ことを確認し、洗濯して朝風呂入って「0:00に間に合うよう(来ることがわかっているHさんとお昼を一緒にとるよう)」私は10:00ちょい過ぎに車で出発。
現地市内の環状線が混んでいて、私はぎりぎり0:00現地着。
そこで私はT氏を探し、軽く挨拶して早速Hさんを探す。
すぐ「Hさん発見!」と思ったら実はKさんだった(その「すっとこどっこい」の顛末は「性的」をご覧あれ)。
喋り始めると時間を忘れる私は「ミーティング参加」の時間も忘れ、Kさんとお喋りタ〜イム。
マシンガントークの私に45分は短過ぎて、あっという間にお別れタイム。
ここで予期せぬハッピーエンド!
なんと自助グループのアイドルKさんの方から「これ私のメールアドレスです」とメルアドを教えてもらい、「メールを殆どしたことがない」私はその旨をKさんに伝え、代わりに自分の携帯番号を教えた。
そういやKさんは「こういう場で声掛けてもらったのは初めてで嬉しかったです」とも言っていた。
そんなことで喜んでもらえるなら私はいくらでも声を掛けます(自分の好みに合った人優先)。
時刻は0:45を過ぎていて、私はKさんに簡単に礼を言い「また自助グループ再開しますので、もしよかったら参加してみてください」と言い、
Kさんも「月1になっちゃうけどまた参加してみます」と、私は色好い返事をもらえた。
「よしよし」である。
こうして私はKさんと少しお近付きになれたが、今まで私は自助グループに参加している皆と一緒にフェローでKさんと少しだけ喋っただけで、今回のように「2人きり」というのは初めてだ。
これでKさんが「そうでない人はそれなりに」なら私も緊張しないが、容姿や雰囲気が私のストライクゾーンに十分入っているから、こちらもそこそこ緊張する。
でも今の私にとっては心地良い緊張で、そのくらいで私のトークは止まらない。
そんなこんなでバタバタして?ミーティングに出なかった「下心いっぱいで責任感の薄い」私は再度Tさんを捕まえ、午後の部の詳細と私の役割を聞いた。
それによると私の役割は2つ。
1.3分間でACのミーティングについて説明する(ホールの聴衆は100人前後といったところか)
2.その後のACミーティングで司会・進行役を勤める
以上2点だ。
そんなこんなも「口から生まれたかもしれない」私にとっては「どっちもノープロブレム。どっからでも掛かってこんかい」って感じで特別何も問題ないが、あるとすれば「3分間の説明まで時間がない。ぶっつけ本番!」ということだけだ。
そんな時間が迫っているのに私の頭の中は「Hさんを探さなきゃ」で、ちょこちょこ動いたらHさんの後ろ姿発見!
私はまるで獲物を狙うハイエナのように近づいて「あのぉHさん?」と声を掛けると
今日もばっちりアイシャドーをしたHさんが私の方を振り向く。
「おぉこっちが本物のHさんだよ。服もフリルが付いてかわいいなぁ」と内心感歎しながら挨拶する。
Hさんも私がいてびっくりしたようだ「あれ、NAC NACさん何でここにいるんですか?」とにこにこしながら聞いてくる。その笑顔はまさしく「ナイスすまいる」だ。
時間も差し迫っているので私は挨拶と事に至った経緯を話して「また後で」と別れる。
そしてやってきましたインフォメーション。
それも私の説明は2番目。
1番目は大会委員長のT氏が挨拶と全体の説明。
舞台の袖で簡単な原文を持って待つ私。あまり緊張していない。それどころか「早くスポットライトを浴びたい」そんな高揚した気分だった。
思いのほかT氏の説明が早く終わって「なんだ、(3分間目いっぱい話さずに)別に短くてもいいのか!」と私は思い、それで肩の荷が幾分下りたらしく、100人前後の聴衆を前にしても私はあまりどもることなく無事仕事を果たすことができた。
正確に時計を測ったわけではないが、私のお喋り時計からすると「2分ちょっと」といったところか? 5分は超えていないと思うが。
後から私は聴衆の中の知り合いに「自分の案内聞き取れました?」と聞いたら「うん大丈夫だったよ」と返事を頂いたので、そこそこ及第点といったところか?
自分で欠点(改善点)をあげるとすれば、聴衆の顔を見たのは初めの挨拶の時だけ、後はずっと下を向いたまま簡単な原文を見ながら即行で文章を繋げていったので、「次回何かのチャンスがあったらもっと聴衆の顔が見ながら喋れるよう、その反応を自分で確かめられるように話そう」というところだ。
中々大勢の前で話す(説明だけだが)ってのは気分のいいもんである。
私の「喋りたい」インナーチャイルドは大いに満足している。
よかよか。

長くなるので「ミーティング」は次だ。
<415> シャローナ ■2004年06月14日 月曜日 00時43分17秒
なんだか悲しい、不安、心細い
こんな時誰かそばにいて欲しい 
別にどうこうして欲しいわけじゃない
ただそばにいてこの気持ちが去っていくまで
抱きしめてくれたり背中さすってくれたり
それだけでいい
なんで今までこういうことを望まなかったんだろう
そういえば辛い気持ち自体出てきたこともなかった
それが結果人を遠ざけることになったのかな
家には人がいるのに 私は誰かそばにいて欲しいと望んでる
さびしい・・・
<414> 埴輪 ■2004年06月13日 日曜日 22時15分01秒
私も少し汚れたい。
パチ屋でバイトしたこと、麻雀やったこと、競馬やったこと
こんなん汚れたうち入らんよ。
しかも染まりきっていない。
素行不良の姉を持って、私だけはまともでいなくては。
と、どんどん窮屈になっていったから。
汚れたくって、私。
<413> キーコ ■2004年06月12日 土曜日 11時02分11秒
「苦しみ」は、目に見えないし、手で触れられない。
・・・そして、自覚できるのは『当の本人』だけ、でも 確実に「そこに在る」。

今は、以前と違って、「苦しみの意味」を私なりに見出せたようだ。
・・・ことばでは、表現しづらい。
だから、今も 毎日延々と続く「苦しみ」を、どうにかこうにか耐えていけるのだろう。

でも、あんまり 負担がのしかかってくると、さすがに「もう、ダメかな〜・・・」て思うことが、何度も何度もある。
そういう時には、「SOS!!」を出していきたいのに、なかなか出来ない!
現状は、「恐怖心」が邪魔をして、行く手を阻んでいるようだ。
<412> キーコ ■2004年06月11日 金曜日 16時17分59秒
感情が、戻ってきたよ!

あぁ、・・・やっぱり、いいよ!
<411> 埴輪 ■2004年06月10日 木曜日 19時36分28秒
(もしかするとフラバ注意かもしれません)


私が手首をかみそりで切ったのは一度だけ。
ちゃんと?血が出ていた。まだうっすらと傷が残っている。
さっき、ちょっとまたやってみようと思ったけど
これがなかなかできない。
すっ、と白い線を引くことしか出来ない。
それなりに力を入れないと切れない。
切る気がなければ切れないものなんだと知った。
私にとってはすごく勇気がいることだ。
なんであの時はサクっと切ることができてしまったんだろう。
<410> キーコ ■2004年06月10日 木曜日 10時48分41秒
すべてが、『怖い!!』。

・・・という 膨大な気持ちを、抱えながら生きてきた。
そして、生きている。
でも、少しずつ 緩和していきたいなぁ。
<409> プレミオ ■2004年06月08日 火曜日 22時11分25秒
1、ネガティブ。
何でも悪いほうに考えてしまう癖。
良いことはどんどん遠ざかり、悪いことはどんどん近づいてくる、そう信じている気持ち。

2、自分に自信がない。
何でも自分はダメだと思う。
自分がダメだと思っているから、とにかく人から褒められたい、肯定されたい。
そういう気持ちが暴走して、自分にも手に負えない。
<408> とら ■2004年06月08日 火曜日 22時01分48秒
心の傷を今、消化している。小1のころの経験をファイルに収めている感じだ。
たぶん、幼稚園から小学校にあがること自体、かなり大変だったんだ。
元気がなくなった気がしたもの。どう自分を出せばいいか分からなかった。
辛かったよ。字が苦手だったし、また幼稚園受けた恥辱を味わいたくなかった。
幼稚園のとき、字を逆に書いて怒られた。いつもはやさしい先生なのに、泣いて
しまった。信頼を裏切られた気がした。その成果、今でも字を書くとき(人前で)
必死な自分がいる。今、名前に関してはうまいと思っている。
<407> キーコ ■2004年06月08日 火曜日 17時35分36秒
今まで、色んなことがあった。
よく、「苦労のお陰で・・、感謝します。」なんてこと聞くと、激昂しちゃうう。
理由はよく分からないけれど、「ふん、きれいごと言うなよな!」て、感じかな。
・・かと言って、「自分の過去」の損失・・!「損失??」・・・・
はて、「損失」て、一体なんだろう。
そりゃ〜、痛い目には、うーんとあったし、ボコボコにもなった。
なりたくない「病気」にもなって、一生のお付き合いになりそうだけれど、何だか考え違いをしているみたい。

随分、「獲得したもの」もある。 目にも見えないし、世間的な価値判断からすると、全く どうってことのないものばかり。
でも、(無理やりにではなく) 本心から「自分の過去」を振り返って、「失われた機能」は数々あるが、本当に得たもの方が遥かに多い。
苦しみは、本人が本当に苦しまなければ分からない。
「過去のボコボコ」にされた、正に「その事」が獲得したものなんだ。
私にとっては、とても大切なもの、貴重なもの。
<406> くみ ■2004年06月07日 月曜日 08時02分55秒
最近「心に侵入される」感が凄く怖いなって、再び感じるようになってきた。
寂しくて仕方ないのに、本当の自分を分かって欲しいのに、言えない・・踏み込めない、ためらう。
共依存の私は、人との距離のとり方がいまいち難しい・・。
個々の個性が尊重された家族なら、自分と周囲との壁が厚くなる。でも私の周りの壁はあまりにも薄い。侵入されやすい。傷つきやすい。動揺する。
就職の面接でも毎回思う。
初対面でその場を何とか切り抜けるのは私は苦手じゃない。
家族の中で争いごとが起きた時ピエロをやっていた様に、笑っていればいい。
周りの人に歩調を合わせるのが必要な時には凄く有利。
でも長く続かないよ。
いつ自分の仮面の下を見られるかが怖いわ。
<405> WINNIE ■2004年06月06日 日曜日 19時00分16秒
かなり似ているから、その人が気になるんだろうな。

向き合うべきは、自分の気持ち・・・

フォーカシングでは、その気持ちの「脇」にいなさいって、言ってる。ついつい分析したくなる。なぜ、なぜ、なぜ〜??って。

でも、大切にしたいとは思う。私がずーっと長いこと抱えてきた気持ちだもの。

「さびしい」気持ち。
<404> WINNIE ■2004年06月06日 日曜日 15時21分47秒
ある人(ここのHPとは違う所の)を見ていて、思うことがある。

さびしいの。関心を持って欲しいの。私の相手をして欲しいの。向き合って欲しいの・・・

親に「かまって」を発信しても、相手にしてもらえない。でも、親だろー、という気持ちがあるから、執着を捨てれない。この人は、自分を十分に愛してくれない、私が欲しいものを与えることができない、と見切りを付けられない。

そういう執着を、他の人との間でも作ってしまい、嫌がられても、それでも離れていくことができない人。「君が嫌がる態度の方が、おかしい」としか思えなくなってくるんだろうね。そして、自分では気付けずに、ますます執着して相手を困らせる。その人の心の飢餓、わかるような気がする。私の中にもあるもの。

苦しい苦しい飢餓の心。
でも、それを気付かないと、そのループから逃れられないよ・・・その苦しさの理由は、自分の中に、あると思うよ。

その人に私が勝手に、自分を投影してるのかもしれないし、自分の問題に気付いても、私もその執着から脱出はしてないけどさ。
<403> 真実 ■2004年06月05日 土曜日 06時07分41秒
 まぁ、今でも、その癖はあるけど。確証を得ていないのに、確信しやすい。物事を個人的に受け取りやすい性格。額面どおりというのは、なくなったけどね。人には言葉の裏に秘めた気持ちがあると思うし、そんなにすべての人が正直に自分を言い表すわけでもないんだなというのが、最近特によくわかってきたので、あまり物事に動じなくなった。というか、動じても少し、になった。自分の感情の平静さを大切にするならば、人や物事との間に、ある程度の距離は必要。そう感じる。
 最近物事が自由に流れる。そう感じる。離れるものは離れるし、なくなるものはなくなる。あるものはある。今もそう。
 人生の流れに乗り始めているような気がする。物事が簡単に起こる。流れる。留まるものは留まる。そう思う。簡単。確実。わかりやすい。
<402> 波 ■2004年06月05日 土曜日 04時22分55秒
どのコーナーに書いて良いかわからないのでココに
書かせてください。管理人さんが「宗教」と判断
されるのなら「削除」をお願いいたします。



私は精神科の他に持病の内科医にもかかっている。
そこで私が「この頃、嫌な夢を見て夜中に起きる」と
話したら「法隆寺の国宝、夢違観音」の事を教えてくれた。

先生自身が小さい頃からお父様(医者)に「夢違観音像」の
写真を枕元に置いて”悪い夢を見ませんように、見て
しまったらいい夢と取り替えてください”とお祈りをして
寝るのが週間だった、という。先生自身は現在、幼稚園と
小学生のお母さんだが、自分の子供たちのお布団の脇にも
その観音像の写真をおいてあるそうだ。

「あの写真1枚で、とっても子育てが楽よー、よく眠るし
夜中に夢を見て起きてもその写真に自分で”お祈り”をして
すぐに寝てくれるの。波さんもやってみたら?私はこの歳に
なっても旅行に行く時もその写真を持っていくのよ」

いわしの頭も信心から・・・?
昔の人も怖い夢とかで悩んでいたんだ、人間の心って
変わらないんだなあ。「夢違観音」の写真、手に入れて
みようかな。

<401> ここあ ■2004年06月05日 土曜日 03時35分23秒
今、辛く感じていることを書きながら整理してみることで、なんとか前へ踏み出せるようにしたい。

気づいたこと。 あの人が大声で怒鳴る、不機嫌な声で命令する、そのことは他の人たちは不快に思うだけなのに、私はすごく怖くて、どきどきして、手が震えてしまう。 私の心は自分が思っていた以上に、過去の怒鳴り声、ぴりぴりした険悪なムードを忘れられないでいるらしい。

再確認したこと。 私は怒り方、いや、怒っていることをうまく表現することができない。 

気づいたこと。 他の人たちは自然に、そして、自信を持って、怒りや不快感、拒否感を顔に表す。 でも、私は、それらを心の中に抱えていても、心のどこかに迷いがある。 怒ってもいいのだろうか、私にも悪いところがあるのでは、という気持ち プラス 今回の場合は怒鳴り声に対する怖れ。

私が怒りをうまく表せないこと、迷いがあること、を敏感に感じ取り、そこをここぞとばかりに攻撃してくる人たちがいる。 他の人たちにはなりをひそめてセーブし、気を使っても、私にはとことん理不尽に攻撃してくるタイプの人たち。
本当に優しい気持ちで、誠意を持って接しても、こいつは怒らない奴だと私を軽んじ、利用するだけの人たち。

気づいたこと。そうか、他の人たちはたぶんあまり理不尽な目にあったことがないんだろうな。それが、当たり前ではなかったんだ。だから、不当に怒鳴り散らす人に対して、怒ったりおびえたりするよりもむしろ、とんでもない人ねとあきれることができるんだろうな。だから、強い態度に出ることができる。そして、それは相手を充分反省させたり、抑えることができる。

今まで何回も辛い思いをし、自分で身を守る術を身に付けなければ、そのためには自分を肯定しなければ、と思って努力してきたのに、また同じ事の繰り返し。
どうしてこうなんだろう。悲しい、辛い、虚しい、情けない・・・

攻撃心や、他人を卑しめることで劣等感をすりかえて自分を高めようとする心の動きは私自身を含めて、大なり小なり誰の心の中にもあると思う。
今、私を攻撃してくる人はちょっとそれが強すぎるタイプの人ではあるとおもうけれど、とにかく私は人の中のそういう気持ちを増幅させる傾向のある人間のようだ。

人にそうさせてしまうのは私に問題があるからだ。自分を認め、大切にしなければ人にもそうできないというし、そうなんだろう。
でも、どうしても、私にはむずかしい・・・
がんばっても、がんばっても、いつものパターン・・・
ほんとになぜこうなんだろうな・・・
悲しい・・・








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