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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.20
メッセージ数:400件

<400> MARU ■2004年06月05日 土曜日 00時24分42秒
マイナスの感情は、表現するのが難しい。
受け止めるのも、とても難しい。

穏やかに、笑って過ごせたら、何より。
けど、なかなかそうは行かない。

笑うのと同じ位、嫌な気持ちが襲ってくる。
他人からの嫌な気持ちも降ってくる。

感情が、全くなかった、若い頃。
それを思えば、今の方が、まだ健康になったのだろうか?

ちょっとした不愉快な事が、耐えられなくて、でもちゃんと口には出せなくて、ただ相手を「苦手なヤツ」「嫌いなヤツ」として遠ざける。
相手を嫌う「正当な理由」が、山ほど頭に浮かぶ。
けど、そんな理由なんか、本当はどうだっていいんだ。
大事なのは、その時、私が「嫌だな」って感じたって事。
それは、表に出してあげなきゃいけなかった。
相手に言うかどうか。どんな風に言うのかは別問題だけど。

同じように、他人からの、不快な感情の表現は、キツい。
ちょっと怒られたりすると、ピシャッとシャッターを下ろしてしまう。

ちょっとした事で、喜んだり、おもしろがったり、できるようになった。
同じように、怒ったりもできるようになるんだろうか?

こうやって、他人と軋轢を抱える度に、一人が一番、って閉じこもってしまうのも、どうもなぁ…、と思い始めた。
<399> とら ■2004年06月03日 木曜日 22時49分49秒
仕事、本業に対して集中ができなくなってしまった。どうしてかはわからない。ある意味、研究のような仕事だ。前ほど、PCの調子に振り回されなくなったが、父の仕事の書類を作るときは気が重くなった。もうだいぶ直ったはずなのに。。。それをほったらかしてネットや他ごとをしている。いやなんだろうな。たぶん。無理して受けてしまっただろうか。悲しい。自分の仕事は自分で
確保しなきゃだめだな。まだ、そんな癖が僕には残っている。フラバもある。
完全にはなくならないんだね。ぐすん。今は自分をいたわりたい。家が一時的に険悪な雰囲気になった。でも、俺のせいじゃない。父と妹のせいだ。
<398> NAC NAC ■2004年06月03日 木曜日 14時47分58秒
ここのところ私は週1で温泉に行っているが、昨日も私はいい天気の中、自分のインナーチャイルドと仲良くお喋りしながら(微笑ましい母子の会話を実践中)塩原温泉に行って「むじなの湯」に2時間ほど(出たり入ったりしながら)入ってきた。
入浴事態はいい湯だったのだが、ひとつ私が不快だったのは「頭がおかしい?」とまではいかないまでも、「こいつ頭の中にオウムでも飼っているのか?」そう私に思わせるほど「不快(後ろ向き)な話を、誰彼構わなく延々と同じネタを繰り返す」60の男性と場所と時間を共有せざるを得なかったからだ。
周りには年配の男性が2,3人居たのだが、皆閉口しているような顔付きだった。
もちろん私も。
その不快な内容は敢えて省かせていただく(思い出しただけでも胸糞悪い)が、私なんか「えぇ加減にせぇよおっさん。黙って聞いてりゃいい気になりやがって。『馬鹿の一つ覚え』みたいに下らない話、何回も何回もリピートしやがって。あんたは話したいのかもしれないけど、ここにいる皆があんたの愚痴や恨み話を聞きたいわけじゃないんだよ。ちったぁ『場を弁えろ』ってんだ」そう切れて私は糞親父に怒鳴ってやりたかったが、周りのことも考え私は黙っていた。
それでも延々と続く再生機能。
「ほんとこいつの頭ん中どうなってんだ? ボケてんのか? ボケてる風には観えんけどなぁ。でも(全て)後ろ向きな話を聞かされ自分がムカつくのは確かだ」
私は怒るに怒れず脱衣場に逃げ、そのボケ親父が出てくるまでの20分間、時間を持て余して待たねばならなかった。
やっと「周りが読めない」問題児が出て行った後で、皆でブーブーその親父の文句を言っていた。
せっかく温泉に来てのんびりしたいのに、どこぞの馬の骨につまらない話を延々と聞かされりゃ誰だってムカつくだろう。
ほんと「私は二度と会いたくない」親父だった。
たぶん彼はどこか精神に変調をきたしているのだろう。
じゃなけりゃあの「これでもか」というリピートは出来ないからな。
お喋りな私も「場の雰囲気」「相手の心理状況」を読んで気を付けてお喋りしなければいけない。
じゃないと自分だけの世界になって「独り善がり」になってしまうからなぁ。
それじゃ誰も共感してくれないしなぁ。
自戒、自戒。
<397> キーコ ■2004年06月02日 水曜日 23時12分57秒
『たすけて欲しい。・・・・』
ほんとうは、いま そばにいて、誰かに わたしの話を聴いて欲しい。
以前なら、おそらく『過食』して、回避せざるを得なかった状況だろうなぁ。

すごく、むなしい。からだの中を、びゅーびゅーと風が吹いているみたい。
『独りきり・・・』が、ヒタヒタと押し寄せてくるような気持ち。

『これ』を感じるために、歩んできたんだと思う。
『これ』は、いつも私の人生に付きまとっていた「お馴染みの気持ち」。
今は、もう はっきりと自覚して 感じていられる。

大人になる事は、『これ』を感じながら、自分とひとをありのままに、見つめて受け入れあっていくことなのかぁ。
「『これ』は、大切なもの」と、心の奥底で「囁く声」がきこえる。
<396> laila ■2004年06月02日 水曜日 22時39分28秒
間違っても、自分への評価を、人との比較や、
人からの評価だけに頼るようなニンゲンにはなりたくない。
もう人とは比べない。
ほんっと馬鹿らしいから。キリないし。
周りにどう思われるかってことばっかり考えてたら、
いつまでたっても、心は満たされないんだ。
もっと違う、自分への対話、自分なりのやりかたを探しはじめた。
まあ、いいかな、これで。
そういうふうに、言いながら。
少しずつ、中身を豊かにしていきたい。
<395> とら ■2004年06月01日 火曜日 13時50分13秒
相変わらず、感じたことを抑え込む。もういいのに。
自分を取り戻し、表現できるようになったけど、相手に合わせて
調節する必要に気づいている。これを調和を取るというのかな。
疲れているとこれが難しい。しょうがないよね。人間だもの。
人は弱い。僕も弱い。自分のエネルギーにしばし戸惑う。
日本人は自分がない人が多い。自己表現を相変わらず悪いと考えている。
しかし、伝えないなら、何も始まらないだろうと思う。そこで、けんかして
もいいじゃないか。お互いむかつきあってもいいじゃないか。
けんかして初めてわかることもある。建設的なけんかは歓迎だ。
多分、これをディベートというんだろうな。お互いの成長のために
必要だと思う。

 生まれた背景が違うのはいいことだ、たとえば、サラリーマン家庭の価値観はおいらにはわからない。自営業ならわかるけど。。。
 この世で生活する以上理解は必要だ。自分を広げ続ける。
いろんな職業、男女の差、すべて興味深い。探求すべきものはいっぱいあるな
そう感じる。
<394> WINNIE ■2004年06月01日 火曜日 10時04分30秒
本当につらい時、身近な人に言えない。

カウンセラーには、言えるんだなあ、とこの何年かは思うようになった。なぜなら、聞いてもらう代わりに料金を払うから。お互いの好意だけで付き合う関係で、私の今一番の苦しい気持ちって、打ち明けるのは悪い気がしてくる。

体の不調の不安がいろいろある。人の体調に関する大変さは、辛すぎて聞いてあげることがあまりできない。辛すぎて、辛すぎて、耐えられない。たぶん、私が自分の辛さを受け止めきれてないからだと思う。小さい時に、もっと親に、不安な気持ちを受け止めてもらいたかった。言っても大丈夫、と感じさせてもらいたかった。

私はWEB日記を書いている。でも、そこでもやっぱり、体の辛さをなかなか書きづらい。私自身が、人の体の辛い話には寄り付けないから、他の人も、私がいろいろ打ち明けてしまったら、だんだん読んでくれている人たちが寄り付かなくなっていくんじゃないかと思うから。心配させると思うと、それも神経を遣ってしまって、なかなか書けない。

今、とても不安なこと。
私の右眼が不安です・・・たぶん、もう2回手術しなければいけない。去年、今の不調が発覚したのだけど、まだ親に言えない。最近、兄弟のことでも親が心配していて、とても言えない。これまで両眼合わせて4回も手術したのに、またやらなければいけない。でも、またさらに、もう片方(左)もおかしくなったら・・・と思うと、もう本当につぶれてしまいそう。

つぶれてしまいそう。この気持ちも、ちょっと時間がたつと鈍磨してしまうだろう。でも、認知できる時もできない時も、辛くて耐えがたいものが、心に中には存在している。

だれかに寄りかかってみたい。
私がどんなにつらくても、寄りかからせてもらえる関係が欲しい。契約的な関係ではない関係で。

私は管理人が、ひとつひとつレスを付けてくれるような個人のメンヘル系HPはあまり得意じゃない。相手が、受け入れてくれているのか、常に心配で仕方ないから。こういう、言いっぱなしの掲示板は、比較的ラクです・・・読んでくださって、書かせてくださって、ありがとう。
<393> teizo ■2004年06月01日 火曜日 09時17分51秒
人の前だと自分をよく見せようとしてがんばってきてしまった。だからプライドが高いと酔った友達に言われたんだな。
そのままの自分をみられるのが怖かった。絶対馬鹿にされたり嫌われると思っていた。
少しずつやってみようか。この自分を認めて、外に出ることを。
<392> キーコ ■2004年05月31日 月曜日 22時55分30秒
人が自分のことを、嫌って入るような気がして仕方がなくなる。
「あぁ、きっと 私のことを嫌っているんだろう。どういう風に、謝ったら、振舞ったら ゆるしてくれるだろう。」と自分の中で、シナリオを作ってグルグル空回りを始めてしまう。
・・ふぅ、『私は、無条件で存在していてもOK』というメッセージをチャンとつかめていないから、生き辛くて仕方がない。
『自暴自棄』になっちゃダメだよ!!
<391> とら ■2004年05月29日 土曜日 22時32分01秒
最近遊んでない。本を読むのと、営業と仕事ばかりだ。明日は学校だし。
素直に遊べない自分。仕事もボツボツやってるのに、だめと言われている気がする。
 楽しいと言う感覚。うれしいと言う感情。今、抑えてる。もういいんだ、がんばらなくてもいいだから。悪いことじゃない。あたまで感情を作らない。体の感覚のままでいいんだ。思い込まなくていい。感じることを思えばいい。きゃあー、うれしい。
<390> キーコ ■2004年05月28日 金曜日 12時42分56秒
『感情は、現実との橋渡し。』
どこかで こんな文章に触れたような気がする。
「苦しみは、その人の唯一のものである。だから、自分しか、それを理解し 受け入れることは出来ない。」 
これは、私の気づき・・・・。

それでも、どうにか、「現実」を受け入れ始めている。
『回復』ということを、私なりに定義すると、「どんなことでも、すべて意味がある。」と素直に、ただ 単純に思える、受け入れられる人に、私が成長、成熟することだと思う。
「あらゆる苦しみ」を通して、人は成長していくんだ!・・・そうなんだ!
これは、私の信念になりつつある。
<389> まい ■2004年05月28日 金曜日 01時28分00秒
好きだと言ってもらえるたびに、試す真似ばかりする。
好きだと言うたびに、偽善だと思う。
執着ばっかして、大事にしてたひとから「頭おかしい」とかも言われた、
…あの言葉を一生引きずるんかなあ、しんどいなあ、しんどいよ。
自分が悪いんだってずっと考えて、親が悪いんだって思って、
だけど私はあのひとが好きなはずで。蹴られても殴られても、
泣き叫んで喧嘩しても、嫌っちゃ駄目だ、だって産んでくれた
ひとなんだからって思ってきた。
好きだって言われるたびに、じゃあぎゅってしてって思ってた。
おかあさんみたいに。おとうさんみたいに。全然ぎゅっとして
くれなかった大好きなひとたちより、ずっと好きになって欲しいって
思ってた。でもそんな価値はないんだよつて言われた。
あたしはやっぱり、おかしい、のかな。
他人に押しつけてきてばっかだったのかな。

しんどいよう。
<388> 海龍 ■2004年05月27日 木曜日 11時37分23秒
“しあわせ”になれない。みにつかない。
“しあわせ”なかんじはふあんになる。おちつかない。
“しあわせ”からにげだしたくなる。こわくなる。
だからじぶんからこわしてしまう。
“しあわせ”より“もんだい”のほうが
じぶんにあってるから。なれてるから。
“しあわせ”より“もんだい”のほうが
わくわくするの。さいてーだ。
いやなきもち。いやなきもち。いやなきもち。
じぶんもあいてもふたりでいてもいやなきもち。
わかれたいっていっちゃった。
いっぱいいっぱいすきなのにね。なんで?
“すき”がしんじられない。“しあわせ”がしんじられない。
しんじられない。しんじたくない。しんじるのがこわい。
いつになったら“しあわせ”になれる?
いつになったら“しあわせ”になっていい?
いつになったら“しあわせ”をゆるせるの?

“しあわせ”ってなんだろう。
<387> るしす ■2004年05月27日 木曜日 02時22分03秒
数分後には考えが変わる。
言ってることや、やることもちぐはぐ。
私がなくなった。
みえなくなってしまった。
でも私はここにいて、私は私で。
だから、今の私は自分で自分が信用出来ない。
紙に書き出してみよう。
思い出して。
自分のいい所たくさん。
自分の嫌な所も。
書き出せば・・・。
<386> およよ ■2004年05月26日 水曜日 02時00分35秒
昔は、よく思ったものだ。「現実の私は私じゃないよ。きっと、本当の私はどこかで、もっと幸せに生きている。きっとそうだ。今の私は幻想、幻なんだ」と。確かに、本当の私で生きてこれなかったのだ。周りに合わせて自分を偽って生きてきたのだ。でも、今生き残っている事は、すごいことだと思う。私は過去の苦しみに負けることなく、生き残ってきた事を誇りに思う。
そして、今でも時々思う。「私たちの生きている時間は100年にも満たない。きっと、何万光年の星の存在からすれば、私の存在は無に等しい。ならば、どんな苦しみも、幻想に等しいのではないだろうか」だから、昔私の感じた事は、ある意味では真実であったと言えるかもしれない。
死んでしまいたいと思うとき、コウ考える事もある。「すでに、無に等しい存在の生命をさらに、無にして何の意味があるだろうか。小さな事に、とらわれずに、生きていこう。自分に与えられた命をまっとうしよう。それでよしとしょう」私が悪いのではない。この世の悪、それを行う人が悪いのだと。私たちの苦しみはその犠牲者である事を、裏付けている。だから、何を自分を責める事があろうか。誇りを持って生きていこう。この小さな命をまっとうしよう。
<385> 埴輪 ■2004年05月25日 火曜日 23時22分53秒
ぶっこわしてやりてえよ。
何を?
わかんない。
わかんないけど、そういう心境なんだよ。
ガシャーンと。。。
っていうよか、ガツンと。
あーまだ自分の中に真っ黒い小人が住んでるんだな…。
操縦…管制塔…
自分を操作する人間達がささやいている声が聞こえる。
<384> ゆき ■2004年05月25日 火曜日 11時29分26秒
いつのまにか自分が二つに分離していた。
中学くらいからだと思う。
母親という人の弱さに気づき始めた。
その頃から、ままごとを始めた。
子供な私=ダメな私。母親には期待できないから、代わりに自分で母親になろう。
暗闇で一人膝を抱える幼い子供を、冷酷に閉じ込めて否定し続けてきた、大人もどきの私。
最近私の中の子供が反抗期を迎えている。幼い私の面影が、「助けて」と叫ぶ断末魔の声が、寂しさ背負って歩いた学校帰りの風景が、かわるがわる私を苦しめる。今頃になって。
あの頃のあなたの苦しみを、どれだけ背負ったなら、許してくれるのかな?
子供の私を、どれだけ抱きしめてやりたいと思っても、手が届かない。
どこにいるのかわからない。
姿は見えるのに、声も聞こえるのに、あなたに手が届かない。
今思えば、育てる私も、育てられる私も、子供だったんだね。
私が嫌ってた私は、私が思うほどダメな子じゃなかった。
ほんとは、普通の子だったんだ。
私が信じてきた仕方のないもの、ほとんどが幻だって事に気づいた。
常識なんて、形のないもの。
正解なんてどこにもない。
ならば間違いなんて何一つない。
そんな世の中、私だけが間違ってるなんて、あるわけないじゃない?
ちょっとくらい失敗したって、ちょっとくらいさぼったって、どう考えても、私頑張ってると思う。
ほんとは生きることがとってもとってもつらいけど、死なずに生きてる。
つらかったら泣いてもいいんだと思う。
笑わなくてもいいんだと思う。
正解なんてどこにもないから、私のしてること、何一つだって間違ってないんだと思う。
このくらい、甘えていいんだと思う。
いくら苦しくても、いくら罪の意識に締め付けられても、どんなにひどいこと言ったって、それがほんとの気持ちなら、私悪くないんだと思う。
幼いあなた、手をつなごう。
もう、震えてなくって、いいよ。
あなたのこと、認めたから・・・。
ほんとは私もさびしかった。あなただけじゃない。
一緒に、暖めあったらお互いに救われると思うんだけど・・・?

<383> およよ ■2004年05月24日 月曜日 01時49分25秒
親からに否定と無視で、私は傷ついた。でも、夫からの否定と無視はさらに、私を追い詰めた。自分の感情、思考、意見、経験、未来、すべてを夫は否定した。それは私をだんだん追い詰めて、自分を失くしてしまった。夫の目的は、私の自己の崩壊だったのだ。そのとおりになった。
だから、私は逃げる事にしたのだ。今自分の中でもう一度自分を信じること、
自分の感じ方を感じること、考え方を取り戻す事。それが始まっている。
夫のしたこと、他の人を否定する事は、その人の魂の殺人に等しいと思う。
今、確かにそう思う。失くした自分の感覚を取り戻すために、私は苦しみにあっている。自分を守るために、感情があるなら、その感情をなくしてしまうのなら、自分を守れないのだ。もう一度、自分を取り戻す、必ず、私は私になる。
<382> 埴輪 ■2004年05月21日 金曜日 22時23分43秒
つい1年くらい前の自分が、どんなに自分の殻に閉じこもっていたかわかった。

小説や教養の本、漫画を読み漁り
1日に4,5本のビデオを見て
しばしば、夜が明けるまでケームをして
誰某の歌手が良いだのと言ってMD編集に明け暮れ
インターネットかテレビで一日を潰す。
学校やバイトがないときは殊更ひどかった。

自分としては、楽しいつもりだった。
でも、一瞬でどんな味だったかを忘れてしまうのだ。
楽しい思いをしたはずなのに、いっこうに満たされなかった。
それらの行動のどこに、他人とのかかわりがあったのだろう??

何で今ごろ気が付いたのかわからないが
無意味に日々を消化していた理由は孤独感から逃れたかったからだった。
何かに没頭している間、さみしさを忘れることができたから。

こないだ、昔読んだ外国人人気作家の小説を読みなおした。
たしかに面白かったけど
そこで感じた「面白さ」が感情の全てだった頃を思い出して怖くなった。

今もカンペキじゃない。
<381> 真実 ■2004年05月21日 金曜日 13時14分22秒
 私にしか理解できない私があってもいいと思う。いままでは、そんなふうに思えなかった。肯定できなかった。それは間違った考えなんじゃないかと思って。自信がなかった。でも、いまは、肯定しはじめている、ゆっくりと。
 自分という人間がよくわからないし、自信がない事が多い。でも、それでいいんじゃないか?そうやって、少しずつ進んでいくうちにわかってくる事も多いと思うから。
 わたしは誰なんだろう?どうしてこの世界に生まれてきたんだろう?そんなことを考えている・・・。

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This script written by Shintaro Wakayama.