ACというのは私の一部だと思う前、究極のプラス思考になることが私の目標だった。 あまりにもつらいからそうなったんだけれど、これは結局自分を痛めつけるだけだった。 私の中には、ほんとの意味でのプラス思考なんてものは無く、わからないから 私はそれを探した。本を読んだ。本屋と図書館に通いつめて、プラス思考を探した。 自分の生き方を教えてくれる何かを探した。そうして何か見つけると、安心した。 つかの間の安心。またしばらくすると、むさぼるように何かを探す。 本の中に、人の中に、目標とやらに。
これは依存というやつだったんだろうな。依存の対象が特定していないだけで。 自分以外の何かが無ければ、生きている理由が無いと思い込んでいた。
私は強いと勘違いしていた時期、必ず何かがあった。それを自分だと思っていた。 それが本当の自分だから、早く戻らなきゃ、見つけなきゃ、と随分過去に振り回された。 今やっと言えることは、私はからっぽで、それを自分で認めるのが、 死ぬのと同じ事だと思っていたという事。何よりも怖かった。ずっと出来なかった。 私は一瞬にして死んでしまう。誰かに、お前は自分が無いねって言われただけで。 あまりにも弱い。
幸か不幸か、ずっとそれを言う人には出会わず、わたしは張りぼてを作り変え作り変え、 なんとか自分を保ってきた。それ以外のどんな攻撃的な言葉も、 私は張りぼての材料にして、私は強いんだと勘違いし続けてきた。
去年、ある人に出会い、とうとう見抜かれた。それがACとの出会いのきっかけだった。 自分と向き合うきっかけだった。
もう言葉が出てこないのでやめます。書かせてくれる場に感謝を込めて。。
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