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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.14
メッセージ数:280件

<280> 埴輪 ■2004年03月24日 水曜日 22時55分33秒
いつもと同じ日でも、今日はテンションが違った。
やっぱメインの消化事項のほかに、エネルギーチャージできる何かがないと。
それをくれたのは、親しい友人だった。
<279> NAC NAC ■2004年03月24日 水曜日 09時28分26秒
先週の土曜、私は3回目の「コーチング」に参加してきて、またもや「目に見えないもの」「心で感じるもの」が少し蓄積できたと思う。
こうして自分で「正常なもの」を得ようとする、または「よりベターなもの」に近付こうとすると、「如何に、今までの自分が歪んだものを当たり前として習得してしまったのか?」よくわかる。
裏返せば、「それだけ子どもは親の前では無力であり、また可能性が無限大であるがゆえに情操教育が大事だ」ってことだ。
そして子どもを教育する前に「大人である自分たちがどういう教育をされてきたのか? それは世間一般と照らし合わせて正常レベルと言い切れる範囲のものなのか?」客観的に診ておかねばいけない。
自分で「1+1=2」と思っていても、他の親ならそれを3にも4にも伸ばせるかもしれないし、逆に2未満にしてしまう接し方もあるだろう。
そして現にそうした「マイナス」の埋め込みをされた自分が社会に出たら「何か違うぞ! 何が違うのかわからないけど何か違うぞ!」
そうした活き辛さを抱えつつ、私はサバイブしてきた。
いや正確には「インナーチャイルドのお陰でサバイブしてこれた」というのが私の正直なところだ。
幼少時代に自分の心を乖離させていなかったら、私は本当に狂っていたかもしれないし、当の昔に犯罪者になっていたかもしれない。
(まっ今でも自分が「まともじゃない」のは確かだが)
そして私は覚えておかなければいけない「自分の子ども時代の痛み」を。
「会話による感情交流の重要性」を。

自分は明らかにコミュニケーションが下手糞であり、それはあの親たちに育てられたのだから当然だ。
でも自分は全く意味不明のことを話すわけではない。
感情鈍磨の親からインプットされた方法・手段が間違っていただけだ。
そして遅ればせながら私はそれに気が付いた。
自分で「自分の不可抗力の過ち」を認めたから、私は改めて学び直す必要性を感じて現在に至っている。
それでも私の中では(まだ気付かない)いろんなものが歪んでいることだろう。
ただ今はまだ自分では気付いていない、または外から自分の「嗜癖」を引き出されるような刺激を受けていないだけの話だろうから。

そして自分がどんな人間か?は、仮に自分が結婚して子どもができて、またその子どもができて、自分からすればその孫がどういう風に育ったかで、私という人間が推し量られることだろう。

人間はこうして繋がっていく。
繋がっているがゆえに「見えないもの」「気付き難いもの」「判断のつき辛いもの」そうした無数のカオスの中で右往左往している。

自分は渦のどの辺にいるのだろう。
わからない。

でも混沌とした中を手探りで模索し始めた感覚だけははっきりしている。
それも「宮本 輝」の影響かもしれないなぁ。

考えなくちゃいけない。
そして感じなくちゃいけない。

想像力の欠如がもっとも貧しいことだ。
<278> もで ■2004年03月24日 水曜日 03時10分54秒
ダンナは、摂食障害をすごく不思議がっていた。
「なんでかね?俺は腹が減れば食べるし、そうじゃなかったら食べんし。それだけだと思うけど。」って言ってた。
あたしからすればそんな感覚のほうが不思議…
拒食にはなったことないけど、気持ちはよく分かる。
過食になったことあるから、さらによく気持ちが分かる。
ただ、吐くことは異常に怖いので、常にエネルギーを吸収しつづけていた。
いつお腹が減ったのか。食べたいのか、食べたくないのか。
それを感じないときもある。
そんな事すら忘れているときもある。
境遇が違うだけで、こんなにも感覚って違うものなのか。
<277> キーコ ■2004年03月23日 火曜日 22時10分47秒
自分自身の心の整理のために、20代の気持ちを少しずつ 書き込んでいけたらいいナァ。と思って 何回か試してみたけれど、まだダメみたい。
「心の持ち方」を急に変えようとして、自分の圧力をかけるのがいいこととは思えないので 暫らく様子を見てみようと思う。
とにかく、原案だけでも まとめられたから御の字だ。
<276> シャローナ ■2004年03月22日 月曜日 23時51分24秒
感情・・・まだどうしていいかわからない
近頃すごく重たい気分だったり、ムシャクシャしてやりきれなかったり
とても不安定 こんなときは自分でどうしたらいいのか
今まではとにかく自分から離れてばかりいたようで
何事もなく過ごしてこられたようでいて
その実なにやっているのかわからなくて なにやっても充実感がない
それってやっぱり自分の中の感情とか避けているからだと思う
でもまだどうしていいのかわからない 辛・・・苦・・・うぅ・・・オェ
<275> ayako ■2004年03月22日 月曜日 15時53分43秒
同じ仕事場のOPの人。話した事もなかったけど、残業願いの時にシフト持ってないかと私に聞いてきた。私は「持ってない。SVなら持ってると思う」と正直に答えた。飴食べる?と聞かれたので食べたくないから「いいです」と答えた。
それから彼女とは挨拶する事もなく居る。この前思ったけど、彼女と私は似てる。
だから嫌悪感を感じる。自分の嫌な所が良く見える。仲良く出来ないだろう。お互い反発するだけだろうから。彼女は本当は良い人だと言う事も解る。でも嫌な思いもしたくないし、傷つきたくないから近づかない。
<274> SUN ■2004年03月20日 土曜日 02時21分08秒
最近すごくチャットで話がしたい。
コミュニケーションを取りたい。
自分を受け入れてくれる人が欲しいのかな。
いるにはいるけど。
1人の時間が長すぎるから、暇なだけなのかな。
でも、テレビ見てるより、誰かと話をしたい。
心の穴を会話することで埋めようとしているのかな。
寂しいと感じていることは間違いない。
私自身が寂しいのか、やはりSUNちゃんが寂しいのかな。
話をしたくなってきたってのは良い傾向なんだろうか。
あまり関係ないのかな。
むしろ良くないことなのかな。
自分自身で寂しさを埋めきれてないわけだから。
でも、ずっと1人は寂しいよね、誰でも。
とにかく誰かと喋りたい。
喋ると元気になれるから。
元気になりたいって事かな。
答えは元気になりたいって事だったのかな。
元気になれる会話がしたい!!
<273> NAC NAC ■2004年03月20日 土曜日 01時47分22秒
最後3番。
(大分2番でエネルギーを使ったので、もう一踏ん張りだ)

いったい2つに別れたテコンドーの団体のトップは何を考えているのだろう?
己のポジションの保身か? それともつまらぬ面子で意地の張り合いなのか?
この期に及んでテコンドー界にとって一番大事なのは何なんだ?
日本のトップ選手をアテネに向かって大会に参加させることじゃないのか?
それを見失って「うちはどうの、お宅は間違っている」なんて見っとも無いったらありゃしない。
「いい年したガキの縄張り争い」そのものだ。
私にはよくわからん。
ちんぷんかんぷんだ。

「あくまで外野」の私からすると、「そんなことやっていないで、どうやったら日本のテコンドーが世界に通用するのか? それ考えたら現役じゃない人たちが机の上で言い争ったって何の意味もないでしょ。 何で現役選手の話を聞かないの? 何で自分たちの都合だけで選手を振り回すの? それが日本のテコンドー発展のために役立つの?」という感じである。
かわいそうなのは「アテネに行くんだ」と一心不乱になって練習している選手である。
協会にはそうした選手の痛みをわかってほしい。
ただそれだけだ。
<272> NAC NAC ■2004年03月20日 土曜日 01時23分58秒
そして2番目。
この問題は私には非常に難しい。
結論から言って「きれい事では済まない」のは確かだ。
前以て言っておくが、私個人は基本的に無信仰・無宗教であるし、人に危害を加えない限り「信教の自由」は認める。
では始める。
まず始めに、この件では
1.試験に合格したのにも拘わらず面接後「不合格」となり、諸般の大学側の判断から「学ぶ権利」を一時的にも失われた、または一方的にも奪い去られた三女の立場、又その親の立場
2.こうなる(騒動→今後裁判に発展?)を見越した上でも、三女の入学を拒否せざるを得なかった大学側の立場、そして各大学の思惑
3.もし三女が入学した場合の、現役和光大学生の立場、そして既に入学が決まっている新入生の立場、または来年受験しようと思っていた受験生の立場、そうした親たちの立場
4.和光大学出身者を色眼鏡で見る、または見ざるを得ない社会(特に就職活動で差別される可能性は捨てきれないのでは?)
そうした諸々の立場で当然意見なり、各々の感覚・感情があるわけだが、
正直なところ私は「信教の自由」は認めても、やはりオウムやアレフを「はい、どうぞ」と受け入れることはできない。
彼らが、というより、彼らのトップがあれほどの反社会的事件を起こさなければ、まだ私の中では「怪しい新興宗教」で済んだのだが、あそこまでしてしまった後でいくら名前を変えようと、「恐怖により洗脳されて染み付いてしまったものは容易にはリフレーミングできない」のは、犯罪を犯していない自分が「ACである自分の過去をリフレーミングし辛い」経験から想像してみても明らかだ。
私を始め三女の入学拒否に(「どちらかと言えば」も含めて)賛成する人の多くは、「いくら三女自身は犯罪を犯していないと言えど、やはり『普通の人からすれば何を考えているのかわからない』三女の影響力に対して目に見えぬ恐怖心があるのは(遠からず)間違っていないのでは?」と私は思う。
確かに一個人として点数では合格したのに、自分の家族構成で落とされては「学問の自由」が妨げられたことは言うまでもないし、その点は私も同情に値する。
仮に自分が東大クラスの学力があっても、家族に反社会的で有名な暴力団関係者だったり、犯罪者がいるというだけで不合格にされたら悔やんでも悔やみきれない。
だけどいくら「父は父、子は子」ときれい事を言っても、「自分の意に従わなければ勝手に『ポア(殺人)』を命令・実行させる」ような父親を見て、信じて、これっぽちも疑わずいい年まで育ってきてしまったらしい三女を、「はい、あなたも今日からうちの大学生ね」とすんなり、または時間を掛けてでも受け入れられる器は、私にはない。
今回は大学入学拒否だが、それに反対する人たちは、じゃ、仮に三女が自分の家の隣に引っ越してきたらオチオチ寝ていられるであろうか? 自分と同じクラスになって(その取り巻きも最悪?アレフ関係者だったら)気の休まるときがあるであろうか?
「犯罪者の娘」という色眼鏡で見るのは、また見てしまうのは、明らかに人間として差別行為なのだが、それでもそういう目で三女を見なければいけないほど、三女の信仰して来た教団のトップが犯した罪はあまりにも重いし、そうした恐怖を彼らは社会に対して植え付けたのは事実である。
そういった点で三女がもし本当に「人間関係」を学び直したいのなら、「まず自らが手記でも何でも、そうした周りの目・思惑に対して今の自分の考え・価値観・感情を表に出して一般社会との接点を見つけていく」のが賢いやり方ではないだろうか?
「大韓航空機爆破事件」の犯人である女性も、そうやって洗脳された呪縛から解放されつつ、少しずつ新たな社会に馴染もうとしている。
そうした自分と似たような境遇の人が如何にして立ち直ろうとしているのか?
「まずそちらを学ぶのが三女には先決ではないか?」と私は思う。
今回は学問の自由が阻害されたわけだが、仮に自分のタスク場に女性新入社員が入社してきて、働いているうちにその女性が「麻原の三女」とわかった場合、業務は現状維持またはより円滑に進むであろうか?
「現状では三女の感情が全く見えないで恐怖でいる」私の想像では「NO」である。
仮に自分が人事担当者で「三女が麻原の関係者」と知っていても、または気付かなくても、あとで上司が気付いて「なんであんな犯罪者の親を持つ者を通したんだ」と怒鳴られるのは目に見えているし、「そうしたことで最悪自分の首が飛ばされるかもしれない」と「サラリーマンとして」己の保身を考えたのなら、私はまず三女を合格させないであろう。例え三女にその能力があってもだ。
そうしたことで実際には「三女の働く権利」云々のきれい事よりも、己の食い扶持のほうが私には大事である。
知っている方も多いかと思うが、警察関係の職に就くときには親戚・いとこ、かなりの関係者まで「犯罪者もしくは反社会的思想を持った人物がいないか?」徹底的に調べられる。
いくら法律で職業選択の自由を唄ったところで、よほどのことがない限り、そうした人たちを身内に持つ人は(例えどんなに頭が良くても)警察関係者には成れない。
体裁よく書類審査でアウトだ。
それが「社会」ってもんである。
きれい事だけじゃ成り立たないのだ。
今回の騒動で和光大学も「和光? あっ三女を拒否した大学ね」と苦渋の選択ながらも、社会からは有難くないレッテルを貼られるだろう。
最終面接で全く同得点の、外見の印象も五分で、方やA大学、方や和光の2人の学生が残りました。けれども採用人数はあと一人です。
これを読まれたあなたが人事担当者ならどちらを選択するでしょう?
その時あなたの心に「『無難な方』という心の隙間は絶対生じない」と言い切れるのでしょうか?
私は前述の通りで、「そうした面接での不利になる可能性が低くない」と予めわかっているのなら、入学するときも(単純に)同じ偏差値、同じ講義内容だったら、当然将来的にリスクの少ないほうを選ぶでしょう。
そして今回もし三女の入学が裁判で認められた場合に、来年の受験生の数にどう影響するのか?
ここで私が四の五の言うよりも、それが大方の結果を表すことになるのは間違いないでしょう。
その結果が大幅減でも、微増でも、それは受験生がトータルで判断した結果ですから。
実際問題、この少子化に輪を掛けて新入生が減れば大学の経営もピンチになり、「学問の自由」云々言ってられる場合じゃないし、そこに勤める教授、職員、出入り業者、そしてその家族各々の生活まで拘わってくる大きな問題で、それを単純に「麻原三女」という有難くないビッグネームと天秤に掛けたら、人はどちらを取るのでしょう?
それは結局アレフの住民票問題と同じで、「できることなら側にいてほしくない」「どこに住もうと勝手だが、自分のところの市町村だけは勘弁してくれ」と同じことではないでしょうか?
今回は和光でしたが、もし三女が来年仮に私の母校であるB大学に入学しました。
私の得意先とかで「K(私)さん、どこ出ているの?」と聞かれ、私がまともに答えて、「あぁあの三女が入ったところね」などと軽〜く言われたら、私は少なからずいい気持ちはしないでしょうし、仮にそれまでは人並みに母校に思い入れがあったとしても、そう言われた瞬間から「自分の経歴から母校を抹殺したい」気持ちに駆られるのは今からでも想像できます。
全体的に、元はと言えば松本という男が麻原という化け物に変わらなければ、三女もこういう境遇にはならなかったでしょうし、また、もし自分が麻原の子供だったら三女と同じ目になっていただろうということも想像に難くありません。
それだけ子どもが自意識芽生えるまでの心の成長に対して親の影響は大なのです。
長々となってしまってなんですが、最後に改めて。
私は麻原三女の味方でも敵でもないし、第3者になんと非難されようと、できることなら一生その手の人には拘わりたくないと思っています。
そして身内に犯罪者がいるというだけで学問の自由を奪われたことに対しては同情しますが、まず三女自らが「社会に受け入れられるよう」己が心と向き合って、今の自分を少しずつでも社会に対して説明する必要があるのではないでしょうか?
それもなしにいきなり「人間関係を学びたいの。だから受け入れて」と言っても、世間は「はい、そうですか」とはいきません。
そうした「一般社会との関係を修復するにもステップが必要だ」ということです。
それは私たちACにも同じことで、いくら「私は機能不全家族で育ち、ずっと生き辛さを抱えて生きてきました。だからコミュニケーションが下手糞で、自分の嗜癖で相手を傷付けてしまいがちです。それでも私を受け入れて」と、いくら機能する家族で育った人にお願いしたところで、経験上、私たちの痛みを想像し難い人たちには無理からぬことです。
私だって自分が情緒喪失のACと気が付かないで、感情が凍ったまま、この手のサイトの書き込みを読んだとしても「何いい年して甘えてんだぁ? 我侭なんだよ」ぐらいの認識でしか捕らえられないと思います。
自分が社会に受け入れてもらおうと思ったのなら、まず自分の意識から変えようとすること。そして実行すること。
大事なのはいつでも「自分は何でそうなのか?」常に向き合う癖をつけること。
そうしたことを私も、麻原三女も要求されているのだと思います。

最後に、もし不適切な発言があったら削除されても構いません。
<271> キーコ ■2004年03月19日 金曜日 23時35分21秒
よく分からないことがある。「自分」を肯定する、認めることについて。
四六時中、褒めちぎる事、じゃないでしょ。それじゃ、どうすることなんだろう?
まともな食事をしていないから、生存するのに過酷なのに、生きる気力も萎え果てた時に、ポジティブに考えられるだろうか?
しんどい時は、しんどいままに・・・・。
絶望に飲み込まれた時は、どん底までも降りていこう。
ダメだ!と思ったら、それでいいじゃない。
もう、無理やり自分を上に向かせるのは止めようよ!!
愛想笑いのアンタより、陰鬱でもがき苦しんで、目を真っ赤に泣き腫らしたアンタのほうが、私はずっとスキだ。もう、無理しなくても、大丈夫だよ!誰も、何にもしないからね。
<270> NAC NAC ■2004年03月19日 金曜日 22時05分42秒
私の感じた社会的事件からひとつ。
それは1.「週刊文春の田中真紀子元外相の娘のプライバシー侵害問題」と、2.「オウム三女の和光大学入学拒否問題」と、3.「テコンドー団体分裂問題」
どんなことでもそうかもしれないが、私なりにその3つの事件?に共通するのは「一番大事なことってなぁに?」「そこに相手の感情を思う『想像力』はあるの?」「それをきちんと把握していないんじゃ本末転倒じゃないの?」と思うことである。
まっ見方・感じ方は人それぞれなので、ここでは私個人の意見を述べさせてもらう。
まず1番。
私の感想から言わせてもらうと「政治家の身内だろうと、有名人の親類縁者だろうと、その人が結婚しようが離婚しようが、それは当人たちが選択した結果であって、特別周りに迷惑かけたり法に触れたり、または触れなくても(法では裁き切れないような)なんか疚しいところがないのなら、外野がとやかく言うことではないのではないのだろうか?」というのが、「あまり他人を覗き見しない、ある意味無頓着」な私の第一声である。
第一、単純に自分が離婚して憔悴しているのに、全く関係ない人に「政治家になる確立が高い」「表現の自由だ」だけで、ガチャガチャ言われていい気持ちの人なんかいるのであろうか?
そんな人の不幸で飯食っておいて「美味い」「不味い」のをよく言えたものだ。
そして真紀子氏の娘が離婚したことで、何か「公共性に反した、または著しく欠いた」ということ、または疑いがあったのだろうか?
だったらまだわかる。
でも文春側はそれを明確にしていない。
彼ら一部マスコミにあるのは「表現の自由の元『70万部も発行している』我が社は正しいのだ」「『(本来なら記事を書かれる公共性が無いのに)記事を書かれることで必要以上に傷付く』人を思い遣れない私たちの言論活動は決してペンの暴挙じゃない」
果たしてそうだろうか?
そしてそう言い切れる文春側の、「一般大衆」を納得させるだけの根拠とは、いったい何であろう?
それが一部マスコミ界の「理屈」「常識」なのであろうか?
私の感覚では今回の件は明らかに文春側の行き過ぎであり、裁判所が出版差し押さえの仮処分を出してあれだけTVで放映されたのにも拘わらず、末端のほとんどの販売店では本が店頭に並んでいた。
それは書く方にも、売る方にも、「個人の痛みを自分の痛みと置き換えられない想像力の欠如」「モラルの無さ」を如実に表したと言ってもいいだろう。
「組織に守られた暴挙が、一個人の痛みを際限無く広げていく」
それは「書くことの責任感のない、歪んだ又は麻痺した表現の自由」であり
「売れれば正論」
「書いてしまった者勝ち」
そうした中毒に自分たちが既に陥っていることに気付かなかった故の、大きな過ちだったのではないだろうか?

大事なのは自分だったらどう思うか?
どう感じるか?
どう想像するか?

まず自分で痛みを感じること。
それができないから平気で人を傷付けるのだ。

つづく
<269> シャローナ ■2004年03月19日 金曜日 21時57分14秒
カウンセリングしているんだけど、どうも自分の感情と触れらない
話をしていてトラウマに話題が触れたら急に感情がこみあげてきて
私はそれを必死で抑えようとした
つまりいつもそうしているってこと
カウンセリングでぺらぺらと話していてもそれって単にしゃべってて
テンションが上がってるだけなんじゃないかと思う
それをカウンセラーは感情と間違えてるんじゃないかなあ
出せるようになってるって言うけど
何か腑に落ちないんだよね そう何度も言ってるのに どこまでわかってんだか
肝心なところではがっちり感情抑えちゃう訳だし
もっと普段から感情に触れ慣れてないと感情なんてわからないし
それにのまれてどうなっちゃうんだろうって不安で出来ない

<268> しむしむ ■2004年03月19日 金曜日 05時22分10秒
洋裁する時にするしつけ糸。
しつけ糸か。。。
しつけってなんだろう?
誤った道へまがらないようにするしつけ糸?
数ミリのしつけ糸の間違えならば、どーにか修正可能?
でも、大きく間違えたしつけ糸で作成された作品ならどうなるんだろう。
性格・・・ゆがむだろうね。。
子供の頃うけたしつけ。
三つ子の魂百までも・・に通じるのか・・、。
そんな事をぼんやり考えてみる。
幸せはそれぞれ心で感じるもの。
ねえ・・先生?
あの頃あなたのクラスで教えてもらった「しつけ」について。
先生は私の質問に答えてくれなかったよね。
絵画療法の時も、答えを濁した。
私の描いた絵の分析も、さらりと流した。
授業だったから?
私の描いた絵を見て、先生は・・ほんとは何を思ったのだろう。
ぼそぼそコメントの最後に言った一言。
「気づきが大切なんだよ。。」
何故こうなったのか答えがすぐに欲しかったのも事実だけど・・・。
・・ほんとは知ってた・・。
まっすぐ、自分をみつめる事が出来なかっただけ。
いろんな言い訳考えてた私・・・・、。
どうやったら、ほかの人に責任なすりつけたらいいのかばかり考えた。
でも・・あの時先生を頼ろうとしたのが間違いだったんだ。
あなたが熱弁っふるってたアドラー心理学に私はほんの少し救われた。
先生?今、いいカウンセリングしてますか?
カウンセリング。。
時間来たら「はい、また来週」。。





<267> りんご ■2004年03月16日 火曜日 20時20分41秒
恋愛したいのに、私は本当に現実にできるのか。
いつも結局は逃げてしまう。本当に好きな人ができたのはたった一度。
しかも気づくのに1年もかかってしまった・・・。
今なんとかしたいと思っていろいろしているけど・・・。
みんながむしゃらにぶつかっていってるし、私みたいにろくでもない人間は
可能性がもっと低いからもっともっと食いついていかないと駄目だろうに。
いつも現実逃避ばかりしてしまう。こんな人間になってしまうなんて
思ってもみなかった。一番嫌いなタイプの人間になってしまった。
夢であって欲しいと思うけど、ここから這い上がるしかない。
友達は私が幸せになれること信じてくれていない感じがする。
今までの私が変だったからかな。でも信じてもらえないというのは
辛いよ・・・。私結婚できるのかな。私は結婚という言葉に依存してるんだろうな。でも依存してしまいた。もう疲れたから。
<266> NAC NAC ■2004年03月15日 月曜日 09時44分05秒
最後の266

では始める。
カレーを食ったあと私は東京駅に23:20頃戻ったのだが、ここでも事件が2つ。
1つはまたもや自分の確認ミスで「東京駅ターミナル発つくばセンター行き」は23:00で終わっていた。
「ゲゲッ」
私は固まってしまった。
他の運行線を見たら「同駅発新守谷行き」が24:00で残っていった。
但し「深夜料金」が必要だ。
東京ーつくば間が片道¥1、250、同ー守谷間が¥1、000だから、「深夜料金は¥500増しかなぁ」なんて思って券売機にお金を投入しても吸い込まれていかない。
何度やってもだめだ。
「あれ〜どうしちゃたんだろう? だってここでチケット買うんでしょう?」
と不安な気持ちで周りをきょろきょろしたら、どうやら23:00以降は窓口で直接購入するしかないらしいことに私は気が付いた。
お・ば・か・な・わ・た・し
早速窓口で係員に「新守谷行きに乗りたいんですけど」と言ったら、「はい、¥2、000です」と言われ、私は「はぁ¥2、000? 俺耳遠くなったのかなぁ? もう1回聞いてみよう」と聞いたら答えは同じ「¥2、000」
私は「ガチョビーン」である。
「通常料金の2倍やんけ。いくらなんでもそりゃ暴利やで。タクシーかてそんな2倍も取らんやろ?」
でも背に腹は変えられない。
私の財布はいつもぎりぎりだが、電車で変えるのは面倒だし、愛車をつくばに停めてあるのだ。
だから私はどうしてもつくばまでいかなくてはならない。
だけどこれから私が乗るのは「新守谷行き」で、つくばまで10キロちょい距離が足らない。
「どうしようか?」
私は悩むことなく、いつも深夜まで起きている「ラーメン大好き小池さん」にお願いして、新守谷からつくばまで運んでもらえるよう「あとで飯奢るから」の条件付で了承してもらった。
これでとりあえず私がうちに帰れる算段はついた。
そして大人しくバス停で乗車待ちをしているときに事件2は起こった。

金曜の最終便、やはりいた酔っ払いの親父。
バス待ち列の後ろの方で他の乗客に絡んでいる。
皆知らん顔だ。
もちろん私も。
でも絡まれているもう1人の、その酔っ払いより年配のサラリーマンは溜まったものじゃない。
皆早く家路に着きたくて寒さに身を縮めてバスの到着を待っているのに、訳のわからん親父に絡まれたら最悪だ。
あんまりむかついてその酔っ払いを殴ってしまったら交番は目の前だし。
それでも交番で一昼夜「記念に」寝泊りしたい奇特な人は別だが、大多数の人は敬遠するだろう。
それにも拘わらず管を巻く酔っ払い。
ほんと勘弁してほしいものである。
それは延々と続いてバスに乗車してからも15分以上続いた。
それも最悪なことに私と通路を挟んだ横の席で、である。
バス乗車時私は殆ど前に乗るのだが、この日はそれが裏目に出てしまい、まさしく「オーマイガー」だ。
神は何ゆえ私に試練をお与えになるのか?
私は酔っ払いと目線を合わせないよう、外側に体を向けて寝た振りを決め込んでいた。
それでも酔っ払いは、訳のわからんことをくっちゃべっては運転手に食って掛かっている。
「どうか絡まれませんように。神様お願い」だ。
その後も酔っ払いはうるさく、私は閉口したものの、なんとか無事新守谷に着くことができ、小池さんにも迎えに来てもらって、尚且つつくばまで送ってもらって無事帰宅することができた。
めでたし、めでたし。

そこで今回の私の教訓。

「酔っ払いに理屈や筋は通用しない」
絡まれたくなかったら適度に酔っ払いの話を聞いてやる振りをして上手くいなせ。
「誉めておだてる」
これがミソである。
「むかつくから」と自分が喧嘩腰で言ったら、それこそ相手の管巻きに延々と付き合わされる羽目になる。
こんなときは酔っ払いを煽てていい気分にさせて、寝かせてしまうのが手っ取り早い。
もちろんそうしたお馬鹿さんに自分では近付かないのが一番賢い方法だが、こちらではそう思っていてもお馬鹿さん自らお呼び出ないのに寄って来てしまう場合もあるから厄介だ。
そう、私の場合では遊び仲間の「困ったちゃん1号」のAである。
奴は酔っ払ってなくても始末に負えない「見栄っ張りの張ったり野郎」だ。
人がカチンと来て「喧嘩売ってんのか、この野郎」とキレた時には「冗談だよ、冗談」と逃げておいて、こちらが我慢して大人しくしているのを奴は勘違いして留守電に「喧嘩売ってんのか」と吹き込むような馬鹿である。
ほんと私は頭が痛い。
なんでAには理屈や筋、大人の付き合い、謝り方、そういったものが通用しないのであろうか?
ほんとうちの親父とは同種類で別なクラスの天然記念物級の馬鹿である。
はぁ〜やだやだ。
あたしゃ思い出しただけで怒りぷんぷんだよ。
<265> NAC NAC ■2004年03月15日 月曜日 08時41分43秒
264の続き(266で最後だ)

そして予定開演時刻通り、19:00スタートで浜田麻里コンサートは始まった。
ちなみに私の席は2階最上段で、両脇は女性だった。
別に自分から声かけるわけでもなく、ただそれだけで「いや〜男に生まれてきて良かったっす」となるから、ほんと私は単純だ。
生で観た浜田麻里はいつの間にか「角が取れて」いい女になっていた。
昔は「竹の子族」の延長のようなヤンキーチックなところもあって、それはそれで当時の彼女の魅力でもあったが、若過ぎて「女」というほどではなかった。
それが今は相変わらず元気いっぱいの麻里ちゃんなところもあるが、「落ち着き」が出てきたのか、深みが増したような感じだ。
まっ20年もやってきたのだから順調な成長かもしれない。
そういやボウリングで脇のレーンにはいかにも「お水?」なお姉さんがいて、私は横目でチラチラ見ながら「い〜女だなぁ。あ〜いう姉ちゃんとやりてぇなぁ」と、これまた単純に妄想してしまった。
そのうち私は「視姦罪?」捕まるかもしれないなぁ。
まっそんなことはどうでもいいとして、コンサートの初っ端から私は泣いてしまった。
意識の私はコンサートを楽しんでいて、何ら浜田麻里の曲と自分の悲しい思い出がリンクするわけではないのに、でも無意識の自分はどうも違うらしい。
まっ普段からして、私は彼女の歌を聴いて泣く時がある。
別段目に見えて私に悲しむ理由がなくてもだ。
いったい何でだろう?
何ゆえ然したる枚明確な理由もなくて私は泣かなければいけないのか?
未だによくわからないが、でも曲を聴いて泣くってことは「何かが自分のアンテナに引っ掛かった」ってことだから、その答えはもう私のインナーチャイルドの方で用意されているのであろう。
ただ意識の自分がそれを知覚するには、まだ耐えられない痛みなのかもしれない。
コンサート時間の3割方は泣いていただろう。
自分でも久しぶりに「泣いてんなぁ」と感心するほどで、曲を聴きながら私は自分と向き合った。
そのときの私の応えはこうだ。
自分を表現できる彼女が羨ましい。
これだけの観衆を魅了するものを彼女は持っている。
そしてその力を彼女は惜しみなく発揮している。
私はどうだろう?
自分を認めてもらいたい。
自分を受け入れてもらいたい。
目立ちたい。
自分が熱くなれるものがほしい。
駆り立てられるものを求めている。
自分の感情をまっすぐぶつけたい。
そのぶつけられるものを私は欲している。
そうしたものを私はとりとめもなく考えていた。
一方では浜田麻里の歌を聴き、一方では自分と向き合おうとする。
「なんで単純にコンサートに没頭できないのかなぁ?」と自分で思ったが、思考は堂々巡りで、ずっと内面から「感じなさい」「考えなさい」とサインを送られているような感じだった。
でも自分は思いっきり泣けて、また思いっきり声を出して歌って、終わったときは喉が空からだったので、コンサート終了後、アーケード北入り口から一本東側の入口付近のカレー屋が半額セールをやっていたので、そこで2人前注文して全て平らげた。
味は(私の味覚では)花丸だった。
そんなこんなで23:00ちょっと前。
ここで266へと続くのだ。
<264> NAC NAC ■2004年03月15日 月曜日 07時31分21秒
263の続き

そして途中渋滞に巻き込まれて30分近く遅刻してやっと着きました東京駅。
早速私は同級生Kにその旨電話して、中野駅北口改札前15:00に待ち合わせ変更。
Kはその間待ちきれずにラーメンを食べたらしく、私も飲む前に「元祖Y屋」で豚丼並盛りを平らげていざ居酒屋へ。
おっとその前に、私はコンサートの前売りチケットを購入していなかったので、先に会場に行って「当日券の販売開始時刻」を確認した。
開始時刻は17:30。
それまでは「飲んべぇ」タイムだ。
さすがに中野駅北口でその半端な時間から開いているところは少なく、アーケードを1周して結局最初に目星を着けた所に落ち着いた。
私がKと会うのは昨年の結婚式に呼ばれて以来で、丁度1年振りで、酒を飲み交わしながらお互いの近況を話し合った。
いろいろKに刺激される部分もあり、ふっと「俺はこのまま年食っちゃっていいのかなぁ」と反省させられる部分もあった。
やはりそれは将来像だ。
Kには「俺はこれで食っていくんだ」とはっきりしたものがあり、私にはそれがないので「目標が明確」なKが羨ましい。
「なんとか今のタスクを続けている」というのが私の現状だ。
自分の不甲斐なさ全てをACのせいにするのもどうかと思うが、まずそこをある程度自分で満たしてあげないことには中々前へ進み辛いってのも実情である。
まっそんなこんなでKと私は有意義な「飲んべぇ」タイムを過ごして17:30ちょっと過ぎに店を出て、会場で当日券を購入して開演までまだ時間があったので、私が「付き合わせるようでなんだけど、もしよかったらボウリングやらないか? お金は俺が出すからさぁ」とKを誘ったら、Kも「ボウリングかぁ、いいねぇ、久しぶりだなぁ。よしやるか」と乗ってきたので、「じゃぁ決まり」と2ゲームやることにした。
結果は2ゲームとも私の勝ちで、といっても低レベルの争いで、1年ぶりの私のスコアが1ゲーム目120前後と2ゲーム目が150前後だった。
ちなみに1年前の私のアベレージは160〜180ちょいくらいだが、私は真っ直ぐしか投げられない。それも気持ち左に曲がってしまうので、予めそれを考慮して気持ちセンターより右に寄って投げると、以上のようなスコアに落ち着くというだけだ。
各ゲームの最後の方はKに勝つスコア差だったので、私は左で投げたり、それとなく力を抜いたりしてできるだけ接戦になるような感じで幕を閉めた。
Kも「畜生ー惜しかったなぁ。今度は負けねぇからな」と、早くも次回のボウリング対決を期待して私と別れた。
次回私たちが会えるのはいつだろう?
そのときの私は何か変わっているだろうか?
今よりも深く、そして前に進んでいるだろうか?
先のことは知る由もないが「友達っていいなぁ」って思う。
「お互いプレッシャーにならずに相手を受け入れる」
そして必要以上に相手の懐に踏み込まない。
その按配をお互いが長年の付き合いでわかってくるようになった。
もちろん先はまだまだ長いけど・・・・・

つづく
<263> NAC NAC ■2004年03月15日 月曜日 06時39分36秒
先週の金曜日の夜、私は中野サンプラザで「浜田麻里20周年記念コンサート」を観たが、その日はいろいろあって私の感情は忙しかった。
まず行きの高速バス内。
私は携帯のマナー違反にはかなりカチンとくる方だが、私の隣脇の年配の男性(「ネクスト・ソサイアティ」なる本を読んでいて、身なりからして大学教授か先生か、はたまたどこぞの研究員または講師といったところか? とりあえず知能指数は高そう)が社中で、それも社内アナウンスで「バス内での携帯電話のご利用は他のお客様の迷惑になる場合がございますのでお控え下さいますようお願い申し上げます」とご丁寧に流れているにも拘わらず、その男性は耳が遠いのか?私にはわからないが、いきなり携帯で話始めた。
私はその行為に対してカチンときた。
思慮分別・空間共有・マナー意識のある成熟した大人なら、一声脇の人に「すみません。これこれこう言う理由で携帯使いたいのですがよろしいでしょうか?」と相手に許しを得てから話すのがスマートなやり方であろう。
その男性はどれだけ頭がいいのかわからないが、身形からしても私より裕福で賢そうなのは誰が見ても明らかだ。
でもこと「マナー」に関してはその男性の偏差値に比例していないらしい。
そしてその内容が(隣で聞かされてしまっている私からすれば)全然急を要することじゃなくて、「そんなのちょっとメモしてバス降りてから電話したらどうだ?」と突っ込んでやりたくなるような内容だった。
そして用件が済んだあともその男性はなんら悪びれた様子もなく、「すみませんでした」の一言もなく、「いけしゃぁしゃぁ」と何事もなかったかのような涼しい顔をしている。
たぶん彼の脳裏には「今の自分の携帯電話の声が車内の他の乗客に対して迷惑を掛けたかもしれない」という反省は起きないのであろう。
じゃなくちゃ「車内アナウンスが流れている中でそんな厚顔無恥な行為はできないんじゃないか?」
と厚顔無恥な私は思う。
いい年して自分より年下の者にそういう目で診られちゃ恥ずかしいよなぁ。
俺も「自分で自分の評判落とさないよう」気をつけなくちゃな。

つづく
<262> ここあ ■2004年03月12日 金曜日 13時15分12秒
(注:親としての悩みです。人によっては不安になったり、不愉快になったりされるかもしれません。そうだったらごめんなさい)

母から電話があって、話の流れから子育てで悩んでいることを少し話した。
私は自分の不安や自信のなさが、子どもたちに悪影響を及ぼさないよう、気をつけてきたつもりだ。
決め付けたり、押し付けたりしないよう、あるがままを受け止め、認めるよう、私自身のことや、夫婦間のことで心配させたり、悲しませたりしないよう、過干渉にならぬよう・・・
それは、自分が経験して嫌だったことで子どもに二の舞をさせたくない気持ちもあるし、私自身の傾向として、こんな方向に走ってしまいやすいんじゃないかと思われることに一生懸命歯止めをかけている自分もいるからだと思う。
でも、最近やはり自分の性格が子どもたちに悪影響を与えているんではないかという気がしてきた。 と、いうより、前からずっと感じていた。
何がいけないのか、こうやって考えすぎるのがいけないのか、ずばっと言ってくれる人が欲しかった。だから、あえて母にそれを求めて、打ち明けた。

そしたら、母は私がうすうす感じていた通りのことをちゃんと言葉にして言ってくれた。
つまり、やはり私に原因があると。
私が不安になって心配しすぎることと、人に対しての心遣いや社会的規律を大事にすることを求め過ぎるのが原因らしい。
とはいっても、私もあまりくどくどと聞いたり、不安を前面に出したり、大騒ぎするのは、本人の負担にもなるし、かえって裏目に出るだろうと思って、たまにさりげなく様子を聞いたり、押し付けがましくない程度の意見を言ったりしてきただけのつもりだった。
人の家の物を断りもなく出して遊んだらいけない、とか、挨拶しなさい、とか、自分勝手な行動はよくない、とか、人に親切に、とかも言ってきたけれど、これは自分では普通のことだと思う。 年齢的に無理なことを求めてはいけないという意識もあった。
そうやって自分の言動に注意してきたつもりでも、やはり私の態度や接し方にはAC的要素があったのかもしれない。子どもたちの心に負担をかけてきたのかもしれない。
なんだか悲しい。私のAC的要素が出ないように心がけてきたつもりなのに、無関心でギスギスした夫の影響がでないようにと一生懸命フォローし、カバーしてきたつもりなのに・・・

でも、はっきり言ってくれた母には感謝している。その後、すごく憤りを感じることも言われたけれど、私が母親としてどこを改めていかなければならないかは、わかったと思う。 心の中でもやもやとしていることを明確にするという意味では、ずばっと言ってくれることはありがたい。
私が母に言われた”憤りを感じること”については、自分の中にうずもれていた感情に気がつかされた。大きな発見だった。その事も書いて整理したいけれど、なんだか疲れてきたので今日はここでやめよう。
<261> NAC NAC ■2004年03月12日 金曜日 11時00分57秒
これから私が話すのは殆ど木内監督の受け売りで、私なりに解釈したことを話す。
だから実際は木内監督が素晴らしいことを言っていても、肝心の私の方にその咀嚼力がなければ、きちんとその意味は伝わらないので、これを読まれる人はその点を差し引いて読まれたし。
私のつまらぬ文章で「なぁんだ、木内監督も大したことねぇな」と思われては、私がここで書く意味がないし、勝手に木内監督の講演を持ってきてその様じゃ本人に申し訳がない。
だからくれぐれも言うが、これを読まれた人が「つまらない」と感じたのなら、それは私が「感じたことを伝える」能力が低いということで、ご容赦願いたい。
では始める。
演題は「子どものやる気を引き出す」だ。
まず私が聴講した結果から話そう。
「さすが木内監督。子どものことをよく観察しているな」ってのが全体を通しての私の感想である。
では少し細かく(私の記憶の限りで。間違っていたらごめんなさいだ)追っていく。

その1
 「子どもをほめて、子どもに自信をつけさせる」

「誉める」という行為は相手をよく観察していないとできないし、そして誉めるという行為を繰り返すことで「あなたのいいところを私は認めましたよ」「あなたの存在を私は意識していますよ」と自信を蓄積させる。子どもたちは親が思う以上にそういうところを敏感に感じていて、そうした子どもの微妙な変化を親は感じ取っていかなければいけない。 

その2
 「子どもにプライドを持たせ、自主性を促す」

子どもに自信がついてくれば自然とプライドも生まれてきて、親がどうのこうの言わなくても子ども自らが率先してやるようになる。
ここで現巨人の西選手の話が出てきて、常総学院の練習がどれほどきついのか?私にはわからないが、木内監督の話だと、だいたいの選手は学校の厳しい練習をやって「俺はやってるぞ」てな気になるのだが、西は学校の練習じゃ満足せずさらに練習していた、そうである。やはりプロになるような選手は意識からして違う。

その3
 「希望はどこまでいっても希望であって、強固な意志とは違う」

「甲子園に行きたい」
その「行きたい」じゃまず行けない。
「行きたい」じゃなくて、「俺は甲子園に行くんだ。なんとしても行くんだ」
そのくらいの気持ちじゃないとまず行けない。
自分の意志がはっきりしているから厳しい練習にも耐えられるが、「行きたい」希望だけではすぐ挫折して痛みに耐えられない。

その4
 「子どもと一体になれると思うな」

木内監督御年72歳。教えている子どもたちは18歳である。
若い先生だと「俺は子どもと一体になるんだ」ってやるのだが、木内監督曰く「なれるわけがない。子どもは子ども。先生は先生」なのだから。
逆に別々のものだからこそ相手を信じてあげる必要がある。
そうした先生と子どもの信頼関係を築いてきたから、試合で監督がサインを出さなくても選手のほうで勝手に判断して、結果的に監督の思い通りの試合運びになる。
今年の夏の甲子園で木内監督は選手に対して、「準準決勝まで俺の采配に従ったら勝てる。どうする?」と聴いて、当然選手たちは「わかりました」
それに対して監督は「よしわかった。準決勝からはお前たちの好きなようにさせるから、それまでは俺についてこい」と言い切って、そして準決勝、決勝はほとんどノーサインだったそうである。
逆にいい意味でそれが子どもたちに「発破」となって、「自分たちで考えて勝つ(活)野球」に繋がったと言えなくもないだろう。
凄い。
1校だけが飛び抜けている県大会ではないのだ。
全国から集まってくる中での話である。
私だったら(当然そんな目利きも、人心掌握もできないが)とてもじゃないが怖くて言えない。
逆を言えば「言い切れる」だけの練習と信頼を、子どもたちと一緒に積み上げてきたということなのだろう。
さすが木内監督。「優勝請負人」と言われるだけのことはある。
ただただ私は感服するばかりだ。

その6
 「責任を持たせる」

友達親子ってのは親が子離れできなくて、いつまでたっても子どもを自立させないで親に依存させるような教育をしてきたからで、親には親の、きちんとした役割があるのだ。
親があれこれ子どもに与え過ぎて、子どもから「考える力」を奪っている。
だから「自分はこうしたい」「こうなりたい」という強い意志が育たないのだ。
子どもが小さいときにあれこれ親が強制させずに、好きなものを好きなときにたっぷりとやらせてあげる。少々のことに親は目くじらをたてない。一点集中も悪くはないが、転んだときのことも考えていろいろ試させる。選択肢さえたくさん与えておけば、後は子どもが自然と取捨選択して進んでいく。それに対して(子どもがよほど道を踏み外さぬ限り)親は口出ししないこと。
責任は人から押し付けられて取るんじゃなくて、自分で気付いて取るものだし、そういう失敗を重ねて人は大きくなっていくんだ。

う〜ん「指導者たる者言うことが違う」って感じだ。

その他諸々バリバリの茨城弁で冗談を交えながら木内監督は大切なことを話されていたが、なにぶん私の記憶容量が少ないのと、当日取ったメモを不覚にも自分のスーツの内ポケットに閉ったままなので、今こうして自分が思い出せるのは以上である。
若干の私の脚色が無きにしも非ずだが、その辺はご勘弁願いたい。
それにしても今回の講演は、私にとっては大変有意義なものであった。
お金にセコイ私でも、今回の講演は「2,000円くらい払ってもいい」と思った程だ。
でも「こころの価値」「無意識に染み込んでくるもの」はお金では換算できない。
「自分のこころがそれによってどれほど揺り動かされたか!」ということになる。
こういう人の胸に入ってくる話を、うちの親や、間抜けのAにも、私は強制的に聞かせてやりたいくらいだ。
でも悲しいかな、人に無理強いしたものは身に着かない。
あくまで自分で選択してそれを得ようとするから己が肉となるのだ。
ほんと心を育てるのは難しいなぁ。
そうしたいろいろなものを私は感じさせられた木内監督の講演であった。
ここで改めて私は木内監督にお礼の言葉を述べさせていただく。
いろいろなものを再確認させていただきありがとうございました。

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This script written by Shintaro Wakayama.