これから私が話すのは殆ど木内監督の受け売りで、私なりに解釈したことを話す。 だから実際は木内監督が素晴らしいことを言っていても、肝心の私の方にその咀嚼力がなければ、きちんとその意味は伝わらないので、これを読まれる人はその点を差し引いて読まれたし。 私のつまらぬ文章で「なぁんだ、木内監督も大したことねぇな」と思われては、私がここで書く意味がないし、勝手に木内監督の講演を持ってきてその様じゃ本人に申し訳がない。 だからくれぐれも言うが、これを読まれた人が「つまらない」と感じたのなら、それは私が「感じたことを伝える」能力が低いということで、ご容赦願いたい。 では始める。 演題は「子どものやる気を引き出す」だ。 まず私が聴講した結果から話そう。 「さすが木内監督。子どものことをよく観察しているな」ってのが全体を通しての私の感想である。 では少し細かく(私の記憶の限りで。間違っていたらごめんなさいだ)追っていく。
その1 「子どもをほめて、子どもに自信をつけさせる」
「誉める」という行為は相手をよく観察していないとできないし、そして誉めるという行為を繰り返すことで「あなたのいいところを私は認めましたよ」「あなたの存在を私は意識していますよ」と自信を蓄積させる。子どもたちは親が思う以上にそういうところを敏感に感じていて、そうした子どもの微妙な変化を親は感じ取っていかなければいけない。
その2 「子どもにプライドを持たせ、自主性を促す」
子どもに自信がついてくれば自然とプライドも生まれてきて、親がどうのこうの言わなくても子ども自らが率先してやるようになる。 ここで現巨人の西選手の話が出てきて、常総学院の練習がどれほどきついのか?私にはわからないが、木内監督の話だと、だいたいの選手は学校の厳しい練習をやって「俺はやってるぞ」てな気になるのだが、西は学校の練習じゃ満足せずさらに練習していた、そうである。やはりプロになるような選手は意識からして違う。
その3 「希望はどこまでいっても希望であって、強固な意志とは違う」
「甲子園に行きたい」 その「行きたい」じゃまず行けない。 「行きたい」じゃなくて、「俺は甲子園に行くんだ。なんとしても行くんだ」 そのくらいの気持ちじゃないとまず行けない。 自分の意志がはっきりしているから厳しい練習にも耐えられるが、「行きたい」希望だけではすぐ挫折して痛みに耐えられない。
その4 「子どもと一体になれると思うな」
木内監督御年72歳。教えている子どもたちは18歳である。 若い先生だと「俺は子どもと一体になるんだ」ってやるのだが、木内監督曰く「なれるわけがない。子どもは子ども。先生は先生」なのだから。 逆に別々のものだからこそ相手を信じてあげる必要がある。 そうした先生と子どもの信頼関係を築いてきたから、試合で監督がサインを出さなくても選手のほうで勝手に判断して、結果的に監督の思い通りの試合運びになる。 今年の夏の甲子園で木内監督は選手に対して、「準準決勝まで俺の采配に従ったら勝てる。どうする?」と聴いて、当然選手たちは「わかりました」 それに対して監督は「よしわかった。準決勝からはお前たちの好きなようにさせるから、それまでは俺についてこい」と言い切って、そして準決勝、決勝はほとんどノーサインだったそうである。 逆にいい意味でそれが子どもたちに「発破」となって、「自分たちで考えて勝つ(活)野球」に繋がったと言えなくもないだろう。 凄い。 1校だけが飛び抜けている県大会ではないのだ。 全国から集まってくる中での話である。 私だったら(当然そんな目利きも、人心掌握もできないが)とてもじゃないが怖くて言えない。 逆を言えば「言い切れる」だけの練習と信頼を、子どもたちと一緒に積み上げてきたということなのだろう。 さすが木内監督。「優勝請負人」と言われるだけのことはある。 ただただ私は感服するばかりだ。
その6 「責任を持たせる」
友達親子ってのは親が子離れできなくて、いつまでたっても子どもを自立させないで親に依存させるような教育をしてきたからで、親には親の、きちんとした役割があるのだ。 親があれこれ子どもに与え過ぎて、子どもから「考える力」を奪っている。 だから「自分はこうしたい」「こうなりたい」という強い意志が育たないのだ。 子どもが小さいときにあれこれ親が強制させずに、好きなものを好きなときにたっぷりとやらせてあげる。少々のことに親は目くじらをたてない。一点集中も悪くはないが、転んだときのことも考えていろいろ試させる。選択肢さえたくさん与えておけば、後は子どもが自然と取捨選択して進んでいく。それに対して(子どもがよほど道を踏み外さぬ限り)親は口出ししないこと。 責任は人から押し付けられて取るんじゃなくて、自分で気付いて取るものだし、そういう失敗を重ねて人は大きくなっていくんだ。
う〜ん「指導者たる者言うことが違う」って感じだ。
その他諸々バリバリの茨城弁で冗談を交えながら木内監督は大切なことを話されていたが、なにぶん私の記憶容量が少ないのと、当日取ったメモを不覚にも自分のスーツの内ポケットに閉ったままなので、今こうして自分が思い出せるのは以上である。 若干の私の脚色が無きにしも非ずだが、その辺はご勘弁願いたい。 それにしても今回の講演は、私にとっては大変有意義なものであった。 お金にセコイ私でも、今回の講演は「2,000円くらい払ってもいい」と思った程だ。 でも「こころの価値」「無意識に染み込んでくるもの」はお金では換算できない。 「自分のこころがそれによってどれほど揺り動かされたか!」ということになる。 こういう人の胸に入ってくる話を、うちの親や、間抜けのAにも、私は強制的に聞かせてやりたいくらいだ。 でも悲しいかな、人に無理強いしたものは身に着かない。 あくまで自分で選択してそれを得ようとするから己が肉となるのだ。 ほんと心を育てるのは難しいなぁ。 そうしたいろいろなものを私は感じさせられた木内監督の講演であった。 ここで改めて私は木内監督にお礼の言葉を述べさせていただく。 いろいろなものを再確認させていただきありがとうございました。
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