「人目にさらす」最大のメリットは 読む人がいるということ。
誰かがそれを見て 「おいおい、自分に酔いすぎwwww」と思うかもしれない。
現実じゃないHNを使って匿名で投稿はしているけれど だからこそ、そこに生身の自分が占める割合が大きい。
それも、経験値として自分に蓄積されていく。
パソコンを切っている間にどう反映されるのか。 オフラインで出しにくいことをオンラインで出す、それは何のため?
『オフラインでの生活をよりよくするため』。
見失っては逆効果。
まともな人が私の文章を読んだら
「アラタって人必死wwww」
かもしれない。
けど、そう見えるんだから、必死、何か大変、平穏無問題じゃなくて。 無理してる。
「まとも」+「言ってくれる」人は少ない。
だから自分がまともじゃないと周囲も救えない。
多分ふつう(というか乗ってる)人は、自分にとって有益でわくわくする情報を探すだろう。
「PTSD」だの「治療法」だの検索する私は今ちょっと変なのを自覚せねばならない。
そして、元気じゃない自分は少なからず、自分より元気に見える人が妬ましい。
私も「私のために時間を割いてほしい」「私について悩んでほしい」 「本音:苦しめ苦しめ。ケケケ」になってるときがある。と思う。
ごめーん!と言いながら気を使わせたり心配されたり 相手が自分のために消耗してくれると、なぜかほっとする。根性曲がってる。
まともで元気な人はそんあ人には近寄らない。付き合ってくれるのは 同じく自分で立てない人。消耗させあい。気を使わせあい。病気の話、愚痴、トラウマ、ets.
いけないことだ、と自覚せず「それが私だ、文句あるか」になると
いわずもがな、「あっそ。」とそっぽ向かれる。
自覚があったほうが自分のためにも相手のためにもなる。
以前私に「いつでも戻ってきていいんですよ」と言っていた人は 数年後「荒らし」となって帰ってきた。 ・・・いいもなにも、あなたの許可いらんじゃん。
「アドバイスです」 といってきた人は、その人こそ他者のアドバイスが必要な人だった。 なきたいよう、えぐえぐ。とか言ってきた。
人に見せられるもの何もないのに「ある!」と虚勢を張ってた人は 虚勢によって自己崩壊?していった。
ネットだろうと学校だろうと親子間だろうと 人とかかわる際は「I am …」を語れないと、「かかわり」なんて無理だと思う。
私は今自分のことばかりで他者が見えない。 「私のために役に立つ人」しか見えない。 そんな募集の仕方じゃ、近寄りたいと思う人なんているはずがない。 たまたまいても、申し訳なく思ってしまう。
まずは自分を立て直さないといけない。 「人」のために。「人」とつながったあとの「私」のために。
|