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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.120
メッセージ数:2400件

<2400> 秋 ■2008年07月30日 水曜日 21時31分48秒
自分と話している人が無理をしてることに限りなく敏感というか
わかってしまう。
しぐさ、言葉じり、相手の目、喋り方、合いの手、
流れる空気・・・。
そして長い沈黙に・・。

わかってる、小さいころからそういうのだけは
身についてるからさ。
それを解決させるため道化師にだってなった。
いまでもピエロは大嫌いだ。
おちゃらけた仮面の下にドロドロしたものがきっとあるから・・。
<2399> 雲 ■2008年07月30日 水曜日 13時56分52秒
何故こんなに疲れるのか、重たいのか、鬱々とした気分になるのか
今になって分かった。
まともではない相手に対して怒りを抑えて会話や説明をしなければ
ならないからこんなに重たくて億劫になるんだな。

家族を省みなかった実母の面倒を看なければならなくなり、
子供の様に愛情を貪欲に求められても私の心は冷えてゆくばかりだ。
自分は子供に無関心で他人任せだったくせにね。
都合良く世の中を回している訳だ。
自分の人生の責任を周りの人間のせいにしてなお、
今でさえ被害者に成りすましている。

自分と向かい合った事が無いから、何もかも誤った選択をして
来たのだと、結果的に周りの人間がその身勝手に道を譲って来たのだと。
そうして年老いた今になってそのツケを払わなくてはならなくなった
実母は、やはり血の繋がりを道具程度にしか思っていない。
<2398> みゅー ■2008年07月29日 火曜日 22時06分24秒
母は、今お風呂に入ってる。雷注意報みたいのがあるとPCは見れない。母から「禁止令」が出てるから。母は、自称「おおらか」。あたしは自称「神経質」。だけど、人には、「ずばずば」思ってる事言わないと、気がすまないタチ。でも、後になって「あんなこといって、あの人傷つかなかったかなぁ・・・」って、後悔するタイプ。だから「強迫性障害」なんかになっちゃうんだ。女扱いされないし。とろいくせに、言うことは「バンバン」言わなきゃ特に最近は、ダメになってきた。

あと半年で、あたしも「30代後半」になる。あたし今、PCが見れる携帯電話を買おうと思ってる。この、ご時勢にローンまで組んで、初めての、しかも新しい携帯買うなんて、こんな野暮なことはない。でも、雷がなるたび「PC禁止令」出されてるなんて。そりゃ、このPCは母のものだし、しょうがないけど。

でも、あたし今、手指の痛み関係無しに書き込んでるけど、気が付いたんだ。
あたしは、「昔の母」より「今の母」の方が、ずっと嫌いだ。あたしだって女だ。「女性」だ。いつまでも「カワイイカワイイ・・・ちゃん。」コドモあつかいは、もうやめてね。
<2397> りざーど ■2008年07月25日 金曜日 23時42分37秒
夜中に、ふと目が覚めて発狂しそうになる事がある。

そんな時、自分で自分の脳に暗示をかけるんだ。
I'm happy ・・・  I'm happy ・・・ I'm happy ・・・

心の中で、ずっと唱えていると
険しくなっていた顔が、少し、ほころんでくるのが判る。

結構、簡単に騙されてしまう私の頭。
「騙す」って良くない事だけど、こういうのは良いよね。

だって、たまには幸せな顔で眠りにつきたいもん。
<2396> 海龍 ■2008年07月24日 木曜日 13時35分43秒
やばいわ〜
どんどん不安になってくる(汗)
あんな脅しにこんだけびびらされるなんて
なんて軟弱なんだ、自分。

はい、深呼吸〜深呼吸〜

脅しではなく本当だったとしても
それはそれ、かなぁ・・・
自分の理解者なんていないって思ってるから
よけいに不安になるんだろうな・・・
なんか、悲しいな。
自分自身がどんな人間なのかが
周りの人に決められていく。
人の自分への評価なんていっさい気にせず
自分は自分って生きられたらどんなにいいか。

分かってくれる人は分かってくれるし
分かってくれない人はそれだけのことなんだ。

もっと、強くなりたい。
もっと、強くなろう。
<2395> 秋 ■2008年07月22日 火曜日 17時16分42秒
あの人に会いたい。
どうして初恋の人は忘れられないのだろうか・・。
すごく惹かれて初めて会った幼稚園のころのこともはっきり覚えている。
もうすぐ30になるというのに、未だに気持ちが収まることはない。

自分がどんどん年をとって行くのに、外見も醜くなっていくのに
変わらない気持ちがあまりに矛盾していて面白い。
ずるくいやらしい大人になっても、気持ちは小学生のころのまま。
会える距離にいるらしいけど、この気持ちのままずっと
年をとって会えないままでいたほうがいいのかな。
私にとって唯一のきれいで純な部分だから・・。
<2394> りざーど ■2008年07月18日 金曜日 23時37分39秒
こんなふうに話したら

善人ぶっているように思われるかもしれない・・・とか

発言する前に、いつも要らぬ事を考えてしまう。

自分の感情は繊細で過敏だから

他人には大げさに映るだろうなって

勝手にそう考えて、気を遣って、調整して、

結局、本心を表現できないまま、

気が付けば、自ら悪役を買って出ていたりする。

なんて馬鹿なんだろう。

なんて不器用なんだろう。

こんなんじゃ、誰からも理解されないのは当たり前。

誤解されて傷つくのは自分なのに・・・


だけど、どう自分を表現したら良いのか判らない。

どうやったら素の自分で居られるのかが判らない。

どこかワザとらしさが出てしまう。


だって、

自分の意見を言うことを禁じられて育ったから。

あるがままの自分で居ることを許してもらえなかったから。

大人になった今でも、『自分』というものが判らない。


苦しい・・・
<2393> ふみ ■2008年07月16日 水曜日 11時45分30秒
正直ACを逃げるための免罪符にしてしまっている所がある。
一方で親が原因だなんていうのも、責任の押し付けのような気がしてる。

私が今困っているのは、
自分に間違っているとわかっていて抜けだせない行動パターンがあって、
自分だけの力で改善できなくて、(自分の落ち度かどうかは別にして)
周りに迷惑をかけていること。
自分の人生を自分でダメにしていると感じていること。
もっと楽しく生きていく方法があると思った。でもどうやって?

自分の過去とか感情とかネガティブなものを見つめることで変えられるのか。
外側のものにどうのこうの言うだけで何もしない人になってしまわないか。そうなるのだけは嫌だ。椅子にどっかり座って周りに文句だけたれる人。

って今の自分はもうすでにそうなってるけど。
とりあえず、ACを勉強して、自分と照らし合わせて考えること。
どうやって自然体で生きるのか、考えること。冷静に見つめること。
方法を考えればきっと動かない人にはならないはずだ。

今までそれをやっていないはずじゃないんだけどな。
甘えてるだけなんだろうか。
やっぱり冷静に考えるだけでは解決できないのかもと思う。
落ち着き、を失うのは怖い。でも変われるなら。

ここのタイトルの「感情」とまったく切り離して書いてしまった。
これは癖なのかもしれない。冷静に客観的に、じゃないと落ち着かない。
客観でないと進歩できない気がする。それで壁にぶちあたってる。

最近になって"じぶん"の大切さに気がついた。
「私はこうしたいんだもん。私がいいって言ってるんだからいいの。」
これでいいんだ!!って分かったときはホントに目からウロコが落ちた。
人生は一滴残らずぜんぶ自分のものだ。それでいいんだってわかった。
すごい楽しそう。これを手に入れたいと思う。一生かけてもいい。
自分がそこに近付けるのってきっと楽しいことだと思う。
そしてそれを許したくない自分もいるけど。

今の私。"じぶん"じゃなくて、"まわり"が基準になってる。
と自分では思ってる。しかもそれが"私が考えたまわりの考え"だから困ってる。
なんでこうなったのか?
それを親が原因であるとわかって、認めることが回復の第一歩らしい。
親のせいにはしたくないけど。ホントに怒るべきはそうなった状況だと思うんだけど。ダメなのかな。
でも親(環境?)によってつくられた自分を、変えていくのは自分の責任。
責任っていうか、今与えられた自分を、好きな自分にしていけるのは
他でも無い自分しかいない、ということ。

たったこれだけのことだけどやっと気づけた。やっとスタートライン。
気づいただけで成長だ。視点を新しく切り替えられたんだから。
一生かかってもいいから、自分らしい生き方を見つけたい。
幸せになりたくない自分も弱くてダメな自分も受けとめていきたい。
自分のために生きることで人の役にも立てると思いたい。

ああホントに「感情」と真逆の文になってしまった。
肝心なところに踏み込めない。
ACから回復します。っていう決意表明ってことで。いいや。
<2392> なずな ■2008年07月15日 火曜日 02時49分11秒
 わたし、ちょっとは自分の事いい風に感じたい。
 そのままの自分で居ても言いと思いたい。

 わたしのことをけなしてばかりの人達から線を引いて守りたい。
わたしちゃんと出来てるじゃん?そんな能無しみたいな侮辱した言い方しないでよ!!!あんたになんでそんな事が言えるの?わたしの事何も知らないくせに!!

 人間として自分がどうなのか胸に手を当てて謙虚な気持ちで考えてみるがいいわ!!
 
 なにか嫌なことがあった時にすぐに「こうだ」って決め付けて投げ出さずに、踏みとどまって何かを越えられたら、きっと少し違った世界が見えるはず。

変わるには痛みが必要なの???

 
<2391> yu-ko ■2008年07月14日 月曜日 22時15分44秒
とても疎ましい人。
自分が正しくて、上から目線で、他人を否定する。
仕事とは云え、一緒にいるのが辛かった。

ついでに小自慢話も聞き疲れた。
自分は、特別だと思い込んでるし。

また、再来週一緒だ。
8月は、いっぱいだ。
ヤダよ・・・
<2390> りざーど ■2008年07月14日 月曜日 17時09分04秒
せめて去って行く時に
何か一言、言って欲しかった。

去る理由を言って欲しかった。

何も言わないよりも
苦言でもいいから言ってくれた方が良かった。

そのチャンスも与えたはず。


突然去られて、私はキョトンとしたよ。
何が起こったのか理解出来なかったよ。

見捨てられる不安は私にもあるのに。

酷い仕打ち。

馬鹿にされた気分。

傷もまた増えてしまった。

もう人と関わるのは止めた方がいいのかな。


怒りと罪悪感で頭が一杯。
<2389> yu-ko ■2008年07月08日 火曜日 00時53分07秒
また、裏切られた。
思いもよらぬことで、驚いた。
「ゴメン」だって・・・その言葉の軽さに嫌気。

あたしがいけないのよね。
勘違いなんだよね。

来月の約束も、無かったことにするけど、あえて言いわない。
どうせ忘れてるんだもん。

バカにされるのはもうウンザリ。
<2388> ぺあ(FB注意) ■2008年07月07日 月曜日 19時32分06秒
家族のことを思うと、辛い。
ピエロの私は、とても問題のある家にいる子には見えないでしょう。
仲良しなふりの家族。

表面上だけで、私の心まで殺さないで。

電車がバスが怖いのは、どこまでも社会的な顔を作って、周りの期待像にあわせられるから。周りの許容範囲内に、自分を納められるから。

でも、水面下では、生きて来れなかった、20年近く。
そして、その水面下で傷つかないように、誰も傷つけないように、自傷を繰り返して、感覚を自分の感情を殺し続けた日々。
勿論、顔だけは、「問題ない子供」を演じ続けながら。

その水面下の自分は、ずっとずっと、「この家はおかしい」「いやだ」「優しいけども変なまとわりつきがある」「楽しげなふりして本当はそうは思っていない」そして何よりも「家族は決して私にとってエンパワメント的な存在でも心の支えでもない。デ・パワメント的な存在なんだ。一緒にいると、自分がなくなるの。問題ないでしょう?これだけ金やって、あんたの言うとおりにしてやっているという押し付け、物攻撃で、窒息しそう。一緒にいると、自分の力を信じられなくなる。自分が消える。自分が脱力感に襲われる。決して、暴力もないのに。あるのは、世間的な一般な話題とおいしいご飯と、私の言うとおりのことをしてくれること・・・でもいや。気持ち悪い。まとわりつくな」

これが本当の思いだった。

私が、必死で「お前はなんて親不孝なんだ。何がACだ」と自分を責め抜いて来たんだ。

でも、父が自死して、彼が双極性気分障害を持っていたことを知って、そして、この水面下の私の感覚が、「止めないと」「ぎゃああああ」という叫び。家にあるお皿全部ぶち割りたい思いだった。

でも、結局、私は、その声を封殺した。

そして、結婚式を迎えて、はしゃぐ母といらいらする姉の前で、社会的な顔を作って、あわせた私。
その一週間後に、父は自死した。

私の予想があっていた。でも、私は、もうこれ以上、このお金や物で私に「愛しているから、分かってくれ。見捨てるな。いつまでも子供でいて、俺を必要としてくれ」というまとわりつきの中の、うそつき愛情の中で、目をつぶって、自分の感覚をぶっ壊して生きることは出来なかった。

母は、見たくない、考えたくない現実は、ないように、現実をゆがめてしまう人だった。
そして、姉は、自分の思い通りにならないと、がなりたてて、人を利用できる人。自分の思うことその場でがあがあ全部言って、騒いで忘れる人。自分がどれほど人を傷つけているかなんて考えられない人。ひどい人。
なのに、友人と喧嘩して、疎遠になった今、「家族がいるから私いいと思っているの〜」とかほざいている。ばかじゃねえの?お前、友人命だったときは、私に、「お前ばかじゃねえの?自意識過剰!ナル!」といい続けて、「お前邪魔だからいなくなって」といわんばかりだったくせに。


あのくそ姉の言うとおり、教育実習にもいった。今でも、あのくそ姉の言いなりになりそうになっている。すべて。バイクを買うこととか、これからの進路のこととか。もういい加減にしてほしい。
なのに、裏切れない。

気持ち悪い。

仲良しのフリはいや。
死にたくなってきた。
<2387> yu-ko ■2008年07月04日 金曜日 01時11分02秒
両親に付いた嘘。
来春に真実を告げるつもりだけど、上手く言い丸められるかな。
今から言葉探しで頭がいっぱい。
<2386> yu-ko ■2008年07月04日 金曜日 01時09分22秒
ひとりに慣れたけど、やっぱり寂しい。
幸せだった昔を思い出しちゃうと、所構わず涙が出てくる。

あの頃は、私を必要としてくれた人が居た。
私の愚痴を、笑いながら聞いてくれる人が居た。

でも、今は居ない。

<2385> ぺあ ■2008年06月25日 水曜日 11時38分57秒
いじめた奴ら(かつてのクラスメイト全員)と家族・・・

私の世界のすべて。
皆、私が傷ついているのを大喜びで見ているとしか思えなかった。
それは嘘じゃない。

私が傷つけば、喜ぶ、人は。皆、心に傷を持った、弱い人間だ。そして、優越感を持てる、駄目人間が欲しいのだ。どこまでも落ちている人間が欲しいんだ。

いじめたNさんは、私に「お前はずるいんだよ!!!」と言った。その背景は、彼女が、私の母親が私の忘れ物を学校に届けたところを見たから。「お前は良い母親がいてずるいずるい」って言っていた。

ずるい・・・
ずるい。。。
そっか私はずるい人間なんだ。だから、この家でお父さんはいつも寂しそうなんだ、生きているのが苦しそうなんだ・・・姉もいらいらしているんだ。母も泣いているんだ・・・
ずるいんだ・・・・
ずるいんだ。。。
ずるいんだ。。。

ずるい。。。私は生まれつきずるい人間だから、人の幸せを奪って生きているんだ。そうとしか思えないような家族だった。

現実はね、父が双極性気分障害を私が赤ちゃんの頃から持っていて、母はそれを見ようとも父と話をしようともしなかった。姉は、いつもいらいらして、私にそれをぶつけた。それだけじゃなくて、姉は私のお世話や、助言をしたことも沢山あるんだけども。(その助言がまた、私よりもかなり上だから、すべて正しくて。だからこそ、私の感覚よりも、私は常に姉の助言を優先させるようになった。私の感覚を信じられなかったから。でも、そのおかげで、姉の助言で私の行動がちぐはぐになることも多々あった。そしてやはり自分の感覚から直感から考えた行動の方がより自分にとっては必要な選択が出来ると今は思っている。姉の助言は、客観的には合っているとは言えども、それが私にとって必要なことではなかったことも多いのだ)

生きているだけで、幸せで、自分が大好きだった自分が、嫌いになったし、そうしていれば、家族の一員になれる気がした、誰をも傷つけずに。
姉は、私が、自分に対して良い気分でいれば、「お前のことなんか誰もみてねえよ!自意識過剰女」って言ったこともあった。私が良い気持ちで生きているのが気に食わないのだ。「自意識過剰!」「誰もてめえなんか見てねえよ」「ぶ〜す」「ナル!(ナルシスト)」

いつしか、私は、女子の大多数も、家族も、私が傷つけば喜ぶんだなあと思うようになった。そして、人を喜ばせるために、わざとうまくいかないように行動したこともあった。上手く行動したり、誰かを味方につけたり、人の理解されようとしたり、世間的にうまくコースにのれるように行動すると、途端に、「お前はずるい」といういじめっ子の、そして、そこから波及された、辛そうで、鬱に悩んでいる今まで大変な思いをした子の私(ずるい子)への恨みが降りかかってくる気がしている。

今は、優しい姉だが・・・不安障害を持っていて、もう糾弾できない姉だが・・・幸せになって欲しい姉だが・・・母を説得してくれる姉だが・・・

私の心を、自分に対して気持ちよくいられる、良い気分でいられる、一番の自尊心を破壊した、人でもあるのだ。勿論、姉だけじゃない、いじめっ子や、父の寂しい背中、母の涙もまた、そうなのだが・・・
<2384> ぺあ ■2008年06月25日 水曜日 11時19分26秒
人から暴力を私は受けやすいのだ。
人からからかわれやすいのだ。人から何やっても何も反応してこないと思われ、攻撃されるのだ。私を見ているといらいらするらしい。

「いじられ役」なんだ。
「だって、Oちゃん変じゃない?」って言われる。「Oさん面白すぎ」らしい。

ずっと、家族は、「いじめられる弱者よりも、人をいじめる人間になれ」と無言で言ってきたようなものだった。「Oちゃんいえないでやんの〜」って笑顔の母。姉の「いじめられる子のものをバスケのボールのようにして、パスパスって皆で笑って回して、その子が走り回るのを見てたよね〜」なんて笑顔で話す。
私だわ、それ。私の持ち物は、常にバスケのボールのように、皆の手をぽんぽん回っていく。笑いながら、それをおっている私。「ほいほい」って皆。

いじめられた記憶を呼び覚ますのは辛い作業だ。
お前が人生で仕組んだんだろう?お前がいたいけない純粋な子供をそういう風に仕向けたんだろう?そう自分を責めることで自分を保てている。

仲間の方に色々話したいけども、貧乏ゆすりしている人とか、つまんなそうな顔をしている人を見ると、自分が何を話しているのか分からなくなる。自分が宙に浮いてしまう感じ。その人の顔色だけ、気持ちの動きだけが気になって、自分の口から出る言葉は、心のこもらない、魂の抜けたような、どうでもいい言葉の羅列。
それほど人が怖いんだ。

そして、仲間が鬱で精神作業所で働くということを聞くと、いたたまれなくなる。だって、だって、だって、何で?私のような子は、今鬱じゃない、それさえも、その辛い思いをしてきた人の申し訳ないような、私はあなたのように真正面から現実にぶつかれる人じゃないから、あなた様のようにはなれないのですって思ってしまう。
誰もいなくなってしまう。
仲間も、仲間の純粋さや、鬱を見ていると、それだけで、生きているのが辛くなる。私申し訳ありませんでした。私が、なぜ鬱でもなく、一応、お金をもらって、生活しているのだろうか?カウンセリングも受けている。申し訳ありませんでした。きっときっと、仲間も私を恨んでいることだろう。
<2383> 長すぎであれば削除OKです; ■2008年06月25日 水曜日 01時21分16秒
幼いころ、感情が高ぶりすぎると人間は発狂するのだと思っていた。
定期的に、母が異常なヒステリーを起こしていたからだ。
この世のものとは思えない汚い言葉をわめき散らしていた(今でも内容は覚えていない)。子供に内容がわからないよう、実家の方言で何か口汚いことを叫んでもいた(今でも意味はわからない)。
発狂する一歩手前で、ぎりぎり踏みとどまっているように見えた。
今日こそ一線を越えて、発狂してしまうかもしれない。
そうなったら、間違いなく母は私たちを殺しにかかるだろう。
(母にとってどれほど私たちが邪魔かは明白だった。
 母が決してそれを口にすることがなかったのは、それを言ってしまったら
 もはや言い逃れができないからだ)
今日発狂するだろうか。兆候を見逃さないよう、母の罵倒も姉が無闇に謝って余計に油を注ぐのも見ながら本能的にそれだけに集中する。
三文芝居や大げさに注目を浴びるのが好きな母のことだ、台所に包丁があることを思い出せば(そんな理性が残っていればだが)それを持ち出して脅しにかかるかもしれない。そうしたらどう身を守るか。
姉の心配はいらない。間違いなく迷わず私を置いて全力で逃げるだろうし、足の速さは学校一だ。母はそれに怒って廊下のほんの外までは追うかもしれないが、まず姉に追いつけるわけがない。
問題はその後だ。いつものように、姉が去った後でわずかに我に返り、私に向かって理屈にもならない言い訳じみた不平をだらだら始めるようなら、それに騙されたふりをして聞き続けてやればいずれ終わる。
発狂したままならどうするか。逃げなければならないが、どう隙をつくか。
おそらく、まずはこちらを怖がらせて楽しむような動きを見せたるだろうが、そのうち自分の怒りを制御できなくなってわけの分からない暴れ方をするだろう。そのときがかえって隙が大きい。私が思い切って走れさえすれば、私の足もかなり速い。おそらくなんとか切り抜けることはできる。
逃げる先はどこか。警察だ(110番という発想はまだなかったから、私はこのとき近所の交番のことを考えていた)。切り抜けた後で恐怖が襲ってくるだろうから、私は震え上がって警察の人に母に殺されると訴える。
問題はその後だ。警察の人は、おそらく私の言うことなど真に受けまい。
どう連絡がついたものか、母が警察(交番)にやってくる。
母は発狂しかけているときですら、(突然電話がかかってきたときなどには)他人にはまったくの上機嫌さを装って談笑することができる。母はこのように言うだろう、「どうもすみません、子供が怖い夢を見たようで…」だめだ。それでは家に連れ戻されて改めて殺されるか、仮に今回は母がそれを見送ったとしても、救いのない状況に悪化するだろう。
警察に逃げ込む前に、言い逃れのできない証拠が必要だ。私が怪我をしていればよい。母が包丁で襲ってきたら、逃げる前に少し切られなければならない。十分に逃げられる程度には浅く、包丁で切られた傷だと疑いない程度には深く。その見極めができるだろうか。振りかぶられた瞬間に動きをよく見て、(おそらく上半身を狙ってくるだろうから)上手く左右によけて、腕を浅く切られることが? …難しい。やはり分が悪すぎる。
では、姉を追っていく間に反対側の階段から逃げるべきか?だがその後は、結局は家に戻らなければならない。
やはり、母が包丁を持ち出してからでは遅い。母の視界に台所が入らないようにすることだ。(視界に入らなければこんなに理性が飛んでいる状態で包丁のことなど思い出すことはない)今の立ち位置は悪くない、(私たちはリビングで罵倒されながら突っ立っているのだが)気づかれないよう少しずつ、ほんの1センチずつ、立ち居地をずらしていく。母は完全に台所に背を向けることになる。母は気ちがいじみた罵倒を未だ続けながら、誘導されたことに気づいていない。−大丈夫。私は身を守ることができる。
だが、本当に危ないようなら逃げるにはよくない位置だ。その時には窓側でなく廊下側にいなければ。移動する方法はある、タイミングを見て一旦トイレに立ったあと、戻ってきたときにリビングに入りづらい風を装って廊下の入り口に立てばいい。(※戻らなければ子供部屋に殴りこんでくるので、リビングには戻らなければならない)大丈夫だ。それで行こう。
結局、その日も母は発狂することなく踏みとどまった。

幼い私は、あんな風に必死で身を守る術を考えながら、ひどく本能的な、集中した状態だった。怖いなどとは感じなかった。そんな悠長な場合ではないからだ。もし自分が恐怖でパニックを起こしてしまったら?身を守ることができなくなってしまう。それだけは避けなくては。私を守れるのは私だけなのだ。生きるか死ぬかというときに、怖いくらいが何だというのか。

母のヒステリーは、半月から1月に1度ほどあった。
それほど日常的な出来事が、掛け値なく異常な事態だったのだと知ったのも、
どんな気持ちを怖いと呼ぶのか、ようやく認識できたのもとうに大人になってからだった。
感情が高ぶりすぎると人は発狂するのだと思っていたから、他人の感情が嫌だった。感情的な表現よりも、論理で妥当な判断をする人を尊敬した。わりと常識的な判断ができる学生にはなった。それでも、自分の感情を認識してはいなかったため、私の判断と私の感情はほとんど真逆であることになった。
姉は電車で他人と目が合うのが怖いというが、目があったからといってどうなるというのか。何も相手が襲い掛かってくるわけじゃないだろう、私は判断する、せいぜいが互いに気まずく目をそらすか、軽く会釈をする程度だろう。姉にもそう言う。姉は納得しない。私は頭での判断をまったく眠らせ、感覚だけで想像してみる、電車で目が合った相手が、突然発狂したかのように激昂して襲い掛かってくる様子を。
―とてもしっくりきた。そのことに驚いた。私の感覚は、私の判断とはまったく違うことを感じていたのだ。姉はおそらく、私とは逆に、判断ができずに感覚だけが働いている状態なのだ…。

なぜ皆あれほど意味なく笑うのかと思っていた。単純だった、彼らは殺されるかもなどと思ったことがないのだ。そういう生活をし、そうした生活に必要な感覚を感情を、はぐくんできたからだった。
私はわざわざ人間不信だと言った事はなかったが、人にはそう言われてきた。
簡単だ、いやなことがあって人間不信になったのではなく、そもそも人を信じるというのがいったいどういう感覚なのかを初めから知らないのだ。

平和な社会で、必要な感覚や感情が、私がこれから獲得しなければならないものが、とても多い。今、まだ弱い感情ある子供の私を、判断する部分的な大人の私が泳がせて、ただ泳ぎながら、私の感じる様子を、見ている。
直接的に生き生きと、苦もなく自在に感情に通ずるのは、いつの日か。
それでも、認識したからにはいずれは可能だと、私は知っている。そういうイメージを持っている。
<2382> かえる ■2008年06月23日 月曜日 23時34分21秒
自分が今、満たされてると感じることが大事だと思う。なにかが違う、なにかが足りない、今のままじゃいけない、もっと欲しい、もっと満たされたい、、、、向上心を持つことはいいことだと思うし、理想を現実のものにするためには努力をしなきゃと思う。でも、それと欲深なのとは全然、別物。まだまだ、もっともっと、、、って、どこまでいけばいいんだろ?って、ゴールのない迷路みたいだ。もう、自分で自分を急かす必要がないことに気付く。誰かと比べなくていい。急がなくていい。勝手にランク付けして、勝手に劣等感や優越感を抱くのは損だ。だって、関係ないもん。世の中、勝ち負けだけじゃないし、自分自身にとって価値のあるものは個人個人に違って、どれが一番だなんて優劣をつけらんないと思う。…オンリーワンかぁ…。その方がいい。多少、人と違っていても、あーそうなんね…って素直に受け入れられたらいい。この人は、あーだこーだって、その人は、なんたらかんたらでって、分析せんでいい。人間関係、上手に橋わたりするために計算は必要かもしれんけど…そんな器用に立ち回れんし、みんながみんな計算ずくで生きてるわけやないし…、、、有りのままの自分でいって、それで受け入れてくれる人達や居場所があれば、もう多くは望まない。ムカついたり、イライラしたり、憎んだり、恨んだり、妬んだり、当たり前にある人の黒い感情は否定はしない。けど、やっぱ、海が凪のようにゆったりと、波もが微かに揺れるかんじで生きたい。楽しい時は、ケラケラ笑い、悲しいときは涙を流す。当たり前のことを当たり前にできる環境に感謝する。原因追求は大切かもしれないけど、犯人探しは嫌だと思う。誰かが悪いわけじゃない、、、、自分はなるべくしてなってしまったけど、それを受け入れ、その上で自分らしい、自分の生きるすべを探したらいい。…昔、父や母はあたしに、なんにも教えてくれなかった気がしていた…けど確かに、あたしの体内には、父と母の血が流れてる。すごく、その血を嫌悪していた頃にもう膿は出きってしまってたんか…?よどんだものをはきだせれば、少しずつでも透明に近付けるんかな…?て、思う。
<2381> ぺあ(FB注意) ■2008年06月23日 月曜日 09時39分56秒
私はね、わざと、子供時代、「子供のふり」して生きている感じだった。

うそつきで生きている感じだった。

ただただ、「普通の子は、こんな時こう想う」を頭で考えながら、生きてきた。「普通の子ならば、こういう時にこういう反応をする」と頭で計算しながら、反応をしていた。

私じゃ、おかしいから。私のままじゃ、おかしいから。私は、私は、普通じゃないから。私は、何かを知ってしまっている、子供だから。おかしいから。正体ばれてはいけないから。
そう想ってきた。

誰もいなかった。
ただただ、いじめがひどくなってからは演技の毎日だった。そのうち、演技しか生きれらなくて、どこにも出せなかった、憎しみや怒りは、自分だけに向かった。
本当は、いじめたあの子に向かうべきだった。

毎日人をぶって、つねって、何もし返さないからという理由で、顔にありをつけて、喜んで、「耳聞こえなくなるよ」ってあざける、私の反応をどこまでも楽しそうに、何もし返さないのをいちいち確認するように、見る、あの子に向けるべきだった。
あの子は、知り合いから、お兄さんが、亡くなって、お母さんもうつを持っていたけども、お兄さんがなくなった後に錯乱状態になって、しばらく静養した後に、がけから、車で飛び込んで、自死したって聞いた。

なんていう、ことなんだろう。でも、そうなんだ。私の親も気分障害を持っていた。当時、知らなかったけれども。父が自死するまで知らなかったけども。でも、その子もまた、母親が、気分障害を持っていたんだ。

でも、それでも、あの子が許せない。今でも耳が痛いの。弱い人や子供を見ると、耳が痛くなるの。怖くなるの、自分も誰かに暴力をふるいたくなるの。

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This script written by Shintaro Wakayama.