私の価値観。そしてACへのキーワード。それは多分、「否定」する事。 人がしてるとものすごく嫌な事なのに、 自分はそれを使ってありとあらゆる物をチェックしている。 例えば私は親父が嫌いだ。親父を否定してる。 以前は、そう思う事すら周りから否定されていた。 親父の得意技は、例えばテレビを見てる時や誰かとわいわい話してる時 否定的な言葉で何かを皮肉って、快楽を得ようとする事だ。 「そんな事できるわけねーじゃん、なあ?」 「あーいう奴はなぁ○○な所でダメなんだよ」 「お前馬鹿じゃねーの?本気で言ってんのか?」 ヒヒヒ、と笑いながら悪意に満ちた目で見る。…多分、皮肉の対象は奴にとって「人」には見えてないんだろうな。自分の思考を凌げない、格下の分際。
私も多分、幼い頃、そんな毒牙にかかったんだろうな。 言われて、なんて自分は恥ずかしい存在なんだろうって、間に受けてもの凄いショックを受けた。何を考えてたんだろう。何を言ってるんだろう、って。 「子供なんだから至らない事あったって当然だろう?」とか、できなかった。 あたりまえがどんな事さえ知らない自分は、親父にたて突く資格すらない、と 愕然とした。素直だな…。
今の私の悪いクセ。 無防備に、一生懸命まっすぐ頑張ってる何かを、とりあえず否定の目で見る。 自分の行動さえ、始めに「はぁ?」っていう目で見る。 痛手が大きいようなら、そういわれない為に策を張り巡らす。 例えば…(見ないほうがいいかもしれない) 誰かに宛てて文章を書く。一通り見て、 「長ぇよ」「何が言いてぇのかわかんねーよ」と、汚い言葉で率直に罵る。 なんか、そのうち「そーだよな(苦笑)」って思えて、正直に出てくるその言葉が気持ちいい時もあるけど(自分がやってる事だから) 時々、大切なものをまたひとつ失ったような、にごった水を注いでしまったような空しい気持ちになる。
今現在の自分の状態も、普通なのかいいのか悪いのか自分の判断では解らない。「否定」の目で見ると、「お前うだうだ言ってねーでとっとと何か行動しろよ。今のお前負け犬だぞ。」って感じで、落ち着かない。 自分が望んでこの状態に陥ったのか、巧妙に誘導されてこうなったのか、 現状に納得できないなら一体どう変えたいのか、そもそもどう思ってるのか… よくわからない。「わからない」の言葉で片付けて、誤魔化してるのかも。 「否定」の奴に言わせれば、何やっても否定されていろいろ矛盾が出てくるんだ…今のところ否定の目を満足させるような妙案は思いつかない。 (インナーチャイルドってコレ?こいつの事?いかにも自分がもう一人居るみたいに話しちゃってるけど…;)
私はいつも親父に否定されてきた。しかも、「とりあえず否定」されてきた。 牧人のいう事だから、とりあえず。 漠然と○○したい、って言っても 「なんで?やってどうすんの?俺がOKした所で、お前できんの?」 って。否定じゃないかもしれないけど、考える事は一つ。「じゃあ、いいです…」
何をするにも否定されてきたんだよ。弟がいるんだけど、それと比べられてきたんだ。ずっと。 例えばパソコン使う時だって、「何時からやってんだ」って言われて 弟の時は「何か調べてんのか」って。 これは贔屓っていうの?否定じゃなくて。でも贔屓って言葉、認められない。 否定する。否定する事で身を守る事を知ったんだ。 毒を喰らって…それで身を守る事を学んだんだ。皮肉だけど。 私の心は銃社会。「危ないから持つのをやめよう」そう唱えた物が死ぬ。 そいつを称える者はだれもいない「馬鹿なやつだ」と嘲笑われて、END。
だけど、内面だけで接する事が出来るここでは、そんなことしたくない。 稚拙だってみっともなくたって、丸腰でおろおろオタオタしたい…。 ここには怖い親父、いないから。いろいろ邪魔な親父、いないもん。
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