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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.119
メッセージ数:2380件

<2380> ぺあ ■2008年06月23日 月曜日 09時32分21秒
今、とってもとっても焦っている。
私は、父が亡くなってから、半分ひきこもっているように生きているから。

ずっとずっと、そうやって、心はひきこもって、通常はうわべだけは順応しているふりして生きてきたけども。やっと実質的に、引きこもれたわけだ。

私は、ずっとずっと、自分はどこかおかしいんだって思ってきた。人生を計画通りに生きようと思ってきた。

でも、父が、2年前に双極性気分障害で自死して、おかしいのは、私じゃなかったって分かったの。おかしいのは、私じゃなかったんだ。私は、ずっとずっとずっと、頑張ってこられた。父が自死しても、自分の感情は麻痺させて、ひたすら、何も予感もしてなかった母や姉を救うために必死だった。

私は、予感していたから。予感しながらも、笑って、弱っていく父を見殺しにした。笑っていた。ばかじゃん、弱ってよおって思っていた。

でも、私は、そう思うまでの思いもあったんだ。ずっとずっと、子供の頃から、「人が壊れそうなほど弱い人」に思えていた。「弱くて、でもプライドが高くて、助けを他者に求められない。」「何気なく、さりげなく、その人の思いを汲み取るべきだ」そう思って、生きてきた。

学校でも、友人関係でも、教師への思いも、全てそうだった。

「かわいそうな人、本当は辛いんでしょう?」そう、他者に対して、どこまでも思う私を、同級生は、よってたかって、いじめた。
「おとなしすぎて、気持ち悪い」「気味悪い」「意味不明」そう、男子に言われた時に、私は、「私の正体ばれた」って怯えた。私の正体は、他の子供とは明らかに違う、何か秘密を分かっている子。誰かの本心を読み取っては、救える人。

低学年の時の担任には、他の女子には「OOちゃん」なのに、私には「OO(下の名前)さん」私だけが、他の子と違って飛びぬけて大人だとばれている気がして、怖かった。

私が時空がねじれるくらい傷ついたのは、小学校5年の頃の、Nさんという子に、顔に虫をつけられて、それが耳に入ったこと。そこまでも、その子には、5年になった時から、徹底的に目を付けられて、「仲良しの子と同じクラスになれなかったのは、お前のせいだ」だの、「お前はばかだ」「鍛えてあげる」だの、言われ続けてきた。
毎日、ぶたれた。その子の気に食わなければ、お下げの髪の毛を引っ張られた。ぐいってね。毎日、つめで食いちぎられるほどつねられた。痛かった、ただただ痛くて痛くて、なのに、何もいえなかった。笑ってみていた。
私ならば大丈夫。

そんな風に思っていたにも関わらず、それから20年近く、忘れられずに、思い出しては、自傷したくなる。

大丈夫・・・そう想って生きてきたけども、大丈夫じゃなかったんだよね。

耳に虫が入ったとき、私にとっては体ってとっても大事で、私は、その子が笑って、「あんたの耳聞こえなくなるよ」って言った時、心がぼろぼろになったんだよね。
何で生きているんだろうって想った。何度も。

それから、常に心がひきこもったようになってしまって、大学卒業して、多分、父が自死するまで、私は、ずっと、それから14年間、心を閉ざして生きてきた気がする。
父が、自死したのは、父が、双極性気分障害だったから。その事実は、一度も知らされなかった。うつだったのは、知っていたけども、それさえ話題に乗せることはご法度だった。見ないふり、なかったふり・・・そうやって、うちの家族は、時間だけを経過して過ごしてきた。

私は、姉にも母にも悪いと想ってきたけど、それは違うと想っている。母も姉も気が付かなかったんじゃない。母は、見なかっただけ。過去に散々私に学校へ行きたくないと言う、私に、「逃げるのか!」と怒鳴った母だけど、逃げていたのは、母じゃないか。父の病気を、父の意向に沿って見なかっただけかもしれないけども、見なかったし、勉強しなかったのは、母本人なんだ。怒りをぶつけられて、私が守らなければなんて、頑張っていたけども、私は守る必要なんかなかった。あんな意味分からない愛情関係なんて・・・。私は、母なんか守らなくて良かったんだよ?父を理解しよう、ストレス和らげようだなんて、想わなくていいんだよ?
逆に、学校でいじめられて、ぼろぼろになっているのに、気が付かない、何も私にフォローできない、親が、自分を責めるべきだ。

父は、勝手に死んだだけ。もう、死んだ人なんか、どうでもいいじゃん。どこまでも、私に「分かって」みたいな目で見て、そのくせ、「俺の姿見たら殺す」だという視線で、私をがんじがらめにした、人。
そして、姉、姉は、自分のことしか考えられない人なんだ。鈍感なばか。あんな奴に、そして母に、ばかにされてきたけども、認めてもらおうだなんて、わざと気の強い子のふりなんかもうしなくていいよ。もう、別人になる必要もないし。もう、いいよ。この家は、おかしい。それだけは分かった。なのに、世間体のいい母親。私が、いつまでもひっきーしていておかしいみたいな目で見られる。はああ?
じゃあ、お前らが、父の自死を止めてくれたか?いい加減にしろよ。
<2379> ぺあ ■2008年06月21日 土曜日 09時30分21秒
ずっとずっと書きながら思っていた。
私は、ずっとずっと、学校でもどこでも、他人様の感情が1000倍大事で、自分の感情や感覚なんて、「世間しらずの馬鹿が思っているごみです」って思ってた。自分の感情も感覚も「可愛そうなあなたのために捨てます。そしたら嬉しいでしょ?」そう思って生きてきた。

ずっとずっと、いじめられたことも、姉から言われ続けたことも、両親のことも、「恵まれた時代で、性虐待にあったり、暴行を加えられているわけでもない」あんたは、我慢して当然のこと、恵まれている、辛くて苦しい子よりも断然ましなんだから・・・・そう思って生きてきた。

大したことない。こんな事で傷ついていたら世の中やっていけないよ。

そういう言葉に、私は何度も心がくじけた。

私って何なんだろう・・・そう思ってきた。いつも、良くない人にはまってしまう。その人は私に明らかに暴力みたいなことをしているんだけども、私には、助けてっていっているみたいに思えた。だから、自分の感情を壊して、相手の餌食になろうとしてしまう。だって、自殺されたくないから・・・

そういう変な巻き込まれるのを、ただただ、もう一人の自分は自分を見下ろしているような感覚だった。小学校時代のいじめもそうだった。でも、子供はもっともっと怖かった。なにも言い返さないと、どんどんどんどんエスカレートした。毎日つねられた。毎日、気に入らないとぶたれた。笑われた。そして、右の耳にありを入れられた。喜ばれながら。「あんたの耳聞こえなくなるね〜」「鼓膜破れるかもよ」って耳元で、お姉さんっぽく私を見て、笑いながら言うあの子。夢の中での出来事のようだった。
ただただ、時空がねじれた。
何で私は、いじめられやすいのだろうか?もともと、生まれが汚いからだと信じて疑わなかった。私は他の子とは違う。汚い人間だから、大人におべっか使えるような、他の子供のように純粋で、子供らしくて、自分の感情を素直に出せて、大人の心をくすぐるようなことが出来ない子供とは、違う、私は、生まれつき汚いから子供にそれがばれるのだと思った。

ずっとずっとずっと20代になってもそう思い続けた。

人は、皆私を妬んでいるとも思っていた。そして、どうしても、あの子を忘れられなかった。ずっとずっとずっと、苦しいのに、辛いのに、いじめられた頃を揺りかごのようにして生きてきた。だって、私にとって世界は、失敗してはいけない、したらホームレスになってしまう場所。私にとって世界は、怖い場所。私にとって世界は、私を妬む人間か、私に助けてとすがりつく人間ばかりの場所だから。私は、過去のいじめの記憶だけを杖に生きた。だって、そしたら、家族も同級生も喜ぶはず。私のことなんか嫌いなんだから。私なんか、どうせずるくて汚い人間だと思っているのだから。そう思った。

<2378> ぺあ ■2008年06月18日 水曜日 10時50分20秒
私が、今怖いのは、いっぱいある。怖いことだらけだ。
なのに、自分は自分の気持ちに蓋ができて、どこまでもがんばれてしまう。
でも、自傷したくなってきたりもする。
人が怖いの。とても怖いの。そして、自分の過去の記憶が嫌なの、辛いの。結局は、人を救いたいとなぜか思わされて・・・その中の思いは、「ほっとけば、その人は絶望して自死してしまう」というとてつもない恐怖と、「お前の方が恵まれているくせに、こんな辛い目にある人を助けないのか!この恩知らず。神様が拾ってくれたのに、なぜ社会に還元しないのか」という思い。

人を救いたいのに、その人に認められたくて、結局、その人が過去のいじめっ子に見えて、「や〜いや〜い弱虫」って笑う母の手前、危険人物に立ち向かわざるを得なくなって・・・・。
逃げたら、母に「ほんとにあんたって弱虫」だって言われてしまう。姉にばかにされて、笑われる・・・過去の記憶がもう内面化しているの。決して、現在がそうなわけではないのに。

悲しい。今も、まぶたに爆弾を埋め込みたい気分だもの。怒っている。怒っているよ。もう泣けないんだもん。のどに銃を突きつけて、自分を壊したい気分。だって、誰も私はいないから。いても、いても、その人に甘えて、その人を過去のいじめた奴らと同じことをし返したくなり、過去の悔しい思いをぶつけたくなり、そして、その人を助けたくなる・・・・。

だから、怖い。
私は、怖いという思いさえ殺してきた気がする。

父が、双極性気分障害だってこと。ずっとずっと、赤ちゃんの頃からそうだったこと。躁状態で、母に怒りをぶつけ、罵り、ばかにして大笑いしている、父が本当は怖いのに・・・いつもの、落ち込んだ、肩を落として悲しそうな顔をしている父を知っている私は、そうやって怖いとさえ思えない。だって、怖いのは、自分の勝手な感情じゃない。怖くない。だって、辛いのは、父だから。怖くない。怖いと思う感情さえ、父に対して、救わなければいけない父には、申し訳ないとおもっていた。
だって、かわいそうで、大好きで、救わなければ、幸せにならなければいけない、父に、私は、怖いとも嫌だとも思えないよ。
お父さん大好きだから、怖くない。怖くない。でも、人が変わったかのようにサングラスかけて、髪形変えた父に・・・本当は、怖かったんだと思う。今でも、怖いと思えば、そんな自分を否定しかかろうとするけども。怖かったきがする。怖いよ。でも、その怖い相手は、かわいそうで、救わなければいけなくて、本当は優しくて、不器用で、この嫌な社会の中で追いやられた人なんだ・・・
そう思っているからこそ、私は、犯罪者がかわいそうで、たまらなくて、同情し続けてしまうし、過去にいじめた相手や、私に対してひどいことをしようとする人の、網にひっかかったりしてしまう。自分の怒りを壊して、「お〜かわいそう」「いいこいいこ」「はじめて理解してくれる人が現れたでしょう?私が防波堤になったあげる」そういう変な絡みつきとアンビバレントな思いで、結局は餌食になってしまうし、自傷をしてしまう。自分なんかどうなってもい人間のほうが強いから。
そうやって、結果、人を恨み、弱いものにぶつけたくなるのだ。

私含め、してはいけないことはしない、責任の所在を見極めて、その人にお戻しすることを徹底したほうがいいのかもしれない。

人が自死するのかもという恐怖は付きまとってしょうがない。そして、私は、どんな人間関係でも、その人の期待を読み取っては逃げられなくなって、がんじらめになってしまうのだ。
<2377> ぺあ ■2008年06月18日 水曜日 10時21分03秒
こうやって、人は亡くなっていくんだ。
なのに、何だか、父のとき以来、気持ちがぼーっとしていて、しかも、からかわれるのが嫌で、怖いから、泣けない。
泣けなくなった。姉にも母にも見せられない。怖い。悲しい。不安。なのに、顔は大丈夫な顔、順調な顔を作って生きている。

好きな人や、親密になりそうな人が出来るたびに、心は、恐怖でひきつっている。怖い。決められて、逃げられなくなるのは怖い。なのに、その人の期待や希望や気持ちを裏切れなくて、その人のおもうとおりにしようとしてしまう。
恋人も怖い。逃げられなくなるから。そして、人は甘えれば、こいつは何やっても人形だからOKだと思えば、どんなことでもしてくるであろうと・・・思っている。皆、本当は赤チャンで、女の人見ればきっとレイプくらいしたいんだろう、どうせ、すきあらば、人の心をへいきで殺したいんだろう、ストレス発散したいんだろう、どうせって思っている。
だから、私は、受け取ってしまう。怖い。なのに、逃げられない。そして、自分だけそこから抜け出れば、今度は、その人が自殺してしまうような気がする。裏切り者、お前だけは逃さない。お前はずるい・・・そんな声が聞こえてくるようだ。
過去にいじめられた。その時の記憶は、生生しい。耳に虫入れられたこと。毎日ぶたれ、つめとつめで皮膚がちぎれても、つねられつづけたこと。毎日、笑われ、ばかにされていたこと。そして、家に帰れば、訳の分からない世界が繰り広げられていたこと。しかも、必ず、私は、父を救わねば、誰にも理解されていない、私だけが・・・・そう思い続けたこと。
この家の救世主のように自分を思っていたこと。
それが、家だけに留まらず、外の世界にも波及していったこと。

なのに、いじめられて、惨めで汚い自分を誰にも見せることが出来ない。寂しい。
<2376> なずな ■2008年06月18日 水曜日 04時13分02秒
幼児のように号泣できたら、と最近ふと考える。
ひとりきりで泣くのは寂しい。
思いっきり泣きたい。人前で理性を捨てるほど泣き喚けたら・・・
そしてそれを受け止めてくれる人がいるならば・・・
私は救わるかもしれないと思ったりする。

思えば感情を殺して理性だけで生きてきすぎた気がする。
それはとてもとても無理のあること・・・

死と自暴自棄の誘惑から私を救い出す方法を、見つけ出したい。
出来るだけ早く・・・。
他人事みたいだけど、わたしには生きていて欲しいから。


<2375> ぺあ ■2008年06月16日 月曜日 09時47分58秒
父の、双極性気分障害を持っている父の、お世話役として生きてきた。
ちゃんとした大人ならば、きちんと助けを求めなければならないのに、父は、自分のプライドから、大人には求められず、評価もできない、何も物事分かっていない子供に、甘えた。
境界線はない。
でも、父は、躁状態になったことも、私に「助けて〜」っていう視線できたことも、覚えていなかった。
母は、見ない。人に「逃げるな」といい続けたくせに、母は、結局、父を見なかった。何も無いフリ。姉は、自分のことばかり。私に当たってくるくせに、結局、何も人を利用するだけして、自分の気持ちだけを最優先にして、生きてきたから。私は、親のお世話役をしながら、常に他者を気遣い、暴力を私に向けてくるような最低人間でさえ、受け入れ、甘やかし、「かわいそうに」「私だけは理解してあげる」と思い、お世話して、受入れた。

学校は最低だ。私は、嫌い。あの子もあの子も。女の子は嫌い。常に、「分かってくれ」と言われながら、「私の苦しみ分かってくれ」といいながら、私にもたれかかってきたあの人たち。大学に入ってもなおそうだった。異性関係も勿論そうだった。「お前だけには分かって欲しい」「あんたには分かってもらえると思って」そういわれながら、ひどいこと平気でされてきた。そうやって、生きてきた。まさに、父との関係そのものだった。私ならば分かってあげられる。かわいそうに。あなたは、他に大人で理解してもらえないのね。ストレス今まで溜めてきたのね。もう大丈夫私がいるから。よく人を殺さなかったね。よくレイプしなかったね。私がもう、すべて、心を動かさずに、あなたを守る。あなたのことを理解しているから・・・。
かわいそうに、坊や・・・お母さんがもう来たから大丈夫よ。あなたは暴力をしているかもしれない。世界は、あなたを見捨てるかも。でも私は、どんなになっても死んでも、あなたを見捨てない。。。坊や。
こんな感じ・・・

ずっとずっと、同級生に対しても、こんな感情を持って生きてきた。お母さんが分かってあげられなくてごめんなさい・・・。
あなたをこんな風にさせたのは私・・・・。

いじめてくる、最低人間に、私はこんな感情を持って接していたのだ。
そして、自分は勿論ないがしろにして生きてきた。
その結果、誰にも理解されずに、心をぼろぼろにして、自傷までするくらい追い詰められた。
母や姉は勿論理解しない。母はあんなに、父の精神的な暴力、言葉の暴力から、お前を守ってやったのに、あのくそばばあ。母親。
父もまた、同じ・・・・「こんなにお金かけてやって、行きたい学校に通わせて、金を使って、物を与えているのに、お前は、なぜ生き生きしていない。なぜ寝てばかりいる。死にたいならば死ね。俺に反抗するならば、お前にはご飯やらない」そう言われた。
そういった、父は、全然関係ないけども、24歳の時に、双極性気分障害の発作で、自死した。

誰も知らないこと。うちの姉と母以外。あんなに裕福そうで、順調そうな家で信じられないという感じ。母も父も結局、見栄。うちは、普通の家だと言う繕い。下に住む、実の父や母に対してさえ、言えない。そして、常に見栄と、順調に生きているだけを強調してきた、中身のない、家庭だった。
祖父にも色々あったのも分かるよ。だから、父がどれほど、心を砕いていたかも分かるよ。兄弟仲が悪いのも、学歴だけを信仰しているのも分かるよ。常に、パワーゲームなのも分かる。
そんな中、どれだけ、父が、兄弟の仲介役をして、誰も面倒見たがらない、祖父母をお世話し続けたかも分かるよ。父が、どうしても、お世話役をしてしまったかも分かる。
でも、この家って・・・・。
そして、双極性気分障害という病気も。子供には、わからなすぎた。人格が変わるくらいの、父の様子。私には、わからなすぎた。分からなかった。なのに、母は見ようとしない。助けなければ・・・世界のすべての不幸な人、不満な人の責任がすべて私にあるんだと思って生きた。そして、学校で繰り返されるいじめ。
いつも頭は心配と他者が思うであろうことを、必死で読み解き、あせあせって焦って、先生の期待汲み取って、友人へおもねって、必死で生きた。そして、誰にも責められないように、自分を「偽善者」だと責めて生きてきた。頭がパニックだった、常に。だって、私は、全部、友人も教師も親へも全部私に責任があると思って生きてきたから。ずっとずっとずっと、他者が怖かった。なぜ、クラスメイトで、暴力やそういうものを皆すり抜けられるのか分からなかった。私は、まんまとわなにはまって、勿論、すぐに、皆のさらし者になって、生きていた。
皆すり抜けられるのは、性格が悪いか、ちゃんとしているかどちらかだった。私は、すぐにはまってしまう。暴力に。他者の不満に。他者のもたれかかりに。学校。許すことはない場所。できるならば、壊したい場所。許せない場所。そして、当時のいじめた奴ら、ずっと彼らのお母さんだと思って、私は、何でも許してきた。責任者のようにしてきた。でも、私には、二度と関わってくるんじゃねえよ。あのぶす、鼻の壊れた、外科医よ。
<2374> ぺあ ■2008年06月05日 木曜日 09時55分38秒
暴力にあいやすいこと。
私は、常に「お前の反応いい」って言われて、暴力をふるわれていた。
「反応面白いから、いじめたくなる」って言われていた。

私は、父が赤ちゃんの頃から、双極性気分障害を持っていた(それを全くないように触れてはいけない話題のようにされながら)ことで、躁状態になった父の、母への精神的、言葉の暴力、威嚇を見ながら、その期間限定の(母や家族は無自覚だが)DV家庭の中で育った。
母を守ろうと必死だった。でも、母は、「昔のこと忘れた」と言う。

その頃、毎日学校で、ストレス溜めた子に、「お前は恵まれている」「ずるい」と言われ、頭はたかれ、つめで食いちぎれるくらいつねられ、笑われ、ねたにされていた。「OOO反応いい〜」とか。「かわいいからいじめているんだよ」「優しすぎるからこっちはつけあがるんだよ!!」と逆切れされていた。

私のその時の心境は、ただただ、かわいそうなこの子たちを救わなければ、私は、不幸そうな家族と違ってまだましな方だから、分かっているから・・・ということだった。
かわいそう。暴力をふるうくらい追い詰められているのね。鼻がつぶれていて、それを気にしている、女の子だった。その子が今、外科医を目指しているだの、近況だの知りたくも無いのに、教えてきた過去の友人がいた。

暴力・・・・
確かに、私が逃げたら、かわいそうなこの子(暴力ふるう子)が一人になる、やっとわかってもらえる私という存在ができたのに、また一人にすると思い込んでいた。

強烈な共依存。

常に、どこにいっても、暴力の対象になりやすい。安全な場所にいけない。誰にも人間扱いをされている気がしない。大学に入っても、時々そんな目にあった。自分のこの弱い、汚い性格をなおして、姉のようにならねばと思った。
卑屈で、他者が今にも自殺しそうに思えてしまうというこの感覚。そして、必ず、人の餌食になってしまう。

その訳を探して探して生きてきた気がする。自分の生まれた年月日が悪い。とか。でも、やっと分かったよ。私は機能不全家族の下で生まれた。この家族中が、こんな恵まれた環境で育ててもらって、お前は恵まれているって言うけども。でも、ずっとずっと、もう1つの目で、仲良し気の家族の中で、見ていた。なぜ、父があんなに寂しそうなのか?母への憎悪をぶつける期間限定のときがあるのか?なぜ、人格までも変わるくらいなのか?

不思議だった。でも、ようやく分かった。私が、悪いわけでもなかった。そして、私が汚い人間だから、生き難いわけでも、いじめられやすいわけでも、他者をいらつかせるわけでもないのも、分かったよ。
でも、その間に、いじめられ続けた、私の行き場の無い怒りや悲しみを、どこにも向けられない。
<2373> こくーん ■2008年06月01日 日曜日 07時45分43秒
いつも順調な顔していないと、
元気で幸せだよって顔をしてないと、
愛してもらえないと思ってた。

母の自尊心を満たすような子どもじゃないと、
存在してはいけない気がしてた。

そうでなくてはいい、そう言ってくれる人。
信じたい。
信じたいけど、どこかで疑ってる。
<2372> 秋 ■2008年05月29日 木曜日 11時39分08秒
誰かを求めて、求めすぎて嫌われて、その繰り返しを何回したのか。
不安になれば相手に何度もしつこく聞いて、困らせて。
相手を信じられないんだから、自分のことなんかもっと
信じてないのかな。
相当の人間不信に陥っているのかも。
人の寂しさを人で埋めようとしても、だれがそんなことを
してくれるの?って思うし。
みんな自分のことで精一杯だって、わかっているのに。
それに優しくされても自分はそれに返すだけの「何か」を
もっていない。
この先もこの閉鎖的な世界で生きていく自分を知ったときに、
恐ろしくて。
なんの感情もないロボットのような私をあと数十年もやっていくのって
やっぱり辛いものがある。
涙も枯れ果てて、毎日をただ過ぎて行くのを待ってるだけの日々。

でも、誰かを求めるのはもう本当にやめよう。
無関係な人を巻き込むのはよくないことだし。
それだけが自分に出来る優しさなのかもしれない。
もし、共依存になんかなったら本当に申し訳ないじゃすまない。
今は、そこまでしか分からない。
<2371> 花 ■2008年05月29日 木曜日 00時10分26秒
昔もらった限られたひとからの手紙を読みかえした。少し残ってたのを。とてもとても閉鎖的に生きてきたわたしで、ほんとに何にもないようなわたしだったけど、長い長い時間のなかで、わたしはとても恵まれていたのだなと思い知った。もっと信じてもいいのだと思い知った、まわりの人たちを。ごめんね、すぐに作った防御壁とか。不自然な装いや、いろいろ。ちっとも楽しくなんかなかったね、わたし次第だったのに。少しずつ感謝の気持ちを返せるようになったらいいなって。気持ちが外にやっとむかう。わずかでも。他人をみるようになった。振り返ったとき、そこにはきちっとかかわった人がいて、たくさんのものをくれていたんだ。今だって昔と同じこと。いつも「その時」は無気力に悲しく沈んで霧のなかにいたようになってるけれども、きちんと見ようとすれば、幸せな方に目をむけられれば、充実することが満足することがあると思う。いつだって幸せなのにな。呆然としてた。あまりにまわりとの「差」に。やっーと、気づいて呆然とした。でも、気づけたならいいか。
<2370> かえる ■2008年05月28日 水曜日 20時16分56秒
自分の心に余裕がなくなると、神経がピリピリしてきて、いつもなら笑って許せることも、おい、いーかげんにしてくれよー、どう考えたって筋通ってないじゃん、あたしゃ、疲れてるけど、手を抜かないでできることはやってんじゃん、その人のペースがあるってわかってても、あたしにばっか押し付けんな、時間がない中でも、動けるだけくるくる動いてんじゃん、やる事に優先順位つけたら、他人に頼まなくても、自分の持ち場の与えられた仕事ぐらいできるはずじゃん…って、、、、私はちっとも優しくない。けど、こっちだって手一杯頑張ってんだよ、、、お金をもらってるんだから当たり前だよ、自分で選んだことだからしょうがないよ、、、それは素直に聞ける。けど、到底実現不可能なざれごとばかり言う相手には、いい加減にして、ってなる。…自分は疲れてんだな…。
<2369> さくら ■2008年05月28日 水曜日 08時35分11秒
最近気付いたこと

私の頭の中では、自分のすることは常に評価されない

それに対して他人(とくに同期や同僚とか)がすることは評価される

という暗黙のルールがあった

それが明らかにおかしいと、いまは気づくことができる


大丈夫だ

なんとかなる

<2368> こくーん ■2008年05月25日 日曜日 14時25分37秒
本当に、誰かを愛することなんてできるのだろうか。
誰かを好きになったとしても、それは自分が『孤独』だったってだけなんじゃないだろうか。
結局、自分が大事なだけなんじゃないだろうか。

相手だって。
他に心を満たすことができたら、私なんていらなくなるんじゃないだろうか。
そのとき、平気でいられるだろうか。

そんな繋がりじゃない愛なんてあるだろうか。
あると信じたいけど。
あるかもしれないけど。
それが、自分の手元に訪れるとは思えない。

それなら…むしろ、全部壊して、世の中は自分独りだと。
自分独りで死んでいくしかないんだと。
そう思って、繋がりなど断ち切って、しまいたい。
<2367> こくーん ■2008年05月25日 日曜日 02時30分45秒
FB注意


いつも波打ち際か、崖の端を歩いている感覚。
首をつるようにぶら下がっているものに目を奪われる瞬間。
高いところから眼下の川の流れを見た瞬間。
歩道橋の上から車の流れを見下ろす瞬間。

心の中からふっと沸き起こる、全てを捨てて逃げ出して、
…飛び込んでみたくなる。

どうしてだろう。
どうして、そんな気持ちが沸き起こる?
<2366> ayako ■2008年05月21日 水曜日 11時38分24秒
ある人が「好きな医師が居る」と話してた。願かけもしたそうだ…楽しそうに話してたから何も言えなかったけど…少し引いた。 はっきり言ってしまえば錯覚だと思うのだが、精神科だし。「叶うと良いわね」なんて言った人もいたなぁ… 「病院の人と結婚は嫌だ」としっかりした言葉は出てくるのに医師も「病院の人」な事に気が付かない。
他人の感情だし私がとやかく言う事じゃないが、学校の先生を好きになる学生に見えた。叶わず終わると思うけど、楽しそう
<2365> 花 ■2008年05月21日 水曜日 04時23分11秒
今日、こんな言葉を目にしました。

「どうでもいいことは流行に従って
 重大なことは道徳に従って
 芸術のことは自分に従って」

わたしにとって、重大なことってなんだろうな〜と。死に関わることだろうか。その反対の生もそれじゃ、重大で。
どうでもいいことは、メニュー何頼むかとかか。オークションもどうでもいいことに入るって、考えたら、気楽になれるだろう。わたしにとってどうでもいい人っていうのはいるけど、どうでもいいとも言えないから重大なことになるのか。そもそもどうでもいいといって、人との関係の仕方に流行ってあるんだろうか。流行に疎いしな、でも流行って楽しいよ。人生楽しくさせる秘訣でもある気がする。今までは、負の意味を含んでたけれど、実はすごくいいものだったりして。とにかくいろいろ考えた。芸術は読書や映画や音楽、自分の心の向くままに。だね。髪型も服装も美容も自分の外見は芸術だ。流行りという人もいそうだけど。髪型とか。それも、その人の芸術にかかわっていて、結局はベースに自分というものがあるんだよな。人よりこだわりが多いのかもしれない、考えてみると。
<2364> ぺあ ■2008年05月20日 火曜日 23時43分22秒
泣きながら、このサイトに来て、泣いて、夜中に眠った。
次の日には、父はいなくなっていた。双極性気分障害を押して、仕事をし続けた。認めずに。

それが父の誇り高い、父らしいこと。

怖くて怖くて怖かった。自分のエゴだけど。このまま、友人に何も告げなければ、この事実は消えると思った。

泣きながら、このサイトに来て、でも、その日、数時間後に父は、自分で亡くなったんだ。
電話しておけば・・・父の声聞けたって思ったよ。こんなに悪口かきながら、それでも家族でいれば、家族を守らねばと思った。

次の日の日曜日、私は、朝の10時過ぎに姉の電話で、家に帰って、葬儀屋がとまっているうちに着いた。
「ああ、間に合わなかったか」って思った。父が亡くなったって心から分かった。でも、自死だったっていうのは、その日の夜に知ったんだ。倒れている母に寄り添って、姉の手続きを聞いて。双極性気分障害って分かったのは、それから1週間後。怖くて怖くて怖くて、それでも、日常のこと、ミクシィのこととか考えられるのってちょっとおかしかった。手を震わせて、友人にメールを打っていた。

ACであることから、今度は、新しい事実が分かった。でも、こんな分かり方だったなんて・・・そして、今まで散々いじめられていた子供時代のこと、勝手な事を言われ続けたことへの怒り、恨み、憎しみ。

どうか、父もまた苦しんだように、私も苦しんでその後、手放させてください。お父さん、大好きだったけども、辛かった、父。私も、いつか分からないけど、行く場所にまっているのかな。今なら分かること沢山あるよね。仕事場に来る霊の話、あのエレベーターがその階でとまるって言っては、二人で、「こわ〜」とか言ったよね。じゃあ、お父さんはどうよ?あのFに行った?行ったんじゃないの?怖がられていたかもよ。てゆうか、私と姉がその後のお父さんの会社行ったんだから。お父さんは自分のことばかり。でも私がどんな思いで、苦しんで、ホームのトイレの中で号泣していたか分かる?ねえ、ほんと、いつか私も行くんだね。いつまでもいきそうにもない、一番強そうに思えた父がいってしまうんだからね。それも、あなたの力で。強いんだか、なんだか、分からない。
お父さん。あの後の続きの話からはじめようかね。私も必ず行く場所で、「年取ったなあ」って言われる図を想像したんだよね。家族で食事したあの光景をあの時はっきりと、「幸せだったのかも」って思えたんだよね。

お父さんへ。まだ私は辛い目にあってはないのかな?お父さんから見たら、甘いって言われる?
笑ってなくなる。そうだよね。いつになるか、すぐくるか。誰にも分からない。でも、そう思うと、自分らしくいけたお父さんがちょっとだけうらやましい気もするんだ。

お父さんへ。また、頑張るよ。お父さんが言っていた、その系統の仕事している姿でも見てください。そっちへ行く時はよろしくね。いや、でも、それぞれ、私ももう、家族離れしますよ。お姉ちゃんと仲良くなれなくても、少しだけ分かってあげようと思います。お父さん、また格好良くいるのかな?お父さんも、私も、良くありますように・・・お父さんの良い様であることを、少しだけ願っているよ。メール沢山くれたのに、ローマ字で分かりにくい文章で返してごめんね。C君も大切にするからね。それは安心してね。
<2363> こくーん ■2008年05月18日 日曜日 12時26分13秒
何かを愛したい。
こころから愛したい。

この欲望の源泉は何だろうか。
<2362> こくーん ■2008年05月18日 日曜日 12時21分42秒
ストレスの本質は、『怒り』と『憎しみ』。
そんな気がする。
ストレスを感じるとき、それは『何』に対する怒りなのか、憎しみなのか、と自分に問う。

解消できないほどの怒りや憎しみを抱えたとき、どうすればいいだろうか。
解消することができなくて、自分に抱え込んで、追い込んできた。
<2361> こくーん ■2008年05月18日 日曜日 12時18分20秒
自分の『核』がないんだろうか。
ありのままの自分で周りとつきあっていくことと、周りに迎合することの違いがまだ良くわかっていないように思える。
自分は自分の「好き」でそれを選んだのか、
周りが私にそれを選ぶことを求めているように「感じる」から選んだのか、
わからない。

相手の悪意もわからない。
…いや、悪意を悪意と認めることがコワくてできない。
悪気のないことなのだ、と自分に納得させる。

自分は今のありのままの自分。
なのにあまりに曖昧に思える。

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This script written by Shintaro Wakayama.