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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.116
メッセージ数:2320件

<2320> kmoknva ■2008年04月11日 金曜日 19時18分50秒
4zStHa <a href="http://edfhwkylescz.com/">edfhwkylescz</a>, [url=http://rvdndmgeexbq.com/]rvdndmgeexbq[/url], [link=http://cggdntbknuew.com/]cggdntbknuew[/link], http://qquowcgrfcvw.com/
<2319> ぺあ(FB注意) ■2008年04月10日 木曜日 14時23分32秒
早く、乗り物に乗りたい。
乗ってのって・・・・もう、どこにでもいきたい。
でも・・・・色々、ぐるぐる考え事が回る。
私、距離を取って人と付き合ってもいいんだ。
もう、「お義理」をうけて、必死で「恩返し」を友人知人、家族にもしないでもいい???
いやだ、関わりたくない、なんかいや・・・・そういう感覚を大切にしてもいいですか?
もう、姉に関わらなくてもいいですか?どれだけ、いろんなことをやってもらっていても、姉が辛いです。姉がいやなんです。もう嫌いなんです。家族も、好きなときと嫌いな時があって、それでもよくて。もう、家族から距離を取って、離れてもいいですか?協力あわなくても、悲しい家族でもいいですか?
<2318> ぺあ(FB注意) ■2008年04月08日 火曜日 15時49分47秒
まだ電車にもバスにも乗れなくても良いですか?

まだ、いいですか?もう、社会復帰しないといけないですか?
いつまでも甘えていると、母にも母の親戚にも叱責される。
「もっと大変な子なんて沢山いるんだよ」って言われる。

助けて欲しい。
まだ、いいよって誰か言って下さい。
<2317> ぺあ(FB注意) ■2008年04月08日 火曜日 15時46分38秒
多分、私は、小さな頃から、無駄に、「表面上の顔」と、「本音」を使い分けてきた。
「表面上の顔」を見せる場所は、家族の中も勿論、学校、社会。「本音」は、悲しいことながら、日記の文字の上だけ。
 で、私は、それを家族にそうすることで、自分は親を欺いていると思い続けた。「ごめんなさい。」って思い続けた。
 でも、でも、でも。

本音は、父の事おかしくない?ってことだったの。

それを大学時代に見せ初めて、家族にも手紙で言い始めた。家族も、どこも、私を封じ込めようとした。もしくは、「これだけ良い思いさせてやったのに」という怒りを買ってきた、家族から。社会からは、「お前いくつだと思っているんだ」っていう非難。


それに傷ついた。

で、父の自死の前に、確かに本音は、「ぎゃああああああ」って叫びたい何か。何かがおかしい。本当に、調律の狂ったピアノみたいだった。何かがくるっている。何かが掛け違えている。なのに、もう取り返しがつかないの。何かがおかしい。何かがおかしい。なのに、どんなに、とめようとしても、みんな社会は動いていく。おかしいおかしい、絶叫すればするほど、ものすごい白い目と侮蔑と、さげすみと。

どうして??・・・


それが、父の自死でようやく分かった。父は、双極性気分障害と、私が生まれた頃から患っていたって母が言っていた。。。。。。。。。。。。。。。

でも、母は、父に父の様子がおかしいって、父の自死の前に、「いつまでも子供みたいなこと言わないでください!!!娘はお嫁にいくとしなのに、何仕事のことをぶつぶつ言っているんですか!!!」と叱り飛ばした。


私が、何で電車にもバスにも乗れないか。自分で何かひとつ、変だって思っても周囲とあわせないといけない。もう引き戻れない。この思いが、爆発してしまうの。出口がない、もう後には戻れない。もう何か1つおかしいと思っても決められない。もう、私の手ではとめられない。でも、とめられたら、父の自死をとめられたかもしれない。爆発!!!してしまう。

もう戻れない。そう思った瞬間に、すべてが、過去の記憶が私をどこまでも責める。「お前がお前がお前が・・・・・・・」
「じゃああああ、どうすれば良かったのよおおおおおおおおお」

息が吸えない。息を吸えば、何とか精神保とうとすれば、それも「お前はずるいずるいずるい」って言われる。どこをどう飛び出ても「だめ」って。強くなって帰ってきても、乖離されるくらい怒鳴られる。でも、見えるのに、なぜいえないの?助けて欲しい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

昔10歳の頃耳に右の耳に入れられたあり。あの子の笑った顔「あんたの鼓膜破れるかもよ〜」「耳が聞こえなくなる」っていうあのうっれしそうなにたにたして私に迫ってくるあの顔。



<2316> ぺあ(FB注意) ■2008年04月08日 火曜日 15時33分49秒
続き
私、家族が表面的にはすごく仲良しに見えるみたいなんだけども、「こんなのまじめに受取っているなんて、お前友達いないだろう?」とかよく、大学時代のバイト先の上司に言われたし、もう多くの人から、「冗談通じない、まじめちゃん」って言われてきたけども。でも、私は、本当に嫌だった。嫌だって思っても良いよね?嫌だって思うたびに、家族に対して、誰かに対して、悪くて、自傷して、それを押さえ込もうとするけども。

 で、その男友達に、父が自死した後に、電話した。本当は、「お前のうっざいアドバイス全部無批判に聞いて、お前の言うことが全部正解だと思って、頑張って、自分を否定して、感情を抑圧して、きたのに、全部、お前の言った私批判は、違ったじゃないかああ。お前のせいだ。私の目を曇らせやがって、死ね!合ってたじゃないの!!!!私の感覚!”!!!感覚合っていたのに、お前の批判、「ああしろこうしろ」っていう命令のおかげで、私の感覚信じていれば、父の自死とめられたかもしれないのにいいいいいいいいい!!!」って言いたかった。お前ぶっ殺すぞ!死ねよ。父が自死したのは、全部、私を否定し続けて、「おかしいおかしい」言い続けた、お前の仕業だろうが!!!!視ね死ね死ねって言いたかった。
 許せなかった。
 あれだけ、お前じゃだめだ。お前じゃだめだばっかり言っていたくせに。違うじゃないの!!!!!
 父は双極性気分障害で自死しました。
 一週間前に見ていた私は、父の様子のおかしさ分かったのに。今までの、この家庭の中にいての、おかしいという感覚はとってもとっても、合っていたのに。私がおかしいわけじゃなかったのに。それなのに・・・・
 って言いたかった。
 でも、いえなかった。だから、違う言葉で連呼したけども、本当は、全部お前のせいだ、死ね今すぐお前死ね、償え、絶対に許さないって言う感情を込めた。
 私は、おかしい?
 でも、じゃあ。何で?何でなの?何で?
結局、私は、その子に「正解者」だと思って、「正解者、世間でうまくいっている人のお言葉」として、助言を命令だと思ってきたんだよねええ。

 で、今、その子の言葉が、どこまでも追いかけてくる。
 どこまでも。途端に、息が吸えなくなって。「お前はずるい」といういじめた女の声になって。小学校時代の、いっぱい言われ続けた日々になって。「裏切り者!!!」と私を睨むあの子の顔になって。どこまでも追い詰められ続けた、あの頃の自分と、父が自死する前のおかしいのに、どこまでもいえない日々につながって、最後に父の疲れ果てた姿に、せせら笑った自分の顔になって、結局自死した、父になって・・・・・・・

流れが止められない。
そう思った瞬間に、
パニックになって、息が吸えなくなって、お前が殺したって自分に言って、どこまでも、そこに行くしかないレールなきがして・・・・・・・・・・

息が吸えない。
お前はどこまでも、どうしてもだめで・・・・・・・・・

助けて。
でも、だあれも自分さえも「社会用の顔」を見せて・・・・父を救えなかった。

助けて・・・・・・・・・・・・・・・・

息が吸えない。。。。。

パニックになってしまう。
だから、電車にもバスにも乗れない。乗った瞬間、うそつき攻撃と、裏切り者と、実習の時の子供の「おかしな人」を見る視線と・・・・・・・・・・

結局。

結局、私にまっていたものは、

父の自死。
で、やっと、わけの分からない世界が分かったのは、くっだらないこと。
父は双極性気分障害だったんだ。
ドラマみたい。
でも、実際。
実際は、結局。
もう、父は、死んでた。それだけだ。
「助けて」という視線と、「俺の本当の姿見るな」と両方のダブルバインドの中で、私の見聞きするもの全部、せせら笑われて。

学校。いじめ。ずっと、私は自分を否定するしかなかった。訳分からないのに、進んでいく人達。訳分からないのに、進んでいかないといけない日々。でも、結局は、子供たちの話の流れで、私は「結局一番悪いのは、OOOOさん(私のこと)だよねええ」「ねええ?」「そうそう」「お前が一番ずるい!」。毎日、つねられて、耳に虫入れられたりして、でも皆大笑いして、親も姉も私のことをかわいがっているって言っていたけども、やること笑っていた。おかしいのかな?でも、笑っている中で、生きられなかった。

そうなるしかない。
そこに行くしかない。
そこって言うのは、父の崩壊だったんだろうか?この世での父の崩壊。そんな気がする。そっちへ行ってはいけないよって、どこかで思っていた。でも、そっちへ家族もろとも行ったんだ。

人は誰でも死ぬよね?でも、出口が無い。わけが分からない。なのに、進まないといけない。
人に合わせて。
なんでもなかったかのような顔をして。
そして、どっちに転がっても、思いっきり傷つけられる。
母に「父がおかしいと思うならばなんで言わないの?」って言われたけども、見たまま聞いたことのまま、言える世界でしたか?何一つ、「この家おかしくない?」とか「私の正直な思い」を表現すればするほど、「AC?なんで、こんなにふつうに育てたのに、そんなことばっかりしか考えないの???!!」「お前は私をどこまで悲しませるんだ!!!!!!」と怒鳴られる。



出口が無いの。
誰もいなくて。
お前まだだめだまだだめだって言う男友達の言葉が聞こえて、いじめられた頃のそこに行くしかないこと。実習。そして、父の自死の前兆を気がついていた、あの頃と・・・・全部、私に迫ってくる。父はどんな思いだったんだろうか?第一に発見して、何も分からずに、父を起こしに行った、母の思い、それを見た姉の思い・・・・お前には分かるか?気がついていたのに、そういう場面見ないで済んだお前は、なんて汚い子なんだ・・・・・・・・・。母と姉の気持ち、父の気持ち・・・・・想像しようとした瞬間にパニックになってしまうの。出して出してもうここから出して・・・・・・・・・・自分で選ばせて。訳分からないのに、進みたくない!!!!!!!!!!

そう思った瞬間に大爆発!!!!

息が吸えなくなって、手足がしびれて、皆乗客皆、私を「あの人精神的におかしい」って思っているそんな視線を感じて、そうしたら、私は、その人たちの世界観を否定したら駄目だから、そういう人にならないといけなくって。そしたら、父の自死の前に、「ぎゃあああああ」って叫びたい思いがあったのに、叫べなかった、あの日を思い出して。そして、あの日、もし叫んだら、もともと、「この家おかしくない?」だとか「私ずっといじめられたりして、自傷してきた」と正直に告白したり、「どうせいつまでも自立するなとか思っているんでしょう?」って駅構内で電話したりしたので、母も姉も父も私を「危険人物、精神的なおかしい人になりそう。自殺しそう」とマークしていたので、そういう「おかしな前兆が出た!!!!隔離しないと」とか思うと思うのね。事実、父の亡くなった後に、「一番心配しないといけなかったのは、父さんだったんだよ」だとか、姉に「お前の方がやばいと思っていた」って言われた。

そう家族全員に思われたら最後、当時の私は、人の世界観、見ている価値観すべてを覆せないと言うか、それを全部肯定しないといけないと心の底から思っていたのね。(それが父の双極性気分障害をどこかで感じ、父を守ろうとしていた、行動障害だったんだけどもね。それに気がついたのは父が自死してからなんだけど)だから、そしたら、もう私は家族の思いを肯定するために「おかしい人」になる。

多分、精神病院とか入れられる。そしたら、どこまでもおかしい人になるか、もしくは、もう、親を家族を殺していたと思う。

それぐらいおかしくなりそうだった。
家族へのわけの分からなさで閉じ込めていくことへの、怒り、憎しみ、憎悪は、すごかったから。


ひどい家なんだろうな。

パニック障害じゃないけれども・・・・・・・・

どこまでも、続いてしまうの。この思いの連鎖と、自死の直前をいや、ずーっと父を見ていた私の、あまりにも理不尽なすべてと、とめることのできないレールをひしひしと感じていた頃の、社会の冷たさ、「おかしいよね?」って声を挙げればあげるほど、人に離れられ、排除され、侮蔑されてきたから。
<2315> ぺあ(FB注意) ■2008年04月08日 火曜日 15時33分38秒
 感情。
今の感情。
怖い。出口が無いところに、行くと、思い出す。私は、何をやってもだめだった。大学時代の同級生の言葉・・・大学卒業した後言われた。
  「あなたは、人を上下で見ている。だから、障害者とばかり付き合うのだ」「もっと、人の話をチャンネルとして聞いて、選べば良いじゃない」「人の話しを受入れなくてもいいから、聞きなさい」「あなたは、もう少しなんだよなあ〜。もう少しだけ、どうにかしたら、私の頭の中にいる、『いいあなた』にまで届くんだよなあ」
 その子には、父を重ねていたのかもしれない。
 「ほれほれ〜どこまで来られるかな?」みたいな態度だった。
 男の子と話せないことを相談した時も、小学生相手のキャンプに行く授業の時に、「練習になるじゃん」とか言って、男の子集団の中においてきたり。大学1年の頃は、初めて、私の思いを聞いてくれそうな人がいる、今までの溜めに溜めた反動で、その子に色んな胸のうちを言った。その子も男の子だから、姉や母を「あんた男友達もいないの」とせせら笑う彼女たちに見返してやりたかった。
「で、一体何に悩んでいるわけ?」って色々言った挙句に言われたんだよな。
「あなたが1年の頃、こいつやばいと思った」とも言われた。「でも、明るくなったよ」と他の子から、私を評価しているとも聞いた。

 その子は、私にとっては、男友達だと思っていた。でも、その子は、私の聞き役をやりながら、多分、私を査定して、ああしろこうしろってアドバイスしていたんだろうな。でも、それが辛かった。査定しないで。そうなんだよね。父親が私にずっとそうしてきたんだよね。
 私の前で、よく、「あの子はいい、あの子はよく話しの聞ける子」とか違う子を褒めちぎる。
 それって、不快だった。でも、これが「世間基準のふつう」なのか?って思った私は、別の友人にそれを「実験」してみた。その子は、すごく嫌な顔をしていたな。「なんか・・・高尚な友達が沢山いてよかったねえ」とか言われたもの。
 その男友人になぜしがみついたのか?多分、大学時代、影を見せられる人はいなくて、皆「深い話しきらい」とか言って。私には、聞いてくれる人は必要で、その人に負わせたんだ。また、それだけじゃないの。その人の評価して、査定して、合格をその人が出す、この態度に、私必死になって、この子の評価をもらおうとしていた。「明るくなったよ」「前よりもましになったよ」「良くなったよ」って。
 それから、これもまた重大なこと。姉や母を見返したかった。過去の同級生を見返したかった。私にも、男友達くらいはいるって。母は、「あんたは男の子とも話せないでやんの〜」ってものすごく私をからかってきたし。姉にも、「私もてるし〜。あんたいなそ・・・友達もいないべ」とか、とにかく馬鹿にされるの。母にはからかわれる。
 これって、普通なんだろうか?
 この2人の馬鹿にされることは、私にはいつも決断の重要な要素になっているの。あの2人と、同級生を見返すために、好きでもない人と付き合ったりして、時間の無駄をしたり、恐怖の時間を過ごしたりした。
 
<2314> ぺあ(FB注意) ■2008年04月08日 火曜日 11時53分49秒
「あんたの境遇の贅沢さ分かりなさい」
「何贅沢なこと言っているの。学校にも通えない人もいるんだ」
「お金もらってきただけどもありがたいと思いなさい」

人はそれぞれ、本当に「苦しみ」も見ている世界観も、違うんだ。

昔ラジオで聞いていた、中高生向けの悩み相談室。そこで、20歳くらいの女性の子が、病気で、もう、体調がぎりぎりの時に、メッセージをテープに残していて、それをそのラジオで流されていた。
「自死するくらいならば、私に命をください」って。
悲しかった。その時は。生きているだけで、幸せと思って、頑張らないとって思った。

でも、心の病気ってどうしようもないよね?社会の偏見の中生きることもまた苦しいよね?
その子のレベルの話だったんだよね?
父が自死して、後数センチのところで、父を手放してしまった気がして。私は、父の事変だって気がついていても、せせら笑って、見ていた。
そのせせら笑う理由もよく分かっている。小さい頃から、双極性気分障害の父の言動を見ては、母にぶつかる父の姿、突然、人格が変わったかのように、柄が悪くなり、私にだけは、変に褒めて、母を、ばかにする父。ずっと、わけの分からない世界の中を、自分が汚いからだとか、自分の見ている世界こそ、私は「神経質で、汚い子」だから、こう思うのだと思い続けた日々。その中で、弱弱しい雰囲気を放っている、おどおどして、顔色いつもうかがって、卑屈で、自分の感情なんか押し殺して、感じないようにして、ついには乖離までしても、耐えた、子供たちの次から次に襲ってくるいじめ、からかい、ばかにされること。姉から、「お前はばかだ」と言われ、「自意識過剰!」とからかわれ、散々、「あんたはこうしなさいああしなさい」「教職くらい取れ」本当にいっつもいっつもこうやって、上から降ってくるように言われ続けた。あの人は、私にブランド品のバックくれたりしているし、酔いやすい私のことを気遣っていたと、「良い姉」だと心の底から思っているようだけれど。
 確かに、いっぱいしてもらったのかもしれない。でも、物質的なこと、誕生日のカードをくれること。
でも、私の回す星を、壊したよ。私が、自分で回したいのに、それを、馬鹿にし、せせら笑い、「自意識過剰」だの、「ばか」だの「だから、失敗する」だの。「お前うける」だの。私の持つ、こうでありたい思いも、こうしたい、星を回す軌跡も、全部壊したよね?気がついていましたか?

父の自死した後の、葬儀前に、「今までひどいこといっぱい言ってごめんね」って言ってきて。そして、私の過去にされたいじめの腕の傷跡をなでてきた。

 嬉しいわけないよね?
気持ち悪かった。
 何でなんだろう?
姉のこと好きだったけども。
やっぱり、辛いわ。
私、やなんだ。もう、姉から4つも上だから、世間を分かっているんだろうか?そんなにえらいのだろうか?どうして、こうも、「お前はばかだ」だの、「あれをやれこれをやれ」って言われ続けないといけなかったの?

 そして、人を何一つ否定できない私は、それにしたがって。そして、自分の心からしたいことではないから、しかも、また、共依存的な行為がそこで出てしまい、人にひどいからかわれ、ばかにされ・・・私のやっていることなんて、全部、ちぐはぐ。何もかも。
姉が運転席に座って、私の人生を運転しているようなもの。姉が喜ぶように、姉よりは、少しだけうまくいかないように・・・下の人生歩むように。

 どうして?
 卑屈で、おどおどしていて、人を壊せないというものすごい取り付かれた思いの中で、何一つ、人に意見も言えない。いや、否定もできない。それどころか、そういう思いさえ私は持てない。そんな、私は、いじめられて当然の子なんだろうか?
「いじめられるような子って、なんか卑屈だよね。いじめられてもそういう子はしょうがない」みたいなことを、昔、いじめの後遺症で、苦しんでいた高校時代に、よしもとばななとさくらももこの対談で、そういう文章を読んで、ショックを受けた。
 そういえば、ほとんど、学校時代の、いじめに対する意見のほとんどが、そういう、「いじめられてもしょうがない。弱い」っていう意見だった。

 本当なの?しょうがないの?いじめる子は?
 じゃあ、強くなった今、すべてが分かった今、私、社会的に弱そうな子なんて、すぐに分かるよ。かつての自分のようにおどおどしている子、子供、お年寄り・・・・いじめてもいいんですか?どんな手でも使っても、鬱憤晴らし、人の魂を少し壊すことくらいできるよ。いやがらせもできるよ。周りを遮断させて、その子の自信奪い取って、でも、誰にも手助けできないように、できるよ。
 してもいいんですか????

 そんなことしねええええええよ。

許せないの。いじめても、いいって言っていた、あの学校時代の周りの人。著名人に対しても。
 結局、傍観者の論理なんだろう。
「どんな人でも、人にストレスをぶつけ、いじめても良い権利なんか、ありません。日本中(私の付け加えで、世界中で)で、どれだけの人が、人からストレスをぶつけられて、立ち直れない人がいることでしょう」って、去年あたりの新聞に、学生時代にいじめられた子の意見が載っていた。

 いじめられたこと。卑屈だの、おどおどしているだの。
 そうならざるを得ないんだもの。卑屈で、おどおどしているのは、育った環境の遺産なんだもの。
 誰だって、いじめられる可能性あるのに。私は、すごく悔しい。もしも、いじめられていたり、人から侮られたりしやすいならば、自分が気持ちの良い、マッサージとか、したり、きれいにメイクしたり、自分の感情を紙に書き出したりすると、侮ってくるような「ばか」って、そういう「自分を大切にしている」「強くなっている」っていう雰囲気に敏感に感じてくるから、意外と、「人として大切」に扱ってきたり、ちょっと、おって見直してきたりするんだよね。
 かわいくなろう。きれいになろう。もっと、自分を大切にして、気持ちのいい、心地の良いマッサージとか、たっくさんして、そういういじめられている、もしくはいじめられてきた子こそ、素晴らしいものたくさん持っているんだから、そういうのを大切にして欲しいと・・・いじめられた子の意見、本を沢山読んで、私もそうだった子として、思う。
 「受苦せし者は、学びたり」っていう、言葉を、大学時代聞いたことがあるのだけども、私は、「受苦せし時は学ぶしかない」って読み替えている。本当は、子供時代も、学校時代も、いや、どの時期も、楽しく、良い時間を過ごすのが良いことで。いじめなんか、人生勉強にもならない。あんなののおかげで、耐えてしまったがために、今度は、「いじめや人間関係を意識をして、コントロールしたい」とわざわざ学校現場に飛び込んで、またはひどい人間関係に飛び込んで、しまった。コントロール感が欲しかったの。いじめの中にいたときの自分のあまりの「汚さ」が嫌で。だから、いじめが人生経験なんて、言った、「もといじめられっこの大人」の意見にも、ものすごくいやだった。
逃げても良い。隠れても良い。どこまでも追っかけてこないし。逃げて、別の場所で、楽しい時を過ごせばよかった。能力をそこで発揮すればよかった。人生の時間の無駄は、今いじめられている子にはしないで欲しいと思っている。
<2313> yu-ko ■2008年04月07日 月曜日 20時23分08秒
眠れない日が続く。
目の下にクマが住み始めた。
不安でたまらない。
どうかひとりにしないで下さい。
<2312> ぺあ(FB注意) ■2008年04月07日 月曜日 19時32分43秒
 誰かに頼りすぎるのは、良くない。一箇所に頼りすぎるのも良くない。

私・・・頑張ってきた。そう思った。
「家族のせいにしていいんです」っていう信田先生の本を読んでいて。「今までい〜っぱいそういう人は自分のせいにしているから。もういいよ、家族のせいにして。環境のせいにして」って書いてあって。

いいんだ。

そう、そうなの。私ず〜〜〜っと、自分のせいだと思って生きてきた。学校でどこにいってもいじめられるのも、からかわれるのも、扱ってもらいたいように扱ってもらえないのも、世界と自分の歯車がかみ合わないことも・・・全部、自分は「生まれつき汚い子」だから。「ずるい子」だから。って思ってきた。
現にいじめた奴には、「お前のせいだ。お前は良い家族に恵まれてずるいんだよ!」となじられてきた。
それから、他の子も「あんたがいやだって言わないから、こっちは、こういうことするんだよ!!!こっちはつけあげるんだよ!!!」「お前を見ていると、いじりたくなる。からかいたくなる。」「かわいいからかわいがってやっているだけ」「冗談だよ、ただかわいいからからかいたくなるんだよ」

皆みんなこういった。

「子供は嗅覚鋭いから・・・分かるんだ、私が生まれつき汚らしい、大人におべっか使える、こびへつらえる子だって、分かるんだ・・・」

そう、思ったんだよね。当時、父のストレスいっぱいの背中を見、母の嘆きを見、姉のイライラを見るたびに、自分は生きているだけで幸せだったし、世界を愛していて、自分も好きだったから。
家族の姿に、私のせいだと思った。私が彼女たちから幸せを吸って、吸い取って生きているんだって思った。
姉に対しての思いは、4つ年が離れているから、姉の「両親の愛情を取りやがって」という思いをどこかで感じていたのかもしれない。姉よりも「上」にいかないように、ず〜〜〜〜〜っと気をつけて生きてきた気がする。

姉よりも可愛くならないように。姉よりも馬鹿で居るように。いつまでも、姉の助言を求めて、世間はずれしているように。姉よりも「良い企業」に入らないように。姉よりも男性からもてないように。姉よりも友人が少ないように。姉よりもできないように。姉よりも、良い大学入らないように。

ずっと、どこかで、自分の能力や魅力を最大限発揮できないように、押さえ込んで生きてきた。姉のため。母のため。いつまでも、あの人たちの助けが必要で、世間でいき辛そうにしている、できない「娘、妹」であるため。

 私、いじめっ子の論理をすべて受入れ、自分の中に取り込んで、生きてきた。自分の感情も、弱さも、周りへあわせることも、全部、「きったないもの、周りをおびやかすもの」として壊して生きてきた。
自分の怒りが、誰かを壊すことが、ただただ怖かった。人といざこざ起こすことができなかった。共通概念がなかったから。多分、根本の信頼感が世界に無かったから。それは、父の双極性気分障害から出てくる、暴言や、母へのなじり、それを母が何もなかったかのようにしたことで・・・私自身、私は自分を変容させて生きてきてしまったからなの。私は、父を否定できなかった。ただただ、いつも一生懸命で、大好きな父を、否定して壊したくなかったから。自分の見方をぐにゃっと曲げたんだと思う。

子供を、ぶっさしてやりたいって思ったり、後姿の誰でもいいけど、人がいて、隙を見せたら、殺してやりたいと思った。この感情・・・・
ずっと、怯えて、そう思った瞬間に、自分を自傷させてきたけど。

でも、今日、ふっと、もっと自然に、この「むっかつく。家の草木をぼっこぼっこに壊してやりたい。子供もぶっころしてやりたい。大人も、後姿にぶっ殺してやりたい」という思いを、認めた、少しだけね。

そしたら・・・・私分かったの。「ああ、私怒っていたんだ、ずっとずっと。私は怒っていたんだ」って。
そうなんだ。怒っていたんだ。ずっと。怒りが、人を「壊してしまう」って怯えて、そんな不快感情を持つことを、いじめられても、耳に虫入れられたりするほどの身体的な虐待を子供にされても・・・私は、笑っていた、引きつった顔で。
 でも、でも、ずっとずっと、いじめる子さえも、「守ろう」としか思えなくて、人間として思えなくて、向かえなくって・・・自分を変容させてきたけども・・・・私、ずっとずっと、怒っていたんだ。
殺したい。
ほど、どれだけ壊されて、それでも、皆笑っていたことか。だれも気がつかなかったことか。
殺したいってもう思っても良いよ。良いよ。私、ものすごくずっと長い間、怒っていたんだね。勿論、とても正当な怒りだった。
いじめられて、ひどいこと普通にされているのに、皆笑っている。私がおどおどして、はいずりまわって、いるのに、みんな笑っている。
怒っていたんだ。
姉にも、母にも父にも。私、現実世界にも、怒っていたんだ。
仕返しがしたかったんだ。
関係ないのに、ひどいね。でも、子供の私は、多分、怒っていて。それで、ころしてやりたいって思ったんだね。いいよいいよ。本当にやるわけじゃないし、(当たり前だけど)
でも、怒って良いんだよ。多分、子供の私は、ずっと、気がついてほしかったのかもしれない。
 怒り。どう表現したらいいのか以前に、「持っても良い感情」なのかどうか分からなかった。いや、持ってはいけない感情として、私を規制し、私自身が、殺してきたの、自分の感情を。
<2311> 真名 ■2008年04月07日 月曜日 01時56分43秒
心が苦しい、って言ってる。
食べて吐きそうになるまで。
お母さんが骨折しちゃって、家事を手伝ってあげなくちゃいけないから、それが負担なのかもしれない。
でも、負担だなんて思ってる私が嫌で、考えないように、食べることで逃げているのか?
お母さんを見ると、かわいそうで、何もかもやってあげたくなっちゃう。
できれば代わってあげたいと思う。
でも、それができない。
私が骨を折ればよかったのに。
ほんとにそう思う。
お母さんの世話もしてあげたい、でも彼とも一緒にいたい。
だから朝から夜まで実家にいて、夜になったらこっちに帰ってくるんだ。
彼も大事だし、母も大事。
二人の大事な人を抱えて、心が切り裂かれそう。
<2310> ぺあ ■2008年04月06日 日曜日 13時09分50秒
早く、自分が支えることを手放せるといいかなあ。
それから、姉のために、わざと「ばかで姉よりか下な人」になろうとするのを手放したいなあ。
そうやって、また嘘の上塗りをしていくことは、もう反吐が出そうなほどいやなの。
うそつきってばれる〜、あの時のお前は演出かってばれる〜、だから、また自分に嘘をつく、その繰り返し。自分の感情なんてどこにもない。あるのは、相手だけ、見せる人たちだけ。
虚しい。。。。
感情をころした、人形として、舞台で、「キャロル」をしてしまうんだなきっと。でも、ドナさんと違うのは、私は、どこまでも他者に嘘をつけないで、自分を責め続けることなんだ。恋愛もできないし。
<2309> ぺあ ■2008年04月06日 日曜日 13時03分00秒
2308のもFB注意ではありません、何度も申し訳ないです。

そして・・・私って寂しがりやなんだなあって最近感じているんだ。

私寂しかったんだ・・・。

私は、場を支えることをものすごくやる。自分の感情なんか捨てる。初対面の人、転校生、初めて来た人、新人、後輩。
皆、「心がわなわな、あせあせ」しながら、何かいつも、助言しよう、少しでも何かをあげよう、知りもしないのに、その人の親のような、カウンセラーのようになってしまう。
そして、その場の中で皆の公共物の振る舞いをする。
皆が楽しんでくれればって思い、気遣いをし・・・。
喜んで、ピエロになる。
でも、いじり役とかいわれて、本当は心の底から傷ついている。やりたくもないのに、小学校時代のいじり役から、耳に虫を入れられ、際限のしらない子供たちのものすごいエスカレートしたからかわれをされてきたので。そこから、人間関係怖くて、現実怖くて、自傷して、自分の感情を飛ばしながら生きてきたというのに。

支えるために、みんなの公共物として、つまり自分の感情を持たない、皆が楽しんでくれれば良いって、思って・・・いじられ役になってしまう。

そうなったら、最後・・・もう感情は出せない。
だって、そういう役割は私であって。
感情を出せば、もう、私は、「裏切り者」だから。「さっきまでは、良い顔して、お前何嘘ついてんの。感情はお前には無いんだよ」って・・・言われてしまうから・・・・。

私、初めて気がついた。
私のいじめられるパターンと、大学時代のサークルでの、「いじられ役」として振舞い続けたことって・・・まるで同じ。ううん、家族の中にいたときのあの苦しみとも同じなんだ・・・・・。

そうなんだ。家族の中で「支えて」皆の心の鬱憤を少しでも和らげるために・・・、そして絶対に「傷つく人がでないように」するために、心を砕き続けて、自分の感情、判断を追いやって、皆の慰め者、「道化師」、「笑わせ役」、皆の好かれている反面、誰からも「嫌い」って言われない反面、公共物として、皆の期待の視線をさかんに読み取りながら、役割と演じ続けたことと、学校での人間関係は瓜二つだったんだ。
私、学校で、小学校で、中学校で、「あの子嫌い」って女友達から言われたことが一度もなかったの。
誰からも好かれていた。
その代わり、こっちは好きでもない、無神経で、人のやることなすこと、笑い者にしたり、ばかにしたり、小ばかにしたり、小突く人が、友人だった。

すきでもないのに、友人。

この矛盾の、人間関係だった。
だから、姉がうらやましかった。友達は少ないけども、本当の親友がいる。
私は、友達は多いけども、本当の窮地に陥った時、誰もいない。そして、すきでもないのに、あっちが、「今度遊ぼう」「今日遊ぼう」誘ってばっかりくる。すきでもないのに、しつこく友人として付きまとってきた。それに懲りて、高校からは、いっさい付きまとわない、人としか付き合わなかった。1人の友人以外は誰もいなかった。
逆に今度は寂しかった。
でも、うっざいこっちは嫌いなのに、あっちが勝手に好きになってくる女友人を追っ払えてせいせいしたけど。
つまり、好きでもない友人が、小学校いやその前から中学校まではうようよいて、こっちが用事あるのに、2時間も話し相手にさせてきたり、年賀状の書くのを手伝わせたり、カウンセラーやらせたりしてきたんだ。


私、嘘をついているという感覚がすごいあった。
でも、言えなかった、自分の思いは。

いじめもまたそう。あっちは私が好きだったそうだ。「こんなに思っているのに」と言われたもの。でも、やられることは、その子の鬱憤ばらしと、リーダになられて、皆のおちょくられ役。そうだったんだ。
そうだったんだ。
で、高校時代、誰も寄せ付けなくて、逆に寂しかったから。大学の頃も始めは、とっつきにくい、お嬢様って見られて輪に入れなくて、それで、また親密な関係をしようとして、場を支えた、自分の心を捨てた。
そしたら、また攻撃の矢と、「皆の公共物」になった。彼氏もできないのね。だって、好きと言う感情も持ってはいけないから。公共物は、皆の期待だけに応えていれば良い。それは自分にならなくてはいけない。本当は違う感情も判断力も、いやだっていう思いも持っているのに、それは、出したら、うそつきって、今までの演出自分がばれて、殺されると思ってきた。
多分、親に対しても姉に対しても、すべての人間関係に対しても。
自分の感情にカバーをかけてしまうのは、人がその人でOKだと思えない。皆助けをまっている、その先には、その人にとって良くないことがまっている、失敗人生、がけ寸前にいる人生だと思って、心配してしまうから。決定的なことを言ったら、誰かの心を殺してしまうと私は思っているから。


でも、それが、2年前に父が双極性気分障害で自死して、はじめて、すべてが分かったんだ。彼は本当の自分を見れなかった。格好良い自分しか娘に見せれなかった。姉の結婚式の一週間前に自死をした。
多分、ずっと私は読み取って、感じて、それを父の、今のままで行くと、どうなるかをどこかで感じて、それを私は取り込んで、全人間に対しての色眼鏡として今度は、自分を変容させ、無理をさせて、生きてきたんだ。。
でも、結局こんなもんだったんだ・・・・どんなに汚い自己が見えるのか?どんなに家族の嘘があるのか?とどこかで思ってきたけど。
結局、父の病気が分かっただけだった。父の自死という事実と供に。今までの人生、私必死で自分を守って、でも、人を助けたくて生きてきた。
純粋もほどほどにしろよな!!!あのくっそじじいめ!!!!あんたのおかげで、こっちがどれだけ悲しい思いをしたかわかってんのかあああああ!!!!
あんたがどれほど、学歴、企業という期待を親から受けて、それを素直に受けて
苦しんだかしらねええええが、それはてめええええええの勝手なんだよ!!!!

人間なんかだいっきらい!!!!!
弱くておどおどしている私に、学校と言う場でどれだけ、心を殺されてきたか!それで、精神病になっても、だれもが「はあ?」っていうだろうが。人間扱いされなかったのよ!!!カウンセリング代ほしいよ。てゆうか、教師も、能無しばっかりだなあああああああ!何よりも、どこまでも「ふつう」を求め続けた、ばか姉と母と父もよおお。しかも、姉はどこまでも自分よりも下でいてほしいと、私に押し付けたくせに。


人間も学校も、子供も、みんな弱い人を見抜く力も抜群だし、それをいじるのも抜群だな!!!!!!
そういう力、すべて世界平和につかえ!!!!!ばっかじゃねえええええええの。どこまでも、私にもたれあまえかかってきやがってええええええええええええ。大人ならば、子供もそうだ、人間ならば、自分で自分の問題なんとかするか、プロにたのめえええええええええええ、お金払って!!!!!!!!!ひどい親。私に、「助けて」という絡みつく視線と、「俺の姿を見たら許さない」というダブルバインドと、見たまま、聞いたまま、感じたままのことを言えば家族で「はあああ?」「ばかじゃないの」という連呼。

誰か、に言って欲しいよおお。
あなたは、悪くないよって。自死のこともそう。気がついても、気がついたからこそ、どうにかしないとと思わされて、いらない罪悪感を背負わされて、自分の思いを何よりも殺させられて生きてきた。
父の双極性気分障害なんてしらねえええええええよ。てゆうか、お前がいやだったんだろうが。誰かのそういう病気や、不幸な生い立ちなんて、もうしらねえええええええええええよ。二度と、もたれかかる奴、くるんじゃねえええええええええええええ。
<2308> ぺあ(FB注意) ■2008年04月06日 日曜日 12時26分30秒
No2307はFB注意ではないです、すみません。
<2307> ぺあ(FB注意) ■2008年04月06日 日曜日 12時25分51秒
自死遺族って、ことを標榜している気がする、わたし。

それから、昨日気がついたこと。

私は、すごく「新しく来て、戸惑っている人」「まだ何も分かっていない苦しみの中に居る人」が好きなんだ。

アドバイスできる!!助言してあげられる!!!そして世の中よくしていける!!!!

そう思うと、そう、あの特有の、心の「あせっあせっ」感が出てくるのだ。わなわなしてきて、焦ってきて、でも、嬉しくて、自分を必要としてくれる人と出会える、しかも、自分の力で「良い方向」へ変えていける、私をありがたがってくれる人がいる!!!!!!
しかも、私の実現したい世界平和さえも、実現できる一歩かも!!!!!
私って政治家!
みたいなぶっ飛んだ方向にまで行ってしまうのだ。

それで、昨日、私思ったの。
新人の人に、「困っているのね。アドバイスしてあげないと」ものすごい強迫的になった。私の「普通の人ではできない体験から得た素晴らしいものを見せられる」なんて思った。

それから、用事があったのに、みんなから抜けられなかった。思い出したの。私子供時代いっつもそうだった。用事がある。親から頼まれた買い物がある。ピアノがある。スイミングがある。

なのに、友人の輪から出られない。
友達をいつまででも待っている。
このときの、あせあせした手に汗を握るじりじりとした思い。
なのに、友人の前では、何事も無かったかのような顔で、済ましてしまう。
そして、そんな私を「異常な子」と思われただろうかどうかで、また嘘を上塗りし続ける。親に対してもやっていた。

どうか、私のような本当は「汚い女」を見つけないでください。

あなたが見ている私は、演技したずるい人間です。
どうか見つけないで。
きっと異常な子と思われるに違いない。

ずっとずっとずっと怯え続けてきた。


「ふつう」のふり。
嘘の上塗り。
罪悪感・・・・。
そして、自分を本当は汚い人間だと心の底から疑わなかったこと。


昨日、出られなかった。時間過ぎても約束の時間に間に合わなくても、出られない。一つは、楽しかったから。でももう1つは、私の存在意義はきっと、皆変わらずに、新人の人も楽しんで、皆変わらずに談笑しているのを分かると、自分なんか、いてもいなくても本当はどっちでもいいって、いう事実を突きつけられるのは怖かったんだ。
本当は、必要とされていない「汚い」人間。むしろ居ないほうがすっきりするだろうということがばれてしまう、恐怖。

それから、後は、私がいなくなった後で、場がしらけたらどうしようという思い。私がその場を支えているという感覚を持っているのね。
これは家族から来るものでもあるんだけど。
その場で、この談笑が本当は、つまらない、くだらないということを、私が少しでも、動くことで、ばれてしまったらどうしよう?私の動き一つで、「もう行くね」の一言で、本当の虚しさにきずかせてしまったり、するかも、場がしらけるかもしれないと思っているんだ。

そうなの。私、どこの場所に行ってもそうなんだけども、自分の感覚忘れて、その場を支えているつもりなの。そして、学校時代、家でも、そうだった。私の動き一つで、相手が、本当は日常の虚しいことにきずいてしまう、私の動き一つでそれを濁させることができると心のそこから思っていた。

 これは、どういうことなんだろう・・・・?

いっぱい、人間関係私は、不自然なことたっくさんあるんだ。

二重関係作ってしまうこと。
心の中の感情と、「ふつう」の人が思うであろうことを、自分の頭に強いて、あたかもそれが私であるかのように振舞ってしまうこと。
それから、自傷。相手に優越感を持っていただくために、私が、出来ない人にわざとなること。特に、姉と母にはやってしまう。


私ね、人って、皆「かわいそうで、傷つきたくない人ばかりで、自分より不幸で、できない、優越感を持てる子」が必要な人ばかりだと思ってきた。

姉に対して、友人に対して、母に対して、やってきた。できるのに、出来ないフリ。不幸な人になること。「嬉しいでしょう?だって、優越感やっともてたものね」そう友人に言ってきた。有形無形。

一緒に生きる。

それができなかった。家族とは。優越感を持っていただきたいと思いながら、家族を支えているつもりだった。それが愛情だと心の底から思っていた。

一緒にいきたい。
一緒に生きたい。誰かと一緒に生きて生きたい。それは、多分、家族以外の場所で見つけるんだ。今度は。家族とは自分で距離を測りながら付き合っていくつもりなんだ。もう、いいやっておもっている。

父が自死してやっと分かったことだらけ。父の「子供」のままでいつまでもいようとした。父が自分を必要としてくれる場所をものすごい求めていて、私はいつまでたっても、世の中で上手くやっていけない、誰かの助言、助けを必要としている「子供」でいなければならなかった。
姉、母。この二人に対しては、特に姉は、そうなんだ。

出来ない人となって、わざとなって、姉には上で居てほしい。姉が望むから。



ねえ、私、もう、支えなくてもいいだろうか?パーティーで、皆の一挙一動、孤立している人、人生のむなしさに気づかないように、この会に来なければよかったなんて、思っている人がいないように、自分の楽しみ、目の前の人とコミュニケーションを取ることなんか、上の空でやっていて、周りに常に目配りしていなくても、もういいだろうか?
神様、私は、本当にやりたいことをやってもいいですか?彼氏が欲しいと思う。多分、一緒に生きて生きたい人、彼氏という枠組みじゃなくてもいい。そばにいて、一緒にいて、妥協したり、喧嘩したりして、自分たちで新しくユニットを組んで生きる。友人が欲しい。もっと色んな人と知り合いたい。旅人が好き。自由と孤独と、忍耐とバランスの取れた人と仲良くなりたい。自由であり、逆に自由ではないこと、のバランスをうまくとって生きたい。友人同士で、手料理の食事会をしたい。もっと、自給自足したい。オーケストラに入りたい、音楽の一部を担当して、音楽を誰かと作りたい。私やりたいの。
<2306> yu-ko ■2008年04月05日 土曜日 01時30分25秒
見捨てられる日まで、わずか。
確かな残りが解らないのが恐い。
長くても今月いっぱい。

見捨てられたアタシは、如何なるのかな。
<2305> ぺあ(FB注意) ■2008年04月04日 金曜日 18時27分38秒
祖母が鬱っぽくなってきた。

で・・・うちの祖母と父と叔父は、双極性気分障害を持っているけど。

大好きな父は、それを認めずに、定年退職後に躁になって、で、結局、いなくなってしまったわけだ。

そんなこと、言えない。誰にも。吐けるところで吐かせてもらうけども。これが事実なんだ。
でも、私は痛くも何ともないんだ。お父さんが一番苦しんでいたんだ。そう思うと、私は、やっぱり「ずるくて汚い子」なのかな?と思ってしまう。

でも、こうやっていられるのも、父のお金をもらっているからなんだよねえ。

だからこそ、私は、やっぱり、苦しんでいる人を、また助けなければいけないのだろうか?
でも、そうやって、常に「救世主」みたいなことやっている私って何なんだろう?
祖母へ母の注意が向くことはある意味楽なんだ。私には言わないから。
もう、私は、この家を出る時が来たんだろうか?出るときが来たのかもしれない。もう、前に彼氏が言ってくれたみたいに、「やりたいことやれば」っていう言葉通りなのかもしれない。やりたいことやればいいじゃん。あなたの人生でしょう?って・・・昨日ふと、私はやりたいことやってもいいのかもしれないって思った。感覚として感じた。

そうか、もう、誰にも遠慮しなくてもいいのかもしれない。好きな人に、好きって言ってもいいのかもしれない。誰かと付き合ってもいいのかもしれない。かわいくいてもいいのかもしれない。他の子の嫉妬かうよねえ?と思うと身がすくんだけど。

そうなんだ。以前、ずっと、私が気にしていたのは、姉でもあったの。姉は、私よりも上でいたかったみたいで、彼女は、言ったもの。私が、ずっと、姉に対して遠慮してきたって、素直になろうとして言った言葉に対して、「じゃあ、それならば、私よりも上のレベルの大学行かないでよ」って。

愕然とした。そうなんだ。彼女はこう思っていたからこそ、私は彼女の優越感を壊さないために、出来ないフリして生きてきた。恐ろしい人生だ。それは。出来るのに、「今まで嘘ついていたことがばれる」って思い、姉の前では、ううん違う、すべての現実の前で、出来ない子のフリ。姉を喜ばせるため。いじめた奴らが、私が弱まって、おどおどして、きったなくはいつくばって、皆の笑われ役やっているときに、大喜びしていたのと基本的に同じで、いじめっ子もまた私が傷つくと大喜びしていたから、私は、いじめっ子(10年前以上の記憶の中の)に対しても、ごめんなさい、嘘ついてと思いながら、やっぱり、遠慮し、自分の能力を殺しながら生きた。

姉の言葉・・・「でも、まあ私よりも学部的には、下だけどな。だって、私の学部の方が、あんたのところよりも上だから」って言った。

いくら、私が、手あれで困っていて、クリームを買ってきてくれても、メールで優しい言葉くれても、母の愚痴を聞いてくれても、基本的に、私の人生に、なぜかものすごい口出ししてくる。子供時代は、ひどいこといっぱいされたけど。(私もひどいことは少しはしたかもしれないけど)

で、姉の助言をもう、まるで「神の教え」のようにして、「世間で受入れられている姉の言うことは正解なのだ」という思いを持って、聞くのはやめよう。

もう、姉からも母からも、離れる時が来たのかもしれない。本当は、怖い。でも、私が一番家族に依存していたのかもしれない。人を傷つけるのは怖い。でも、その恐怖心のありかは分かっている。父の双極性気分障害からくるものだったんだ。

姉と母と距離を置く。そして、自分が居心地が良いと思える場所を作って、そこで生きる。切磋琢磨して、自分の能力を磨く。これが、きっと、もう少し元気になった時の私の生活になるだろうと思っている。

距離を置こうね。母と姉とは。それから、「いき辛そうにしている」人にしがみつかれやすいので、喜んでしがみつかれて、相手ももたれかかってきて、私ももたれていて、そして、その人はいつしか、良い方向に成長し、自分の人生見つけて、どこかに行ってしまうパターンが多かった。私は、「こんなにお前のレベルに私を落としてやって、付き合ってやったのに、見捨てやがって、許さない!」という思いしかなかったんだ。

そういう人が近づいてきたら・・・・そのときはその時で考えよう。
<2304> ラビット ■2008年04月04日 金曜日 00時00分49秒
今僕は自分の感情をどう扱っていいんやろ。自分感情の問題を抱えていてそれを意識し、父親達の嫌な行動にたいしなんとか争い以外の行動をしようとしている。例えば言い返す方法考えたり、ユーモアで対抗してやろうと思ったり。でも混乱するときもあって自分の意識とばして感情をただなくしているだけじゃないか?ピエロになってるだけ?俺の怒りは全部おかしいの?とかね。怖い、淋しい、むかつく、嫌だ、やりたくない、やめろ、やめて、こういう単純な気持ちの表し片や出す方法を覚えていきたい。
<2303> けんと 改め まさ ■2008年04月03日 木曜日 05時16分56秒
ここがあると助かる。自分の感情を表現しても怒られないからね。

いろんな感情あって、大きいのは自分に対する憎しみだろな。

泣きたい気持があって、なかなか泣けないんだ。

満たしたい、満たされたい気持。未来永劫続くような孤独感、疎外感。

この国に生まれた意味。自分の家族に生まれた意味。

大きなことを言えば、この星に生まれた意味を知りたいと思う。

小さな頃から、この地球のことを心配する少年だった、俺。

世間の問題が嫌いなんだよな。怒りを覚えるし、泣きたくなるし・・・

今は自分のこと。忍耐していろんな壁を乗り越えて、俺は大きくなる。

経済観念が元に戻り、感情的な安定感が増した。これが出来ないと安定感は崩れる。

ここの趣旨とはそれていると思う。しかし、泣きながら自分の感情を更生したんだ。犯罪者が更生するのと似ている。

今なら書けるが、自分は犯罪者予備軍だった。宗教時代に抑え込まれた犯罪意識が何回も俺にもたげ、盗むように命令したんだ。俺は首になりたくなかったから(新聞配達の時)、意識的にこの感情をコントロールして、やり過ごした。

良心は焼き金だとある本はいう。悪いことを許し続けると、それが普通の感覚と言う焼き金になる。これが出来ると慢性的に犯罪を犯す。俺はこの焼き金が出来る直前に意識的に止めたんだ。ものすごい大変なことだ。本来の自分と180度逆なことをやるのだから・・・・

泣きながら、お金が無い時でも行った、新聞配達。かなりの葛藤があった。

これに加えて、人材派遣と、自分のPCの先生としての仕事もあった。

すごく大変だった。

心の持ち方って、限界まで働かないとわからないな。俺は男で仕事好き。

俺は限界まで試して、仕事依存症を感じてみた。今はそうだったんだと思う。

自分のためにしゃかりきに働いた、去年。俺はよくやった。

思い出すと自己評価が上がる。よく生きた。よくやった。

ただ、連続7ヵ月半が限界だった。過負荷の体になると、体が蝕む。

風邪を引きやすくなる。ぼろぼろになった。

抑圧された感情は、自分に対するいらつきと、寂しさと悲しみだった。

仕事とは、自分と向き合ういい機会だ。でも、やり過ぎはよくない。タバコと同じ・・・・・

長文になりました。ありがとう。
<2302> なずな ■2008年03月29日 土曜日 02時43分27秒
変りたいのにもうこのままでは居られないのに、変化を極端に恐れる自分が居る。
でも大丈夫。変えてしまえば何でもなかったことって何回かあったよ。
もうちょっと気持ちを楽に生きていけたらいいね。
こんなにいつも緊迫してるとうまくいくものさえいかないよ。
大丈夫、大丈夫。手放してもきっとパニックにはならないよ。
何かを出したら新しいものが入ってくるよ。
<2301> 真名 ■2008年03月28日 金曜日 00時49分36秒
良識のない人にはカチンとくる。
私の怒りは言葉にならないほど。
こういうのってだれにでもあるのかな。
良識のない人も嫌だけど、そういう人を許してしまう人も嫌だな。

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This script written by Shintaro Wakayama.