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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.115
メッセージ数:2300件

<2300> ぺあ(FB注意) ■2008年03月27日 木曜日 19時17分11秒
家族が亡くなったら、それを糧にして元気に生きて・・・そんな美談ばかり。
止められる命だああ?
ふざけんじゃねえええよ。とめられねええよ。私だって子供だったんだよ?その中で生きてきた私にどうできるの?あの父の双極性気分障害を絶対に認めないと言うあのものすごい怒りは、普通のふりをしてこの家族がいかにも普通な家庭な枠の中にいるわりには、ものすごい異常なものを感じていた、私。家族で休みごとに旅行があって、それは贅沢だったのでしょうか?でも、その中の悲しみもあって。
 私、やっぱりどうしても許せないのは、私の姉といじめた奴ら。自分のストレスを「お前は嫌だって言わないからやるんだよ!」と迫ってきたあいつら。


 実習の子のせいでも、担当教師のせいでもないよ。だれのせいでもないよ。でも結局父の自死のことの衝撃は、とめられるくらいの位置や雰囲気をものすごい感じていた私には、それ以前に私の周りにあった出来事が、私の魂を破壊したり、批判したりするようなものばかりに思えて、私は私の光や感じを信じられたのに、最後までできなかった。結局、父を離し、父は自死した。彼の最後どんな風に単身赴任先から帰ってきたんだろう?新幹線の中で・・・そう思うと、私もまた発狂しそうになるの。姉や母が見た光景を想像するだけで、動悸もとまらなくなるの。怖くなるの。そこに至るまでのいろんなこと、私もまたものすごい学校と言う場で大人になってさえも傷つけられてしまったあの日、怒声と乖離と、全校生徒の冷たい視線・・・突き刺さるような「この人異常」という視線。それをだあれも解消してくれなかった、むしろ、父は自分の問題見ないですむから、喜んで、「あいつ就職活動うまくいかないからおかしくなった」って、姉も、母も。
 自死した後、姉にも母にも「あんたのほうがやばいと思っていた」と言われたもの。

 結局・・・・・・・・・
 今更、姉が父の精神的な病気の本とか読んで「すごいことになってたんだねえ」とか言ったりするのも、

 許せない。

 
<2299> ぺあ(FB注意) ■2008年03月27日 木曜日 18時54分36秒
 明日、友人に会う。
本当は私会いたくない気がする。友人という存在はもう要らない。気がする。
 こんな私は寂しいのかな?
 でも、結局、だあれもだあれも父の自死をとめられなかったじゃないかあああああああああというものすごい怒りはとめられない。どこも。だれも。私の感覚は、確かに合っていたのに、だあれもそれを肯定なんかしてくれなかった!!!!

 でも、勿論、娘に格好つけたい父もまたそうなんだけども。

 実習の子たちのせいじゃない。分かってるよ。助けてあげるなんて顔を私実習時にしたけども、それは、父が双極性気分障害だったこと、それを知らなかったことによる、でも、父のお前なら分かってくれるという私を見る甘えた期待の視線と、俺の姿を見るな!!!!というすごい怒りの中で、必死で私は、ストレスのすごいように思えた父をなだめ、周囲に不幸な人をひきつけては、その人を「私だけが分かってあげる」みたいな顔をして生きてきたことによる、ものからだったの。
 実習もそうだった。かわいそう。疲れているのね。休ませてあげる。こんな思いで、わざと色んなことをした。
 でも結局、担当の教師に、乖離するぐらいのひどい怒声を最終日に浴びせかけられた。そういえば、大学時代のバイト先のあの豚上司にも「大人になってこれだけ怒られるなんて、そうそう体験しないことで、痛い目にあって、勉強になっただろう?」だなんて、言われた。
 み〜んな、そうだったな。
 大学時代必死で、今までの死んだ時間を取り返すようにして、過去に私に「明るくなれ」「自信もて」「意見はっきり言え」だの学校で注文された人間像を自己イメージに取り込み、姉の何でも言いたいことをその場で言う女、気の強い(格好良い)女像を取り込み、そういう人間を演じた。そしたら、少しはいじめられた惨めな何にもいえない、自分の思いをどうしても顔にも声にも出せないきったない私が、一瞬でも誰からか認められ、きれいな女の子になれる気がしたんだ。
  お願い、もうあと1ミリでも、あんたはこうしなさいだの、あなたはこういうところあるからだめだの言わないで!!!!!!!!!

 必死だったの。
 どうしても父を理解したかったの。

 結局父が自死した後、父の双極性気分障害とうちの父方の家族に多い病気だったって分かったのは。
  必死だったの。

 いじめられて、過呼吸にもなって、ぼろぼろだったのに、父と母のために、世間体のために「順調に育っている子」を演じ続けた、子供時代。
 本当の自分を乖離させて、時々息つぎをさせて、あの学校という場所をやり過ごした、私の子供時代。
 子供が怖い。正直で、へいきで、ひどいことを言う子供。気分次第で、人の心を突き落とす、周りの熱っ気あのどんどんエスカレートするあの、からかいの嵐が、嫌でも心に突き刺さって離れないの。
 でも、リストカットしたかったけども、できなかった、私がしたのは、自分いじめをだあれも見てないところでやり続けることだった。
 そういう人生だった。
 いつも、二重で生きていた。こんな人生は、いつか破滅するとも思っていた。12歳の頃、ずうっと思って、ほんとうに自分の人生はどこで間違ったんだろうって思った。
 でも24で父が自死してようやく、分かったの。すべてのことが。
 そうしたら、今までの理不尽な姉の私をどこまでも笑い者にし、どこまでも「ああしろこうしろ」と私の人生に指図をし、学校でのあの子達のストレスの刷毛口になり続けた、人の感情のゴミ箱役だった私の、されてきたことが、許せなかった。
 ずっとずっと、ただただ、「順調人生」を親と教師と周囲に「見せる」ための仮面、そして心にも強要し続けて生きた日々だった。
 生きることの出来ない日々だった。
 ずうっと、ものすごい怒りを自分にぶつけながら生きてきた。

 でも、大学時代もまた、そんな自分を責めて責めて、生きて。こういう私にまた多くの人が、たとえ過去に教師に言われた「正解」性格をまとっているのに、いじめられた。
<2298> ayako ■2008年03月26日 水曜日 21時07分06秒
今日の病院での事。摂食の子が取り乱して「やだ」と言いながら廊下を泣いて走って行った。あんなに細いのにスピードがあった。看護師にナースステーションらしき所に連れて行かれてた。暴れたらしい。ビックリした。「やだ」という単語に私は反応した。私も嫌だから。実の所今の自分も生活も満足してない。良い側面もあるのは知っているけど。 春の匂い心地よく我心弾みけり 何かが足りない 何かが足りない 何かが足りない 何が足りない? と寺山修司風に書いてみました。 もっと今の生活や季節なんかも楽しみればいいのにな
<2297> ぺあ(FB注意) ■2008年03月25日 火曜日 16時08分56秒
地元にいるのが辛くてたまらない。
実習先のもう高校生にも大学生にもなった子に会うのが辛くてたまらない。元
知り合いに会うのも辛くてたまらない。
 実習先の教師のしたこと。
 私があの人たちを実験台にしたこと。
 ずっと悔いている。
 でも、じゃあ、私がされてきたことって何なんだろう????

 10歳の時に学校で女子からのいじめ。共依存からエスカレートしたものだったけども、耳に虫は入れられ、「お前に私の苦しみ分かるか?」と、毎日つめとつめでつねられた。皮がべろんべろんになった。毎日、心にとげを刺されながらも、私は自分の現実をよく把握できなかったから、「こんなの誰にでもあることだ、他の子はおおらかで私が神経質だから、ここまで悩むんだ、こんなに傷つくのだ」そう思い続けた日々。
 大人からは、「もっと自信持ちなさい」「普通の子のように子供らしくなれ」「明るくなれ」「Oちゃんおとなしいからしんぱあい」の連呼だった。
 他者になれとずっと言われ続けたようなものだ。教師から親から姉から、級友から。
 でも、双極性気分障害を持ち、それを弱い人間のかかるものだと思い込んで、認めない、プライド高い、地位だけを求める格好付けた父親と、何にも見ようともしない母、そのくせ突如泣き喚く意味不明な行動をして、「分かってよ」って迫ってくる母、「お前は何にも出来ない」とせせら笑い、私に物だけ与えてブランドバックだの、お土産だのあたえるくせに、ひどい言葉をかけたり、私の行動一部始終をおかしいだの、これではだめだの批判し、ああしろこうしろと言ってくる姉。
 この中で、要らない物を与えて、「これが愛情」と押し付けてくる家族の中で、家族行事をこなすだけで精一杯で、本当の心はもう度重なるいじめや暴力でぼろぼろになっているのに、どこまでも「順調に育っている普通の子供」を演じ続ける私で。
 どこをどう見て、この中で育って、学校の教師や子供が私に強要した(そしてまた親も)「自信まんまん」に「明るく」「おとなしくなく」「はっきりと意見のいえる」子になれるのでしょうか?
 ずうっと、このからくりに気が付かずに、私は、そのご批判をもっともなこと、この世間での「正解型」と思いこんで、息を吹き返した大学時代に、その通り、「自信満々」で「明るく」「意見のはっきり言える」子を演じました。
 「いじり役」にさせられたけど。結局、バイト先でも「もっと自分見せろよ」といわれました。「それが演技だったらすごいけどな」とも言われた。そうあんた(上司)の予想通り演技です。演技だったんだよ!!!!私はすごいんだよ!!!!!!このくそでぶが!てめえのくそ料理なんか、お前のでぶった肉でも使え!この豚やろう、げす!
 私のされてきたことってなんだったのだろう?いじめた子はもとより、それは良いとして、じゃあ、家族、歳の離れた姉、大人たち・・・結局私の理解者は誰もいなかったんだ。どこを見ても。だあれもいませんでした。そして、少し前に父がいなくなって、やっとはじめて、父の病気が分かったんだ。うそつき家族、私が嘘を家族についてきたんじゃない!この家族、良いところしか娘に見せない、それが男だと勘違いしているこの馬鹿オヤジがいたから、私も見せられなかったんだ、弱み、いじめられていることを。私にとって、今までの行動、人を救おうと、自分を傷つけること、全部全部人の助言をすべて「正解」として聞いて実行しないと、その人を否定してしまうだとか、全部全部、私にとってはこの環境下でごく自然な態度だったの。
 でも、それを子供時代良いように扱われ、自信がなくておどおどしていることに目をつけられて、人のストレスの刷毛口、感情の掃き溜め口として扱われ、傷つき、今度はそれを自分でそういう状況を作って、「今度こそ、あの時逃げられなかったから、逃げて、意識的にコントロールしてやる」と思わされた。そして、大学時代、姉のうっざい助言も後押し、すべてが、鍵穴にはまるようにして、動いてしまった、私を傷つける方向へと。教育実習での担当教官の怒り、怒声で、意識が乖離してしまったこと、常に「逃げるな」という母と父の教え。姉のお前馬鹿だから、こうしろああしろという、助言。
 見ているものが合っていたんだ、感覚合っていたんだって分かったのは、父が自死してからよ?父が自死して、父の気分障害を聞いてはじめて。
 今までの、自分を責め、自分が世間と違う、何か違う存在なんだと、自分を汚い人間のように思い続けた日々。人の良いようにされ続けた日々。実験しては、人にまた怒声浴びせられた日々。大学時代もまた、実験と、演技の中で、いろんな人に「お前は赤ちゃんだ。おかしいんじゃねえの」と言われた日々。思い出したよ。いじめられた時の毎日つねられた時のあの痛み引きつったきったない自分のお愛想笑い。卑屈な笑いを浮かべた子供の私。皆私めがけていじめのゴーサイン。姉のせせら笑い。母と姉で一緒になってからかう声。
 ずっとずっと、父が自死してからも、子供時代の見ていた現実が合っていたんだって分かってから、ずっと、子供時代のいじめと、無理な要求と、私の性格を改善しろといい続ける大人の無理な要求の声が、許せないの。ずっと。許せないの。実習の子たちのせいでもないし、担当教官のせいでもない、父が自死したのは。結局、うちの父は双極性気分障害を認めずに、ここまで仕事依存で生きてきたから、それが原因。でも、許せないの。過去のことが。許せずに、私は生きている。未だにNが入れた耳の虫のことを思い出すだけで、怒りがマグマになる。いっつも人前でにこにこしているのに、家族にも良い娘演じているのに、一人になれば怒り爆発して、鉛筆を5本ぐらい机に叩きつけて割って、部屋にぶちまけている。
<2296> アラタ ■2008年03月23日 日曜日 21時31分42秒
かんがえすぎ?
いいわけ?

間違うのはふつうらしいことは解るのにさ。

間違いたくなくて。
間違うのはアホだって思ってて。
アホと付き合ってるやつバーカって思ってて。
デキ婚ヤリマン全員ばぁぁぁぁぁかって思ってて。
親世代の考えに傾倒していて。
私だけは、穢れないで、きれいでいたい!!!って強く思ってて。
そして間違いたくないって思ってて。
そして、間違いなく見つけた人に「ふられる」というイベントを
味わいたくなくて。なぜ寄りによって一番聞きたくないせりふを
大事な人から浴びないといけないのって思ってて。

意地なのかな。
気にしすぎなのかな。

だってさぁ。

馬鹿と付き合って馬鹿な真似しても「あいつバーカ」って認識だし

ダレとも付き合わないで真っ白なままでいても「あいつバーカ」って感じだし

だますほうもだまされるほうもバーカって言われるし

考えすぎて慎重になったってバーカ、だし。

だれが私のありのままを認めてくれるの?

カウンセラー?私が若い間だけかわいがってくれるおじさま?

きっとACとは関係なくてだれもが悩んでることなのかもしれないけどさ

教育係りの時と同様に

今までの鬱憤を、怒りを、不安を、ぜんぶぜんぶ相手にぶつけてしまいそう。

なんなの。もうほっといてって感じだし


悩むことで時間を先延ばしにして。



失敗したら失敗したら失敗したら失敗したら
後ろ指さされる後ろ指さされる後ろ指指される

好きじゃなくても好きだと思い込まなきゃ

無理だろう…。


だから、「しない」。恋愛しない。だからデキ婚とか
"盛りのついた猫"みたいなことや"はしたない事"はしないよ。

えらい?えらいよね?えらくないの?気持ちに従って「間違っても」いいの?

じゃあ私教育係りと不倫していいの?
友達の彼氏誘惑していいの?
親族と関係持っていいの?
中絶していいの?

ねー?

どっちよ?


だれかさ、経験者。


悪いのは私です!!間違っていきてましたごめんなさい!!!1

って言ってよ。


うそとか逃げばっか世の中に広めないでさぁ!!!!!!!
<2295> reiha ■2008年03月23日 日曜日 18時02分06秒
ずーっっと他人の文句ばっか言って、
自信満々で、
「他人に迷惑をかけることはよくないことだ。」
「〜するとか、信じらねぇ。」
そんな話ばっかしてる。
。。。。。。。。。
あたしにはよくわからない。
正義とか正解とか、
不正解とか迷惑とか、、
人それぞれ思うところがあって、
全然違うのに、
どうしてそうも自信満々に、
人をけなすことができるのか。。
私にはわからない。
一瞬イラっとしても、
すぐに自分が悪かったかもしかしれないとか、
相手には何か事情があったんだろうとか、
考えて、
一瞬でもイラっとした自分が嫌になる。

感情は感情ですか?
こんなこと考えてるとか、
頭おかしいですか?

仕方ない。
仕方ない。
って、
そうじゃないことってあるのか。
よくわかんね。
<2294> ぺあ(FB注意) ■2008年03月21日 金曜日 16時14分39秒
 母は、父が自死した後、私が泣いていた、車の中で。そのことを自分の実家の母親に言いつけた。「Oちゃん、泣いたりしてんのよ〜」笑いながら。
 耳を疑った。
 その後、それを母に言ったの、一ヵ月後くらいかな?そしたら、「あなたがこんなに面倒くさい子だと思わなかった!!!!!」と怒鳴りつけられた。そして、「それならその時言えばいいでしょ!!!!!」と言葉を叩きつけられた。「その時言ってよ」「その時言ってよ」って。
 言えなかったの、どれだけ傷ついたことか。
 自死した後に、母が見つけて、母と姉が全部病院に連れて行って、全部したの。だから、私は、母のすべての悲しみを慰める役をするしかなくて。もう、私が死んでもいいから、母のことを無償で受け止めようとその時思った。
 でも、結局母は、自分が元気になれば、「はあ?そんなことあったっけ?お前早く嫁にいけ。稼ぎ頭にお父さんの代わりになれ。他の子はもう5年も働いていてそれが当たり前なのに、お前は何でひきこもりしているんだ。おかしい。甘やかしすぎた。育て方間違った」って言われる。
 いっつも、母の都合で振り回され・・・結局。
 私正直に書くと、父が自死して、私がやっとアダルトチルドレンだって正式に証明されたようで、どこか嬉しかった。どこをどう見ても私は自死遺族であり、ACです。誰も父の自死さえ出せば文句言えないもんねって思っていた。
 嬉しかったどこか。そう思う。実習先の子供たち、担当教官の奴らにお返ししてやった気分だった。こんなに不幸な目にあったのよ、もう許すよな?私のやったこと。これだけの代償を払ってやったんだみたいに。
 苦しい。こういう思いを持たざるをえない私はやっぱり苦しい子なんだ。
<2293> ぺあ(FB注意) ■2008年03月21日 金曜日 16時02分35秒
今日、電車を見ながら、バスを見ながら、私もまたああやって乗れるようになるのだろうか?と思った。
 乗っている自分を想像したら、自分は「怪物」だった。怪物のようにして、そこにいる。自分は、きったないきったない人間だから、子供時代いじめられたように、敏感な人につまみ出されてしまうのだ。子供は鋭い、だからいじめられた。耳に虫も入れられた。子供って言う理由で、みんなに「もう忘れなさい」だの、「子供だったのよ、みんな。あなたは強すぎたのよ」って言われてしまう。
 本当に学校と言う場が怖かった。
 今、ここで歩いていると、実習先のきっともう大学生や高校生になっている子に、奇異な目で見られているようで、ガン付けて歩いている。子供を見ても、はしゃいでいる子供、すべての子供にガンつけている。殺したろうか!くらいの思い。それから、過去の私を知っている人、ピアノの先生、個人塾の先生、教師全部ガン飛ばし。嫌い。皆よってたかって、「もっと自信持ちなさい」「もっと明るくしなさい」「もっと自分の意見言いなさい」「先生、Oチャンが明るくなってうれしい」だとか。
 ねえ?父親が双極性気分障害があって、鬱で倒れて、対向車線に突っ込もうとしたり(自死未遂)していて、母に常に父の気分によって(病気によって)攻撃の矢が刺さる。でも誰も、母も特に、この家のおかしいところを見ていない、「こんな良い家はない。子供の言うこと何でも聞いてあげて。ものもいっぱいあげて、旅行にもショッピングにも連れて行ってあげて」って押し付けるこの家で、自信喪失し、学校でいじめられまくって、姉にも失敗や弱点をあげつらわれて、母も一緒になって笑い者にする、このうちで、誰が、自信があって、明るくて、自分の意見が言える子供になれるんですか!!!!!!!!!
 別人になれって子供時代から、ず〜っとず〜〜〜〜〜っと言われ続けてきたようなものだよ!!!!!!!
 なれません!!!!!!!!!!
 明るくも、自信まんまんにも、意見はっきり言える子にもなれません!!!!!!!!!
 じゃあ、あなただったらこの家に生まれてここしか知らなかったら、どうでしょうか?!!!!なれますか????
 ず〜っと別人になれって言われて、お前のままではいけないといわれながら、自分の感情なんかすっ飛ばして生きてかざるをえなかった。
 大学時代、あんなに、過去の自分を挽回しようと、「明るく、気が強く、自己主張できて、相手の心の動きとか一切見ることの出来ない能力の持ち主で、ある男の子に好かれていても、他の子に熱をあげていて、その子には友人として甘えられる」そんな、どっかのドラマ、漫画の主人公、マドンナ役、そして姉のような人物になるために、自分の感情を捨てた。ただ、そういう人になるために、演じた。でも、演じると、そこにはほころびが出てくるのね。そのぎこちなささ、自分の感情を結局殺していること、もってはいけないと思っていることを、人は感じるの。またいじめられた。今度は、「お節介おばさん」だとか、「Oちゃんは本当の友達がいない」だとか、「気の使える女の子とは打って変わって、こいつおかしい。衝動的だ」とか言われながら。いじめと、からかわれと、いじられ役と。結局、私のキャラが変わっただけで、自分の領域に土足で入り込まれて、大切なところを踏みにじられて、皆の笑い者、さらし者にされるのは、子供時代と全くおんなじだった。
 子供時代、自分を守れなくて、いっつも自己の中にいじめ役をおいて、自傷をしながら、学校空間にいて、次第に、怒りが自分に向かうようになって、私は、学校空間以外でも、自分を「ゆっくり」させなかった。隙を見つけては、お前はきたねええサイテー人間だと、責め。殺人事件のニュースのたびに、「お前が本当はやったんだろう?俺は知っているぞ」と自分に言い続けた。そうやって、二重生活をしていた。普通の子をやりながら、どこかで自分を見張りいじめぬく、自分との生活。二重。休めたことなんかなかった。

 でも、結局大学終わった後、父が双極性気分障害で、結局自死して、全てを理解した。
 ひどい家だった。
 良い家なんだ、私がACだなんて言うなんて、私は親不孝者だと責め続けて生きてきた。
 でも、父の葬儀後、その写真を見た姉は、私に「お前顔四角いぞ、うける」とか言った。信じられなかった。姉は、自分の結婚式できなかったあ嘆いていた。その後、姉のだんなの車で慰安のためか、お花見に連れて行ってくれた。姉が、「私花見ると癒されるの。だから、癒されて欲しいと思って」といっていた。で、その車の中で、私は、いつも父に連れて行ってもらった場所をとおた時に、泣いた。泣けてしょうがなかった。そんな私を姉も母も驚いたように見ていた。だあれも父が実の親が自死しても、こんな有様だ。母は、父の古くからの友人に、「最近は、ちっともこの子供たち(姉と私)私たち(母と父のこと)と遊んでくれなくて!!ひどかったんですよ。全く。。」みたいな言い方をした。驚いた。父の友人は「でも、旦那さんと二人で遊べばいいじゃないですか」と言っていたが。母の言動は、私には信じられない、ひどすぎる。父の事今更、だって、私も姉も父の双極性気分障害っていうのは全く知らされていなかったんだよ?というよりも、父はそれを認められなくて、母も、そんな思い汲んでか、カバーをかける。なんか変じゃない?私の言葉には、激怒する。こんなに良く育ててやったのに、何が虐待ですか?何であなたはそんなに暗いんですか?って。でも、その中で父に気配りをし、母に父の攻撃向かわないようし、父の「お前なら分かってくれるよな?」という甘えた期待視線を必死で読み取って生きてきた、私はなんなの?しかも、父は、それでも「俺の本当の姿見たら殺す」くらいの怒りがあった。
 父は、私が高校時代の頃、苦しくて、分かって欲しくて、「もうここから飛び降りる!」って父に言ったら、「しね」って言われたの。「やれよ、早くやれる、しにたいなら早く死ねよ」って私に言った。
 結局自死したのは、父だった。
 ひどい家だよね?
 失敗は、笑い者、ダブルバインド=父の攻撃的怒りと鬱との期間付きの人が変わることを、皆見ないようにすること。でも、その中で私は父に「助けて〜」というもたれかかりと、「俺の本当の姿見るな!!!」というものすごい怒りと。母の表面さえうまく整っていることだけを大切にすること。

 私の子供時代。自分を一瞬の隙も見逃さずに、自分を壊し続けた。でも、一方で、家族から周囲から見て、「順調に育っている子」をし続けた。感情だけは乖離しながらも、「順調な子」を演出し続けて生きてきた日々。
 そして、学校では必ずいじめられるか、良くて、人のストレス、愚痴の聞かされ役。でも、子供は理性のきかないばかだから、エスカレートすれば、いじめになることも多々あった。
 ねえ?実習なんかで、私過去のこと言いました。人を傷つけました。過去の友人嫌いでしたと校内放送で言いました。で、結果子供にも教師陣にも「すごい目」で見られました。過去の担任は、「お前変わってないな」だの、過去の私との同級生の褒め言葉をさんざんいって、仲良くも無いのに、「あいつ呼べば良いじゃん」とか意味不明なこと言っていました。ねえ。学校は同じ年の比較場なのよ。もうやめて。もうやめてください。人との比較、競争、そして私に性格改善させようとするのはもうやめてください。うちの父が自死してよかっただろうがああ!!!!お前らなんか、何にも役にたたねえんだよ。ふざけんなよ。もと担任もよ。あの頃助けなかっただろうが。で、(変わってないね、全然」だああ?いいじゃねええか。どうしろっていうんだよ。変わらなくていいじゃないの。何がSはすごいだよ。やめてください。もうあの比較場には行きたくないし、もうこれ以上私にこうしなさいって言うのはやめて。死ぬ思いで生きてきたのに。
<2292> けんと 改め まさ ■2008年03月21日 金曜日 01時46分38秒
興奮と言う感情(FB注意かな?)

昨日、自分なりに自分でやった仕事が成果を上げた。泣きたいぐらい嬉しかった。もう駄目だと感じていたし、自分の感情をブログで表現し、その日記に関連した広告を張るという作業の連続だっただけに、疲れも出た。

自分の感情と想い、現状を自己開示するカミングアウトはかなり怖い試みで、昔もHPでやった覚えがある。承認欲求なんだ。

人に認められて安心したいと言う深い願望が肯定でき、俺の頑張りが自覚できることで、自分の正直な姿が、そして深い感情と欲望が露見でき、自分が心の深いところで自分の仕事の成功を願っていたと言う感情がこんなに激烈で、いきり立っていたのかと感じ、表現しきれない思いがたくさんある。

きっと、今までおかしくなるくらい感情を抑え込んでいたんだ。よくやるんだ、自己抑圧。感情的な爆発は、たまるといっきに出るし、自分はかなりのやんちゃ坊主だから、読者の皆さんに、がーーーーああああーと叫んでいたのかもしれない。悲しい思いがたくさんあるなあ。

感じるままに書くことで自分の中のインナーチャイルドが、大きくなり、意識的な変化が体の感覚で解かり、意識下の感情がうごめいて、気が変になる。

自分の感情の下に感情と記憶がある。あまりいい記憶じゃない。褒めら記憶じゃない。否定され罵倒された記憶だ。

罵倒されたことはたくさんあった。厳しくても社会で働き、糧を得るそんなことが当たり前で、泣きたい気持を感じながら、顔では硬い表情で感情を出さず、すごい真面目だと言うことで信頼された自分。うつがかえって信頼される結果になるのが嫌だった。冗談も言えず、仕事仲間と感情的なやり取りが出来なかった自分。疎外感と自分がいつも異常だと感じ、やりきれない想いをたくさん抱え、祈りながら生きていた。

参考にしていた本も救いにならず、事業を起こした時も、その時の彼女に理解されず、キチガイ扱いされた自分。また、その父にも認めてもらえず、随分と俺は価値が無いと感じながらも、頑張っていたな・・・・

怒りを感じながらも、ヘロヘロな体をひきづり、仕事と彼女と善良投球した自分。入っていた宗教が、自分の感情に悪いと気付き、一緒にやめようと彼女の言ったのに、同意を得られず、傷ついた自分。自分。自分。

何度、書いて、表現して、理解して、怒りが何度も核爆発を起こし、いきり立ち、うがああああという、チャイルドの叫びを、うごめく衝動を、俺は爆発させたいんだ。

リピドーを感じていることを肯定したいだけなのかもしれない。涙が出た。

今も頑張って生きていることは変わっていない。毎日生きる努力を重ねている。壮絶な虐待地獄を生き残り、サバイブな人生。今も、金銭的な管理にストレスを感じ、毎日のやりくりにひやひやしながらも、計算しなおしながらも、何とかやっている自分。そんな自分の努力を高く評価したい。

長文になりました。
<2291> ぺあ(FB注意) ■2008年03月20日 木曜日 16時25分19秒
 父がいなくなった。
信じられなかった。あんなふうに、人って、歴史上の人物と同じように、いなくなっていく。父も、また。それが言葉にすることが、事実を認めるようで、怖くて怖くてしょうがなかった。
 だから、父が自死した後も、友人にメールできなかった。
 どんなに嫌いあっても、私のとって、父はやっぱり子供時代から、ある意味本当に本当に好きだったと思う。父ほど、分かりやすくて、正直な人はいないと思っていた。なのに、分かりにくくて、思いを出せずに、人の気持ちだけを大切にする私がいまだに生きてて、父がいない。父が、「いまどきの若者はなに考えているのか分からない」と嘆いて、で、結局父は自分のプライドの高さゆえに、助けを求められずに、自分を責めて、自死した。私みたいに弱弱しい、人間じゃないくらい、人にこびへつらっていた子供がしなないで、どうして父のような人がいなくなるのか分からない。父は、私からしてみたら、本当に分かりやすくて、正直で、自分の思い言えるし、自分を守れる人だと思ったから。
 今ね、カウンセラーさんにも恵まれて、楽になったんだ。一時は人を殺したいくらいの殺意と、乖離っぽい過去の衝撃的な思いと、いじめの記憶でいっぱいだった暗い重い思いを抱えていた私が。
 「ゆっくりいきな」「あなたは良い子だよ」「大丈夫」「あなたは強いのよ」「人事とは思えない、心配だよ」「私も同じ思いしてきたからさ」「いいじゃん、それで」って、言い続けてくれた、最近出合った多くの人が、私を「ゆっくり生きたら良い」という流れを作ってくれた。
 優しくしてくれた人に攻撃して、今度はいじめてやりたい、弱みを握ってやりたい思いも少しあるの。でも、それはしない、多分ね。しない。
 お父さんのことずっと思っている。私は助けなかったと。でも、父はどんな人生を望んでいたのだろうか?祖父の願いは、「出世」することだったのだろうか?父の辛さを、私はいつか、理解して、心から理解して、それで、どうしたらいいんだろうか?父がいなくなって、私もいつか死ぬって少しだけありありと分かった気がする。
 父がやっぱり好きだったと思う。でも、現世では、これだけだったんだ。現世で色んな社会の中で有形無形色んなことが絡み合って、できなかったこともたくさんある。でも、皆いつか死ぬから、その日まで、生きたらいいのかなあと思っている。父のところに私も行きたいと思う。ずっと、子供時代のままの方が良かったのかな?私は最後助けなかったよなあ。そう思っています。現世で出来ることなんて、多くは無いのかもしれないね。
<2290> 真名 ■2008年03月19日 水曜日 02時37分30秒
ゲームセンターで獲ったミニボトルの香水をオークションにかけた。
送料無料で、5mlが160円。
赤字だったんだけど。
(赤字でいいやと思って出した)

その人が、「気持ちばかりですが、少し多めに」と言って、落札額よりも多く振り込んでくれた。

悪いような気がしたけど、なんかうれしかった。

損とか得とか考えないとやっていけないし、そういうのがないと世の中は成り立たないけど、それだけじゃないなっていうのを考えさせられた。
損とか得とかも大事だけど、それだけじゃなく、気持ちとしてなんかうれしいのってあるなって。

私はできれば他の何かを買うためにできるだけ高く落札してほしいと思うけど、(たくさん出品した)現状はそんなに甘くなく、買い手に優しい場所なんだよね、オークションて。
スタート額が安くないと、入札さえされないから、思い切って1円スタートにした。
1円で落札されたのもたくさんあって、送料もこちら負担だから赤字なんだけど、私の趣味みたいな感じになってるし、買ってくれた人が喜んで使ってくれるならいいか、みたいな感じになって、数百円のお金は気にならなくなった。
手書きでお手紙も書いて入れた。
事務的なのが嫌いだから、そういうのが楽しくて。
私は商売には向かないんだろうけど、サービス精神は受け継いでいるのかもしれない。

顔がわからない人たちだけど、私が出品したものを気に入ってくれて入札してくれた人にプレゼント、というのも悪くないなーと思う。
でもそれじゃオークションじゃないもんね(笑)。

なにはともあれ、使わない香水たちが買い手に引き取られていくのはうれしいことだ。
私の手元にあったらいずれポイだもんね。
郵送する前に必ず「大事に使ってもらうんだよ」と言っている(笑)。
<2289> ぺあ ■2008年03月18日 火曜日 21時52分58秒
 もしも、今、私が弱そうな人見つけて、いじめるとしたら、それはできる。間違いなく、誰かを鬱憤晴らしでできるし、過去のあいつらみたいに「弱いから」「いやだってあの子言わないから」「見ているとむかつくから」っていう理由を付けて、自分の問題や過去から鬱積した怒りを誰かに暴発し、心を殺せるだろう・・・・。

 いじめ、私今ならはっきり分かる。学校なんか特にそう。いじめられる子は、何も悪くない。いじめる子に何らかの問題があるはずで、だからこそいじめる子はサポートが必要なんだ。でも、何よりもいじめられて傷ついている子がいたら、その子の思いを、まずはその子の気持ちに沿って聞いてあげて欲しい。大丈夫だよ、あなたは悪いところはないよって、その子の思いを肯定してあげて欲しい。
 いじめられたことが、いい勉強になった・・・とか言っていた人もいたが、私はその意見には反対だ。
 辛いことはさ、止められるなら止める、逃げられるならどんどん逃げるべきで。「まずいスープ」しかあなたの周りになかったら、あなたにとっての「美味しいスープ」あるはずだから、そこにいきなって言いたい。自分の心の力を弱められたり、奪われるほど怖いことは無い、いじめや暴力を受け続けることなんか、その力を奪われ続けてしまうことなんだから。だから、逃げな。自分の人生の大切な時を、そんな下らない他者のストレスぶつけられ役として生きる、耐えることなんかに使ってはだめだよ。人生経験になるなんて、言う大人は、結局、人生経験にするしかないと思ったんだろうね。でも、そういう風に思えるまでは、やっぱり、いじめられた後に、自分を支えてくれたり、自信回復する経験をしていたりするものなんだ、運良くね。だから、いじめなんか、人生経験にならねーし。しなくていいし。せっかく生きているならば、そんな悲しい目に遭わなくても、逃げりゃーいいじゃん、誰も文句いわねーし。大人だったらすぐに逃げるってきっとって言ってあげたいのだ。
 私今、自分の怒りやいじめ心をある意味対峙している。それで、いじめた子ってこんな思いだったのかな?って考えているの。でも、いじめに耐えている時間の無駄さ、ばかばかしさ、はっきり私にとって要らない時間だったって言える。だから、逃げよう。いじめなんかない世界は、あるんだよ。いじめている奴らは一生そういう低次元の世界にいて、苦しんでろ、ば〜かって言おう。そんな下らないことをやっている人とはうってかわって、必死で医学や科学を学ぶ人たっくさんいるんだから。
 なんか、私の経験から言葉を書きたくなった。でも、私みたいに、いじめに耐えて、無駄な時間過ごす子供なんてあんまりいないのかなあ?
<2288> ラビット ■2008年03月18日 火曜日 02時55分40秒
なんかこの時間になっても寝付けない。頭には色々と考えが浮かび家族や仕事、回りの人のこと、今日一日あったことの後悔や不安、恨みがぐるぐる浮かぶ。心は…あまり落ち着いてないな。ちょっと心も体も疲れてる。
<2287> ぺあ(FB注意) ■2008年03月17日 月曜日 19時07分26秒
 世の中に対して、社会に対して、怒り狂っているところがある。
それで、これじゃあいかん!って、今度は反戦に関わったりする。それを、友人に広告したら、引かれた。返事もこなかった。
 私のやっていることって、依存だ。これが正しいって振りかざして、宗教だよな、これじゃあ。
 でも、このまま、皆無関心のままでいいのか?憲法だって改正されてしまうじゃないかと、やっぱり憤りまくっているのだ。
 あああああ〜。
 私こうやって心身すり減らしているわ。もしも、自分が親友だと仮定したら、私ははっきりいって、大変な状況の中で、尚なぜそんなに頑張るの?やめなよ。大丈夫だよ、人も社会も大丈夫だよって言ってあげるだろう。
 人が心配なのは、父が双極性気分障害をもっていたからなのだ。人が壊れそうで、心配なのは、本当は、人じゃなくて、両親なんだ。世界を色眼鏡で見て、私生きている。
 未だに、父の自死なんて、いえない。言わない。でも、私の感覚を、壊したり、自信なくさせた、大学時代の友人が許せないのに、何で、広告なんかして、頑張りまくっているんだろうか?
 男性に対しても、恋人になる可能性をはかりながら、中途半端な態度をしてしまう。でも、結局、人を裏切れない。自分を生きられない。罪悪感と心配と。
 男友達に彼女が出来ると、ものすごい嫉妬してしまうのは、何で?一度私に気のある素振りをした男性が、別の人と付き合っていたら、絶望的な思いになるのは、何で?
 だあれもいないって思う。きったない自分の自己イメージがでてきてしまう。世界全体から馬鹿にされ、笑われている気がしてしまう。
 結局私は、彼氏でも友人でもなく、ただただ、私だけを見つめて、私だけを気にしてくれる、他の人に気が向いていると嫉妬してくれる人が欲しい。つまり私は、彼氏じゃなくて、親が欲しいんだ。私だけを思ってくれる存在が欲しいの。
 父に対して、常に「子供」をやってあげていた。常に父の事を必要とする頼りない存在でいてあげたかった。父の寂しさやわらげてあげたかった。父の事見捨てられなかった。でも、結局、父は仕事依存、定年退職後、もう一度、大企業に入り、そこでも、前の会社同様、鬱で倒れそうになった時、自死して、いなくなった。
 父の事。変わり果てた姿。今でも、氷のような寂しさで、体も心も襲われそうになる、氷の海に。
 私・・・・・寂しいんだ。
<2286> ayako ■2008年03月16日 日曜日 21時26分13秒
今日能に行った。隣の席で下品で幼稚な話ばかりしていた人が居た。見てみたら二人共40代の女性。一人は家着にプリーツプリーツを引っ掛けてて、スニーカーを脱いで足を組んで能を見てた。 恥じも外聞も無いとはこの事を言うんだと知った。多分それがこの人の中身なのだろう。 下品でだらしがないというのは本当に醜い。と本で読んだ事がある。目の前にして本当なんだと実感。 能を舞ってる方々にも失礼にあたる行為。 今まで色々なマナーの悪い人達を見て来たけど今回のは最悪。 私はああはならないと肝にめいじておく。 プリーツプリーツは高額な衣料品でセット使いが一番映える洋服だと思う。なのにあんな変な着方されてプリーツプリーツは泣いてた。
<2285> ぺあ(FB注意) ■2008年03月16日 日曜日 19時14分28秒
 私、ずっと、自分は感情なし子さんだった。
ずっと人を傷つけることが恐怖だった。人は弱くて、脆いものだと心の底からこびりつくような思いでいた。
 ずっと、弱い人に取り付いて生きてきた。
 本当が怖かった。変化も怖かった。恋人に別に好きな人ができることが、心の底から怖かった。一度好きになってくれた人の心が離れることが、しぬほど怖かった。変化も怖い。「期待はずれ」だと思われるのは、しぬほど怖かった。
 でも、ダブルバインドもまた私は家庭の中でされ、自分もしてきたんだ。神様、どうしてこの世は、不公平なの?子供時代、何一つ学校と言う場でうまくいかずに、心を殺して子供の心の一挙一動に怯えきって、生きていた。今でもまだ、私は過去を許せない。父の自死なんか、もう氷のような悲しさに襲われる。結局、私は「恵まれている」といわれ、あるときはガキにいじめられ、あるときはしがみつかれながら、父のサポートを子供時代からやらされ、結局姉も母も、現実を見ないで、私をばかにし、「かわいがり」をし、姉には、うっざい「助言」を言われ続け、生きてきたんだ。
 もう、いらないや。物も、世間様に通用する「助言」も、あの人たちの言う「かわいがり」も。いらない。
 からかわれることももうない。もう、同じ年の子から「ああしなさいこうしなさい」と私の人生に指図されることもない。年上からも「もうこうしなさい、こうすればもっと人生良くなる」っていう助言をされることもない。「世間の厳しさ教えてやる」といわれ、散々「彼氏がいるか?」だとか、不快な発言をし続ける職場で、我慢することももうない。それから、「いじりキャラ」だと、固定化されて、悲しい目にあうこともない。
 結局、大学のサークルも、職場も、無駄だった。そういいきってしまわないと、自分のために良くないの。あの頃のサークルも、バイト先も、私には、苦痛で、心の力を弱められて、結局、悲しい思いと、自信喪失をうみ、そして、私の人生には、無駄なものだった。とっても、辛い場所だった。あの頃の友人関係もまた。
 結局、テレビの中のこと、漫画、姉の「世間」、「格好いい、暴力もふるえてしまう女」「気の強い女」像なんて、結局、嘘で・・・。私は人を傷つけ、理想の女の子になるはずが、人を傷つけ、自分じゃない演技をしただけだった。
 昔、学校でいつも私は「おとなしいです、もっと自分の意見をはっきり言いましょう」「将来が心配」「もっとうるさくなれ」「おとなしいけども、今いえたから嬉しい」だの。うるさくうるさく言われた。でも、父がそういう双極性気分障害があって、いっつも、期限付きで、母をいじめている、場面を見て、母は何事も無かったかのように過ごす、この家で・・・うるさく出来ますか?家族の中でピエロ役をやり続け、弱みなんか死んでも見せられないこの家で、私は、うるさく、自信を持って、普通の子供のように、自分の思っていることばあばあいえる子で、いれますか????
 ねえ、それをまともに受けるだけ私はとってもまじめだったわけなんだけど。でもさ、皆、私に別人格を求めているだけでしょう?誰が分かってくれただろうか?私には、人は周りにいたけども、でも誰もいなかったよ。私には、だあれもいなかった。
 私がもし、明るくて、自信まんまんで、意見はっきり言えて、うるさかったら、怖いよ。躁鬱で、父の怒りに怯えきって、母に向かわないように必死な、私が、明るくなれるか?それこそ、怖いよ。演技にきまってんだろ?でも、私、そんな無責任な大人の発言に大学にまでなってもまだ、左右されて、演技で、「明るい、強気な女」演じていた。本心から離れているわけだから、やっぱりちぐはぐで、そういうちぐはぐさは、人は敏感でいじめられました。結局、「うざい女」としていじめられた。だれもやっぱりいなかったよ。

 私は、子供に決してそんな、無責任発言はできないだろう。もっと、うるさくなれよ。思い出したけど、クラスの男子には、「何考えているか分からない気持ち悪い女」って言われていた私・・・。
 子供時代、あまりにつらくて。恵まれているといわれながら、ずっと、誰もいない世界で、訳もわからず生きて、人の怒りのサウンドバック、吸収さんでいて、人を常にいたぶられても、慰め役として、機能し、自分の感情は一切持たないようにして、喜んで、人の人形となって、自分を殺して、そうしないと、人は傷つき、断崖からおっこちると思い続けながら生きてきた、子供時代だった。
 でも、24歳の時に、父が自死して、父の双極性気分障害を初めて知って、すべて飲み込めた。分かった。そうして、常に人の怒りを吸収して、生きざるをえなかった、自分を責めざるを得なかった、人に無理な要求ばかり押し付けられて、それを断る、逃げる術をもてずに、いさせられた、今までの、憤りが、一挙に吹き出た。

 ずっと・・・。
 
<2284> ぺあ(FB注意) ■2008年03月16日 日曜日 18時53分11秒
 未だに乗り物に怯えるのは、多分、私は「パニック」です。で、皆様の注意を引かせて頂いて、で、普通どおり生きていたら「うそつき」と誰かに殺されるくらいの思いで追っかけてこられそうだからなのだ。
 昔、小学校時代に、クラブ活動に全員入る決まりのときに、ある女の子から「家庭科クラブにはいろ?」って言われ、私は笑いながら(あの頃いつも私は引きつった笑いを浮かべて生きていた)「うん、いいよ」。それで、他の子からは「理科クラブに入ろう?」って言われ、「うんいいよ〜」。
 人からの言葉に、反論もできない。断ることの一切できない子でした。いつも、都合あわせ、人の思考体系の中に納まるようにして、生きていた。
 頭の中は、相手の感情が「?」って思わないように、相手が不審に思わないように、世界を作ってあげる。
 そして、クラブ活動で、家庭科クラブに誘った子に「他のクラブにいくだと?うそつき!!!!」って言われ、「裏切り者」と言われ続けた。

 未だに、ずっと、私の中にはこの子がいて、「裏切り者」と私に向かって、言い続けているの。
 「電車に乗れないっていうから、心配してやったのに、乗れるじゃねえか!!!うそつき、裏切り者」という言葉がふってくるの。
 「こんなにお前のためを思って、心を使ってやったのに、裏切り者!」「お前はうそつきだ」って。
 私は、ずっと、家族に対しても「自分はうそつきだ」と思ってものすごいものすごい罪悪感のもとで生きてきた。ただただ苦しかった。未だに、断れずに、何も言えずに、甘ったれたばか、依存のばか、いきづらい〜OOOOちゃん助けて〜ってもたれかかってくるきっもい男、女の子に、どこまでもひきずりこまれ、ただただ断れない、裏切れない、子供時代の自分がいるようで、悲しくなる。もう、誰も私に対して、誘わないけども。昔は、すごかった。私にいっぱいきた。そして、私は八方に、笑顔で、うんと言い続けた。そして、後は自分の心なんか感じないようにして、ただただ相手の笑顔のために、頑張る、奮闘する。子供なのに、相手が楽しんでいるかどうかだけを考えて、遊んでいた。自分の感情なんか、人を傷つけるだけだから、感じないようにしていきてきた。常に、2者関係では、奴隷だった。女の子の間でも、どこでも、私は「ネタ」「うける役」「いじられキャラ」それ以外の自分は、裏切り者って殺されないようにするために、殺し続けた、大学でさえそうだった。

 ずうっとずうっと、父が自死して、父が双極性気分障害だったって分かるまで、ずっと、私は自分の感覚を信じられず、そして、いじめられたのも、自分が生まれつき汚いせい、世間と自分のずれは、きっと、あの人が言った、「生まれつきお前はばかで汚くて、将来怠けていればホームレスになって、とにかく、さいてーなきったねえ女だからだ!」だと思った。

 ずっと。
 電車乗れるかも。でも、乗れたら、もう父の事は捨てるんだね。父の事、捨てて、現世楽しんで生きてしまうんだね。もう、忘れてしまうんだね。電車もバスも乗れるかも。そしたら、Nがいれた、耳の虫も、忘れて、すべて忘れて生きるんだね。忘れてしまうんだね。私もいつか、死んだら忘れられてしまうんだね。この世で、持ってかれるようにして、生きて、どうせ父の異変気がついていても、電車を止める力があれば、この集団をぶちのめす力さえあれば、父の自死を止められたのに。できなかった。この世にかく乱を起こせなかった。分かっていても、私は父を止められなかった。だから、電車の中で、父が最後、工場先から家に帰って来る新幹線でどんなこと考えただろう?とか、母と姉が、父の姿見たとき、どんな思いしたか?考えるだけで、錯乱したくなるの。で、そんな姿きっと車内の人見たら、「おかしい女」って思うでしょう?そしたら、私は、また実習での、あのすごい一斉に「おかしい女」っていう突き刺さる視線を思い出して、父の自死を止められなかった一因にもなってしまった、実習のこととか、どっちにもいけないかった頃のこと(父の俺の姿見るなという怒りと、俺の事助けて、お前なら分かってくれるようなという絡みつくような期待の目の中で、一人で苦しんだこと)全部、いっしょくたになって、怒り、悲しみ、ものすごい襲ってくるの。だから、怖い。とまらない電車の中にいるのは怖い。ドアが閉まれば、私はもうもとの場所には戻れない。怖い。生きているのが怖い。もう、止められないということを確認しながら生きるのが怖い。だからもう、乗りたくない。怖い。
<2283> けんと 改め まさ ■2008年03月14日 金曜日 01時23分57秒
感覚?

 自分の場合、感情的なのか、論理的なのか、両方なのかわからない。

 昔は理屈ばかり言って、妹を凹ませていた。回復してからは感情的になり、妹を攻撃した。今は比較的、論理的いて感情的だ。

 感情的にかなり揺らぐので、感情的なんだろう。病院のPSWに自分の感情を話したら、自分の感情がわかるんですねと言われた。

 それでも、あからさまにオープンできるスペースは、一部の人だけだ。

 それでいいかなと思うよ、最近は。

 母に感情を出すと、反発していると勘違いされ、言い訳として、専門家に習ったとおり、気持をお母さんに伝えているんだと言うことが多い。

 感情を思いやり深く言うコミュニケーションは母はどうも理解できないらしい。

 自分も不調の時は、昔のただ攻撃するだけの言い方になる。母は傷つくだろうな。

 俺はまだ感情的に不安定だし、最近は家に篭り、疲れたら、寝て、元気になったらブログを書いて、それから散歩する。作業所は今はお休み。

 感情が不安定なのは、元々なのかな。

 母との対決の後は、きまって鬱だ。もう、どうしようもない。

 
<2282> 真名 ■2008年03月12日 水曜日 08時46分13秒
どちらかと言えば気分が良いほうだけど、ちょっと波があって、落ち気味になったりする。
今日の気分は、恋をして、切ないときの気分と似ている。
何も手に付かない。

頓服を飲んだ。
静かに休んでるのがいいかもしれない。
こうやって、やり過ごすしかないんだな。
いつかは良くなるから、我慢するしかないな。
<2281> アラタ ■2008年03月11日 火曜日 15時30分33秒
追記:

それとも私の場合は自分がBのつもりでAなんだろうか?



Bってなんなんだよ?

そのやり方はいいの?善悪判断の網の目をくぐってるの?
推奨なの?なんとも思わないの?じゃあやってもいいの?

「必要悪」?

悪ならやっぱりよくないのかな。

反省するしかほかに利点が無いとか。

じゃあ、「いい」わけじゃないのかな。

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This script written by Shintaro Wakayama.