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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.114
メッセージ数:2280件

<2280> アラタ ■2008年03月11日 火曜日 15時26分05秒
某所からの転載。

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酒のあまり飲めないAが、ある日酒豪のBに誘われて飲みにいった。酒がはいるにつれてBは次第に強引に酒をすすめるようになり、Aが拒むと、俺の盃が受けられないのか、とさらに強圧的になる。Aは仕方なしに飲めない酒を無理に飲んで大変苦しい思いをした。他日、今度はAがこの前のお礼をしたいと言ってBを招待した。そこはしるこ屋であっだ。Aはそれぞれ5杯ずつのしるこを注文し、甘いものに弱いBが呆然としているのを見やりなから、ほかならぬ俺のおごりだ、遠慮なく平らげてくれ、とやり返した。Bは初めて過日の自分の強引さに気がつき、Aに詫びた。

 ・・・人間というのは、とかく自分の経験、趣味、嗜好に基づいて物事を判断し、相手をもその枠に押し込めて付き合おうとする性質を持っているようだ。ことが酒程度なら一片の笑い話にもなるが、生活のもっと深い領域にかかわる場合は、深刻にならざるを得ない。

 謙遜(12)さは私たちに人の話を、そして心を気持ちを聴くことができるものとさせ、平和な人間関係を作ってくれるでしょう。
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わたしはこれをやってしまう。
しるこで仕返しし、いかに相手が●●だったかを解らせようとする。


だってさ。


いかにも教訓みたく書いてあるじゃん。
書くだけ書いてあるじゃん。
やりかえしたことしか書いてないけどこのあと本文に続くのって
Aへの非難の言葉でしょ?
Bは悪くないんでしょ?繰り返しちゃうけどBはわるくないんでしょぉぉぉ?

非難を受けず相手にわからせるには私はこれしかないって思っちゃう。
労力も時間も精神力もいるけど。

でもねなぜかわるくないはずのBからは人が去っていくんだよ。

それについても一言書き加えてほしかったなぁ。

これじゃまるで注目されて無いだけでかしこいヒーローみたい…。


それともBは本当にヒーローで

Bから離れていくものが己を省みられない愚か者なのだろうか?

ああ、考え出したらきりがない。

<2279> アラタ ■2008年03月09日 日曜日 21時53分45秒
ぽこぽこ沸いて体にじゅわ〜…って広がっていくのが
「高校時代の自分」

健全で、ほほえましくて、色々なやんで。
自分の学歴、自分の経歴と認められる最後の年代。

おかげさまでそれまでの倫理観や価値観など、何を大切に生きてきたか
拾えたわけだけども。

高校生って16そこらだぞ。


明日から仕事だぞ。



いいのか?この精神状態もってって…。


あくまでも自分のこやしを増やすために色々とらえる学生時代…



ええんか????????



ひとりでいえにいるときは、「なつかしーなー!」って感じで
高校生が私の体にホームステイしてるけどよ・・・。


つれてっていいのかな
傷ついてばらっばらに砕け散ったりしないかな
ああしんぱい。
<2278> ぺあ(FB注意) ■2008年03月08日 土曜日 21時29分06秒
 電車にもう乗りたくない!
バスにも!!!!
 もう周囲から求められる「普通ちゃん」「順調人生」は降りたい。
 こうなるべき、周りが「こうするのが当然な態度」を求めた瞬間、私は、今までの怒り、父を止められなかったまでの過程、何一つ納得のいかない人生、演技のみの家族関係、そして耳にありを入れられた5年生のGWの次の日のこと、姉の自分があっているという一方的な押し付け、友人の「ああしろこうしろ」、先生の「自分で家族と関係変えろ」という強迫にも似た物言い、戻って、小学校時代のクラブ活動で、人の誘いを断れない私に、結局一緒に入らなかったことへの怒りからA川さんに「裏切り者!!!!」ってものすごい睨まれたこと。
 弱いからいじめられる。
 あなたはこうしなさい。
 おとなしいから、やめなさい。
 そして、教育実習の、あなたはうるさいね、だとか、生意気だから、乖離するくらい怒鳴りつけられ、職員室にまで追っかけてこられたこと、全部、全部、バイト先の上司に「もっと自分出せ」といわれ、「こんな冗談通じなくてお前こええよ」といわれ、「てゆうか冗談だし、目がまじだよ」とかいわれ、傷ついたことを言われ、2年も働き続けたこと、全部全部、お前はだめ、お前はみたらず、お前は、お前は、あなたは、あなたは・・・・・・・・・

 一度でもいいから、頑張って生きてきたねって言われたかった。そのままでも勿論いいよといわれたかった。でも誰もそんなこと言ってくれなかった。

 そしてずっと、もやもやと、親のものすごい怒りと、何事も無かったかのような隠し・・・・その中でずっと、親を「守る」ために生きてきた、私、そしていじめられまくって、心を乖離させながら、学校と言う場所に、「一生徒」として心を壊しながら、それでも「まとも」装って成長してきた、こと。

 ずっとずっと、そう。そして、そのことが、周りの正直な子供を刺激させ、またいじめられ、ああしなさいこうしない、私があなたの先生やってあげるといわれ、コントロールされ。。。。

 どこにもいけない、だれもいない。勿論、お父さんもお母さんも騒げば、頭おかしくなっただの、正常にふつうに育ててやったのに!となじられる。

 でもうち変だよね・・・・?

 この一言を、しぬほど言いたかった、でもいえなかった。父の怒りを感じていた。
 父が自死した。そして、その一週間後かな、父が躁鬱だったと聞いた。

 ああ・・・・そうだったのだ・・・合ってたんだ、私の感覚めちゃ合ってたんだ・・・・・
 ただただそう思った。
 私おかしくなんかない!!!!私がおかしかったんじゃない!!!

 でもそう思えば思うほど、私に「おとなしいからもっとうるさくしましょう」だの、「もっと自信持ちましょう」だの言った学校の教師、それから、もっとひどいのは、「お前が嫌だっていわねえから、こっちがつけあがんだよ!!」という理由のもとに、ひどいいじめにあい、「OOOO(私)はずるいから!恵まれたずるいやつだから」と、耳にありを入れられ、毎日つねられ続けた、あの5年生の日々。そして、自分の中にいじめっ子を作って、それで、心を守りながら、生きてきた中学校。自傷だけだった。怒りをもった。それが、向ける場所も、向けてもいい場所もなかったから、私も自分に向けて、それに、リスカじゃない、想像上のリスカだったから、だあれにも気がつかない、これ幸いに思い、その想像上リスカをしながら、育った子供時代。

 自分は生まれつき汚い、世間様に指を指されて当然の人間だと、それは生まれた誕生日でもう決まっていると、思い続け、毎日、殺人事件のニュースが流れるたびに、「お前が殺したんだろう!!!!!!!!」と自分に言い続けた高校時代。金縛りと、悪夢を見るために学校から帰ってきて、学校にいれば、他者の視線が怖かった。人と接する時は、自傷を心の中でしながら、接した。それが私だった。
 、ね?もういい?
今でも、私ね、心のどこかで、「てゆうかそんなこといっても、てめえが、殺人者なんだろうが!!!!俺は知っているよ〜」って自分に中の「怒りさん」が私に攻撃しかけようとする。そう、これこそ、予期せぬ、でも確実に心を食いちぎるいじめだった、こういう気分にさせるのが、小学校時代の巧妙な、やり方は幼くても、ものすごい悪意を感じたいじめ。そして、それを容認し、面白がってみていた、姉と母と、きっと父も。

 で、今度は自死かっ。
あんなに実習で怒鳴られたのに、今度は、こんな目に遭わないといけないんだ。どこにいっても、ああしろこうしろ。
<2277> ぺあ(FB注意) ■2008年03月07日 金曜日 21時40分20秒
赤面恐怖症気味だった、特に男性に。それは、男性に「こいつ俺のこと好きかも?」と勘違いされた瞬間に、勘違いなのに、相手を壊せないのと、自分が好まないことをして自己を汚すと姉も母も小学校の同級生もみんな喜ぶから、喜んでいたからそれを私は私に押しつける、自分いじめで、相手の思惑内に入る。「好きなの、あなたが」っていう態度をとってしまう。顔が赤くなる。相手の思惑を敏感に察知。相手の思惑内に入る。相手の操り人形になろうとする。自分いじめの一種。親戚のきもいくそ田舎じじいやきもいけど叔父たち、きもい年輩じじい相手に、やってきた。昔は同級生だった。好きでもないのに自分いじめと相手を壊さないようにする悲壮の覚悟で、好きなふりをしてしまう。相手が私に興味をいったん持ってくれたら、どんなことしてでも引き留める。興ざめし、期待裏切ったと思われることが本当に恐怖だった。だからこそ自己でコントロールしている感覚が欲しくなって、好きではないけど、好きだと男子に思われていた勘違い男では全くない、まあまあの相手に、告白してきた。全く興味ないのにすごいよね。告白の事実を作れば少しは私もましな女になれると考えたからだ。その子今いっさい興味ないけど、うちのばか家族の噂聞いたかな?父が自死し、私は自分いじめと人の思惑内で自己をそぎ落としていきることの理由分かったよ。もういいや。私今でも私の思考や思いが変わっていれば、父の自死とめられたと思ってます。だあれも責任とりませんでした、あんなにえらそうに私に人生こうしろとほえ続けた友人、知人誰一人、。いじめた奴ら誰一人私のほんとの家族と私の親背負いを知らない。みんな私に自分のつらさぶちまけて、私は人にできないの?ほんと弱いものいじめの子供世界。理不尽な社会。この上憲法改正して、軍事法廷つくり民間人も裁くのが、2005年自民党新憲法草案らしいから。どうせいじめられて、歪んだ人が弱者見つけて、みんなでばっしっんぐして、合法的にいたぶって、暴力連鎖作るだけだろう。ほとほと歴史いかせない、揚げ足取りあいの政治家とバッシングする政府癒着マスコミ、振り回される人の多さに泣けてきた。
<2276> ぺあ(FB注意) ■2008年03月07日 金曜日 19時35分11秒
私は小さな頃から、父の世界観壊したら父が壊れる、母が壊れると思ってきた。脆く弱いあなたの為に、人の世界観、見ている物を全部肯定してあげるのが、私の役目。いじめもそう他人様に同級生様に「こいつ何やってもOK」のサウンドバッグ役に皆視線で期待し、そういう役目をみんなの視線や態度でされていく。私はみなさまから貼って頂いたレッテルをはがせない。その子たちの世界観覆せない、だってそいつら死ぬから壊れるから追い抜いてしまうから。電車もそうだった。頭おかしい人と他人様に決めて頂いたら、私は人の思いを否定できない。あの日私は電車の中で実家にもどこにも帰れなかった。多分私のままで帰れる場なんか一人の部屋しかなかったんだろう。それから私は実家が怖くて帰れなくなった、死んでも実習の子や同級生かつて関わった人には会いたくなかったから。父は私のことを姉から聞き「あいつおかしくなった」と言ったそうだ。姉も母も父も皆「あいつは就活うまくいかないからおかしくなった」という視線で見ていた。父の自死はそれから1年もしない内。姉には母にも「父さんよりあんたが一番ヤバいと思っていた」と言われた。母には非難も込めて「お父さんのことが一番心配しなきゃいけなかったのに」と言われた。でもうそつき家族の表面では成功路線いく家族の顛末。葬儀でさえ私は感情調節と周りから犯罪者だと思われてないか?という思いで一杯だった。普通の子ならどこでどこまで泣くべきか?私が殺したと思われていないか?という思い。近所の人の視線を気にしていた。私は父のかいりしたような外面だけ笑ったような顔を見ながら、何一つ家族に、伝えなかった。前兆を確かに感じたのに、にやにや笑って父を見て半分いじめていた。だからこそものすごい罪悪感と私が殺したという思いがあったの。うそつき家族の顛末だ。私は未だに狂いそうな怒りを爆発しそうで、電車とめたらバスとめて、この世を焼き付くしたら父を救えたかもという怒りと憤りで乗れない。表面上合わせることが怖くてたまらない。父が自死するレールだから。
<2275> ぺあ(FB注意) ■2008年03月07日 金曜日 19時16分58秒
電車が怖くなった。そうなるべきセッティングされたレールを有無を言わせず、周りに合わせて行動するから。逃げられない。もし逃げられたら、「そうなるべき」道から落ちれたら、どんなに生きられたか。いじめも、ずっといじめられを何千回も自己の中で反芻し、安全を自傷することで保ってきた。そうなるべき道とは結局父の自死なの。どんなに頑張っても強固に張り巡らせたこのばか家族の「うまくいっている」を壊せなかった。でも私は素直な思い言いたくなくても言ってきた。そしてそのことで実習先でひどく傷ついた。ずっと取れなくなった膜を突き破りたかったの。お皿ぶちまけたかった、「順調」家族の前で。何かがおかしい、でも父に母に姉に封じ込められてしまう。なぜ?包丁で家族を刺したかった。この家はOKだ、とおまえなら分かってくれる?という父の期待の視線。私はどこに行けばいいの?自分で家族関係かえなよ、もっと自分だしなよ、もう何百回も友人、先生、知人、に言われた。でも私が父に母に言っても、父は「これだけしてやったのに何いってるんだ」というものすごい怒り。母は「普通に育ててきたのに、虐待だACだ、ひどいっ。もうあなたが分からない」と泣きつかれる。全員から突き刺す非難の目、教育実習も家族も研究室も劇団も。もう無理だと思った。震える手であのころの日記には、もう家族と距離置こう?と書いてある、ものすごい罪悪感あったな。欲しい物も全部与えてもらい行きたい学校行かせていただいて、「幸せ順調」家族におとなしく収まっていればいいじゃないか?と。電車の中で、父に祖父の供養で親戚あつまるのに、実家には帰らないと宣言した。私の中では大反抗だった。結果父に「あっそっ」ものすごい怒りを感じた。電車の中で、私にああしろこうしろと言う友人、かうんせらー、おせっかいばばあの言葉反芻しながら、もう訳が分からなくなった。実習先で素直な思い吐いた私は全校生徒の非難視線にさらされた。おもいっきり記憶が蘇った。吐きたいのに押し戻される。どこにも行き場のない思いたちが激流して逆流してそれでも吐けない、なのにそれさえ「もっと意見いいなさい」「自分でかえなさい」と非難される。もう病気になりたい、姉に聞いた「パニック障害」を思い出した。その瞬間、なっちゃえもうっと思った瞬間、動悸が襲ってきてその車両の乗客全員私を頭のおかしい人だと訝しげに見ていて、私はその視線を裏切れずに頭のおかしい人にならなきゃいけない。
<2274> ぺあ(FB注意) ■2008年03月07日 金曜日 18時53分09秒
私は家族に対して、素直な私でいられたことは一度もない。いつも計算してここまでは「普通な子」としてOKか?ばかり考えて生きていた。うそつき家族。私は常に「完璧で順調家族」を背負い、気遣い、いじめられたことには死んでも触れず生きてきた。いじめで耳にあり入れられた。その子は笑って私の耳の鼓膜破れるとか私を喜びいさんでからかった。時空がねじれるくらい怖かった。もちろん親には言えない言えない。でももし言えたら父の自死とめられたんじゃないか?絶対。みんなもう父のことなんか忘れている。私に、ああしろこうしろと指図しまくった奴らも、自死の責任なんかとってくんない、許せないいったいいつからこんなに道を踏み外したの?私が悪かったの?常に見栄の張り合い、上辺ばかりの家族の中で、私は自分のボロが出ないために完璧に幸せな子、順調な子を演出し続けた。救世主願望もまた人を救う時に愛を感じていたこととコントロールしたい欲が私にはあるんだ。人を救うときだけ私は必要とされ幼児と母関係こそ、究極の愛だった。人を裏切れないのは、その人が弱いと思いこんでいるから。自死に追い込むと思いこんでいるから。でも双極性気分障害で常に肩書きだけを考えて、見栄を張った、しかも自死を考えて生きている父とそれに触れない母のもとで育った私にとっては、これが正常な心情なんじゃないか?たとえ周りから申し分ない家庭の子と思われようが。
<2273> 真名 ■2008年03月07日 金曜日 04時55分09秒
彼が運命の人なのかなぁ?

私はそう思ってるけど、彼はどうなのかな?


「熱烈な想い」と言うのとはちょっと違うけど、なんていうか、一緒にいて気持ちのいい人。
深い安心感。
彼のことを、優しく大事にできる。

<2272> ぺあ ■2008年03月06日 木曜日 22時22分26秒
 人の視線裏切ることが出来ますように。
 人じゃなくて、私の自己判断と感情と幸せを大切に出来る日がくるといい。

 人の思考体系にはまらなくても、OKって思えますように。そういうよりかかれる人に会えますように。
 
<2271> ぺあ[FB注意] ■2008年03月06日 木曜日 22時20分39秒
 はっきり言って、うちのくそおやじがしんでよかった〜。
私、十分殺されていたもの、心。
 「こんなにしてやってんのに!」という父の怒りは、本当は父の親への思いだったのかもしれない。
 いいホテル、いい食事、行きたければ行かせてくれる学校、欲しければ買ってくれるもの、優しい人たち。
 でも、その中で私は、「順調人生」を演じきった。
 父の自死の後の葬儀でさえ、私は、「ノーマルな子だったら、このとき、少し喚いて泣くはず、いや、ここは大きな声で泣く方が自然かも」そう自分の感情を調節していたんだ。まるで、ある漫画の主人公みたいだって思った。どこまでも家族には「いい息子」を演出し続けるあの子みたい。
 親戚前にして、だあれも親戚は私の父が自死したなんて知らないから、言えない、だから、「ノーマルな反応、少し皆のウケをとって、もう大丈夫な順調人生送ってくれるはずな子」演出。全部そう。友人にごめんなさいって発狂したように泣いたのは、泣けば、今泣けば、後々心に傷を持たなくて済むと思ったから。それはいじめで十分すぎるほど分かっていた。我慢し続けて、泣くのは我慢し続けて、過呼吸になった10歳の頃の経験から。
 悪い、娘でごめんね・・・そう棺の中にいる父に言ったの、叔父(母方の)がいたから。本当はそんなこと露も思ってない!!!!!!!
 悪い娘でごめんね・・・。
 こうやって、嘘しか言えない、娘と父関係でした。嘘か当たり障りない世間話か評論だけ。素直な思いを両方でコミュニケーション取ったことは、ないよ。ない。
 素直な思いがもしいえたら、「何でお母さんをあんなにばかにしたりするの?」「何でおねえちゃんとお母さんを笑い者にするの?」って言っていただろう。また、「何でサングラスかけて、刈上げにして、人格変わるくらい怒り狂うときがあるの?」って言っていただろう。
 でも、それは父が双極性気分障害だったからなんだ。そして、父の願いはただ1つ、「会社で同期よりは少し上の地位について、順調人生を送って、父のプライドは傷つけられないこと」
 だから父の双極性気分障害は、死んでも口裂けても言えなかった。この前占いをしていて、父の誕生日のところで、「気分の浮き沈み激しい、人に『あなたはこう言う人だ』と言われると自己暗示にかかりやすい」って書いてあった。そっか、だから母に「双極性気分障害の人だっていうような目で人を見るなあ!!!!!」と怒鳴っていたらしいから、そういうことなのかもって思った。
 嘘人生、演出人生、うまく行っている人演出人生。
 外から見たら、有名企業の父。でも内実は、父はいっつも寂しそうで、ずり落ちそうな姿でソファに座っていて、兄弟間も「他人でしょ」っていうくらい疎遠で、かかわりあわない。
 私もまた、ずっと演出人生。有名な学校に入って、大学もいいところ。それで、父の死で、「落ち目」になったと周りは思っているかもしれない。悲惨だと思っているかもしれない。 
 でも十分私は子供時代から悲惨だったよ。いじめられっこに指定され、そのいじめっ子さえも「かわいそう、守ってあげないと、あなたは脆いから」という色眼鏡で見て、すき放題されて。体にもいっぱい危害加えられて、それでも皆笑っていて。どこにも誰にも思いを吐く場所なんかなくて、ただただひとりになれたトイレの中で泣き続けた。家族が待っていれば、私は「5分間吐き出しタイム」と決めて、ひとしきり泣いた後、顔を「家族に不審に思われない程度に戻し」出た。
 毎日、泣きたかった、子供時代。でも思いっきり泣けなかった。泣く場所も、素直な感情を吐く場所もどこにもどこにも見当たらなかった。ただただ、一人で感情を、涙を思いっきり流す場所があればどんなにいいかと思い続けた子供時代。
 夢=思いっきり泣ける場所、一人で感情出す場が欲しいだった。

 周りにどう思われるか、気にしている。私、周りの視線を「肯定したくて」「自分をやっぱりいじめたくて」(過去のいじめっ子への復讐として自分を殺したいのかも、お前らが望んだことだろう!!!!と)、周りの視線通りの私になろうとする。そうしたいの。そうしたら、一人じゃないし。
 視線迎合なんてもんじゃない。視線そのものの私になること。人の思考体系そのものを体現すること。私は私として自然な感情を持ち、幸せを追求し、自己判断できる人間になってはいけない。そしたら、両親を否定するから。人を否定することで、その人を精神的に追い込んで殺すから。もしくは、否定された人が逆上して殺しにくるから。
 そう今でもどこかで強くぬぐえないくらい持っている思い。
<2270> ぺあ[FB注意] ■2008年03月06日 木曜日 21時59分27秒
 人の視線が小さな頃から絶対だった。
「あなたはそう思うのね」
 そうしたら、私は「あなたを救うために、あなたの世界観を否定しないために、あなたを落っことさないために・・・あなたの思うとおりの私になりましょう」
 これが私の子供時代の、苦しさの大きな源だったように思う。

 小学校時代のいじめも、いじめられる子という立場にどんどん追いやられる。「OOO(私)は何やっても怒らないもんね〜」という友達。「うん」という私。そういうレッテル貼られたが最後、「いじめられっこ」に私はなってしまう。相手の期待も、視線も、背負わせたいという強い思いも、全部投げ出せない、断れない。断れば、いじめっ子全員が斧を持って私を殺しに来るそういうイメージを持つくらいだった。
 いじめられっことして振舞う。でも家では、「明るく、順調に育っている子」から降りることが出来ない。だれも私は否定できない、皆赤ちゃんで、分かっていない無防備な子供だから。勿論家族も全員。だあれも、よっかかれるひとがいない。だれも私は頼れない。自分の思考を超えて、どうしたら良いのか分からないこと、見当もつかないことを、相談できる人なんてこの世に一人もいないと思っていた。もしも、相談したら、この家の何か、私の何か異常さを見つけられてしまう、という怯えもあった。

 一体それがどう言うことだったのか?
 それが多分、父の躁鬱(双極性気分障害)だったように思う。当時は知識は全く知らなかったけども、感覚として気がついていたように思う。常に、両親のために、両親の子育てを肯定してあげるために、両親の脆い精神を守るために、「順調で普通なあなたたちの子育て間違っていないよ」的子供を演出していきてきた、日々。
 心なんか、私が何をどう感じているか?なんてなかった、あったのは、「ノーマルで世間で通用する子、成功する子はどう感じているのか?」というのを頭で考えて、平均を自分に押し付けることだった。
 こういうときは、悲しくて、少し怒るのが、「ノーマルな子」と考えながら、悲しくもないのに、悲しい思いを自分に強いた。
 中学校に入ったら、いやその前からもうあったんだけども、そして今も少しあるのが。男子の視線に迎合することだ。
 「あいつ(私のこと)俺の事好きかも!」とかいう男子の視線を私は敏感に感じ取る。
 そうすると、私は、その男子のことを否定できないし、また自分いじめにもなって、小学校時代のいじめっ子や、姉や母が大喜びするから・・・いいから、好きとう感情を私に押し付ける。そして、その子に好きなの〜みたいな風な態度を取りたくもないのに、取ってしまおうとする。これが自傷なの。嫌な感情がすごいけども、これいじめの再現だから。
 こういう意識すると、もう顔真っ赤になって、好きなの光線を発してしまう気がする。
 私ずっとこういうことやって生きてきた。
 人を否定できないから、その人の思いを超えたら、その人に「裏切り者!」といわれ殺されるか、または自死させてしまうから、その人の思考体系の中でとどめ、その人の思考を肯定し、その人の思考の中だけで生きる、そう強いるのが私だった。
<2269> yu-ko ■2008年03月05日 水曜日 22時45分09秒
まだ信じない。
100%じゃないから。
<2268> みん ■2008年03月05日 水曜日 14時50分09秒
自分の偽善者ぶりに嫌気がさすが
何層も否認に覆われている本心に気づかないふりをし続けてる。
そんなこと認めたら、人に何するかわからない。
それを口に出したら一斉に攻撃される。
もう、いい人ぶることもできない。
全部さらけ出すこともできない。
自分をコントロールしてる。それが原因なんだろう。
でもどうしようもない。
何かが壊れそう。その一歩手前にいるような気がする。
<2267> くーちゃん ■2008年03月04日 火曜日 21時34分25秒
現実は、全然魅力的ではなくて。。

夢と現実の区別がつかないでいる。
いや、つけたくないのか。。
空想や妄想と、現実をまぜて、
なんとか生きている。
<2266> 真名 ■2008年03月04日 火曜日 20時35分06秒
↓すみません。
真名です。 
<2265> 真 ■2008年03月04日 火曜日 20時34分21秒
<FB注意>


アイツのことだけは許せない。
アイツとしか言いようがない。
許そうなんて思うと怒りがわきあがってくる。
一生許さないままにしようかとさえ思う。
頭の中では理性が働いて理路整然と言葉にできるんだけど、
アイツの前で話すところを想像すると「バカヤロー」とか「ふざけんな!」とか暴言しか思い浮かばない。
ものすごい怒り。
理不尽そのもの。
アイツに負けたという感じ。
絶望感。
フラッシュバックするといけないから、このへんにしよう。
<2264> けんと 改め まさ ■2008年03月04日 火曜日 05時16分24秒
感情と混乱と胃腸風邪(FB注意かな?)

 最近、性虐待を受けた時のFBが多発し、ものすごく混乱し、自分を虐めたんだ。何が刺激になるか理解できないが、情動そのものが引き金になることが多々ある。

 情動は生きるメインエネルギーなんだけど(そのはずだ)それを否定したくなるんだ。今だに慣れない。いいものと言う知識はあるんだ。でも、感覚的に馴染めない。

 躁状態とうつ状態が交互に来るので、感情に敏感になるし、感情を感知する感覚モニターが敏感すぎるのかもしれないな。

 怒りと情欲の区別が付かないし、怒りと感情の区別のわからないよ。

 怒りと泣きたい気持とリンクしているし、怒りと生きたいとの意思は関連がある感じがするんだ。

 おりゃーとか、マジぶっ殺すとか言うと生き生きする俺。それでいいのか?

 俺は根が純情な不良だから、ビジネスライクな生き方が負担なのかもしれないな。

 仕事と感情も死にたいと言う気持とリンクしている感じ。約4年前は、不良な社長をやっていたので、そうかんじる感覚があるのかもしれないな。

 コンチキショー起業と言う言葉がある。コンチキショウーだよ?へっ?

 起業の専門家でACを自覚した方の発言で、結構俺も近いかなと・・・

 起業と感情は大いに関係があるし、場違いな自己開示だが、これは恋愛にも通じる感じがする感情だ。ああ、大好きだああああという感情。

 安定感のかける俺は、もういいやと自己放棄する。そう思い、内科に行ったら、へって?胃腸風邪?トラウマでないの?先生は唯、聞き流したんだ。

 結構失礼な質問したが、俺は自分の失言に気付いてすぐに謝った。

 いい加減な性格といい加減な感情たち。いい加減な感情鈍麻性の反応。

 書いていて、以前お世話になった、クリニックの先生を思い出す。「いい加減でいいんだよと・・・」

 また、お世話になる。近いうちにカウンセリングを受ける。トラウマの専門のところだからさあ・・・

 書いていて胃が痛い。薬も飲んだし、胃が痛い。胃が痛い。胃が痛い。
<2263> くーちゃん ■2008年03月03日 月曜日 02時31分45秒
鬱に苛まれている。
とにかく自分なんて消えればいいのにと思う。

数年後は自殺のイメージしか浮かばない。
今さら夢などなく、やりたいことなんて言われても、
自分の弱さが目に見えている。

何で、いつも自分を追い込んでしまうんだろう?

なんかもう何もかも嫌。死にたい。
<2262> ぺあ[FB注意] ■2008年03月02日 日曜日 15時29分02秒
つくづく、私は共依存者だ。
いっつも、「辛くて、それを隠して現実に適応しているかに見えて、でも空虚感を感じる人、その場にいたたまれない人」に敏感に、感じて、そしてその人の最後の「救い役」になることがやめられない。
 どうしてこうも、辛い人を私は待っているんだろう?自死しそうな人を、喜びいさんで、助けに奔走して、そこにしか、自分が究極に「必要とされた人間」であるがために、生きがい、「自分と言う人間がいても良い承認」を感じることが出来ないんだろうか?
 やばい、今は結構鬱です。
 自分がきったない人間になったように感じ、過去のいじめっ子や姉、うまく行かなかった状況を今に再現しているの。過去のいじめっ子、姉の台詞「ば〜か、失敗しやがって」とか、そういう言葉を今、打ち込みしくじった時に、自分に言っているのだ。
 とにかく、みたらず、他者から忌避される私、実はきったねえ女であること=そういう自己イメージしか今はもてない。
 そして、調子が出てくると、というか、助けて〜という人物や、物事、政治関係のニュースが目に飛び込むと、「ああ、私がきたからもう大丈夫よ」と幼児を待っていたかのような母親に早代わり。
 助けてあげねば!!!
 この世はどうなる!!!!
 私だけは分かってあげられる。今まで辛かったねえ・・・。
 こういう思いしかなくなってしまうの。
 後はもう真っ白。頭の中真っ白。なんの情報も入らない。「自分を大切に」という言葉が書かれた紙さえ、目に入らない。私が救わねば!!!そのときの恍惚感。そして私が究極に必要とされた、この世に有益な救世主になった恍惚感と役に立った感、自分の存在意義を究極に感じる思い。
 恋愛友情もずっと同じだった気がする。
 私は人の有益で、救世主でなければならなかった。そしてコントロール欲。

 このままだと、私も、救世主(勘違いの)と鬱を両方行きつ戻りつの暮らしになりそ。
<2261> ぺあ[FB注意] ■2008年02月29日 金曜日 14時52分12秒
 未だに突然身に降りかかった出来事が、辛い。
そして、それでもなお、人助けに奔走しまくり続ける私って一体何なんだろう?
 人がその人だけで大丈夫と思えない。私が常についてあげて、最新情報を伝えてあげないとって思いまくってしまう。どうして?
 これは大切な部分かもしれないけども、それが原因で「むかつく!」とか言われ、「お前見ているといじめたくなる」と言われた。人をむかつかせてしまう原因なの。
 大丈夫な人がいればいるで、私なんか必要ないって後退していってしまうし、その人への怒りがすごい出てくる。
 悔しい。結婚している人も彼氏いる人も、女の子らしくかわいい子も、自分の道を歩めている人、それを応援されている人、弱くても周りからカバーされている人も全員ぶっ壊してやりたいくらいむかつく。

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