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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.109
メッセージ数:2180件

<2180> ayako ■2007年12月21日 金曜日 11時36分18秒
副作用の消えて行く中で医者に対して行き場のない怒りが沸々と沸いてきた。
腕を何度もヘシ折っても気が済まない。私を地獄の底に落としたあの医者。
毎日地の底を這いずり回る気持ちだった。
無限地獄。この言葉がピッタリ当てはまる。
あの時自分はこのまま死ぬのではないのかと思った。
119番できるように携帯だけはしっかり気にしていた。
このまま死ぬなら、自分で死んでしまおうと思った位だ。
地獄から生還した私は少しずつ地上の生活にもどりつつある。
まだ副作用は抜けきってない。
感覚の麻痺が残ってる。光、音に対する刺激がピリピリと皮膚や体に感じられる。昼間はあまり外に出られない。めまいが取れてないのだ。
夜は夜で電気や電化製品の音で刺激が出る。
今もネットカフェに居るけどあまり長くパソコンの画面は見られない。
医者に嫌味は絶対に言う。通じても通じなくても。
言う事でスッキリするのだ。
木曜に診察の予約を入れた。もう行かないと思うグループもこの曜日。
年内に全て終わらせて、新年からは新たなスタートを切ろう。
グループのファシリの人から誕生日プレゼントをもらったから、それも返さないとならない。ファシリの人は11月誕生日だったそうだ。勿論私は何もしてないし、する気などなかったがもらってしまった以上返すのが常識だし何より貸しは作りたくないから。「お祝いするのが好き」と言っていたが「お返し」を期待しないとは限らない。ACだし、被害者意識に苛まれて「お返し来なかった」
とグチグチ言う可能性もナキにしもあらずだ。
面倒臭い。
会社の人だったら楽なんだけど。貰ったら「ありがとう」と言って
お菓子の一つでも貰った人や人達に配れば終わりなのに。
グループの中では誕生日の様な子どもにとって”特別な日”は祝うのを避けたいものだ。
今年も後少しで終わる。その最後の月の半分以上も副作用で潰れた。
来年になったら私は本厄。前厄は本厄へのエピローグという。
エピローグがこれなら本筋はどうなるんだ・・
怖い。厄払いは勿論行くけど来年は本当に大人しくしていよう
今度は入院かもっと大きな病気になるかもしれないから。
<2179> ぺあ(FB注意) ■2007年12月18日 火曜日 20時50分26秒
私ね、父の葬式の時、泣けなかった。
涙は演技。
だって知っていたから。もう。
だから、平然とした顔でいるのおかしいから、また「普通の子はこういうときどういう風にするか頭で考えて」行動していた。
 そして私の態度に周りが「あの子おかしくない?あの子殺したんだ」って思われないように細心の注意払っていたんだ。こんな自分を本当に汚い女だと、気持ち悪い女だと、普通じゃないって思っていた。
 泣けなかった。
 涙は私は心理学とか勉強していたから、こういうときに泣くべきっていう知識のもと泣いて後で後遺症を減らしただけ。
 父の自死なんて・・・・・
 でもでも私はただ実家に帰って棺おけの父を見ただけ。
信じられなかった。
 でもそのまま死んだ。
 笑える。
本当に笑えるよ。あのくそじじいめ。私に高校時代死ねって言ったんだよね?私にね。
自分で死んでんのね。
<2178> ぺあ(FB注意) ■2007年12月18日 火曜日 20時45分29秒
ねえ、もしもあの時叫んでいたらお父さん助かったかな?
やっぱり父が私は本当に好きだった。

でもさ、私はぎりぎりの精神だったと思う。
実家に帰る電車の中でそこの線だけ、パニックになったのは、帰りたくなかったから。もう会いたくない、教育実習の生徒、関わった人たち、過去の同級生、知っている人、そして混乱になってしまう家族。
優しい家族、なのに、訳分からない世界。カーテンの中にいるようで、力が萎えるような家族。
 いつもこんないい家族に恵まれてって自分を責めるしかなかった。大学の友人に家族の悪口言いながら、それでもこの家に戻ると、居心地いい、何でもやってくれる、おいしいところに連れて行ってくれる、お金もらえる、一体何なんだろう?確かにある友人が言うように「お前は贅沢だ」なんだろうなって思っていた。
 でもおかしい。そして私は意識を飛ばしながら成長し、見たもの聞くもの信じられずに、いつも印象操作でしか、出来事をクリアしていくことでしか、人と関われなかった。
 「普通」を頭で探りながらしか、生きられない。
 自分のままだと、もっとつらい人を突き落とす気がする。
 父の期待する視線。
 生きられなかったこと。
 意識飛ばしてそれでも「普通ちゃん」やってきたこの二重構造の私の精神。
 でもそれのなぞが解けた。
 新幹線でパニックになるであろう、(いい家族どこまでも演じなければならない状況であるし、それに自分の中に湧き上がる思いを自分は許せないし、自分でも分からなかったから、こんな優しい家族に対してこんな思い持つお前はなんて奴なんだって自傷しようと思っていた。手首に今までの思い、ぶつけよう、この世に出してあげよう、どうしても出てきてしまう思いを殺せない私は・・・殺せない。殺せない。殺せない。殺せない。殺せない。でもどう考えてもお前はおかしい、ひどい、親不孝、最低女・・・としてしか思えない。だから、出せない、許されない思い、感情を私は手首に向けようと思った。そして実習の時も、婚約者持ちの彼氏との時も、いや、もっと前からあの女にいじめられた時もそう・・・・自傷しかなかった。この場をやり過ごすために私がやったことは、自傷。自傷しか私にはなかった。自分を守るため。現実を分かるため。ひとに迷惑かけないため。とにかく、私を貶めたい人を喜ばせるため=その人は自死しそうな脆い精神の持ち主だから、自傷だった。
 で、実習では自傷しても許されなかった。子供の前で意識が乖離するくらい怒鳴られた。そして職員室まで追っかけられて私の心を殺すようなことばたっくさん罵声浴びせられた。今までの怒りすべてぶつけられた。私のこと。
 今までずっと自傷で乗り越えてきた。でもこの実習では自傷さえも許されなかった。だから、もう生きられない。息もできない。乖離しかない。そうだったの。電車にのって、パニックになることも、息が出来なくなることも)
 24歳の年に父が自死した。笑っちゃえる、今でも笑えるよ。笑える。そしてじめられた耳の痛みやぐちゃっていう笑い・・・・・・・
 そうだったのだ。私の感覚は確かに合っていた。そうだったんだね。
意識飛ばしてきたのも。この世は精神がぎりぎりの不安定方向にしかいけないかわいそうな人だらけだっていう考えも、自分のお世話ができない人だらけだっていう考えも。父のことだったのかもしれない。世界のすべての人ではなく、私の父が母がそうだったんだ。
 結婚式行かずに済んだが第一声に思ったこと。限界だった。心が。実習もまたそれに拍車をかけてくれた。いじめなんか私の心壊したよ。でも、あの時声かけられたと思う。そしてかけなかったのは私の意地だったと思う。父の自死。運命があるんだろうか?そして今私は電車に乗れなくなった。人の中にいること。実習。とめられない運命。とめたいのに、とめられない。悲しみ。運命。一歩も動けない。息できなくなるの。許されなかったような。人に言われ続けたこと。それが精一杯だったのに、駄目出し、批判、もっとこうしろっていう言われ方が私を殺すの。息することも許されていない気がしてつばも飲み込めなくなる。そして自傷しても許されなかった実習のこと。乖離したくなる。だから、乗れない。もう普通ちゃんになりたくない。お父さんが自死したことなんか、別に悲しくも重くもない。大丈夫。こんなもんよ。でも痛い。痛い。変えられない運命。電車なんかのりたくない。電車みたいなものをとめられていたらとめられていたのかも。笑える。そしてあの子の怒りに満ちた顔がまじかに居る気がする。
<2177> ayako ■2007年12月16日 日曜日 15時17分20秒
薬の副作用が残っており、まだ目眩と感覚が麻痺したままだ。外に出た。外の温度が低いのか高いのかも分からない…家に帰り考えた。空や雲や月は美しいけれど私は本当に美しいと思ってるのかと…歌を忘れたカナリアが頭をよぎる。歌詞は詳しく覚えて無いけどカナリアがかわいそうな気がした事は覚えてる。私も歌を忘れたカナリアなのではないのかと思った。いや、元々歌を知らないカナリアだったのかもしれない。感覚という感覚が麻痺して今もフワフワと漂う感覚がしてる。ドラッグの最中はこんな感じなのかも知れない…何も感じない事は良いと思ってたけどやはり一度何か感じ、心動かされるとそれが感動を呼び、もっと感動が欲しくなる。これもドラッグのように次から次にと欲しくなる。 私がカナリアだったなら歌は忘れたまま生きて行くかも知れない。歌は元々知らないのだから苦しくも無いだろう…今の自分自身の状態は苦しく、早く副作用が消えて欲しいと願っている。また前の世界に戻りたいと思ってる。にしても副作用は私に苦い思いをさせており、薬に頼らず治療したいとすら思わせた。薬は毒という言葉が頭をよぎった。私には毒を盛られた人の気持が良く分かる。暫くは薬も止めて病気と向き合ってみようかと思う。そしたまた何か発見があるかも知れない…
<2176> ayako ■2007年12月15日 土曜日 10時39分40秒
この間前にすきだったKさんに偶然会った。グループの仲間と居た時だったから、話かけられなかった。Kさんは「**」と私の苗字を呼んで近くに来てたけど・・・一瞬その顔は別人に見えた。確かにKさんなのだが・・髪型も変わってた。薬の副作用で寝てた時に考えた。私はKさんのどこが好きになったのだろうと・・1年ぶりに見たKさんの顔からは何の歓喜も見い出せなかった。
私は彼の何に歓喜していたのだろう?どこにあれまで情熱的になれたのだろう?私が見てたのは幻だったのではないのだろうかと思った。
恋は幻とよく言う。私は幻をみていたのかもしれない。
研修の時の彼はとても素敵で私はそんな彼に惹かれて行き・・気がつかぬうちに恋をしていた。現実の彼は研修の時の彼とは違う人間だったのだけれど・・
彼は「研修の時は舞台だから。舞台役者に恋をした」と私の事を語ったそうだ。本当にそうだと思った。千両役者なら良かったけど、彼は十文役者かも。いや、大根役者かもしれない。
恋をしたら人は詩人になるという。
私も詩人になった。彼の髪も手も声も私にはとてつもなく輝いてみえた。
男性は否定するでしょうが私は彼と抱擁したいと思った(関係ではなく、あくまで抱擁。考えてなかった)その抱擁も私にはこの世の中で最も素晴らしく甘美な時に思えた。その甘美な時は迎える事はなく恋は終わった
彼と恋愛観の話をした時に「誠実に細く長くか〜俺には無理だな。みかじめ希ボンヌ」と冗談ぽく断られていたから。その時は彼に会えて嬉しくて、緊張して殆ど話せなかった。でも研修の時はよく話してた。「研修の時はベラベラ喋っていたのに」と彼が言った位だ。そんな自分の一面を見、彼が思った人ではなかった事に傷つき、泣いて終わった。この恋は何だったのだろう?
1年ぶりにみた彼を思い出してみる。彼もACでナルシストで共依存者だと判った。そこで私は共依存の怖ろしさを感じた。もう懲りたはずなのにまた繰り返していた事、まだこの病を完全に取り切れていない事。しかし幾分か進歩はあった。自分から退けたから。前なら「すぐに関係が終わってもいいから今一度だけ夢を見たい・・」と思い彼に一直線だったでしょう。そうしてまたボロボロになる・・でも彼を求める・・そんな事が起きて今頃もっと大変な事になっていた。
もう恋はしない。
前に共依存の相手から去られ、酷くボロボロになりどうしょうもなくなっていた自分が居た。こんなに苦しむなら恋はしたくないと思った。
自分に堅く誓っていた。もう傷つく事はするまいと。それが恋だ。
そうだったのに恋に落ちてしまった。
自分の心が無用心なのかと思った。誰も入る隙間がないと思ってたのに。
自分から隙間空けてしまった。その自分が悔しかった。情けなかった。
理由なんてないのが恋だけど
私は自分からまた痛い目に遭う程馬鹿じゃないわと思ってた。
共依存から覚めた心に降ってきた恋は痛かった。
心がまた涙した。傷は少し開いた。
絆創膏貼ったつもりが絆創膏で傷が悪化した。
絆創膏も共依存者だった。痛い自分が居た。それに気がついた。
共依存から完全に醒めないとまた傷が開く。
そんなのはご免だ。これからは傷口か開いても自分で絆創膏を貼ろう。
それが一番自分にとっての一番の薬だ。何よりの絆創膏だ。
傷はやがて癒着し、瘡蓋になり、瘡蓋は剥れる。
今の共依存は瘡蓋の最中なのだ。
ゆっくりゆっくり瘡蓋が自然に剥れていくのを待とう。
あせってむりやり剥すとまた血が流れる。
また暫くは誰かに心動かされる事は無いだろう。
Kさんに遇ったのはそれを気づかせてくれたキッカケだってのだ。
世の中は偶然は無く必然。
Kさんに遇ったのも必然と考える。いい気づきになった。
でも前に共依存関係にあった男とは二度と会いたくない。
私の無意識が拒否する。もう傷つきたくない。

<2175> ラビット ■2007年12月13日 木曜日 10時27分45秒
昨日と今日風邪で仕事を休んだ。今感じるのは何故か淋しさや悔しさ罪悪感、不適格感、間違っているなとが腹の中から胸あたりまでとどまっていて嫌な感じだ。心からは父の声で情けない奴やなという声がひびく。
<2174> ぺあ ■2007年12月10日 月曜日 17時26分07秒
さみしいな。
すっごく寂しい。
寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。人助けを思いっきりしたくて、誰かが待っている気がして、でもすると今度は自傷したくなる。それは、人助けすればするほど、誰かが傷つけた過去があるから、いい子ぶって、お前だけ、何だ!どこまでお前が耐えられるか見たい!・・・・そういう子供の中にいたから。世界はこういうものだと思った。一生懸命人助けをしている人に攻撃する人が絶えない、甘えなのかもしれないけども、恐怖だったな。だからやめたの。
 私、今でも人づきあいはほぼない。ほぼないと思う。
<2173> ぺあ ■2007年12月10日 月曜日 17時16分17秒
このサイトとかに来ると、誰かと話して答えが欲しくてたまらなくなる。いつか本に書きたいな。私、寂しいんだって最近やっときずいたんだ。
<2172> ぺあ(FB注意) ■2007年12月10日 月曜日 14時30分40秒
私ね、時々思うんだ。
例えば、統合失調症の方の妄想って似通っているっていうじゃない?
世紀の大発明を盗られてしまうだとか、誰かに盗聴されているだとか、テレビの中の有名人が私にだけ特別のサインを送っているだとか、誰かが常に私のことを見張っているだとか、本を読むときに、違う声が先読みして邪魔だとか・・・・
 私ね、こういう感覚って紐解けば、「ああそういうことか」って思うんじゃないかなって思うの。
 私はね、有名人が特別なサインを送っているって思う方はね、寂しいんだろうなって思う。特別な人に目をかけてもらって、自分もいつもは馬鹿にされて悔しい思いしたけども、でもお前らと違うんだって思える、日常の人間関係を見返せるんじゃないかってその人は思っているのではないかな。

 前にべてるの家という精神障害を持たれている方の自助グループの講演会に行った時に、子供時代毎日「お前は馬鹿だ」って言われ続け、褒められようとやったことも、絶対に褒められずに常にけなされてきた方が、今でも幻聴で「お前はばかだ」って言われてしまうって言っていた。
 多分ね、意識ってすごく不思議で、子供時代は特に強烈に持ってしまうものってあって。幻聴かもしれないけど、それは幻聴じゃないよね?って思う。幻聴じゃない、その方は傷ついたんだって思う。
 私の素直な感想、そういう精神的な障害を持った方は、皆、すごく純粋に、自分で背負う人なんだって思った。そうなの、まさに、本当はその人の親に問題を負わせないと、戻さないといけないことかもしれないのに、その人が背負ってしまうの。その人は喜んで背負っている、っていうそんな感じがした。

 もしも精神に障害があるっていうラベリングされたらどんな気分になるだろうか?
 でもね、私の知り合いが言っていた。その方はカウンセラーなんだけども。
どんな症状も、その人には必要だったんだって思えるんだって。自傷もそう、その人の育ってきた環境、その人の感じ方・・・・そういうことから、出てきたもので。それ自体を異常って見るんじゃなくて、その人には必要だったんだなって思えるんだって。自分の心を守るためには。それを謎解きのようにし、しないと見えないって。表面だけでは分からない。そうだよね。表面に焦点ばかり合わせることをこの社会は、いい子を求める親は、求め続けるけども。
 でも非行もそう、自傷行為もそう、その子には必要だったんだって思う。

 だから、私は、非行少年とか、説明できないけども、誰かを殺してしまった子供とかに興味があるの。高機能性自閉症だった、長崎の少年は、パニックになって子供をビルから突き落としたとか・・・・表面の世界から見たら、異常だよね?でも多分彼の心はそうじゃないって思うんだ。分かってあげたい、どうか落っこちないで。この社会からって。
 私も落っこちそうだった。ずっと。ずっと。自分がACとも分からずに、こんなにいい家庭に恵まれてって自分を親不孝者だって責め続けて生きた。そして誰からもものすごく言われ続けた。ばかにされやすかった、いじめられやすかった、人のストレスの刷毛口ばかりだった。
 人を殺したかった。優しい人をどこまでも耐えられるか実験して、失った自己愛を、レベル上の人私だって・・・っていう思いを回復したかった。
 そして人を殺したり、いじめたり、どこまでも心を殺すやり方を想像しては、自分を責めて、自分は恐ろしい人間なんだって思った。周りの綺麗な子とは違うって思った。

 でも24歳で父が自死して、やっと分かったの。見えたの。私は異常なんかじゃない、ずっとこの家をおかしいって見ていた私のほうがずっとずっと正常だったって心から思った。

 もしも世界で落っこちそうな人がいたら、もしも誰かをいじめたくて殺したくてたまらない人がいたら、どうかそんな気持ちを持たざるを得なかった自分を抱きしめよう。かわいそうなのは自分。かわいそがってあげよう。だって、抱きしめて欲しがっているのはあなただから。いじめたい、殺したいんだねって心の底から言ってあげよう。そして助けが欲しいのは自分なんだって自分を抱き取ってくれる人を探そう。助けを求めよう。ほんと、殺したいよね。あいつもあいつもあいつもぶっ壊したいよね。
 前にHPを見たときに、誰かが言っていた。
「身体的な死だけじゃない、この世には社会的な死、精神的な死なんかいっぱいあるんだ」って。
 そうなんだよね。精神を殺されたり、社会的に殺されたり・・・・。

 私は、説明もできなかったけども、どうにもできなかった、非行(この名称も変)に走ったり、殺人したりしてしまった人のそれをする前の段階を助けてあげたい。
 殺したいくらいつらいんだって誰かが受取って欲しい。抱き取って欲しい。きっとそういうかたは、精神が殺されているから、社会的に殺されて、透明化されている方だから。。。。きっとそうよ。表面では普通を振舞わなくてはいけなくて、でも遠いから、表面から見えている世界にある人間関係からは、その人の精神は離れている、遠い、殺されている、消えかかっているから、きっと。
 どうか、そういう人を誰かが何も言わないで抱き取ってうんうんって認めてあげて欲しい。本当に、そう思っている。
<2171> ラビット ■2007年12月08日 土曜日 23時52分41秒
ネットカフェの個室で隣のオッサンがテレビをヘッドフォンなしで見だした。

僕は怯えや不安、恐さ、屈服、苛立ち、フラストレーション、傷つけられたような感じになった。

そうすると頭がパニックになり、相手がわざとやってるのではないかとかなんで僕のとなりにはこういう人がくるんだろうとかこれも運命なのかと思ったり、自分が気にしすぎなんだとか自分がここからでようとか、自分がヘッドフォンつければいいんだとか相手に合わせようとかでもそれではなんか嫌だなとか直接いいたいけど言うて何か言い返されたらどうしようとか怯えだした。そしたらどんどん自分が追い詰められている感じがした。

多分自分勝手なんだよとか神経質すぎるんだよとかそんなことぐらいでとか。

それがますます僕をくるしめ相手の行動をやめさせてやるとか負けたくないとか何とか仕返ししてやるリベンジしてやるとかの思いが強くなっていった。

でも1番強かったのは怯えだった。怒りはほとんどなくただ怯えが強かった。

結局店員さんに話したら店員さんがヘッドフォンをもって行き話しをしてくれたが、オッサンに最後に今度から直接言えやと言われまた怯えがでてきた。僕はおもしろいな、あなたの言うとおりだと言ってかわしたつもりだったけどやっぱり傷つけられたという感じわした。
<2170> ぺあ(FB注意) ■2007年12月06日 木曜日 16時30分20秒
優越感を感じると、周りすべての人が、自死してしまうくらい、追い込みそうで怖い。
後でしっぺ返しくらいそうで怖い。
怖いものだらけだ。
 父の顔が目に浮かぶ。工事で、元の大企業で一緒にやっていた方とたまたま一緒になったらしくて、「お、俺のいいところ見せれる」ってまた思ったんだろうな。
 大企業の中にいて、気分障害が出て、工事の後の事故で一人亡くなった、こともあって。本当に本当にうちの父は。優秀だった。同期で一位、二位って噂されていた。社宅に昔は住んでいたから。学校の時は、優秀で学級委員だった。
 でも大企業で早くやめて、新しいところで頑張ろうとして、気分障害の鬱がきて、体調崩して、それが、「病気に逃げている」って父は常々言っていたので、父は悔しい気持ちで身を滅ぼしたいくらいだったんだろう。
 いなくなったよ。そうだった。双極性気分障害って、怒りを自分にぶつける病気とも言われているんだって。
 何だか、父がいなくなって、私ずっと、人間って生きている気がしたし、私の年代、80年代って育ってきた年代は比較的豊かだったから、ずっとずっと思い出にならない気がしていたけども、あの時代も後ろに行ってしまった。旅行に連れて行ってくれたこと。何だか、思い出す。そして、つらい中にも嬉しいこともたくさんあったことも。
 不幸は幸福を裏側から見たことに過ぎないってゲーテか誰か詩人が言っていたけども、そうなのかなって思った。
<2169> ラビット ■2007年12月06日 木曜日 01時38分09秒
不安がどこからともなくあらわれる。メール一通送るのにも感じる。
今家族の中で孤立しものすごい圧力をかけられている。とてもキツイ。昨日姉から受けた暴力暴言と家族から離れることへの罪悪感に追い込まれいく。
<2168> ラビット ■2007年12月04日 火曜日 20時51分10秒
心が何も反応しない。

さっき姉の要求をことわったら首をつかまれ、どなられた。

頭ばっか動いて空虚な感じがとれない。

とっさにコンビニに逃げた。
まるで当たり前のように何も感じなく、今戻ってまた姉や父、母のいる場所に戻ってきたことが正しいことなのかわからない。
ただ昔から殴られた時の俺が悪いんやろうがという感覚から動けなくさせている。
<2167> ぺあ(FB注意) ■2007年12月03日 月曜日 10時46分05秒
人を今でもどうやっても隙をついて、一番の幸せから絶頂から突き落としてやりたいです。
そうされてきたから、小学校で中学校で。そうされようとするくらいの支配されていたから。私だっていう理由で。
 殺したい。壊したい。おんなじ思いをだれにも味合わせてやりたい。どれだけの思いかわからせてやりたい!!!
<2166> ぺあ(FB注意) ■2007年12月03日 月曜日 10時44分36秒
私怒っているんだ。
姉に。NAに。Kさんに。Sに。Iに。母に。父に。姉に。実習の担任教師に。あの目で、見た子供たちに。こんな現実に。そして私に「おとなしい」だの「もっと明るく」と求めた、学研の先生、教師陣、子供たちにも。「いやだって言わないからいじめるんだぞ」って当たり前のように私は「きたないランクしたの人間」として、当たり前にあったあの私だけへのあてつけ、からかい、いじめ、ばかにする、あの空気。
 ずっと自分のせいだとしてしか思えなかった。
 でも父が24歳で自死してやっと分かった。
 父が気分障害であったこと、私の目が変じゃなかったこと、ずっと見ている現実があきらかにおかしいのに、おかしくないってされて、隠されてカバーかけられていた。
私がおかしいんだ、私が神経質すぎるんだって責めてきたんだ。ずっとずっとずっっとずっとずっとずっとずっとずっと。
ずっとずっとずっと長い年月、私は自分を責めるしかなかった。せめてせめてせめぬいた。自分の性格を。
父も母も「あの子は神経質だから治さないと」って言った。
だから、どんなにいじめられていても私の神経がこまかすぎるんだって思っていた。
 だから、子供がうらやましかった、何も考えずに、ストレートな強い思いを外に出せるあんたらがああああ!!!!
 私はそうじゃなかった。そうじゃなかった。
 父が双極性気分障害だったのに、父の怒りが尋常じゃなかったのに、会社の人だって、「Oさんはちょっと見ている限り普通じゃない」って母に伝えたのに、母はそんな父に泣きついた。父は「そんな会社なんか行くな。(上司が母に相談して、対策決めようって言ってくれたのに)そんな会合いくなあああ!」と言って・・・母はばかだから、その通りにした。
 尋常じゃなかったことを、私は無理やり飲まされた。尋常なことなんだって父の強い願いから、そうされた。
 石を「おいしいよ」って全員から笑われて呑まされているような子供だった。
 いじめっ子もおんなじ。
 何でも素直に聞き入れる私を格好の餌食にしていた。
 でもそれは間違っているって分かっていても、その子が(父が)つぶれてしまわないように、その子のプライドのために、私は、その子の精神を守るために、飲み込んだ。彼らのいじめたい欲求を、飲めないものを無理やり飲みたくもないのに、頑張って飲み込んだ。飲んだ。どこまでも飲めるようにした、自分を。それは意識をとばしていきることだった。自分を上から見下ろして、意識をとばして何にも感じないように、ただただ周りを喜ばすためだけに、何にも心を感じないようにして生きてきたんだ。
 でもいきちゃった。
 でもここにいる。私は間違っていなかったの。

 うつ病にならなかったの。
 ねえ、もしもそういう人がいたら、言いたい、そうなるだけの何かがあったんだって。
 私は人を殺したい。壊したい。あの子におんなじ思い味あわせてやりたい。人を後ろから無防備なとこを思いっきり壊したい。殺したい。殺してやりたい。殺したい。殺したい、壊したい。あの時の思いがどれだけのものだったか、分かりますか?
 やっと分かったのは父は自死したからなのよ。双極性気分障害だった。祖母も叔父も。

 怒りは私を壊そうとも、他者を殺そうともする。
 子供は残酷だ。
 子供のストレートな思いは、私を殺した。弱そうに見えたから、いじめたくなったってあいつらは許されているようにいうんだろうね。
 それが許されて、どうして大人になってからの魂の殺人はおんなじ目にあわせることは許されないの????おかしいよ。おかしいよ。おかしいよ。おかしいよ。おかしいよ。おかしいよ、おかしいよ、おかしいよ、おかしいい!!!!
<2165> ぺあ(FB注意) ■2007年12月03日 月曜日 10時29分51秒
人をいじめぬいてやりたい。
今回は自死遺族の会の方で一緒につらい思いしたかた。
優しくすればするほど、つけこんでやりたくなる。
他のサイトで違う名前で自分の娘さんをなくされた方のコメントあると、あ、あの人だって思って、支配欲がすごくくる。
ああ、追跡してやって、ねじこんでやりたい。私みたいに安心してくれたらおろか、いじめてやりたい、心を弱いところにつけこみたい。
 私以外の居場所を見つけたら許さなさい!!!あなたは私のありがたいアドバイスの範囲にとどまっていろ!!!かわいそうだし、不幸ならば私の中におさまっていろ、その人が自分の力をつけて、他のもっといい居場所を見つけることは許さない!!!!!
優しい人を支配して、どこまでもつか試してやりたくなる、お前の私の絶望がわかるのかあああああああって思う。
 いじめた子に仕返しすればいいのに、できない。その子のほうが心配で、かわいそうになってしまう。
 くすぶった怒りは優しい人、かわいそうな人に向けられる。
 私は、優しい言葉を助けてくれる人がいなさそうなあなたにかけてあげるわ。その代わり私の怒りをどこまでもどこまでもどこまでも試してあげる、許さない、他の貴方の居場所を見つけたら徹底的にうちのめしてやる。お前は一人で自分の力で自分の世界を見つけることは絶対に絶対に許さない!!!!!

 いじめた子に仕返しすればいい。
 なのに、その子が自死したらって思うと、ただでさえ不幸そうな子なのにかわいそうで、できない。
 頭の中で復讐している。
 あの子のやったこと、つめとつめでつねる。耳に虫いれる。私を毎日はたく、ばかにする、そういう風にもっていく。
 でもそうかくと、あの子が私をかばってくれたことを思い出す。
 で、今度は優しい人を苛め抜いて苛め抜いて苛め抜いていじめぬいていじめぬいていじめぬいて心をぶっ殺してやりたくなるの。本当に鬱にでも何にでも、思いっきりおいやって、殺してやりたい。心を。
まったくの空白人生を送らせてやりたい!!!!!!!!!
 殺したい。
 いじめたあの女を多分男に刺客でも送って私の恐怖を味合わせて、私の思ってきた思いを味あわせて、精神を狂うように仕向けたい。壊したい。許さない!!!!毎日、毎日ストーカーみたいな男を送って、お前の幸せ台無しにしてやりたい。殺してやりたい、今DVとかにあっていればいいのに、幸せになってんのばかじゃねええの・お前みたいなぶたがよおお、なれんのかよ。許さない。壊してやりたい。、心をおもいっきり私とおんなじめにあわせてやりたい・
 本当は復讐したいの!!!本当は許せないの。結婚してんだよ。許さない。お母さんがお兄さんがしんだ、あっそ。お前たりねええええええええええよ。しねよ。しねよ。お前の心がしねよ。ゆるさない。高校時代からの彼氏と結婚したんだってゆるせない。私の高校時代なんか死んでいたよ、精神は、許さない。許せない。許せない。本当に私のあの恐怖無力感、世界から取り残された思い、味あわせてやりたい、何でもいい、男を送って、心を壊す方法ならば何でもいい、何でもいい、あの子の最大に怖がる方法と自責感をもつほうほうで、私のあの取り残されて世界ががらがら崩れていくあの心地を味あわせてやりたいの!!!!!!!!!!!!!!!!!!
<2164> けんと ■2007年12月03日 月曜日 07時32分54秒
感情!!!(FB注意!!!)

 結構、俺って感情の起伏が激しい。でも、罪悪感もあるんだ。
小さな頃に、母に結構注意されて、ねじ込まれた。母自身が、おとなしいいい子、自分からまさか、こんな子が生まれると思わなかったんだろうな。

 俺の性格は父譲りで、結構感情的に行動する。今でも、そうだよ。まあ、社会経験をつんで、考えてから行動するようになったけど、ACの知識を得て、カウンセリングを受けて、デイケアに通い始め、AクリニックのACグループに参加して、何かがはじけた。自分らしくなったんだな。今から、7年前の話。

 確かに、某カルトにいて、そこでも、いい子にするようにとの教えと、度重なるコントロールのため、自分を殺していた。(約13年もね)かなりきつい失恋をし、どうして、自尊心の低い女性に恋をして、あちらからの明確なアプローチがあったのに、手ひどく振られ、ぼろぼろになって、弟の助けで、ACだということに気づいた。なんども、RNで書いたけど、それぐらいの大きな傷だ。まだ、その女性を恨んでいるな。まあ、宗教女だし、きっと、ろくな生い立ちじゃなかったんだろう。たぶん、彼女もACだ。しかも、特殊なACで、通常のACと俺は区別している。

 まだ、俺の心の奥底に感情のモンスターが住んでいて、虎視眈々と獲物を狙っているようだ。感情任せに動いたら、殺してしまうかもしれない。怖いことだけど、これが、自分の感情で感覚だ。カミングアウトはやはり、7年前で、AクリニックのK先生。先生はよく認めれたねと言ってくれた。

 ただ、先生もかなり悩んだらしく、俺がカルトトラウマと言う病気だと診断するのに時間がかかった。それを知ったのは最近で、それまで、うつ病だと思っていた。今まで飲んだ薬が、リスパダール等の統合失調症用精神薬で、他にもブロザックとか飲んでいた。カルトにいて、ACを自覚しカルト仲間だった前の前の彼女と恋愛は幻聴と幻視を引き起こし、かなりの反社会的な行動や振る舞いをしていた。自分の人生の師匠がそう分析していた。かなり、変でとっぴで本当に子供の振る舞いで、インナーチャイルドにのっとられていた。前述の先生はインナーチャイルドの汚染に気をつけるように言っていた。

 そんときは、わけのわからない助言だなと感じていたけど、当の彼女から見ても変で、よく、けんと君は変だ、変だと言っていた。性的な衝動がすごく、襲うかのように彼女を求めていたから、そうだよな、書いていて怖いよ。

 Hなことの研究に熱心だったから(まあ、男なら同意してくれると思うけど(女性の方、ごめんなさい))あらゆることを彼女に求めて、デートのたびにやるもんだから、彼女はデートしたくない、怖いと言っていた。反対の立場から見れば怖いよな。今は感覚でわかるし、俺もエロ視線の女は怖い。速攻で逃げるもん。

 ここの話題とかなりそれたけど、自分の中の一番癒したいテーマなので、書いています。まあ、その次の彼女さんには結構冷静に対処してHしたので、良かったなあと感じるけど、その反動は今になって出ていた、気づいたら、現在の彼女さんが、メガネをかけた前の前の彼女さんとすごくダブるんだ。だからだろうな。

 幸い、状況的に幸か不幸か会えないので、会って多くて月に2,3回なんで、しかも、本当にわずかな会話しかせず、ほとんどアイコンタクトなんで、自分と相手も傷つかずに済んでいる。この彼女さんはかなり男性が苦手で俺に男性恐怖症だと告白してくれた。察するにDV被害者だろうとその瞬間に感じた。初デートのときだ。本当にあんまりしゃべらないし、かといって俺を怖がる感じでもないのに、デートの終わり際に言った。なんかすごく納得して、そのときのデートは終了。でも、矛盾だが、お互いに星座は何座と聞いたときに、俺の星座を言ったら、なんと相性のいい星座で、彼女自身、「相性、ばっちりじゃん!!!」と言って、俺はたいそう驚かせた。驚くよね^^;この娘は、いつも何か感じながら、行動する娘で、めちゃくちゃ賢い。今まで、あった女性はみんな賢かったけど、ピカいちなんだ。衝動で行動しないし、必ず、だれか(目上の女性とか男性)に相談してから、こっちへ来る。

 この行動を見ても、今までの人生が過酷で、大変だったのだなあと思うわけさ。尊敬できるだろう?そんなことをラブレターに書いたっけ^^;

 脱線しまくりだが、どうしても感情と恋愛とHは自分の中では切り離せないよ。心の持ち方、とりわけ、恋愛はむずい。自分が自分でいないと、相手に多大な迷惑がかかるし、衝動的ななるなら、つまり、怖い話、襲うなら、確実にトラウマを相手に与えてしまうだろう。それを感じながら、考えて、今の彼女との距離をゆっくりと縮めているんだ。その成果もあって、調子が悪いときはだめなんだけど、あっちから来ることもあった。それは今年の病院のお盆祭りのとき、こっちから、声をかけたんだけど、無視したんで、心の中で怒った。彼女は敏感に反応して、返事をした。悪く感じたらしく、俺を探しにきた。突然のことだったので、こっちはびっくりした。一瞬怖かったし、緊張した。でも、じっくりと彼女を見ることができて、幸せだった。たぶん、一緒に踊ろうということだったのかもしれない。でも、そのときは応じれなかった。彼女はかわいらしく、一人輪の中に入って踊っていた。こちらは心配しているわけで、結構近くから、観察して、だいぶ体が動くようになったなあと安心した。

 彼女はなかなか自分を出さない。付き合っていてわからないことが多い。付き合い始めのあたりで、面白い正確であることは理解できたが、イベントの度に、少しずつ、自分を出してくれる。彼女はそういうタイプなんだ。付き合っているとものすごくおいしい人で、ずいぶんと味のある女性だ。好きになってよかったなあと思った。彼女を見ると心に平安を感じるし、じっくりゆっくりと長い付き合いをしようと思う。相性ってこんな感じだと思う。

 長文になりました。のろけてごめんなさい。ありがとう。

 けんと
<2163> ぺあ(FB注意) ■2007年12月02日 日曜日 22時10分19秒
私はね、小学校の頃に、この近所で行方不明になった子がいて、その子のポスターで20歳の時のシュミレーションというのが、載っていて、それを、小学校5年の時に見たんだけども、あまりにもきもくて、衝撃を受けた。
 で、自責感が強くなっていた高校生の時に私は「お前が殺したんだ」って自分に言った。本当にそんな気分だった。中学校の頃から記憶というか自分の感情があやふやで、自信なくなっていっていたから。
 自責感の強さはすごくて、すさまじくて、殺人事件があれば、その被害者が夢の中で「お前がころしたんだあああああああ」ってきた。
 どこでもそうだった。
 お風呂場でもそうだった。
 すきを見つけては、ちょっと気が緩むと
私を責めにくる。
 お前がやったんだろ?
 家族の中で「嘘笑い」の半分の自分が「でもこの事件お前だろう?お前殺したんだろう?」って私に言うの。私にくるの。でも、それをもう一人の私がおののいているのだ。そういう3者対談が常にあるような自我が分裂したような、中学校高校時代だった。
 自分のまんまでいい。
 ただ一言をまっていた。
 私はずるくないって思いたかった。
 家では父が常に寂しそうな背中を見せる、母の悲しみ、姉のイライラ。
 すべて、私は自分がずるいんだって思った。
 人を殺したくなる思いも確かにあった。特に親しい人に対して。現実が何一つ分からなかったから、私にはつかめなかったから。だから、殺したかった、私に近づいてくれるから、私を慕おうとしてくれるから、殺してやりたかった。
 多分父がいたときから、私は心を壊されていたんだろうな。学校で心を壊滅状態にされた。ストレスフルな子たちから、「弱い」「おとなしい」「いやっていえない」との理由でいじめられて。
 でも「いやっていえないのは私は父の双極性気分障害を感づいていたからなんだ」きっと。この家の人、傷つきやすい母と父を壊すことなんか、できずに、自分の子供ならばもつはずのストレートな自分だけの思いを持てずに、ただ人が壊れることだけに怯え続けていたからなんだ。
 でもそれは子どもには「弱い」とうつった。
<2162> ぺあ(FB注意) ■2007年12月02日 日曜日 20時53分00秒
何で教育実習なんかいったんだろうか?
何でいじめられて意識とばして、感情をないようにして、生きて、「笑って」ふつうにすごした問題なく飛ばすように過ぎたあの学校生活。
 実態は、過呼吸になり、常に自分をガンだと思い、そんな子だったけども、そしていじめっ子には耳に虫入れられ、毎日ぶたれ、こいつ何やってもいいぜって言われて、私のなすこと全部ばかにされ、ぶたれた。
 小学校4年の時のごんぎつねの影絵つくり、私はひょうべえの網を青いフィルムで作った。四角くカッターで切り落としていた。細かく。「OO急げ、今日中に終わらなかったら、お前の好きな人ばらすぞ」。
 私は本当にいい子で、先生の期待すべて請け負って、この学校は優良指定校になるように、心の中で冷や汗かきながら、応援して、この学校が子供っぽくて、性的な成熟とかしていなくて、大人にとってかわいがられるような、子だらけの、問題ない学校であるようにクラスであるよう、なぜか私が頑張っていたもの、大半は心の中で・・・・でも日記にも「あの先生が嬉しくて泣いていた、やったね」だとか書くような子だったんだ。
 学校で常に私は「子供らしくない変な気持ち悪く、おとなしい子」だとして、言われていて、本当に傷ついていたし、こんな同世代と話の合わない自分を本当に本当に嫌悪しまくっていた、自分の興味の対象すべてが気持ち悪くて誰からも友人になってくれないものなんだと思っていた、本当に自分がいやだった。
 あの頃、とにかくどこにいっても「おとなしい」「まじめ」の嵐。あと「くらい」
 で、母にも言われた「あの子のように明るい子のほうが良かったなあ」って。
 どれもこれも本当に傷ついた。
 「もっと明るくなりましょう」「おとなしいです」
 なのに、ばかだねえ。私、あんなに合わないのに、リベンジのようにして、大学時代も不登校の子と一緒の活動していたりした。でも本当は、あの子供の中でいると大人って変わるじゃない?テンションあげたり、子供におもねったり、それが本当に嫌いでね。「イエ〜イ!」とかテンションあげたりして。
 私は嫌だったな。でもこの埋まらない心の溝をとにかくうめたかった。
 心の傷を持った子と接したかった。
 学校になぜ行ったのでしょうね?
 なぜあの先生にあれだけのことを言われないといけなかったのでしょうかね?意識また飛びました。私の中で意識とばしは、本当にぎりぎりのところで、出るんだ。父が自死したあとも、葬式でもどこでも意識とばすしかなかった。
 父が自死したのは、教育実習にいった先の担任の先生のせいです。あの子らの目の「あいつ頭おかしい」という目のせいです。あのいじめたはなの曲がった女のせいです。あいつらのせいよ。全部。
 ピアノの先生には姉とつねに比較されてきた。姉はしっかりしている。外では本当に先生面がいい。私はだらしない。誰にでも態度を変えない。私には私なりのいいところがあるのに、いじめっ子の散々「こいつ何やってもいいぜ」と漬け込まれ、体にも暴力受け、大人には「おとなしい」「暗い」ようなこと散々言われ、こういう場で、姉と少しでも比較されたことは、普通の私だったら傷つかなかったかもしれない、でも私は色んなものを背負っていたから、本当に傷ついた。
 父の寂しい背中、双極性気分障害、父の私だけへの「分かってえ」という甘えた視線、母を守らないといけないこと、姉からの思春期なんだか知らないけども、向けられたストレスの刷毛口。
 でも、人を傷つけて、人を壊せないから、いじめる子の私への「助けて」「お前はずるいんだ」「私つらいの」という視線に絡め取られてしまう。
 無罪放免でいきたかった。
 あまりにもつらくて意識とばして生きて生きてほうほうのていで、きたところでも「まだ足りない」「あなた何に一体悩んでいるの?はっきりいって、意味不明」「もうそんな暗い話聞きたくない!!!」「もう少しなんだよな、もう少しで僕の中の理想のあなたに届くのに」「人に上下つけるから障害者とばっかり付き合うんだろう?」「偽善」
 もう聞きたくない。
 あなたがたに何が分かるの?
 何にも知らないのに、よくもそんなこと言えたね?
じゃあてめえはどうなんだよ?
 弱まっている私によくもあんたのいらないおせっかいを、てめえの「偽善の思い」をうめるために使ったな!
 ふざけんなよ。
 お前死ねよ。
 責任とれねえくせに、勝手なことぬかすんじゃねええよ。はあ?何が教授だよばっかじぇねえの?お前なんか一生過去のDVひきずっていろよ、このくそぶすめ。はあ?おせっかいなわりには何にも役に立たないですこと。あんたさああ、格好つけているわりにはしょぼい過去を、不幸な過去を自慢げにさらすんじゃねえよ?うっぜんだよ。何が学生の心の闇を吐き出して、まだ出せるとか言ってんの?お前さ、あんたのからっぽな自我をうめるために、学生つかってんじゃねえよ?あんたさあ、一生DVうけていたほうがまだ研究サンプルになるんじゃねえの?生きたサンプルになれよ。このぶすが。ほそくしろいきもい、カッコウつけたかもしかにもなれねえ、ぶす。
<2161> ぺあ(FB注意) ■2007年12月02日 日曜日 20時29分55秒
感情さんやっと出てきてくれた。私の感情さんたち。ごめんなさい。今まで、ないがしろにしていて、本当にごめんよ。
 思えば、大学時代だった、人を突き落としたくなった、もやもや殺してしまうそうな思い、変な感じ・・・・
 その場にいた子に「あなたあの子に嫉妬しているでしょう?すごく感じた」って言われた。
 そうなのか、これが皆、きれいな子たちにも許されているその感情だったんだ。
 きっと、子供であったら、その子を突き落としているだろう、そして周りの大人が「あの子嫉妬したんだわ」なんて言って、感情をきっとラベリングしてくれるんだ。
 私も出てきてくれたの。恐怖だった小学校中学校が終わり、高校では毎日眠っているようにしか生きられなかった。
 でもやっと安心したんだね。
 出てきてくれたんだね。ごめんよ。ずっとずっとずっとずっと殺してきた私の思いさんたち。
 人なんか殺してしまえ(心の中で)当たり前だよ。
 私の世界は、父の双極性気分障害を、「見ない振り、気がつかない振り」で、優しく、彼を包んで、彼の望みどおり、家族の願いどおり、「だまされてあげる」「半分目を閉じるようにして生きる」でも、もう半分では、確かに私は感じていた、自分の直感や自分のつぶさなかった思いたち。
 私の「だまされてあげる」「あわせてあげる」「見ない振り」「気がつかないふり」の、性格に、小学校、中学校のがきどもは、喜んで漬け込んだ。
 「でもさ〜結局OOO(私)のせいじゃねえ?」でおさまる女の子たち集団。「OOさんらりってるべ〜」
 あの頃中学校時代、私は「いやだって言う練習を学校の部活の練習の前に道で、何千回もしていた、シュミレーションがうまくいかないって思いながら・・・」自分のままでいいって思ったことはいっちどもなかった、いつも私はどこかがおかしい、普通の子には許されていない何かがある〜無罪放免であること、自分のために生きること、怒ること、他者から境界線をおかされても、だまされたふりして、相手に合わせていること。
 いつも、話したくもないのに、口を動かしていた。周りの子たちがさんざめくように話していた。
 私は体育館で、やりたくもない部活に精を出していた、楽しくもない、ペアの子の私のミスを責める姿にただひきつった笑いを浮かべて生きていた、あの頃。
 思い出す、楽しくもなかった、部活、やりたくもないのに、いた部活、最低だったこと、中3でやめられて最高だったこと、やめればよかった、今でも思い出す、行きたくもない、あのおもしろみも、デザイン性もない、教室で、比較の連続の教室で、つまりそうな思い、ただただ早く終わって欲しかったな、何であんなとこまた行ったんだろう?姉のうっざい助言のおかげだね、で、関係ないけども、傷つけられて、で、父の自死が私にはまっていて。
 性格批判。子供時代の批判。
「おとなしすぎる」「もっとうるさくしなさい」「明るくなってよかったわね」「もっと意見いいなさい」「暗い」「まじめ」「つまんない」「話し合わない」「話していてつまんねえよ」「気持ち悪い」「あいつ何にもしゃべんないの」「まじめ組みで行きましょうか」「もっとしゃべろよ」
 話したくもないのに、いつもはしゃいでいた。はしゃいで、同世代に通用したかった。本当に口が重たかった。辛かった。なのに、無理してあんなバドミントンなんかやってしまって、ほんとばかばかしかった。
 くだらなかった。
 何が青春だよ、何が今しかできないだよ、ばかじゃねえの?うぜんだよ。

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This script written by Shintaro Wakayama.