今日は調子がいい。 だから、すぐに人助けしたくなってしまう・・・ もっともっと辛い思いしている人がいるんだああ。。。。って。今すぐにでもいてもたってもいられない気持ちにすぐになって、自分がものすごく恵まれている子のように感じたり、すぐに募金したくなったりするんだ。世界平和を目指して、ブログに皆を幸せにするような言葉を必死な思いで書いたりして。 ふう・・・・ まさしく。 躁鬱って言われたら、そうなんでしょうかね? 私にとっては調子の良いときは、まるで、救世主になったような気分になるのね、私。 躁鬱って誰にでもあるけど、その振れ幅の問題なんだろうか? うちの祖母の躁な時は、「人への贈り物をきっちりすること」なんだ。とにかく、お歳暮とかお中元だとかをしっかりやって、しっかり電話して、知り合いにお祝いのお金をしっかりやる。 で電話をかけているときの、目を母が見て、母がその時のことを言ってくれたの。「ぞっとした。おかあさんの目の中に蛇が住んでいるような目だった。怒りの炎が目の中で燃えているような目だった」って。で「父さんも同じだった、おんなじ目をしていた。目の中に怒りの炎が燃えているような、目の中に蛇が住んでいるような・・・でOおじさん(叔父さん)もおんなじ」なんだって。 O叔父さんもまた気分障害で、彼は精神科に措置入院をされた。もうかなり前だけどね。で、彼は電車の中で写真をとったりするの。人間観察なんだって。躁のときは、常にお金の話。お饅頭などのお菓子を一人でかき集めては、食べまくる。足がむくむほど。で、電車の中でおばあさんの写真をとっただとか、週刊誌の見出しの写真をとっただとかいって、その写真を手がものすごい震えながら、目もはしゃぎまくって見せてくれるの。すごいの。手が休まらないんだって、母によると。 姉にね、父のことどうして分かってあげなかった!って私怒ったら、「あんたは一人で大学の寮でくらしていて、あんたに何が分かる!!一人であっちで楽しんでいたくせに!」って言われてしまった。 そう、この叔父さんのことも私は何も対応したことがなかった。 躁のときにね。 いや、あったかもしれないけども。 躁鬱のこと勉強しようかと思った。双極性気分障害。でも、今はあまりにもつらくて読めない。あの時の子供の私が怯えながら、父を父の怒りを静めようとしているんだもの。 でもそれでも自分を責めていた。母の身代わりになれなかったこと。私には父は当たらなかったこと。母の代わりにお父さんに頼られてしまっていること。ほめられてしまっていること。精神的にはとっても依存されていること。ごめんなさい、お母さん、お姉ちゃん。 今はお父さんとおんなじ状況にならなければ、父の思いは分からないって思っている。 責めなくていいんだ。 私も分からない。 今でも死んだ人が下っていう思いがすんごくあるの。でもお父さんはしたなんかじゃない。責めない。きっと私にも何があるかわからない。でももっと、もっと、自分を大切にしよう。できると思う。
|