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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.105
メッセージ数:2100件

<2100> ぺあ(FB注意) ■2007年11月12日 月曜日 19時22分04秒
ずるいですね?ずるいですね?ずるいでしょうね?ごめんなさい。
鬱じゃなくてごめんなさい。
きっとこのコメント読んで許せない人いるはず。お前は言えていいなあってね。きっとそう思っている人いるはず。
 お前は贅沢だよって思われている。きっと。性虐待にもあわなかったって。お前はずるい。まだいいほうだ。汚い女だって思っているはず。どうせどうせどうせどうせど〜せ誰も私のことなんかずるくて汚い女って思うか、この人おかしくない?って思うか、やっと見つけた、分かってくれる人ってもたれかかってくるやばい奴しかいないんだろうよ。ど〜せど〜せど〜せね。
<2099> ぺあ(FB注意) ■2007年11月12日 月曜日 19時18分55秒
ぎゃああああああああああああああああああああ
って叫べたら。ぎゃああああああああああああああああああああああああああああって言いたい。いえない。言いたい。
この馬鹿家族。
ぎゃあああああ。ぐっちゃぐっちゃなこの家族。何にも問題ないふりな母。ぎゃ嗚呼ああああああああああああああああくぁああああああ。どんなにどんなにどんなにわめいても、父は無言の意思の塊であそこにいる。ぎゃああああああって叫べなかったから、私は父を突き落としたんだ。ぎゃ嗚呼ああああああああああああああああああくぁあああああああってどんなに叫んでも、父はもういないんだ。なんの問題もなく、手抜かりなくお坊さんがきて、焼かれて、お焼香して、参列者の前で挨拶して、ぎゃ嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああqaaaaaって叫べたら、どんなにか世界が変わったのかもしれない。お願いです。ぎゃあああああああああっていえたら、苦しい、意思の塊みたいな父の怒りの無言な鉛のような重石。
 こんなことかいても分かってもらえない。ぎゃ嗚呼ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああくぁあああああああああああああああくぁあああああああああああああああああああああああああああああくぁああ。手順だ。すべて手順。あんな地獄のような焼かれる場に行って。手抜かりない。父の遺体も全部全部(家族をなくされた方ごめんなさい。こんなこと人間として当たり前だよね?皆経験することだものね。ごめんなさい。でもでも言わせてください)焼いた。お坊さんなんかどうせお仕事で簡単に「次はどこにいかないとなあ」なんて思いながら説教していたんだろうよ。念仏唱えていたんだろうよ。許せない!!!!!
 お前の奥さんが自死したら?あんたも尋常じぇねえよ。このくそが。
 ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ。ってこんなサイトでしかいえない。笑って、今日もこの家でおかしな行動も泣けもできない。泣けないよ、もう。母にぶつけられるから、母に泣かれるから。
<2098> ぺあ(FB注意) ■2007年11月12日 月曜日 14時31分43秒
きったなぁいトイレの床に顔押しつけられてぐりぐりされたい。石を見つけたり木の枝見ると顔の頬昔皮膚ガンだと勘違いしたとこ、昔手術した跡のとこをがんがんぐちゃぐちゃ切り刻んで殺してやりたくなった。
<2097> ぺあ(FB注意)(続き) ■2007年11月12日 月曜日 11時42分46秒
大学時代にいじめの話しをどんなに言っても彼女が「あんたみたいな年の子はね彼氏と美術館とか行って楽しい時間過ごしているのが普通なのにいいい!!!!!!」とか言われて、「どこまで私を悲しめたら気が済むんだああああああ!!!!!」「もう聞かないっっ!!!!!!!」って受話器を叩きつけられた。「ばんっっ!!!!」って耳につんざいた。
 その後会社から帰ってきた父が、母の泣き喚いている姿に驚いて、慰めて、落ち着いたらしくメールで「もう気分も落ち着きました」とか言ってきた。
 とにかく、うっざいうっざいうっざいうっざいばばあなの。
 母は父が自死する前に、「あの工事あそこが具合悪い」とかぶつぶつぶつぶつ暗がりの中で寝る前につぶやいていて、そんな父に母は「あなた娘が結婚する年なのに、もういい加減にしてください!!!!」って思いっきり怒鳴ったらしい。父はその日に何も聞いていないけども、その頃毎日3時に起きていたので、多分、また一眠りして2時か3時に目が覚めて、そのまま首を紐で絞めたんだと思う。分かる、何となく。本でそういう人の読んだことあるし。
 母は、私が知らせ聞いて、帰ってきたら、寝込んでいた。
 母が第一発見者だったの。多分、書斎だったんでしょうね。つまりここね。
そして姉をすごい叫び声で呼んで、で、救急車を姉が呼んだ。そして、もう既になくなっていた。死亡診断書も書いた。そして母は警察に呼ばれた。警察と救急車がきて、この近所は騒然となったらしい。だって、この家は「問題ない家」で有名だったからね。
 警察で母は警察官に囲まれて、尋問うけて。姉も。そして警察の人がこの家に入って、パソコンから何から何まで調べて行ったそうだ。
 私はその話を震える思いで聞いた。私は、知っていたからだ。父がおかしいこと。ここまで叫びそうになって叫べずに、意地を張って、一人暮らしのアパートに帰っていったこと。私のせいだって思ったし。私は、近所の人、すべての人から私は「殺人者」だと思われていると思った。視線が突き刺さった。通夜も告別式も、普通の子の振りしながら、これで周りが納得するって思いながら泣いた演技して、でも、私が父を見殺しにしたって思ったし、私は自殺幇助罪なんだって思ったし。
 警察の人もくるかなって思った。
 警察が姉に「お父さん結婚に反対していたんじゃないですか?」とか聞いたらしい。姉は気丈に「父もバージンロードの歩き方一緒に練習していました!!!」って言い返したらしいが。
 「お父さんお薬随分飲んでいたそうですね」とか言っていたらしい。父の机の中には、頭痛薬、いっぱい風邪薬、いっぱいいっぱい色んな薬があった。
 でもね、私、父がいなくなって良かった気持ちもある、ずっとこの家って人からどう思われるか、一流かとか、人から普通に思われるようにものすごく強迫的な壁があったんだけども、父がいなくなって、家にぶらぶらしている私への怒りあてつけがなくなったの。また、過去の恥さらしをしなくてもよくなったしね。
 自死遺族の本とかたあっくさん私はそういう研究していたから、読んできた。それでも、私も実は私もこの私も同じ立場になるとはね。
 でも、すっきりしたっていう思いもあるの。楽になったって。でも、とめられなかったこの運命とかをどうにかとめたくって、あの電車をとめたくて、あの教育実習をとめたくて。あのいじめをとめたくって。今でも、あの一人でも変な気を起したら、集団ですごい目で私を見て、精神病だって決め付けるあの場所、集団の電車の中でずっといろんな思いを駆け巡らせていると、大学時代の友人の「お前は人の話しもっと聞け、もっと冗談わかれ。」だとか「あんたは本当の友達は一人もいない」だとか「もっと自分出せよ!」だとか研究室の教授の「自分で家族関係変えなさい!」だとか研究室で研究発表の日に泣いた私に皆白い視線で最後は迎えてくれたことだとか、色んな思いがせりあがってくるの。そして最後はあんなに大好きだった父を、精神的にもう既に死んでいるかのような、過去のいじめで自死した子の遺書を読んだときに感じたあれを父にも感じたのに、笑って、父の背中を突き落とすようなことした私の姿を、教育実習のときの担任の怒りのぶちまけを、集団あの学校全員に見られた、私の「精神病!」っていう目。そして、父の棺おけでの父の姿・・・・
 すべてが私の中でぐちゃぐちゃぐちゃってお前が死ね!!!!っていっぱいいっぱい、何やっても許されない。お前は幸せにもなってはいけないっていいあっぱい感情がせりあがってきて・・・・・・・・・・・・
 息ができなくなるの。つばさえ飲み込んではいけない。お前は父が自死してものうのうとお薬も飲まずに、姉や母はお薬飲んで、きちんと精神病なのに、私は違う!私は、生きている、周りから変態とか思われずに、周りからまだいけている、正常人として生きてもいける・・・・それが汚い計算高い思えらしいって・・・またせめてせめて・また大学時代の教育実習の過去の絶対に逃げられずに演技人生でのりきったいじめ、あの子の目、あの子のお兄さんが死んでお母さんががけから車で飛び降りたって聞いた。 
 息も出来ない。周りも変な目で私を見たら私はおしまい。また私は自信なくなって、私は父を見殺しにしてそして父に棺おけで最後の姿を見て。彼を見逃す、彼を見過ごす・・・・・・・・・・・
 私は、ずるいですか?
私のことずるくないって誰か言ってください。
 父が自死してよかった。誰にももう私がACだっていうこと誰の目にもあきらかだから。だって、あれだけ反発された。私は、いい年こいて、あんなに言いお父さんとお母さんなのに!恵まれているのにお金も。そういわれ続け、しまいにはお前がおかしいって言われ続けた、20ウン年間だった。
<2096> ぺあ(FB注意) ■2007年11月12日 月曜日 11時42分31秒
ずっとずっと今もこの家で素直な感情なんか見せられない。
この家はうそつき家族。
私だけじゃない。
私は、学校でどんなにひどいいじめにあっても、「学校楽しい!毎日楽しい!」って飛び上がって見せていたような子だったもの。
 うちの父の躁鬱の気分障害も分かっていた。分かっていたよ。
 でもあいつがどんなに私に「助けて」っていう目しても、できるわけないじゃないかああ!!!
 あいつが「俺の本当の姿なんか見るな!!!11」っていうものすごい怒りのメッセージもまたあったから。
 たった10歳なのに、嘘ついて。たった11歳なのに、辛い辛い父を私がおぶって、誰にも弱み見せられないというかわいそうな父を私が優しく介抱するのが、私のお役目だったんだ。
 私は学校と言う場で死ぬ思いで生きているのに。大人と違って、理性もない子供は私を一人ターゲットとして狙っては私の心を今か今かと突き落とそうとしていた。
 もう電車なんか乗りたくない!!!!
 もう学校なんかと関わりたくない!!!
 もう頑張るものか!!!1
 父が自分で首絞めて自分で死んだんだ。母は、自分を責めることは絶対にしない。「このOOOO家(父の姓)を恨むよ!」とか「祖母を死んでも許さない!」とか(祖母も叔父も躁鬱の気分障害だから)意味不明な馬鹿発言をしている。このばか女に素直な思いを言った。「私がどれだけ子供時代傷ついたけど我慢してきたか!」「私はアダルトチルドレンだと思う」私の言葉に母は「あんな学校時代のいじめごときで傷ついていたら、もっともっともっともっとこの先大変なことなんかたっくさんたっくさんあるんだよ!!!!!」(ばかじゃないの?いじめごときのばかばかしいことで・・・)
 「私だって父の人が変わったかのような怒りの意味分からなかったよう・・・」(大学後にパート勤務していたことに対して私が私だって社会経験あるからね!と言ったら)「あんなくだらないパートごときでばかじゃないの?」
 (私が父の自死した後に姉の旦那の車で皆でアジサイを見に行った時に、車の中で泣いたら・・・母も姉もびっくり仰天した。そして母はその事について彼女の実家の母親に「この子ってばさあOOさん(姉の旦那)の車で泣いたりしてんの〜」とかせせら笑った。その事を私は「ひどい」って言ったら)
「そんなことそのとき言えばいいじゃないかああああ〜!!!」私:「その時は言葉も出なかったの!」母:「そんなことをいっつまでもいっつまでも覚えていて!!!こんな子だと思わなかった!!!!あんたがこんなっ小さな小さなことをいつまでも恨むようなこんなこっっんな難しい(嫌な)子供だと思わなかったああああ!!!!」母:「今までOちゃん(私)に素直な思い結構いえていたけれども、もうこれからだんだん言えなくなるかも知れないなあ〜(これ見よがしに私を見ながらため息ついて)。もう無理かもね〜」←なんか小学校時代のばっかな同級生の発言に似ていると今思ったし、姉にも都合悪くなると「こんな子に育てた覚えはなああああ〜い!!!」だとか言うからね。
 そして教育実習で私が傷ついたこと話しして、もう電車に乗ると、あの頃の教育実習でのあの担当の先生が最後の日に私に怒りをぶちまけた日を思い出して、辛くて辛くて辛くて辛くて、(これだけではなくその後父が自死したことも、あの実習がなければ私は自分をもっと立て直して父のおかしな姿を皆に言えていたかもしれないって思っているので)って母に言ったら・・・母は「Oちゃん(私)はいっつもいっつもいっつもい〜っつも人のせいばっかりにしているじゃないかああああああ!!!!!!!!!!!!いっつもいっつもい〜っつも、一生そうやって人のせいばっかりにしていればいい!!!1!一生一生一生一生そうやってあの人のせいこの人のせい、誰々にいじめられた、そんなこと一生一生一生していればいいっっ!!」って叩きつけられた。
 「高校時代からず〜っと何なのよ!」って吐かれて、「お前は何何処が具合悪い、だとか言って、産婦人科行き、耳に蟻がいるからって(私はあいつに耳に蟻を入れられてその10年後に耳鼻科に行ったのだ)耳鼻科行き、黒い点が見えるからって眼科行き(私は産婦人科に行って、ホルモンの具合が悪いって言われたのだ。また女性としての体がうまく育っていないらしいのだった。きちんと働いているけども、すんごく小さくとか、すべて一応根拠あるし、一回でやめた医者多いけども、それでも自分が納得したんだからいいよね?なのに)
 今回も精神科に一回だけ行き、やめて、あんたばかじゃないの?一回いってやめて、また大騒ぎして行き、やめて、体のあちこち悪くしてるんじゃないか。(見下してせせら笑いながら・・・)はっっ(ほんとばかじゃないの?
)みたいな顔して。」言われた。
 彼女には何やっても通じない。
 
<2095> ぺあ(FB注意) ■2007年11月12日 月曜日 10時53分50秒
 私は、実の父が亡くなって、尚、他者が見て、「普通」の反応と思える程度を想定して、泣いた。
 周りがどう思うかがすべて。父が自死してなお、私は自分の異常性、うちの家族の異常性がばれぬよう、何よりも、一番の恐怖は、自分が今までうそつきながら、育ってきたことを、姉にも母にも祖母にも親戚にも、その他すべての人の対して、ばれること。
 私は、小学校5年生で、Nさんに徹底的に狙われて、いじめられて、卑しめられて、学校生活を送っていた。そんな話しはすべて胸のうちにしまった。右耳に蟻を入れられたって。毎日ぶたれたって。毎日難癖つけられて、その子の頭はたかれ、その子の気分次第で「悲しい痛み〜」とか言って、その子につめとつめでねじれれるように腕をつねられた。皮がむけてべろんんべろんになった。でも、毎日毎日それをその子に笑われながらやられ続け、誰も見てみぬ振り。Mさんもその子の気分次第で「Nさんに言いつけるよ!」とか私に言ってきた。
 そんな地獄のような日々を私は、家に帰ると、トイレで5分、家族に不審に思われない程度に5分で、泣いて、発散して、済ませて、出た。声はばれぬように出さない、涙だけ流す。でも、5分。5分だけ。5分以上過ぎると、家族にばれる、おかしいことばれる。だから、5分以上たっても、泣いたってばれないような顔をつくっておく。苦しみは残す。でも、5分以上過ぎたら、家族の心配げな顔、それに伴って出てくるあの子のいじめの真実、私の汚らしい本当は親にもかわいがられる権利もない、汚い汚い汚い汚い汚い惨めでみじめったらしい、卑屈で史上最低な汚い穢れた女であることがばれる。
 涙を流す。
 でも5分後のことを常に想定する。
 姉が母が父が・・・・・いっぱいいっぱい想像し続ける。
 そんなことばっかりやっていたら・・・いつの間にか、「ふつうちゃん」を演じることだけが私の人生になってしまった。
 変に映らないように・・・
 おかしい子にならないように・・・
 それだけ。それだけの人生だった。
 
 演出人生。
 親に「問題なく順調に育っているよ」って見せてあげる人生。それだけ。自分の想定範囲でしか生きられない。
 誰もこない。私には誰もいない。さみしくない。感情もない。自分の感情は捨てた。自分の感情は全部親を否定しないために放棄した。
 そして、大学に入って、今までを大反省して、素直な気持ち言うようにした。自分の気持ちはまた無視して。とにかく、生き辛い自分のなまりのように固まった心の中にある重しを取り除きたかった。
 そして自分の中にたくさんの人を殺してやりたい思いが出てきた。彼氏を階段から突き落とそうと思った。友人も。それは自分を傷つけることでもあった。
 家族もまた包丁を見るとぶっさしてやりたくなった。
 そんな感情を持つ自分を心底恐ろしいと思ったし。でも、もし人を刺すならば私は自分をまずは殺してやろうと思っていた。自分の正義だった。最後の。
 そして、重いカーテンを取り除きたかった必死で頑張ったことが、ようやく意味を知ったのは、少し前。
 父が死んだ。
 自分で。
 そして父が私の幼い頃から気分障害だったことをはじめて知らされた。母は、この家を恨むだとか、祖母のDNAを生涯恨むだとか、意味不明なこと言っていた。今も言うけど。
 それでわかった。父が人が変わったかのような怒りを見せること。でも、なんでもなかったかのようにする、見せない、問題を隠し隠しここまできたこと。何一つこの家で納得できたことなんてなかった。いつも問題ない振りして、うわべだけ仲良しの家族の一員として馬鹿騒ぎしてすべて演出していた。
<2094> ミン ■2007年11月11日 日曜日 17時20分42秒
自分について考えだすと、空想や妄想が始まりそこに他人がひょっこり現れて
その人に聞いてもらうかのように語り出している。まだ私は私に信用されていないのかなぁ。まだ評価を得たいのか、パワーゲーム?単なる癖だといいなぁ。癖なら意識して変えることができるかもしれない。と思っています。
<2093> ゆうこ ■2007年11月11日 日曜日 00時55分22秒
私はとても嫉妬深い。すぐ人をねたむし人によって態度変えるしそんな自分を隠していてでもそれが私なんです。許してあげたい。
<2092> ミン ■2007年11月09日 金曜日 22時50分05秒
私が何かを始めるとき、何かを感じるとき、殆ど他人の評価が対象だった気がする。例えば○○さんはどう思うだろう、とか、××と思う私をどう思うだろう。という風に。認められたらコントロール成功で自分が思うようなリアクションが得られないと失敗と無意識?に振舞っていたのでは…。その見返りはご褒美であったり自己処罰であったのか?必要のない罪を背負ってたの?そうしなければならないような出来事があったのかもしれないが、今はっきりしていることは、私はもう人をコントロールする必要は一切ない!したくない。もう嘘はつきたくない。あの家族では学べなかったことを私は傷ついた私と一緒に手に入れたい!!
<2091> ぺあ ■2007年11月09日 金曜日 11時43分00秒
大学時代を思うと、私にとっては本当に夢のような日々でもあった。
自由だし。縛られないし。うっざい女同士のグループ交際とかもなかったし。
でも、それでも友人には「あんたはいっつも辛そうだった。こっちまで辛くなる!」って言われていたけどね。。。。
 あの大学にいけたことも、好きだけども、なかなか踏み込めない友人たちにも、やっぱりでも、会えて良かったし。それに楽しかった〜本当に楽しかった。怖いことも反面あったけども。
 何だろう?今は全く途切れている人にもやっぱり、続けたいな関係は。自助グループだけが私の居場所じゃないんだから。
いつかさっき書いた彼にも会って、連絡していつかまた遊びたいな。
 別れた彼氏には死んでも会えないけども。(てゆうかあっちは私のこともう憎みまくっているから。後輩と付き合っているしね)
<2090> ぺあ(FB注意) ■2007年11月09日 金曜日 11時37分57秒
大学時代。
O君に好きだと言った事があった。(彼には私の話しを聞いて欲しかったんだと思う。なんとなく複雑な性格の裏に私と同じもの感じたから)
彼と大学の授業をさぼって、二人で話をした。彼のドイツ語もさぼらせた。(今考えると、最悪な女だね、本当にごめんなさい。しかも、その後関係も悪化し、私は彼に挨拶されるたびにしかとし続けたから。)
二人で夜まで話しをしていて、とまらなくなった私は、夜公園で二人でやっぱり話をしていた。そして、彼自身のやっぱりいじめられていたことを聞いた。でもそれを跳ね除けまくっていたっていうから彼は強い。彼に、はじめて、私は自分いじめを誰にも分からないようにしてやっているんだっていうことを言ったの。恥ずかしかった。「OO(彼)には軽蔑されるだろうな・・・絶対」って言いながら。自分いじめなんて書くと、格好いいかもしんないけど、私的には最悪。自分をこの世で一番汚くて卑屈で最低な女だと、そうするたびに思った。
 彼にどうして言ったんだろう?でももう現実とばしして、どんな人からも見えているのに、私自身は自分の中で永遠にとまらない自分いじめの中に閉じ込められ続けるのは怖くて、孤独でどうしようもなかったから。外に出たかった。
 彼のOOちゃんって気持ち悪〜。すっげえきたねえ最低な女。お前死ねよって言われるかも、思われるかも。本当に最低だなって言われる。軽蔑されるって思った、心から。でもあの時は、もう出たいっていう思いと、色んな思いで気分が高ぶっていた。

 彼は私に「つまり自分で思うわけね〜」ってうんうん頷いていた。驚いた。そして、今でも高校時代に見た凶悪殺人事件とかの被害者の顔がね、夢に出てきては・・・「お前が殺したんだろう、お前が殺したんだろう!!!」って出てくるんだ・・・って話をした。
 そしたら・・・彼は「もう今は大丈夫なの?」って言ってくれた。もう今は大丈夫?って。

 世界がはじめて私を抱きとめてくれた気がした。
彼には感謝している・・・本当に。なのに、結局全然いい関係が築けなかった。彼もその後ひどいことしたんだけどもね。
 でも、嬉しかった。しかし、その後に、彼に甘えて、抱きしめてもらうっていうのはちょっと良くなかった、ほんと。彼を軽く扱った感じだよね。ごめん。私はあなたに父性と母性を求めていたんだろうね。今も連絡取れたら謝りたい、でももういいね。幸せになれよ。
<2089> ぺあ ■2007年11月09日 金曜日 11時21分42秒
人って、ずるいよね。
今でも学校時代のいじめがとまらない。
あの頃の「怖い」って思っているからいじめられるんだって思って、必死で強がって、素直な気持ち殺してきたこと。それでも、ほんの少しでも、人との差異やおちょくられる部分を目ざとく見つけられると・・・いじめの材料として、この世界から排除されてしまう。笑いの中で・・・。私には本当の味方なんていなかったから。そう思える人は家族にもどこにもいなかったから。
 あの頃、私は9歳10歳11歳・・・泣ける場所を探していた。家族の前では演技しかできなかったから。私はぶらっとこの近所を一人で歩きたかった。でも子供は許されない。いっつも監視の目があるきがした。「お宅のお子さんあそこで泣いていたわよ」なんて近所の人に見られていたらどうしよう?ありもしない、想像の中で・・・せめたぎる色んな思いの中で・・・交錯しまくる色んな思いを頭にかけめぐらせまくっては、結局家のトイレの中で家族の許容範囲と思える時間の中で、抑えていた涙を声を出さないようにして泣いた。涙を思いっきり流せる場所があったならば、私はまた変わっていただろうな。
 「そんなことくらいで泣くな」「人生はもっと大変なことがあるんだ」そんな言葉しかなかったけども。

 もしも、今子供の私が私の前にいたならば・・・・あの頃のね。

「泣きな。この家の全員がびっくりするくらい泣きな。でももしも泣けないならば、あなたはこの近所にあるあの大きな公園(めっちゃでっかい所)に行って、誰も見つからないところで泣きな。でもそれも近所の人の目があるね。あそこも学区だからね。いじめっ子あの辺にたっくさん住んでいるものね。そしたら、確かに逃げ場ないねえ、辛いね。そうだな・・・・電車でさあ、次の駅次の次の駅行ってみない?でも小学校3年4年5年のあなたにはできないっか。小学校6年ではじめて友人と買い物行ったんだもんね。中学校で初めて友人と次の駅で買い物したんだもんね。高校生になって初めてでっかい駅で友人と遊んだんだもんね。無理な注文だねえ。そうだなあ・・・・・う〜んう〜んどこでなこうか?確かに泣ける場所なんてどこにもないわ。。。。泣けないね。えらいね、あなたの判断は確かだね。トイレで家のものがおかしいって思わない程度な時間内で済ませるっていうのは・・・・。本当に私たちの時代も今も、「逃げ場」のない「泣ける場所のない」「素直な気持ちを思うままに出せる場所、放っておいてもらえる場所」のない世の中だなあ・・・・その中でよく頑張ってきたね」
<2088> ぺあ ■2007年11月09日 金曜日 11時08分23秒
どこまでも、その人の世の中の「お役に立っていたい」。自分のおかげで、少し世界がいい方向に変わっているんだって思いたい。世界平和をとっても望んでいるの。
 でも、他者に相談している時でさえ、これで彼女にも何か学んでもらえたかしら?なんて考えている。しかも、父の時でも、私は大学時代の友人に「OOは家族大切にしてね。。」なんてメール打ってしまったよ、いいことなんだけど、恥ずかしいし・・・・私ってどこまでも「誰かのためにいたい」=存在意義なのかもしれない。
 父が亡くなった頃は、大学時代の友人に家族の文句をたっくさん言ってきたから、なんか恥ずかしくてね・・・。「ほ〜らみろ。俺が忠告しただろう?親が死んだ親友の葬式行ったけど、親っているだけでありがたいんだよ?」みたいに忠告してくれた(私は今はすごいいやな気分で友人とも思っていないけど。うぜえ説教ばっかりする、うっぜえぶたゲス年下なくせに上下ブルーのジーンズで決めているだっさいでぶぶたゲスやろうの)友人にも、本当に自分のこと言うの恥ずかしかった・・・・。けど、ここは開き直って、後々まで傷が残らないように(だってこの家異常だから)わ〜わ〜嘘泣きして、ストレスはいてやったけど(私もいやな子だ。でもこの子はいやなの。嫌いなの。でも周りが「いい人」って太鼓判押すから。相談してきたし、友人になってきた)
<2087> ぺあ ■2007年11月09日 金曜日 10時51分24秒
私は、自分を支えられないんだろうな・・・・
「僕は傷ついています。OO(私)分かって〜」そんな言葉ばっかりの中で、早く大人になりすぎてしまった。
そこには、自分自身なんていなかったけど・・・・
 今でも怖い。
何をやっても聞いてもくれず、さらにエスカレートしていった、学校でのいじめ。
外側からみたら、大したことないのかもしれない。
でもあの頃のいじめは地獄そのものだった。
怖い怖いよ・・・そういう感情を持てば、子供はさっと気がつく。そして、にたにた笑い浮かべながら、私のところに集団でいじめにくる。必ず。いじめ。絶対にやまないの。何をもってしても。「逃げるなよ!」「はっきりしない人は嫌いだよ!」そういう言葉ばっかり・・・・
子供だからこそ、味わわないといけないこと。「あのねえ、いじめごときで騒いでいたら人生やっていけないよ!」「あなたが弱いからいじめられるんでしょう?」姉には、「うける〜。なんで〜?そういうことされやすいの〜?」(すっごい嬉しそうに)「私は絶対にそういうことされないタイプなんだよね!あんたはされるタイプ〜?」
<2086> ラビット ■2007年11月08日 木曜日 22時14分33秒
どんなに平気なフリをしている時もつきまとう私が悪いという感覚と回りの世界がその責任をおしつけてきて攻撃してくるというれを。そして本当のプライドではないプライドと極端な考えと行動と気分が自分を苦しくさせる。それが多分僕を生意気と見えるようにさせそれがまた自分を苦しめる。
ほんと今この環境以外で生き方ができないと頭に浮かんだり占いに振り回されてしまう自分がいたり。今を生きれなくて暗い結果の未来を考えていたり。
なんでいつも同じことをくりかえす。いっぱい怒鳴られしばかれいっぱい傷ついたのに。傷つけもしたのに…。
<2085> ぺあ(FB注意) ■2007年11月07日 水曜日 21時28分35秒
 私は、今もそうだけども・・・・素直な顔を見せられる人との電話を母には死んでも聞かれたくない。姉にも。
 今でもそうだけども、飼い犬を傷つけてしまうかもっていう言動、「おかしあげるよ」って私が言って、なかなかお菓子見つからないと、彼を人間不信にしてしまう・・・・って恐怖なの・・・不安でたまらなくなるの。
 私は、月末に就職面接がある。でも電車に今は乗りたくない。また「いい子」として無言で会社いって、このくっらい家に戻る毎日を送りたくないの。父みたい。そんな生活・・・・。
どこかに出かけると、この家に帰りたくなくて、嫌な思い出もいっぱいあるここに戻ってきたくなくて、電車に乗ると、パニック起したくなるの。決まって、パニック起す時は、大学時代のSが言った、「あなたはもっとこうしなさい!」だとか、「もっと人の話し聞きなさい」だとか、過去の言われ続けた「もっと意見いいなさい」「何でそんなにおとなしいの?」だとか。そして教育実習のこと。怒鳴られる私の姿。校内放送後の刺さるような「こいつ頭おかしい」っていう奇異な目で見る視線たち。子供たちの無遠慮な。そして父の葬儀終わった後の、野次馬的な視線、実習で関わった子供の目。「ひっさ〜ん」って言いながらこっち見ていた、ひそひそしながら。「あいつやばくねえ?」って女子の子たちにひそひそされた、まだ父が死んで間もない頃に。姉が「?」って顔して私の顔覗き込んでいた。私は何も気にしていない振りをしていた。
 姉には父のなくなった後の手続きでさえ、「姉よりはできない劣った妹」的演出がとめられなかったの。今までの嘘ばれたくなかったから、ばかなふりして、生きてきた。姉の自分よりもレベルの高い学校に行ってほしくないっていう感じ飲んできたし・・・・。
高校の頃もまったく同じ。姉よりもレベル上の大学に行ってもいいの?っていうことばかり心配だった。自分の素を出して、思わず、姉よりも勝ってしまったら、姉は倒れるかも、死ぬかも、心を傷つけるかもって恐怖だった。
いじめっ子にも、どんな子にもそんな感じで付き合っていたよ、私は。でも、父の葬儀後の税の手続きまで、相続税まで私は姉に遠慮して、姉が何でもするのを見て、「合っている合っている」っていう風にしていたし、姉よりもできないようにしながら、でも、うまく円滑に進むように頑張った。
 姉には予想通り、素直な気持ちを少し伝えたら「じゃあ、私よりもレベル上の大学に行かないでよ!」って言われた。でもその後に「まあ、私の大学の私の学部のほうが、あんたの大学の学部よりは上だからいいけど・・・」って言ったの。
 もう、この茶番劇のばか家族の相手するのはつくづくいやになった。
祖母も、自分の息子(父の弟)が遊びに来れば、私に「Oちゃああん、一緒にご飯食べましょう?おすしとるからあ・・・」とか言ってくる。私はその叔父も躁うつの気分障害で、閉鎖病棟にも入れられたことあるから、怖くて。怖いのは、自分のことじゃなくて、祖母をふとしたすきに刺すんじゃないか・・・とか、「俺をこんなにしやがって」とか言って、もみくちゃになって、自死とかしたり、祖母とごっちゃごっちゃの喧嘩や本音の言い争いになったらどうしようっていうのがすごい心配で怖いの。いつかなんて、叔父が祖母を殺して、二人で血まみれになっている姿想像して、図書館に逃げたけど、怖くて怖くて心配でおちおちしてられなかったの。
 で、その叔父は私がいると、話のたねができて、いいとか言って、祖母に言いくるめられるの。「Oちゃん、食べよう?」で「要らない」っていうと、彼女は聞こえない振りするのよ。もしくは取るから!って強引に。おかしいよ。この家。
しかも、うちの父の事を言って「OOちゃん(叔父のこと)ごめんなさいね。話し相手いなくって」だって。ふざけんなよ。お前叔父の話し相手かよ。私の父はよ。もういや。この家族の中の空間では素直な気持ちはしおれていくだけ。でも辛い。
<2084> ぺあ(FB注意) ■2007年11月07日 水曜日 21時11分35秒
 ぎゃああああああああって叫べればいいのに。いえない。
この家では少しも自分の素直な思いなんてはけない。誰にも支えてもらえない。誰かに聞いて欲しくても、誰にも言えない。
 父が自死したら、普通悲しくなるのが当たり前なのに、そんな感情でさえ私には許されていない。
母が心配するから。
寝込むの。
私が少しでも目に涙浮かべて、いると、「OOちゃ〜ん、最近おかしいよね〜。朝も起きれていないしさ・・・・。あ、薬の事典おねえちゃんが買っていた奴・・・」私「出て行って」って言うだけ。
もう結構。
この茶番劇な家族に役割負わされたくない!!!
父が自死したのは、もともとは父が、命削ってまで、私たちにお世話して「これだけしてやっている!」っていう押し付けばっかりだったけど。彼が自分の病気か彼自身の父親と母親ときちんと向き合わなかったからでしょう?それはここにたまたま生まれてきた私の責任じゃないのに!!!!それは彼の問題。ずっと哀れそうに見せて、私の悲しみ同情誘っていたけど、それは彼が大人には相談できないくらい、見栄っ張りで弱かったからだ。子供なのに、飲み屋のままみたいにして、祖父の過去の自慢話に永遠に付き合わされて、父の悲しみを受け止めようとしてきた。
まだ赤ん坊なのに。
学校でいじめられて、どうしたらいいのか分からないのに。
<2083> ぺあ(FB注意、不快表現あるので気をつけてください) ■2007年11月07日 水曜日 13時34分25秒
自死する一週間前に姉の結婚式にはく靴を借りに帰った。帰って、父を見て、父の精神的にもうほとんど仮死状態な姿見た。父に、心配げな顔を向けた私にぷいってそっぽ向かれた。そして一週間後に自死した。それから聞いたけども、父の元の会社の後輩も父の様子おかしくて母に電話したそうだ。「Oさんまた昔のように(鬱になった)体調悪いんですか?」って聞いたらしい。母は、(ばかだから。私から見れば問題は隠して、隠してのりすごして生きてきたような人だから。逃げるな逃げるなって、高校休みたがっている私に彼女は言ったけど・・・てめえだよ。お前だろうが。逃げているのは。夫に自死されて良かったね。自業自得じゃねえの。このぶたぶすが!!!)「そこの会社で過ごした日々を彼なりに振り返っているみたいですよ」って言って切ったそうだ。

そして私に「父が変だって気がついているならば言えばよかったじゃん!」って言ってきた。
は????はあ?
おまえだろうが。何も言わないように仕向けたのは。本音は見ない。問題も見ない振りして生きれば何とかなるっていうあんたのばっかな思い込みでさ。
はあ?はあ?
私がどれだけ言ってきたと思ってんのよ?
でもね、後一声あの時、勇気出して、自分殺して言えたら・・・・父の命助かったかも。知らなかったけど、父の後輩にも気がついていた人いたならば、母に少しでも「お父さんおかしいよね」って言えたら助かっていたかもしれないとも思っているの。
Nさんに10歳の頃に耳にありいれられて、どうしても言えずに、もう運命呪ってやるって思って、絶対に言わないって決めてしまったかのように、決意したときのように、自分が恍惚な気分にもなるの。私の惨めな現実とは違って、そうやって思い込んで、決め付ければ誰も入ってこられない。こられないし、それで強い女に気高い女になった気分になれる。
父の自死の前もそうだった。
明らかにおかしい。
今までも十分おかしかったけども、本当に今は最大級におかしい。
でも、私にまったをかけたのは、教育実習でのことだった。校内放送で担当にイヤミな態度とったことも、悪いって思っていたし、過去のことを私は分かりたかっただけなのていうことを分かって欲しくて、あなたをいじめるつもりはなかったって言いたくて、あの子たちにも悪くて、校内放送で言った。言ったら、迫害みたいに「こいつ頭おかしい」っていう目で皆に一斉に視線で壊されそうになった。
父には何を言っても、応えてもらえないし、挙句に「あいつはおかしくなった」って決め付けられた。私の性格は人の世界観を見ている世界を寸分たがわず肯定すること。だから、気がおかしくなったほうが、相手を傷つけないかな。「彼女をおかしくなったって言っているけど、元気だ・・俺間違っていた。俺って一体・・・・」ってだめになる、壊れる、自死するっていう恐怖はずっと誰に対してもあったから。
 そういうこと含めて、私の心は父の姿見えていたけども「もういいや」だった。「もう絶対に死んでも言わない!」って思った。自分を恍惚状態になれた。決め付ければ、もう誰もこないから。母にも言うものか!絶対に。この家の悲劇見てやろう!!!!あの時はっきり思ったんだ・・・・・・

実際に父の死んだ後のこと全部見て・・・とめなかった自分は人殺しだと思っていたし、そういう目で近所の人にも見られているとも思っていた。私は人の目に正常な子としてうつるように「泣いていた」本音は、「知ってたよ」だったけども。ばかじゃねえの?っていう怒りもあった。
今、電車に乗ると、教育実習のことが出てくる。そしてそしたら、必ず私は傷ついて、そうして父の自死のことがでてくる。まるで数式のようにイコールで。もしもあの時、ああしていれば一声かければ、父の後輩に電話されていた母に「お父さんおかしくない?」だとかもっともっと切羽詰った思いあった「お父さん変だよ!!」って泣きつきたい思いも、姉や母をひっぱたいて、「目を覚ましてよ、お父さんこんなに弱っているじゃない!!寝かせて」っていう言葉かけられたかもしれない。後一声。実習なんかに行かなければ、あんな先生にあんなに傷つけられなければ、校内放送でいわなければ、あんな嫌な場所行かなければ、それだけじゃない、Nさんにいじめられなければ、耳に蟻が入ったときに怖いよって親に叫べれば私・・・・・・・・・人生変わった・・・・父のことあんな死に方に追いやらなかった・・・・・・・・・
そう思うと、父の首を紐で絞めた姿を何にも知らずに次の日の朝起しにいった母に(いつも一緒に寝ていたけども、姉の結婚式近くて父が風邪もひいていたから、姉に「両方で風邪なんかひかないでよ!!!!」って言われていたから別々の場所に寝ていたの。それは母が私の使っていた部屋で。その日の朝10時に私は姉が入籍したっていうメールを母からもらっていた。それから父を発見したの。風邪ひいている父を母はゆっくり寝かせたかったらしい)どんな姿だったんだか知らないけども、血がいっぱいでていたって言っていた。想像しかできないけども・・・・そんな姿見せずにすんだのに。姉にも・・・・。何も知らない二人に見せてしまった。覚悟も何か気がついていた私が見たのは、家にとまっていた葬儀屋の軽トラ。そしてもう既に棺に入れられた父の死んだ姿。もう、首絞めたところとかみせられなかったんでしょう?だから、隠されていた。既に入っていた。小窓あけて父を見るしかなかった。
<2082> ぺあ(FB注意) ■2007年11月07日 水曜日 13時28分34秒
姉の結婚式なんて有名地への新幹線になんて笑顔はりつけて、でもそれさえ罪悪感感じて、本当の笑顔を素直な思い焼き殺して、自分に迫った自分。素直な思いは手首にぶつけるしかないって思ったし、そう思うことでまたやり遂げられるって思った。嘘の演出自分・・・・・。
限界・・・・・
でもその一週間前に父が自死した。いなくなってくれた。ほっとした。
素直な思い書くと、「やっぱりね」だった。
そして今までの私の二重人格人生の中で本当の素直ないっぱいいっぱい虐げられてきたし、お前はおかしいってつぶされそうにもたっくさんなった。学校という場でも、世間の「それだけ育ててもらってなんてひどい事言うの?」「いい年こいて」そんな世間の声にも、つぶされそうになったし、何よりも家族の「見るな聞くな、精神が不安定なのはおかしなことだ。問題ない振りして笑っていればいい」ていう問題をカバーするあの世間大勢におもねる、笑いだけで成立しているこの重たい家族に、つぶされそうになった。素直な思いを大学3年の頃に書いて手紙として渡したら・・・・何にも応えずに、皆の見えるところに置かれたり(まるで見世物みたい。こいつこんなこと思ってんの!!!みたいなニヤニヤ笑いで見ている感じ)どんなに叫んでも暖簾に腕押しで、私が親不孝者にされて、これだけお前にしてやってんのに!!っていう父の命をかけた怒りが見えたこと。私がおかしくなれば、父の「待ってました〜俺の出番。俺が弱いものにお世話できる。自分の問題は見たくない。」っていうのが出てくるの。かわいそう、自分のお世話を自分でできない人に、彼は大喜びでおせっかいお世話しにくるんだ。見下しながら。父さんが「O(私の名)がおかしくなった」って言ってたよって母に言われた時、ほんとぷっつんきた。
あんたじゃない?
おめえがおかしいんだよ。
ばかじぇねえの?
表面的に付き合おうって思った瞬間。
でもそれから頑張ってきたけども、心がいっつも家族のこと考えているの。泣いた。でも、心がだめだめってぐるぐる渦巻くの。もう家族あきらめようって書いた。もうあの家族以外の私の居場所見つけよう?って日記に書いたの。でも、心がそういう素直な目をぐちゃぐちゃぐちゃ〜って汚すの。だめだめって思考を濁すの。心が渦巻くの。
多分私は躁うつ病でそれを見たくないけども、それでも人に対して正直で、性格はまっすぐな父を、ここまでやっぱり私に本音じゃなくても向き合わなくても、それでも付き合って育ててくれて、彼の体調を押してまで連れて行ってくれた旅行とか、そういうことに感謝していたし、とても父が好きだったから。だから、見捨てられなかったんじゃないだろうか。父をたった一人にはしたくなかったの。
<2081> ぺあ(FB注意、不快表現あるので気をつけてください) ■2007年11月07日 水曜日 13時23分27秒
あれから、何年もたったけども、あの頃の恐怖は変わらない。言えなかった、誰にも相談できなかった自分を責めて責めて生きてきた。問題ないふりして生きてきたことを、家族に対して嘘の自己を持っていると思って、なんて悪い子なんだって家族に罪悪感しか持てなかった・・・・・
勇気がないから、勇気ある子に生まれ変わりたくて、意識とばしながら、教育実習にも行ったし、勇気ある子になりたくて、あの頃誰にも言えなかった弱い自分を殺したくて、母にも姉にも「評価」してほしくて、校内放送で「子供の頃の話しますね。」なんていって・・・・「あの頃友人好きじゃなかった。コンプレックスいっぱいあった。うるさい子がうやらましかった」って言った。
担当の先生には最後の授業で怒鳴り散らされた。次の授業で絶対失敗するよって怒鳴られ、お前の今までのやり方は許せないだとか、あなたみたいな教育実習生ははじめてですよだとか言われました。そうでしょうね。実験だもの。全部。私は姉やいじめられた子からされてきたことを、実験できそうな権威を持った先生という立場で、できそうだったから担任にやった。子供にもやった。わけの分からない世界を展開して、「分かるでしょう?」「分からないお前がおかしいよね」って押し付けた。全部私の演出。私が何を子供時代されてきたのか全部私のエネルギーすべてかけて、そんな事やる必要ないだろうけど、私には何が子供時代あって、それは私が怒ってもいいことなのかどうか分かりたかったの!!今でも現実がつかめないの。大学生になっても。家族は何もないふりして笑うだけだから・・・・・・。私がおかしいの。姉には「大学行くくらいならば教職くらいふつう取るよね?意味ねえじゃん!」って世の中分かっている姉が世間知らずの何も分かっていないみたらずな私に言うから。そしておかしいおかしいでも笑い続けるこの家族の終着点は父の自死だったってわけ・・・・・気づいていても、何か本音を話せば「就職活動うまくいっていなから」って言われた。「Oがおかしくなった」って言われた。私は人の世界観をその人が壊れないように肯定してあげないといけないっていう世界にいたの。だから、父にあいつおかしくなった、気が狂ったって言われれば、そうなるのよ。父の世界を肯定するために。だから、もう限界だった・・・・。
もう、この家族には表面でしか付き合えない・・・・・でも、それでも表面上の付き合いしかできない自分を責めた。お前は、毎年父のあんな苦しそうな顔見ながらも、大企業にいてもらってお金たっくさんもらえて、毎年休みには有名地へ旅行、会社の保養所で、それ以外にも高級ホテルで、おいしい食事に連れて行った貰って、行きたい海外にも行けた、行きたい高校にも行かせてもらえた、、、大学まで一人暮らしのお金もまかなってくれた・・・・・・・・・・・
お前はどうしてこんなに家族に殺意抱くなんて、お前はなんていう娘なんだ・・・自分が一番そう思っていたよ。

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This script written by Shintaro Wakayama.