Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.104
メッセージ数:2080件

<2080> ぺあ(FB注意) ■2007年11月07日 水曜日 12時31分25秒
私は、ずっと演出して生きてきた。
学校でいじめられていることなんて死んでも話せなかった。恥ずかしかったし、馬鹿にされると思っていた。
それから親を安心させたかった。
Nさんって言う子に耳に蟻を入れられたときにね、私、叫びたかった。この家で「お母さん耳に今日蟻が入ってしまったの!!!!」それだけでも言おうと思った。でもそれを言ったら、今までNAにどれだけいじめられてきたかここまで出掛かってしまう、泣いてしまう。いえない・・・・いえない・・・・
いえないならば、もうこの自分の今までの運命も神も呪ってやるって思った。自分だけ自分の世界だけ生きてやろうって決心したの。それから心が何も感じなくなっていった。小学校5年生のGWの次の日の草取りの授業の前の掃除の時間(5時間目の前)に全校生徒でやったインパチェンスを育てる事業で、かぼちゃのプリンの容器に水入れたら膨らむ土壌とインパチェンスの種をへこんだところに入れて育てるやつそのインパチェンスが少し大きくなっていたかな?いや、記憶違いかも。防火で逃げるときに使う空気ホースのたたまれた無機質なねずみ色の容器の上に乗っていたクラスの鉢の中にあった、インパチェンスの花の中からNがありをとって私の顔に乗せたの。そしてその蟻が私の右耳の中に入ったの。おさげにしていたから、入りやすかったのね。その子は何も気にしてなかったし。その頃私人と現実がよく分からなくなっていたの。人が何事もなかったかのような顔すれば何もなかったんだろう・・・私の気の間違いだと思っていた、気のせいだと思うようになっていたの。もしくは、他者にとってはこんなことは大したことじゃないのかなって思っていた。でも、勇気出していったの、その頃は精一杯の勇気Nさんに「さっきの耳にありはいったよね?」って草取りの後、に言ったの。草取り中も怖くて、右耳にありが入ったって怖くて・・・・ひまあればとんとん右耳をスイミングで耳に水が入ったときのように片足けんけんやっていた。
 言ったの。
 怖くて保健室に飛び込もうとも思ったら・・・・Nが言った「OOOOの耳聞こえなくなるかもよ、鼓膜破れているかも」ってにっや〜って私の顔をまじまじと見て彼女ははっきり言ったの。うっれしそうだったな。「脳まで回るかもね、ありって」っていう事も言われた気がする。
 現実がぐんにゃり曲がった。
 ねじれた空間が。
 私の身体の危害を喜んでいる人がいる・・・・・・・・・

 親にも帰って言えなかった・・・・・
 私、いえない。
 右耳に砂糖とかのっけて、どうか出てきてって言っていたな。
 いっつもとんとんやっていた。
 そればっかりやっていた。

 でも遂に親にもいえなくて。私、今まで小さないじめだとかもやまずにあった、Nさんには5年の頃のクラス替えからずっと狙われたかのように、つけねらわれて、漬け込まれて、毎日ばかあほは当たり前、それだけじゃない、いっつも笑いながら頭を赤白帽子ではたかれて、マラソンで人より遅い私に「お仕置き」とか言って、つめとつめで気持ちがねじれるくらいつねられた。皮がむけた。当たり前だった。それは。皮もむけて、蚊に刺されたかのように赤くなって・・・。あの子の気まぐれなでもいついじめてやろうかっていうあの目、うかうかしていられないっていう目・・・・は私の心をいっつも警戒心でいっぱいにさせたの。
<2079> ぺあ(FB注意) ■2007年11月07日 水曜日 12時14分50秒
恐ろしいことにね、演出人生は、やめられなかったの。
うそつきな自分が日の目に晒されたら、今までの演出人生をそういう風にしてきた自分をこの人生のこの世界に出したら、この家族のだめさばらしてしまう、っていうかそういうだめさを認めてしまう。できなかった。
そしてバイト先でも演出していたな。バイト先は水商売だったから、「明るく」「元気にいい」いっつも暗いおとなしい何考えているのか分からないって言われてきた自分とは違う「明るい人」神経質で繊細ではない「何でもがははって笑い飛ばす小さなことには気にしない」人を演出しなければならなかった。そうじゃないと受入れてもらえないと思ったからね。
 漫画でノートを使って人を殺していくものがあったけども。主人公の彼と私は似ている。家族に対しての接し方なんてそっくり。全部演出。彼が自分の父親が死ぬ間際のときに、敵の名前を知った父から、その名前を聞き出そうとするの。で、彼は「ここは死に際で息子の俺が取り乱すのは変には映らない。取り乱しながら名前を聞き出そう。」って考えて、泣きじゃくりながら、「おやじここにあいつの名前を書くんだ!!!!」って取り乱すのね。
 そのシーンは私そのものだった。
父が自死して、私「やっぱりね」って思ったし、今までの私「合っていた合っていたんだ」って思ったの。
そして相談ばっかりしていた大学時代の友人2人に電話した。泣いた。それは、泣けばこんな狂った家族から少しでも身を守れると思ったから。泣かないと、我慢すると後に精神的に病として出てくるって思って、冷静に考えて、泣いた。半分は演出だったと思う。ごめんなさいって叫びまくった。これも演出。なぜならば、私は知っていたから。それに、姉の結婚式なんかに行かなくてラッキーとも思っていた。もし行っていたら逃げ場のない笑顔振りまかないといけないこの家族と親戚の中で不機嫌な顔なんて死んでもできないし、私は自分の心にさえも笑顔を強制していた。なんってお前は親不孝、姉不幸な汚い女なんだって思って思いまくっていたの。だから、でも消えてくれない怒りやどうしたらいいのか分からない溜めてきた思いを本当に殺せない、この世に少しでも形として出したかったの、だから、トイレで手首にぶつけようと思っていた。真綿のようにして「世間でいういい暮らしさせてやっている、優しい、何でも欲しいもの買ってくれる、いう事聞いてくれる優しい優しい優しい」家族という態度で私の本当の思いを狭め、私をとっても罪悪感に苦しめた。自分のできることも、親が盗っては、「ここまでしてやっているんだから!」って迫られた。本当は私にだってできるし、助け合いできるのに、親は違う。「ここまで貴方のためにやってやっている!!!1」って命削りながら、それを見せ付けるの。父は彼は躁鬱の気分障害だったの。私が赤ちゃんの頃から。
<2078> ぺあ(FB注意) ■2007年11月07日 水曜日 12時01分42秒
今日の新聞のコラム読んでいたら、酒の席で、誕生日のお祝いをしていて、「他に誕生日の人はいませんか?」って聞かれて、「私今日です」って言ったら、後に引けない雰囲気になって、ずっと誕生日祝われて幸せな人を演出したっていうタレントの体験談が載っていた。
 それで思った。
 私も同じ。私は親のために「順調に育っている子供」の演出をしてきたんだ。ずっと学校でいじめにあってから。小学校5年生からなんと浪人生まで。
親が安心するように、親に分かりやすいように、データーで反抗期がちょうど中学3年から高校生になるくらいまでって読んだから、「反抗期」している振り。そこに今までの怒りをチョイ出ししながら。高校3年で大学受験失敗すれば、「悲しんでいる」高校3年生、夢破れている高校3年生の演出。浪人生でいれば、浪人生として「焦っている」演出。演出人生。そして他者と本当に関われなかったし、関わったら、今までの演出人生がばれるとも思った。本当の自分を出せてこなかった家族に対して悪いといっつも心の底に染み付いたような罪悪感があって、いっつもその罪悪感に襲われていた。
うそつき!そう小学校時代の女子にも言われていたな。それはクラブに入るときに、「家庭科クラブに入ろう?」って言われて「うん」っていって、他の子に「理科クラブに入ろう?」って言われて、「うん」ってどうしても誰に対しても断れなかったの私・・・家庭科クラブに誘ってきたI川さんに「裏切り者!!!!」って言われた。
その言葉がいつまでも突き刺さってしまって・・・・。
私はこの家族に演出している。なんて裏切り者なんだろうって思っていた。そう思っていっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっついっつもいっつもいっつもいっつもいttttっつもいtっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつも一つもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもいっつも生きてきた。
<2077> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 21時22分14秒
 私小学校の頃のいじめがあまりにもひどすぎて、しかも「人間全員が私よりもずっと自我が脆くてガラス細工のように繊細で、正直な発言したり、怒れば崩れてしまう、自殺してしまうかも」っていうフィルターを通して世界を見ていた私には、絶対に相手の押し付けににこにこ笑って「うんうん、辛かったんだねうんうん」って言うしかなかった。そういう私を見て、子供って鋭いね〜。
 あの頃よく「全部あんたのせいだよ!」「うまくいかなかったら、好きな人ばらすからな!!」「全部お前が悪い」「でもさ〜結局Oさんが一番悪いよね〜?全部Oさんのせいで〜す」って言われて話しをまとめられたりもした。ボールを間違えてぶつけられたKさん、友人だった私がそばにいたら、Kさんに「今のはお前が悪い!!!」って言われたの。今でも、誰かが財布盗られたよ〜とか、誰かにぶつけられたとかいう話しを聞くだけで、たとえその子が笑っていても・・・・その子に「お前のせいだ」って言われる前に自分に「私の生だ私のせいだ」って言い聞かせるんだ。怖くて。私のせいにしてもらったほうが楽だし、その子が傷つくよりは。
現実から乖離するようにしか生きられなかった。
あまりにも学校でのやまないいじめの中で、こういう世界しか私にはなかったから、辛い現実から乖離していたんだ。
ずるくならないように、楽しい空想での乖離ではない、あの子たちのいじめを自分に向ける、そうやって、あの子たちのストレス飲み込んで、この私にとっては辛くて辛くて恐怖でたまらない現実から乖離して乖離して生きた。
いつくるか分からない他者の意のままになる、子供の気まぐれの暴発的な、しかも私の弱弱しい目をみた途端爆発させるような子供の気まぐれないじめにあうくらいならば、自傷するほうがずっと予測可能で怖くなかったの。まだ我慢できた。
<2076> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 21時03分53秒
書くと苦しいし、子供の私はもう許したいんだろうけど、私の小学校時代のいじめはかくも苦しいものだったんだ。一生をぼろぼろにしてやりたくなるくらい、自己破壊がとまらなくなるくらい、逃げ場もなかったけども、誰も傷つけないように細心の注意を払いながら生きていて、どこにも私は子供だから逃げることが出来なかったし、何一つ知識もなかったけど、あの学校と言う空間と家しかない子供の私は、あの二つの空間の中で揺れ動いていた。とても学校と言う場は怖かった。子供はとってもとっても怖かった。違うものを見抜く力は大人の数倍だし、正直にものを言うし、やっぱり理性がきかずに、無自覚なのにエスカレートしていく悪気のない暴力性は恐怖以外の何者でもないんだ。
学校時代の思い出はもういやだ。
あの頃の精神病のような顔の小学校6年生の私を見るのももういやだ。あの頃の私の顔と祖母の暗い顔って本当に似ている。
<2075> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 20時58分46秒
正直に生きろとか、もっと自分出せとか、もっとうるさくなりましょうとか、もっと嫌なら言いなさいとか、もっと言葉で表現しなさいっていわないで。
いえないの。
この家にいていえないの。
うわべだけで笑うけど、何一ついえたことなかった。本人の主観は笑われて、マスコミにばかにされているような芸能人のことで盛り上がるしかないこの家。そういう芸能人を鼻で笑って、仲良しのしるし。
そういう家族だった気がする。
実習の時、担当の先生に「もっと自分の言いたいことを言葉で表現しなさい!!!!!11」って怒鳴り散らされた。でも、私はいえなかったの。父の事知識はなかったけども、感じていた、人は脆くて壊れそうでいえないの、素直な気持ち、そのくせ分かって欲しくて、わざと分かりにくい態度で分かってもらえることを期待したり、分かってくれればくれたで、「どうして今くるの?もう遅いよ!!!1!どれだけいじめられてどれだけあなたのことを待っていたと思う?もうとっくに私の心は死んだんだよ!!!11どれだけ傷ついたことか!迎えに来るのが遅いんだよ!!!!1!!」ってあたったりした。
私の中の小さな私はまだ待っている気がする。
学校と言う場では必ずいじめられるし、子供が数人集まれば私の異常性に気がついて、皆で寄ってたかっていじめ役としての役回りにされて、皆のお楽しみにされるの。そしてわけの分からないことばかりいわれ、あなたのままではだめと言われ続け、否定され、ばかにされ、当たり前の感情を自分に許せなかった、あの頃の日々の中で小さな私は待っている。こんな汚い自分でも誰か抱きしめてくれるのだろうか、この世に私を理解してくれるものなんてあるんだろうか?そう思って生きてきたから。私待っている気がする。寂しくて怖くてでも自傷はとめられなかった高校生の頃も、ずっとずっと私は待っていた。でも理解できるものが現れたり、私を好きになってくれる人がいれば、今度は強さや損なわれてきたものを補って、少しでも人間として扱われることもあるんだ、大切にされて崇め奉られる存在にも私にだってなるんだって、今度はその人に命令してしまう。その人を下においやってしまう。正当な反応すれば、私は過去のいじめっ子に姉に母が見ている気分になってその人を困らせて逃げ場のないようなダブルメッセージを送ってその人を消耗させてしまうの。挙句に、何であの頃助けに来てくれなかったの??って絶叫しているんだ。
<2074> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 20時49分22秒
吐き出したい。
でも、父の事この家のこと正当に見れば、おかしなことばっかり。
子供の頃から納得したことが一度もなかったんだ。
子供の頃から、本当の思いを家族で話しあったことは一度もない。子供の頃から、喧嘩して仲直りできたためしがない。子供の頃から色んな人と関わってきたけど、ステディな友人関係人間関係ってものが私にはないんだ。
いっぱい、甘えられればうんうんって優しく迎えるけど、後々絶対にそいつのこと許さない!!!
言われてみたい。
あなたでいいのよって
あなたのせいじゃないって。
もう少しこうしなさいとかじゃなくて、あなたはそれでいいのよって誰かに言って欲しいの。
<2073> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 20時45分45秒
(怒りの表現あり、失礼な発言もありますのでご容赦ください)

ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ叫べたら、楽になるだろうな。この世界ぶっ殺したくなる。
二重人格のほうがらくだよな。
精神病のほうがらくだよな。
摂食障害のほうが楽だよな。
不登校のほうが楽だよな。
耐えてこれた私は何なんだろう?
でも、今も怖い。そういう精神的に病んだり、電車の中で息できなくなったりするのが怖いの。無意識に生きて、いきなり変な目にあうのはいや。変な人に出会うのもいやなんだ。
ここに書いていても、自助グループに行っても、しょうがないことたっくさんる。大切な人が自死した人たちの自助グループに出ようかな?境界線の侵犯ばっかりされてきた。今でも後一声いえたら父をとめられたはずって心のどこかで思っているし、笑っていた自分への怒りもある気がする。
でも、あの時にそれを求めるのは無理です。私は神童ではない。私は子供だった。このことを分かって欲しい。薬飲んでいない。私、電車にも時々乗れる。頑張れば。いや、本当は乗れるのかも。でももういやなんだ、いつまでもいい子いい子できてしまって、下手に頑張れてしまうことが。もういい子路線で行き続けるのは。そして、逃げられないように大勢の中で巻き込まれて、レイプのようなことをされるのはいやなの。あの男にされたんだ。断れずに行くのが普通だと思って、大学生だったし、皆恋人いたから焦っていた。部屋に行って、恋人気分味合わないといけなくて。これがふつう・・・これは皆普通の人がするだろう。この状況に合わせないと・・・・これはふつう。。。。そんな中でそうなるしかない。そういう場に追い込まれるの。それは実習もそうよ。
言うしかない。言って傷ついて。さらに意識飛ばされるくらい怒鳴り散らされた。子供を先生を傷つけた。
そして今回父のことを笑って一人暮らしの場所に帰った。本当はいい加減あんな大学やめたかったけど。あの暮らしも。自死したよ。したんだよ。とめられるはずもないのに!!!!でもあいつのせいかもあいつらのせいかも、あいつらが言ったばっかりに。そう思っているの。実習のあの担任のせいだ。あの子供の目のせいだ。あいつらのせいだ。

<2072> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 20時19分56秒
寂しい。私には25年間生きてきても、誰も友人なんていないから。
寂しい。
私はいつも人を助けるためだけに生きてきた。悪い影響なんて一つも与えたくなくて。怖くて。その人が間違った道へいくのも、その人が自死してしまったりするのも怖くて。
私は何一つ父のこと父の病気の事知らなかったけど、私は感づいていたということなんだ。相手が壊れそうで、相手の自我が脆くて、怯えきっていた子供の私。だから、それはそのほかの人にもそういうフィルターで見ていたの。怖かった。私自身もいつ間違った道へ行くのかが怖くて、びくびくびくびくしながら、できるだけ、権威のある人や皆から立派だといわれている人の意見に忠実に沿うようにして生きてきた気がする。そういう人のアドバイスは絶対だと思って生きてきた。
<2071> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 20時16分01秒
怖いもの。
母の泣き叫ぶ声。母に「あんたはいっつもそうやって人のせいばかりする!」って言われること。将来について聞かれること。
姉に、馬鹿にされること。鼻で笑われること。
昨日、姉の電話に付き合って話をしていた。私は姉の愚痴を聞いてあげるのだ。なぜならば、自分が同じ立場だったら、聞いて欲しいと思うから。今は私しかいないのかなって思って聞いてしまう。あんなに傷つけられたのにね。ここにこんなに悪口かいているのに。「うんうん」「適当にやったほうがいいよ」って聞いてしまう。姉は調子にはもう乗らないと思うけど。
それで思ったの。私はどうしてこうも姉や祖母や母を気遣うのかって。
私怖いの。母に自殺されたら?姉にされたら?祖母にされたら?そう思うと怖くて。姉にも一人ぼっちに精神的にするのが怖くて、見捨てることが出来ないの。姉にも誰にももう肉親に自殺されたくないの。呪われた家みたいでいやなの。怖いの。
私、誰にもいじめてくる子にさえ「やめて」っていえなかったのは本音言えなかったのは、その人が私の正直で「正解」すぎることを聞けば、その人は壊れるって思っていたの。そう思って生きてきた。それは大切にしたい。私は気分障害を隠し、認めたくない(別に否定はしない。そういう人生もありだと思う。嫌だもの。いいよ。別に。でも子供としては辛かったということだよ)父の下に生まれ、問題見ない振りしてきた母とストレスをぶつける姉のところに生まれてきて。私は自分をへし曲げて育ってきた。家族のために。父に幸せでいてほしかったし、母にも。私は自分をへし曲げて生きてきたけど、自分の真の部分は壊さなかったし、壊されなかった。
ずるいんじゃなくて、能力なのよ。
いっつも相手の過ちでさえ、私が謝って、相手に責任取らせられなかったのは、私はかわいそうな貴方からこの「過酷」な現実を見せて傷つけたくなくて、カバーかけて守ってきたからなんだ。そういう気持ちだったの。後は、素直な思いはその人を壊すって思ってきた。本当は気分障害の父を壊すことだけだったんだろうけど。子供の私には分からなかった。
自分は人の責任までとって当然だったし、自分のために生きたら、「スーパースター」のようになって、誰もを蹴倒して、誰もを凌駕してしまうって思っていたの。
また、私のことを好きでいてくれる人を、見放してしまうって思っていたんだ。
<2070> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 12時56分47秒
また、ひとを助けたくて、思いこめて書きすぎてしまった・・・。
でも、これは本当の話なんだ。
今の学校は、性暴力あるって。高校生の男の子に聞いたの。男子同士の性暴力増えているって。大学まで生き延びないと、生きられない子沢山いる。男子同士の性暴力があるっていうのは衝撃的だった。
 先輩にされたり・・・って聞いた。男子が男子の先輩にされるんだって。
でも、私も女子の前でズボン下ろされたりした子の話聞いたし、過去の10年以上前のいじめで自死した子供も、パンツまで脱がされていたそれを笑っていた男の子の話も聞いた。目がぼんやりしていたって。性暴力は学校にはびこっているってすんごい分かる。人の魂殺すにはちょうどいいものだから、性って。しかも、大人の性情報の氾濫もすごいからね。子供は。私、いつか、いじめられている子を助けたくて、そういう勉強始めたけども、本当は自分が辛くて。

 いじめをやめろっていう大人がやめろよ!って思う。マスコミの尻にのっかって、大勢の中で楽な話題で盛り上がっている大人が!!!!一人ひとり自分の頭でなぜものを考えていえないの?
 いじめなんて横行している。
 私はいじめサイバイバーとしても学校で今いじめられている子を救わなければ!!!って意気込んで生きてきた。
 でも、学校はやっぱり怖いの。大人としていっても怖かった。女の子は怖い。女の子とか子供って人の心を操ったり、大勢を味方につけるのがうまい子って、本当にいるわ。それから、人の心を弱くさせて、くじかせて、いえなくさせて、いじめに追い込む子ってあの集団の中ではそういう関係がうまれてもしょうがいないのかな。でも、怖かった、ものすごく。子供ともう付き合う仕事する気はないの。でも、実習にもいって、子供を傷つけ担任を傷つけてもきたから、子供には本当にごめんなさいって言いたいし、やっぱり私は救わないといけない気がするの。
 今の子。
笑っているけど、心はきょどっている子た〜っくさんいる。どうか学校にいけない子を責めないで欲しい。いじめをする子も責めないでほしい。聞いてあげて欲しい。多分、その子も辛いはずだから。いじめられている子はまず、いじめられてきた辛さを抱きしめて、受け止めてあげて欲しいし、「あなたにはなんの落度もない。優しいのは素晴らしい才能で立派な社会人としての素質はもうあるから、あなたの良さを大切にのびのびといきていってね。それからいじめられたら、どんな手段を使ってもいいから、自分の怒りを書いたり、もしくは電話でもメールでも近所であなたが信頼できそうな人いたら相談して吐き出してしまいな。いじめるような奴は、気にしなくていいから。あなたを大切に生きていってね」って言ってあげて欲しい。
<2069> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 12時40分43秒
パニックになったほうが楽。
本当は、病気になったほうが楽・・・。
精神的な死まで人を追いやる人に、かつての私はなりそうだった。それくらい私も瀕死の状態だったの。
この世界には精神的な死や社会的な死なんてたっくさんあるんだ。身体的な死ばかりではない。精神的な死や社会的な死を、誰にも分からないように水面下で実行できる人なんてたっくさんいるんだ。
でも、こういうことが分かるのは、虐待を運良く生き延びてきた人。心をぎりぎりのところで持ちこたえて、殺されずにいじめの中を生き抜いてきた人たち。
鈍感な人には気がつかない。鈍感な大人には気がつかない。見えるのに、見ていない。見ないほうが楽だから。見ない振りなんて大人になれば立場に逃れてできるし、過去の子供の頃の痛みを誰かにお返しすることもできるんだ。
 子供の中にいて、子供は学校で精神的に殺されている子なんてたっくさんいるし、その状態まで追いやられている子もたっくさんいるだろう。私も人を殺したかった。今も少なくなったけども、そういう気持ちある、でもそういう気持ちが起きる時は決まって、自分もまた破壊したり、自分を気持ち悪い思い催させたり、自分いじめや自分を傷つけるような思いになるんだ。
 一昔前まで、殺人を犯す人の気持ち(今もね、自分の中で過去のいじめられてきた時代に自傷でこの地域で行方不明になった子のポスターの今の予想図のコンピューターの図が吐きそうに気持ち悪かった時に、あの子を殺したって思うようにしたの。そういう気持ちがまだあるから、私は人を子供を子供の頃あの頃いじめにあっていて心が朦朧としていた頃に殺したんではないかって自傷かねて思っているの)なんて分からなかった。そのときは社会的に抹消される思いも、精神的に殺されたこともなかったから。誰かがいるっていう思いで生きてこれたから。
 今なら分かるんだ。殺人を犯す人の思い。自傷する人の思い。社会に落っこちて、皆からさげすまれてしまう。でも紙一重だと思う。私もまたそうだった。殺人を犯すくらい辛かったんだって私言ってあげたいの。勿論、その行為自体はだめだよ。だって、被害者は?被害者も同じように傷ついてきたかもしれないし、生きている人だからね。でも、アメリカの大学で銃を乱射した男性のことも考えた。外国人ということで、英語を発言するたびにからかわれ、笑いの対象になっていた。ずっと彼は心を簡単に踏みにじられて、殺されてきたんじゃないだろうか?銃で皆を一列に並ばせて、殺した彼は、自分の一挙一動に学生が被害者がコントロールされて、怯えている事実は、自分の過去の報復だったんじゃないだろうか?自分の動きで、他者の心をコントロールできたことは、彼の低い自尊心を底あげしたんじゃないだろうか?一挙一動に怯える被害者、この状況を銃一つで支配できていることは、彼のいじめられてきた彼の仕返しだったんだろうって思った。分かったから。
誰かが彼を抱きしめられなかったのかなって思うの。被害者は格好悪い姿でも、慰められる。でも、いじめは何やってもどんな姿になっても笑い者、許されない、人間の限界も、普通の思いも。許せないの。今の学校で性暴力もされていることが。子供が性を子供に遊ばれるほど、傷つくことはない。自慰の姿を強要される男の子がいる、それをいじめっ子全員が見て、楽しんでいるっていう姿は本当に子供を殺すと思う。性ってすっごく強いものだし、大人を覆っているもののような気がするけども、それを笑われるほど、傷つくことはない。私、色んな思いあるけども、どうか学校と言う場は社会にもう重要にならないでほしいの。学校と言う場に子供を押し込めておけば大人は楽でしょう?
でも、そういう大人は、今度は自分が会社っていう場に自分を押し込めるんだ。近所の目を気にしながら。
 学校が社会的にもう重要にならないでほしいの。
 学校に行けなくてもいい。
 むしろ心殺して、友達の自慰を見て喜んでいるような子供がいるくらいならば、人の痛みを喜んでみていたり、心を殺してみているような子になるくらいならば、率先してそういういじめに加わって、自己保身したり、ストレスをそこで発散するような子になるくらいならば、「学校不適応」「適応指導教室」なんて言葉で子供を殺さないで!不適応になるのは当たり前だ。あんなおかしな魂の殺人者がたくさんいるような学校で、適応するよりは、広い社会に、学校行かない子のほうが「正常」だよ!
 だから、どうか学校に行けない子を変な目で見ないで欲しい。
私みたいに心を殺していって、何年もして心を取り戻そうとするよりは、ずっといいんじゃないだろうか?
<2068> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 12時18分16秒
今までのお前は嘘だったのか!って関わってきた人皆に責められそうで怖い。嘘ついてきました。嘘つくしかなかった。嘘で生きて、でも本当の私を殺せなかったから、罪悪感と演出している自分への憎しみと周囲への懺悔はとまらなかったけども。でも、本当の自分を持ってきたからこそ、私は父の自死する前の一週間前の父の皆に合わせて、結婚式で盛り上がっている母や不機嫌な姉にそばで「笑う」ふりしている父に、「おかしくない?」っていう心配気な顔を向けることが出来たの。それだけは感謝している、私の力なのか、何か分からないけど、父を社会的にも精神的にもこの世界から落っこちて、抹消されそうな父を、私は「分かっている」っていう顔で見れたの。とめられなかったけども、私のように一人にはしなかった、私は。私は過去のいじめでぼろぼろになっても笑い続けて学校に行き続けて、心はとうに死んでいた永遠の孤独に父を追いやったかもしれないけども、分かっているよっていう顔して見れたの。障害を持った人と付き合ってきて良かった、彼らの全身でのコミュニケーションをとってきたからこそ、私は父の姿を見れたんだ。
<2067> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 21時25分17秒
書いて書いて書いてかきつくしたらいつか私も変われるかな。
電車にも乗れない。仕事にも就けない。自分から変われるかな。実習でも変なことばかりする。自分変えられるかな。
<2066> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 20時44分34秒
 これから、どうなるのかな?
私、もう学校に関わる仕事しなくてもいいよね?もう過去のいじめとか髣髴させるようなこと考える仕事なんてしなくてもいいですか?
神様がいるなら教えて欲しい。
私はどんな生き方するべきなんだろうか?
私は何ができるのだろうか?
私は自分のやりたいことしていていいのだろうか?
私は今までどおり「いい子」通して生きないといけないのだろうか?
生きている。
死ぬまで生きている。
やりたいこととできることは違う。
でも、もうあの頃のように自分いじめして周囲飛ばして生きるのだけはやめたい。自分の中から発せられたSOSを私は殺してきたような気がする。
倒れても良かったんだよ?でも、できずに、父の祖父母の母の面子のために生きてきた。とってもちっぽけなことだった。自分のために生きてよ。あなたはこれから自分のためにあなたの人生なんじゃないの。
<2065> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 20時09分16秒
子供時代の写真を見ながら。確かに幸せだったけども。小学校5年の頃から雲行き怪しくなっていった。上っ面な笑顔はひきつりまくっているし、目がひきつっている。祖母に似ているなって思った。祖母の険しい時の顔に。

 笑えない。子供なのに、できなかった。
父が自死したあと、ずっと自分をセーブして鬱にならないように生きてきた自分をなんて馬鹿だったのだろうと責めた。セーブしまくっていきてきたんだ。
その代わり誰にも相談なんてできなかったけども。
欝は悪いことなんですか?
そんなに気分障害って悪いことなの?
非行もそう、気分障害だってそう、その人に必要なんでしょう?リストカットもそう。必要だからするわけで。
私思ったの。外側から見たら、父のしたことは自死かもしれない。でも父はそれくらい悔しかったんだって、思った。父の悔しさ憎しみ、自分への怒り。それが彼を首絞めたんだろうなって思う。自分許せなかったんだと思う。そして、彼の周りには誰もいなかったんだと思う。家族なんてものもいなかったに等しい。彼は下駄はいていたから、そうやって人と付き合っていたから。それでいいよ。別に、下駄を履いて生きてもいいと思う。父の顔を見ていたら、あまりにも父らしくて、拍子抜けてしまったんだ。父に本音見せろって私迫っていたけども、彼は理屈と客観論で正論で私をつぶしにきたけども、それは彼自身にも向けられて、他の誰に対してもそうだったことを知ったんだ。
 お母さんが言っていた。お父さんは調子よくなると私に背を向けたんだよねって。よく分かるよ。父はだめな自分を見てしまった母に対しては、いやだったんだと思う。鬱とかそういう風になっている自分を知ってしまった母に対しては、調子よくなると、背を向けたというのはよく分かる。
 でも、もういいじゃん。
もうよくない?
それでも心は今でもどうしようもなく、父を後一声したら、とめられたのに、生きながらえたのにって思う気持ちもあるんだ。
でも、生きることがそんなに大事なのだろうかとも思うの。
父にとって社会的に死ぬことは、彼自身の死を意味していたんだろう。
私が小学校の頃から、母に「高速道路で対向車線に飛び出そうと思った」っていうくらい自死することをほのめかしていたんだもん。
<2064> ミン ■2007年11月05日 月曜日 14時19分53秒
家族や関係のない人を憎んだり蔑む気持ちが大きくて、私は異常で人と違うとずっと悩やんできた。心の成長が順調ではなかったことを知り、負の感情も正常だから感じるんだと認識できて安心した。大切なのは知ること。でも、咄嗟にはそんなことお構いなしに、感情が剥き出しになる。拗ねてキレて自己嫌悪…。これも私には正常な反応だとしたら、私が理解していない私が隠れているのかなぁ。
<2063> ぺあ(FBあるかもです) ■2007年11月05日 月曜日 13時46分59秒
怒りはもっていていい。向けるべき人に向けるのよ。向けるべき人、今まで私を傷つけてきた人に。それは実習での子供じゃないし、担当の教員でもない。姉父母祖父祖母Nさん同級生、Yさん。いじめって精神的な死や社会的な死にまで至らしめるものになっている気がする。そこまでして人を追いやらなければならない子供は、すでに精神的に殺されているか社会的に殺されているかなんじゃないだろうか?父もまた仕事を中断すること、精神病院に措置入院することは社会的な死を意味したんじゃないだろうか?私もまた精神的に殺されそうにたくさんなって誰かに仕返さないといられなくなった、一端強者に立てば弱い人を見つける事なんて簡単にできる。かつての私に似た子を見つければいいのだから。私もまた社会的に疎外され殺されそうになった。ふつうは殺されないためにやめられなかったけど、ふつうを演じきることで私自身殺さなければならなかった。今の子供はいや16年前の私の時代でも精神的に疎外され殺され社会的にも殺された子がいるのよ学校という場所自体が恐怖の場なの。殺人者がうようよいるの、それも子供という理性のきかない無自覚なそれでいて暴発的な。その子たちもまたどこかで傷ついた子たちなのかもしれない。レイプもそう魂の殺人。する人はすでに殺された人なのかも、社会的に精神的に。
<2062> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 12時37分58秒
正直にいうけど、父が自死して、楽になりました。
殺人してしまうそうなほどの、周りと現実交流のできなさ、どんなにそれを求めて頑張っても、周りから暴力を受けてしまう、あるいはひどい扱いうけたり、傷つけられてしまう。問題なく笑っていたけど、目は死んでいた。心は死んでいた。そんな状態でなお、問題ない家族演出するために、そして心も「あれだけのことをやってもらったのに。父に無理してもらって。お前はおかしい親不孝者」という内なる声に、自分の心にさえ問題ない家族、を自分にさえ、疑問に思う自分の声をつぶしてしまおうとする勢力。
私は振舞うしかなかった。表面的に付き合うしかなかった。もういい加減にしてほしかった。それなのに、父に少しの態度で分かってしまう。父は何か訴えているんだって。「Oなら分かってくれるだろう?」という目もあるの、父の。そのくせ、自分を素直に言えば、あげつらい、笑われ、周りに「こいつこんなこと考えているんだ」ってさげすまれる。おかしくなった、どうしたらいいのか分からなくてでも二重人格になりそうで、もうこのおためごまかしの家の中で優しい家の中で心の力がどんどん「優しさ」で奪われてしまう、この家で。お金でもって、これだけのことやってやっている、沢山のおいしいもの、お金、洋服の中で・・・本当の思いなんて殺して、私は「なんていい家族に恵まれているんだ」って思い込むしかなかった。悲しかった。
叫べば・・・「反抗期だからおかしくなった」「大学受験に失敗したからおかしくなった」(大学受験でさえ私はわざと浪人したの。もう出たかったの、教育機関に支配されている期間から。だから、不合格したのはわざと間違えたから。わざと答え間違えたから。わざと勉強しなかったから)あげくは「就職活動うまくいかなかったから、あいつはおかしくなった」って言われる。そういう風にしか見られないのね。
 そして助けての視線かよ!
でもそんな二重生活が終わった。
 姉の結婚式の前だった。
 姉の結婚式のために新幹線で遠くに行かなければならなかった。新幹線に乗ったらおかしくなるって思った。だって、また演技だからね。いい家族で喜んでいるふりの妹の演出。本当は私の好きなものをとことん笑って、自分の反抗期をいいことに、学校でいじめられている私にさらに、いたぶって自覚ないにしても、傷つけて、無遠慮な発言しまくって、妹だから何言っても何やってもいいと思っていたみたいで、大笑いものにされて生きてきた。こんな私の助けにもならなかった姉の結婚式なんて嬉しくもなかった。頑張って出した応えは勝手にどうぞだったから。5年も付き合っていた彼氏を一切に家族には秘密にして、土日だけはテニスで夜になっても帰ってこない。でも、気分悪い時には「死ぬほど頭いたい」だとか言って、散々甘えちらして・・・。うれしくもなかった。笑う振りは得意でも。
 喜べなかった。勝手にしてよだった。父が亡くなったって聞いて嬉しかったのは、新幹線にのって姉の結婚式(ナルシストだから勝手に甘い空想でもしてたんだろう。100枚以上もドレス写真とっている馬鹿だから)場に行かないで済んだこと。本当に嬉しかった。自死したって聞く前だったけども、嬉しかった。だって、もしも新幹線にのっていたら私は手首切っていたから。多分。トイレでどんなに私がこの家族の前で笑おうとも、私の本当の思いだけはこの世に現したかったの。でないと死んでしまう、本当の気持ちだけはどんなに笑う場でも、どんなに誰からも贅沢だと責められても、殺せなかった。あらわしたかった。手首に今までの怒りをもってきたもの、溜め込んできたものをぶつけられたらどんなにか楽になるだろう?自傷っていうんだろうね。でも私は今までの思いをぶつけるの、手首に、逃げ場はないから。だって、笑わないと変じゃない?私は妹で。母の実家では「うまくいっている家族、成功途上の家族。問題ない家族」として通っているのよ?おかしいじゃない?不機嫌な顔なんて死んでもできない。だって、場が求めるから。今までの私の演技しながらの成長ばれるから。
 でも、本音は、姉なんて本当に嫌いだったし、姉は本当に勝手な人で、私は姉のばかにされたこと、好きなものを徹底的に笑われ、ばかにされたこと、大切な人間として扱ってもらえなかったことで、傷ついたことなんてたくさんあるよ。4つも年が下なのに、一番学校でいじめられて、ぼろぼろになっているのに、それでもなお甘えられて、いっぱい傷ついたところに塩なんてすりこまれた。姉は大変だからって我慢してきたけどね。
 全然嬉しくない。
 正直な思い(持ってはいけないと思ってきたけど)全然姉が結婚しようがしまいが、もうあまり関わりたくない。すごいきらいなの。あのエネルギーこっちに向けられればおしゅうとめさんみたいに、ああだこうだうっさいし、何もできないと思いこんでは手足出して笑いながらあげつらうし・・・姉としてあんたがやっていることなんておせっかいとうざいだけど、それから心の力を奪うのに大いに貢献してくれたことだけだ。だから、嬉しくなかった。
父が自死してよかった。。。。そうも思っている。姉なんて一生苦しめばいいのよ。一週間前に自死したとか、一生あげられなくなればいいのよ。お前のナルシスト乙女チック演出のばかばかしい結婚式なんておめえが勝手にあげろよ。私のこと自意識過剰ってよくばかにしたよね?お前のことなんて誰も見てねえよってね。(そんなことよく覚えているね、気持ち悪いってあんたはいったそばから忘れるから言うだろうけども。私は忘れないから。自分のためにあんたのやったこともこれまでされてきたことも私は忘れないから)でも、あんただよ。あんたでしょう?あんたじゃない。あなたは犠牲者なのかもね。だって、父の葬式に来た人のこと名簿で確認したりしたときに、学歴見て「レベルひっく〜」とか言っていたし、あなたの旦那の学歴もひっく〜ってすごいばかにしているものね。これも私のたいせつな感情です。大切にする。いいんだ。心が狭いだとか自分を責めなくて。これもまた私にとっては正直な思いなの。
<2061> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 12時11分15秒
病名をつければ、私の小学校時代、中学校時代もつけられただろうな。でも、それは私には許されないことだった。父の命を削ってまで「これだけの贅沢させてやっているのに」という無言のでもものすごい圧力。
これだけのことをやってやっているのに、お前は何が不満なんだ!感じてた。許されなかった。精神が疲れて疲弊しても病気になることは、父の評価を落とすこと、あの家は「ふつう」じゃないって近所で噂が立てば、それは父の評価をさげること。
 でも、父自身も会社に入ってから、会社に行きたくなくなって、母が祖父母をよんだとき祖父は言った「かわいい子供がいてかわいい奥さんもいてお前は何が不満なんだ!!!こんな子に育てた覚えはないぞ!」って。それから、父の鬱が単身赴任にしてひどくなって、工事の責任者をあきらめて帰ってきたとき、母は誰にも相談できなくて、祖母に言った「Oさんをここじゃ気分転換できないから、祖父母の実家に帰らせたほうがいいかしら?どうですか?」と。そしたら祖母は「あんな狭い近所で、変な噂でも立ったらどうするんですか?それだけは絶対にだめです!」って。
ちちの心の叫びは誰にも推しとどめさせられたのではないだろうか?
精神病は、子供を誘拐するような怖い人。
精神病患者は、人を殺すような怖い人、弱い人、普通じゃない人。
お父さんは、そういうの全部飲み込んできた。
そして、大企業で、早期退職した後、新しい大企業に入れて、そこで派遣で働くのだけでも彼のプライドに触ったらしいけども、それでも単身赴任して工事の責任者として200万程度の工事の責任者になった。そして、身体壊して、躁から鬱になったのかな?
自死、自殺?自殺だね、自殺したよ。
この父の祖父母とずっと子供の頃から二世帯住宅で暮らしてきたけど、この家は見せかけの塊なの。本当に。高い下駄を履いて、感情の交流の前に建前があって。優しいけど、皆いい人だけど、絶対に世間で認められないようなものがあれば、受け止めては死んでもくれないような人ばかりだ。
K大に入った、国立大に入った?だから?兄弟3人で下にいくほど良くなっていっただ?そんなことしかいえない。ばかな、祖父だ。学歴で、下駄はいて、仲直りさえ息子とできない父親が母親が何なの?それがいい家族なの?
私はずっと父の「俺の汚らしい精神病みたいなもの世間から見下されるようなものは死んでも見るな」という怒りの盾にあってきた。父のその盾がある限り、私はどんなに鉄砲をうっても、はねかえされるの。そして、そんな一生懸命は私を後悔させるかのように、ばっかにしてニヤニヤ笑うんだ。
毎年休みには必ず旅行に連れて行ってもらって、車さえ乗っていれば父が観光名所に連れて行ってくれる。おいしいレストランにも行ける。でも、私は「ここで倒れてはだめ」って言い聞かせて、家族に繕ったような笑顔見せながら、倒れそうな思いをおしとどめて生きてきた。学校は恐怖。でも死んでもいえない。命かけて子供に向かってくれる父のおりこうさんな父のためにも、私は父の評価を高めるために、いい子でいなければならないし、当たり前だと思ってきた。
いつも、二重人格はめさせられた。世間では認められないようなことは親には死んでも見せられない。いじめられている自分なんてその最たるものだった。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.