Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.103
メッセージ数:2060件

<2060> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 11時36分05秒
私って、つじつまあわせ人生で育ってきたと思っている。
つじつま合わせて、周りの目が許容範囲に及ぶくらいまでで収めて生きてきた、育ってきた。
私が、あの子に耳に虫入れられたり、毎日毎日、「いついじめて楽しんでやろうか」ってうかうかしていられないくらいのあの子の狙う目の中で、小学校5年だったけど、毎日毎日そんな日ばかり続いて。
夏休み、私の目のしたに赤いできものができた、私は小さな頃「良性腫瘍」で目のしたの赤いできものを除去してレーザーで焼いている。だから、当時は「腫瘍」としか聞いてなかったし、姉に「あなたが今生きていられるのはお父さんとお母さんがそのとき気がついたからだよ」って言われたから、私は皮膚がんだったんだって思っていた。だから、再発したって思った。再発したって。で、毎日スイミングスクール行きながら、目のしたのできものが大きくなるのを見ては、がんだがんだって思いこんでいった。また、耳の中に入った蟻は5月から気になっていたけど、心配も限界で、ため息がとまらなくなった。ため息が、息すえないのに、変わった。過呼吸になった。お風呂で毎日はあはあ息吸えなくなるのを何とかおさめていた。大丈夫だよ大丈夫だよ大丈夫だよって。それから、がんになったんだっていう思い込みも変わらなかった。でも、不思議といじめにあって、保健室に耳に虫が入ったことで飛び込もうかと思って、あの子のにやにや笑いでできなくなってからは、私は、誰にも自分の身体の症状も気持ちも言えなくなっていった。
 それから、がんなんだっていう思い込みは高校生になるまで続いた。視線が内にしか向かなくなってしまうの。それでも、男子の目を気にしたり、一応成長できていたんだな・・・と思うと感慨深い。でも、男子の目はすきと言う雰囲気察知すると、その人に常に見られてジャッジされている気分になるんだ。そして常にその人の期待にそうように、私はいなければならない・・・苦しかった、自分では決められない、常に相手にゆだねているみたいで。
 中学の頃は、それでも運動部に入っていた。毎日、意識とぶような思いで生きていた。怖くておどおどしていた。土日の部活の帰り道、家族でのスキー旅行の後だったけど、まっすぐ歩けなくなったりした。地面が揺れていた。めまいがすごくて、頭がぐるぐるぐるぐる回るの。あの気持ち悪さはもういや。よく地面は揺れていたし、自分が歩けているのか分からなかった。自分が異次元の世界にいるようだった。
<2059> ぺあ(FB注意) ■2007年11月04日 日曜日 21時58分33秒
父の葬儀へ行くタクシーの中で思ったよ。私は、ぶっ倒れてももうパニックのようないっぱいのどうにもできない思いあるけど、これだけは死んでも行かなければならない!って。
それだけじゃない。
母が行けない代わりに、父の会社にまで行った。
姉といれば、嘘つくんだ私は。頑張ってしまう。税務署にだって、姉と一緒ならばもう嘘ついて電車にのれるんだ。のれるのかもしれない。でもいつもいつも私は無理して生きてきた。乗れるよ頑張れば、でも私はいつも置いてきぼり。私大学時代に言われてきたこと思い出した「障害者と付き合うのは偽善者だからだ」実習で言われたことも「いい加減にしなさい。」「あなたもう23歳なんでしょう?人の発言にうんうん言うのやめなさい」そうだね。私は当時23だったね。でも、子供の頃ずっとおとなびていて、いっぱいいっぱい色んな子供だけじゃない、大人にも皆に甘えられてきた。もたれかかられてきた。子供として生きてなんかこれなかった。ずっと。倒れそうになってもふんばって、意識とばして生きてきた。それなのに、今度は素直になろうと思って生きた今度は今度は何?23歳には見えないだの。あの子どうしたらいいのかわからによだの。そうね、見せ掛けのようにして大人な振りしている奴らなんかたくさんいるけど、陰で人をいじめていたり、いじめを見てみぬ振りしていたり、そんな大学生ばっかりだった。一つ一つ未完成でも子供として誰からも罪悪感だの絡みつかれないで、命の成長を誰かを背負ってだとか、人のためだとかじゃなくて、一人の人として尊重されて、応援されて、すくすく育って、その子なりの問題をその子のできる分だけクリアをして、その子のものにしてこれた、子がうらやましかった。
 私はいつも法外な要求をされて、子供の私を無視されて、上から俯瞰するように問題を周りとレベル合わせてクリアしているように見せかけて、周りに「安心」して育っているとアピールして、そして後は他者の問題をおっかぶさせられて、他者が自殺しないように永遠にふりして、本音なんて相手傷つくし、相手の世界観を繊細な人の世界観を壊すからって、怯えて出せずに、それを周囲の子供にまでさせられてきた私とは違う。何も分からなかったけど、父が躁うつ病の気分障害で、それを押して大企業の中で出世競争の中にいたとか知らなかったけど、それでいきなり人が変わったかのようにあの憎悪の目で母を見ていたこととか、知識は知らなかったけど。でも感じていたよ、子供の私は。
 頑張ってきた。
 それなのに、「23歳だよ?あなた。とても見えない」だとか「あなたの先輩で虐待受けていた人は、自分でお姉さんとお母さんとの関係変えたんだよ?あなたも自分で変えなさい!」とか、「もっと俺の思うあなたの完成形はもっといけるんだな。」だとか「もっとああしろこうしろ」だとかもう言わないで!!!!!!!!
 何やっても何やっても何やっても結局父は自死したよ。
そして私はもうとめなかった。分かっていて、でももう限界だった。二重人格しいられるのも。私には私の人生があるのに、生かさせてくれない。もうすっかり大人になったのに、認めてくれない。あなたが自分の大企業だとかそういう下駄を脱いだ自分の姿を見るのが怖かったんでしょう?認めなかったんでしょう?多くの人に心配されたけど、その心配は、奇異なものを見て楽しむ心配、自分よりも下ができて嬉しい心配、こうやってやっているんだっていう心配ばかり・・・・・。要らない。そんなの要らない。要らないから。欲しくないから。要らないから。
<2058> ぺあ(FB注意) ■2007年11月04日 日曜日 21時41分44秒
父の葬儀に行くタクシーの中で思った。私は、ずっと「逃げるんじゃない!行くんだ」って思って・・・頑張って乗り物にも乗ってきた。心が追いつかないのに、現実の「22歳だから大学卒業して就職するの当たり前」それ以前の「適齢期だからふつうの子と同じように学校に行くべき」たくさんの当たり前のことをクリアするために、心なんて吹っ飛ばして、感じる気持ちのままで生きられないから、演技するようにして生きてきた。感じる気持ちを感じていたら私は社会から落ちこぼれると思った。感じる気持ちに正直でいたら私は学校へはいじめられた頃から行けなくなっていたでしょう?そしたら、父にも母にも「捨てられる」から。周りから「視線」が突きささるから。だから、隠すしかなかった。ずっと。もやもやを抱えてきた。爆発しそうな思いを何とか不発弾のように仕向けて生きてきた。そんな私を自分が一番だめだと思っていた。正直に生きていない、本音を話せる人もいない。そんな自分をわざと披露させるように大学でいた。そんな私に皆言った。「あの子は変わっている」「独特だよね?」「Oちゃんは本当の友達一人もいないから、心配」「もっと人の話し聞きなさい!!!」そんな自分を最も自分は「計算高いから精神病にならなかった。精神病患者さんごめんなさい。」「普通の人のように心を開けない。私は劣っているんだ」とせめぎあう思いで生きてきた。精神障害者の人には謝って、ふつうの人には普通の人の要求するレベルに追いつこうと、笑われたりたくさんしたけど、「こんなことくらいで傷ついたら世間でやっていけない!」って思った。いっぱしに恋愛もするべきだと思い、いっぱしにこうするべきだと思っては、頑張りぬいて傷ついて。

 心はちっとも何とも感じていなくても、私は社会生活を送らないといけない。心は何も感じていなくても大勢の一員にならねばならない。ふつうでいなくてはならない。周りから変と思われない程度に。
 やりたくもないのに、最終的に決めるのは「助けを待っているかわいそうな気づいていない人たちがいる。いじめにあっていて透明化された現実を生きている精神病一歩手前の人がいる。その人たちを救わなければ。」救わないといけない願望だ。これさえあれば、私は世界平和のために奔走しないといけないし、そこでなら自分の幸せも許される気がするの。
 だから、カウンセラー目指した。救うために、世界平和のために。でも心は休みたかった。何もかも、やっぱり休みたかった気がする。いつか無理がエスカレートして精神病の発病まで行くと思った。
<2057> ぺあ(FB注意) ■2007年11月04日 日曜日 21時27分20秒
社会と関わり合いを持ちたいけども、でも私また「頑張らないといけないの?」頑張る。壊れても頑張る。カバーを心にかけて、現実にどう感じるかなんて無視して、予定調和の中で一糸乱れず、頑張って・・・・もののようになって生きてきた。でも、それで父の自死をとめられなかったって自分を責めないといけない立場にもいる。お父さんのこと分かっていました。もうこの父との絡みつきからいい加減、解かれないと私は私の人生を生きることが出来ないんだ。
 つい頑張ってしまう。つい頑張れてしまう。
父の葬式にきた姉の知り合いの言葉「妹さん異常にしっかりしていた」というものは、私は意識飛ばしていたからね。周りに「良く」見せる演出だけは、子供の頃から大の得意なんだ。
 もうやめな・・・・
もうやめなよ・・・・
もうやめな。。。。
 「妹さん異常にしっかりしていたね」
 私、私を疑っているの?って思ってしまったの。私殺したも同然なんだろうか?心殺して生きてきた。心殺して生きるのはもうやめよう?
 異常にしっかりしていた・・・・
 そうその通り。
 私一週間前に見たから。父が遠ざかっていくのを。それでもどれだけショックだったか誰か分かってよ!一人暮らしの家から実家に戻ったら(そのとき既に実家に帰る電車だけはパニックに近いものあったの。実習の子供にも関係者にも会いたくない。実家は演技の場。泣けない。マイナス感情見せられない。私が子育てしているみたい。家で笑って、一人暮らしの家で泣きまくっていた。ここしかないの。ここでしか見せられないの。一人にならなければ本当の感情なんて出てこないの。だから、もう辛くて。友人に親を嫌いだといっているのに、家では窒息しそうなほど、「いいこと」してもらえる。まるで力奪われたみたいに。いつまでも無力な子供でいないといけないみたいに。美味しいご飯作ってもらえる、何でもしてもらえる、外食に車で連れて行ってもらえる、優しい・・・。今までの苦しみを出せないの。笑って、問題ないことが一番価値のあることだから、この家は。)「とにかく帰ってきて」の言葉を聞いて、死ぬ思いで帰ってきたの。そしたら葬儀社のトラックが私の家の門の前に止まっていた。。。
 異常にしっかりしていたでしょう?
ず〜っとず〜っっと私は意識飛ばして「見せる」ためにふりして育ってきたからね。心だけは本当に誰にも見せられずに一人だったからね。
意識飛ばして現実飛ばすのは慣れていた。
 いとこも私が葬儀の場で鏡で髪を直すのを見て驚いていた。そういうの狙っているの私。そう私いとこの驚く顔ねらっているのよ。そうやって生きてきたの!!!!!!!!!1!!!!!!
 私はなんともおもってませ〜んっていう演技よ。
 全部演技。
 演技で生きてきたから。
 本当の気持ちなんて誰にも見せられなかった。
 だって、傷つくでしょう?
 意識飛ばして自慰のようにしてすべて飛ばして、物事だけ進んでいく。
 焼かれたことも。父の骨も。決められた手順で。私笑えた、予防注射や学校のように規律よく物事なんて進むのよね。10番さん終わりました〜11番さん終わりました〜みたいにね。
 私ね、父が亡くなった後、近所の人も皆私が殺したって思われているような気がした。どんだけ頑張っても、父は振り向かなかった、私のやれること全部とって、やってやっているんだって押し付けて。
 もういやなの。気分障害の人がどうだろうが、どうして娘のまだ小さくて何もできないのに知らないのに、「見るな!」というメッセージと「助けて。Oなら分かってくれる?」みたいな助けてというすがりつきを受けなければならなかったの???
 私、まだ面接に行かないといけない?私まだ頑張って父が自死した今でも頑張って精神障害を持っている人の、もっと恵まれない人のために助けるために、少しでも心が軽くなるようになるために、奔走して生きる必要ある?
 私、父を見殺しにしたのかな?私殺したのかな?私、こうやっていっつも他者の問題を背負って、背骨が折れそうなのに、背負って背負って背負って、何も問題解決にもならないのに、背負って、罪悪感ばかり背負わされて生きないといけないの?
 
<2056> ぺあ(FB注意) ■2007年11月03日 土曜日 21時53分54秒
これでいいんだ、、、、って誰か言って。私いいんだよって言って。言って、言って、言って、言って言って言って言っていっていっていって。

ずっっとずっとお前は本気じゃないからって、からかわれても本気の抗議感じ取れないからって、からかわれ続けた。このくらいで何が傷ついただ?あんたこの先もっと大変なことが待っているんだよって母には言われる。

 そうだねえ。学校で意識飛ばして生きてきて、父が自死して父のこと分かって。十分に燃え尽きたよ。ほんとに。父の私に対する「毎年旅行連れて行ってやっている、欲しいものはあげている、なのに何で何だ?」という重い重圧。許されなかった、私の気持ちは。父の命を代償にしてでも。父は気分障害で、ずっと苦しんでいた。でもその根底は、分かるよ。ねえ、私、父の方が大変だったよね?だから、躁鬱になったんだ・・・・・・・・・

未だに生きられないよ。。。。。。。未だに何なんだろう?このうちは。うちの祖父の学歴といい会社だけの人生って。。。。なんなんだ?この問題はなかったふりの家族で。祖母の傍観者的意見ばかり聞かされる。「最近の人は何でこんなに変な事件起すんですか?」「やっぱり家族は大切です」「あの有名な俳優さんは何ていうんですか?ほら・・・心の病」私:「うつ病?」祖母「そうそう、だったんだって。」(ってお前だってそうじゃねえかよ!しらばっくれんなよ!!この役立たずばあさん!)
 疲れてきたから、この辺で今日は休もう。
<2055> ぺあ(FB注意) ■2007年11月03日 土曜日 21時45分21秒
ここでも、どこでも私はぎゃ〜って叫べない。いえない。吐けない。死ぬほど、吐きたいのに、いつも飲み込んで生きてこさせられた。吐きたいよ。全部吐き出したいよ。何で?吐けない。カウンセラーなんて学生時代利用しても、その人のカウンセラーに最終的になっているか、もしくは、その人の成功例におさまるように自分を律して調節して、相手が安心できるように、自分を仕向けて、出してしまうの。ぎゃああああああって叫びたかった。泣きたかった。それなのに、それしたら、相手が職場後も家で考えてしまう、心配してしまうのが相手がかわいそうで。。。。。重くて相手の負担になるのがいやで・・・・相手がつぶれそう。相手のほうがもっと辛い。そう思う私の根底には、父の躁うつ病を私が感じ取っていたからなのかもしれない、子供の頃から。
<2054> ぺあ(FB注意) ■2007年11月03日 土曜日 21時30分37秒
私は、あの漫画のふつうの顔して子供やって、裏である道具でもって簡単に人を殺す主人公みたい。
あの家族との接し方はまさに私そのもの。どこまでも「ふり」どこまでも「ふり」本当の私はいない。
 私、小学校5年になってある子にね、狙われたんだ。もともとものすごいストレス抱えている子。その子に、毎日頭叩かれ、傷つくこと沢山されてきたんだ。でも、その子のいたずらから虫が耳の中に入ってしまって・・・それを勇気を持ってその子に言ったの。その頃は現実認識さえ私できなくなっていた。私の見聞きしたものは他者にとって取るに足りないこと、しかとされること、どうでもいいことだと思って育ってきたからね。
 でも、死ぬほど勇気を出して言った。「今耳に虫が入ったよね・・・?」震える声で、死ぬほど・・・・の恐怖を抑えて。その子の顔色見ながら。その子は私に「OOO(私のあだ名)の耳聞こえなくなるかも〜」「もしかしたら鼓膜破れるかも」って本当に嬉しそうに笑ったの。意識がぶっとんだ。本当に驚愕した。一体何なんだ?この子は。保健室に急ごうとした私の心ががらがら崩れていった。私は、ずっとこの子に4月から、目の敵のように、何もしていないのに、「OOOは友達だよ」だとか「あなたのために思ってやっている」だとか「私が仲良しな子と同じクラスになれなかったのはお前のせいだ」だとか言われ続け、いつも事あるごとにぶたれ、ばかにされ、あげつらわれ、つねられ、そんなことばかり続いていた。心が保てないの。心が「こういう人なんだ」って思いこんでしまうの、自分のこと。
 瓦解した。
 もう、無理かなって思った。私、このときもこうだったんだ。父の自死の前もそうだった。頑張って頑張って、やり方間違えたかもしれないけど、頑張ってきた。でも、どんなにやっても報われない、父にもぷいってそっぽ向かれて、「もういい」私そう思ったらもうその事には後引かないよ。だから、お父さん、自死したんだ。だから、生かせてあげられなかった。私は死んでも助けられなかったんだ。いっつも私の人生なんて同じことの繰り返し。きっと、これからも、病気かなんかで闘病生活だとか送りながら頑張って治療に耐えても結局だめで「もういいです」と思ったら、今までの頑張ってきたもの瓦解するんだ。もう、今までのやりきれない怒りで、できそうなことなのに、もうそっぽ向いて、今までの怒りをそこにぶつけて、固執するんだ。格好いい自分保つためにもね。いつも惨めで気が弱い本当にみじめったらしい汚らしいすがりついて、皆に追い払われるようなばかで、笑われものでさらしものの私だから。

 あの頃のことも今も変われない。
 あの私をいじめた子が、お兄さんが早くになくなって、お母さんもがけから飛び降りてなくなったと聞いた。それさえもそんなことも、私に過去にいじめた人で、私に関わりあう人だから、罪悪感と自分に気持ち悪さも少し感じている。
<2053> ぺあ(FB注意) ■2007年11月03日 土曜日 00時20分13秒
ぎゃあぎゃあ叫びたかった。でもできなかった。事情が変わった。笑っちゃった。あんまりにも運命としかいいようなくて。残った残骸があって。何のために生きてきたのかさえ分からない。ずっと。事情が変わった。理解した。私あんまりにもがんばりすぎてつんのめっちゃった。何にも役に立たなかった。ねぇ、私生きて良い?ドラマチックなこと欲しいんじゃない。私、私は今どうしたいのかさえ分からない。暴れまくって爆発しまくって誰か抱きしめてくれる?爆発しまくってしまいたい、だってそうじゃなければいつまでも永遠に続くいい子の路線走り続けないといけないの?私は問題ない子私はいい子に戻る子。電車乗れてた。ずっとふつうに生きてきた、意識いっぱいとばしてきたけど。まだまだしばりがきつい。いつかゆるんだら私まとう。自分に対して、待ちたい。芽が出てきて小さな子がでてくるのを。
<2052> ぺあ(FB注意) ■2007年11月02日 金曜日 23時36分38秒
お父さんが死んでいないことを皆忘れているかのように生きる。それが悔しすぎる。とめられない運命の歯車を私もまたとめなかった。お父さん、どうしてそんな死に方したんだろうな?でもいつかはそうなるしかなかったのかな?認めたくないし周りにもそう見られたくないから。父の最後の日に電車乗って出張先から帰ってきたことを思うと私がおかしくなりそう。どんな思いでいたんだろうか?どんどん透明になっていったのかな?鬱ひどくてでも仕事にかけて生きていた父を思うとお父さんはなんで私は知らないけどなんであんな死に方したの?助けられなかったしそうしなかった。私は見てないでも思うだけで爆発しそうな思いで頭からお腹から何か飛び出してこの世界を飛び出したくなる。どうして自死なんてしたの?どうしてあんなことしたの?してもいいけど血を流した姿見たのは母と姉だけど。私は死に顔しか見てないけど。家帰ってきて私そんな姿見て対処した母と姉には及ばなくても、傷ついたよ。家の前に葬儀屋のトラックとまってた姿見た時、どんなに息とまったか。でも私分かってた、父だって。やっぱり間に合わなかったんだ、お父さんだって分かっていた。あの日私最後だって何となく感じていたから。でももうあえないんだって本当にショックだった。タクシーの中で葬儀へ向かう途中私は死に向かう道を死のトンネルをまっすぐ死の世界へ向かう道をくぐり抜けているようだった。蝶々飛んでいて人って死んでも世界は何も変わらず誰もいたくもかゆくもないんだなって思った。助けなかった私は、見て見ぬ振りしてあざけ笑って父の最後を見るしかなかった。
<2051> ぺあ ■2007年11月02日 金曜日 15時45分08秒
下記の2050の書き込みは、FB注意です。すみません。
<2050> ぺあ ■2007年11月02日 金曜日 15時43分10秒
寂しい。泣きたいけど泣けない。寂しい。意識とばしてやりたい。どうせお前は何にもなれない汚い奴だ。汚い女じゃねぇか。私なんか。躁鬱になれない。鬱じゃない。ホームレスじゃない。きたねぇ女だ。父が自死えらんだのも私と違って無防備だから。私は何にもなれない。寂しいよ。自分ひっぺがえしてやりたい。私を守ってきた現実を見据えて周りを欺いて無理してきたもう一人の客観的な私を割ってやりたくなった。文字にうまくかけないけど。電車に乗りたくない。人に閉鎖空間で合いたくない。視線を皆でこないでください。自傷して何とか保ってきて今でもそうだけどそうやって生きてもお父さんは死んじゃった。なんにもやくになんか立たなかった。人を追いつめて傷つけただけなんじゃないか?まだ生きられるから悲しい。私に誰かきて何にも言わないで抱きとってほしい。そのままで生きてもいいって言ってほしい。もう撤回してほしい、数々の私に対する性格改めろっていう言葉、求めること、いやして欲しいってくること。たった一人でクリスマスを灰色の空の下過ごしたい。誰もいないで。もう驚いた目もひいている顔も見たくないよ、心配する人も。
<2049> ぺあ(FB注意) ■2007年11月02日 金曜日 15時32分11秒
だめだ〜。お父さんのこと考えると爆発しそう。とめられなかった。孤独においやってしまった。私が分かってたくせに私が助けてあげられなかった、命救えなかった。
<2048> ぺあ(FB注意) ■2007年11月02日 金曜日 12時44分24秒
くわ〜〜〜〜〜!!!!!!
怒っている。多分、めっちゃ怒っている。むかつく。怒り。何で何だ?忘れないといけないこと、いつか噴火してやろう!!!って心に納まる怒りの嵐1!!!生きていることは大変で。
 生きているだけで、生きてきただけで。
それでいいんだよってカウンセラーに言われたけど、言われて見たかったな。一度でもいいから。ふつうの人に。

 無理しているな。いっつも人を助けて、世のためになるように暴走しているな。いっつもいっつもふつうという枠でおさまるように生きているな。
かたどって、苦しいのに。かたどって、そぎ落として計算して、他の不幸な人よそ目にして。。。。。。

 ごめんなさい。不幸まっしぐらの人生にいる人、ホームレスの人。自死した人。ごめんなさい。私みたいに無防備に生きないで、私のように計算高くないから、そうなったんだよね?ごめんなさい、あなたたちと運命共にしないで。ごめんなさい。私一人ふつうの人として世間で身分もってしまって、ごめんなさい。
<2047> ろびん ■2007年11月02日 金曜日 12時41分53秒
私が本当に求めているものは、
人からの愛じゃない。
私から私への愛なんだと思う。
<2046> ぺあ(FB注意) ■2007年11月02日 金曜日 12時25分30秒
無理して壊れた暴走する機関車のようにして生きてきた。
今も無理してずるい「普通の子」になろうとしている。そんな自分に「精神障害」をわずらう人や、親しい友人には「私ってずるくて汚い女でしょう?」って懺悔したい気持ち。
 そして、本当の自分は未だに暴力性抱えているから、こんな自分に誰か子供なら気がついて、逃げるだろうな〜って思っている。気持ち悪いでしょう?って。汚いでしょう?子供の敏感さや大人の視線を覗く顔・・・・性的に早熟でそのくせ卑屈でおどおどしている私にぶつけ浴びせられた沢山の言葉の暴力、視線の暴力、身体に加えられた暴力。そんな横行した中で生きてきた。必死で。
 そして今となっては「生意気だ」だとか、「もう少し静かな子がいい」だとか、人は本当に勝手!!!!
 「おとなしい」「もっとうるさくしなさい!」「おとなしいから何考えてんのか分からない、気持ち悪い」「やっとおとなしさから抜け出せたね、嬉しい」「おとなしい」これ五万十万も言われ続けたな。母からは「猫被っている」「何でおとなしいの?ああいう場所では自分出せるのに!!!!」もっとおとなしくしないで!もっと言いなさい!もっと出しなさい!何でいえないの?何で?

 自分のままじゃだめなんだ・・・・・
 自分のままで何やっても何やってもどうあがいてもだめなんだ・・・・


 おとなしい。もっと自分の意見言いなさい!!この性格についていっぱい言われた。悲しませた。私の性格で。性格矯正させられるために、沢山色んなことされた。暗い。まじめ。これは子供にたっくさんたっくさん常に言われ続けてきたことだ。まじめ組みだとか。暗い。


 誰一人子供の私に・・・そのままでいいなんて言ってもくれなかった。
 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと自分を見張って「友達沢山いる明るい普通のそして姉のようにはっきり物のいえる人になるために」印象操作して生きた。

 その結果「Oちゃんって本当の友達一人もいないよ、心配」「自分出せよ!!!!!!」「こいついじっていいから」「かわいい女の子と全然違っておばさん、おせっかいばばあ」「変」

 何やっても私は生きられない。何やっても!
<2045> ぺあ(FB注意) ■2007年11月02日 金曜日 12時02分27秒
 自分を引っ張りあげて生きている。周りにふつうの人と見られるようにね。
思い切って、ひきこもりできたなら・・・。なんてね・・・。
 「学校に行かなければ死なずにすんだ子供たち」という石坂啓さんの本を読んだ。
 いじめで自殺した子供、それ以上に、それに近い子、もうすでに心が死んでいる状況に追いやられている子・・・が沢山いるのではないか?
 という文章と、昔は「逃げ場があった」という文章印象に残った。
 
 昔の逃げ場とは、時間的な逃げ場。他の生活している大人がいるということが、もっと昔は子供に分かりやすかった、つまりここの学校だけではない、本当に沢山の大人がいるという空間的な逃げ場。
 価値観が、机の勉強、学校の成績すべてという物差しからの、逃げ場。勉強だけじゃない、商売をやってお金稼ぐなら、愛嬌、気配りが必要だし、絵がうまいこと、話すときの頭の回転が早いこと、色んな価値観があって、そういうのを大人もきちんと分かっていたのだそうだ。

 そう・・・。まさしく、死に近い場所に私もいたと思う。死なんて簡単に言える話じゃないけど、分かっているわけではない。でも、精神的に死んでいるのも同然だった気がする。現実飛ばして、心の中で自傷して、心の中で自分をいじめて傷つけて、ぼろぼろにして、外の世界では、「ふり」して生きている。心が飛んでいた。感情がなくなった。我慢して我慢して、がんばり続けて、そのうち自分が我慢していることさえ分からなくなってきた・・・という感じだった。
 生きられなかった。
 ああいう場所を生き延びて、やっと今ここにいれる。ここにいて、やっと自由でいられる。普通の大人になれた。それだけでも自分がどれだけ強かったか分かる。でも、色んなもの失ったんだろうな。素朴さ。優しさ。他者を思いやる気持ち。大切な友達を大切に思う気持ち。他者の痛みに同じように悲しむこと。色んなものをそいだ。
 今の学校はひどすぎる。学校なんていう場所素面でやっていけるのだろうか?子供は。大人もひどすぎる。性格くらいだとか・・・性格矯正から始まって、いろんな難癖つけるくせに、自分の素性明かさない。
 実習でも、見た。そこのある先生は、「教師という職業の特権は、子供を実験できること」だって。朝、登校してくる子供に「おはよう!」って思いっきり顔をわって近づけて、子供の反応を見るのだそうだ。「こんなこと教師じゃなきゃできないよぅ」って笑っていた。
 まあ、子供は子供でこの先生の物まねして大うけしていたから、子供はしたたかだと思ったけどね・・・・。
 学校に関して言えば、私は「生き残り」だと思う。どうして人生のいつか死に行く人生の大切な時間をあんな場所で、いつか役に立つと思いこませて、いじめを耐えて、人間関係も「頑張って」生きて・・・こさせられたのだろう。もう、中学に入る頃にはぼろぼろだった。でも、死んでも、何一つ暗いこと、問題を共有できない家族には言えなかったけども。自傷して現実とばしていた。がんになりたい、白血病になりたい・・・なんてそんな事思いたくもないのに、神様に祈っていた。不意に来るいじめ。必ず不意打ち。皆笑っている。本当に皆が私の困っている様子を見て、笑っている。笑っているんだ。椅子引かれて、しりもちついた、痛かったし、何よりもびっくりした。いきなりすってんって、景色が回るのね。あの頃、心がいつもぎくぎくしていて、かすれたような声でしか物も考えられなくて。つめとつめでつねられたあの腕に残る泣きたくなるような痛さに、自分で性欲みたいの(自慰をして感じる気持ちよさみたいな感じ)を起して自分を守っていた。私よく自慰してたもの。あの頃。自分はおかしいんだろうなって思っていた。性的に早熟だから、男性にも変な目で見られるのかなとか、汚らしい男子に、髪の分け目をさすられたり、定規で首筋をなでられたりしていた。
 いやらしい子供に女の人には見られているとも思っていたな。男性には警戒しまくっていたよ。子供なのにね。不思議だね。今でもそういう感覚は消えないの。男性とは友達にはなれない。すごい性的なものを感じられそうで怖いし、いつの間にかそういう場所に追い詰められて逃げられなくされそうで怖くてたまらない。男性には性的視線で誘っている気もするんだ、自分がね。
 私は、自慰して自分守ってたんだろうなって思う。本当に。子供の頃からしていたし、それが周りとは違うという感覚もあったし、男性から性的な視線で見られているとも思っていたし、期待させてはいけないって頑張っていた。
 お父さんがなくなったときも、自慰して飛ばしたかった、現実を。すきでもない男の人でも、一応「好きなんだ」っていう関係にわざとさせて、あっちも気にしているって思い込んで、相手の視線を気にする、夜になれば、その人とセックスする場面を想像する。そうやって、意識とばしたかった。現実とばしたかった。性的刺激って、私には現実とばしなのかもしれない。勿論、大人は辛いからセックスするとも言える。でも、私はそういう性的絡みつきと、恋愛は本当に別物だともう分かっているの。ふつうの子は恋愛と性的刺激とか絡みつきってきっと、一緒のもので、高校生大学生色気ついてきたときに、出るし、自分の意思で自由に出来るんだと思う。私は違う。性的絡みつき(きもちわるい近所のおっさんとかも対象なのよ!多分、気持ち悪いからだと思う。あなた美人だねとか言われて驚愕したもの。そういう視線で見られていることの嫌悪感の反動なの。それからきもいことに、親戚の叔父さんとかもそういう対象なんだ)は、私をレイプして、誘って、何でもして・・・そういう感じに最終的になる感じ。私は、日常の私はそんなこと望んでいない。でも、意識飛ばしたい時、あまりに悲しいことを抱えてきて・・・自分傷つけてやりたいし、変な関係に持っていって、こんなくだらない、誰もが安住できる、面白くもない、予定調和な日常の人間関係や、この世界をぶっ壊したいんだと思う。性的な刺激って気持ちいいし、自分大人として誘えて、自由意志使えて、誰かに虐げられずに!
<2044> ぺあ(FB注意) ■2007年11月01日 木曜日 18時55分34秒
寂しい・・・寂しい・・・・寂しい・・・・寂しい・・・・
寂しい。自分は汚いのかな?寂しいな。私、寂しいな。寂しいな。寂しいな。寂しいな。寂しいな。寂しいな。寂しいな。寂しいな。でも、家族の中で無理して笑っていたあの頃よりはずっといい。誰かの中にいて、誰に対しても印象操作して、ふりしていた。家族の中のあの悪ノリしている感じの雰囲気の中で無理して「優しくて、分かっていて、よしよしってなだめ役」に回って、超越したような意見言ったりして、場をとりなしている私よりはずっといい。
 友人でもないのに、家族の前で友人のふりして、その子の前でも、我慢して聞き役していた頃よりもずっといい。一人ぼっちで部活なんてこなしながらも、心は怯えきっていたあの頃よりもずっとずっといい。
 今でも気持ち悪いこと一杯考えたい。たぶん私はもっと気持ち悪い事態になるのが怖いの。コントロールしたいの、怖いの。いじめはとめられなかったことも怖いの。ただされるがままで生きていた汚い惨めな自分に他者に簡単にされることが恐怖なの。一杯、ここには書けないことたっくさん自分に思ってやりたい。ずるくて汚い私。
<2043> ぺあ(FB注意) ■2007年11月01日 木曜日 18時48分58秒
鬱っぽくなってもいい?
いつまでも過去のことばっかり頭占めていてもいいですか?
いつまでも人のせいばかりしていていいですか?(母に、Oちゃんはいつもいつも人のせいばかりじゃないかあ!!!!!って怒鳴られました。そして、ずうっとずうっとずっとそうやって生きればいい!!!!!!って言われました)
 事実は父親が自死したってこと。ずっと私が赤ちゃんの頃から躁鬱の気分障害を患っていたということ。
 それは事実なの。信じられない、笑ってしまうくらい悲しい事実。そして私は気がついていたの。うちのこのおかしいのに、誰も見ないようにしていることを。父の願いだったの、人に見下げられるような「精神障害者」になっているこんな社会人として失格な自分を見られたくないっていう・・・。
 一週間前に私、変だって気がついたの。でも最後は笑ってみていた。あの頃の精神状態私ももうおかしかった。実習でもはねのけられ、意識とばした。家族に言っても「こいつ頭おかしくなった」っていう目で全員から見られるのよ。そのくせ助けてっていう目でも見たよね?父は。私はその期待に必死に応えようとして生きてこさせられた。助けないと、可哀想な人を!!!!
 何か分からないけど、「家以外の居場所を作ろう」という私の思いに、「家族はもうあきらめよう」という気持ちに、私の心の芯が、「だめだめだめ」ってその気持ちを黒くごちゃごちゃごちゃって消してしまうんだ。
 何で?どうしてなの?訳分からなくなった。
 でもそれからこういう現実があって。
「やっぱり」って思ったし。そういう気分障害が赤ちゃん頃からあったって聞いて・・・「合ってた!」って思った。私合ってたんだ・・・合ってたんだ・・・って。沢山の人から「いい加減にしなよ」とか「家族なくした友人知っているけど、悲しいもんだよ。家族に優しくしなよ」だとか「もっと明るくしなよ!」「もっと変わりなさい!」「いい年してまだ家族に感謝できないの!!」沢山沢山沢山言われ続けた。彼女たちは私を否定しているわけじゃないと思うけど、私の今まで苦しみながら持ち続けたものを上から否定されているようだった。
 演技しながら生きていたこと。演技しかできなかったこと。そうやって振りして見せて育ってきた私のこと。自分のことしか考えられなかった子供時代ならどれほど良かったか、でも私は他者を心配して(それは人間関係すべてを覆った)生きてくるしかなかった、自分の幸せを自分で「可哀想な人」(しかも肉親だったり、身近な逃げられない人、関係保たないといけない人に)に遠慮して、つぶして、小出しして生きるしかなかった。
<2042> ぺあ(FB注意) ■2007年11月01日 木曜日 18時34分57秒
もう、いいよって誰か言ってくれないかな?
いつもいつも助けて助けて・・・要求ばかり。
だから生きてこれたともいえるのかな。そういう役目があって、そういう視線の中で生きてきたから、そういう誰か大変な人を分かってあげられる雰囲気を子供の頃からかもし出していたんだと思う。
 優しいねってよく本当にいっつも言われていた。でも、それに漬け込まれてばかりだった。利用されてばかりだった。障害を持っている子にもやっぱり友人としてではなくて、そういう役として使われたんだと思う。だって、その子が別の子といる時、私は入れなかったもの。別の子の悪口は言うくせにね。
 生きられなかったな。私として。だから、沢山沢山ためこんできた。幸せになってはいけないんだって思いこんできた。私は、幸せになってはいけない、これ以上もとめてはいけない、もう十分ずるいんだからって。大人全員不幸で、辛くてたまらないんだって思ってきた、やりたくないことを無理して死ぬほど無理して頑張り続けて生きているんだって思いこんできた。だから、私はわざわざ怖いものややりたくないことに無理してやってきた。ここで逃げたら人生すべて逃げる羽目になるだとか、ここで逃げたらいつまでも追ってくるだとか、ここで逃げて、また同じ問題にぶち当たったらまた逃げるのか!だとか・・・そういうばかばかしい言説の下に。教育実習に行ったり。学校が教室が子供が怖かった、子供時代逃げ続けてきた(心理的にね、身体は学校にきちんと行っていました)子供同士の関係、学校、あの場所に、私は逃げてはいけないって思い込んだ。逃げたらまた同じ問題にぶち当たるぞ!って自分に強迫した。でも、学校なんて行かなくて良かったんだね、好きなことやってもいいんだね。でもそれによって傷ついたことはすごい。学校怖くて意識とばしたくなったけど。そんなことする前に、担当の教員に意識ぶっ飛ぶくらいのクラス全員の前で怒鳴りつけられて、職員室まで追ってきて私に「次の研究授業絶対に失敗するよ!!!!」だとか「あなたの今までのやり方黙ってみてたけど気に入らない!」だとか「いい加減にしなさい。あなたのような教育実習生ははじめてだっっ!!!!」とか言われまくった。別に関係ないけど、とても傷ついた。姉や過去のされてきたようなひどいこと、その人の好きなことをあざけり笑ってばかにしたような見下した態度を、私は取ったから。怒ってもいいことだったのか分かりたくて、この人ならできそうだとおもう担当の教員に私はした。ひどいことしたけど、それだけ私はこの訳分からないベールを剥ぎ取りたかった。もう分かったけど、結局うちの家族に問題があったことは。でも、それまでは全部私のせいだと思わされてきた。いじめられたこといじめられ続けること、皆からそうされること・・・私が弱いから(今でもまだ心から離れないけどね自分は弱いって)私が卑屈で汚いから。私はおどおどして、子供の心の中にある無意識にある(その子が悪気あるわけではないんだ。子供だから無意識で理性もないし、勘が鋭い正しい子だから)暴力性にスイッチ入れてしまうんだ・・・って思いこんできた。子供は正しい。子供は鋭い。そう思っている。だからこそ、やっぱり殺してやりたいくらい憎い。(だからってこのサイト見て、今まで怒り溜め込んできた誰かが子供を殺す事件起きたら私のせいになるのかな。誘導した。とか思われて・・・そこまで心配になってしまうの私のせいかな?ものすごい行き過ぎた責任感なんだけども。ニュース見ていたら私の書き込みに誰かが誘発されて殺したんじゃないかって思ってしまったよ・・・)もう、誰かにもたれかかられたくはない!!!!お願いだから、Oちゃん分かって〜とか来ないで欲しい。私は私の人生生きたいのに、必ず、世間で虐げられたんだか知らないけど、私はもたれかかられるの。ずっと父にそういう目で見られてきたからね。祖母にも祖父にも。Oちゃ〜ん、分かって〜、かわいい=助けて、俺の孤独わかって。
 法外な要求ばかり突きつけられて、自分の要求出すのはものすごい罪悪感が伴う。それは助けてって足にしがみつく人びとを跳ね除けることだから。
 いつもいつもいつも絡み取られる、いつも私は私の人生生きることがずるい気がする。苦しくて、悲しかったけど。そういう私に子供は敏感に気がついて、いじめの日ごろ溜めるストレスの刷毛口としてそういう立場に皆で追い込んで、合法的な共有物にしていた。思い出したくないな。
<2041> ぺあ(FB注意) ■2007年11月01日 木曜日 18時13分47秒
私今でも今でも無理しようとしている。生きている。無理して自分を「ある程度適応できる正解」に押し込めようとして生きている。自分に甘くするな!って自分で縛り付けている。自分の要求全部呑むな!そんなことしたら、本当に世間に受入れられない「ひきこもり」になる。人生転落する。誰にもひかれる。さげすまれる。お前は甘やかすな!ってね。だから、休めない。私、仕事テスト受かったけど、本当に精神系のデイケアの仕事なんてやりたいのかな?ずっと父を助けたいだとか、誰かを助けたいだとか、いい目標に向かって、壊れた機械のように向かっていったけど、世の中の救世主のように自分を持っていって、行き場のないエネルギー向けてきたけど・・・私またおんなじことされに行くのかな?弱い下なエネルギーとぐろ巻いて、人を見るような人に「お前は救って」「わかって」「こいつなら今までの怒り吐き出せるかも」稚拙なやり方だけども、わかりやすいいじめ、からかい暴力。そういうの私は「かわいそう」という視線で見るから、そういう問題あるとされている人にされやすいのよね。しかも、相手をつぶしてはいけないって怯えきっている私の気持ち読み取れるのよね。私は自分を生きていないから、特有の弱さを感じては、そういう世間では差別される側の「精神障害者」だとかに私はいやな目にあわされやすい気がするの。そうじゃないのかな?それでも自分の気持ちに今度は葛藤する気がする。お前は「精神障害者」下だと思って、下な存在できたから、嬉しいんだろう?だとか、偽善者だとか・・・過去の言われたそういう偽善者!っていう言葉がぐるぐる回る。悲しい。
 何にもしていない人こそ、遠巻きに見て、障害を持っている人を助けようと奮闘する私に、ぶつけるんだよね。「人を上、下で見ているから障害者と付き合うんでしょ?」「本当に助けたいの?」
 思い出したら、また逃げ場のない私のせりあがったような思いが、パニックになりそう・・・・。どっちに向いても、何やっても文句いわれ、笑われ、偽善者だとか、本当の気持ちじゃないだとか・・・。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.