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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.10
メッセージ数:200件

<200> えり ■2004年02月08日 日曜日 22時11分04秒
いつも、綱渡りをしているような感じ。
はみださないように、踏み外さないように。
落ちてしまったら、真っ暗闇の中。
きっともう戻れないから。

いつでも感情を、平らにしておかないと、私は生きていけなくなる。
小さい頃、感情のコントロールができなくて、泣いてばかりいた私は、感情を殺すころで、泣くことを抑えた。すぐに泣き出したり、言いたいことも言えない私を、先生や親はもてあましていたからだ。
私が泣かないようにすれば、みんなを困らせることもない。

みんなと同じじゃないと、孤立するんだ。
学校時代に思い知った、現実。
ずっとあたしは「クラスになじめないみそっかす」だった。中学の頃には、「わたしは大きくなっても、マトモな社会生活はできないだろう」と思うようになった。

社会で、「普通の人として」生きていくためにはどうしたらいいか。
将来何になりたいか、どんなことがしたいか、そんなことよりも、私にとっては、そっちの方が最優先事項だった。一日一日が、感情の重労働だった。
湧き上がってくる感情を、抑えこむことに、エネルギーを費やす日々。
何も考えないようにしよう。そうしないと、感情の波に飲み込まれる。
できるだけ、鈍くなれ。そう言い聞かせた。
それは、今でも変わっていない。

ニコニコ笑って、相手の話を聞いてあげていれば、嫌われることはない。
気を使って、相手をよく見て、怒らせることは言わないように。
TVを見るのはあまり好きじゃないけど、最低1つくらいはみんなの話題についていいけるものを見ておかないと。
音楽もマンガも、みんなが知らないモノの話をするとしらけるから、流行りのモノの話題だけにしておこう。
浅く広くが一番。
わたしが身に付けた処世術。実際それはうまくいってるけど、とても疲れる。
仮面を被って生活してるような感じ。

いつまでこうしてないといけないのかな。
死ぬまでかな?
「いい人ぶらなくてもいい」って、いろんな本に書いてあるけど、「いい人」じゃなかったら、誰があたしを見てくれる?
「いい人」であることしかとりえのない自分がすごく嫌。
<199> SUN ■2004年02月08日 日曜日 13時55分46秒
私は電話をしていて先に電話を切られるのが嫌いです。
あの「ガチャ、プープープープー」って音を聞くのが怖いです。
私一人が取り残されたような気持ちになる、胸が押し潰されそうになる。
なので、電話は必ず先に切ります、あの音を聞かないために。
私は一人残されたくない、先に逝ってしまいたいとも思っています。
残されたの者の気持ちは味わいたくない。
それならいっそのこと先に逝ってしまいたい。
最近、食べる量が減り気味で体重が少し減ってきています。
体力もあまり無いのに、体重が減ってきている。
何か病気になったら、大変なことになるでしょうね。
太りたくないので、カロリーをセーブしているところもあります。
私は今のところ「生きたい」と強く思うことが出来ません。
病気になったとき生きたいと思えることができるのかも疑問です。
「死にたい」と強く思っているわけではないけど、「生きたい」とは思えていない。
寿命に逆らって死ぬのにはパワーが要ります。
病気になったらどう考えが変わるのかを試してみたい気もします。
死ぬほど苦しまないと「生きたい」と思えないのかも。
このまま死んでもいいと思うかもしれないけど。
計画的ですね、食べる量を減らして、自分で体力をジワジワ落としている。
私はほんとに死にたいのだろうか。
苦しいのは嫌いです。苦しみたくは無い。
最近この考えばかり頭を巡っています。
少し前まで「寂しい、構って欲しい」という感情が大きかった、それがいつのまにか「死にたい」に変わってきた。
「死にたい」と思うのは久しぶりです。
以前は「私なんて生きている価値など無い」と自分を責めながら泣いていたのに、今回は違う。
結構冷静というか、自分自身を責める言葉は浮かんでこないけど、それでもストレスはかかっているのか胃が痛くなるとちょっと「ニヤリ」としてしまう。
自分の体が傷んでいることを喜んでいる自分がいる。
死に少しでも近づいた自分を喜んでいる自分がいる。
ほっといても、人はいつか死ぬんですけどね。
先を急がなくても、必ずいつかは死ぬんですけどね。
この死にたいと思っている波もまたいつか引いていくのだろうか。
まだ、先のことはわかりません。
私の考えはどう変わっていくのだろう。
<198> NAC NAC ■2004年02月05日 木曜日 17時31分59秒
いけない。
書こうと思ってほったらかしにしてしまった。
先週の水曜の話である。
その日私は一日中ついていなかった。
まずカウンセリングに行く直前になって、私は「愛車の鍵の綴じ込み」に気が付いた。
そこはお店の駐車場だったので、私は「うぉ〜」と叫びたいのを我慢した。
カウンセリングの予約時間まであと15分しかない。
「JAFを呼んでも時間が掛かるし・・・」
そんな私は「遅れるかもしれない」と先方に携帯で電話を入れ、たまたますぐ近くにタクシーの営業所が見つかったので、私は迷わず利用させてもらった。
背に腹は変えられない。
結果、乗車賃は\900だった。
無事?5分遅れで私はカウンセリングに通えたが、カウンセリング中も私の頭の中は「鍵」でいっぱいで、いつものようには言葉が浮かんでこなかった。
当然私の中のインナーチャイルドはお冠だ。
週1で感情を吐き出しに来たのに、私のうっかりミスで吐き出せないのだから。
その報いはカウンセリング終了後、自分の足で現場までてくてく夜道を歩いている時に起こった。
そう、私は暗くて段差に気付かず蹴っ躓いたのだ。
痛かった。
私は右手に思い鞄を持っていたのでバランスを取れず、左の膝(打撲)と手の平を擦り剥いた。
のに、不思議と私は怒らなかった。
以前の私なら「畜生ー」と何かに八つ当たりしていたが、そんな気も起こらなかった。
私は長淵剛の「ばちに蹴っ躓き膝を擦り剥いた♪」を思い出し、なぜか泣けた。
車の置いてある現場まで、ずっと私は泣いて帰った。
それだけ私のインナーチャイルドは「何か」を訴えたかったのであろう。
ごめんなさい、私のインナーチャイルド。
次回から気を付けるね。

当然次の日、私はスペアキーを作った。
車のドアは、スタンドで工具をお借りして開けた。
JAFで\100,000掛かるところを、部品代\600(税込み)で済んだ。
助かったー。
<197> NAC NAC ■2004年02月03日 火曜日 22時53分57秒
今日私は、某ラジオ番組の11:00からの「人生相談」を聴いた。
その内容はここでは省くが、
私の感想は、「子どもはねぇ、親に話さないんじゃないの。親に『子どもの感情を聴いてあげる』心構えが感じられないから、子どもは親に話したくないだけなの。
なのになんでそこを、いつまでたっても「親の目線」で見るかねぇ? なんで暗に自分の意見・感情・思考・価値観を子どもに押し付けておいて、『子どもが言うことを効かない』って言い訳して(無意識に)逃げるんだろう? 『そんな親だから子どもは懐かないんだよ』ってなんで気付かないんだろうねぇ? そんなん(精神的未熟さ)で、あんたよく子どもを作ったねぇ。俺だったら、ある程度自分の心が成長するまで(『子どもの情緒を育てていけるだけの情緒』が自分に身につくまで)コンドーム付けるけどねぇ。だって一個の人格に対して責任持てないもんなぁ」
と、突っ込みいれてやりたくなった。
ほんと困った親が多いよなぁ。
そういう私も「困った子ども」だけどもさぁ。
でもまだ、家族の問題を第3者に相談するだけマシだ。
形はどうあれ、「なんとかしたい」意欲を行動に繋げている。
そこはきちんと「人間として」評価しなければいけない。
「タブーをタブー視しない」
ほんと私は、うちの賢い親にも「爪の垢を飲ませてやりたい」気分だ。
よくあれで平気でいられるよなぁ。
ほんと「感情鈍磨」は恐ろしい嗜癖である。

つづく
<196> ブロン ■2004年01月31日 土曜日 03時04分30秒
あの頃と同じだな。
渦巻く己の感情から解放されたくて、あの頃やってみた事を思い出す。
カウンセリング・音楽・絵・・、。SEX。
どうにか抜け出したくて、自分の何かを知りたくて。
上手に感情表現出来なかった私は、音楽でも絵でも演劇でもいいから、
何かで自分の感情というものを表現したくてたまらなかった。
エネルギーぶつけたのはSEX。
そんなので癒されるはずがない。
正しい言い方をすれば表現ではなく発散の放出。
呪縛から解放してあげたかった。
自分というものを少しでも知りたくて。
自分て一体なんなんだろう?
愛を教えてくれた人がいた。
落ち着いた。
その人はもういない。
認めたくない。自分は違うんだ!!!!
どうしたらい?
神様、どうか教えて下さい。
あの頃のように適当にやって許される年齢でなくなった私は、
何をどう・・。
「今」の私は大人の仮面つけなくてはいけないのですね。
もう、同じこと繰り返したくない!!!!
最低な私。

<195> とら ■2004年01月30日 金曜日 04時00分23秒
感情を開放したい。押さえ込みたくない。安心できるお母さん、やさしいお母さんがいれば出せるのに。
<194> とら ■2004年01月30日 金曜日 03時58分05秒
心の持ち方、分からない。自分の心に正直になるととんでもなく子供っぽくなる気がする。やんちゃなこどもを出したくないんだ。何をするか分からない。激しく暴力的だから。それを押さえ込んで制御している。子供(心)を力で押さえ込んでいるんだ。そんでやっと生きてきた。辛いし、もうやめたい。苦しい。辛い。
<193> とら ■2004年01月30日 金曜日 03時02分30秒
感情を押さえ込む癖が相変わらずある。自分は感情的な性格なんだけど、表現する時に暴発しないか心配する。とりわけ自分よりかよわい存在だと暴発しやすい。それが怖い。いつも抑えている。周りの人は気持ちを小出しにしろというけど、難しい。自分のだみ声を聞かれたくない。僕の本音が出る時はしわがれ声だから。だから感情の表面だけ、つまり高いキーの声でしゃべる。本音が出せないのはこの低い声を聞かれたくないから。馬鹿にされたくない。それだから人はなす時いやなんだ。だから人が嫌い。だから感情を抑圧しちゃう。
<192> シャローナ ■2004年01月29日 木曜日 10時39分40秒
朝から気分が悪い。両親への怒りでいっぱい。
母親のメガネが置いてあってついぶっ壊してやろうかと思った。
ふと、こういう状況は初めてではないことに気づく。
子供の頃にきょうだいげんかの後、おさまりきれない感情で
きょうだいのものにあたったことがあった
私はよくけんかをしても年上ってことでがまんさせられて
けんかについて納得がいかないまま親に押さえつけられていた
当然物になんかあたればまた私は怒られる
でも納得のいかない親の言い分やおさまりきれない感情ってものは
以前からあったことなのだ
大人になるにつれどうやら私は感情そのものを抹消してしまっていたようだ
この頃になってやって自分が怒りや屈辱感を持っていること
それを抑えていることに気づき
それは過去にも同じことがあったと思い出している
<191> にょろ ■2004年01月29日 木曜日 03時00分07秒
気づくとまた、自分を責めるサイクルにはまっていた。
二十年以上かけて身に付けた悪癖を数ヶ月やそこらで直せないのはわかってる。
でも変化の兆しが見えないとどうしても、めげてしまう。
・・・・とりあえず、何とか軌道修正。
行きつ戻りつ少しずつやることにしよぅ・・・

<190> 兎 ■2004年01月28日 水曜日 22時24分05秒
「依存する事」と、「信頼する事」の違いが良く分からない。
分からないから、他人とは常に距離を置くように生きている。

少し寂しいけど、依存する自分を見て絶望するよりはマシだから。
<189> とら ■2004年01月27日 火曜日 07時33分13秒
どうしても感情を抑えてしまう。癖になっている。開放される時ぐらい自分の感情にすなおになりたい。かっこつけたくない。好きなことをするときにそれを悪いと言う自分がいる。悪くない、悪くない。自分の気持ちに素直になるのは悪くない。もっとはめをはずしたい。
<188> hako2o ■2004年01月26日 月曜日 23時17分57秒
気負いが抜けて不思議と怒りの感情が取れた・・・
最初は、又、自分の感情を誤魔化していると思い、それが怖かった・・・
けれど、気負いの中に怒りの感情があった事に気付いた。
気負いの鎧兜が取れて、本当に身が軽くなった、けれど、その反面、無防御になっている心が怖い。又、えぐられる様な言葉が身に刺さる事が怖い。
怒りは消えて、恐怖が出てきた。
不思議・・・でもかなり前進したと思う・・・けどね・・・
<187> ノラネコ ■2004年01月26日 月曜日 13時23分21秒
感情が暴走中だ。
突然怒りが湧き出したり、急に涙がこぼれそうになったり。
自分の感情に振り回されるのは疲れる。
ある本に
「心なんて不安定なものに頼らず、自分自身に頼れ」
と書かれていたのを思い出す。
心が不安定なのは当たり前だから、不安定なままで安心しろ、と。

じゃあ、「自分自身」っていうのはどこにあるの・・・?
<186> NAC NAC ■2004年01月24日 土曜日 21時04分40秒
今日私は遊び先で、中学生だか小学校高学年だか、12才前後の姉妹と思われる女の子同士の喧嘩を聞いてしまった。
そのやりとり(途中から)は下記に記す。
A「何鈍臭いことやってんだよ、遅いんだよ」
B「鈍臭くなんかないもん、このブス」
A「煩せぇ、このアホ」
B「ふ〜んだ、だって私はアホだもん」
ときた。
私の、あくまで見た目の、感覚・想像では「Aが姉でBが妹」であろう。
それを聞き耳立てて聞いていた私は、思わずBに「座布団一枚! この勝負Bに軍配あり!」と、突っ込んでやりたくなった。
Bは偉い!
「おまえはアホだ」言われて、「そうよ、私はアホよ。アホのどこが悪いって言うのよ」と、切り替えした「ふてぶてしさ!」
尚且つ自分の容姿も省みず、(私からすれば)似たり寄ったりの姉を非難する「滑稽さ」
「そういうBは間違いなく『逞しい女』に成長していくであろう!」は、私の想像に難くない。
私がその子の身内なら、私は間違いなく「M大ハムのギフトセット」にメッセージを添えて、その子に送るだろう。
「大きくなれよ」と。
(パクリではありません、念のため。        M大ハムさんごめんなさい)
AもAですごい。
よくキレなかった。
私がAなら、容赦なくBに「通天閣パワーボム」を喰らわしていることだろう。
「ざけんじゃないわよ。妹の癖にお姉ちゃんを『ブス』呼ばわりするなんて! 生意気な妹め。こ憎らしいー」
と、私がAだったら絶叫するであろう。
でも、これは他人だからこう思えるのだ。
仮に私がその子たちの親なら、「おいおい、こんなところで姉妹喧嘩なんてやめてくれよ〜 内の中じゃいくらやってもいいけどさ〜、人様の前じゃお願いだからやめてくれ〜 父ちゃん、立場なくなっちゃうじゃねぇか。人前じゃ『ガツン』と怒るにも怒り辛いし〜・・・・・」
と、弱気な自分を想像できる。
どんな場であれ、「女性の感情を宥める」のは、私にとって最大の神経を使う。
その私に神経を使わせる女と、私は明日会う。
おそらく「私が(Aさんが新調した)ブーツを(私には訳あって)誉めなかった」ことを、怒れる女王様であるAさんは、チクリチクリ、私を衝いてくるであろう。
お〜やだやだ。
なんて恐ろしい女なんだ。
私はなんとか誤魔化して、Aさんに突っ込まれる前に、やんわりと?、さら〜っと? 何気なく?「Aさんのこの前のブーツ、あれ似合っていたよ。あの時はわかっていたけどさ〜、なんか誉め辛くてさ〜」と、柄にもなく自分で照れ照れしながら、Aさんの怒りの矛先をかわそう。
なんて卑屈なんだ俺は。
こんなのは恋愛じゃない。
恋愛ごっこだ。
関係が、どう見たって「50:50」じゃない。
俺は「そんなの嫌だー」
なにはともあれ、こうして私は「女性の怒りのいなし方」を覚えていくのかもしれない。
終わりはないのだ。

つづく
<185> 華菜美 ■2004年01月24日 土曜日 08時34分59秒
テレビや本やインターネットでたくさんの情報を取り込むことが出来て、
とっても楽しかったり嬉しかったりするけれど、それと同時に身体の
具合が悪くなってしまうことがあります。自分がどうしたいか、自分は何を
大切にしていきたいのか、考え方の土台が崩れていくかんじ・・・。
これって情報に踊らされてるってことなのかな?
<184> 海龍 ■2004年01月23日 金曜日 15時15分45秒
なんかもう、ヤダナ、こんな生活。。。
なんでこんな風に、人に気持ちを
振り回されなきゃいけないの?
自分のせいにしたり、人のせいにしたり。。
誰のせいにする必要もないのに。
言い訳する必要も正当化する必要もないのに。
思い通りに行かないからって
すぐに人のせいにしたがるのは
私の悪いクセだわ。
あの人は悪くない。私も悪くない。
大丈夫。落ち着いて、深呼吸。
ただ、気持ちが寄り添わないだけ。
すれ違っているだけ。
それを“寂しい”と思っているのは私。
ただそれだけのこと。

人に見る二面性が恐いと思ってた。
でも違う。自分の中の二面性が許せないんだ。

お父さんを大嫌いだと言いながら
遊んでもらうのが嬉しくて
馬鹿みたいにはしゃいでた私。
お母さんを大好きなフリをしながら
心の中では軽蔑していた私。
今だって、そう。
自分の都合で好きだったり嫌いだったり。
あげく人のせいにして。。。

子供の頃。。本当なら私は私でいられたはず。
誰を好きとか嫌いとか、敵とか味方とか
そんなことに縛られなくて済んだはず。
私を歪めたのは両親の離婚。親の都合。
もう自分を責めることも、親を責める必要もない。
誰を責めなくても、私は私でいればいい。

少しずつ。。焦らなくていいから
『私らしい私』を、取り戻そうね。
<183> NAC NAC ■2004年01月22日 木曜日 23時42分20秒
今日も「中畑絶好調!」だ。
「私は毎日こうありたい」ものである。
でも「人生一寸先は闇」で、
今私は短期的に?「頭上の光」を見て走っているだけで、足元は「一本橋」の地獄なのかもしれない。が・・・
まっ、勢いのあるうちに「蓄えられるだけ蓄えておこう」
「人間的にもいろいろ吸収できる、または吸収しやすい」うちが華なのだ。
言い換えれば「インフルエンザの予防注射?」みたいなものであろう。
ウィルスに罹ってから注射打つよりも、心が元気なときに「免疫」を付けておく。
え〜と何話したいんだったかなぁ?・・・
そうだ、「事実を曲げない範囲内でプラス思考で書く」だ!
私は容量が少ないのに、次から次へと「あ〜でもない、こ〜でもない」と思考が湧き上がってくるので、すぐ忘れる。
ぱっと浮かんだ瞬間に、自分で「上書き保存」したいくらいだ。
それができないから、こうして私は、狂ってブレーキが壊れたように書き込む。
いけない、いけない。
私の感情はすぐ脱線する。
本線に戻る。
「事実を曲げない!」
講演のI氏の受け売りで、「人の褌で相撲を取る」ようでなんなのだが、自分の感じたまま書き込ませてもらう。
私の場合は既に「自分はアホなんだなぁ(馬鹿ではない、たぶん・・・)」と認めてしまったから、今更曲げようにも曲がらないし、「もう一度曲げたい」とも思わない。
ちなみに、「馬鹿」を曲げたらどうなるんだろう?
「大馬鹿三太郎」ってことか?・・・
「事実は一つ」「解釈はいろいろ」だ。
「曲げようとする力の分だけ私には無駄」である。
そんな力があるなら「『少しでも前へ出れるよう』考えたほうが人間が賢い」ってものである。
そんなのは猿の私でもよくわかる。
見たくないから、嗅ぎたくないから、「臭いものに蓋をする」のか?
臭い臭いを「どうやったら薄められるのか?」
単純に「外気を導入する」のか?
それとも「毒には毒」で、中和させるのか?
事実(臭い臭い)は一つでも、各自のものの見方・捉え方で、それに己が感情が加わって(ここのコントロールが難しい)、自ずと(例え無意識にでも)選択される方法及び行動は決まってくるであろう。
その自分が望む望まざるに拘わらず、必ず物事に結果は付いてくる。
その結果に対して、自分の取った行動は「はたしてふさわしかったのか?」
ふさわしくなければ、「なぜふさわしくなかったのか?」
「そのふさわしくない行動を取った時の自分の感情はどうだったのか?」
逆算して「なんでだろう?」を繰り返す。
だからT自動車はこのご時世にも延びるのであろう。
そこで働く一人一人の意識が、根本からして他の企業と違うのである。
まっ、そんなことは経済関係に目を通していれば、どこぞの評論家でも「知ったかぶり」して言えることだ。
「相手じゃなく、自分の意識を変える」のは半端じゃない。
今まで自分が(意識的にでも、無意識的にでも)培ってきたものを、「よっこらしょ」と、自分の目の前で溝に捨てるようなものである。
「もったいないお化け」を抱えている私には、「明日からその一万円札は腐って使えませんよ〜」と言われたからといって、「はい、そうですか〜」と、自分の万札にわざわざ火を着けて燃やすような真似はできない。
例え自分が新しい万札を、自分の財布に持とうとしてもだ。
容量が決まっている財布に、いつまでも古い柵(しがらみ)を入れておいても、財布まで腐るだけである。
「せっかくその人がいい財布を持っていたとしても、『その中身に何を入れるのか?』で少なからず影響される」ってことである。
そういう私は、良くも悪くもインナーチャイルドのパワー全開である。
「感情のお子様」である。
だから「空っぽでいっぱい」だし、逆に「空っぽだから、感情が、知識がいっぱい入る」のだ。
すぐいっぱいになるのは「つまらない私の意識の壁」である。
「風通しがよくない」からすぐ煮詰まるのだ。
そうした無意識の壁を「風通しのよい格子状の垣根」に変える。
自分の感情も、意識も。
相手の感情も、知識も。
簡単な境界線を作りつつも、お互いが交流できるもの。
そうした心の持ち様を、私はこれから作っていかねばならないのであろう。
そうしたものをI氏の講演から、私は学ばせてもらった。
またもや「感謝」である。

それにしても私はどうやって「ドイツ語」の単位が取れたのだろう?
無意識にカンニングしていたのか?
「その可能性もなきにしもあらず」である。
なんせ私は「腹黒い」のだ。
わっはっはー
<182> WeeL ■2004年01月22日 木曜日 16時44分12秒
ACであることに気づいた事に誇りを持とう!
ACであるからこそ気づける人が理解しがたい苦しみに気づけることに
誇りを持とう!
ACであるからこそ見えるものに、感謝のきもちを。
そして、多くの苦しみと向かい合っている勇気ある仲間に感謝。
勝たずに、でも負けずに、一歩一歩、穏やかに、回復の道へ進もう。
進もう。 立ち止まっていても、不幸の椅子に座っていても明日は訪れる。
逆風がいつかそよ風に感じられるようになる日を願って。
<181> シャローナ ■2004年01月22日 木曜日 12時05分54秒
忘れ物を毎回チェックする先生がいて、私は一度も忘れ物をせずに褒められた。当時は何も考えずにただ忘れ物をしないようにと勤めていた。でも実のところは母親が脅迫的に忘れ物をするなと支持していた。私のためではない。母親が先生に褒められたいがために。私はいまだに忘れ物をしてはならないと強迫観念がある。すれば自分は落伍者のレッテルを貼られてそこに参加する資格がなくなると思い込んでいる。忘れ物をすればパニックになる。その時点でもう一環の終わりのような気になる。もう死そのもの感じ。忘れ物をした時に自分でどうしたら良いか対処ができない。何か変わりになることを考えたり、人から助けをもらえるとも信じられない。こんなあり方もうイヤだ。忘れ物なんか多少したってどうにかできることの方が多いと思うのに。自分を責めてしまう。異様だと思う。母親のやり方は人生には役に立たない。こんな完璧主義は。降りたい。

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This script written by Shintaro Wakayama.