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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> mirai ■2003年03月20日 木曜日 14時05分04秒
自尊心。
自分を尊重する心、という意味と思っていた。
たぶん、そういう意味もあるんだろうと思うけれど(というか本当の意味なんか知らないんだけど)、
最近思うのは、自分を尊敬する心、という意味もあるんじゃないかな、ということ。
尊敬できる自分になる。なろうと努力する。
好きな自分になるよう努力する。誰かの目なんか関係ない。
自分でも嫌だと思うような言動はもうしないのだ。
そういう自分をどんどん好きになってゆく。自尊心が育ってゆく。
私がいま持っている、自尊心の、イメージ。
誰かとの勝ち負けにこだわっていた時には、見えなかったけれど。
何をするにも、本当に大切なのは、この「自尊心」を守ることなんだと思う。


<19> ヴコースキー ■2003年02月21日 金曜日 05時13分22秒
「目ことば口ことば」
ついにまいちゃんと口ことばを交わしてしまった。4分ぐらいかな。4分間の人間関係をもてた。意外と腹のすわった、といか腹のすわりすぎた、ハスキーな声であった。映画でも誘いたいが、急に口が重くなったりしたときの、相手の対応いかんによって、別れは”あっという間”にやってくる。ということうを鑑みて、慎重になったのである。・・・しかし、平気で話し相手になってくれるところが現代っ子だなとおもった。
俺の目ことばで、てれたり、何を考えているのかしら?と躊躇するけーすがほとんどであったのだ。実際何名かと雑談すると、非常にしっかりしている若い女性が多い、たくましいのである。学歴はなくとも、前向きになんとか生きていったるでーっ。親御さんの前向きな生き方まで想像できるではないか。ACではない。
<18> ヴコースキー ■2003年02月15日 土曜日 22時35分47秒
「目ことば」
俺は目で言葉が話せるようになった。
さきほどマイちゃんの目に俺の芸術的気迫をこめて、すきだ、つくあってくれ、映画見に行こう。と目でつたえた。
ガキンコ、コキカキ、キカ、キッカリ、とまいちゃんは受け止めてくれた。と思う。・・・しかす、なんだべな、言葉がでないのが空しいのお。
愛ならいくらでももっている。所有するものはなにもない。という現実が俺を2〜3歩後退させるのだ。春も近いというのに今年も野良猫の求愛を漠然と、虚空をみながら、すごさなければならないのか。
なんというのか、通りすがりの女が皆きれいに見える病は、俺だけか?

目ことばを身につけたがゆえに、本当の言葉を喪失した。・・・のかもしれない。
<17> さやか ■2003年02月09日 日曜日 01時13分22秒
「責任とは」

「責任とは」という言葉を、ついgoogleで検索してしまった
知っているつもりで知らなかった言葉
「自分のやっていることに責任を持ちなさい!」と言われて初めて気がついた
責任って何?

私はお人形かな
他人から見られるだけの、自分のない、いっこのお人形
いつも着飾って男の人の気を引こうとするだけのお人形
「どうすればどう見られるか」ってことはよく知ってて、ハッタリですごい人だと思わせておいて、いざとなったら何も出来ないお人形。
でも何か、欠け落ちていたかもしれない
そうだった、この人生は、そういうことを考えている「私」の人生なんだっけ?
自分の人生に責任をとる、ということは、
自分がこうして自意識を持って生きているということを知って、
まず大事に思って、だからこそ失敗したこともカッコ悪いことも自分のものとして受け入れることなのかな?

自分が自分として生きていることを心から認められたら、それはできるかもしれない。
そのためには「生きている」ということがどういうことか考えなくては。

私のことを、私がこの世に存在するというだけで愛してくれる人がひとり。その人のことを想いながら、心で語りかけながら、ちょっとずつやっていこうか。

「ねぇ、聞いて、今日新しいことを見つけたよ。」
<16> ヴコースキー ■2003年02月06日 木曜日 18時06分38秒
そなたも同じ野の花か・・

 俺は坂東妻三郎のご子息「俳優・田村正和」を貶めるためにメッセージを書いたのではない。「そなたも同じ野の花か・・」の解釈がおもしろいと思って書き込んだのだ。近代というものは男に果たせぬ夢をみさせ、女にも立身出世よりも、きれいになればよき玉の輿にのれて、楽ができますよ、と夢をみさせた。
 その夢はもうこわれ、今度は学歴で抜きでれば、よき会社(監獄)にはいれますよ。男も女も関係ありませんよ。自己完成。自己完結の人生のレールを敷き、楽でおいしい生活をおくれますよ。という夢もみせてくれた。この夢に酔い、学歴を神格化し、わずかの微妙な差を営々と築き、子供を差別化し、家を差別化し、人間を差別化し、社会を差別化し、新しい差別を捏造して、個人の連帯を寸断することに多大な貢献をしてきた、親世代。
 そうした夢のかなりが壊れていることにも気づいただろう。
今度でてくる、差別の種はなんだろう?理工系の大卒でないものは大卒に非ず。ってね。起業家を養成する大学もでてくるだろう。
 近代国家というものは国民を監獄にいれ、監視し、洗脳し、夢をみさせ、膨張し、いずれ疲弊化し、失速し、エネルギーを失うだろう。
 その過程のなかで、落ちこぼれても夢から覚めないままに悩んでいる人に「そなたも野の花か・・・」が痛烈なギャグになると思って書いたまでである。
 俺の場合だとパチンコの「新・海物語」に1200回転の”ドはまり状態の”若き女性に(いつか連チャンがくると信じているから)、”そなたも同じ野の花か・・・”と言いたくなるのだ。・・・・それだけのことです。
<15> ヴコースキー ■2003年01月30日 木曜日 01時09分28秒
そなたも同じ野の花か・・
 そなたも同じ野の花か・・腕下主丞(かいなげもんど)主演 田村正和(59歳)サラリーマンなら定年退職かリストラされて公園かパチンコホールで暇をつぶしている年頃ではないか。・・ストーリーはよく知らないが、複雑な生育暦があるんだろうな、父親がええとこの身分なんだけど、母親がなぜか正妻ではなくかわいそうな境遇にいることが背景にあると想像できる。母親を思慕しながら恋する女もなぜか ややこしい生育歴があるのだろう。だから女のほうも 今は野の花だけれどもひょっとしたらいいとこのお嬢ちゃんであったはず・・・。このようなストーリーなのかな? そなたも野の花かといいながら、本意は野の花ではないのだ。一般庶民の中で暮らしているけれども、血筋が違います。というメッセージが読み取れるではないか。時代錯誤もはなはなだしい歪んだ人格の持ち主が主役であるという。
 時代の奔流に原型を失い、見失われ、崩壊しそうな家族の絆を病的に演出したものであろうか?

 そういう意味で自助グループに初めてきたACに「そなたも同じ野の花(AC)か」
つっても”アホかおまえは”といわれるだけだろうなあ。
 
<14> りん ■2003年01月06日 月曜日 08時36分44秒
りんは

自分に なりたい。

何者でもない

自分に なりたい
<13> モモ ■2002年09月17日 火曜日 19時18分15秒
今日1つ呪文が解けました!あぁ!なんと言う感激!嬉しさのあまり頭がずきんずきんと脈打っているのが分かる。ずっとずっと縛られていた秘密の魔法の言葉をついに突き止めた!それは「人に見られるからちゃんとしなさい」。
なんてくだらない言葉!こんな言葉のために長い間苦しんでいたとは!
うちの母親はことあるごとにこの言葉を口にし、幼い私の脳へと刷り込んでいた。それはいつも外出の時、私の手をひいた母は、何かというと「人に見られるからちゃんとしなさい」と鬼のような顔で私を見下ろし脅しつけた。母は飛び抜けて背が高かったのでそれを見上げるのはとても恐ろしかった。私が疲労で歩けなくなった時などは、ことさら恐ろしい鬼顔を私の顔に上から被せ付けるようにして、押し殺した声に殺気をみなぎらせ「人が見てるからちゃんとしなさい」と私を怒りつけた。私は母の恐ろしさに恐怖でいっぱいになり、疲れはとっくに限界を超え、極限状態で苦痛に顔を歪め(泣くことは許されなかった)、絶えず何かに突き刺されるように痛む足を無理矢理引っ張って歩き続けたものだった。そんな経験がこの言葉を私の脳の奥深くまでしっかりと刻み付けていたらしい。
 やがて私は成長したが、その過程の記憶は私の許容範囲をこえる物だったらしく、ことごとく消えていた。「人に見られるからちゃんとしなさい」という呪の言葉も一緒に記憶から消えた。ただし、いつも、人に見られているという異常な緊張感と怖さを残して。

 いつも、なにかがうまくいっていない、そんな感覚がずっと続いていた。そして分かった。緊張していたのだ。いつも緊張していた。
1人で街を歩く。何かがうまくいっていない。楽しめない。1人で店に入る。ますますうまくない。あせり。何だろう、これは?ああ?緊張?そうだ。緊張していたんだ。
はじめは皆そうなのかと思っていた。でも違う。緊張しない人と街を歩いた。楽だった。普段は緊張して入れない店へも入ってみた。友人は楽しそうだ。私も楽しい。でも苦しい。緊張が、緊張が……はあぅっ。
 1人で歩く。やはり緊張が……。苦しい。何故私にはこんな物が?
1人だと楽しめない。緊張する。世界が怖いんだ。世界って何だ?人の集まり?でも人がいなくても緊張してしまう。でもそれは人が見えなくても気付かないだけでどこかにいると思っているから緊張してしまうの?やっぱり緊張の対象は人なのか?人は私なんかに注意払っちゃいないのに。「人に見られるからちゃんとしなさい」え?
そうだ、この言葉がキーワードだ!これをずっと言われていたのだ。「人に見られるからちゃんとしなさい」アホかっていうか狂ってる。人は他人のことなんか見ちゃあいないのに。
「人は誰も私なんか見ていないから、怖くない」
出た−!溜まりにたまった宿便が一気にドバーっと出た感じ。
「人に見られるからちゃんとしなさい」
この言葉で脅されてたんだ。この言葉で縛られてたんだ。これが呪文だったんだ!何と恐ろしい言葉の魔法よ!確かにいつもいつもそう言われていたよ!でも
「人は見ていないから怖くない」
魔法解除!そうなんだ!誰も自分以外の人にそんなに気を払っちゃいない。誰も人のことなんかよく見ていない。見てないから怖くないんだ!呪文は解けた!呪文は解けた!呪文は解けたんだ!!

<12> マフマルバフ ■2002年09月11日 水曜日 23時55分03秒
孤独を選択した側の論理 3
最初に勤めた会社の寮を眺めに行った 何ともない風景だった。何も感慨がわかなくなっている 何も苦しくない。実は2〜3年前にも行ったことがある だめやった 屈辱と怒りと捨ててしまいたい過去が俺をおそいに来るようだった その日常的風景を何一つ確認できなかった 時間がすぎても駄目なんだなとその時思った
ところが今はどうだ この変化は何だ ・・過去をだいぶ整理してトラウマからくる問題とそこから派生してくる問題に俺が巻き込まれていったことの区別がつくようになったからだろう 俺に責任はないといえないところが苦しかったのだ そして時代の急激な変化 その割りに 私が通りすぎたところは昔のままだ もう分かった もうここは通りたくない 一日も早く捨て去りたい場所だ。過去の一部は俺の責任に於いて清算された。
<11> モモ ■2002年09月11日 水曜日 06時10分22秒
他人はママじゃない
今まで会社で嫌で嫌で耐えられない人とかいたけど、私はそういう人にママの幻影をかぶせていたことにさっき気付きました。そういう人にママを感じてしまうので、些細なことが、恐怖とパニックにまで発展してしまっていたんです。でも他人はママじゃない。分かってみるとあんなに嫌だったり、怖かったりした会社のひとが、全然たいした物じゃなくなっていることに驚きます。「他人はママじゃない。」気付いてみれば簡単なことでした。そして、私の恐怖の源がママにあるということも分かりました。畜生、今は距離もとってもう会わなくて良いので、逃れたと思っていたのにこんな形でしばられているとは。早く、ママの呪縛から逃れて自由になりたい。
<10> モモ ■2002年09月05日 木曜日 23時54分30秒
他人はママ
私は人からちょっとからかわれたり、ちょっとバカにされたり、また、人が別の人に意地悪したりしているのを見ているだけで非常な苦痛を感じていました。その為に人生の重要な決断を下してしまい、後悔することも多くありました。
 ところが、さっき分かりました。私を本当にからかったりバカにしていたのは、それを発言した人ではなく、私の「ママ」だったのです。というか、それを「私がママに言われている」ように感じていたのです。人が別の人を虐めている場合もおなじです。「私がママに虐められている」ように感じていたのです。
 ママは私が小さい時から私と対当のスタンスで真正面から私をからかったり、バカにしたり、虐めたりしてきました。そうすると私は精神的に追い詰められて余裕をなくし、窮鼠ネコを噛むばかりに真正面から反撃してきました。(ただし、ママは負けるので急に大人の立場に立って暴力を振って屈服させる。)
 大人になって、何故か人が私や別の人に言ったことを「私がママに虐められている」と、取り違えて、余裕をなくし、自動的に追い詰められモードに入ってしまっていたのだ。こりゃ苦しいわけだ。これを何とかしなくては心に平和はない。
 
 
<9> モモ ■2002年09月05日 木曜日 15時49分06秒
寂しいです。特にかまってくれる人がいないと、いつも寂しい。夫と一緒にいても寂しい。夫はとても自立した人で、私が動けなくてもきちんと私の面倒を見、自分1人で楽しく遊び、楽しく日々を過ごしています。デも、必要なことをしてしまうと、私にかまうことをしない。かまってほしい。兎に角寂しい。なんでかわからない。人にかまってもらえないと寂しい。かといって必要以上に私を侵食する人じゃだめ。私の気持ち中心にかまって、可愛がってほしい。寂しい。寂しい。寂しい。なんとかならないものか?いったいこれは、何なのか?
<8> マフマルバフ ■2002年09月03日 火曜日 03時20分46秒
自分への手紙
誤解をおそれずに言います 自分への手紙ほど私にとって気色の悪いものはない 会話のない家庭の悲劇 自己没頭がやすらげる手段として身についている 関わる他者が家庭の中であまりない それをさらに日記や自分だけしか見ない手紙を書くことは苦痛でしかない 耐えられないのだ 長い孤独と悲哀を味わってきたものとして さらに孤独を再確認するだけの虚しい作業であり 混乱を招くだけでできない! 親に干渉コントロールされてきた人は割りと平気に書くようだが そういうものなのかもしれない  このリカヴァリーノートに書き込まれていることは すべて 自助グループのミーティングのなかでいったことばかりです 話すことの手応えのなさを感じていました ここに書き込むことは読み返すことも出来 また誰かが見ているこの手応えは 私の思考を整理するのに役立っています
その意味で 私も私を理解してくれる若い仲間がほしいのです 友達が僕もほしいーよー 月曜日の京都ACODA河原町三条カトリック教会の北側ビル3階に7〜8時にいるから 可愛そうな人やなと思ったら来て下さい 苦悩や希望を語り合いましょう 自覚あるAC同士が信頼のもてる仲間をつくるって 面白いよ 喧嘩せんとこうね まってますよ。
<7> マフマルバフ ■2002年08月27日 火曜日 19時21分59秒
孤独
どこに行っても自分と話の合う奴は居ないということを骨身に沁みてわかった。孤独とは何だということを知らねば生きていけないと知った 孤独感は一時的に忘れることは出来るが 存在することが孤独であり 自覚するかしないかだけのことだ死ぬまでに誰でもわかるだろう 特にACは家族の絆を失っているだけに孤独感に苛まれると思う 愛はないからといって達観していてもつまらない 俺は今 ごはんのおかずのねたをありあわせのものでいかにおいしく食べるか 食い尽くしたら 何か手間のあまりかからぬ贅沢な一品を創っている 材料があまるとそれを如何に新作ですといえるような おかずに仕立て上げるかということで遊んでいる
孤独なんてつまらないことは縁遠くなっている。いろいろ遊べるのだ
<6> マフマルバフ ■2002年08月23日 金曜日 14時57分46秒
高校時代
苦しみをそっちのけで 今を楽しめない あたりまえですが 誰かに相談することが最善なのだとわかる しかし 今でも家族のことはきちんと整理できない部分があります これが私を苦しめているのですが 高校時代は青春を楽しみたいと何か焦っていた 焦れば焦るほど孤独の殻の中に閉じこもっていた こういうことを隠して違う自分を演じられていたらどうだろう それは混乱するだけの結果しか・・
違う自分を演じる器用さはまったくない 愚直そのもの 最近は静かな日々でこのまま発狂しなければ 正常化前向き回復方向天気快晴であろうと思います このタイミングで変化できたらいいのだけれど・・・イノセントは承認され思い悩むことはあまりないのだから しかし それなりに今まで自分を演じてきたと思っているから違う自分を演じるような違和感は払拭できない それまでの自分が本来の自分ではなかったことを深く認識したい
本当の私は心の中にまだいる はやく出ろよ そういいたい。


話はすっ飛びますが書店でよく「ガロ」など走りよみしてまして古〜くからのファンでしたここ10年は見てませんが あの漫画の消えた何人かの原作者のデビューから発狂するまでの過程を作品を通してよんでいたこともあり リアルでインパクトのある内容はそういうエネルギーのたまものでもあったのか う〜ん 今は出版されているのか知らないが読む気もありません。
<5> マフマルバフ ■2002年08月21日 水曜日 01時43分46秒
雑談は苦手
なおこさん応答ありがとう 考えが通じるところがありますね 私はある年代ごろから雑談が苦手となっています 独りで考える癖がついてしまっているようで 近所の人やカウンセラーとも雑談を目的に話しかけています 声楽もその一環なのですが 雑談をするということは私にとって結構むずかしいところもあります。
出来るだけ人と接触できる機会をつくり出かけています。
今夜は26度48%ずいぶん涼しくなってます 今年は秋の虫が鳴き始めるのも早くなるでしょう 
<4> ゆき ■2002年08月07日 水曜日 20時51分11秒
自分を責めないからといって他人を許すわけではないのです。
わたしに到底許せない行為をした人を許さないわたしをゆるすのです。
つまり、許せない人は、許さない。
そしてそう決める自分を責めないのです。
<3> ゆき ■2002年07月30日 火曜日 11時55分30秒
長年染み付いてしまった思考システムを変えるのは容易ではない、と思います。
責めない、と決めたのに、そういう自分を責める自分が出てきちゃう。
でももう責めない。責めようとする自分を責めない。
くじけそうになるけどそういう自分を責めない。
<2> ゆき ■2002年07月29日 月曜日 11時18分03秒
自分には責任がないんだ。と思うことに決めました。
子供の頃起こったことについて、わたしはイノセンスなんです。
もう、自分を責めたりしない。責めることがあっても、責める自分さえ受け入れて許そう。
こころの要請であり、体の要請です。わたしはわたしの声に耳を傾けることに決めました。わたしはもう、自分を責めない。
<1> パヴァロッティ ■2002年07月28日 日曜日 14時22分32秒
最近一日中一人でいることに苦痛や焦りがないことが多くなっています
夜 静かにCDを聞いているとその場を離れるのが嫌になるほど気持ちが充実している時があってはっとします。何らかの行動をすることでその先のことを連想すると嫌なことばかりが考えられて 引きずってしまい気分転換もできなくなっていました。風呂に行く途中CDのつづきではないかと思われるようなソプラノの鼻歌が聞こえてくるではないか。自転車のようだから俺を追い越し際に顔をみたいと思ったのですが 追い越して角を右に曲がっていったので後姿しかみれなかった。束ねた長い髪 リラックスした様子を瞬間みた あの人は幸せなんだろうな でないとあんな声はでない 何かと荒んだ気持ちに陥りやすい私には ああいう人も近所に住んでいるんだなとほっとするものがあった。そういう風に感じ取れる俺に少しの変化をよみとれた。

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This script written by Shintaro Wakayama.