Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 小説・映画・夢などに関する連想・過去ログ No.8
メッセージ数:160件

<160> マフマルバフ改めモハメッド ■2004年11月30日 火曜日 01時20分36秒
「久しぶりに映画を見た」

 気分転換に森林のある公園に行ってみた。そこで静かにFMラジオを聞いてみた。
朝から具合は悪かったが、森林の中で突然マグマのように過去のふかいな感情が噴出してきた。
 現実と過去の感情の中で私は慌てた。徐々に過去の感情が私を支配し、わたしの精神は二つに引き裂かれ、このまま発狂するかのようだった。

 森の中だから、私はジッとすよりも、動くことで視覚的な刺激を求めた。野鳥を見ることでマグマは沈静化した。

 森林の中を動き、目に入る野鳥をみることで現実の感覚を取り戻した。

このような、感情が二つに引き裂かれそうな状態が長く持続すると危険でもあるでしょう。
私は知らぬ間にこのような状況を脱出する術を身に付けた。

ぐったりと疲れたが、予定通りの行動ができ、映画には見に行くことができた。

映画は最初から最後までしっかり見ることができた。

これまでの私は、トラウマによる過去の感情に振り回され、じっくりと映画をみることもできなかった。

映画は私の精神状態を客観的に知るバロメーターともなっている。

今回見たのは山田洋二監督作品の時代劇であったが、ファンタジーは自分の調子と相談しながらいつか見に行ってみようと思う。
<159> トラミ ■2004年11月25日 木曜日 03時44分14秒
ヤクザ映画ってつけっぱなしにするには良いかも。
ハードだけど、皆馬鹿みたいに一本気だね。
美術も相当笑えるんですけど。
ゴルフ場で殺りあうなっての。
<158> トラミ ■2004年11月23日 火曜日 01時02分36秒
さっき「ミトン」観終わりました。
30年?くらい前にロシアで作られた、パペットアニメーションです。
10分くらいの物が3本で、セリフは一切ありません。
とってもシンプルなのに、観る人にとって、全然違う印象を受けるはず。
個人的には「ママ」が一番好きかな?
子を思う母の気持ちが、お人形とは思えないくらい伝わってくる。
最近は雑貨屋さんでミトンの犬の人形が一杯売ってるから、
一匹買おうと思います。
<157> モハメッド ■2004年11月19日 金曜日 05時32分23秒
「悪夢ともいえず・・・・」

 何故か私が以前の職場に復帰するシーンから始まっていた。
私の祖母(若死にでまったく知らない)の葬儀が貧相な場所で行われていた。
墓場まで担いで行く途中で、同級生のおばあさんも死んで葬儀をしているところだった。
 香典をケチって渡した。50円玉とか外国のコインであったり。

そこに社長と職場の連中がたまたま来ていて・・・・・・・。

社長が私の職場復帰を願うために、どのような不満が社内にあったのか、それを言える場を設定してくれたのだ。
 雑然とした会議室のようなところで、関係者が後から次々とくるので、私は頭の中を整理できなかった。
 感情的になった私は「Yのような奴はきらいなんじゃあ」と叫んでしまった。

 赤字を出すことで多額の納税を節約して会社運営をしている社長は余裕がある。
私が「実は不眠のせいで睡眠が乱れて、遅刻が多くなってしまったのです」というと。
 社長は不眠はワシも悩んでいる。と言って自分の利用している眠剤を私にくれるのである。これがボロボロの古い代物で、有難うございます、と言っていいのかどうか迷っていると、仲間が話し掛けてきて、職場復帰を前向きに考えるようになった私。

 この夢は単に職場のことだけでなく、故郷のあの道もあったり、今はもう消えた家屋の付近ののぞかな春日和の田舎の風景のなかであった。
<156> ゴンタ ■2004年11月18日 木曜日 13時41分28秒
「海辺の家」を観た。
とても美しく素晴らしい映画で感動した。
「人はたいていの場合ゆっくり変わる。自分でもそれと気づかず変わってしまってから、そのことに初めて気がつく。だが突然変わることもある。自分がそうだ。」
父と息子が和解し始めるときのこのセリフ。
ガンのため余命4ヶ月と宣告されたACの主人公は、自分が愛されたかったから、薬物中毒でどうしようもないひきこもりの息子に、そして周囲の人に愛を与えた。
そして息子のみならず、元妻や周囲の人々までが変化していく。
家を建てるときにだんだん手伝いにきてくれる人が増え、主人公はその皆に愛をこめてハグする。愛とふれあいを誰もが欲していて、はじめ何かしら冷たくなっていた皆があたためられ、癒されていくのを感じた。
海辺の風景が美しく、愛や命がテーマなのに重すぎず、感動で泣き通しだった。

私は昨日この映画を観た後、何かスィッチが入ったとしか思えない。今朝ものすごい情動を体験した。

何日か前の夫との口論。
このとき、私は心が凍るような言葉を次々と浴びせられた。
私が今まであの人に与えてきたつもりのものをすべて否定された。
「あんたがおれに今までいったい何を与えたって言うのさ?」
これで終わったと思った。
私のこれまで一生懸命伝えてきた思いは、彼には必要のないものだったのだ。
だから、彼には響かない。受け容れられない。
そして私は、これだけあげたのだからと、そのお返しを求めていたのだろう。
たぶん、夫に「親の愛情」を求めていた。
これはカウンセラーの先生に以前指摘されていたことだった。
そうかもしれない、とそのときはそう思った。
でも、これも頭でわかっていたつもりなのに、心はわかっていなかったことであった。
心がそれを認め、たとえ傷ついたとしても、体験して学ばなければいけないこと。
この口論の後、私のチャイルドが怖がり、不安を訴えて泣き始めた。
また身体の芯がぎりぎりと締め付けられて痛んだ。
この感情が出てくると、私は子どもに優しく接するのが難しくなる。
怒ってごめんねと言いながら夜寝るとき、子供達を抱っこした。

そして今朝…。とうとう、チャイルドの情動が激しく出た。
夫と子どもを送り出した後、堰を切ったようにして私は泣き出した。
いい大人が、声をあげて泣き崩れた。
そして出てきた言葉は、
「お母さん、もっと愛されたかった…寂しかった…もっと愛されたかった…私を見て欲しかった…」何度も何度も出てきた。
それから私に対して、
「もっと泣いていいんだよ…もっと泣いていいんだよ…寂しかったね…私が愛してあげるから…」に変わった。
30分近くも声を出して泣いていたと思う。
こんなことが自然に起きるなんて。

その後の変化を私は自分で楽しみにしている。
自分の心の成長を。
<155> ロヴィン ■2004年11月16日 火曜日 10時30分00秒
自分がなんで60年代アメリカの文化に興味を持ったのか,
今なら分かる気がする。

「イージー・ライダー」や「真夜中のカウボーイ」が好きで何回も見た。退廃的で,でも人間本来の感情のままに生きる姿に共感した。

それはもとを正していくと50年代文化。
ビートニクという文化人集団にもやはり同じ姿を見た。西洋思想を捨て
禅に傾倒したり,低俗とされていた黒人文化,ジャズに浸っていく。

デニス・ホッパーもピーターフォンダもジャックニコルソンも
ジャックケルアックもアレン・ギンズバーグも考えていた
ことは皆,同じ。管理・画一化された社会から脱却し,人間本来の
野蛮・野生に回帰していく。

彼らの運動が,ロックを生んだりヴェトナム反戦に繋がったり
ウーマン・リブを生んだ。

自分も,もう少し野生児になりたい。
理性や理屈ばかりでなくて....
結局,どっちも大事なんだけど。
<154> NAC NAC ■2004年11月08日 月曜日 20時39分07秒
今日はまずここからだ。前回やり残した宿題もあるし。

今日私は親友Mの買出しに付き合って地元の電気屋廻りをしていて、Mが店内物色中、暇な私は偶々設置してあった鬼束ちひろのライブDVD中の「月光」を一人で観ていた。
因みに「月光」はTV「トリック」のエンディングで使われた曲で私の好きな曲でもあるが、否、好きというよりは私の内面奥深くを何故か刺激する曲だ。
聴いている内に私は心がざわざわし、目頭が熱くなってちょっと涙ぐんだ。
明らかに自分のインナーチャイルドが意識の私に何かを訴えている。でなければ涙ぐむわけが私には見つからない。
本当はインナーチャイルドの感情に任せ私は思いっきり泣きたかったが、そこは店内なのでそういうわけにもいかない。
私はうるうるしながら自分の内面と会話した。

「自分の中のもう一人の自分」

それはまさしく私の場合インナーチャイルドだ、傷付いたインナーチャイルドだ。
こうして書き込んでいても私は涙が出てくる。

何故だろう?

それは自分の内面と向き合うからに他ならない。

自分と向き合うのは辛い。まして、それが痛みを伴う「開かずの扉」なら尚更だ。

開けたくない
でも開けなければいけない。

私の無意識下では日々その葛藤の繰り返しなのだろう。

私はワーカホリックの親の下で育った「発達障害」乖離していたACなので、中々自分の子供時代を思い出すことが出来ない。

何故出来ないのか?

いくら自分で記憶を引っ張り出そうとしても、「感情」 面白かっただの、大変だっただの、辛かっただの、寂しかっただの、そうした感情が一切思い出せない典型的な情緒喪失だ。

何故なんだろう?
(答えはもうはっきりしているのに)何故なんだろう?

何故私は愛されなかったんだろう?
何故誰も私を愛してくれなかったんだろう?

辛い
辛過ぎる。
だから私は乖離したのだ、自分の寂しさから逃れるために。

誰からも愛されないのは寂しい。本当に寂しい。

今私はその辛さがよくわかる。痛みを伴ってよくわかる。
すべてはインナーチャイルドのおかげだ。
彼と会話できなければ、彼の痛みを感じられなければ、私は一生「問題の診えない」変人のままだったろう(まっ今も十分変人だが)

心を開くしか自分が助かる術がない。
されど開けば涙となって痛みが噴出す。
その痛みを恐れて前回の私は自分の心を開けなかった。その痛みを著すだけの言葉が私には見つからなかった。
それが今回、偶々鬼束ちひろの「月光」を聴く事で私は自分の痛みを引っ張り出すことが出来た。
でも本当に偶然か?
否、違うだろう。
恐らくインナーチャイルドの導きで私はまた一つ心のドアを開けられたのだ。

いつでもそうだし、自分でも次の痛みを引っ張り出すには何か特殊な刺激が必要とはわかっていた。それは前回の言いっぱなしにも書いてある。

寂しい自分
寂しかった自分
膝を抱えて内面奥深くで助けを求めている自分
愛されたいのに「愛して」と言えない自分

辛かった
本当に辛かった
よく私は生き残ってこれたと思う、あの「感情を許さない」家庭環境で、無関心の暗闇で。

今なら手を差し伸べて私は小さい自分を思いっきり抱きしめてあげる、痛くなるまで抱きしめてあげる、その寂しさが消えるまで、暖かさが伝わるまで。

小さい私は優しさを欲していた、思いやりを欲していた、ぬくもりを欲していた。
そうして自分が親から愛されている実感が欲しかった。
でも全然与えられなかった、どれも。

何で?
またその葛藤の繰り返しだ。

今日私は古本屋で子育ての本を手に取ったが、パラパラと捲るだけで私は読まなかった。
否、読めなかった。無意識の私は読みたくなかった。
何故ならそこには自分が子どもとして当たり前に欲していたのに、心の成長上必要なのに与えられなかったものばかりだからだ。
それを読めば嫌でも「愛されなかった自分の過去」を自ら刺激することになる。

小さい子どもにとって「自分が親から愛されていない」と認識するのがどれほど辛いことなのか? 私の親には全然わかっていない。たぶん一生わからないだろう、彼らが彼ら自身と向き合って、各々の痛みを感じられるようにならない限りは。

自分の寂しさが感じられない人間に人の痛みがわかるわけがない。
だから私は乖離したのだ、それ以上自分の心を傷付けないために。
自分の心に無意識で分厚い扉を設けることで外からの刺激に対して鈍感となり、そうやって自分を守って生きてきた。でなければとっくの昔に私は入院していただろう。

これからもこうして私は自分の痛みと向き合っていく。それがACと気付いた自分の背負う十字架だ。

ありがとう私のインナーチャイルドたち。痛みを出してくれてありがとう。感情を出してくれてありがとう。お母さんはいつもあなたたちと一緒です。これからもずっとね。
<153> いろは ■2004年10月21日 木曜日 14時23分37秒
「アバウトアボーイ」
今回は、軽く見られるものがいい、そうしようと思い、
ヒューグラントを選んだみた。さあ、ラブコメのはじまりはじまり〜。
と思ったら、えっ違うじゃない。
父親のいない自殺願望のある鬱状態の母と暮らす男の子と父親の印税だけで裕福な
暮らしができる責任感皆無の中身のない中年にさしかかった男性との
奇妙な関係が描かれていた。母親は、自分の価値観に男の子をはめていて、
男の子は母にしたがっている。そして学校では浮いてしまっていじめのターゲットになっていた。母の愛情を重たくも感じつつ、受け入れようとしてそして母に
愛情を返そうと必死なのがたまらなかった。
ヒューグラント扮するだらしない裕福な男の人は、自分の中身のない生活を
肯定しようとしつつ、やはり歳相応にいろいろなことを身につけてこなかった
ことに後悔しているようだが今の楽な生活から無理に抜け出す必要はないと
思っていた。そしてお互いを必要としていることに気づいていく。。。
「人は、島ではない」をキーワードに家族とも違う人間関係を作っていく
お話だった。
男の子の母親はその男の子が普通の子とかけはなれた生活をしていることに
自分のアイデンティティに自信を持つようにと言うのだがかえってそれが
彼の学校生活を苦しくさせているとは母は、全く気づいていなかった。
なんだかこの部分が自分に響いてくる。私も自分の子どもに自分の価値観を
押し付けてはないか?私も時々、他人と違うことに対してそれでもいいじゃないかと子どもの立場を考えずに言ってしまってはないか?などなど。。。
最後には、母は自分の凝り固まった価値観を変えようとしはじめるのだが。。。

もしかしたらこんな考えちゃう映画ではないのかもしれないけれど考えちゃっています。


<152> チップス ■2004年10月18日 月曜日 22時37分07秒
 「ミスティックリバー」を観終わったら、なんか不快でした。
 どんどん不愉快になって、しまいにはむかついてきました。
  性的虐待の被害者として生き延びてきたディブがこんな結末ってあり?
 強く娘なり妻なりを「愛して」いる父親なら、殺人も肯定(美化)されるの?
 そしてこの映画では性虐に触れながら、実は<強い父>賛歌なのかも…。
 っと、アカデミー賞のことまでも揶揄ってしまいたい気分に。
 …なんて具合に考えはどんどん進んでしまいました。
 それではっと気付いたのでした!
 アタシは被害者&サバイバーの立場で観たんだなってこと。
 その立場では、「ディブのように心乱れるんだよ。受け止めてくれよ。」
 ってアタシは求めてんだなってこと。
 それが当たり前に感じる人と当たり前じゃない人がいるってことも。
 うーん。
 「恐れるのはおかしい」かもしれないけど、「恐れ」を感じた事を
 「恐いんだね。今は。」ってただうなづいてもらいたかっただけ
 だったんじゃないかな。もしかしたらあの時のアタシは。
 …そんなことまで、考えがとんでいったのです。
 
<151> ロヴィン ■2004年10月16日 土曜日 23時35分59秒
久々に「カッコウの巣の上で」を見たいなと思う今日この頃です。
この映画はベトナム戦争の頃に発表された映画で,いわゆる
反体制ものです。結構えぐいシーンもあるのですが,「管理
される人間」が,そこから抜け出し本能の赴くままに生きる
姿を見て,自分とダブらせたりしました。それから私はジェイム
ズディーン好きで,生き方とか憧れます。彼は自分の父親に
対して強い憎しみを持っていたそうです。結構複雑な家庭
らしくて.... 映画の役柄もいつもそんな感じです。
ちょっとナルシスティックで,でもトゲトゲしていて
ホントは心優しくて,誰かから理解されるのを,
待っている。結構自分に似てるかも....

<150> いろは ■2004年09月30日 木曜日 01時03分16秒
「戦場のピアニスト」
先週は、軽いラブコメディを見たのでちょっと大作を見ようと借りたら、
結構、ずっしとくる映画でした。ホロコーストを取り扱ったもので
今まで見た中では一番重かったような気がする。
こんな現実がほんの半世紀前に起きていたかと思うとぞっとする。
そして自分に重ねなければいいのに、重ねてしまいどっと落ち込む。。。
今の時代に日本に生きていることだけでも幸せなことなのか???
考え出すととまらない。ただ無残に命を落としていった人が600万人も
いるという事実に押しつぶされそうになってしまった。
ああ。。。今度は、またラブコメディにしておこう。。。
<149> モハメッド ■2004年09月13日 月曜日 00時38分42秒
「宵待ち散歩」

 日曜日でもありずっと部屋の中でじっとしていた。見る角度によるのかこの部屋は広いんだなぁと改めて思った。天井が少し高いから畳に寝そべってみてやっとわかった。今までそんなことにも気づかずにすごしていたのだ。
 部屋に居てちっとも飽きない、退屈のあくびすらでない。この部屋を生活の拠点として考えていないことによるのだろうか。風が部屋の中を吹き抜けていき家庭によくある空気が澱むことがないせいもあるだろう。
 部屋の間取りと立地条件がつくりだしていることも考えられる。

宵を待って私は久しぶりにJR○○線の西側に行ってみた。すぐ近くなんだけど用事がないから行くのは10数年ぶりになってしまうのだ。

 道路の拡張による変貌は今浦島の感であった。マンションや新形式の家屋の列。そして開発から取り残された畑や空き地。古いお家の庭から道路にはみだした樹木の多さ。宵であるせいかアパートの多さにも驚いた。狭い道に入ると家は建て込んでおり家庭の匂いがもうもうと立ち込めていた。開発された低いマンション郡や住宅街を通ると、これがまったく人の気配が感じられないほどひっそりとしている。
 点灯された明かりが外に向かってわずかに暗い道を照らしているだけ。住人の孤独を見事に表現している。
 家屋というものを風土や文化から切り離して、見栄えだけの視点で閉じ込めてしまったことによるものだろう。自転車で通ると書く家庭の玄関先で一瞬フラッシュされる明かりは防犯のためだと気づくのに時間がかかった。
 ずいぶん前になるが私がたまたま訪れた親戚のお家は風が吹き抜ける構造にしていた。ちょっと考えて見ればわかることなのに、風が家の中で澱んでしまう構造にしているのは私の実家も含めて顕著である。
<148> NAC NAC ■2004年09月12日 日曜日 05時27分10秒
先日某国営放送深夜枠で「こどもたちが見えない」の再放送を流していて、このサイトに出入りしている方でご覧になった人もいるかと思うが、私が観た感想を述べさせてもらうと「あれに答えが全て出ていた」と思う。
番組中終盤、ゲストの作家である重松清氏も番組タイトルに対して「こどもたちが見えないじゃなくて、こどもたちが見えていない、見ているつもりでもそれはあくまでつもりであって、大人側からの視点だ。(こどもの目線に立てば)大人はわかってくれない、理解してくれないになる」というような内容の発言をしていて、まさしく私と同意見だった。
自分で自分が小さかった頃の痛みを引っ張り出さない限り、はなから目線が違う親に子どもの痛みは分からないだろうし、その声にならないサインさえも気付かず見逃すだろう。
この番組感想に関して私は山というほど書きたい事があるが、時間がないので割愛させていただく。
大事なのは愛情だ。
じゃ愛情って何?
生まれたまんま、ありのままってことだ。
動物を観てりゃよくわかる。
「生まれてきてくれてありがとう」
その純粋な気持ちを肝心の親が忘れてなくしたんじゃ愛情もへったくれもないわな。
全ては何気ない日々の生活の積み重ねで、それを意識してやってきたどうかの違いだ。
自分の心を開いて耕さないといつまでたっても愛情の芽は育たないんだよね。
うちの親にも早く気付いてほしいよ。
でもその前に気付く感性がないからなぁ。
愛情を知らない親に育てられた子どもは辛いよ。
何の罪もないのにねぇ。
<147> 花 ■2004年09月09日 木曜日 22時53分12秒
「エグドラシル」というアルバムを買った。私にとって4000円どころの価値じゃなかった。こんなにも歌詞を見たのははじめてかもしれない。絵もすごく好きだった。今まで買ったCDの中で一番かもしれない。全曲好きだったけれど、「オンリーロンリーグローリー」と「ギルド」「同じドアをくぐれたら」が勇気をくれた。「さあ何を憎めばいい目隠しをしたのも耳塞いだのも全てその両手」「汚れたって受け止めろ世界は自分のモンだ構わないからその姿で生きるべきなんだよそれも全て気が狂う程まともな日常」「もう気づいたろうその涙と引き換えにして僕らは行ける揺らした天秤が掲げたほうをそんなに勇敢な選択だいつまでも迷うことはない」歌詞。今までかいたことなかったけれど、私が感情にふたをするから。買う3日くらい前とにかく手紙を書いてみていた。思うままに。26枚ぺたぺたと壁に貼った。張ったんじゃなくて画鋲でさしたから穴だらけ。とても絶対人には見せられない。自分。その手紙をいっぺんにみてみた。思ったよりは怒ってなかったけど怒ってた。さびしくて認められたくて悲しんでた。前向きだった。楽しいとかはなかった。私の頭の中に。きっとそれは吐き出さないから怒りがたまってて。昔は憎む怒りがすごかったけどそれは悲しみになって、それがたまりすぎて、重すぎてとらわれて動けなくなってた。あとからみて好きだったのは前向きな手紙のもじだった。「傷ついても傷ついても生きてゆくこと何か足りなくても生きてゆくこと」変わっていくことを望んでいた。掲げた天秤は26枚中4枚の前向きな自分だった。捨てなきゃならないのは怒りと悲しみ。捨てなくてもいいけどこだわっちゃいけないのは怒りと悲しみ。私は捨てた18枚の悲しい手紙をぴりぴりと破って捨てた。もしかしたら、大人になったら、今思うほどおもわないかもしれないな。ロマンチストすぎって気持ち悪いよ。って何を否定したいのかわからないけど自分を手に入れた感じだ。自分が自分を捨てなければ世界は私のものだっ他。自分を選ぶということ。何があろうとも。自分が好きなものを隙といえる勇気。勇気のある人になりたい。子供の自分に会えた気がした。そして抱きしめることができた気がした。好きなものは好き。否定されても変わらずに。決して押し付けずに。そういう勇気を望みたい。薄れたくないな。
<146> kiwi ■2004年09月08日 水曜日 23時37分22秒
住むところが無くなって、移動手段も無くなって、行くところも無くって、
優しい警察の人の前で、途方に暮れている私。
<145> つゆ草 ■2004年08月22日 日曜日 21時52分00秒
手つなぎ鬼ごっこをやって遊んでいた。鬼に捕まえられたら鬼と一緒に手をつないで鬼になる。私は逃げるのが上手くてなかなかつかまらなかった。
私は得意げに逃げ回っていた。ふと気がつくと、私以外のみんなは鬼につかまって、みんなで手をつないでいる。私一人だけ、つかまえてもらえない。みんなの輪に入っていけない。つかまえてほしいのに。だれかと手をつなぎたいの
に。私一人だけ、ぽつんと残されてしまった。
もう20年以上前、高校生の頃にみた夢。この夢にいまだに縛られているのかな。私は誰とも手をつなげずにいる。
<144> モハメッド ■2004年08月11日 水曜日 02時25分58秒
「昼見る夢」

 わいが昼にみる夢は仕事の夢がおおいんや。
上司は給料をきちんとはろうてくれた、前社長や、同僚っちゅうのんが、わいの嫌いな奴ばっかりや、てめえの得意分野をひけらかすだけで、仕事全体のことは考えとらんバカばっかりやった。
 この文章をみただけでわかるバカが生意気にワシの足を引っ張りたおすのにひっしになっておるんや。
 ・・・そのことについてはワシのアシスタントカウンセラーがよう聞いてくれるんでそちらに話してよくわかったら。このつづきをかいたろ。。がははははは。
<143> NAC NAC ■2004年08月08日 日曜日 07時11分25秒
私が先日借りたビデオの中に「プロファイル」という名の作品があって、内容はというと、女性のカウンセラーが有名男子校で起こった秘密結社?による殺人事件を解いていくというものである。
私はこの手の猟奇犯罪もの系(特に「Xファイル」)が好きなのだが、この作品で私が特に注目したのは、最終局面で犯人である少年(異常人格者)が捕まるのだが、その時の少年の表情、目の動き、言動が(演技とはいえ)私の知り合いのBさん(妄想型境界性人格障害)によく似ていて、恐ろしいくらいよく似ていた。
普段は一般の人と何ら変わらず過ごしていても、ある状況なり、特殊な刺激を受けると豹変してしまう。
恐ろしいわな。
自分の中でもう一人の人格が暴れているようなもんだもんな。
そういう私にもそうした一面がないとは言えないが、私とBさんとの決定的な違いは「自分と向き合って、尚且つ他人に意見を求められるか」ということであろう。
自分と向き合えなければいつまで経っても荒れ狂う内面に振り回されるだけだ。
自分の無意識にあるのは小さい頃親に精神的に虐げられた記憶。
それを今の自分がきちんと認識し受け入れることで、少しづつ自分の内面が穏やかになっていく。
それができずに自分が親になった場合「確実に無意識で同じ過ちを子どもに繰り返してしまう」可能性は非常に高い。
そうして自分の子どもに、もう一度自分と同じ痛みを味あわせるのが嫌なら自分と向き合うしかない。
私はその毎日だ。
<142> キーコ ■2004年08月03日 火曜日 20時36分18秒
TVとVTRを買いました。
「こころの沈黙が、取り去られるのではないかしら?」と、かなり危惧して、怖がって、思案して、ウダウダやっていましたが、ついに購入しました。
「やはり、楽だわ。」というのが実感です。
何しろ、「身体がシンドイ+コワイ」が重なって、殆ど楽しみが持てない状態だから。
毎日、修行しているわけではないんだから、適当に自分を遊ばせるのも、大事だと思います。

ということで、本題です。『映画』が、大好き!
それで、直ぐに「その世界の住人」になってしまうわけで・・・。
また、お気に入りのアクターにハマッタみたいです。
関連の、作品をずっと観てゆこうっと。
どうして、こんなに直ぐに、アクターが好きになっちゃうのかしら?
・・・よく分からないや。

映像や頭の中の「男の人」は、観念の世界だけだから。
実際に、「自分との関わりをもつ」可能性が0%だから、絶対に自分の身は、安全だもの。
「映像の世界」「空想・想像の世界」は、とても安心で、いいよ。
<141> NAC NAC ■2004年07月30日 金曜日 08時24分22秒
先週、今週と同じ夢?を見た。
どちらも覚えているのは起きる直前の映像で、自分らしき子どもが「何で僕を一人ぼっちにするんだ? 何で僕を構ってくれないんだ?」と叫んでいる映像で終わった。
前回は「よく言ってくれた」と私は割合さっぱりとして起きれたが、今回は魘されて起きたような感じがして私は少々辛かった。
もしかしたら映像として自分が思い出せない所に小さい時の更なる痛みがあったのかもしれない。
ただ映像として自分の意識の上に出すのはまだ苦痛過ぎるから今回は出なかっただけだろう。
そうして自分の心が回復するにはどうしても通らなければいけない道が、私の内面深くでは幾つもの迷路と化しているのだろう。
どの道を通っても必ず「できれば思い出したくない」寂しさが付いてくる、それも漏れなくだ。
自分で想像していたこととはいえ、どうやら自分は大変な道を選んだのかもしれないなぁ。
先は長いや。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.