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私たちの物語 - 小説・映画・夢などに関する連想・過去ログ No.2
メッセージ数:40件

<40> 月 ■2003年11月07日 金曜日 18時11分11秒
よく夢に出てくるのは、学校の成績のことでよくしかられたこと。僕は自分なりに精一杯受けた試験に失敗して、これでもかというくらい怒られた事。「○○君は、努力している。それに比べたらおまえはどうだ」と正座をしている僕に頭ごなしでいう母親の顔。「塾の月賦代を返せ」という父親の顔。結果の出せない自分に腹を立てている自分の泣き顔
<39> 波 ■2003年11月06日 木曜日 08時08分27秒
38番(下の紅葉の俳句)は私の創作ではありません、でも誰の句かは
分かりません、芭蕉とか一茶とか有名な人の句なのでしょうか。いつか
どこかで聞いたか、見たかしたものです、どなたかご存知の方が
いたら教えてください。
<38> 波 ■2003年11月05日 水曜日 07時49分24秒

       裏を見せ表を見せて散る紅葉


秋の日を受けて一葉の紅葉が風のままに散っていく。裏を見せたらみっとも

なくて皆が笑うのではないか、そのような不安を紅葉は持たない。風に

さからってまで格好よく表を見せようとも思わない。ただただ風にすべてを

まかせて無心に散ってゆく。紅葉がたとえ己の努力によって、格好よく緑の

芝生の上に落ちたとしても、その紅葉はたかだか自分の美しさを示すだけで

ある。しかしすべてを風にまかせて散った紅葉は、たとえ泥まみれの無残な

姿になろうとも、まさにそれゆえに己の美しさを超えて、さわやかな秋風を

私たちに告げているのである。


格好つけなくていい?そのままの自分でいい?見栄もなく身をまかせる。
怠惰な甘えでなく、謙虚であると同時に積極的な自我の放棄?
そんな紅葉の心境に私はいつなれるのかなあ・・・
<37> 波 ■2003年10月31日 金曜日 06時58分08秒
「メメント・モリ」藤原新也 のページをめくった。

花は、芽吹く乙女。
花は、咲く色魔。
花は、散る仏。

私は50歳を越えて今「仏」にちかづいているのだろうか。

しっかり生きなくちゃ。
<36> およよ ■2003年10月27日 月曜日 21時03分37秒
絵を見ることは、恥ずかしい。まるで、その絵に自分の裸の心がぶら下がっているような感じになる。好きな絵は、一人で見るべきだと思う。中学のころ、毎日が闇の中にいたのだろう、私は日光が欲しかった。日光は暖かさと希望を連想させたからだと思う。ゴッホの「アルルの跳ね橋」は、その日光に引き付けられ、大好きだった。私は絵を見ながら、きっと、どこかにある、希望を夢見た。
そして、私の好きな花と色は、ひまわり、オレンジ色だった。偶然にゴッホにつながった。彼の絵に狂気を感じながらも、燃え滾る力と、狂おしいほどの生命力に圧倒された。嫌いと思いながら、引き付けられた。怖いと思った。苦しい、生きるのが、苦しい、自分は何なのか、分からない。ゴッホの絵を見ると、隠しおおせていると思っている、心の痛みが、悲鳴を上げるような感じになる。見たいけれど、見たくない作家の絵です。
<35> にょろ ■2003年10月26日 日曜日 04時26分56秒
また夢を見た。

向こう岸に助けたい子供がいる。私はこっち岸にいて、その子を「早く助けなきゃ」とあせっている。その子の心細さを思って、胸が苦しくなる。必死になってその子のほうに行こうと試みるも、何人もの人が私を邪魔する。その中に中学校の時の先生がいた。私は闇雲にその子にコンタクト取ろうとするが、どうしてもできない。私はあきらめない。それでも邪魔が入る。そうこうしているうちに、その子の姿は見えなくなった。
目が覚めた私はもっと上手い手があったはずだ、とただただ後悔した。でも、あの子は本当に、私に助けなんか求めてたっけ?
<34> えすこ ■2003年10月24日 金曜日 15時23分40秒
嫌な夢を見た。私の部屋にゴキブリがいるのだ。大量に。
大きいの小さいの、縦横無尽に動き回って、恐怖で動けない私に
大きいのが飛びかかってきた。
手を振り回して目が覚めた。実際に手をバタつかせていたらしい。
人に話すと笑われそうな夢だけれど、もう5回目になる夢だ。
虫(大嫌い)や動物(嫌いじゃない)の夢はよくみる。
動物が出てくる時は、大抵食べられてしまい、その恐怖でめざめる。
やはり笑われそうな話だが、私は本当に怖い。
<33> にょろ ■2003年10月21日 火曜日 23時28分30秒
夢を見た。

母親から無視され、兄弟からも相手にされない子供の面倒を、何故か私が見ることになった。どこか怯えた表情をした子供だった。その子の両手を取って飛び跳ねると、始めはうろたえていたその子も、うれしそうにジャンプした。今まで悲しげだった子供の無邪気な笑顔が嬉しくて、何度も何度も一緒に跳ねた。湖へ行って、抱き上げて景色を見せてやると、遠くを見たその子の顔はまた泣きそうな顔に戻っていた。その後、愛おしさを込めて、ガリガリの冷たい身体を抱きしめて、その子を母親の元に返した。
私は心の中でその子の背中につぶやいた。「大丈夫あなたは生きていていい。寂しくなったら、またおいで。私が抱きしめてあげる。」
<32> 埴輪 ■2003年10月21日 火曜日 12時44分41秒
私は大きくなったら『T2』のサラ・コナーのような女になると確信していた。
あるいは、『トゥームレイダー』のララ、『X-ファイル』のスカリー。
マニアックな話、TVドラマの『ニキータ』とか・・・。
戦闘能力だけじゃなく、精神的な強さ、自分の思ったとおりに行動するところ
私は彼女達に脳内で同化し、
人生を上手くやっていく幻想を抱いていたのかもしれない。
戦いに勝つことが本当の幸せだと思っているのかもしれない。
私が生きていて楽しいと感じるのは
彼女達のような強い女が描かれた作品を観ている時。。。
<31> およよ ■2003年10月20日 月曜日 01時00分22秒
台所に立って、食器を洗っていた時。私の病気もだいぶと良くなってきたな。と思ったら、突然に心臓のほうから、声がした。「病気が治りたくないの。病気が治りたくないのよ。」必死におびえるように、私に話しかける声がはっきりと聞こえた。「アー、私の中の私の声だ。」と少ししたら、気がついた。でも、どうしてそんなに、病気が治りたくないの?辛かったじゃない?と話しかけても、もう返事はなかった。彼女は、怖くて出てこなかったんだね。ごめんね。私の中の本当の「傷ついた私」、自分が傷ついて、恐怖でいっぱいの毎日を過ごしている事も、気がつかなかったの。私の心は、硬いコンクリートで閉ざされていたの。ごめんね。私に貴方の気持ちを教えてくれてありがとう。怖かったね。今まで、知らずにいた、私を許してね。必ず、必ず、貴方が安心して暮らせる場所を探すから。約束する。もう、負けないよ。勇気を出して、私に話しかけてくれて、ありがとう。ごめん。もう、弱い私のままじゃないからね。
<30> およよ ■2003年10月16日 木曜日 01時25分26秒
夢を見た。あいつが私を追いかける。逃げても、逃げても、どこまでも追いかける。もう、25年も前の事だよ。いい加減にしてくれ!!いやだよ。あの時、どうしても逃げられなかった。苦しかった事を思い出した。あれから、私、5年も乖離して、その間の記憶ないんだよ。二十歳の頃から、5年・・・・私の大事な人生を返せ!自分に戻るのに、それから、15年懸かっているんだよ!!
私の人生を返せ!!お前は、人間の皮を着た鬼だ。お前なんか、死んでしまえ!!
<29> 波 ■2003年10月14日 火曜日 07時40分06秒
ここはレスなしなので管理人さんが削除していただいても構いません・・・

およよさんの「シェルブールの雨傘」を私は結婚前に現在の夫と観ました、
25年も前ですが、それでもリアルタイムではなかったのですね。

私も、およよさんと全く同じ経験をしてとても不思議な気持ちに
なりました。映画の中で窓の下に見える様々な色の傘、その中に母を
探している自分に気がつき泣いて、泣いて・・・そのデートの後は
レストランで食事をするはずだったのですが、そんな事できる心境に
なく帰ってきたのを覚えています。

恋の映画なのに、それを観ていた私は「お母さん、私の方を向いてよ、
私はここにいるよ、私を好きと言ってよ」と心の中で叫んでいたのです。
<28> およよ ■2003年10月13日 月曜日 23時59分52秒
「シェルブールの雨傘」という1964年の映画で、主演がカトリーヌ・ドヌーヴ。これもずいぶん昔に見た。女の子が、愛する男の人を待っているその間の話だが、恋焦がれる彼女の切ない思いが、きれいな音楽をバックに繰り広げられる。たいした内容でもないのに、はじめから、最後まで泣き通しだった。泣いても、泣いても涙が止まらなかった。傍で見ていた夫も変だと思っていたようだ。自分でも変だなと思っていた。だから、気になっていた。
彼女が雨の降る窓越しに、帰ることのない彼を待っている横顔の悲しさが、胸をよぎる。でも、最近になって、私は、彼女の中に自分が幼い頃に、両親に自分のほうを振り向いて欲しくて、いつまでも、両親を追い続けていた私を見つけた。「こっちを向いてよ!!」と、幼い私はまるで、ガラス越しに言い続けていたようだ。映画を見ながら、そんな幼い私が、泣いていたのだろうと思う。
<27> およよ ■2003年10月13日 月曜日 01時40分46秒
「道」と言う古い映画がある。衝撃を受けた映画。もう10年も前に見たと思う。大道芸人の男にその年若い少女は、もらわれ、無理やり男に犯され、形ばかりの妻にされる。今なら、性犯罪で刑務所もんだ。しかし、その子は妻としての自分の立場を受け入れ、ー逃げられないし、そうしないと生きていけないからだがー、男を夫として、慕い忠実につかえ、信頼する。少しも憎しみを持つこともなく、どんなに傷つけられても、その男の傍にいる。

それがさらに、その男の醜さを浮き立たせ、女の子の悲しく、やるせない美しさを醸し出す。その映画をみていて、なぜ、だろう?私は、その女の子の気持ちが手に取るように、親しく感じられて、「この子は、私だ」と気付いたんだ。しかし、その映画の評論を後から、探して読んだら、驚いた。その子は、少し頭の弱い女の子と言う設定だったのだ。重く、苦しい物が、自分の心に圧し掛かるのを感じた。

私は、少し変なんだ。どこが変なのか、自分でもまだ、わからなかったけれども、変だということは、気がついた。そして、今わかる。私は、奴隷だった。
あの子が妻と思い込んでいたが、実際は、その男の奴隷だったように、私もそうだったのだ。だから、「あの子私は同じだ」と感じたんだ、と気がついた。
私にとって、とても、辛い映画。
<26> およよ ■2003年10月09日 木曜日 00時33分22秒
エドガー・アラン・ポー著「モルグ街の殺人」でした。訂正します。
<25> およよ ■2003年10月09日 木曜日 00時12分18秒
どうでも良い事だけれど・・・小学6年の頃、夏休みの読書感想文を書く宿題で、もう何の本か忘れたけれど、学校指定の子供用の本を読んでいた。戦時中の中国のある場所、満州だったか・・に主人公が行く事になる。
それは、夏の夜の事で、周りには屋台で作る食べ物のにおいが漂っている。そこいらに、それを楽しむ人が大勢歩いている。主人公は、子供でちょうど私の同じくらいの男の子だ。

すると、突然に自分がその子いなってしまい、タイムスリップする。私はその場所に入ってしまった。「あれ、ここはどこ?あ! 読んでいる本の中だ。私(無事に現実の世界に)帰れるのかな?」と思ったことをはっきりと覚えている。あれは何だったのかな?私は、乖離していたの?

その頃、同じような経験を何回もした。本を読むのは、スキだったが、だんだん怖くなってきた。「モグル界の怪事件」と言う推理小説を読んだ。いや、スリラー小説かな?ここでも、タイムスリップしてしまい、エライ目にあった。めちゃくちゃ怖かった。それ以来、決して推理小説、殺人の出てくる物は、読まなくなった。高校になってから、泉鏡花の怖い作品を読んでも、もうそういうことは、経験しなかったが、やはり怖くて、その系統物は避けるようにした。本が一番怖い、入り込む。

あれは、やはり乖離の一つなのかな?でも、今でも、花が話しかけたり、綺麗な物から、自分に何かが流れてくる感覚は、あるんだよね・・・
なんだろう?でも、私って、ヤッパリ変だよね・・・それはいえるね・・・
<24> 波 ■2003年10月08日 水曜日 20時39分33秒
眠剤を飲んでいるのにこの頃よく目が覚める、それも夢を見て
夢と現実の間で混乱をする。

今朝、夢の中で小学生の私と姉、妹がちゃぶ台の前に座っていた、
母がプリンを持って現れた。数十年前のプリンと言えば今のように
どこでも買えるものではなく「特別な食べ物」で年に数えるほどしか
口に出来なかった。「わーっ」って喜んだのに私の分がない、二つしか
なかった。私が悪いことか何かしたので、おしおきとして私には無しで
そこで姉妹がプリンを食べるのを見ていなくてはいけなかったのだ。
姉達も分けることを許されなかった。

私は大きな声で泣いていた、その声の大きさに驚いて飛び起きた。
(ここから現実)急いで着替えて近くのコンビニに走ってプリンを1個
買った、夢の中のプリンより大きかった。それをむさぼり食べた、
泣きながら食べた。

コンビニのお兄ちゃん、びっくりしただろうなあ・・・
朝の4時に、スッピンの髪ぼさぼさのおばさんがプリンを1個だけ
買っていったんだもん。

ずっと忘れていた記憶がこんな風に出ることがあるんだ・・・
<23> マフマルバフ ■2003年10月07日 火曜日 01時24分05秒
「絵と文章」
自分のつかみきれない感情や憎悪を文章にして頭のなかを整理してきた。
それはそれで私の精神の浄化に役立ってきた。しかしお絵かきスクラップブックに私の思いやストレスをそれなりに吐き出しまとめる気持ちで描いてみると、なんていうのか「絵」を描くと文章を書く気になれないのはどうしたことだろう。?
私にとって絵を描くということは、これまでの過去の苦しかった頃のことを思い出して描いているのですごく集中してエネルギーを消耗する。
だから文章では及ばないほどの解放感と満足をえられるのだ。しかし、見る人には単なる絵にすぎないのだ。
 自分の思いを相手に伝えるのは文章の方がはるかにわかりやすいはずだ。
お絵かきスクラップブックをカタログ表示にして自分の絵をみると、自分が描いたものとは思えないのです。その時々の感情で描いているからだろうと思う。
 絵というものは模倣であろうと自分の好きなようにかける。・・・だからどこで完成とするかは個人的なものだ。・・・完成はないともいえると思います。
ストレスを表現するということに関して「絵」は文章の比ではない。
「絵」を描くことで解放感を獲得したわたしは、次の絵は何を描いたらいいのかわからなくなっている。・・・・噴出するストレスは沈静化している。・・・これからは都会的なセンスを感じさせるものとか対極の広大な自然を描いてみたいと思っている。しかしエネルギーの根源であるいかりのようなストレスが出ない。
ACにとっての「絵と文章」についてもう少し考察したい。
<22> 波 ■2003年09月11日 木曜日 22時46分34秒
今晩TVで「マンハッタン・ラプソディ」という映画を観た。その中に
"Parents don't plan to hurt their children."子供をわざわざ傷つけようと
する親なんていない、って。親は自分の言動がまさか子供を傷つけていた
なんて思ってもいないってこと?親になる資格の無い親が親になってしまって
傷つけようと思わないのに虐待してしまうってこと?
<21> およよ ■2003年09月10日 水曜日 21時26分27秒
本当にあった、変な体験
中学生の私は、自殺を決行しようとした。両親の虐待は、日に日に激しさを増していたのだ。耐えられないと思った。しかし、死を体験したいという関心もあった。「どこか、自分の知らない世界でもっとましに、生きていけるかもしれない。」と思っていたのかもしれない。
かみそりを握り、切ろうとした、その瞬間、私の目の前に、まぶしいほどの明るい光が差し、「死んでは、いけない!!」と、大人の男性の声が、はっきりと私の耳に聞こえた。私は、夢から目を覚ましたように、われに返り、すぐに、自分のしようとしている事に、気がついて、止めた。
あれは、なんだろうか?
翌日、私は、朝早く、登校して学校の庭を歩いていた。一人しか歩けないような、小さな道の周りに小さな花壇が、いっぱいあって、ちょうど、春の盛りだったのだろうか。たくさんの、かわいらしい花が色とりどりに咲いていた。
私は、じっと花を見つめながら、歩いていた。

「もう、授業が始まるのだ。急がないと。」その時、昨日と同じように、光が輝いた。今度は、目の前ではなくて、私の歩いている、その一面の花々の上に、キラ、キラ、まぶしいくらいに、光が輝くのだ。そして、花がいっせいに、私に向かって、話しかけるのだ。「生きるんだよ、生きるんだよ。」そして、私の中に花を通して、何かの大きな力のような、愛情のような者が、流れ込んでくる。
これは、なに?私は、誰かが、私を見ている事に、気がついた。誰かが私を見ているのだ!!私は、それから、自殺を考える事すら、なくなった。

とても、不思議なほんとの体験。
生きていると、色々な体験をする。この世の中まだ、捨てたものではないと思うよ。


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This script written by Shintaro Wakayama.