僕には病的コントロール衝動がある。
僕の共依存のパターンは実に幅広いが、「スイッチ」が入ってしまえばアクティングアウトを防ぐのは難しい。AOを防いでも、気持ちは不安定になり、感情的酩酊に陥る。ちっとも平安じゃなくなる。
もっとも長く続いた、共依存症の対象者はやはり母だったと思う。彼女が死ぬまで。いや彼女が死んでからだって僕は彼女に「一人前の男」として「扱ってくれるよう」印象操作を続けていたと思う。
スイッチ、全てはここから始まる。
僕の共依存症はコントロール、服従して他人の同情を買う(過度に依存的になる)などの形で現れるが、「尊敬させたい」「認めさせたい」「世話させたい」などのメッセージが含まれている。
余暇活動が学業を台無しにした。それくらいの破壊力を、僕の共依存症は持っている。コントロールできない相手がいた。スイッチが入る。他人の感情・行動をコントロールしようという名のもとに行う自己責任(単位に気を配ること、健康に気を配ること、自分の世話をすること)の放棄が始まる。生活が滅茶苦茶になっても、「印象操作」という成果(報酬)が出るまで、それが「自分の生命」という最大の優先事項を脅かしても、続く。
恋愛に関しても似たようなことをしている。僕は臆病だから、相手を好きになるのではなく、相手の印象を操作することの方が忙しかった。食事をおごる。メールをたくさん送りつける。会っていない時間でも、相手の自分への印象操作に忙しい。たぶん、スイッチの入ってしまうような相手には近づかない方がいいのだ。振り返ってもらったところで僕は結局のところ彼女たちと親密になることを望んではいなかったような気がする。望んでいたが怖かったということもあるが。
自然体で付き合える異性には冷たい。 そういう相手には、日ごろの対象者への愚痴をぶちまけている。
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