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私たちの物語 - 嗜癖・依存症・過去ログ No.21
メッセージ数:420件

<420> ('-'*)ネコムライス ■2007年08月08日 水曜日 16時01分38秒
私はマスターベーション依存症だ。ものすごいストレスに合うとどうしてもしてしまう。
マスターベーションしてる時は嫌な事を何もかも忘れられる。と言うか問題から逃げられる。一時的だけど。
だからやった後はやる前より情けない気持ちになる。はっきり言って全然問題の解決にはなってない。
どうやったら真正面から問題と向き合えるんだろう。
今まで一度も問題に立ち向かった事なんてないし。いつも逃げてばかりだった。
でも辛いけどACには立ち向かっていこうと思う。こんな自分になったのもDVを受けたからなんだし。
<419> kk ■2007年08月04日 土曜日 00時11分58秒
愛ってなんなんだろうね。
<418> アーネスト ■2007年08月02日 木曜日 23時32分50秒
やっと問題の尻尾を掴んだという気はしない。僕には他のアディクション(性)の問題もあるし、共依存からの回復が性依存やニコチン依存からの回復につながるという確信もない。共依存が一番、大きな問題なのかというと客観的にはいい切れない。自分には強い否認がまだまだたくさん働いているから。

スイッチを入れないことは、僕だけの力では無理で、MTGに行く必要は感じている。僕の鬱はさまざまな嗜癖の禁断症状だと思っている。まずは薬をもらってきて体勢を立て直したい。
<417> アーネスト ■2007年08月02日 木曜日 05時14分56秒
僕には病的コントロール衝動がある。

僕の共依存のパターンは実に幅広いが、「スイッチ」が入ってしまえばアクティングアウトを防ぐのは難しい。AOを防いでも、気持ちは不安定になり、感情的酩酊に陥る。ちっとも平安じゃなくなる。

もっとも長く続いた、共依存症の対象者はやはり母だったと思う。彼女が死ぬまで。いや彼女が死んでからだって僕は彼女に「一人前の男」として「扱ってくれるよう」印象操作を続けていたと思う。

スイッチ、全てはここから始まる。

僕の共依存症はコントロール、服従して他人の同情を買う(過度に依存的になる)などの形で現れるが、「尊敬させたい」「認めさせたい」「世話させたい」などのメッセージが含まれている。

余暇活動が学業を台無しにした。それくらいの破壊力を、僕の共依存症は持っている。コントロールできない相手がいた。スイッチが入る。他人の感情・行動をコントロールしようという名のもとに行う自己責任(単位に気を配ること、健康に気を配ること、自分の世話をすること)の放棄が始まる。生活が滅茶苦茶になっても、「印象操作」という成果(報酬)が出るまで、それが「自分の生命」という最大の優先事項を脅かしても、続く。

恋愛に関しても似たようなことをしている。僕は臆病だから、相手を好きになるのではなく、相手の印象を操作することの方が忙しかった。食事をおごる。メールをたくさん送りつける。会っていない時間でも、相手の自分への印象操作に忙しい。たぶん、スイッチの入ってしまうような相手には近づかない方がいいのだ。振り返ってもらったところで僕は結局のところ彼女たちと親密になることを望んではいなかったような気がする。望んでいたが怖かったということもあるが。

自然体で付き合える異性には冷たい。
そういう相手には、日ごろの対象者への愚痴をぶちまけている。
<416> アーネスト ■2007年08月02日 木曜日 02時35分28秒
共依存者として回復を続けたい。
これはやっぱり病気なんだ。しかも進行性の。

自分でも信じられないくらい長い間、同じ反応を繰り返してきた。初期のコントロール欲求は母親に「大人扱いさせたい」だったと思う。彼女の私に対する侮蔑の感情を、「敬服」に変えようという欲求だった。子ども心に自然なことだったのかもしれないが、それが反復されると「病的な過剰反応」になることは知らなかった。というか最初は一時の安心感を得るためにお酒を飲むのと同じことだったと思う。彼女を喜ばせたり笑わせたり、助けたりすることで、どうにか侮蔑を敬服に変えたかった。10歳なのに乳児のような赤ちゃん言葉で話しかけられるのをやめさせたかった。一時はとまり、コントロールしたような錯覚に陥ったが、また始まる。だからさらに手の込んだ、強力なコントロールが必要だった。

そういうのは大人になった自分を脅かす存在(敵意を持っている、批難してくる など)に」出会ったとき、反射的に、「好意を持たせよう」というスイッチが入ってしまう。こういうのは仕事などで最悪の結果を招いた。他は? わからない。いや、わからないこともない。反応することで、責任を感じ、自分へのケアを怠ってしまう。MTGに出たいよ。続けて生きたい。
<415> アーネスト ■2007年07月31日 火曜日 22時51分37秒
共依存症者としての自分はどこかに欠陥がある、ガラクタ、ジャンク、2級品と決めてつけている。でも今朝、思った。悲しむ必要はないのかもしれない。僕は本当に一生懸命生きてきた。その結果が病気なのは悲しい。でも一生懸命生きてきた事実は変わらない。今は病気の人生がある。この病気と付き合っていこうと思う。恥じても責めても、罪悪感を感じても病気が雲散霧消するわけじゃない。
<414> アーネスト ■2007年07月29日 日曜日 21時31分59秒
スポーツへののめりこみはいろいろな意味で、僕のロマンス嗜癖を維持してくれたと思う。同性との関係では友情や汗といったドラマの演出になったし、異性にはもてるというドラマ(もてなかったけど)を、作ることができたからだ。実際にもてるとか、友情が深まることには僕は興味がないどころから恐れていたと今は思う。大事なのは自分が演出・脚色した世界の中で自分がスリルと興奮(これはしばしば自己評価が上がったような錯覚を与えてくれた)を味わい続けることだった。ピーターパンコンプレックスかもしれない。御伽の国の世界。

中学のころ、僕は人間関係のアノレキシアだったと思う。高校に入ると、だんだんロマンスに嗜癖するようになっていった。こうおいう人間関係をもって自分はこう立ち振る舞いをして・・・とどんどんと頭の中で空想と妄想とシュミレーションが始まった。いや小学校からそういうことはやっていたか・・・そのころは漫画やアニメの世界に没頭していた。勇気、正義感、そういったものに引かれていった。 一種のポルノグラフィと言えなくもない。僕がポルノのなかに偽りの親密性を見出したように、僕は青春ドラマや冒険アニメ・漫画、映画、ポピュラーソングの中に、偽りの友情や愛情、人間関係を見出した。もちろん現実の人間関係は自分に快楽を与えてくれるポルノではないから、幻滅しったが・・・。
<413> アーネスト ■2007年07月29日 日曜日 21時22分26秒
人間関係アノレキシア、ロマンス嗜癖・・・僕のなかでは表面的には違った症状だけどどちらも同じだと思う。初めてのそこつき(対象物との絶縁)のあと、やたらに体の関係を求めるようになった。そこつき以前の僕は性的アノレキシアだったと自覚している。ある意味、僕にとってセックスは僕のロマンスをぶち壊してしまうものだった(もちろん性欲はあったが)。同性にしろ異性にしろ自分の頭のなかだけに存在するロマンスに嗜癖していた。友情や愛情。それから恋愛に関してはことさら追いかけるときに興奮した。実際に付き合ったり、あるいはデートの回数を重ねると怖くなった。愛されるという確信がなかったから。「なぜこの人はまだ自分とデートを続けるのか?」という疑問と恐れと不信。男性版シンデレラコンプレックスみたいなものだと思う。自分を磨くとか、そういうことに没頭していく。僕のエクササイズ嗜癖もこれと無関係ではないと思う。
<412> アーネスト ■2007年07月29日 日曜日 21時14分14秒
人間関係だけどあえてこっちに書く。共依存についての本を読んだ。

酒と違うから対処や定義、回復の仕方も違うだろう。でも僕はこれをもう依存症をして扱いたい。僕の家には酒瓶が2本ある。○○と父だ。僕はこの酒(人間)を飲まない(関わらない)ようにして懸命に努力してきたがだめだった。反射的に飲んでしまった(関わってしまった)ときには、決まって後悔がやってきた。そして「もう二度と飲まないぞ(関わらないぞ)」と固く決意してもだめだった。酒と違って肝硬変や糖尿病の恐れがないという危機感のなさもあると思う。でも依存しつづけることで僕の生活は確かにどうにもならなくなってきている。

いったい、いつごろから僕の共依存症は始まったのだろう? いつごろから兄や父が僕にとっての「酒(気晴らし、不安の払拭)」になったのだろう???

父には、もう変わってほしいとも愛してほしいとも思わない。それでも経済的な依存を続けている。彼にATMの役割を与え金銭というものを介してつながっている。○○への共依存は少し違う。○○に過剰に反応する。音、しぐさ・・。

依存の根っこのひとつは「僕が悪かった」という正当化だと思う。親の仲が悪いのも○○が僕を殴るのも僕が悪い。彼らの不仲や殴打という行動上の責任は自分にあると・・・。本を読みながらそれはとてもばかげた考えだと思った。なぜ彼らの不仲や殴打の行動を僕が取るのか?奪うのか? 彼らの仲が悪かったのは彼ら2人に責任があったからだ。○○が僕を殴ったのは彼という行動主体の責任だ。「殴られるのは自分のせい」という把握のしかた自体に大きな認知のひずみがあると思う。受動態じゃない。それでも僕は「責任」という言葉yた実際の意味がまだまだわかっていない。今は少しはわかっているけど、母のレイジーホリック(無責任で破壊的な怒りの噴出やあてつけ)や、怒りのアクティングアウト(行動化)の責任は彼女という行動主体にあった。何も怒られたことのすべては彼女のせいというつもりはない。

とにかく話を戻そう。ざっとリストアップしただけで20人以上はいる。僕の酒(共依存症の対象)が。今は父と○○だ(あくまでメインだが)。

僕の共依存症はいろいろな形をとって顕在化したり潜在化したカモフラージュされてきた。だからいつごろ始まったかということを特定するのは難しい。極論を言えば、生まれたときからということになるだろうがそれでは解決にならない。

共依存が失敗するとタバコや酒、食べ物への物質嗜癖(摂取嗜癖)に転化したり、うつ病になったりした。アル中が断酒に成功(あるいは失敗)して薬物依存になったのと本質的にはあまり変わらないような気がする。あるいは性依存にもなった。空想癖もしかり。でも素面に取り組まないとならないのはやはり共依存だと思う。もう問題に気づいてから3年になって、やっと・・・という感もあるが、とにかく今は体勢を立て直したい。

初めて「鬱」を感じたのは母の死後だったと思う。あるいは危篤状態のとき。本格的に鬱が発症したのはある対処物との縁が切れた(と感じた)とき。そこからいわゆる自己評価の低さが露呈し始めた。自己評価が落ちたとは今は思っていない。やっぱりもともと低かったんだと思う。

そうやって人→鬱→アルコール→読書→セックス→セックス→借金→仕事と依存対象を変えてきただけだった。おおまかすぎるけど。
<411> koara ■2007年07月25日 水曜日 16時19分14秒
今のうち、
鎖が鋼鉄になってしまわないうちに。
あたしの、依存に別れる。
そのために、もう、隠さない。
あたしは、自分をたいせつにするんだ。
<410> kk ■2007年07月18日 水曜日 23時25分01秒
あごの付け根がまだ痛む。
あの人に首を絞められた痕はとっくに消えたのに。
なぜかときどき・・あのときのことを思い出させるように痛む。
身体の痛みなのか、心の痛みなのかはよくわからない。判別できない。
思い出すのは、あのとき、私の首を絞めたときの、あの人の顔だ。
あの表情だ。あの目だ。
痛みとともに脳裏に浮かぶ。
きっと、あの人が殺したかったのは、憎んだのは、私のインナーチャイルドだ。
インナーチャイルドを誰が愛するだろう。
誰が受け入れるだろう。
自分以外の人間が・・・・・。
<409> アーネスト ■2007年07月03日 火曜日 01時41分24秒
「合法」だからと吸い続けるタバコ。過剰に摂取してるカフェイン。
まだまだアディクションを正当化してる。
<408> velvet ■2007年06月27日 水曜日 15時04分35秒
昔大好きだった人にメールしてしまった。
向こうにとっては迷惑だろうに、それをせずにはいられなかった。
返事をずっと待ってて、眠れなくて。私は何をしてるんだろう…
一番の願いは、この思いを断ち切りたい。
もし今、お互いが独身で、好き同士だとしても、上手くいかないのはわかっている。
一緒にいたころは責任なんてなくて、ただ楽しかったけど、期限付きだったから愛し合えたのもわかってる。
今も十分幸せじゃないか。こんな思い早く手放してしまいたい。他にもっと大事なことがあるのに。それからも逃げてる。
最後のきれいな別れを台無しにしてしまった。
台無しにしたかったのか?自分がわからない。。。
こうしてる間も意識の一部は携帯に行ってる。バカみたいだ。
<407> とら ■2007年06月26日 火曜日 22時23分52秒
恋愛依存や共依存や宗教依存について思うこと

 自分は小さなころ、母親の愛情を受けていない。だから、以前付き合っていた女性に依存したかったと思う。その当時は母親のような女性に憧れていた。
無条件な愛を受けたかったし、認められたかった。自尊心が低く、自分自身を愛することができなかった。ある人は俺のことを何も問題がなく、愛情いっぱいの両親に育てられたと思う。でもね、そうなったの最近のことで、俺は自分の感じていることを率直に両親に伝えた結果なんだ。両親とはけんかになった。でも、何回か交渉するうちに両親のほうが折れたんだ。謝ったし、あるクリニックの親の治療グループに繋がって勉強したよ。

 話がそれたので、元に戻す。こうして、とある女性から、共依存と愛の混じった助けを受け、俺のインナーチャイルドは成長した。たぶん3歳から15歳になったと思う。もうそうなると、助けが要らなくなり、逆に彼女の世話をした。父に話すと笑いながら「男は女を抱くたびに成長する」と言ってくれた。
本当にそうだと思う。この彼女はN巳ちゃんというのだが、実にクールな女性で、いつも淡々としていた。彼女もACについて勉強していたので、お互いに
境界線については意識していた。でも、うまくいかないことが多かった。お互いに宗教で身についてしまった強力な共依存感覚があって、この感覚が取れなかったんだ。この感覚を愛と教え込まれていたし、刷り込みがきつかった。

 結局のところ、まともな感覚に戻ったと感じたのは、この彼女ときちんと別れたときだった。それまでは忍耐してつきあったいた。別れてからはすごく気持ちが軽くなり、自分を取り戻したと感じた。すごく辛かった。きっと本当の恋愛って楽なんだろうな。現在の彼女との関係はものすごく楽です。互いに境界線がはっきりしています。あちらが共依存について不快に感じるらしく、俺はすぐにそれを直しています。彼女はまだ入院中のためめったに会えませんが、その間に自分は自分の回復の詰めをやっています。もう、彼女の依存していません。むしろ、彼女がやんわりと甘えるそんな関係です。心地いいです。
<406> 葉 ■2007年06月24日 日曜日 23時37分53秒
興味ないのに続けてる
興味あるけど、それをするとパワーゲームにはまる傾向がある
むしろパワーゲームを降りれなくて固執してる
本当は好きな部分もある
でもそれは自分の自己顕示欲をみたしたいだけ
それもまたありだけど
でもその自己顕示欲事態が満たされない部分をすり替えによってごまかしてるのではないかと思うようになって
でもなんだかそれは負けてしまったことへの言い訳のような気がして
それもまたパワーゲームで
堂々巡りだけど
結局趣味で好きでやってると思ったことが、もしかしたら嗜癖と依存なんではないかと思うようになってきた
これもまた逃げることへの言い訳じゃないかと自分を責めてみたりしつつ
分からないけど
それを止めるのが怖い
すごい虚無感が襲ってくるんじゃないかと怖い
もうこの時点で趣味とか好きとかじゃない気がする
○○さえあれば楽しくなる!と信じてるのも、また意志の力への信仰に近いように感じる
むしろそれそのもの
でも完全に止めるのが怖い
負けたままのような気持ちで終わるのも悔しい
止めるんではなくて、逃げるように感じるのも辛い
<405> とら ■2007年06月17日 日曜日 18時38分18秒
俺のシヘキは共依存だと思う。だいぶ回復した思うが、過度のストレスがかかるとまたなる気がする。そのときは自分自身がなくなる感じがするし、うその自分で生きている気がする。社会生活をする上では、いつも本当の自分(本音)で生きることはパートタイムでしかできない。仕事柄、人と接し、PCを教えることは共依存になりやすい。元気なときはいつも自分の本音を感じてそれでいろんなことを判断できるのだが、疲れきっていると、相手の言うままになってしまう。相手のいうことも一理ある場合、それを選ぶこともあるんだ。
 これって共依存かな?

 タバコをやめる努力をしているが、挫折する。何回やめようと思ったか。これって依存症かな?ともかく、感じるままに書きました。
<404> アーネスト ■2007年06月03日 日曜日 06時02分34秒
僕の部屋のドア(内側)にはエッチング(銅版画)の銅版が張ってあった(一週間前にはがした)。銅版画の絵にはナポレオンの酒瓶が描いてあった。僕が13年前に描いたものだった。4年前に、怒って部屋の木製のドアを拳で殴ったら、木がバリバリと割れて、中の空洞の部分が露出した。それを銅版画で隠した。

僕はアル中ではないが、あの銅版画を見たときいろんなことが頭をよぎってぞっとした。自分の暴力性と、それを否認すること。自分が叩き割ったドアの木と、亀裂を隠すために張った酒瓶の絵。去年、起こしてしまった交通事故と、それを否認すること。そういった自分の過失と、過失の否認・・・それをあの銅版画が象徴しているような気がして・・・しかも僕はその絵を中学生の頃に描き、MTGに繋がる前に、ドアを壊して絵を張った。まるでずっと前から神が自分の問題を暗示しているような気がして神の存在が恐ろしくなった。
<403> koara ■2007年05月22日 火曜日 12時30分56秒
どーしよーもない孤独と焦燥があって、スリカエに飲みたくなる。気分が良くなって安心して、、、。のはずだけど。気分悪。、、、他に私自身を開放して、楽しくなる事をみつけたいの。
 あたしは、赤ん坊の時、手のかからない子だったと母から言われた。それは、良いことだと思ってた。指しゃぶりは、物心つく前からだった。
小1の頃まで続いてた。
 夜いつも、酒を飲んで、母に暴力を振るう父の怒鳴り声に上の二人の姉たちと廊下の隅から震えながら耐えてた。
 母を助けたい一心で、泥酔してからむ父に、抗議した。小学生だったけど、
父に殺される覚悟で、叫んだ。声がうまく出ない、泣きながら、睨みつける父に叫んだ。当然でかい平手が飛んでくる。
 子供が、親に意見なんか、さからいやがって。
一番ちびのあたしを守ろうと、そこからは、姉たちが身代わり、母が、叫んで、とにかくみんなで暴れる父から、家から裸足のまま逃げ出す。
 父の怒鳴り声とガラスのわれる音が聞こえてくる。
ああ、子供のとき、毎日危なかったんだ。
 酒を飲んで暴れる父を恨んでた。
 酒飲みが嫌いだった。最低。
<402> 瀬名 ■2007年05月01日 火曜日 12時17分33秒
金が無いのに服が欲しい。靴もアクセも。
買ったのに着てないのがまああるね。カードで買ったし、サイズもでかかったから依存症ではない??

サイズ合ってるのは着てるし、履いてるしっテ感じで・・・。
でもなんか買う前はスゲーテンション高いのに、手にしたら一瞬で冷める。
金が欲しい。
<401> さなえ ■2007年03月26日 月曜日 00時05分59秒
そうだ体を売ってる時は単純さに安心した。それに体だけでも私を可愛がってくれ肩書きなど細かいことは聞かれない。お金までくれる。酷い人もいるが優しい人もいて続けて何回か会った。私には普通の恋愛などできそうにない 心からは愛してはくれないだろう、「普通の」男性は。

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This script written by Shintaro Wakayama.