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私たちの物語 - 嗜癖・依存症・過去ログ No.2
メッセージ数:40件

<40> attractive ■2003年11月24日 月曜日 12時40分46秒
突然恐くなって大泣きした。
彼がふざけて私をソファの隙間に突き落とした。
一瞬は彼同様に楽しんでいたのに、彼がクッションを顔に押し付けてくると、
言いようもないほどの恐怖が私を襲ってきた。

苦しい 息が出来ない 暗い 狭い 恐い 助けて欲しい いいたい事が口から出てこない 何度叫んでも助けてもらえない・・・ そんなことわかってる。今までだってそうだった。お願いしたって、駄目っていわれたら絶対駄目。どんなに頼んだってかなわない。私は我慢するのみ。でも、私は苦しい!助けて欲しい。私は泣き叫ぶ。だってそうしてたらもしかして、私の事がかわいそうになって抱っこしてもらえるかも知れないから・・・。

すっかり4歳の女の子に逆戻り。
時々あるの。でも、彼といる時だけ。
あの時の感情がよみがえってくる。
愛されようと必死だった子どものころ。

私はもう大人。欲求を口に出して言えるよ、そしてその通りにことが運ぶ事もあるよ。いやな事はいやなんだ。私がそういったからと言って、彼は私を嫌いにならないよ。
「自分が心地よい状態でいること」、これってなんだか照れくさくて、悪いような気がしていた。でも、それって自然なことなんだね。彼が言ってた。



<39> MARU ■2003年11月22日 土曜日 21時54分56秒
あ、もしかして、私、ワーカホリックだったのか?

次々、職を転々として、各職場で、初めはやたら張り切って、いつしか疲れ果てて、辞めちゃう。

自然体でいられない。
仕事に自分を捧げないといけないような、いつの間にか、そんな風にしか働けない。
だから、働く事が、いつもしんどい。

仕事してる私っていう姿が欲しかっただけなのか?
仕事をしたいんじゃなくて。

それで、今、こんなに、仕事に就くのが怖いのか?
もう嫌だ、こんなの、って、自分が悲鳴を上げて、仕事に就くのを拒否してる事だけが、今、分かってる。

何か事が起きた時や、イライラした時には、いつもそうするように、今も、また懐かしい過食に頼って、生き延びてる。
また太っちゃうけど。これは、仕方ないや。
<38> まんまる ■2003年11月18日 火曜日 05時57分59秒
共依存から随分と抜けてきたと思ったんだけれど、
奥が深いと言うか、まだまだ・・・だった。
相手にさせていると言う感覚・させていることに対して感じる罪悪感。
久しぶりの罪悪感は、感じるのがおっかない。
やっぱり「親」と一緒で、離れた方が良いのかな。
苦しくなってきた。
<37> 波 ■2003年11月17日 月曜日 07時42分36秒
寂しい。
わたしの「抱きつきたい病」は治らない。
あーあ、また夫は出張。
ヨーロッパは暗くて寒いんだろうなあ・・・
でも、わたしの心の方が暗くて寒いんだよ。
誰か・・・ぎゅっと抱きしめて。
赤ちゃんを抱くように何の駆け引きもなく、ぎゅっと。
寂しいんだもん。
<36> まんまる ■2003年11月17日 月曜日 04時10分15秒
人を何とかしよう、しなければという動きが大分抜けてきたと思うんだけれど、
ならこれから自分はどうする? と言うのが分からない。
何にもしたくないなぁ。
自分のためにして見たらいいんだろうか・・。
自分のため・・。
切り替えが難しいよ。
むかうものが無いと一人っきりなんて淋しいよ。
<35> およよ ■2003年11月15日 土曜日 17時39分06秒
認めたくないよ。私は、依存症だ。男の人に依存するんだ。夫と別れると思うと、次の人を探している。無意識に、意識的に、私は一人では、生きていけないと思っている。何故だ?一人になるのが、死ぬほどに怖い。誰かにしがみつきたい。苦しい。でも、これを直さないと、また夫のような人にしがみつく事に成り、私の人生は、無残になる。こんなに死ぬほど苦しめられるよりも、一人の方が誰だけ良いか。理性的に考えれば分かるのに、感情が付いていかない。これが、恋愛依存なの?これは、厄介だよ。苦しいけれど、自分を変えます。だから、二度とこんな人に捕まらないようにする。どうしたら、良いの誰教えて、でも、この話題について、人と話すのも、疲れるのだ。まだ、心は開かれていない。まだ、傷が治っていない。ため息がでます。
<34> 波 ■2003年11月04日 火曜日 16時15分26秒
いつもこの掲示板を読んでいらっしゃる方は「またか」と、お思いでしょう、すみません。私の独り言です。

診察に行くとどうしても先生に「抱きつきたく」なる。それだけでなく途中の
駅や人ごみでも”優しそうな人”をみつけると、こちらから近寄って
「抱いて」と言いそうでこわい、まだ実行に移したことはないけど。

そしてクリニックの帰りは「買い物」、今日はスカート3枚、
セーター1枚、小さいオルゴールひとつ、イヤリング一組、合計約6万円、
クレジットで買った。だって、お店の人がニコニコして「いかがですか?」
なんて言うと買わなくちゃ悪い、お金あるし、と思ってしまう。
今月はいくら無駄遣いをすることになるのかな、は〜っ。

この二つの「しへき」どうしたらいいんだろう。アルコール依存と同じ
なら、まず自分の力ではどうにもならない、と認めてハイヤーパワーに
お任せするのか・・・頭ではわかっているんだけどなあ・・・

自助グループにも繋がっているので、「なんとかしたい」と思っている
自分を大切にして回復の道を行きたい。
<33> L ■2003年11月01日 土曜日 23時59分43秒
外出して、その日の用事が終わって帰ろうというときに、まっすぐ帰れることが少ない。用もないのにコンビニに入ってしまうとか、わざわざ行く訳じゃないんだけれど、もし本屋を見つけると、つい、ふらっと入ってしまう。バスが来るまでの時間潰しでも、じっと立ってればいいのに、ふらふらしてしまう。
勿論、目的があるときもある。あれを買わなくっちゃとか。でも大抵はそうではない。コンビニは相対的に「誘惑」が少ない。だが私の場合、本屋が危ない。店に入ってから、お気に入りのジャンルの書棚を、一応一通りはチェックする。すると、どういう訳かほとんどの場合に、「これ良さそう」という本がある。
そんなに本ばかり読まなくても、生活には特に支障ないと思うんだけれど、「欲しい」と思った瞬間、そういう分別がどこかに消えてしまう。そして、棚から本を出す。中をパラパラ見る。「違うなあ」と感じて、元に戻すものもある。でも、戻さないものもある。そのまま手に取って、次のお目当てのジャンルに向かう。
それを繰り返していると、何冊か欲しいものがたまってしまう。勿論、経済的には限界があるから、何冊もの本を抱えて再考することになる。これはなかなか時間を要する作業だ。うろうろしながら、ある本を元に返したり、また取り出したり、時にはその場に座り込んで、内容をじっくり確認する。
その結果、結局は一冊も買わずに、てぶらで店を出ることもある。でも、何か買ってしまうことも多い。家に帰るのが待ち遠しく、バスの中で(暗いのに)無理に文字を追う。席に座れないときには、家に帰ったらすぐに読もうと思う。
でも、この頃気づいたのだが、本を買っても、それを全部読んでいるわけではないのだ。何冊かはすぐに読む。だが、何冊かはそのまま本棚に向かう。少しずつだが後者の本が多くなりつつある。供給過剰というか、読書量が追いつかない。
私が気になるのは、本を抱えてレジに並ぶ時の「快感」だ。
本好きならば、そう言う快感も当たり前なのかもしれないが、自分の場合はそういう割に「お蔵入り」が増えているのが、変な気分だ。
私は服やアクセサリーや小物など、そういうものにはあまり興味がなくて、必要を感じない限り、そういうものを買いに出ることはない。街に出ても、そういう類のものにはあまり目がいかない。色気がないと言われるもの仕方ないか。それに、幸い、カードで買い物ができるほど金持ちでもないから、それで破綻する心配もない。でも、本は別だ。本は(フツウ)何万円もしないし、私が読むのはそんなに貴重で高価なものでもないが、どうも必要以上に買っている気がする。たまに思い切って一度に沢山買うと、まるで脳内モルヒネがどっとあふれ出すような(どうな気分が知らないが)感じになる。
「おいおい。頼むから、せめて買ったものは全部読んでくれ。
今あるものが読めないうちは、新しいのは買わないでおこう」
そう思うのだけど、あんまり自信がない。
とりあえず、できるかどうか試してみよう。
そのためにここに書き込ませて頂きました。
<32> 波 ■2003年10月28日 火曜日 19時10分01秒
もう、いつもいつも同じこと。
きょうは診察に行ってきた、先生の顔を見ると「抱きつきたくなる」。
先生はそれを感じてサッと身をかわそうとする。
それを見て私は「逃げないでください、この間みたいに抱きついたり
しないから、心配しないでください」と、心と正反対のことを言ってしまう。

でも、それでいいんだと思う。
そうしないといつまでも治療者に依存する私を、しっかりした私にする事が
できなくなるから。

こうして文字にすると、なんてバカな私!と思う。
治療者に依存、辛いなあ・・・
<31> およよ ■2003年10月24日 金曜日 08時25分24秒
認めたくないくらいショックだった。私は、空想と現実の区別が付かないらしい。これまで何度も、奇妙な行動をした。自分も周囲の人も引いた。明らかにおかしい。子供のことが心配だと、悪い事を想像してしまいそれが、現実と区別が付かないらしい。好意を抱いた人と、仲良くなる空想をすると、それが現実になる。もっと、気をつけて、考えれば多くのことが、区別がつかなくなっているだろう。大抵は、愛情関係に関することが、多い。私は、現実が耐えられなくなると、空想に逃げることは、幼いときからの習慣だ。それがあったから精神的に生き延びてきた。しかし、いつの間にか、それが悪化していたのだ。私は、現実の認識も出来ない事に、最近気がついていたが、これと空想癖が、重なってこういう結果になったのだろう。自分では、気が付かないがあまりに厳しい現実に、私の精神がもう、限界だと悲鳴を上げていたのだろう。空を見ると、空に自分が吸い込まれていってしまう。体中でその感覚を楽しむ。それは、私にとって、味わった事のない母のぬくもりと、優しさを連想させる。その自然の与えるエネルギーのようなものを、私は糧として、生きていく。慣れ親しんだ世界だ。これで生き延びてきた事は、確かだが・・。人間関係になると、話は別だ。きっと、誰かに愛されたくて、たまらないんだろう。淋しくて、たまらないんだろう。愛情を与えるべき人である、両親、夫からの虐待の人生。これが、私の感覚をおかしくしたのだろう。自分の悲しい境遇を受け入れる事に、よって、きっとこの感覚は、なくなるのかもしれない。自分のために、涙を流そう。たくさん泣いて、泣いて、自分を悲しもう。そこから、立ち上がろう。きっと、現実を直視できれば、空想癖はなくなるかもしれない。私は、ずいぶん傷ついている。
<30> 波 ■2003年10月23日 木曜日 07時49分35秒
買い物依存。

クレジットカードで毎月20〜30万円の買い物をしている。
洋服、アクセサリー、どれもブランド物というわけでもないのに
これくらいの金額にはなってしまう。夫は家の貯金がいくらあるか
知らないし、クレジットの請求書を見たことがない。買ってきても
着ていない服がほとんどで夏服もそのまましまってしまった。

主治医は「借金するようになったら困るよ」と言って依存症の本を
貸してくれた、読んだ。自分が本当に欲しているものが見つからないから
依存に走るらしい。夫の稼ぎは良いし、これくらい使っても
家計にひびかないのがいけないんだ。早くバレて叱ってくれないかなあ。
<29> L ■2003年10月21日 火曜日 02時20分37秒
依存症。このごと自分に感じるのは、ネット依存。投稿依存。
自分のことを書き込むと、誰か知っている人が読むんじゃないか、と、ちょっと怖い(実際、知っている人もこのサイトにはいるんだけど)。自分のかぶっている仮面がはがれると思うのは、とても怖い。
でも、どこかでその行為にはまってるのかな、と思う。
なるほど、「自助グループ依存」って言う言葉もあるくらいだし、何にでも病的依存はできるということかな。
でも、私にとって、自分の正直な姿を出すのは、大切なことだ。
正直になると、その分、どこか癒される気がする。
だけどもし、苦しさにフタをするためにPCに向かってるなら、私としては困る。少なくとも私は、そうしたくないと思ってるから。
ううんと・・・。なかなかその区別がつかない。

もう一つの依存症「かな?」は、人との関わりを「夢想」すること。
勿論、辛いことはイヤだから、小説のようなこと、楽しいことを想像の世界で作り上げていく。その世界は、ときどき少しロマンチックになる。そして、ときどき自分が理想の自分みたいになる。現実には絶対に言えないようなことを言ってるもの。しっかりしていて、おどおどしなくて、いつも前向きで、「私はだめだ」なんて思わない私・・・。
空想の世界が続くと、どこまでが現実でどこから空想かわからなくなる・・・なんて書いたら、これは精神病の領域に入るのかな。ちょっと危ないな。
空想と現実は、幸いにも私の中で「まだ」?分かれている。
でも、あまり空想が生き生きしてくると、時々、「一体、私は誰と付き合っているの?」ということになってくる。
だって、現実の体験よりも、想像の中での体験の方が大きくなってしまったら、もうそれは、生きているその人との関係じゃなくなってしまう。私も私でなくなる。いのちのない世界だ。喋る冷蔵庫(「ドアが開いています」)とか喋る自動販売機みたいで、気持ち悪い。

ある本に、私のようなタイプの人間は、往々にして想像の中で人間関係を作って、延々とリハーサルしたりするが、それよりも大切なのは、現実に相手と接することで、実際に関わって相手を知り、自分を知らせなければならない云々・・・と書いてあった。
たぶん、そうだろうな。そう最初に思ってからもう10云年だけど、でも、近づきたいのに怖くて近づけない相手に対しては、まだ、どうしても想像の方が楽で、そっちに逃げてしまうみたいだ。
いやだなあ。
怖くても、相手に自分を少しずつ表現していくしかないのかな。
なんでもかんでも言わなくても良いから。

ただ、気になるのは、私が「近づきたいけれど・・・」という相手は、本当に(私にとって)近づくに値する相手なんだろうか?近づくことに意味のある相手なんだろうか?
もし、相手が現実にはあり得ないほど優しいキャラクターで空想に出てきたら、やっぱ何か変なんだろうと思う。そんなこと空想してても時間の無駄だよ。
現実の相手、現実の自分の「延長上」くらいなら、そういう子供っぽい夢想も、まあ自分に許すけれど。(でも、思春期みたいで気恥ずかしいな)
ううむ。やはりちょっと怪しい。
<28> WINNIE ■2003年10月16日 木曜日 03時25分10秒
もっと、もっと、もっと!さらにもっと!
でも、どこまで行っても、満たしてくれるところには行き着かない。

なんで、代償ばかりに目が向いて、本当に必要な作業に身が入らないのだろう。
そういうのは、なぜか、めんどくさくなっちゃうんだね。
<27> およよ ■2003年10月13日 月曜日 08時19分40秒
何かに没頭していないと、落ち着かない。いつも、誰かが私の後ろから、「早くしろ、急げ、怠けるな」と急き立てる。楽しい時間を過ごしていると、後から、罪悪感が勝手に襲ってくる。だから、私の生活、ばらばら。掃除をすると時は、ずーとそれしか出来ない。料理も、買い物、子育て、自分の勉強・・・何でも、それだけしか出来ないんだよね。だから家族に迷惑かけてる。ごめんね。でも、時間の感覚もおかしいのよ・・・毎日、一日の時間が感覚的に違うんだよね。少しの時間でも、すごーく長く感じることもあれば、長ーい時間のはずなのに、ほんの5分にしか思えないこともある。朝も昼も夜の違いも、なんだか変。こんな私は、まったく他の人と違う世界に住んでいるような感じがして仕方ない。何なの、こんな私って?何かに、気を紛らわせないと生きていけないくらいに、苦しかったのかな?そして、今でも、生きていくのって、本当は、すごく苦しいのかな?せめて、時間の感覚だけでも、普通になりたい。
自分の中から、勝手に湧き上がってくる変なエネルギーに振り回される。この私を駆り立てる≪モノ≫は何なんだ?そのものから、逃げ出したい。
<26> シャローナ ■2003年10月09日 木曜日 00時18分06秒
食べていないと落ち着かない
かといって摂食障害とはちょっと違うみたい

家にいて夕飯が終わり、寝るまでの間
ちょっとでもおなかが空けば何かを食べている

イライラしている
何かの気持ちや感じを避けるために
飲み込んでいるようでもある
食べ物を口にしたときの一瞬の味とか
飲み込んだときの一瞬ののど越しの
快感が欲しくてやっているようでもある

そのせいで太ることはなく見た目には問題には見えない
でも次の日は当然胃はもたれて朝食なんか食べられない
朝起きられないことにも何かつながっているようだ

<25> WINNIE ■2003年10月07日 火曜日 15時42分00秒
親に甘えようとしても、なかなか甘えられなくて、失望と欲求不満を押し殺してきたところがある。

20歳〜20代前半ばぐらいまでの間に、自分の欲求が他の人に向く時、それが根の深い、恐ろしく強いものだと気付き、恥ずかしくなり戸惑った。それが異性に向く時には、こんな親を求めるような感情を抱くのは、何かいけないことのように思い、これも押し殺してしまった。

けれども、その押し殺す前の、恋愛感情を感じていた時の説明をしたら、カウンセラーさんは、そういう思いを体験できて良かったですね、と言っていた。そういうことを言われるとは、思ってもいなかったので、しばらくそのセリフを自分の中で反芻していた。

親を求める心、強い依存心、そういったものも、回復の道しるべとなる問題の表面化だと思う。

強い依存は、いろいろとまずいこともある。でも、何かに依存したくなる自分の心は、大切にしたいと思う。そのうちもっと年を取って、何もかもあきらめて、失望が絶望にならないように。
<24> およよ ■2003年10月05日 日曜日 22時47分55秒
自分が夫に共依存しているなんて、思っても見なかった。しかし、アルコール中毒のサイトを読んでいたら(夫は嗜癖ない)、家族が依存者を支配する方法が、自分にぴったりだった。それで、夫が色々と失敗をするときに助けたいとか、自分がしないと誰がするみたいな高慢さが夫を傷つけていた事も、気がついた。

事の後始末を私がする、貴方のココが失敗の原因よと攻める(自分では、アドバイスのつもり)、自分が夫の代わりに苦しんで、一人で空回りして、先先に事を進める。その結果、私は疲れ果て、ウツになり相手を憎む。その繰り返しを何度もする。結婚以来、そればかりだったんだ・・・。

しかし、有る日、気がついた。
「夫にも失敗をさせて、学ばせる機会を与えない私がいけないんじゃないのか?」「彼を信じて、彼にすべてを任せたらいいかも、きっと彼は、自分で事を解決できるはず」その通り、夫は立派に失敗し、立派に事を収めた。「出来るんだよね。私が悪かったんだ。」とその時に気がついた。

夫は、ココ何年かで、成長してくれた。とても苦しんでいた時期も会ったが、それが、彼には必要だったし、私の平安のためにも必要だった。私の高慢さと、彼への信頼感のなさが、こんなに長い間、二人を傷つけてきたんだ。
私は、夫にすまないと思った。やっと、自分の欠点に気がついた。夫も変わった。

今度は、長男だ。私が夫と同じように接してきたから、彼も私に頼ってばかり・・・でも、自分の欠点に気がついてからは、彼に自分の事を決定して、考えて、失敗をしてもらうことにした。彼も成長した。私の知らない秘密も持つようになった。親として、少し安心した。

共依存をしていると、相手も私に頼ってきて、何でも私に押し付けてくる。
こんな家族では、いけない。私は、私のことだけをすればいい。夫は、夫の仕事をしてくれたらいい。何があっても、自分から進んで、夫の事に手を出す事は、しない。

私は、本当に自分と他の人との境界線が、わかっていない状態で、これまで過ごしてきたんだ。きっと、もっと境界線が解かっていない部分があると思う。それを見つけ出そう。きっと、見つかる。だから、失敗を恐れずに、色々な人と関わっていこう。トラブルが起きたら、チャンスだ。その時、自分の欠点が表面に浮き出てくるだろう。失敗から学ぶ事、これが大切なんだね。やっと、気がついた。
<23> 波 ■2003年09月25日 木曜日 20時15分42秒
先生ありがとうございます。きょう診察の後で「ハグして下さい」ってお願いした時「ダメダメ」って明るく断ってくださってありがとうございます。
治療者に依存している私を、少し離れたところから見ることが出来ました。
自分の力で回復の道を歩まなければ、と思っています。もし、また甘えたら
今日のように感じよく断ってくださいね。
<22> SUN ■2003年09月06日 土曜日 19時39分16秒
No.21のMです。名前をSUNに変えます。
他の過去ログを見ていて以前にMという方がいらしゃることに気付きました。掲示板は全く初めてなので変えたほうがよいのかよく分かりませんでしたが、一応SUNに変えます。これからもよろしくお願いします。
<21> M ■2003年09月06日 土曜日 12時10分24秒
私は両親に聞くと全く手のかからなかった子供だったらしい。私の家は共働きで家事をするのは私の役割だった。私は家で母親役をしてきた。大学進学の際に家を出て独り暮しを始めた。そこで初めて彼氏が出来、初めて甘えられる存在が出来た。私は彼に愛してもらうことしか要求できなかった。彼を愛すると言うことが出来なかった。ただ愛してほしいだけだった。彼に私の親のようになって愛して欲しかった。彼は私と居ることに疲れてしまった。彼が私と別れようとしたとき、私は親を奪われるような気持ちになった。私は彼がいないと生きていけないくらい依存してしまった。でも彼は私から離れた。私は独りで居ることに耐えられなかった。実家に戻り心療内科に通いだした。私は何の病気かずっと最近まで分からなかった。最近アダルトチルドレン(AC)であることを自覚した。私は今、家でまた母の手助けをしている。
母に「母さんが猫を抱いているのを見ると猫がうらやましくなる」と言った。母は「今さらあなたを抱くことは出来ないでしょ」と言った。子供が愛して欲しいと言っているのに、それは出来ないといった。
私は無償の愛が欲しい。でも恋人関係を作るとまた私が依存してしまい、自滅するだけだと思っているので、それは怖くて出来ない。
自分の中の子供を愛してあげたい。まだ出会えていない。
私は両親ともにACである可能性があると思っている。両親ともそのことを否定する。
私は幼い時母親役をした家族の中で、今また母親役を担ってしまっている。
私にとってこのままこの家にいるのは安全なのか。今安全な場所を求めている。
今の心療内科の先生は私をちゃんと導いてくれる治療者なのか。治療者との依存関係に陥るのは嫌だ。
どこに私の安全な場所は存在するのだろう。
自分で探し出すしかないけど。

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This script written by Shintaro Wakayama.