<フラッシュバックの恐れがあります>
ずっと寂しかったです。10歳くらいから。そのころにランナーズハイを覚えました。僕は剣道をやっていた時、準備運動で2、30分(その頃のボクにはものすごく長い時間です)走りこみました。長距離を走るというのは、感覚を鈍磨させる作業に似ているような気がします。ずっと黙々と長い距離を走っていると、雑念が消えていくのです。家のことや、人間関係・・・・ただただ走るのです。耽溺というのかな。10代で体が疲れることなど知らないから、延々と走りました。中学くらいから、そういう鈍磨のくせがつきました。なんというか、走っている時は、人前でも緊張しないのです。脳内麻薬が出る感じかな・・・・。外周を走っているとき、胸焼けみたいなものがして、気持ち悪くなることもあったけど、無理して走ってました。ぜぇはぁ言っているチームメートを見ると気分がいいものでした。そうやってだんだんと高慢な人間になっていったのだと思います。その頃は、煙草と無縁の人間でした。ただたまに練習から帰ってくると牛乳を1リットル開けてしまったり、ヨーグルトを1箱開けたりと、以上な飲食をしていました。今にして思えば。何か、無性に、寂しくなるのです。淡々とした寂しさではなく、すぐに埋めてしまわないと、身に危険が及ぶような、特殊な寂しさでした。
受験の頃は自傷っぽいこともしていました。少し大袈裟だけど。ねむくなったり、弱気になった時、前腕をシャーペンを芯を引っ込めた状態で、プツプツと指しました。軽く皮が破けて・・・・クビのあたりも良く刺しました。頭に水をかぶることもありました。感情とは違いますが、昔から、感じないように感じないようにする癖があります。今はできません。というのも感情を大切にするようになると、そんなことは無意味に思えてくるのです。
でも感覚を鈍磨させていることは、時にはラクでした。何も考えずに機械的に生きるだけでいいわけですから。勉強やスポーツにはもってこいの技法です。感情なんてものは無視していればいい。そんなもの生きる上で邪魔になる、数年前まで本当にそう思ってました。抑圧するのと同じくらいの効率とスピードで表現、発散、処理できれば・・・。
大学の5ねんせいになったときにもやはり耐えがたい寂しさに襲われました。昼間から酒ばかり飲んでいました。夏には、マリファナを、吸おうと思い、友人に頼みました。結局、彼は私のことを思って、巻き込みたくないと思って、止めてくれました。四年の時には根性焼きをしました。テスト勉強中で、どうしても気合いが入らないので、やったわけです。キッチンで。まるで何かの烙印を押すかのように。鈍い痛みでしたが、終わった時、自分で自分のことを嘲笑っていました。「やったぞ!!俺はまた感情を抑えることに成功した!」と。今となってはバカな話しですが、本当に、人間、どれだけ感情を感じないかが強さだと思っていました。それをやってしまった自分に、いつか埋め合わせをしたいと思います。
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