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私たちの物語 - 嗜癖・依存症・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> およよ ■2003年09月02日 火曜日 00時44分06秒
私は、追いかける。
逃げるその人を。
しかし、追いかけても、追いかけても、私の心の中には届かない。
「私に愛を頂戴!私に愛を頂戴よ!」
私の心と体は、その人を求める。

決して、存在しないーー愛。母と父が与えられなかった愛。
そして、今までも、手に入れた事のない愛。

私の中の小さな子供よ。もらえなかったその愛を、今度は、大人になった私が、与えてあげるからね。
思いっきり、思いっきり、愛を・・・、あなたに与えるからね。
だから、もう泣かないで。私の中の傷ついてきた幼い私。
私は、あなたを愛しているよ、誰よりも、誰よりも・・・・
<19> ひさっぺ ■2003年08月18日 月曜日 14時10分31秒
服を買うとき、茶色や灰色しか選べません。
明るい幸せそうな楽しい色の服は自分は着てはいけないような気がして。
なのに、周囲に情けない姿を見られたくないから、必ずブランド物の茶色・灰色を買う。でもいい服を買ったからといって、楽しいとか嬉しいとかいう感覚はなくて、今度は、「同じような服持っているのにまた買っちゃった。それも私なんかがブランド物・・・。」という自責の念が沸いてくる。このような思考の輪にグルグルグルグルはまってしまい、抜けなくなる。自分がしている事、あほらしいと思うのに、このパターンから抜けないのは、シヘキだな。
食べ物もそう。私なんて、いいもの食べてお金かけるに値しない。それよりか食べないで痩せてた方が気が楽だし、もっと痩せたい。と思うのに、同時に、「体壊したら、ちゃんと食べずに心配かけたら、周りの人達に悪い。なんて罰当たりなんだろう私は・・・。」とか思い始める。なんなんだよ、一体。
<18> 波 ■2003年08月02日 土曜日 12時02分21秒
精神科に通いカウンセリングを受けています。先日とても辛いことを話し
その後、先生に「ぎゅっと抱きしめてください」と、お願いしてそのとおりに1分間くらいぎゅっとしていただきました、とても幸せでした。小さい頃から母にこんな風に抱いてもらった記憶が全くありません。抱きしめられた感覚が忘れられなくて次の診察の時にも「ぎゅっと抱いてください」と言ったら「この間はあなたがあまり辛そうで、そうしたけど今はそんな気持ちになれないから」と断られました。私は心がこもっていようがいまいがそんな事どうでもいいんです。ぎゅっと抱きしめられたいだけなのに・・・この先生は男性ですが抱いてくれる相手は女性でもいいのです、「ぎゅっと抱かれたい」だけなのです。
<17> L ■2003年08月01日 金曜日 21時49分59秒
これは病気だと認めます。
好きでやっているのでないけれど、自分でコントロールすることもできない。
強迫的にやってしまう。
そういうのは、やっぱり病気だと思う。
たとえば食べ物を、おいしいからとかお腹がすいたから食べるのでなくて、
そのことで頭がいっぱいになってしまうとか
脳内麻薬出すために?食べるみたいな感じになるとか
「盗み食い」することに特別な意味があるとか...
後から強烈な自己嫌悪を感じるけれど、でもまたやってしまう。
スイッチが切り替わると、自分で止められない。
そういうのは、やっぱり病気だな。
他のことでも一緒。
人のことはどうでもいい。そんなことより、自分のことを直視しなきゃ...。
私はまだ「病気」だと思います。
病んでいると認めるから、降参するから、
助けて...。


<16> Akki  ■2003年07月11日 金曜日 18時50分52秒
友人のアルコール依存症をなんとかしたいと思い、いろいろな本をよんでいたら、自分自身が依存症であることに気づいてしまいました。振り返ると、依存対象は様々なもので、友人、仕事、宗教活動、仕事、恋人などです。他が目に入らないほど没頭して疲れきり鬱状態になる、そんな繰り返しだったと思います。依存症から回復したくて、自助グループ、カウンセラーを探している最中です。   
<15> L ■2003年07月03日 木曜日 03時14分35秒
物質嗜癖は、今はない。
アルコール、薬物、食べ物、タバコ。一応はクリアしたような気がしている。
でも、私にとって本当に恐ろしいのは、関係嗜癖だ。
共依存的関係を避けよとすると、精神がこわばって来る。冷たい人間みたいになる。
以前、私は共依存で死にかけたことがある。
その時本当に、「あっち」へ行きかけた。
瞳孔が開きかけるところまで行って、戻ってきたのだ。
それで関わるのが怖くなったのかもしれない。
それらしき人を見ると、ガードを固めてしまう。
前は、心を病んだ人たちが私に近づいてきたが、今はそんなことはなくなった。
だって、今の私は、全くやさしくないから...。
相手に近寄らせないような雰囲気を作っている。
おかげで?以前に比べたら、相談を持ち掛けられたり頼られたりすることが、
少なくなった。それはそれで楽なのだけど、ときどき自分と言う人間が、
ひからびて感じられる。

そのくせ、特定の人間に対する「執着」は滅法強い。
このままでは、だめだ、と思って自分から相手に距離を置いた後、
激しく動揺してしまった。ぜんぜん自由でない。
もう、共依存からも回復したつもりでいたのに、鼻柱を折られてしまった。

その相手の役に立てなくなりそうだと、今度は自助グループやサークルや仕事で人様の役に立とうと、そればかり考えてしまう。
「私は私。無理をしなくても、このままで存在する価値がある」
そう自分に言い聞かせている。



<14> maasan ■2003年06月17日 火曜日 21時39分08秒
勉強癖。寂しいと活字を心へ入れようとする。それを疲れるまでやってしまう。脅迫的なのでこれが出ると大変疲れます。
<13> あゆたん ■2003年05月11日 日曜日 12時07分08秒
 共依存、あてはまる・・。
どこまでが自分なのか、わからない。
夫の悩み、私にとってはほかって置きたいこと。
なのにいつのまにか「わたし」が深刻にどうしたらよいかを話していた。
考えたくなかった(いや、考えなくて良い)問題だったのに・・。
私は夫との境界線が壊れてるんだ。ほかのメンバーとも境界線がおかしいんだ。
だから・・。
だけどどうしたらいいんだろう?
母が境界線が無かったから、父にも境界線が無かったからだから幼き私はそれらに荒らされた・・。どうしたらいいのかわからない。
 境界線が保てれば、もっと好ましい関係をもてそうなんだけど、どうしたらいいのかなんてさっぱりわかんない。
 間違って落ち込んで、しばらく落ち込んで、落ちるトコまで落ちて気が付いてそうやって学んでいくのかなあ。気を長く持たないと・・、はあ〜、ふと気が付いたら境界線をはっきり感じられたら、って、わけないけど・・。
<12> meg ■2003年04月13日 日曜日 00時07分52秒
彼氏の帰りが遅い。彼氏を信じることができず、眠れずにいる。また私を置いて出かけてしまったのだろうか、私から逃げているのだろうか。捨てられるのではないかという不安が付きまとう。なぜ一人で落ち着いていることが出来ないのだろう。自分を責める。自分に自信が無い。まるで彼がいないと私は存在できないかのように。7年前までは1人でも存在していたのに。1人になるのが怖い。何が変わるのだろう。毎日の自分の生活の中で、彼氏の存在が私の一部になっている。彼は彼、私は私なのに。私になりたい。1人の私として存在できるようになりたい。彼氏から電話があった。仕事が終わらないだけだった。どうしてこれくらいの事でこんなに心配するのだろう。彼氏は子供ではないのに…。自分が嫌になる。
<11> meg ■2003年04月11日 金曜日 22時30分46秒
彼氏がいなくなってしまう事に対する不安や寂しさは父と私の関係にあった。父はいつもいなかった。夜になっては出かけていき、家にいなかった。小さい頃夜がとても怖く、早く帰ってきてくれないかなといつも不安だった。彼氏が出かける事は当たり前のことだ。友人がいれば飲みにも行くだろうし、遊びにも行くだろう。それを受け入れられないのは、父親の姿とダブってしまうからだと思う。ずーっと私をおいたまま帰ってこないのではないかという不安。いつも一緒にいたいという気持ち。私は彼氏に父親を求めてしまっている。7年間私の要求に応えてくれた彼もついに限界がきている。今の彼には私を以前のように受け入れる余裕がもう無い。そして彼を頼れない私にも余裕が無い。昨日も彼は私の側にはいなかった。彼はどうしたいのか、これから二人はどうなるのかわからない。また父親のように私をおいて行ってしまうのだろうか。怖い…。一人にされるのが怖い。
<10> hiro ■2003年04月10日 木曜日 01時42分49秒
不倫を繰り返すのは「親」である彼に抱き締めて貰いたいから。それはけして恋愛ではなくて「親」である彼に受け入れて貰いたいから。大丈夫だよって抱き締めて欲しい。小さい私は抱き締められた記憶がない。膝に乗り甘えたくても怒りながら拒否をした。哀しい時抱き締めてくれなかった。小さい私が「親」を求めるように彼を求めてる。小さい私が甘えても癇癪を起しても泣き喚いても彼は抱き締めてくれる。大丈夫だからと受け入れてくれる。小さい私は彼の中で眠る。彼の温もりの中で小さい私は謝り続ける。彼は不思議がるが謝る事しか出来ないのだ。嫌われたくないから。捨てられたくないから。いつも謝る。彼は笑う。悪い事何もしてないよ。って笑う。それでまたぎゅってしてくれる。大丈夫だから。ってぎゅってしてくれる。小さい私がして貰えなかった事。私は彼の子どもでいるんだ。
<9> meg ■2003年04月07日 月曜日 20時52分56秒
彼氏が出かけて行く。もう2ヶ月近くまともに出かけたことは無い。私が嫌いになったのかと不安に思う。文句を言うとうるさがられる。余計に疎外される。だから文句を言うのも怖い。私は遅くまで毎日帰りを待つ。にも関わらず、食事を外で取ったり、遅くなっても電話も無い。帰ってきても私と話もせず、新聞や漫画を読む。殆ど目もあわせてくれないように感じる。怖くて寂しい。この間は夜中1時過ぎても電話も無く、心配して何度も電話を入れるが繋がらない。やっと電話がかかってきたら、友人と飲みに行っているから帰らないという。どうして?私より友人のほうがいいの?寂しくておかしくなりそうだった。寂しさからくる恐怖感で、どうしていいのかわからなくなった。気分が悪くなり、夜中病院へ行った。
冷静になると私は何をしているんだろうと思う。そんな事をしても何も変わらないのに…。どうして一人でいれないのだろう?一人がなぜこんなに寂しく感じるのだろう?また一人になるのが怖い。寂しくておかしくなるのが怖い。彼氏が離れていくのが怖い。嫌われるのが怖い。こんな気持ちで人生を過ごすのは嫌だ!!!
<8> マフマルバフ ■2003年02月25日 火曜日 14時48分53秒
「敗北の味」
 私は平和主義者である。平和はまた座していてはやって来ないことも知っているつもりだ。平和は長続きもしないことも知った。平和を獲得するために、少しの行動はしてきた。しかし、努力しては壊れ、努力しては壊れの連続でうんざりする。しかし、あきらめることはしない。
これからは、私は昨日と今日の私はちがうのだ。昨日は今日の私の影にすぎないというスタンスで自分の人生を生きていこうとかんがえている。
そういう思考でパチンコホールに入るまで、私は平和主義者である。空き台が2〜3あって迷いながら適当に選んだ台が、絶対に出そうにもないことを考える時、すでに2〜3千円つっこんでいる。これで煙草1カートン買えとったなあーとか考えると、顔つきが憎悪の塊りのように変貌している。「どうしてわかるかって?」台のガラスにわれの醜き顔がうつっていれり。ってなもんで、この顔では誰も話し掛けてくれないだろうと気づく。冷静になっていかないと、よくない。
残念だがあきらめるしかない。やめるのだが、こういう時の敗北感は、燃焼できていないから実にいやなのだが、どのように気持ちを切り換えたらよいのかに没頭する。過去を虚構にするためにも、ささやかな敗北でも、唇をかみしめて悔しさを実感したら、わすれることだ。遊びであるが敗北の悔しさを認めるほうが、気持ちの転換ははやいようだ。簡単なことなのに中々できなかった。これは、競馬ファンのT氏の作品をよむことで身につけた。・・・役にたつ書物もある。
<7> マフマルバフ ■2003年01月13日 月曜日 00時30分26秒
寺山修司について
 「時には母のない子のように」時には母のない子のように 黙って海を見つめていたい だけど心はすぐ変わる 母のない子になったなら 誰にも愛を話せない
この歌を子供の頃に聞いて 涙が出そうになるほどジーンときたことを覚えている。そして、この歌を口ずさむ幼なじみのM君に違和感をもったことがる。堅実実直、地域のボスのような強気のお母さんをもつM君に合わないし、俺もその歌が好きなんだとは言えなかった。すでに自分の気持ちを率直に見ることが出来なくなっていたのだ。そして小椋けいの「さらば青春」も子供心に刻み込まれている歌だ。歌い手のことはよく覚えていないが 底にある寂しさに共鳴したものだと思う。この二人の歌手が劇団「天井桟敷」とかかわりがあることを知って驚いた。十年以上前に寺山修司の「田園に死す」をたまたま観てJ.A.シーザーの音楽とともに その映画がすごいものだと思えた。しかし 私のまわりにはそのことを理解してもらえる人はいなかった。親子問題 家 トラウマ 俺も整理して考えることはなかなかできなかった。そのうち忘れていったのだが 年末に部屋を片付けていたら寺山修司のシナリオ集を発見して再読した。やはり感動する。寺山修司の業績はともかく 彼はトラウマがあったのではないだろうか そして自分のアディクションも気づいていただろう それが 終生のテーマとなり「田園に死す」等の作品に結実したのではないか。そういった視点から寺山修司を見直せば 彼の行動に矛盾はないと思うのです。 寺山修司はそこのところで周囲の人たちに誤解されているのだろう。
もし彼が生きていれば 斎藤学とかと対談などして トラウマの問題をもっと明確に話せたのではないか。
 1983年5月4日 47歳 死亡
百年たてばその意味わかる・・・・
<6> マフマルバフ ■2003年01月08日 水曜日 03時36分53秒
ACの回復について
 私のつたない文章を真面目に読んでくださっている方がいらっしゃることを知って驚いています。アディクション3は反論があることを覚悟で書いたのです。だから「あなたはあなたで考えてくれ」と独断である旨伝えているのです。私の父のアルコール依存を考えると たとえアルコール依存を脱却しても 生きづらさが残ることは歴然としています。アルコールなしの人生を粛々と送れる人もいるだろうけれども それは「始まりのための終わりにすぎない」単なる通過点にすぎない。と私には思えるのです。アルコールを断ってからACである自分に気づかなければ 真の回復とはいえないのではないだろうか?親になることで自分らしく生きることを放棄しているから アルコール依存からの脱却は通過点にすぎないという発想すらないのではなかろうか? このサイトはたまにしか見ないので反論の文章さえ読んでいない御無礼をお許しください。また まじめに読んでくださってありがとうございます。
<5> マフマルバフ ■2003年01月05日 日曜日 03時19分57秒
酒とバラの日々
せめて題名だけはかっこよくしたいものだ 酒まみれの日々ではかっこ悪いもの 実は正月三が日酒を飲んでみた 月桂冠「吟醸酒」アルコール度数15〜16度を三日以上かけて700ml飲み干した
食事をしながら飲んでみたが 初日の軽い飲酒で意識不明になりそうだった 二日目には 体が金縛り状態の夢をみた 三日目の200mlでやはり意識不明の状態になった 息は口でしかできず 体はピクリとも動かせない 心臓は100m走を3回やった後のように上昇し 蛍光灯がまぶしくて目を開けていられず せめてガスストーブは消して寝ようと思うのだが 体が動かない 5時間後にやっとアルコールが抜けて体が動いたが 絶命する前の自立呼吸ができないときと同じだろうと思う 口の中がやたらと渇いて不快だ あれを1〜7日間もつづけると 能に酸素がまわりすぎるかんじで幻覚がでたり?(よくしらないが) まさに地獄の苦しみだろう。俺は遠ざかる意識のなかで 孤独死はやばいなと考えていた。体質的に酒は飲めないことがよくわかった。
<4> 【管理人からのお知らせ】 ■2002年12月28日 土曜日 14時08分29秒
2002年12月22日付の、みりさんの「アディクション3に対する考察」と題した投稿は、「他の人の投稿への分析解釈や批判・お説教をしない」というルールに抵触すると判断したため、誠に勝手ながら削除させていただきました。
悪しからずご了承ください。

管理人・蔦吉
<3> マフマルバフ ■2002年09月24日 火曜日 00時39分03秒
アディクション 3
アルコール依存症から回復した人たちを見て感動するものはあった ここまで治るのか 何だか安心できた 男の回復と女の回復ではやはり違いがあると思う 女性の回復者の変化をよく知らないが・・ ただACの回復とは違うものであると思う ここから先は私の独断で書きます(あなたのことはあなたで考えてくれ)アルコール依存に振り回されてきた者として 素直にはその回復は喜べないぶぶんもある 私の場合怒りの矛先は父親のアルコール依存にあるが それはそれだけのものでしかないのです 私の問題は シナリオのない両親の合作共演の家族ドラマに巻き込まれたところがややこしいのだと思います つまり問題点はどこにあるのか捜しきれない 分かりにくいところが問題なのです 自分で捜していかないとわからないことばかり それは気づいていくことしかない 誰も教えてはくれないのです 母親の影響が大きく投影されていることさえ長い間気づきませんでした 夫婦の合作であるから 当人さえ気づかないのだと思います ネグレクトの一形態であると思います だから私にとって言い放つことは極めて重要な作業であるのです 聞くほうはしんどいかもしれませんが・・・。
<2> マフマルバフ ■2002年08月28日 水曜日 00時27分49秒
アディクション 2
びーる1缶飲んで寝るまでに余裕があれば梅酒○CCにウーロン茶○倍に薄めて ほぼ甘味が残るような状態で冷やして飲んでます 酒類は親の影響もあって 飲酒したことがなかった そういうことにすらもう関心がない そういう状況を招かないように管理していけば問題はないし 自分で責任をとることを学んでいけば何等心配することではない
<1> マフマルバフ ■2002年08月25日 日曜日 00時42分27秒
アディクション
自分が何らかのアディクションに陥っているかどうか長いこと判断つきませんでした。私がこれから物質依存症に(酒類・薬物等)なることは考えにくい 過程し癖も抑制ができるので考えにくい 自分の体験した範囲のことしか言えないが 自分自身ののことは自分で始末をする性格であることに最近確信をもてるようになった。し癖に陥るきっかけになる状況というのは10代にあった。誰からも見捨てられ親や家族の病的有り様に振り回され自分を見失いコントロールを失うことがあった。そのときは悪い友達はいないし 酒やシンナーをやるということは考えられないし 無力感に包まれ この病的家族から一日も早く離れたい そればかりを熱望していた。家を出て行くための事情を必死に考えることで現実的になれた。故郷を遠く離れて独り暮らしは経済的に難しい。会社の寮で暮らし金をためる以外に考え付かなかった。その間いろいろあったが信頼できる相談相手を見つけることが大切だ 私ごとき者の周りでも詐欺等の犯罪者が身近にいて何回か騙された。

社会に出てからの私の場合 神経症になり抑うつ無気力等危険な状況は何回かあったが物質依存は考えられない。過程し癖に陥る危機はあったと思うがのんびりと自分を振り返る少しの余裕はあった。自力で考える力がついていった。人のつまらぬ思考に振り回されるのが嫌になったと言えばよいのでしょうか。なんとも頼りない経験談ですが・・・・。

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This script written by Shintaro Wakayama.